海側生活

「今さら」ではなく「今から」

愛の巣作り

2012年04月26日 | 季節は巡る

Photo_2

                         (東慶寺境内)

燕が舞い飛ぶ暖かさになった。

二週間ほど前まではワカメを干す香りが辺り一面に漂っていた港には、今はシラスを釜揚げする匂いがどこからともなく漂ってくる。今年は海水温度が例年よりも上昇するのが遅く、逗子ではシラス漁も一ヶ月ほど遅く始まり水揚げも無かった。

道の脇にもタンポポや名も知らぬ小さな花々が色とりどりに咲き乱れている。
港に寄り添うように位置する裏山からは、梅の頃と比べ鳴き方も随分上手くなった鶯の鳴き声も時折、聞こえてくる

燕がペアーになり忙しそうに飛び回っている。
冬の間、暖かい東南アジアの島々で過ごした燕は、海を何千キロも超えて日本に帰って来た。
聞けば、海面スレスレを集団ではなく一羽ずつ飛んでくるそうだ。何故危険をおかしてまで海を渡ってくるのか・・・
それは生まれ故郷の日本がやっぱり好きで懐かしいのかも知れないと知人は言う。

ジッと観ていると、地面に降りることが滅多にないのに、春の雨で湿った泥を啄ばみ飛び去ると、すぐ舞い戻ってくる。何度となく同じ動作を繰り返している。きっと枯れ草も運んでいるに違いない、愛の巣を作るために。巣が完成したら卵を産み、卵を抱いてから2週間で雛が誕生するそうだ。雛が巣立つまでに3週間だと言う。そして秋の涼しい風が吹き始めると旅立ちの季節。

ふと考えさせられた。
無事に渡って来たものだけが目の前に居て視界に映っているのだ。その陰には途中で脱落したものもいるだろう。飛べなくなっても誰も空中では助けられない。眼に映るツバメは一羽残らず自分で飛んで来たのだなと眺めている内に気付いた。誰も手荷物の一つも持っていない、そんな長旅なのに手ぶらだ。
数日の旅でも着替えや薬などこまごまとした物を携行しなければならない自分。嫌気が差してきた。しかしそれが人間の在りかたなのだ。鳥に中に入って生きられる訳がない。飛び立つ時季が来ればアッサリと置いていかれるだろう。

春は待たなくとも確実にやって来た。

イノチあるものは無限に悲しく思う時がある。
しかしイノチあるものを感じるのは無限に楽しい。

               


歴史は謎に満ちて

2012年04月19日 | 鎌倉散策

Photo

                    (ぼたん園・鎌倉八幡宮)

鎌倉時代以来、明治まで、同一の国を治め続けた世界でも稀有な領主である島津家の始祖・忠久は源頼朝の子である。

その頼朝の墓前祭が法華堂の跡の頼朝の墓前で行われた。花曇の参道の桜並木は、早くも枝の先には新葉が出て、花散らしの弱い風にハラハラと舞い散る花びらを頬に受けながら会場に行った。興味があり参列し末席に座らせて貰った。

神官10人ぐらいが執り仕切っている。禰宜の祝詞の「山桜の匂う--」から始まり、やがて関係者の玉串を奉じる段になり、
禰宜に続き誰が最初に玉串を奉じるのか司会者のアナウンスに耳を澄ますと、やはりと言うか何故と言うか、鹿児島から来たと言う島津家の32代当主・修久氏の長男で次期当主の忠裕氏だ。注視すると墓前に立つ姿勢が美しい、拍手も様になっている。

頼朝の墓は、江戸末期に源頼朝の子孫を名乗った篤姫の祖祖父である薩摩藩主・島津重豪(しげひで)が建てたとされている。
また、島津家に伝わる史料『島津国史』や『島津氏正統系図』では、忠久は母が源頼朝の側室で比企能員の妹・丹後局(たんごのつぼね)で頼朝の隠し子であり、そのため厚遇されたとされる。但し、この言い伝えはいわゆる「偽源氏説」の一種とされ、現在、学会でこれを史実としている人は殆どいないとも言う。

側室・丹後局はお産の時、頼朝の妻・政子の嫉妬を恐れ大阪・住吉大社に逃れて忠久を生んだという。と言うのも『吾妻鏡』によれば、頼朝は愛妾・亀前を、ここ小坪に住まわせていたが、このことを知った妻・政子は、もちろん頼朝には報せることなく家来に命じ、亀前の住居を破壊し大いに恥辱を与えた事件があったからかも知れない。
 
