松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

あの世の法則・その3「ケータイとサーバーの関係」

2015-03-25 19:53:51 | 日記・エッセイ・コラム

 NHKの邪魔が入って、伝えたと思っていた所が抜けていました。ハイ、どうぞ。 

 「生きている人間」と「集合的魂」の関係は、「ケータイ」と「サーバー」に例えることができます。このケータイが一個の人間とします。これが考えたこと、メールしたこと、会話したこと、それらはすべて電磁波となってサーバーへ転送されます。だからサーバーの中にはこのケータイと同じ人格が存在します。ケータイとサーバーは同時に進化し個性を存続します。何かの拍子にケータイが壊れると、二つを結んでいた電磁波は止まり、ケータイのパーソナリティは消滅します。しかしサーバーには依然としてその人のパーソナリティが存在します。
 「この世」と「あの世」が無線通信で結ばれていること。「あの世」イコール「集合的魂」(心的現象圏という表現もある)の場であること。誰もがDNAの中に通信装置を持っていること。だからテレパシーなるものは全員が可能なのです。ただし、彼らが言うには個人対個人の直接の通信ではなくて「集合的魂」経由で全員に同じものが配信されているらしいです。意識のレベルでこれに接触することは凡人にはできません。
 我々は夢を見ます。人に語り聞かせたいくらい印象に残る夢もございます。私はひょっとすると夢の世界がこの「心的現象圏」なのではないかと思うことがあります。時間の観念がなく、死んだ人も生きてる人も平等に夢に現れますし、若返ることも可能です。昔の風景も鮮明に繰り返し現れます。この時間のない世界、時間を包括する世界は例えば机の上にひもに繋がれたハエがいるとします。これを時間を追って連続撮影すると黒い円が現れるでしょう。3次元だと黒い球になるかもしれません。これがハエのほんとの姿です。「心的現象圏」では人間の一生はこのハエのようなものなのです。ある時間で輪切りにした断面が、普段我々が目にする人間です。
 自閉症の天才児と呼ばれるスティーブン・ウィルトシャー君。風景を頭のフィルムに焼き付けることのできる人です。彼は普通の人ができない記憶庫に意識的に接触できる能力を持っているのでしょう。彼の場合、記憶の定着に睡眠が欠かせないそうです。ということは人間は寝ている間にその日の出来事を記録した原子群が定着するのになんらかの作業が必要だということを意味しているのでしょうか。その作業が「心的現象圏」との通信で、夢というのはその通信作業の、ニューロンネットワーク上の印象だとしたらおもしろいことになるんですけど。

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「あの世の法則」と「臨死体験」は矛盾しない。

2015-03-25 17:32:59 | 日記・エッセイ・コラム

 立花隆・臨死体験第1回を見た。74歳にして髪の毛真っ白だけど、まだまだお元気なようですね。で、学者さんの意見というのが真っ二つに割れている。自身が脳外科医の先生は、自分の臨死体験を本物と疑わない。だから死後の世界もあると主張する。炎症のため脳が圧迫され、血液が流れない状態の脳画像を見せる。しかし一方で別の専門家は、彼が1週間こん睡状態にあったとしても、一時的に意識の境界線上で脳が働いた可能性があると言って譲らない。死の間際に際してベッドの上から自分の横たわる姿を眺め、光のトンネルを通って、限りない安らぎの中で至高の存在に出会う。この場面は2度連載した「あの世の法則」に置き換えると次のようになる。ケータイ端末は、サーバーとの無線通信を断たれ、肉体の死が訪れる。脳内ネットワークにより維持してきた意識は働きを失い、視床下部に存在した希ガスによる通信装置と「心」は破壊される。しかし蓄積されたこの人のデータ(心)は、依然としてサーバー内で個性を保つことになる。この世とあの世を結ぶ糸が切れて、魂(心)は集合的意識に移送され、その中の一員となる。

 頑固な唯物論者に言いたいが、こん睡状態の時、病室の天井でお医者さんの顔や表情、訪問者の数と正確な会話を証言できることを、どう説明するのだろうか。目を開けて、耳から入った情報を整理していたと言うのだろうか。

 かの医師は、お花畑の向こうの亡き妹の姿を、顔から着ているものまで今でも再現できるほどだという。私の夢に出てくる人達もかなりリアルで、会話は勿論、感触まで残っていることがある。しばらく前から、夢の世界は実際にあって、それは「あの世」なんじゃないかと考えていた。しかしいちいち光の輪をくぐることはないし、死にそうになることもない。ただし走っても走っても苦しくて心臓に来て、目が覚めることはある。そのタイミングは薬の切れた時なのだ。意識して、あの世(集合的意識)と通信することはできないが、もしかすると毎晩、「無意識」が代わりに通信しているのかも知れない。

 この問題に関しては、2013年11月29日を始め、3回も書いていた。オレもしつこい性格のようだ。

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教職員人事異動を楽しむ

2015-03-25 16:22:35 | 日記・エッセイ・コラム

 めったにないことだが、日本酒で晩酌をした。例の「津月」だ。あの日、帰る早々まず四合瓶を二つ準備し、空気の入る隙間のないほど一杯に詰めてフタをしておいた。これでひとまず、この2本は封切の味を楽しめるだろう。そして残った底の1合ほどを頂いた。もうあの時ほどの感激を味わうことはできなかった。それは酸化による影響もあるし、あの場の雰囲気と違うこともあるだろう。そうやって、いつもより長くなった夕食が幸いして、ニュースで人事異動を知った。「あれ、トシちゃんじゃない?」と妻が言った。それは市内の進学校の校長だった。若くして赴任したエリートの彼氏に、最南端の学校で私より先に出会っていたのだ。妻は臨時職員の産休補助として、そこに勤めていた。数か月後、私が赴任して、今のような状況に至っていることになるのだが、トシちゃんは背も高くハンサムで、皆に可愛がられていた。今になって共通の知人のことで盛り上がれるとは思わなかった。もう一つの伝統校には、やはり南の方で官舎に入る際立ち合って、その後何かと世話になった有能な先生がご栄転された。あらゆる酒の中で、日本酒の酔い方が一番気持ちがいい。現場を離れて、客観的に見る人事異動は正直楽しかった。「えーっ、こんな、なったの?」あのね、向こうもあんたを見たらビックリするわ。これでも映りのいい写真を登録されているはずだ。自分を棚に上げて、若い頃のイメージを重ねる、身勝手な妻に代わりお詫び申し上げます。トシちゃん、ごめんなさい。

コメント (4)
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