海側生活

「今さら」ではなく「今から」

美味しいモノ

2018年05月29日 | 好きなもの

          (源平池/鶴岡八幡宮)
楽しい付き合いというものは、ありのままの自分を見せ合うことのできる付き合いである。
これまで多くの時間を共有し、何でも言い合い、何を聞いても驚かず、そして理解と信頼を深めてきた人だけだ。

「これ、食べない?」「いらない?じゃ食べるよ」と言って自分が食べるような人との付き合いが楽しい。
「食べない?」「いらない、美味しくないから」という人との付き合いも悪くない。

まずいモノを美味しいと言いつつ食べる食事会は楽しくない。しかし、まずいモノでも美味しいと言って食べるのが付き合いと思っている人達もいる事は確かで、要するにこれは気質の問題かもしれない。変人は変人と、常識人は常識人と、それぞれ気質に合った付き合いが楽しい。だがそうはいっても変人が常識人と付き合わねばならない場合があるのが世の常である。その付き合いは楽しくはないだろうが、これも人生と考えるしかないと思ってきた。

たまには「美味しいモノ」を食べに行こうと、家の者に言われても、「美味しいモノ」とはどんなモノか瞬間考えてしまう。出汁の効いた味噌汁と炊きたてのホカホカご飯が自分の「美味しいモノ」
だから。そんな自分に気が付くと「良し、順調!」と思う。たいして努力もしていないのに、自然に順調に欲望が涸れていっていることに満足する。

しかし、あらゆる欲望が涸れていくのを何かの都度に感じることが多くなった今、人生の修行とばかりに何事も我慢はしたくない。
もっと我が儘になりたい。

ウドンのご飯

2018年02月12日 | 好きなもの

(一条恵観山荘/鎌倉)
名古屋に行った時、必ず食べるのは「味噌煮込みうどん」だ。
溶いた小麦を土鍋で煮立たせ沸騰させる。テーブルに運ばれてきた時でも鍋の中はまだグツグツと煮立っている。出汁は昆布、鰹節、干椎茸。具はカシワと卵、そして濃厚な八丁味噌の味付けは、眼鏡を曇らせながら何度食べても飽きることはない。

郷里の九州方面まで出かけた時でも、帰りは飛行機の利用はやめて、新幹線・名古屋で途中下車し、「味噌煮込みうどん」を味わって帰宅することがある。これほど好きなのは現役の頃、五年間赴任し、独立後も名古屋に浅からぬ縁を持ったからに違いない。その頃、関わり合った様々な人達に手羽先と「味噌煮込みうどん」を仕込まれた。

あの味噌は、やはり愛知の気候や風土に合っているのだろうか。地元の人が食べる時に決まって一緒に注文するように、ご飯と「味噌煮込みうどん」の組み合わせは、名古屋の食文化の代表だ。確かに「味噌煮込みうどん」だけを食べると、少しくどい感じがして白いご飯が欲しくなる。まずご飯の上に卵やカシワを乗せて箸を進める。そしてご飯、うどん、ご飯、うどんと交互に口に運ぶ。出来れば日本酒を一本注文する。ビールでは味噌の味が壊れる。

ある時、八丁味噌をオミヤゲに持って帰ったことがあった。普段家で使っている白味噌と合わせて使ってみたが、あまり美味しくない。もしかしたら「味噌煮込みうどん」にしか力を発揮しないのかもしれない。

「味噌煮込みうどん」の美味さを関東の人に話すと、「鍋焼きうどん」なの?と訊かれるが、一度名古屋に連れて行って、その美味さを納得させたい。食べてみてショッパイと言った人は、ご飯を頼んでいない人だ。

朝夕はまだまだ真冬だ、冷気が身に沁みる。つい身体がホットするようなあったかいものを思い出した。

本物の香り

2017年07月30日 | 好きなもの

(象鼻杯/光明寺)
強い刺激性のある独特の香りがカウンター越しに香ってきた。

山葵(わさび)は清冽な水を好み、谷間の渓流の砂礫に栽培される。
しかし本物の山葵は高価だ。しかもあの香気と辛味は摩り下ろして暫くすると無くなってしまう。だからその都度摩り下ろさなければならない。白髪まじりの店主の請け売りだが、近年は粉わさびやチューブに密閉された練りわさびが出回るようになって久しい。これらは実はセイヨウワサビで、この根茎を乾燥粉末にしたものに葉緑素を混ぜて作られているか、又はこの粉末に西洋辛子と合成着色料を加えて作っているそうだ。