現在、忠久の石塔は頼朝の墓からすぐ近くの山腹に掘った横穴「やぐら」にあり、毛利家始祖の大江広元の「やぐら」と隣り合っている。

しかし、忠久を頼朝の子と確定する資料はなく、また反対に違うと言いきれる史実もない。

歴史は挑戦しがいのある謎に満ちている。正式に伝えられている歴史書の大半は勝者側によって纏められたものだ。敗者を悪とするために様々な改ざんが施され、一方的な視点で貫かれている場合も珍しくない。そのため矛盾や謎が生まれている。

まだまだ自分の歴史散策は続く。


何とも言えぬ寂しさ

2012年04月12日 | 感じるまま

Photo

「シニアです」と思わず言った。六本木東宝シネマの入場券売り場窓口での事。
大人は1500円だが、シニアだと1000円と違いがある。又飛行機の運賃も国内なら殆ど12600円だ。料金や利用料には大きな差がある。美術館や博物館なども入館料が安いし、無料の場合もある。
日頃は高齢者と呼ばれるとかなりの抵抗感があるのに、シニアだと自分から証明する事もある。

しかし自分で年齢を意識してしまう瞬間がある。先日も地下鉄の大江戸線のある駅で降り、出口に急いだ。エスカレーターの上り口には人が群れていて、乗るまでに時間が掛かってしまいそうだ。横の階段を歩いて昇り始めた。この時は直線に昇る100段ぐらいの階段はきつかった。途中で一休みしたくなったが、ここは神社ではない、駅だ。ラッシュアワーなのに立ち止まるわけにはいかない。
また、横断歩道の青信号が点滅を始めたら立ち止まり、急ぎ駆け足で渡ろうとせず、次の青信号まで待つようになった。

体力的ばかりでなく、髭を剃る際、鏡に写る自分を見てシミやシワが、いつの間に出来たのかと思う時も、毎日の事なのに慣れる事は無い。

商店街を歩いていて『おとうさん 安いよぉ~』と声を掛けられるのは、まあそんな土地柄だと納得できる。しかし電車など乗り物で若者から『どうぞ』と席を譲られるのは、有り難いよりも、『え-!そんな歳に見えるのかあ~』と一瞬複雑な気持ちになり、つい背筋を伸ばしたりする。

また街で道を尋ねても、女性は特に若い人ほど親切だ。次の曲がり角まで手を引いて行かんばかりに丁寧に教えてもらえる。なんと親切な女性だろう、笑顔が素敵だなと恐縮しながら並んで歩く。そしてアタマを下げお礼を言う。

やがて気が付いた。その若い女性は、道を尋ねた男性を、行き先を探しあぐね困っている一人の高齢者としか見てないのだ。全く“男”とは見ていないのだ。

自分に警戒心を全く持っていないと分る時、“男”として何とも言えぬ寂しさがある。


睨む新たな仲間

2012年04月05日 | 感じるまま

009

主治医M,Mさんは呟いている「患者さんにプレゼントするのは初めてだ---」と。

主治医からダルマさんを頂いた。
真新しいダルマに診察室で主治医に先ず片目を描いて貰い、それから、自分が残る片目を丁寧に描いた。

続けて「これまで辛そうな表情を見た時はあったが、辛いとは一言も口にしなかったし、人生を否定的に見ることは一度もなかったね」また「患者さんからプレゼントを要求された事も一度もない」とも言い笑っていた。

手術後、三年が経とうとする頃、自分が五年生きていたら記念品を頂く約束を取り付けていた。

何よりも自分が主治医を信頼したのは、問えば症状に関わる内容や血液検査の数値の変動など、曖昧にしないでどんな事でも説明してくれた事だ。専門以外の不明確な事があっても、調べてその日のうちに深夜になろうともメールで教えてくれた。
なによりもココロが落ち着いたのは、どんな場合でも時間をかけ、話を聞いてくれた事だ。

今ダルマさんは、書斎の目の高さよりも高い位置に置いている。椅子に座って眺め上げると笑っているように見える。しかし立ち上がって正面から見れば、相変わらずいつものように口を横に一文字にキッと結び、決めポーズをしている。まるで「いつも見ているよ」 と言っているみたいだ。

