海側生活

「今さら」ではなく「今から」

「それ、草でしょう」

2018年03月27日 | 海側生活

            (光明寺/鎌倉)

裏の山は高さ100メートルもないが岬を形成し相模湾に緩やかに突き出ている。潮風がいつも吹きつけている。
それでも岬の尾根伝いや頂上の平坦部分には数種類の桜が五分咲きだ。更にもう少し暖かくなれば多くの山菜が芽を出す。山肌の窪みや日頃歩かない藪に足を踏み入れると、普段は気が付かない山菜が目につく。

蕗、蕨、薇、芹、タラの芽と摘み歩くこともできる。一方、駅近くの青果店でも山独活、茗荷、行者大蒜、明日葉と並び、今や野菜との区別がつき難くなっている。
昨年あたりからのパクチーブームは、以前の自然志向や健康食品ブームに似ている。元々、山菜は山間の農家などで、一年中利用できるようにと、乾燥品や漬物などの保存食品にされていたものである。しかし観光地などで大量に売られる山菜の漬物には気を付けたい。保存のために、自然食品とはほど遠い添加物が使われていることが多い。名物だからと勧められても山菜蕎麦などを口にしないのはそのためだ。袋詰めの蕨や薇や屈に使われる緑色の色素が体に良いわけがない。瓶詰の場合でも味がグッと落ちる。

山菜はやはり現場で本の少し「春」を感じられれば良い。大量に口にすると。灰汁が強いだけに体調までおかしくなる。
好きな山菜はタラの芽と蕗のトウだ。タラの芽はサッと熱い湯に通し醬油とオカカを添える。蕗のトウは味噌と炒めると独特な芳香と苦味に旬を感じる。温かいご飯が欲しくなる。

春の靄がかかった山や空を見ていると、生きていることの有り難さをしみじみ感じる。

パソコンとアニメにしか興味を示さない40代の知人は山菜に興味を示さない。
「それ、全部草でしょう」
「草?」
「やはり大根やキャベツ、玉ねぎや人参の方が美味いと思うな」
「-----」
久し振りに会うから山菜料理をと準備していたら、品の無いことを言う。仕方がないのでレンコンも一緒に揚げると「美味いな」と眼を細めている。そして「アスパラガスも揚げてよ」と言った。

花冷えもつかの間、いよいよ春本番だ。

顔艶は良いが

2018年03月17日 | 感じるまま

(コウゾウ/海蔵寺)
「妻に先立たれて早10年、最近は何をするに付け迷ってばかり。従来は普通に出来ていた社会への向き合い方が分からないし、近所付き合いも出来なくなった。こうして改めて人に会うのも一年振りだ。今日はドキドキして、道順を迷い尋ねながらここまでやってきました」と、一人の男が近況報告をした。頭髪は白いが顔色は何故だか艶が良い。二三日は髭も剃っていないようだ。雰囲気が従来とは明らかに何かが違う。
大学のクラス会での事、この会は数年前から、自分の病気と孫の話はタブーとなっている。

老人は赤ん坊返りをすると言われるが、それは違う。赤ん坊が這い這いを経て、ヨチヨチ歩きをする過程は、多少の個人差はあるにしても似ている。歯が生えてくる、離乳食を食べる、言葉に反応する、いずれも多くは外れない。天才も凡人も、悪人の子も善人の子も、似たような発育を遂げる。しかも良くしたもので、頭と体の発育バランスは程良くとれていて、頭脳だけが先行したり、身体だけが出来上がったりすることは先ずない。身体は頭相当に、頭も体相当に発育する。お互いに補完し合い、刺激し合いながら能力を伸ばすらしい。

ところが老いの幼児化は、その逆を辿る訳ではない。ある部分は若い人間以上か同レベルの能力を残したまま、ある部分のみ退行していく。老いとは大変バランスの悪い、個人差が大きい、マニュアル本が役に立ちにくい現象らしい。老いると言う事は、心身ともに不都合なことが出てくることで、若い頃出来ていたことが出来なくなる。ではそれが治療の対象になる病気なのかと言われると、老いは自然の成り行きなのだ。しかし、それでもクオリティ・オブ・ライフを良好に保つためには、医療の世話にならなくてはならない。
医療の対象となる病気と自然現象である老いとの境界は難しい。一定のグレーゾーンがあり、それは拡大し続けている。
                            
 (宝戒寺/鎌倉)
日本は世界の名だたる長寿国にはなった。しかし誰もが長生きしたいと思う国には、まだ遠い。介護保険などの社会保障では補いきれない問題が残る。早くリタイアしていわゆる老後を楽しみたいと思えるような日本に、いつかなれるのだろうか。周囲を見回しても“楽しい老いのモデル”が余りにも少ない。

「若い人たちに迷惑を掛けたくない、長生きも考えものです」。近況報告の彼の言葉がいつまでも耳に残る。
「迷惑を掛けないように生きる」だけを目的とした、消極的な老いの姿なんて悲し過ぎる。

「さよなら」の代わりに「ありがとう」

2018年03月05日 | 季節は巡る

(円覚寺/鎌倉)
ゆっくりとその手紙を三度も読み返した。
いよいよその時が来たのか!と複雑な思いで読んだ。彼女はこんなにも文字が上手だったのかと思うぐらいの綺麗な字だ。四つ葉のクローバーが刷られた便箋一枚に丁寧に自筆されていた。決して長くはない文面だ。
読み返すうちに、過ぎ去った様々な出来事が時間軸に関係なくグルグルと頭を過る。

「この度、昭和から平成時代と三十六年間、続けてまいりましたお店ですが、四月十日をもちまして閉店することにいたしました。
皆様からも励まされ、Yoちゃんと二人で頑張ってきましたが充分に歳も重ね、夜の神様方にもどうやら見放されたようです。
---中略--
いよいよ先の見えない老後への出発です。

貴方には長い長い間応援して頂いて感謝の気持ちでいっぱいです。
楽しい思い出を沢山、本当に沢山ありがとうございました。
どうか、いつまでもお元気でいて下さいね」

以前にもふと思ったことがあった。
お店が何故30年以上も続いているのか、不思議だ。またお店は星の数ほどあるのに、まるでどこかの田舎の駅近くにあるような古くて小さなビルの一室でレトロな内装に包まれたお店に自分は足を運んだのか。お店側からは無駄な問いかけも無く、店内は静かで居心地が良く、料金も六本木の街の割には安かった。見方を変えれば、彼女達は会話が苦手で、我侭が言え、サービスが良くない分料金も安い店だったと言えるかも知れない。
今、思えば、自分にとっては昼間のビジネスと夜のプライベートの間に位置し、ビジネスの熱を覚ませる場所だった。また帰宅するまでの一日のココロや気持ちを落ち着かせる居間みたいな存在だったのではないか。

あと10年も続けたら、世界遺産ならぬ六本木歴史遺産に認定されるかも知れないと冗談を言い合っていた。
身体に異常の発見があり治療しているとも聞いていた。

リタイア―したら、今が最高!と言えるような時を存分に楽しんで欲しい。
例えば小さな旅を重ね、また久し振りに郷里に帰り、忘れかけていたものを気持ちの中に取り戻して欲しい。これまでとまるで違った何かが見えてくるかもしれない。

こちらこそ本当に長い間お世話になりました!
そして「さようなら」の代わりに「ありがとう」。