海側生活

「今さら」ではなく「今から」

涙の種類

2010年02月28日 | 感じるまま

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会場に流れる日本国歌が聞きたかった。

演技を終え、会場の拍手が鳴っている間にも真央ちゃんには笑顔がなかった。

バンクーバー・オリンピックのフィギュア女子シングルの中継を見た。
真央ちゃんは「鐘」曲に乗ってスタートした。トリプルアクセルの瞬間はドキドキして見た。そして自己ベストを更新した。
結果は歴代世界最高となる合計228・56点をマークした金妍児ちゃんが金メダルを獲得した。

名前を呼ばれ、それぞれの表情で表彰台に上がる三人のメダリスト達。
三人の表情には大きな違いが有った。
金妍児ちゃんは嬉し涙か、銀の真央ちゃんは悔し涙か、銅のロシェットちゃんは本番直前に急逝した母への万感の涙か。

4年前にふと見たトリノ・オリンピック直前のグランプリファイナルで15歳という最年少で、浅田真央ちゃんが優勝した。しかし年齢制限のため真央ちゃんはオリンピックには出場できなかった。笑顔が可愛い博多人形みたいな可愛い少女だなと惹かれ、それ以来毎年の各大会の活躍ぶりは目にしていた。

当時から妍児ちゃんとは、運命のライバルと称されてきた。
エッセイ集「キム・ヨナの7分ドラマ」で、「よりによって、どうして同じ時代に生まれたのだろう」と。またインタビューに対し「真央が居たから、ここまでこれたと思う」と語っている。

演技前は「自分がこれまで練習してきた事をパーフェクトに演じたい」と語っていた真央ちゃん。
演技後は「長かったと言うか、アッと言う間でした---。途中二度の失敗をした、悔しい」と語り、目に涙を溢れさせた真央ちゃん。
二人は表彰式の前に祝福し合い、抱き合ったという。表彰式では真ん中の韓国国旗の隣に日本国旗が揚がっている。勿論聞こえてきた国歌は韓国国歌だ。

きっとこれからも二人は闘い続ける事が運命づけられているのだろう。
19歳・真央ちゃん、頑張れ!おじさんにもっと夢を見続けさせて欲しい。

やはり真央ちゃんには涙より笑顔がよく似合う、と思う。

次のソチ・オリンピックでは、“金”を取り、コロコロと笑う、眩いばかりの真央ちゃんを見たいものだ。


食卓の風景

2010年02月23日 | ちょっと一言

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二月も一週間をきった、ある日の午後、横須賀・観音崎の海辺のホテルにランチバイキングに行った。

多くの料理の中から自分に合うものだけを選んで食べられる、このスタイルは好きだ。それに高さが五メートルは有るレストランの一面のガラス窓越しに、浦賀水道を行き来する大型船を見ながらの食事は爽快だ。

魚も野菜も地産地消メニューが中心で、フレンチから和食まで揃っている、デザートに果物が少ないのが難点だが。
平日のせいかやはり圧倒的に女性が多い。30~40歳代の女性だけのグループ、30歳代女性の子供連れグループ、その他熟年夫婦、まれにデートランチと思しきカップル等。
この中に交じって食事を楽しみながら眺めていた。自分は幼い時、母から礼儀の躾を厳しく受けた記憶がある。

食べたり飲んだりの本能的な事は、たとえエチケットを心得ていても、つい地が出てしまう。その人の育ちや暮らし方、日常の癖までも出てしまう。友人とテーブルを囲むと大人も子供も寛いだ気分になるのだろう。確かに食べ方を見てその家族がわかる気がした。肩肘付いてフォークを使う、棒を握るような箸の持ち方、食べものをこね回す、小指の爪で歯をせせる。食べ去った後の食べ残しの凄さ----。

レッキとしたホテルのレストランが、友人との団欒の場になるのは微笑ましいが、せめて大勢の食事の場では、自らのマナーを見直すとか親子の社会的訓練の場にしても良いのではないか。

熟年夫婦はひっそりとしていた。食欲が細るとエチケットが戻ってくる。

二月は、一月に較べたった三日短いだけの月なのに、毎年あっけなく過ぎていく。


好きなものを並べてみた

2010年02月20日 | 好きなもの

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久し振りの青空が朝から広がった。
この一週間は、晴れた日がなかった。気温が低く雨、霙、更に雪と続き行動が鈍ってしまった。
晴れ渡った今日の青い空、碧い海、そして真っ白な富士山を仰いでいると、好きな事や好きな人が次から次へと浮かんでくる。


・このマンションからの海の眺め
この眺めは毎日目にしていても、その変化にはいつも驚く。急に目隠しを外されたようなハッとするような眺めが目の前に広がっている。

・路地
車が入れないような狭い路地には郷愁をそそられる。鎌倉や逗子にも路地は多い、神楽坂や新宿も然り、赤坂にも路地が残っている。ボンヤリと灯る提灯などあればさらに良い。