今、新たな仲間を得た。  

この平凡な日常にこそ安らぎがある。


改めて感謝します

2012年04月04日 | 最大の財産

Photo

                         (報国時・鎌倉)

ご報告の返信より⑪
(固有名詞や特定の言葉は省略した)

今のお気持ちを、心から分かち合わせていただきます。
また、これまで折れることなく、そして決して表には出さずにおられた強さに感心いたしております。
取り敢えず完全復活に乾杯です。
            S,O

奇跡の生還 まずはおめでとうございます。
まだ、やるべき仕事がある旨の天のお達しでしょうか。
その前の5年間の休憩?
もう十分だ!再度スタートとの号令が聞こえてきます。
                                 M,M

「おめでとう」のダルマさん、本当に良かったですね。
心よりお祝い申し上げます。
この5年間は、貴方にとって格別有意義な期間だったと思います。  
                                   M,S

よかったね、時々「海側生活」見てたよ。
又先生からお墨付きをもらって、本当に良かった。
温かくなったら、のっこみ桜鯛を狙いに行きましょう。
新潟能生の【大新丸】のブログを見て下さい。
            H,H

様々を経験して、一期一会の意味するところが、やっと解ってきた。
友は有り難い。
改めて感謝します。


ひと言が身に沁みる

2012年04月03日 | 最大の財産

Photo

                               (鎌倉・浄妙寺)

ご報告の返信より⑩
(固有名詞や特定の言葉は省略した)

5年間と言う限られた(限った)時間を真剣に生き、新しいスタートを切った貴殿に心からのおめでとうと尊敬の念を禁じえません。
公私共に明るいニュースのなかった最近でしたが、なでしこ以来の<やったー>という、勇気を与えてくれた朗報でした。
                 A,S

ご連絡本当に有難うございます。ご病気の全快本当におめでとうございます。そこまでとはつゆ思えず、5年間本当に失礼致しました。
今、自分の5年間と比較して、内容の濃淡に愕然とさせられ、また勉強もさせられました、有難うございました。
今後ともご指導宜しくお願い申し上げます。
                  N,I

吉報をありがとうございました。これからは安心して仕事も、遊びもできますね。
回復力もすごいし丈夫だし鉄人ですね。
                 S,M

おめでとうございます。
これからの人生が本当のセカンドライフのゴールデンタイムとなりますね 
                 H,H

ほんとうにおめでとうございます
生きる力 生かされる人

海側生活は良かったですね
また 逗子に伺います  
                 H,I

悲しみや苦しみは人生の花だと想う。
それをバネにして花を咲かせた経験は貴重だ。
それを分かち合える友は有り難い。




愛すべき後輩

2012年04月02日 | 最大の財産

Photo_2
                    (支那実桜・妙法寺)

ご報告の返信より⑨
(固有名詞や特定の言葉は省略した)

一区切りつかれたとのこと、嬉しい限りです。
社長~又、一段とパワーアップしまますね。
近々美味しいお酒で、乾杯させてください。
                                              S,O

もう6年前になると思いますが、いろいろと相談に乗って頂き有難うございました。
あの時の社長のお言葉が「もう一度やってやる」という気持ちにさせてくれました。
今は、何とか皆様のご協力により少しづつ「描いていた夢」に向かって歩んでいます。
今後とも、なお一層努力してまいりますので宜しくお願い致します。
江ノ島でマンションの建設を行っていますので、また営業の極意を教えてください。
                 M,T

これからも、残高の一部で構いませんので、ご指導下さいますよう引き続き、宜しくお願いします。
                                              M,H

先輩の生命力で病気まで退治されたことは、素晴らしいことでございます。同じ病気で手術された方々へ是非、希望が持たれる
ように更にどんどん前へ進まれて下さいますように念じております。

私も一昨年の長期入院があり、改めて今後をどう生きるかを真剣に考えました。
やはり一抹の不安をかかえています。

お陰様で退院して早くも1年3ヶ月経過しました。今年は3ヶ月に一度の検診になり、今年末まで検診は続きます。
見た目は、まさに普段と変わらない状況ですが、夜の付き合いも減らして、酒も現状止めて気をつけながら、何とかと思っております。

是非、今後もご指導の程宜しくお願い申し上げます。
                                               K,Y

生きがいと言うものは、人間がイキイキと生きていくためには空気のようなくてはならないものである。しかし生きがいは損なわれ易く、奪い去られ易い。
友は生きがいであり財産だ。