海側生活

「今さら」ではなく「今から」

“ありがとう”の意味 

2010年11月29日 | 思い出した

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鎌倉には花でその名前が知られている神社や寺が多い。しかしバラの名所は殆ど無い。

鎌倉・長谷に鎌倉文学館がある。かって旧加賀藩・前田家の別亭だった。その庭にバラ園がある。
秋のバラは春のバラみたいに咲き揃うことは無いが、本来バラは寒い地域の植物だから、春のバラよりも香りが良く、色も鮮やかで自分は秋のバラが好きだ。
色とりどり186種もあるが、鎌倉生まれのバラは15種あり、中でも棘が無く鮮明な黄色の「鎌倉」、鎌倉文学館が舞台の三島由紀夫の小説に因んだ真っ白な「春の雪」、八幡宮の神事から名付けた深赤色の「流鏑馬」、静御前から採った淡いピンク色の「静の舞」等、観て堪能できる。

「春の雪」を眺めているうちに、最後の入院になった母を病院に見舞った折、ベッド横の小さなサイドテーブルに枯れかかった白いバラの花が飾ってあった記憶が蘇った。
昼の眠りに就いた母の顔と、視野に残っているバラの白が重なった。バラや百合は母が最も好きな花だった。母は花なら何でも好んだが、白い花がとりわけ好きだった。たった一つを選ぶとしたらバラを選ぶと言っていた。実家の庭にはいつもバラが咲いていた記憶が蘇った。

人間は死すべきものとしての宿命があるからこそ、生きることが切なく美しいのであって、永遠に死なない命なぞ与えられたら悲劇だと思う。花だって枯れ、萎れるからこそ愛しいのであって、いつまでも枯れない花などこの世のものではない。

病室を後にする際に母は自分に“ありがとう”って言った、小さな声だった。

今でも考える、あの“ありがとう”の言葉は何を指していたのだろうと。単に見舞いに来たことに対するお礼の言葉だったのか。

それとも違う別の意味があったのかと。


大切なもの

2010年11月24日 | 浜の移ろい

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現代から取り残されたような小さな漁師町で、海側生活を始めて三年が経とうとするのに、この漁港で行われている小さな伝統作業を始めて知った。

彼は毎年九月頃から海中に生えているいるポイントを数ヶ所チェックし、その後生育状態を一週間に一度は確認し、11月23日の一週間前にそれを採取して、大きな樽に入れ、常に新しい海水を注ぎながら、それに付着している海の汚れを取り除き、生かしたまま保存する。そして海水に入れたまま、一日前に皇居に出向き天皇に献上する。
彼は老齢のため本業の漁は休みがちだが、彼一人だけがこの作業を何十年も行ってきた。

「海松(みる)」の手触りはスポンジの様に柔らかく、うどんほどの太さの枝が規則正しく枝分かれして、高さは40cmほど。全体の形は松の木のように末広がりになっており、松の葉によく似ているので「海松」の漢字を当てたと言われている。

新嘗祭(にいなめさい)は宮中祭祀のひとつ。収穫祭にあたるもので、11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する行事とか。飛鳥時代に始められたと書いてある。
そして現在は勤労感謝の日として国民の祝日だ。

新嘗祭には各地から五穀、新酒、海産物等が奉納される。その内、海産物として奉納される「海松」は、小坪の海で採取された物が使用されている。
彼は言う。『どうして、小坪の海松が使用されるようになったのか、また海松が海藻類の代表として使われるのかは、現在の宮内庁の担当者にも解らないとの事。しかし、小坪が鎌倉から江戸時代を通じて都の蛋白質の供給地として確固たる地位を占めていた事、そして、「海松」は文様として平安時代から用いられていた事、海松文には海松丸という丸文の一種があり、この丸文は染型紙や漆器の文様に使われて来た歴史がある事等を併せて考えると、なんとなく納得できる』と言う。
また彼は『献上した海松は細かく刻まれ、お吸い物にされるようです』とも話してくれた。
しかし自分自身の今後については、何も話して貰えなかった。

季節は巡り時は流れる、人には一生と言う時間の制約があるが、ここには変わらず六百年以上(相州小坪浦漁業史)も続いている伝統もある。

今日という日に、自分にとって何が大切なのか、つい振り返ってみた。


姿の美しさ

2010年11月18日 | 鎌倉散策

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建長寺の「宝物風入」に出掛けた。鎌倉五山の第一位の大本山で、建長5年(1253年)に鎌倉幕府の五代執権・北条時頼が建立した我が国最初の禅寺だ。

「風入」は文字通り風を入れ湿気を取る事、つまり虫干しで、一年に一度だけ一堂に展示する特別展だ。
所狭しという表現がピッタリなほど贅沢に、創建以来750年に渡る国宝、重要文化財などの宝物約300点が展示されているが何の説明書も無い。絵も文字も、また工芸品も彫刻等も見る人の心で見て欲しいと言う事なのだろう。