・女子校生と若いサラリーマン
老人が乗ってくると、サッと立ち上がり席を譲ってくれる人達。自分がどう見られているのか、自覚とかなり違うが。

・温泉
ビジネスの中締めをした頃から好きになった。今や俳句の季語と温泉は世界文化遺産になってもいいじゃないかと思っている。

・澄んだ声
特に女性の澄んだ声には心が癒される。そんな人が最近少ないと感じる。

・夕顔
夜にほの白く咲いているのを見るのが好きだ、香りが何とも言えない。月が出ていたら申し分ない。

・夫婦二人で営む喫茶店
世界中のコーヒー豆を揃え、好みを聞いてくれる店も良いが、豆は2~3種類しかなく軟水の天然水を使い適温で淹れてくれるそんなオジさん、オバさんが営んでいる店。古い町には必ずある。又そんな店がある町は、人が住み易い良い町だと思う。

・ウオッシュレット
排便が楽しいとまではいかないが清潔だ。また寒い季節に洗う時、身体の中心から温まるような気がしてホッとする。

・ブランディ
満足した夕食の後には、ワングラスを無性に欲しくなる。そして自分だけの世界が広げる。

・カウンターだけの割烹
椅子に座ると、顔を見るだけで、好みの素材を今日の自分の体調に合わせて調理してくれる板前が居て、傍らには割烹着を来た女将さんが居る。話題は旬の魚や野菜の事だけ。医師にも勝る存在だ。

・クラシック音楽
心が素直になる。人生の忘れ物を思い出させてくれる。

・海 
今まで200回はスキューバ・ダイヴィングしたが、その都度、陸上には居ない大小の色とりどりの魚たちや珊瑚と出会った。何よりも適当な緊張感があり非日常的な世界が広がる。

思いつくままメモしたが、こんな事を考える自分は体力も戻ってきたのかなと思う。
今晩はあの路地の、あの店に行ってみようか?-。


今年も春が来た

2010年02月11日 | 季節は巡る

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小坪漁港でもワカメ漁が始まり、浜全体が冬の静けさから春の賑やかさへと少しずつ、その日差しと共に華やかさを増していく。

この二月は自分にとって忘れることの出来ない記念の月だ。
三年前と四年前のそれぞれの二月に、種類の違う病気の発見、入院そして手術をした月だ。

今日まで様々な心の葛藤もあった。
これまで多くの人に改めて感謝をする月日だった。

好きな海の側で、記念すべきこの春を再び迎えられた事が嬉しい。
ここは気が付けば、何もしなくても考えなくともリラックスしている不思議なところだ。

思えば長かった現役時代の前のめりの時を終え、今、風が変り新しい価値観が必要になった自分に海の風は優しい。海側の大らかな時間の中で自分を何処まで自己解放できるか、そして、その時間にどこまで合わせることが出来るか。
時間がユックリと流れていく。ここでは時が止まっている、いや動いているのだが、それが見えない。

様々な事がユックリしてくると、今まで見えないものが見えてくる。何が大切かが判って来るような気がする。

漁場から浜に戻った船から降ろされたワカメは茶褐色をしている。これを湯通しすると一瞬にして鮮緑色に変化する。この鮮緑色を目にしたとたんに「さあ新しい一年を始めるぞ!」と言う思いが、身体のどこからか沸いて来て心が躍る。

人生は複雑ではない、行く先さえ知っていれば。

今日の夕食は、この港の春一番のワカメを“しゃぶしゃぶ”にしよう。


相槌(あいづち)

2010年02月04日 | 鎌倉散策

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風が冷たい。節分だ。今年は鶴岡八幡宮の神事をこの眼で見て、豆撒きに加わろうと考えた。
早めの昼食を取った、この店は気に入っている。刺激のある香辛料は手術以来、自分には不向きなため、この事をわかって調理してもらえる店を選ぶ。御成町のこの店もその中の一つだ。店の入り口横には大きな梅の木に隠れるように鳥居があり、中には可愛いキツネが鎮座した小さな祠がある。

偶々隣に座った物腰の柔らかいオジイサンと、カウンター越に眺められる、まだ咲いていない梅の花がきっかけで言葉を交わす事にになった。
表の神社は相槌神社と言って、元来、京都で三条小鍛冶宗近が稲荷神(キツネ)を相槌として神刀を打って天皇に献上した伝承が知られ、この鎌倉にも鎌倉時代後期に、その社が分祀されたとの事。
また相槌は鍛冶 (かじ) で、師匠の打つ鎚に合わせて弟子が鎚を入れる事で、私も長い間、相槌を打ったし、また弟子に相槌を打たせもしたと、遠くを見るような眼差しで話している。
聞けば、自分は、日本刀の頂点とも言える鎌倉時代末期に相州伝を完成させた刀工・正宗の二十二代目の子孫であるとの事。
正宗の造った日本刀は、日本刀剣史のみならず日本美術史に於いて重要な位置を占めており、皇室の御物をはじめ日本の文化遺産として大切にされているとも聞いた。

聞くほどに自分が全く知らない世界の事で、オジイサンの話をもっと聞きたかったが、節分の神事が始まる時間が気になって、立ち上がってお礼を言うと「---、今日は冷えますねー、また---」と、私を見ながら言った。
思わず自分は「あと3、4日は冷えるそうですよ」と相槌を打っていた。

正宗のお墓は本覚寺にある。
又現在は二十四代目の子孫の山村綱廣氏が鎌倉で、正宗工芸美術製作所を営み、刀剣・包丁・ハサミ・小刀等を制作している。