海側生活

「今さら」ではなく「今から」

酒作法

2016年12月26日 | ちょっと一言


酒が美味い季節になった。
と言っても酒飲みと言う人種には、夏は夏でキリキリと冷えたビールが美味い。春は春宵値千金のカクテル。秋は秋でまろやかなワインかブランディなどと、結局どの季節も酒には良き時候とばかり、嬉しがっては祝い酒、悔しがってはヤケ酒と、酒が似合うのはいつもの通り。特に冬は日本酒が美味くて身に沁みる。

何かと飲む機会が増えるこの時期に酒の作法について、かって人並み以上に酒飲みで、気分が乗ると今でもその酒飲みの習慣が出てきそうになり、事ある毎に我慢し自重している自分だが一言。

先ず酒を飲んで酔っ払ってはダメだ。
「なにィ、酒を飲んで酔うなだと!酒は酔うためにあるもんだァ、何を抜かす!」と怒られそうだが、確かに酒は飲めば酔う。酒好きにとっては、酒はどの一口も美味いに違いないが、特に美味いと感じるのは、少し過ぎた頃からだ。しかし、酔っ払いが、同席した友人にも果ては酒場でも嫌われている現実を是非とも知っておいて欲しい。子供と酔っ払いは説明しても分からないから大嫌いだと言った人がいるが素直に納得できる。
経験から言えば、水割りなら何杯、お銚子なら何本飲んだかを、自分で覚えていられるまでだ。更に飲んだら騒ぐな、口説くな、踊るな、暴れるなと言う事だ。
そんな窮屈な酒なら飲まない方がマシだと言う人もいるだろうが、酒作法とは、良い気持ちのホロ酔い持続がその極意だ。要は愉しんでもトコトン酒に甘えちゃならぬと言う事だ。

辛口の日本酒を人肌で、自分好みの肴を用意してくれるこじゃれた裏路地の店で、今宵も一献、内なる己の声に耳を傾けよう。

 健やかな新年をお迎えください。


池に散る紅葉

2016年12月14日 | 鎌倉散策

(妙本寺/鎌倉)
鎌倉の紅葉は、他の地域に比べあまり良くない、キレイでない。
潮風と温暖な気候のため、紅葉する前に、葉の先端が縮んだり、白っぽく乾いたりして、鮮やかな錦を重ねたようにはならない。モミジは急激な温度の変化に会い、落葉樹の青い葉が生々しいままで、落葉の寸前に紅変黄変するものである。

それでも大きな木立が今なお残る、境内が広い寺社を歩いていると、思わず「あっ」と声を漏らしそうになる見事な紅葉を見ることがある。
妙本寺は鎌倉駅に近いが三方を山に囲まれ深山幽谷の趣が今なお残っている大寺だ。参道の両側には 鬱蒼と樹々が茂り、石段の手前で二天門を仰ぐあたりの景観は、思わず足を止め見入ってしまう。

ここは比企一族が滅亡した悲劇の場所で一族の墓地がある。
比企能員(ひきよしかず)は頼朝の挙兵以来の功臣であるが、その養母・比企尼(ひきのあま)は、源頼朝が伊豆に流されていた頃から20年間、乳母として生活物資を送り続けたことは良く知られている。頼朝夫人・政子が将軍家嫡男・頼家を出産すると能員の妻(比企尼の娘)は頼家の乳母になる。頼家の成人後に能員の娘・若狭局は頼家の寵愛を受け一幡(いちまん)を生む。能員は二代将軍・頼家の外戚として権勢を増した。一方、頼家の弟・千幡(せんまん、後の三代将軍・実朝、乳母は阿波局(あわのつぼね・政子の妹)を擁立して実権を握ろうとする北条時政(政子の父)と対立する。この対立は一幡が6歳の時、比企一族の滅亡で終わった。

今、二天門寄りの右手の低い竹垣に囲まれた一隅に一幡の塚がある。

また、本堂の左手奥には蛇苦止堂(じゃくしどう)には若狭局を祀ってある。その右手には滅亡の際に運命を共にし、家宝を抱いて身を投げた言い伝えられる蛇形の井がある。井戸と言うより大きくはないが池に見える。池一面には葉が散り敷いて、濃く淡く重なり合った黄葉紅葉が水に揺れる様は、木々の紅葉よりも優美かもしれない。

訪れる度に一幡の塚に、思わず手を合わせてしまう。
鎌倉にはお寺の数だけ「やりきれない寂しい史実」が残っている。

”お師匠様”

2016年12月02日 | 最大の財産

         (鎌倉高校前から)
友人はかけがえのない財産だ。

勤めている時は、どうしても交友関係は狭くなりがちだ。学生時代の仲間を除けば、その多くは会社の同僚と言う人が少なくないのではないだろうか。
しかし。会社の友人は所詮、仕事上での事だ。よく一緒に酒を飲み、ゴルフもやり、自分では親友と思っていても相手の胸の内は分からない。出世を考えれば同僚はライバルでもある。移動や転退職などで離れてしまえば自然と縁遠くなるものだ。潮目を計りながら人付き合いをするのが、サラリーマン社会の人間学だ。

その点、経験から考えても、趣味の世界は出会いの宝庫で、理屈を超えたところで意気投合し、豊かな人間関係の輪を広げていける事が多い。
現役で趣味の友人を持っている人は、オンとオフの切り替えが上手い。自分の仕事を愉しく語れる人は素晴らしい。だがそれに加えて自分の趣味に付いても熱く語れる人はもっと素晴らしい。まして現役を退いた人にとって、孤独を愉しめる人は良いが、一緒に遊んでくれる友人がいなければ、多分、寂しいしつまらない時を過ごすだろう。

現在の自分にとって、写真の“お師匠さん“と呼ぶべき友人がいる。
M.Fさんとはプロが主唱する同じ写真教室の仲間だが、付き合いが始まって五年にもなる。このブログに新たに投稿するたびに、自分で撮った写真を一枚掲載しているが、もっと上手く撮りたいと、月謝を払って写真を学ぼうと決め教室に入った。そして暫くして意気投合した。折に触れカメラと言う機械の仕組みから、写真とは?を指導して頂いている。

彼はカメラに関し、又写真に関して造詣が深い。現役の頃から趣味でカメラもやっていたらしい。教室のプロが教える分野とは別の“自分流“が有る。彼が主唱して教室を開いても、きっと大人気を博すだろう。また彼は博識だ。時事に明るい。なんでも知っている。知っているだけではなく、それぞれの出来事に対し受け売りの情報ではなく独自の考え方を持っている、その分野が広い。その他、仲間と共に絵画も一年に一度展覧会を開催しているし、随筆では毎年一冊を出版している。中でも自分には出来ないと思うのは、日本で働く外国人に対して毎週、日本語を教えている。これらは現役の時は経験もなかった事なのに。また彼は貴公子然とした端正な顔立ちの笑顔が素敵だ。特に女性に対しては一層笑顔が弾ける、ユーモアを交えて。

ただマルチタレントの彼にも弱点はある。それはお酒が三杯目あたりになると、話題が長い川のように止めなく滔々と溢れだす。知識の引き出しの数が多い。話の切れ目がない。

しかし、そんな彼の弱点が好きだ。会う度に、聞くほどに「なるほど!」と気付かされることが多い。

寂しがり屋は、心が許せる友人が居ないと現役を退いた後は暮らせない。