海側生活

「今さら」ではなく「今から」

メダリストの瞳の輝き

2018年02月20日 | 海側生活

(小坪港/逗子)
このブログ「海側生活」は、今回で通算400回目を数えた。
10年前、思いもよらぬ病気の発見が二年に亘って続き、二度の大手術を余儀なくされた。日ごろは何の信心もない自分が、これは何かの啓示だと捉え、それまで営んでいた会社を閉め、熟慮の末、仕事仲間や友人たちには何の相談もなく、身勝手ながら、この海側生活を始めた。そして、これまでお世話になった方々に近況報告をする心構えで、ブログを通じ感じた出来事や自分の行動の様を発信した。それから10年の歳月が流れた。その間、多くの激励を頂いた。もちろんお叱りの言葉もあった。
よくぞ10年間400回も続いたと我ながら感慨深い。正に「継続は力なり」。

継続することは忍耐力や熱意、目標に向かって突き進むパワーが必要になることも十分に承知している。
思い起こせば中学生になった時、担任の先生だったか又は母親だったかは記憶が定かではないが、諭され上手に乗せられたことを覚えている。「毎日三つだけ英単語を覚えよう。「継続は力なり」で一年続ければ千以上の英単語を覚えられるんだよ。君なら出来るよ!」。全く上手く煽てられたものだ。それは中学校を卒業するまで続いた。現在でも中学校卒業段階の英語力の達成目標とされている英検3級の合格レベルは2,100語とも言われているから、後に大いに助かったことは言うまでもない。しかし、成人後は「継続は力なり」といかなかった事も多い。中でも禁煙の失敗は幾たび重ねたか。

「継続は力なり」の出展を今さらだが調べてみた。
浄土宗の宗教家である住岡 夜晃(すみおか やこう)氏の『讃嘆の詩(さんだんのうた)』の一部であることを知らされた。
「青年よ強くなれ、牛のごとく象のごとく強くなれ。真に強いとは一道を生きぬくことである。性格の弱さ悲しむなかれ。性格の強さ必ずしも誇るに足らず。念願は人格を決定す。「継続は力なり」。

今、オリンピックのメダリストの談話がテレビから流れてくる。彼らの瞳はキラキラと輝いている。まるで孫みたいな年齢の若者たちは、更に高みを目指すという。若さは素晴らしい。
正に千里の道も一歩より。積み重ねる努力は将来どんな道を歩もうときっと生きる。

しかし、自分はこれからどんな道や世界に向かうのだろうと、我が内なる声が響き続けている。

ウドンのご飯

2018年02月12日 | 好きなもの

(一条恵観山荘/鎌倉)
名古屋に行った時、必ず食べるのは「味噌煮込みうどん」だ。
溶いた小麦を土鍋で煮立たせ沸騰させる。テーブルに運ばれてきた時でも鍋の中はまだグツグツと煮立っている。出汁は昆布、鰹節、干椎茸。具はカシワと卵、そして濃厚な八丁味噌の味付けは、眼鏡を曇らせながら何度食べても飽きることはない。

郷里の九州方面まで出かけた時でも、帰りは飛行機の利用はやめて、新幹線・名古屋で途中下車し、「味噌煮込みうどん」を味わって帰宅することがある。これほど好きなのは現役の頃、五年間赴任し、独立後も名古屋に浅からぬ縁を持ったからに違いない。その頃、関わり合った様々な人達に手羽先と「味噌煮込みうどん」を仕込まれた。

あの味噌は、やはり愛知の気候や風土に合っているのだろうか。地元の人が食べる時に決まって一緒に注文するように、ご飯と「味噌煮込みうどん」の組み合わせは、名古屋の食文化の代表だ。確かに「味噌煮込みうどん」だけを食べると、少しくどい感じがして白いご飯が欲しくなる。まずご飯の上に卵やカシワを乗せて箸を進める。そしてご飯、うどん、ご飯、うどんと交互に口に運ぶ。出来れば日本酒を一本注文する。ビールでは味噌の味が壊れる。

ある時、八丁味噌をオミヤゲに持って帰ったことがあった。普段家で使っている白味噌と合わせて使ってみたが、あまり美味しくない。もしかしたら「味噌煮込みうどん」にしか力を発揮しないのかもしれない。

「味噌煮込みうどん」の美味さを関東の人に話すと、「鍋焼きうどん」なの?と訊かれるが、一度名古屋に連れて行って、その美味さを納得させたい。食べてみてショッパイと言った人は、ご飯を頼んでいない人だ。

朝夕はまだまだ真冬だ、冷気が身に沁みる。つい身体がホットするようなあったかいものを思い出した。