店主は問いに答えて話は続く。本物の山葵を摩り下ろす時は、葉つきの部分を鉛筆を削るようにクルリと包丁で削ぎ落とし、髭根を取り、タワシで表皮の汚れを丹念に掃除する。そして、いかに細かく細胞を破壊し、香り・辛みを出させるかです。香りを最大限に引き出すため、ゆっくりと「の」の字を書くように擦り下ろします。「山葵は笑いながら擦れ」とも言われるように力を入れずに鮫皮おろし器のような目の細かいおろし器で擦り下ろすと、本山葵の風味をご堪能いただけます。擦り下ろしたものは辛みを十分に出させるために、小さな容器に入れてふたをする、又は逆さにして置きます。擦り下ろして3~5分で香り・辛みはピークに達し、美味しく感じるのはその後30分程度です。

そう言えば、刺身を食べる時、醤油の中に山葵を入れるのは良くない。山葵の香りが抜けてしまう。刺身の上に山葵を乗せて、それを付けて食べるのが美味い食べ方である。また刺身につている穂紫蘇も、刺身の合間につまんで食べる、醤油の中に入れるものではない。日本酒が好きだったオヤジに聞いたことも思い出す。

しかし、自分の舌は山葵を口に出来ない。最初の口の底の癌手術の際、メスが味覚神経の一部に止むを得ず触れたらしく、それ以来、濃い目の塩分や酢、刺激のある薬味などに敏感に反応する。口にした瞬間に舌がカッと熱くなり、10秒後には目の周りが火照ってくる。そして額から頭にかけて汗が噴き出してしまう身体になってしまっている。つまり赤ちゃん舌に変わってしまっている。全ての食べ物は赤ちゃんの離乳食のような薄味で十分だ。もう10年以上も山葵や生姜などの薬味、寿司やカレーなどの食べ物は口にしてないし、また口に出来ない。

穴子の白焼きを注文した、もちろん本山葵を添えてもらった。眼の前の皿から、刺激性のある独特の香りが、舌の両横にジワッ~と沁みてくる。タップリと香りを舌に沁み込ませてから穴子の白焼きを口に運ぶと、穴子の柔らかさと山葵の優しい風味が口中に広がる。

やはり本物は香味も素晴らしく美味くて薬味には欠かせない。

一日分の米

2012年09月11日 | 好きなもの

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                    (逗子マリーナ防波堤)

一週間の食止の間、点滴スタンドから三本の管が腕の一点に注がれていた先月の病院での事。初めて食事を出された時は、スプーンを動かすのを忘れ、嬉しくて暫くジッと茶碗の中を見詰めてしまった。ご飯と言ってもドロッとした、まるで糊をお湯で薄め、それに片栗粉を混ぜたたような白い液体にしか見えなかった。しかし久し振りの香りは間違いなく米だった。口に運ぶとジワッと慣れ親しんだ味が口の中いっぱいに広がり、思わず誰とはなしに感謝した。

そして考えた。
今までどれくらいの量の米を口にしてきたのだろう。朝食もご飯派だ。これまで米が材料の日本酒も焼酎も相当に飲んで過ごしてきた。振り返れば餅を食べない正月は無かったし、上新粉や白玉粉を原料とした和菓子なども好きだった。
更に味噌、醤油、酢なども毎日の生活には欠かせなかった。

計算の途中で止めた。ハラが減っては戦ではなく計算がまとまらない。

病棟の患者の溜まり場で、雑誌に興味ある記事を見つけた。
『大人一日分のご飯は、どれほどの籾種から収穫されるのか、答えは24粒だ。籾種24粒を蒔くと、苗24本が芽吹き、それを3本ずつ8株に分けて水田に植える。すると秋には稲8株が実り、それから13860粒が収穫される。その籾殻を取り精米すると、一日分の白米二合五勺になる』との事。

