松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

世界に一人だけの、槇原敬之。

2020-02-14 07:25:35 | 日記・エッセイ・コラム

 11月2日放送のSONGSを見ている。ユーミンのHello,my friend を、だいぶ後になって聞いた時、涙が溢れるほど感動したと言う。その時まで、この曲は自分を待っていてくれた。
 一番、心に響いたのが「僕が生き急ぐときには そっとたしなめておくれよ」まるで意味深な因縁を暗示するようだ。


 歌っている姿には、何の違和感も感じない。それどころか、メガネと髭で、大学教授か学者然とした風貌になった。
 今回は、槇原を弁護しないが。 出来た曲は弁護する。曲には、なんの罪もない。
 1999年11月の文章を再掲します。(くどいね。3回目だわ)

           槇原敬之を弁護する

 槙原敬之の「Hungry・Spider」は名曲です。哀愁を帯びた、いつかどこかで聞いたような懐かしいメロディの、アコーディオン(バンドネオン)をバックに歌う名曲です。ベスト10に入ってきた頃、とても気に入っていて、息子が買わなくても自分でレンタル店に行こうと思っていました。そこへ突然のあの事件です。その日レコード屋へ(CD屋というのかな)行ったらまだ回収されずにありました。次に行った時、もうありませんでした。でもレンタル版はありました。
 詩は暗いと言えば暗い、陰鬱な毒のある歌詞です。そこがいかにも、覚せい剤にむしばまれた様で人はこの曲を抹殺しようとするのでしょう。でも状況はどうでも出来た物は名曲であることに変わりありません。ベン・ジョンソンの記録が間違いなく人類が自分の足で走った最速の記録であったように。
 槙原は自分で作詞もし、曲も作るアーティストです。芸術家が必ずしも一般人の規範にならなければならないとは私は思いません。むしろ、芸術家は「ぶっとんでいる」のが普通です。ということはわれわれが期待しているのは、芸術家の日常生活における常識ではなく、普通でないこと、なにかをしでかす能力であると言ってもいいのではないでしょうか。
 私は芸術家なら覚せい剤をやってもいいと言っているのではありません。後戻りの効かないもの、法律で禁止されているものはやはりいけません。私の青春時代を支えたバンドにピンク・フロイドと言うのがあります。彼らの曲はすべて名曲ですが、どの曲も普通の正常な精神状態で作られたようにはどうしても思えません。「原子心母」の弦楽器の奏でる主題、音符に出来るのかなあと思うくらい滑らかな音階。「ECHOS」の、精神病患者のリハビリにでも出て来そうな、瞑想状態を誘発しそうな長いイントロ。「ダークサイド・オブ・ザ・ムーン」だってそうです。事実、初期のメンバーは薬(ヤク)にラリってあちらの世界へ旅だってしまいました。
 彼らは薬の力を借りて、自分の無意識の世界と通信していたのかも知れません。もっと力のある人間なら薬の力を借りずとも、覚醒しながら自分の無意識と会話できるのかも知れません。喜びを得るのに薬を使うことは最も簡単なことです。薬がなくとも、相手がいれば同じ喜びを得る事が出来るかも知れません。相手がなくとも一人でも喜びを得る事はできるはずです。
 私は日本にいながらにして、マリファナならいいだろうとか、覚せい剤ならだめだとか主張することは出来ません。ただ出来たものはすばらしい名曲だし、作った人間やその過程を葬り去ることは出来ても、曲そのものを葬り去ることは出来ない。できたものによって、われわれは感動を受けているのだし、感動する権利を妨害することは誰にもできない、そのことを言いたかったのです。

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