松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

テレビショッピング

2015-03-26 18:59:44 | 日記・エッセイ・コラム

 韓ドラを生で見る機会が増えて、ますますCMのテレビショッピングが耳に付くようになった。なんにでもお客様に「ご」をつける。皇室の方々の報道でも、そこまで「御」は付けない。今すぐ「ご実感」下さい。お客様に「ご納得」頂いて・・・。ここまでくると、こっちが「ご不満」たらたらだ。あとダイエットに出てくる人。使用前・使用後の体型。うまく人を探すもんだと、いつも思う。まさか始めからその商品を使って痩せたと思う人はいないと思うが。だとしたら、発売の何か月も半年も前から、追跡していることになる。そんな面倒なことは、普通しないだろう。適当に結果の出た人を探しているに違いない。それでも最近では、太っていた時点で商品を持ってアピールするCMを見た。これにもカラクリはあるのだろう。例えば、ダイエットに成功した人に、契約を持ちかける。これから激太りしてくれたら、報酬を出すという・・。想像するに、時間の経過が逆なんだと思う。数か月なら、時間を前後させたところで、見た目は分からないだろう。あと成分について、こんなに入っていますよ、という意味で、3000ミリグラムとか言ってる。数字が大きいと、多いように感じる単純な人間がターゲットなんだろう。3000mgと言ったって、3gに過ぎない。これくらいなら暗算すら必要ない。しかし強烈なのを見た。22万ミリグラムというのが出てきた。あまりにバカらしく数字がでかいので、瞬時には換算できない。220gのことだ。結構な数字じゃあ、あーりませんか。プラセンタとは何のこったか知らないが、普通にグラム表示したら、普通の人はまともにビックリすると思うよ。あと、サクラのおばさん達。いちいち「うわー」とか歓声を上げる声も、冷めた目で見ると、とても白々しい。番組終了後30分以内にお電話いただくと、何と1万円引きの19,800円。商品に限りがあることを、デジタル表示して数字がどんどん減っていくのもある。あらゆる消費者心理を利用してプレッシャーをかけていく。こういうCM中毒患者は、身近にいないこともないので、その症状に関しては良く観察している。おそらくテレビショッピングが流れていること自体が、気持ちいいのだろう。

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あの世の法則・その3「ケータイとサーバーの関係」

2015-03-25 19:53:51 | 日記・エッセイ・コラム

 NHKの邪魔が入って、伝えたと思っていた所が抜けていました。ハイ、どうぞ。 

 「生きている人間」と「集合的魂」の関係は、「ケータイ」と「サーバー」に例えることができます。このケータイが一個の人間とします。これが考えたこと、メールしたこと、会話したこと、それらはすべて電磁波となってサーバーへ転送されます。だからサーバーの中にはこのケータイと同じ人格が存在します。ケータイとサーバーは同時に進化し個性を存続します。何かの拍子にケータイが壊れると、二つを結んでいた電磁波は止まり、ケータイのパーソナリティは消滅します。しかしサーバーには依然としてその人のパーソナリティが存在します。
 「この世」と「あの世」が無線通信で結ばれていること。「あの世」イコール「集合的魂」(心的現象圏という表現もある)の場であること。誰もがDNAの中に通信装置を持っていること。だからテレパシーなるものは全員が可能なのです。ただし、彼らが言うには個人対個人の直接の通信ではなくて「集合的魂」経由で全員に同じものが配信されているらしいです。意識のレベルでこれに接触することは凡人にはできません。
 我々は夢を見ます。人に語り聞かせたいくらい印象に残る夢もございます。私はひょっとすると夢の世界がこの「心的現象圏」なのではないかと思うことがあります。時間の観念がなく、死んだ人も生きてる人も平等に夢に現れますし、若返ることも可能です。昔の風景も鮮明に繰り返し現れます。この時間のない世界、時間を包括する世界は例えば机の上にひもに繋がれたハエがいるとします。これを時間を追って連続撮影すると黒い円が現れるでしょう。3次元だと黒い球になるかもしれません。これがハエのほんとの姿です。「心的現象圏」では人間の一生はこのハエのようなものなのです。ある時間で輪切りにした断面が、普段我々が目にする人間です。
 自閉症の天才児と呼ばれるスティーブン・ウィルトシャー君。風景を頭のフィルムに焼き付けることのできる人です。彼は普通の人ができない記憶庫に意識的に接触できる能力を持っているのでしょう。彼の場合、記憶の定着に睡眠が欠かせないそうです。ということは人間は寝ている間にその日の出来事を記録した原子群が定着するのになんらかの作業が必要だということを意味しているのでしょうか。その作業が「心的現象圏」との通信で、夢というのはその通信作業の、ニューロンネットワーク上の印象だとしたらおもしろいことになるんですけど。

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「あの世の法則」と「臨死体験」は矛盾しない。

2015-03-25 17:32:59 | 日記・エッセイ・コラム

 立花隆・臨死体験第1回を見た。74歳にして髪の毛真っ白だけど、まだまだお元気なようですね。で、学者さんの意見というのが真っ二つに割れている。自身が脳外科医の先生は、自分の臨死体験を本物と疑わない。だから死後の世界もあると主張する。炎症のため脳が圧迫され、血液が流れない状態の脳画像を見せる。しかし一方で別の専門家は、彼が1週間こん睡状態にあったとしても、一時的に意識の境界線上で脳が働いた可能性があると言って譲らない。死の間際に際してベッドの上から自分の横たわる姿を眺め、光のトンネルを通って、限りない安らぎの中で至高の存在に出会う。この場面は2度連載した「あの世の法則」に置き換えると次のようになる。ケータイ端末は、サーバーとの無線通信を断たれ、肉体の死が訪れる。脳内ネットワークにより維持してきた意識は働きを失い、視床下部に存在した希ガスによる通信装置と「心」は破壊される。しかし蓄積されたこの人のデータ(心)は、依然としてサーバー内で個性を保つことになる。この世とあの世を結ぶ糸が切れて、魂(心)は集合的意識に移送され、その中の一員となる。

