松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

不要不急の外出をした。

2020-02-18 12:29:02 | 日記・エッセイ・コラム

 実は先週の土曜日、男鹿まで遠征した。

 追分駅から電車に乗り、寿司屋さんで夕食を食べ、カラオケへ行った。

 飲んでしゃべって、スナックでマイクを回して、上機嫌で帰って来た翌日、急に不安になった。

 電車では約50%の割で、マスクをしている人に会った。ただお互い無言を貫く。その中でも乗る時、ボタンを押したし、外から乗る人がまごついているので開くを押してあげたり、余計なアクションを取った事が気になって。

 寿司屋で、オレが知っているコロナの情報を、大将に滔々と説明したりして。いた割には、無頓着だったなあと。

 おまけに船川では、もう若いママは居ないだろうと入った店の。ママが意外と若かったので。30代だったが。
 そこに来た地元の若いもんが、70年代のポップスを原語で歌うもんでビックリした。まったくやめる気配がないので、ママに聞いた。彼らは一晩中、英語で歌って、たまに忌野清志郎をやるということだった。


 それが聞いていられるレベルなんですよ。ボーカルを1曲の中で交代したりしながら、男鹿バージョンのラップを入れたり・・。
 彼らを止めるために、何曲か歌った。ひどかった。声が出なかった。ブランクの大きさを痛感した。

 さてオレは、大丈夫なのだろうか。体はいつもどおりダルいし。頭も回転していないし。メシは、いつもより美味いし。熱か? 熱は、まだない。ただ、歌は。発声練習しないとな。

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「乱横断」で責めるの、おかしい。

2020-02-17 08:36:16 | 日記・エッセイ・コラム

 札幌市の、歩道橋も横断歩道もある交差点で、スクランブル横断する人が後を絶たないで、おまけに信号無視も普通という場所があって。

 例によってリポーターがなぜ法律を無視してまで渡るのか、インタビューしていた。

 「オレは年寄りと違って、反射神経いいし、なまじ横断歩道だと気を許してかえって危ない」

 いいー、理屈ですな。この人に賛同します。

 かねてからわたくしも、7号線を渡るのに金足農業高校入口の歩道か駅前の歩道を、公務員でしたので使うように心掛けていたのですが。

 今は、ふ、そんなもん・・。関係、ないわ。

 なんで歩行者が優先でないの。車が優先なの。おかしいでしょ。

 手を上げたら、どこでも車は歩行者にどうぞと譲らなければならない。そうならないと健全な「福祉社会」とは言えない。

 ついでに、もう一ついいですか。秋田県警はヘッドライトが下向きで事故が多発しているので、ハイビームを推奨している。これも本末点灯、いや転倒だよ。

 40m先が見えたら安全だということになっている。事故るのは、速度超過が原因でしょ。そっちを取り締まりなさいよ。40k制限や30k制限を守っている人を、見たことがない。オレだけだよ。

 不思議なんだが、無意識に標識を見て、いつもプラス10kで走っていることに驚くことがある。自慢話で終わって、いつもゴメンね。

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重力よ、さらば。

2020-02-16 15:13:33 | 日記・エッセイ・コラム

 いまだに宇宙を重力で説明する理論は、もう古い。今は電気的宇宙論が主流だよ。

 地球が太陽の周りをまわって、飛び出さないのは太陽の引っぱる力と地球の遠心力が釣り合っているから? 違うね。


 すべては電荷による。 地球は電離層がプラス、地表がマイナスだ。それぞれのプラスとマイナスが働くため、地球は太陽に対して引き付けられつつ反発するという状態で、ゆるくつながっている。

 5分ごとに起きる太陽表面の振動により、太陽の周辺には太陽風の定在波が発生する。地球はゆるくつながっていて、定在波の谷間に落ち込んでいる。この状態でローレンツ力が地球を公転させているのだ。


