海側生活

「今さら」ではなく「今から」

不器用な人

2013年11月19日 | 感じるまま

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(逗子開成中学生のボート遭難の碑/稲村ケ崎・鎌倉)

幼い頃から工作がダメだった。

ノコギリを動かすと、なぜか斜めに進んで行く。キチンと釘を打ったのに先っぽが横から出てきたりした。多分、同類が多いのではないか。家庭や学校で『ヘマだねェ~』と言われ続けてきた。会社にだって、きっとそんなタイプがいるだろう。何かにつけて上手に出来ない。ビールの栓を抜いた途端、瓶を滑らせ床に飛ばしたこともある。要領の良い人の三倍手間取って、三分の一の出来栄えがせいぜいだ。
器用な人が羨ましい。定規で計ったように板を切って、ピシッと釘で止める。その人が結ぶと、紐でもまるで鉄で締め付けているようだ。軽口を叩きながらビールの栓を抜き、上手に泡を配っていく。

しかし不器用人間も、まんざら捨てたものではない。例えばその人にとってノコギリや金槌は単なる道具ではない。半ば生き物であって、てんでに勝手な動きをする。紐は軟体動物の変り種で、普段はピクリとも動かないのに、不器用な人にかかるとクネクネと動き出す。十分に結ばれても,しばらくするとモゾモゾと身をくねらせて結び目を解いてしまう事がある。
童話作家などは幼い頃、『お前はブキッチョだねェ~』と言われ続けた人ではないだろうか。だからこそ鋸に話をさせたり、金槌をトコトコと歩かせたりする。紐を蛇だと空想も出来る。
不器用な人は自分に出来ない事をよく知っていて、いつも密かにできる人に目を止めている。それをより良く生かす事を考え、しかるべき場を、その人に任せられる。良き上司の資格は不器用と言う特性にある。

だから、小学校や中学校の先生には不器用型が良い。芽生えたての能力に敏感だし、器用型のように、ブキッチョをバカにしたりしない。

学校での体罰問題のニュースを聞きながら先生と言う職業を考えてみた。


ショートパンツ

2013年11月12日 | 感じるまま

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                         (浄妙寺/鎌倉)

思わず身震いし、鳥肌が立った。

起き抜けは、先ずベランダに出て海を眺める。ベッドで温められていた温かい体中に、いきなり冷気が流れ込んでくる。肌のブツブツを摩りながら、いつの間に、こんな気候になっていたのかと、改めて今日と言う日を実感する。
最近までほとんど雲に隠れ、姿を見せなかった富士山も、今日は冠雪した白い頭だけを灰色の雲の上に微かに覗かせている。

思わず長袖の下着を引っ張り出し身に着けた。
ここ一週間の朝夕の寒暖の差に合わせようと、シャツやら下着らの、夏着と冬着が入り乱れ、右に左に、上に下にとクロゼットの中は賑やかだ。まるで客が多いバザールの店先みたいだ。
昼食のため近くのカフェに出掛けた。
マンションから外に出ると、すでにサーファーが路上で着替えをしている。彼らは車でここまで来て、そしてウエットスーツを身に着ける。この冷気の中で今日も海に入るのか、きっと空気よりも海水温度が高いのだろう。しかし彼らは季節を問わず、波が立てば海に入る。
マンションの近くの岬の磯伝いには、大潮の時期になると、普段は目立たない海面に大きな、また長い波が立つ。今日もサーファーが三々五々と海に入って行く。若さって頼もしい。

また、カフェの近くの保育園から、園児達の賑やかな声が聞こえてくる。
運動場では走り回っている者、砂場や鉄棒で遊びに興じている者、泣き叫んでいる者、先生に抱っこされている者など、見ていて飽きが来ない。若さがコロコロと輝いている。やがて気が付いた。園児達は皆が例外なく半そでシャツにショートパンツの服装だ。足元はゴム草履だ、中には裸足の子もいる。先生達も半袖だ。

愕然とした。園児達と自分との服装の差は何なのだ!

寒さや冷たさに弱くなったのは、体力が落ちたからなのか!ただ慣れや習慣の違いなのか。
単純に”老人力“が付いただけなのか、考えさせられてしまった。