松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

カローラ・クーペSR モスグリーン

2015-03-04 18:51:59 | 日記・エッセイ・コラム

 県庁に臨時でいた頃、同僚が窓際の偉い人と議論していました。同僚は絶対マニュアル車の方が加速がいいと譲らず、窓際族はいいやオートマ車の方が速いと譲りません。それなら競争しようという所までいきました。その後の展開は覚えていません。その時は私もマニュアル車の方が速いはずだと考えていました。だってオートマ車は変速する時、必ず空回りしているはずだから。短いストロークでギアを上げていくテクニックには自信があったのでしょう。手首だけでローからセカンド、セカンドからサードはジグザグなんだけど、戻る力を利用してスナップだけで送り込む。

 免許を取ったのは遅かったです。もっぱらチャリで街を流していました。車が嫌いだったのです。歩行者優先という大原則を無視し、横暴にクラクションを鳴らす怪物が。脇に来てクラクションを鳴らされると、どれほどビックリするか、その大音量はドライバーには分かりません。30が近くなって、ようやく異性との交際に車が有効だと悟って、自動車学校に通いました。ある意味、生徒に戻る快感を味わいながら。

 私にとって初代は、カローラSRでした。20万円の中古です。しかしなかなかのつわものでした。「ツインキャブ」と言って、キャブレターが二つあって、夏・冬で切り替えが付いています。初心者にとってはかなり扱いづらいエンジンでした。そのかわり加速時の音は痛快なものがありました。まわりが振り返るほど、見かけによらず豪快な音です。DOHC(ツインカム)車は「コーッ」という小気味いい音ですが、音だけはその上を行ってました。途中から「バリバリッ」みたいな。

 あの頃、ガソリンの値段なんか気にしたことはなかった気がします。ハイオクを入れたりしていましたもん。もっぱら車を選ぶ基準は、ゼロヨン加速と馬力対重量比。排気ガスの大気汚染なんか話題にも登らない、いい時代です。40年前の1970年代、あと石油は40年で枯れるだろうと言われていました。それから40年。今、石油は53年分あると言われています。えっ、どういうこと?。これはトリックでも何でもない。今現在の技術力で取り出せる石油の量が、それだけある、という意味です。これを確定埋蔵量というらしいです。確定採掘可能量だったかな。いずれこれも言葉のあやで、おそらく53年後にはまた増えているでしょう。そうなんです。ほぼ無限と言ってもいいんです。なんか心配して、損した気分です。

 エンジンの音がしないドライブなんて、楽しいですか。私は昔のほうがいいですね。ただ一つ、心残りなのが、スバルに乗らなかったことです。車検の時、代車で乗ったスバルが忘れられません。まるでプロペラ機で、空を飛んでいる気分。あれが水平対向エンジンだったんですね。昭和の「旧車」を大事に手入れして乗るのが、本当の贅沢と言えるのかも知れません。

 余談ですが、写真の子供たちは、私の隠し子ではありません。

コメント
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