「吾妻鏡」を読んでいる自分にとっては展示品の一つ一つが興味深い。「吾妻鏡」の文章上では理解していなかった事が現物を見て納得する事もある。
また700前の創造物を、今“宝物”として自分は観ているが、一方現代は何でも量産出来て、また簡単に消去やリセットも出来る現代の創造物で、700年もの後に“宝物”と呼ばれ多くの人達に慈しんで鑑賞されるような逸材として残るものは、一体どれだけ、また何があるのだろう。

ある展示室に重要文化財の「十六羅漢図」に圧倒された。室町時代の伝明兆筆とあり、一人一人の羅漢の顔や表情に見入ってしまった。自分は何にこんなにも圧倒されているのか、自分の考えも纏まらなくて、思わず部屋の隅に座っているお坊さんに、この絵の見方を尋ねた。
彼は立ち上がり瞬きもせず自分を見つめながら「見えるままで良いのです」と穏やかな声の答えが返ってきた。
彼は40歳ぐらいか、綺麗に剃りあげた頭は青白く、そこに天井の照明が写っていた。
その後10数分間まるで禅問答のようなやり取りをした後、お坊さんから「私も羅漢を目指しています」との言葉を聞き、何だか解った様な気がしてその場を後にした。

わざわざ彼は展示室の外まで見送って下さった。お礼を述べ長い廊下を突き当りまで歩き、ふと振り返ると、なんとまだ元の場所に立ったまま、じっと見送っておられる。そして遠く視線が合うと、こちらのお辞儀にたいして、礼を返された。その姿の美しさに、私は思わず心を打たれた。姿勢正しく上半身を倒した形、その足の位置、処して黒い衣の袖がほとんど三角形に両方にきっちりと開いて形を崩さない。修行や鍛錬の結果とは、こんなにも美しいものか、思わず暫くの間見惚れてしまった。

広い境内の木漏れ日の中を、何度か階段を下り三門を経て総門まで歩いた。
何だか清々しい気持ちになっていた。いつしか背筋を伸ばして歩いている自分に気が付いた。


オバマッ茶アイス

2010年11月15日 | 興味本位

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彼はAPEC(アジア太平洋経済協力会議)会場・横浜みなとみらい地区からヘリコプターでやって来た。アメリカ軍の軍人用住宅がある逗子の池子へ。そこから車で20分、鎌倉に。

昨年11月訪日の演説で、オバマ大統領が日本について、真っ先に言及したのは、母親に連れられての鎌倉の思い出だった。平和と静けさの象徴としての大仏について語り、子供だったので抹茶アイスの印象の方が強かったと笑いを取る
それにあやかり地元商店では、それ以降「オバ抹茶ソフト」や「オバ抹茶アイス」と商品名も変え、売り上げは倍増したという。

今回の訪問も、あの大統領選の頃から奇妙な縁で結ばれた福井県小浜市でも、被爆地・長崎でもなく、自身も受賞したノーベル平和賞サミット開催中の被爆地・広島でもなく、六歳の時に母親と訪れた鎌倉だ。

警備も物々しかった。
最近、自分の行きつけのカフェのマスターが言うには、“私のお客さんで大仏の裏に住んでいる人がいるが、今月に入って三回も警察が来たそうですよ。そこに居る人達が住民登録通りかどうか確かめているのですって”って話も聞いた。
早い時期から各施設でも、また各地で交通規制も行われていた。駅でも「APECに協力して下さい」のチラシが9月頃から配布されていた。

当日は大仏(高徳院)周辺が特に規制が凄まじかった。
また、いつもは渋滞する若宮大路も、その時間はガランとして、まるで飛行機の滑走路のように車一台も通っていなかった。

今後、外国からの観光客はどこに行きたいかと問われれば、京都でも奈良でもなく、まず真っ先に鎌倉、そして大仏と答えるかも知れない。
2人の娘のために数珠を買った後、ベンチに座り、抹茶アイスクリームに舌鼓を打った。

APECの首脳会談がアイスクリームのように溶けて流れたのか、表面だけでもまとまったのか、報道では分からない。

またアメリカ民主党は下院で先の中間選挙で60以上もの議席を減らし過半数を失い、歴史的大敗を喫したが、「オバマッ茶アイス」は、傷ついたオバマ大統領の心までも慰めてくれたのだろうか。


慰めの言葉が見つからない

2010年11月12日 | 浜の移ろい

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この漁港で一番の水揚げを誇る元気者の“せいちゃん“に彼らしさが無い。
何時も人を笑わせ周りの人達を陽気にさせていたのに、夏以降は言葉数が減り、しかめっ面することが増えた。気のせいか眉間にシワも時々見える。