三食ともご飯を食べたとして、二合五勺の量は茶碗に6杯~7杯ぐらいになるのでは?自分には些か多過ぎるが---。

資料によると、米の価額はパンの半分ほどに下がっているらしい。それでも米の消費額はパンに逆転されてから久しいと言う。
確かに我々の環境は食べるものが豊富にあり、食べるものがお米だけという時代ではない。また米はご飯にするまで手間が掛かるし、後片付けにも時間を取られてしまう。さらにご飯は太ると言うイメージが付きまとっている。

日本の食料自給率は年々減り続けて現在39%(カロリーベース)。
中でも、唯一自給率100%を誇る米だが?-。

米よ、これからもよろしく!


ジュークボックスの時代に

2012年01月24日 | 好きなもの

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全く予期していないモノを見た時も、過ぎ去った青春を思い出す瞬間がある。


マンションの玄関に背を向け歩き始め、思わず足が停まった。白と薄い紅色が混じったような背の低い花が視野を翳めた。
四~五歩行き過ぎて気が付き、玄関の横の植え込みに戻った。今まで聞いたことはあったが眼にするのは始めてのエリカの花だ。


西田佐知子さんが歌う「エリカの花散るとき」が好きだった。
この歌が流行った頃、いつも腹を空かした貧乏学生だった自分は新宿の酒場でバーテンダーとしてアルバイトをしていた。
華やかに見えたネオンの灯りやお酒には多くの事を学んだ。特にお客さんには様々なことを教わった。

店内にはジュークボックスがあり、「太陽がいっぱい」・「エデンの東」・「禁じられた遊び」などの映画音楽や「見上げてごらん夜の星を」・「銀座の恋の物語り」・「砂に書いたラブレター」など多くの曲を、カウンター上の一杯50円のハイボールを客との中に置いて幾度となく聞いた。

店内の人の話し声やグラスの打ち当たる音やジュークボックスの大きな音などの喧騒の中でも、この曲が掛かるとその喧騒はピタリと止んだ


1 青い海を 見つめて
  伊豆の山かげに
  エリカの花は 咲くという
  別れたひとの ふるさとを
  たずねてひとり 旅をゆく
  エリカ エリカの花の 咲く村に
  行けばもいちど 逢えるかと


特に 自分は“やまぁ かぁげぇんにぃ~♪” や “わぁ かぁ れたひとんのぉ~♪” と 、鼻に掛かった、その物憂げな情感たっぷりの歌声は、たまらなかったし、更に“エ~リィカァ♪”には吸い込まれそうだった。

まだ見ぬエリカの花を探しに伊豆に旅したいとも思った。
「アカシヤの雨にうたれて」や「ワン・レイニー・ナイト・イン・東京」や「ウナ・セラ・ディ・東京」などもよく掛かった。


人は自分の人生と歌をどこかで重ねて聞いているのだろうか。
エリカの花を見て、思わず青春の一コマを思い出してしまった。


店主の御まじない  

2010年11月08日 | 好きなもの

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自宅で飲むコーヒーも良いが、居心地の良いカフェで飲むコーヒーは格別だ。

気がつくと長居をしている、そんなカフェがある。
海沿いと言う立地、センスの良い内外装と家具、魅力的な店主。カフェで飲むコ-ヒーは、カフェを取り巻く全てを味わう事でもある。
鎌倉から逗子にかけての海岸沿いの逗子の入り口に、北欧の港町や湖畔のどこにでも有りそうなデザインと色使いの瀟洒な建物がある。

ヘルシンキを舞台にした映画で、小林聡美・もたいまさこ・片桐はいりの三人が主演で、原作は郡ようこ、監督は荻上直子の「かもめ食堂」。
生い立ちも性格も年齢も違う個性的な三人の女性が、奇妙な巡り合わせで「かもめ食堂」に集まり、のんびりゆったりとした交流を繰り広げていく。穏やかだけれど力強い。普通の大人のための人生賛歌だ。
この中で店主はコーヒーを美味しく淹れる御まじないに、世界で最も希少価値が有り高価と言われているコーヒー豆“コピ・ルアック”と呟くシーンがある。