 よって太陽に流れ込む星間物質の電荷が変化すれば、惑星は公転軌道を離れて移動することができる。

 地球は土星から生まれ、太陽に引かれて、現在の位置まで移動してきた。水星、金星、月、火星も衛星から移動して惑星となった。

 この前段で説明しているが、ガス惑星は内部に核融合で金属やシリカを合成して、最後にポンと岩石惑星を生み出す。

 かつて4つの太陽の時代があったと伝えられているが、最初の太陽は天王星。次が海王星。そして木星で、土星。

 土星は自転軸が傾いているが、これと同じのが火星と地球なのだ。

 4年前に、火山雷について書いたが、あの時コメントをくれた方が、ただ者でない。すでにあの時、電気的宇宙論を語っていたのだろう。

 マグマの電荷が大気中に解き放たれて、高圧の放電が起きる。これが火山雷だ。今なら分かる。

 第3章「地球の地形は、放電と膨張によって形成された」までは理解できるような気がする。

 しかし4章以降は、わたくしの頭では、理解するのが難しい。

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美大卒展のイロモノ

2020-02-15 14:33:41 | 日記・エッセイ・コラム

 秋田公立美術大学の卒業展を見て来た。

 オレの興味は、美的に優れたものというよりは、別の方にあるようだ。

 こういう謎のキカイのたぐいは、非常に興味を引く。

 どうも流れる映像を見ると、自動でお化粧してくれるキカイのようだ。

 デモ映像に出てくる人物は、本人だろう。まず、すっぴんで登場し、ファンデーションから始める。

 リップ、まつ毛と段取り踏んで、ハイ出来上がり。

 実際、動くのかは疑問だ。ひもの端が、しっかり固定してあって、滑車はびくともしない。しかしこういうのは、わたくしの好みである。

 会場は、若い子で一杯だ。それだけでも、行った甲斐があるというものだ。

 一応、もっともらしい格好をして、もっともらしい態度で、いかにも何者かのように見て回る。

 これが気持ちいい。ふんふん、なるほど、なんて言ってな。

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世界に一人だけの、槇原敬之。

2020-02-14 07:25:35 | 日記・エッセイ・コラム

 11月2日放送のSONGSを見ている。ユーミンのHello,my friend を、だいぶ後になって聞いた時、涙が溢れるほど感動したと言う。その時まで、この曲は自分を待っていてくれた。
 一番、心に響いたのが「僕が生き急ぐときには そっとたしなめておくれよ」まるで意味深な因縁を暗示するようだ。


 歌っている姿には、何の違和感も感じない。それどころか、メガネと髭で、大学教授か学者然とした風貌になった。
 今回は、槇原を弁護しないが。 出来た曲は弁護する。曲には、なんの罪もない。
 1999年11月の文章を再掲します。(くどいね。3回目だわ)

           槇原敬之を弁護する

 槙原敬之の「Hungry・Spider」は名曲です。哀愁を帯びた、いつかどこかで聞いたような懐かしいメロディの、アコーディオン(バンドネオン)をバックに歌う名曲です。ベスト10に入ってきた頃、とても気に入っていて、息子が買わなくても自分でレンタル店に行こうと思っていました。そこへ突然のあの事件です。その日レコード屋へ(CD屋というのかな)行ったらまだ回収されずにありました。次に行った時、もうありませんでした。でもレンタル版はありました。
 詩は暗いと言えば暗い、陰鬱な毒のある歌詞です。そこがいかにも、覚せい剤にむしばまれた様で人はこの曲を抹殺しようとするのでしょう。でも状況はどうでも出来た物は名曲であることに変わりありません。ベン・ジョンソンの記録が間違いなく人類が自分の足で走った最速の記録であったように。
 槙原は自分で作詞もし、曲も作るアーティストです。芸術家が必ずしも一般人の規範にならなければならないとは私は思いません。むしろ、芸術家は「ぶっとんでいる」のが普通です。ということはわれわれが期待しているのは、芸術家の日常生活における常識ではなく、普通でないこと、なにかをしでかす能力であると言ってもいいのではないでしょうか。
 私は芸術家なら覚せい剤をやってもいいと言っているのではありません。後戻りの効かないもの、法律で禁止されているものはやはりいけません。私の青春時代を支えたバンドにピンク・フロイドと言うのがあります。彼らの曲はすべて名曲ですが、どの曲も普通の正常な精神状態で作られたようにはどうしても思えません。「原子心母」の弦楽器の奏でる主題、音符に出来るのかなあと思うくらい滑らかな音階。「ECHOS」の、精神病患者のリハビリにでも出て来そうな、瞑想状態を誘発しそうな長いイントロ。「ダークサイド・オブ・ザ・ムーン」だってそうです。事実、初期のメンバーは薬(ヤク)にラリってあちらの世界へ旅だってしまいました。
 彼らは薬の力を借りて、自分の無意識の世界と通信していたのかも知れません。もっと力のある人間なら薬の力を借りずとも、覚醒しながら自分の無意識と会話できるのかも知れません。喜びを得るのに薬を使うことは最も簡単なことです。薬がなくとも、相手がいれば同じ喜びを得る事が出来るかも知れません。相手がなくとも一人でも喜びを得る事はできるはずです。
 私は日本にいながらにして、マリファナならいいだろうとか、覚せい剤ならだめだとか主張することは出来ません。ただ出来たものはすばらしい名曲だし、作った人間やその過程を葬り去ることは出来ても、曲そのものを葬り去ることは出来ない。できたものによって、われわれは感動を受けているのだし、感動する権利を妨害することは誰にもできない、そのことを言いたかったのです。

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