海側生活

「今さら」ではなく「今から」

街道を歩く

2011年06月20日 | 東海道五十三次を歩く

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梅雨もやっと本番を迎えたらしい。
雨は落ちていないがドンヨリと灰色の雲が低く一面を覆っている。見慣れた江ノ島も靄の中だ。ただ港を出入りする漁船が影となってボンヤリと見え、エンジンの音だけが響いてくる。今の海を描こうと思えば、筆一本あれば色のある絵の具は必要ない。

歩き終えて早十日が経った。
身体の倦怠感もほぼ無くなった。足の指の血豆も取れた。ふくらはぎが自分の足で無いみたいにパンパンに腫れ上がり、まるで幼い赤ちゃんの足指のようにポンヨリとふっくらとなっていたのも取れた。  

何十年も前の「忘れ物」を取りに行った今回の「歩きの旅」だったが、同時に自分の体力と気力を試す事でもあった。

道中、多くの街道がある事を知り、様々な時代の出来事に触れ、多くの記念碑の中に書物の名を思い起こし、そして多くの人に出会った。
東海道の一部しか歩いていないのに、自分が生まれ育った日本って奥深くて、長い歴史がある事を改めて思う。
興味本位の研究材料が一気に増えた。

道連れが居て二人で歩むのは楽しい。
しかし、これまで波乱万丈の生き方をして来た人も、順風満汎に過ごしてきた人も、どんな人でも現状がどうであれ、ある時は一人で歩まなければならない時が必ずある。それを実感した「歩きの旅」だった。

また分相応は自分のモットーである。自分の身の丈に合った生き方をしていれば生活は安定する。だが分相応に暮らしながらも年相応の目的を持たなければ、その人の未来は無いとも思った。

今、自分は充分に陽に焼けた黒い肌と、まだ出来る!と言う自信に心地良く包まれている。