 頑固な唯物論者に言いたいが、こん睡状態の時、病室の天井でお医者さんの顔や表情、訪問者の数と正確な会話を証言できることを、どう説明するのだろうか。目を開けて、耳から入った情報を整理していたと言うのだろうか。

 かの医師は、お花畑の向こうの亡き妹の姿を、顔から着ているものまで今でも再現できるほどだという。私の夢に出てくる人達もかなりリアルで、会話は勿論、感触まで残っていることがある。しばらく前から、夢の世界は実際にあって、それは「あの世」なんじゃないかと考えていた。しかしいちいち光の輪をくぐることはないし、死にそうになることもない。ただし走っても走っても苦しくて心臓に来て、目が覚めることはある。そのタイミングは薬の切れた時なのだ。意識して、あの世(集合的意識)と通信することはできないが、もしかすると毎晩、「無意識」が代わりに通信しているのかも知れない。

 この問題に関しては、2013年11月29日を始め、3回も書いていた。オレもしつこい性格のようだ。

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教職員人事異動を楽しむ

2015-03-25 16:22:35 | 日記・エッセイ・コラム

 めったにないことだが、日本酒で晩酌をした。例の「津月」だ。あの日、帰る早々まず四合瓶を二つ準備し、空気の入る隙間のないほど一杯に詰めてフタをしておいた。これでひとまず、この2本は封切の味を楽しめるだろう。そして残った底の1合ほどを頂いた。もうあの時ほどの感激を味わうことはできなかった。それは酸化による影響もあるし、あの場の雰囲気と違うこともあるだろう。そうやって、いつもより長くなった夕食が幸いして、ニュースで人事異動を知った。「あれ、トシちゃんじゃない?」と妻が言った。それは市内の進学校の校長だった。若くして赴任したエリートの彼氏に、最南端の学校で私より先に出会っていたのだ。妻は臨時職員の産休補助として、そこに勤めていた。数か月後、私が赴任して、今のような状況に至っていることになるのだが、トシちゃんは背も高くハンサムで、皆に可愛がられていた。今になって共通の知人のことで盛り上がれるとは思わなかった。もう一つの伝統校には、やはり南の方で官舎に入る際立ち合って、その後何かと世話になった有能な先生がご栄転された。あらゆる酒の中で、日本酒の酔い方が一番気持ちがいい。現場を離れて、客観的に見る人事異動は正直楽しかった。「えーっ、こんな、なったの?」あのね、向こうもあんたを見たらビックリするわ。これでも映りのいい写真を登録されているはずだ。自分を棚に上げて、若い頃のイメージを重ねる、身勝手な妻に代わりお詫び申し上げます。トシちゃん、ごめんなさい。

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立花隆はボケたのか?NHK臨死体験。

2015-03-24 15:22:32 | 日記・エッセイ・コラム

 きょうから3夜連続NHKBSで「死ぬとき、心はどうなるのか 立花隆“臨死体験”を追う」を放送するようだが、全く期待していない。おそらく彼は高齢のためボケが来てるか或は戦中派特有の価値観の逆転による影響から脱していないものと思われる。まだ放送していないものに断定を下すのはギャンブルだが、結果が楽しみだ。

 彼は根っからのジャーナリストで、自分の関心の持った事柄に関しては妥協を許さない。「宇宙からの帰還」は私の大事な数少ない蔵書の一つだ。宇宙空間から地球を眺めた飛行士の、その後の人生を追跡して面白い本に仕上げた。地球の周りを回っただけの飛行士と、引力圏を脱して月まで行った飛行士では悟り方が違うらしい。地球を1個の星として見た飛行士は、例外なく地球が奇跡の星に思える。そこで出会うのは神の存在だ。目にこそ見えないものの、神が近くにおられることが感じられるという。この場合も日本語でいう「神」とは多分ニュアンスが違うのだろう。唯一の存在である「創造主」という意味だ。彼らはUFOも目撃しているはずだが、そのことは一切出てこない。しかしながら、神秘体験を通して地球に帰還した彼らは例外なく、同じ人間ではなくなるという。ある飛行士は伝道者となり、別の飛行士は環境問題に積極的に取り組むようになり、また詩人になったり、世間と一切の関わりを断つ人間もいる。

 前にも立花隆は臨死体験でテレビに出ている。各国に共通の体験例始め、脳科学者が自分で体験した報告もあるが、死後の世界に関しては、彼には興味がないらしい。もっぱら自分が死の間際に際して、どうなるのか。そのことに固執する。死の間際、脳は最後に素晴らしい夢を見せてくれて、恐怖から解放してくれるのだと、考えているようだ。脳に酸素が行かなくなっても、いろいろ活動しているのだと信じたいらしい。だから私は予言する。今回もそういうつまらない結論に達するだろう。

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