海側生活

「今さら」ではなく「今から」

幻聴、幻覚を経験する

2009年01月28日 | その時を覚悟した

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手術直後5日間は集中治療室にいた。
今思い出しても例えようの無い何とも言えない感覚の5日間だった。
体の自由が利かないし節々が痛い、上手く口も利けなくて自分の意思が伝えられない、時間がわからない、いつも眠っているような、起きているようなボーとした感覚。

あれは幻聴だった。
どこからともなく音楽が流れてくる。微かだが男達の声だ、聞き覚えのある曲だ。
側に居るものに聞いた。
「聞こえてくるあの曲は何の曲だった?」
「---何にも音楽は聞こえません---」
「良く聞いてよ、微かに聞こえてくるでしょう!」
「-----」

幻覚もあった。
見上げる天井の格子が微かに左右に揺れている、ある時は上下に揺れる。
何度見ても動いている。どうして動いているのかと思わず聞いた事もあった。

4日目だったと思うが、ある検査のためベッドから起こされ車椅子に乗ろうとした時、意識を失い倒れた、二度も。
耳元で自分の名を呼ぶ医師の大きな声で我に返った。
周りには医師が2人と、看護師3人が自分をジッと見ていた。

覚悟しているとは言え、今まで経験の無い例えようの無い不安が頭を始めて過ぎった。


材木座海岸を歩いた

2009年01月18日 | 鎌倉散策

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天候に誘われカメラ片手に度々散歩する。

相模灘の夕日は、落日の美しさを最高の形で見せてくれる。

西には富士山、箱根連山、伊豆の山々が一連の影絵になって見える頃、相模の海は金色の波に覆われる。空は一面に夕映え、雲の夕焼けが燃えるような茜色に染まる。

水平線から伊豆半島へと一刻一刻と近づく夕日が雲間に沈んでいく時、時には太陽が円形ではなくサッカーボールみたいに見えたり、液体のように雫を滴らせる光るものに見えたりする。

渚に立つとどこに立っても太陽の光は海上をまっしぐらに自分に向かって来る。
それがなんとも面白くて、アチコチに位置を変えてみても海を滑る光の帯は必ず自分に飛び込んでくる。

それはまるで自分の心の中の小さな宇宙と太陽との存在とを無意識の内に結び付けている一本の大きな光の線のようだ。

人間として生まれての証拠のように実感される。


大漁旗

2009年01月02日 | 浜の移ろい

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正月だ。快晴だ。
港は大きな船が三艘岸壁に停泊している。思い思いの大小の大漁旗が揚がっている。

港では漁業事業者によるお正月の「蜜柑投げ」が始まる。
観衆は約300人、やがて夫々の舟が順番に「蜜柑投げ」を始める。
背伸びして飛んでくる蜜柑を掴む人、大きな網を頭上高く上げ取ろうとする人、子供を肩車している人、コートの前を大きく広げ右に左に動いている人達が歓声を上げている。
この蜜柑投げは昭和の初め頃から始まったしきたりだと言う。
今年の豊魚と海上の安全を願い竜宮様に奉納した蜜柑を投げる行事らしい。

やがて「蜜柑投げ」は港から浜に移り、浜に引き上げられている比較的小さな舟が順番に「蜜柑投げ」をする。観衆はその都度移動する。

浜小屋では新年の挨拶と酒盛りが始まっている。どこも笑顔が弾けている。晴れ着を着ている人は殆どいない。この風景と大漁旗は外国人にも珍しいらしくカメラを向ける人達も見える。
大漁旗は新しく造船した時、子供が生まれた時などに仲間達から戴くとか、船主にとって特別なお目出度い時に作ったらしい。

しかし漁師達は言う。魚は獲れなくなった、海は変わった、と。

この港も、以前は100艘ほど有りもっと賑やかだったらしい。今は約20艘。

若者も少なくなった。

幼い頃経験したこれに似た風景や雰囲気を思い出す。


海側生活

2009年01月02日 | その時を覚悟した

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年の始まりだから、改めて自分に言い聞かせたい

一昨年の思わぬ病気の発見以来、一度はその時を覚悟をしたが、その後の順調な経緯に、今後は自分が本当にやりたかった事に時間を費やし、また森羅万象への全開の好奇心を発揮してゆきたい、胸をときめかして。

何をするにおいても「今さら」ではなく「今から」と強く思っている最近の私です。

多分限られた時間だろうが---。