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(妙本寺/鎌倉)
路地や寺の参道・境内を彩った紫陽花が早くも盛りを過ぎた。
季節の移ろいを花が報せてくれるのは言うまでもない。
鎌倉では紫陽花を見せるために、ある寺では開門時間を繰り上げたり、入場制限をしなければならないほど多くの人が訪れた。
花言葉に移り気・浮気・変節などもあるが、人はそんな言葉に惹かれて足を延ばす訳ではないだろう。
紫陽花の咲き始めは薄い黄緑色、花(ガク)が大きくなるにしたがって緑色は薄くなり、徐々に赤色や青色に色づき始め、花の盛りをむかえる。盛りが過ぎると褪色して、再び薄い色になり、色調もくすんでくる。また同じ株から咲く紫陽花でも早い時期に咲く花もあれば遅く咲く花もある。更に同じ株でも瞬間に見る花の色は様々だ。決して同じ色ではない。同じ土壌にありながら、同じ株にも多くの根があり、その根がどんな養分を吸収しているのかによって色は変わるらしい。
人間でも兄弟姉妹は、幼い時は同じようでも成長するにしたがって、紫陽花と同じように様々な違いが表に現れる。
ガクアジサイは、じっと見つめると狭い空間に全ての色が揃い、まるでクレヨン箱のようだ。
付けられた名前に”隅田の花火“などもある。
人が、特に女性が紫陽花に惹かれるわけが良くは分からないまま、今日も紫陽花をボッと見ていた。
その思いは五月末に催された逗子の花火大会に行き当った。
当日は小雨交じりの中、風が陸地側から海側へ吹いていたタイミングでもあり、花火の煙に邪魔されず、全てがクッキリと見られた。大会のフィナーレの15分間に5000発は見応えがあった。鳴り止むことがない打ち上げの轟音、子供は拍手し大声で何やら叫んでいるが良くは聞き取れない。大人達も拍手し、歓声とも溜息ともつかない「ハァ~」が方々から聞こえてくる。
あの「ハァ~」は何を表現していたのだろう。
紫陽花の命は一か月間もある。その色の変化に比べると、花火の七色変化は文字通り瞬間だ。瞬間だから言葉にならない。言葉にする時間もない。過ぎ去ったこれまでを思い起こす時間も無い。
巡るましく変化する音と光に、日頃は自分でも引出せないほどの胸の奥深くにしまい込んでいた筈の、これまでの数々の出来事が、つい無意識のうちに脳裏をよぎり、過ぎ去りし日々に想いを馳せてしまうのか。振り返れば、それら過ぎ去った出来事は一瞬だったようにも思えるのか。
しかし瞬間だから、その想いは上手くまとまらない。「ハァ~」としか表現しないのか、出来ないのか。
紫陽花の色の変化は花火ほど瞬間ではない。もっと時間を掛けて変化してゆく。見入れば過去の様々な出来事を、自分なりにユッタリと思い起こす時間はある。例え他人に話せないような事でも。
紫陽花を観に足を延ばせる女性は、きっと淡白ではない人生を歩んできたに違いない。
一年で一番多くの色を持つ季節も、やがて過ぎて行く。