(逗子開成中学生のボート遭難の碑/稲村ケ崎・鎌倉)
幼い頃から工作がダメだった。
ノコギリを動かすと、なぜか斜めに進んで行く。キチンと釘を打ったのに先っぽが横から出てきたりした。多分、同類が多いのではないか。家庭や学校で『ヘマだねェ~』と言われ続けてきた。会社にだって、きっとそんなタイプがいるだろう。何かにつけて上手に出来ない。ビールの栓を抜いた途端、瓶を滑らせ床に飛ばしたこともある。要領の良い人の三倍手間取って、三分の一の出来栄えがせいぜいだ。
器用な人が羨ましい。定規で計ったように板を切って、ピシッと釘で止める。その人が結ぶと、紐でもまるで鉄で締め付けているようだ。軽口を叩きながらビールの栓を抜き、上手に泡を配っていく。
しかし不器用人間も、まんざら捨てたものではない。例えばその人にとってノコギリや金槌は単なる道具ではない。半ば生き物であって、てんでに勝手な動きをする。紐は軟体動物の変り種で、普段はピクリとも動かないのに、不器用な人にかかるとクネクネと動き出す。十分に結ばれても,しばらくするとモゾモゾと身をくねらせて結び目を解いてしまう事がある。
童話作家などは幼い頃、『お前はブキッチョだねェ~』と言われ続けた人ではないだろうか。だからこそ鋸に話をさせたり、金槌をトコトコと歩かせたりする。紐を蛇だと空想も出来る。
不器用な人は自分に出来ない事をよく知っていて、いつも密かにできる人に目を止めている。それをより良く生かす事を考え、しかるべき場を、その人に任せられる。良き上司の資格は不器用と言う特性にある。
だから、小学校や中学校の先生には不器用型が良い。芽生えたての能力に敏感だし、器用型のように、ブキッチョをバカにしたりしない。
学校での体罰問題のニュースを聞きながら先生と言う職業を考えてみた。