海側生活

「今さら」ではなく「今から」

“ワカメ”しゃぶしゃぶ 

2009年03月27日 | 最大の財産

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友人二人が遊びに来た。
夫々が自分の好きなお酒を手に提げて来てくれた。
もちろん私も好きな銘柄だ。
芋焼酎はお湯割りと水割り、アルマニャックブランディは後で頂く事にする。

ルーフバルコニーにテーブルを出し、パラソルを張る。

海草の上に盛られた刺身は、シマアジ・キンメ・アオリイカだ。
海を眺め潮風に当たりながらの刺身は格別だ。

早朝に漁師の“せいちゃん”から差し入れの採りたてワカメがある。
「ワカメしゃぶしゃぶ」は久しぶりだ。
生ワカメをお湯につけた瞬間に、茶色っぽい葉が、端から中心に向かってに濃い緑色に変わっていく。
二人は、こんな食べ方は初めてだと言いながら、休む暇なく口に運んでいる。
手製のポン酢でいくらでも口に入る。

年齢を重ねたという事は、今後の食事の回数も限られてくると思うと、一食でもまずいものは口にしたくない、
美味いものだけを食べたいといつも思う。
しかも今日のように気の合う友と---。

海側生活を始めてから、料理も多少覚え、自分好みの料理を作る機会も増えた。

アルマニャックブランディの香気が鼻を刺激し、口から咽喉へ、そして胃に流れて行くのが心地よい。
二人には、まるで時の経つのを忘れたかのように、いつまでも寛いでいただいた。

海側生活を始めてから“一期一会”と言う言葉の意味している事が実感される。


ボートショーを見に行く

2009年03月21日 | 海側生活

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ボートショーを見に行った。
横浜開港150周年記念のテーマイベントらしい。
大手メーカーのブースには「自分に還ろう。---あの夢に。」の大きな幕が目に飛び込んでくる。
大手は上手いコピーを用意しているなと思わずニヤリとする。
多くの来場者が思い思いのブースで立ち止まり、商品や説明に見入ったり聞き入ったりしている。

こんな多数のボート、ヨット、カヌー等やマリングッズ等の中に身を置いているとやはり心安らぐ。

春が来て、もう少し暖かくなったら自分にとっても海の季節だ、
魚釣り、トローリング、クルージング等が待ち遠しい。
昨年は12回しか海に出る機会がなかった。しかし多くの新たな出会いと四季折々の海を楽しむ事が出来た。
そして元気や癒しや勇気を貰った。
その瞬間は紛れも無く、海が自分だけのモノになっているひと時だと思う。

横浜開港(1859年)150周年、その6年前(1853年)にペリーさんは浦賀に来航し久里浜に上陸した。
その浦賀には今でも渡し舟があり、料金は150円。乗り場に行けば、船が対岸に居てもすぐ来てくれる。
地元の人達には無くてはならない存在だ。


移転挨拶状

2009年03月18日 | 海側生活

これからもお付き合いをして頂きたい方に、挨拶状を出した。
突然に挨拶状を送る事に躊躇いがまだ残っていた

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ご挨拶

 ・事務所を海の側に移転しました
   この二月に思うところがあって、私にとっては心安らぐ海の側に事務
   所を移転しました。事前にご相談もせず申し訳ございません。

 ・富士山・伊豆半島が見渡せます
   ここ”逗子・小坪”は、都市化から取り残された昔ながらの所謂漁村で
   す。そのはずれに建つマンションの一室です。
   眼前に相模湾が広がり、遠く江ノ島も望めます。
   隣にはマリーナもあり、シーズンになるのが待ち遠しく楽しみにしてい
   ます。
 
 ・”田舎に住む”、”海側に住む”のお手伝い
   これからは特に同世代のオジさん・オバさん達の、海の側に住みたい
   と言う希望に、ビジネスとしてでは無く、チョッピリ先輩としていろいろ
   とアドバイスをしたいと考えています。 
  
 ・道草、遠回りをして生きたい
   これまで以上に野次馬根性を丸出しにして、道草・寄り道・遠回りをし
   て生活したい。海を相手に トローリングや舟釣り、海・浜・鳥・花など
   の写真も撮ってみたいと考えています。   
   
 ・遊びに来てください
   憂さを晴らしたい、美味いイッパイをやりたくなった、たまには潮風を
   感じたいなど、こんな時にはブラリと遊びに来てください。  
   私の手料理で御もてなしさせていただきます。
   我儘ばかりを申し上げますが今後とも宜しくお付き合いください。

                                  2008年4月1日


お手のもの

2009年03月16日 | その時を覚悟した

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通院と薬の服用が生活の中心で、この儘の状態ならばビジネス仲間にもいつか迷惑を掛けてしまう事になるだろう、
そうなる前に、ビジネス人生の中締めをしよう、と考えた。
更に人生の“中締め”もしようと決心した。
このチャンスを、自分の力が及ばない何かが呉れたのだ、とも思った。
その生活の中心を好きな海の側にしよう。
そして人生をやり切ろう。