お店のオープン時に“美味いコーヒーを淹れる!”と言う店主の強い願いで店名を“コピ・ルアック”と決め、映画「かもめ食堂」の雰囲気のように、“マッタリ寛いで頂けたら嬉しいです“と言う。

客は特定の層ばかりではなく、各世代が集い、職業も様々だ。子供連れも多いし、お年寄り一人も多い。
人が自然に何となくこの店に足を運ぶのは、コーヒーが美味い事や店の内外装のセンスの良さや健康にも拘った食べ物を提供しているからだけではない。
それは、現代人は何か拠り所を求めていて、話し相手が欲しいと言うより、それ以上の心の安定を求めて人はこの店に足を運ぶのだと思う。
店主はさり気なく客の一人ひとりと、その人だけとの時間を創っている。それが客は居心地の良さに繋がり、安らぎ、癒されているのだと思う。

このカフェには、コーヒーよりももっとステキなものがある。
とりわけ人を魅了する力がある店主の笑顔だ。店主に惹かれて人が集まる。
このカフェでの一杯のコーヒーは今日という日を豊かにする。

店主は今日も赤ちゃんみたいな真っ黒で透き通った大きな眼をキラキラと輝かせながら、きっと“コピ・ルワック”と呟いているに違いない


好きなものを並べてみた

2010年02月20日 | 好きなもの

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久し振りの青空が朝から広がった。
この一週間は、晴れた日がなかった。気温が低く雨、霙、更に雪と続き行動が鈍ってしまった。
晴れ渡った今日の青い空、碧い海、そして真っ白な富士山を仰いでいると、好きな事や好きな人が次から次へと浮かんでくる。


・このマンションからの海の眺め
この眺めは毎日目にしていても、その変化にはいつも驚く。急に目隠しを外されたようなハッとするような眺めが目の前に広がっている。

・路地
車が入れないような狭い路地には郷愁をそそられる。鎌倉や逗子にも路地は多い、神楽坂や新宿も然り、赤坂にも路地が残っている。ボンヤリと灯る提灯などあればさらに良い。

・女子校生と若いサラリーマン
老人が乗ってくると、サッと立ち上がり席を譲ってくれる人達。自分がどう見られているのか、自覚とかなり違うが。

・温泉
ビジネスの中締めをした頃から好きになった。今や俳句の季語と温泉は世界文化遺産になってもいいじゃないかと思っている。

・澄んだ声
特に女性の澄んだ声には心が癒される。そんな人が最近少ないと感じる。

・夕顔
夜にほの白く咲いているのを見るのが好きだ、香りが何とも言えない。月が出ていたら申し分ない。

・夫婦二人で営む喫茶店
世界中のコーヒー豆を揃え、好みを聞いてくれる店も良いが、豆は2~3種類しかなく軟水の天然水を使い適温で淹れてくれるそんなオジさん、オバさんが営んでいる店。古い町には必ずある。又そんな店がある町は、人が住み易い良い町だと思う。

・ウオッシュレット
排便が楽しいとまではいかないが清潔だ。また寒い季節に洗う時、身体の中心から温まるような気がしてホッとする。

・ブランディ
満足した夕食の後には、ワングラスを無性に欲しくなる。そして自分だけの世界が広げる。

・カウンターだけの割烹
椅子に座ると、顔を見るだけで、好みの素材を今日の自分の体調に合わせて調理してくれる板前が居て、傍らには割烹着を来た女将さんが居る。話題は旬の魚や野菜の事だけ。医師にも勝る存在だ。

・クラシック音楽
心が素直になる。人生の忘れ物を思い出させてくれる。

・海 
今まで200回はスキューバ・ダイヴィングしたが、その都度、陸上には居ない大小の色とりどりの魚たちや珊瑚と出会った。何よりも適当な緊張感があり非日常的な世界が広がる。

思いつくままメモしたが、こんな事を考える自分は体力も戻ってきたのかなと思う。
今晩はあの路地の、あの店に行ってみようか?-。