“せいちゃん”得意の海老網に依るサザエ漁も、最盛期だと言うのに殆ど獲れない。
浜に戻った網には身の無いアワビやサザエの殻だけがずいぶん多い。「アワビやササエの餌になる海草のカジメが、この夏以降、海水温の異常な上昇で十分には育たず、アワビやサザエにとっては餌も無く、身の隠し場所もなく成長する前に天敵に食われてしまったのでは」と“せいちゃん”は言う。

しかし今年の気候変動、中でも夏の猛暑の影響は現在でも尾を引いている。
この漁港でもいつもの年とは違う。この港でも名物のシラスも、漁をしても全く獲れない日もあり、漁獲高は昨年の半分以下らしい。
港の風物詩で、自分もいつも何が入っているかと楽しみにしていた定置網も、早々に解かれ浜に長々と干してある。
また、沖縄で良く見た原色をした魚が網に掛かっていたり、釣りでも始めて目にする、名前すら知らない魚が掛かる事もあった。     
日本海で見られた有名なあの「越前クラゲ」が、この相模湾でも目にした人は多いと聞く。
今でも水温が異常に高い。通常より二度は高い。

猛暑に依る海水温の上昇が魚達の生態系までも変えてしまったのか。
刺身で絶品のカワハギもこれからの冬場を越すために、その肝に脂肪を蓄え、そして自分に釣られ、肝合えとして刺身で食べられるのを待っていると言うのに、その肝は夏場の大きさと同じくらいでまだ小さい。
暦では立冬を過ぎたのに自分はまだワラサを狙って釣りをしている。例年だったらワラサは今頃にはもっと暖かい海に移動している。しかもまだ当分は続けると釣り船の船長は言う。

魚ばかりではない。ワカメも天然モノはもとより、種付けを始めた養殖モノも、今の水温では育たないかも知れないと浜では皆が不安がっている。
米も各地で等級が低い物が多かったと聞く。野菜の高騰はまだ続いている。秋を彩る果物も不作だと聞こえてくる。
今年の大雨と猛暑で、例年になく豊作なのは松茸だけだ。

今晩あたり松茸と一升瓶を提げて“せいちゃん”を訪ねようか。
しかし慰めの言葉が見つからない。


店主の御まじない  

2010年11月08日 | 好きなもの

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自宅で飲むコーヒーも良いが、居心地の良いカフェで飲むコーヒーは格別だ。

気がつくと長居をしている、そんなカフェがある。
海沿いと言う立地、センスの良い内外装と家具、魅力的な店主。カフェで飲むコ-ヒーは、カフェを取り巻く全てを味わう事でもある。
鎌倉から逗子にかけての海岸沿いの逗子の入り口に、北欧の港町や湖畔のどこにでも有りそうなデザインと色使いの瀟洒な建物がある。

ヘルシンキを舞台にした映画で、小林聡美・もたいまさこ・片桐はいりの三人が主演で、原作は郡ようこ、監督は荻上直子の「かもめ食堂」。
生い立ちも性格も年齢も違う個性的な三人の女性が、奇妙な巡り合わせで「かもめ食堂」に集まり、のんびりゆったりとした交流を繰り広げていく。穏やかだけれど力強い。普通の大人のための人生賛歌だ。
この中で店主はコーヒーを美味しく淹れる御まじないに、世界で最も希少価値が有り高価と言われているコーヒー豆“コピ・ルアック”と呟くシーンがある。

お店のオープン時に“美味いコーヒーを淹れる!”と言う店主の強い願いで店名を“コピ・ルアック”と決め、映画「かもめ食堂」の雰囲気のように、“マッタリ寛いで頂けたら嬉しいです“と言う。

客は特定の層ばかりではなく、各世代が集い、職業も様々だ。子供連れも多いし、お年寄り一人も多い。
人が自然に何となくこの店に足を運ぶのは、コーヒーが美味い事や店の内外装のセンスの良さや健康にも拘った食べ物を提供しているからだけではない。
それは、現代人は何か拠り所を求めていて、話し相手が欲しいと言うより、それ以上の心の安定を求めて人はこの店に足を運ぶのだと思う。
店主はさり気なく客の一人ひとりと、その人だけとの時間を創っている。それが客は居心地の良さに繋がり、安らぎ、癒されているのだと思う。

このカフェには、コーヒーよりももっとステキなものがある。
とりわけ人を魅了する力がある店主の笑顔だ。店主に惹かれて人が集まる。
このカフェでの一杯のコーヒーは今日という日を豊かにする。

店主は今日も赤ちゃんみたいな真っ黒で透き通った大きな眼をキラキラと輝かせながら、きっと“コピ・ルワック”と呟いているに違いない