決断するのは早かった。
行動も素早かった。

多分終の棲家になるだろう海側の“住まい“を探し始めた。
不動産を見る、探す、造る事等はお手の物だ。
思えばずいぶん長い間この関連業界に携わって今日まできた。

条件はやはり暖かい気候の土地で、「海側生活」が絶対条件だ。
土地だけでも良い、建物は造ればよい。
古家でも良い、自分向きに手直しをすればよい。
浜近くに立つ漁師小屋でも良かった。
沖縄やオーストラリアも検討した、しかし余り遠く離れていると友達も簡単には遊びにも来難い。
外房や伊豆半島は交通インフラが自分向きではない。

ずいぶん物件を見た。このマンションと出会うまで2ヶ月掛かった。
そして決めた、逗子・小坪に。


浜に行った    

2009年03月14日 | 魚釣り・魚

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朝早く浜に行った。

焚き火の側で、網から獲物の取り分け作業が続いている。
「吾妻鏡」にもその記述があるこの浜の根っからの漁師である“せいちゃん”の網だ。
いつになく“せいちゃん”の顔が綻んでいる。
「メバル」や「カサゴ」が、網から外され次から次へと取り分けられている。
大きなバケツから溢れるばかりだ。
今日は“サザエ“も大漁だ。
「いつも、これだけ入っていればな---」と“せいちゃん”は思わず本音を漏らしている。

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市場に出せないような魚は思い切り海にリリースする。
すると、どこに居たのか鵜が素早く潜って咥え込んでいる。
自分の咽喉よりも大きな魚を咥え込んで飲み込めるのかとジッと見る。

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野菜でも魚でもやはり旬のモノを間近に見ると、気持が昂ぶるし、食したくなる。

別けて貰った。


人生の“中締”を

2009年03月11日 | その時を覚悟した

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退院から一年経った頃、抗癌剤の副作用はいろいろと起きているものの、この状態で日々を過ごして良いのかと考えた。
毎月行う生体検査や三ヶ月毎にCT検査の結果は、特に異常を示す数値は出てこない。

しかし自分のビジネスも生活も、身体と通院優先で全てが中途半端になっていた。
情報を全く発信しないのだから、当然受ける情報は従来の20%以下ぐらいに減っていた。
この状態の儘だったら、ビジネスの仲間達に、関係者に又友人達にも迷惑をいつか及ぼしてしまうであろう事を
心配した。

そして決心した。
ビジネスの中締めも今がチャンスだ。
更に、人生の“中締め”もしよう。
その生活の中心を好きな海の側にしよう。
そして人生をやりきってみよう。

久しぶりに気持が晴れた。

すぐ実行に移した。


優しくなったのかな

2009年03月06日 | その時を覚悟した

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接する人も自分に優しくなったような気がする。

膵臓癌の手術だったと聞き、「大変だったですね」と言ったまま急に話題をそらす人、身内にもこんな療法を行った人が居ると教えてくれる人、現代医療は進みましたからと励ましてくれる人、あなたは過去のデータは参考にならない人だからと元気付けてくれる人等---。
言葉遣いまで何だか優しくなった人等様々だ。

ただビジネス面において突っ込んだ話、複雑な話、時間が掛かりそうな話は、殆どの人がしなくなった。
接する人たちの心遣いに有難くも有り一抹の寂しさもあった。一方、しんどい時だろうからこそ、気を紛らわさせようと敢えて次の案件をぶっつけてくる人も有り嬉しく感じてしまう。

人に会うと言う時間ががこんなにも楽しいものかと改めてしみじみと感じる。

自分も優しくなったと思う。


退院は“再発”との闘い

2009年03月03日 | その時を覚悟した

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退院後もチョットした胃辺りのシクシク感にまた体調の変化に“再発“かと考えてしまう。

結局、抗癌剤は服用と点滴を通算一年間した。
抗癌剤の副作用はいろいろと経験した。
駅の階段を上るのに息切れがして苦労した。
スッと立ち上がると目眩がした---。
当然だろう。赤血球と白血球の数値も平均よりかなり下回っていた。

街を歩いている時でも従来見えなかったモノが見え始めたり、従来感じなかったモノに神経をとられたりする事が増えた。
石垣の石の一つ一つが何かを語り掛けて来るような気がしたり、鉢植えの小さな植物に目を奪われたり、どこにでもあるような町並みについ見とれたり、又何所からともなく漂ってくる花々の香りについ立ち止まったり、生垣の木々たちに触れてみたり----と。
何に触れても、それが愛おしく感じてしまう。

テレビから流れてくる歌謡曲の歌詞にフッと耳をそばだててしまう。
人との雑談中にも、その人となりが良く観え、従来と違った聞き方をしてしまう、聞き上手になったのかな。

自分は優しくなったのかな---。

その時の覚悟は出来ているとはいえ、体のチョットした変化に敏感に反応してしまう。