(海蔵寺/鎌倉)
「春近し」という言葉が好きだ。
最低気温がマイナスになる日が続くとひたすら春を待ちわびる気持ちが強くなる。手足が冷えて身体も固くなっている。考え事も上手くまとまらなくて、頭まで硬直しているのだろう。寒がりのせいかもしれない。
節分もまだ来ていないというのに、春が近づいて来るのを感じる。
甘い芳香を放っていた蝋梅が色を落とし、健気に茎をスクッと空に伸ばし、横向きに咲いてた水仙も頭を垂れてしまった。しかし、からわらには梅の蕾がずいぶん膨らんできた。ところどころにポツンと一輪、二輪と花を咲かせている。これを見ると寒い日が続いても、たとえ雪が降っても、あと少しの辛抱だと我慢も出来る。
間もなく手袋やマフラーを外し、ヒートテックの肌着も厚手の靴下だって薄手のモノに替える時が来るだろう。また鎌倉・小町通りあたりでも道行く女たちの服装にも春を感じることだろう。彼女たちは長い足を見せ始めるのだ。
日一日が変化に富んでゆく。
数年前の一月から二月は度々信州の病院を訪れた。いつも一面の雪化粧の風景の中、道路も凍っていた。親しい友人が入院していた。もう助からない命だったが、本人はそれを知らずに桜の開花を待っていた。早く退院してキラキラと光る海の側に行きたいとも言っていた。しかし日々衰えていった。それは痛々しいばかりだったが、彼がこんこんと眠り続けるのを呆然と見ていた。
節分の頃、彼は逝ったが、そんな冬があったのを思い出すと頭のどこかがキリっと痛む。半面、自分は生き延び有難いとも思う。
春を待つときソワソワするが梅を待つとき、更に桜を待つときは、もっとソワソワした気持ちになる。そんな時期が四季を通じてあるだろうか。遥か昔に経験した恋人からの手紙や電話を待つかのようである。
だが、今はまだ「春近し」。春はまだ少し先で思わせぶりにぐずぐずしている。