海側生活

「今さら」ではなく「今から」

一年で一番多くの色を持つ季節

2015年06月27日 | 季節は巡る

                (妙本寺/鎌倉)
路地や寺の参道・境内を彩った紫陽花が早くも盛りを過ぎた。

季節の移ろいを花が報せてくれるのは言うまでもない。
鎌倉では紫陽花を見せるために、ある寺では開門時間を繰り上げたり、入場制限をしなければならないほど多くの人が訪れた。
花言葉に移り気・浮気・変節などもあるが、人はそんな言葉に惹かれて足を延ばす訳ではないだろう。

紫陽花の咲き始めは薄い黄緑色、花(ガク)が大きくなるにしたがって緑色は薄くなり、徐々に赤色や青色に色づき始め、花の盛りをむかえる。盛りが過ぎると褪色して、再び薄い色になり、色調もくすんでくる。また同じ株から咲く紫陽花でも早い時期に咲く花もあれば遅く咲く花もある。更に同じ株でも瞬間に見る花の色は様々だ。決して同じ色ではない。同じ土壌にありながら、同じ株にも多くの根があり、その根がどんな養分を吸収しているのかによって色は変わるらしい。

人間でも兄弟姉妹は、幼い時は同じようでも成長するにしたがって、紫陽花と同じように様々な違いが表に現れる。
 
ガクアジサイは、じっと見つめると狭い空間に全ての色が揃い、まるでクレヨン箱のようだ。
付けられた名前に”隅田の花火“などもある。

人が、特に女性が紫陽花に惹かれるわけが良くは分からないまま、今日も紫陽花をボッと見ていた。

その思いは五月末に催された逗子の花火大会に行き当った。
当日は小雨交じりの中、風が陸地側から海側へ吹いていたタイミングでもあり、花火の煙に邪魔されず、全てがクッキリと見られた。大会のフィナーレの15分間に5000発は見応えがあった。鳴り止むことがない打ち上げの轟音、子供は拍手し大声で何やら叫んでいるが良くは聞き取れない。大人達も拍手し、歓声とも溜息ともつかない「ハァ~」が方々から聞こえてくる。

あの「ハァ~」は何を表現していたのだろう。
紫陽花の命は一か月間もある。その色の変化に比べると、花火の七色変化は文字通り瞬間だ。瞬間だから言葉にならない。言葉にする時間もない。過ぎ去ったこれまでを思い起こす時間も無い。

巡るましく変化する音と光に、日頃は自分でも引出せないほどの胸の奥深くにしまい込んでいた筈の、これまでの数々の出来事が、つい無意識のうちに脳裏をよぎり、過ぎ去りし日々に想いを馳せてしまうのか。振り返れば、それら過ぎ去った出来事は一瞬だったようにも思えるのか。
しかし瞬間だから、その想いは上手くまとまらない。「ハァ~」としか表現しないのか、出来ないのか。

紫陽花の色の変化は花火ほど瞬間ではない。もっと時間を掛けて変化してゆく。見入れば過去の様々な出来事を、自分なりにユッタリと思い起こす時間はある。例え他人に話せないような事でも。

紫陽花を観に足を延ばせる女性は、きっと淡白ではない人生を歩んできたに違いない。

一年で一番多くの色を持つ季節も、やがて過ぎて行く。

気になる

2015年06月21日 | 感じるまま

(金紫梅/覚園寺・鎌倉)
体重は週に二度計る。
毎朝の洗面の際、そこに置いてあるヘルスメーターでパジャマ姿のまま、体重を計るのが、「海側生活」を始めてからの習慣である。

当時、手術後、半年も続けた抗癌剤は、体重の増減で分量を微妙に変化させるらしかった。
計り始めた当初は、身に付けるパジャマは冬物と夏物とでは重さが違う。全裸でないと正確な数値は得られないような強迫観念にとらわれていた。初めての抗癌剤にナーバスになっていた。しかし冬は寝起きとはいえ全裸になるのは短い時間だけど辛い。すぐサムボロとクシャミが出て困った。やがて体重の変化さえ分かれば良いのだから、現れる数字が多少違っていても構わないと考えようになった。

時々、都心で旧友と会食して遅くなった時は、その時間まで過ごしていたお店の近くのホテルに泊まることもある。あるホテルにはバスルームにヘルスメーターが置いてある。多めの飲食の翌朝だから、どの程度増えているのかと気になり、同じように乗ってみる。ところが必ず軽いのだ。ホテルのヘルスメーターは、きっとサービスのため体重が軽く表示されるように調整されているのだろう。
きっと「あのホテルは重いから泊まるのはイヤ!」とか「あそこに泊まるといつも痩せるの!」などの理由でリピーターになる女性が居るに違いない。

これから暑さの盛りに向かう季節である。
寒かった間、脂肪を蓄えるように出来上がっている人間の身体も、暑さで汗もかくし、特に注意しなくてもベストな体重が維持出来るに違いない

まあ、体重と言うのはその程度の単なる健康の目安に過ぎない。気にしないのも良くないが、気にし過ぎるのは余計に良くない、と言いながらやはり気になる。


威圧感のある売り場

2015年06月04日 | 感じるまま

東慶寺にて/鎌倉
「どんな女性が好きか?」の問いに「化粧品売り場で働く女性」と答えた知人がいた。
その理由が思い当たらず、自分としては瞬間迷い焦った。そして興味を持った。

なぜかと聞くと「女性相手の仕事だから感じが良い」との返事。
「例えば会社の役員秘書とか、弁護士秘書などは男性相手の仕事である。つまり男性にチヤホヤされがちだ。キャビンアテンダントは女子供にも仕えるが、男性にはモノ欲しそうに見つめられる。それに比べ、化粧品売り場の女性は男性に甘やかされることがない。だから自分を過信していないし、傲慢ではない。」

確かに秘書などはボスの権威を自分の権威と勘違いしがちだ。そんなバカばっかりでもないと思うが、金銭感覚がおかしくなるかもしれないし、あるいは錯覚するかもしれない。その点、化粧品売り場の女性は、男性の権威を盾とする仕事でないわけだ。シビアーな同性の客を相手にし、常に愛想よくしていなければならない。おまけに立ちっ放しの仕事である。照明もキレイで、一見華麗な職場だが、実は体力的にも相当キツイ。足からマメが無くなる事もないらしい。何やら相当に詳しそうだ。

知人の語り口に妙に説得力があり、ほとんど納得した。
その後、あるデパートの5階に麻シャツを買いに行ったが、入口からエレベーターホールまで、三度ぐらいショーカウンターを曲がり歩きながら向かった。時折目が合う化粧品売り場の女性たちが何だか愛おしく思えた。

この話を別の知人にしたら、「あんな威圧感のある売り場は通過するのもイヤだ」と言った。
続けて「化粧品売り場の女性に堂々と立ち向かえる男性はよほどの自信家だ」と。

それも分かる気がした。