海側生活

「今さら」ではなく「今から」

耳の訓練

2013年09月17日 | 海側生活

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              ((チャンス到来/ベランダから)

パソコンに向かっている時や新聞を読む時は、好きなクラシック音楽をかけている。
音を感じると五感が途端に動き始める。目は小さな文字が見え難くなり、困る時もあるが、耳はいたって健康らしい。

七時に朝食を摂る為、六時に起床。起きたら先ず、寝ぼけ眼のまま、ベランダにチェアーを持ち出し、緑茶を飲みながら海を眺め、目を閉じる。海からは様々な音が聞こえてくる。岸壁に打ち寄せる強い波の音、小船の引き波が停泊している船にぶつかる優しい音が心地良い。海鳥達の賑やかな鳴き声が港中に響く、彼等は特に早朝は元気だ。その中に混じってひときわトーンが高いトンビの声に眠気を覚まされる。車の音や人の声は全く聞こえない。その日の天候により、それぞれの音の聞こえ方が違う。
早くも網を上げ港に戻ってくる船もある。エンジンの音は船によって皆違う。目を閉じると、とたんに耳がイキイキと働き始める。誰の船かもエンジンの響きで分かる。その船のエンジンの音だけに耳を澄ますと、今日の漁の収穫の程度が分かる。
やがて一段と多い大きな音を響かせ釣り船が出港する。この起床してからの30分間は、一日の始まりの自分だけの楽しみの時間でもある。

また電車の中では大抵は目を瞑り、耳に入ってくる人の話を聞いている。この時間も「耳の訓練」だ。人間観察にもちょうど良い。
穏やかな声、せっかちな声、甘えたような声、トゲトゲしい声-----。
「丸顔で太った人だろうナ」顔や姿を想像する。性格まで考えたりする。そっと目を開けると、まるっきり違っていることもあるが、ほぼ想像通りのこともある。
威張りたがっている人、弁解している人、気取っている人、あるいは職場の上下関係などは声だけですぐ分かる。生まれつき目が不自由な人は、もっと正確にそして微妙に聞き分けているに違いない。

目を瞑ってテレビを見ると、生活の一部になっているこの機械が、なんとも野蛮な音を流し続けていることに改めて気が付く。それにキャスターといわれる人達が、いかに下手な芝居をしているかもよく分かる。

それに政治討論会なども「耳の訓練」にピッタリだ。


大人も夏休み

2013年09月10日 | 海側生活

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                                              (ナナフシ/男の子の自宅前)

休中、ラジオで「子供電話相談」をやっていた。

「僕の家には鳥がイッパイ来るんですけど、どうしてですか?」
「例えばどんな鳥だい?」
「え-と、---ツバメとか」
「そうか。じゃあ、先ず鳥の気持ちになって考えてごらん。君が鳥だったら、どんな家に住みたいかな?先ず安全な所だろう。それから食べ物がある所だよね。君の家には実のなる木が有るんじゃないかい?」
「えーと、---」
でも家の庭には木があるだろう?」
「あ、はい」
「それに鳥をいじめたり人がいないだろう。お父さんもお母さんも、それから君も、鳥をいじめないよな」
「はい」
「そうだろう。そう言う良い家に鳥はやって来るんだよ」
「じゃあ、僕の家は良い家なんだ」
「そうだよ」
そんなやりとりを聞きながら、自分の子供の頃の思い出に重ね、「そうだったのか」「この教え方は分り易いな」等と、つい独り言を漏らしたり、微笑んだりしていた。

ある朝、マンションの6階から1階の郵便受けに新聞を取りに降りようとした時、エルベーターホールの隅の床に、夜の照明に裏の山から飛んできたのだろう、カミキリムシが落ちていた。どうしようと考えた時、表から子供達の遊びに興じる声が聞こえてきた。カミキリムシを拾い上げ、急ぎ降りて小学生の子供に上げた。
「実際に紙を切らせて見ると面白いよ」
「えっ、本当に紙を切れるの?」男の子は半信半疑な面持ちで、コワゴワとカミキリムシを指で摘まんだ。

そして数日後の昼前、通りがかった自分にあの男の子が「オジサン、このムシの名前を教えて」と、10cmほどの木の枝にソックリの淡緑色の細長い身体から、黄緑色の手足と触覚が延びているムシが入った籠を突き出した。
見たことがある。しかし名前を思い出せない。男の子も図鑑で調べたけど名前が分らないらしい。調べて教える事を約束して、その場は別れた。

用を済ませ、夕方マンションに帰ると、入り口で男の子が待っていた。「名前は分った?」。着替えもそこそこに、急ぎウェブを開いた。そして分った。『ナナフシ』だった。
「そうか、ナナフシか。ありがとう!」男の子は、はしゃいだ声を出しながら、飛ぶようにして自宅にかけ出した。

子供の頃の夏休みの気分が蘇るのを覚えた。
大人だって夏休み。


暑かった

2013年09月02日 | 季節は巡る

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                                                             (本覚寺にて)

陽が沈むと虫の音が一段と強くなった。

先週あたりまでは、どこで鳴いているのか、遠くから微かに聞こえていた虫の音が、今は自分のすぐ身近に潜んでいるような近さから聞こえてくる。つい足を止め、耳を澄ませ、腰を屈めて草むらや物陰をジッと覗き込みたくなる。

しかし日中の気温は九月になっても35度を示している。
今年の夏も暑かった。ここ数年来、異常気象だと言われて久しいが、気温が沖縄よりも高い日が一週間以上も続いた。おまけに湿度も高く、日中にシャワーを浴びた日も少なくなかった。

高かったのは気温ばかりではない。川や海でも水温の上昇は長引いた。
北海道東部では普段は獲れないクロマグロの水揚げが続いたそうだ。日本一の気温41度を記録した高知県の四万十川では、名物の鮎の漁獲量が例年の十分の一に激減した。更に水温の異常高温で稚魚の誕生にも大きな影響があり来年以降が心配されているとか。また沖縄の海水温度が31度を上回り、サンゴの白色化が懸念された。ここ相模湾でも、例年なら殆ど取れることの無いキハダマグロがカツオ釣り人の手によって獲られている。しかも30㎏はある大物だ。

熱中症による救急搬送者数も四万人を越えたとか。

暑かったためばかりではないけど、このブログも長い夏休みをしてしまった。
これほど長く何かを休んだのは学生時代を除いて経験が無い。お蔭で書きたいネタはヤマほど溜まった。ただ今後、自分好みの文章に出来るかが気掛かりだ---。

この暑さで男モノの日傘も昨年の4倍の売れ行きだったという。

気候の変動は、自然界の営みのみならず人の風習までも変えてしまうのか。