立花隆・臨死体験第1回を見た。74歳にして髪の毛真っ白だけど、まだまだお元気なようですね。で、学者さんの意見というのが真っ二つに割れている。自身が脳外科医の先生は、自分の臨死体験を本物と疑わない。だから死後の世界もあると主張する。炎症のため脳が圧迫され、血液が流れない状態の脳画像を見せる。しかし一方で別の専門家は、彼が1週間こん睡状態にあったとしても、一時的に意識の境界線上で脳が働いた可能性があると言って譲らない。死の間際に際してベッドの上から自分の横たわる姿を眺め、光のトンネルを通って、限りない安らぎの中で至高の存在に出会う。この場面は2度連載した「あの世の法則」に置き換えると次のようになる。ケータイ端末は、サーバーとの無線通信を断たれ、肉体の死が訪れる。脳内ネットワークにより維持してきた意識は働きを失い、視床下部に存在した希ガスによる通信装置と「心」は破壊される。しかし蓄積されたこの人のデータ(心)は、依然としてサーバー内で個性を保つことになる。この世とあの世を結ぶ糸が切れて、魂(心)は集合的意識に移送され、その中の一員となる。
頑固な唯物論者に言いたいが、こん睡状態の時、病室の天井でお医者さんの顔や表情、訪問者の数と正確な会話を証言できることを、どう説明するのだろうか。目を開けて、耳から入った情報を整理していたと言うのだろうか。
かの医師は、お花畑の向こうの亡き妹の姿を、顔から着ているものまで今でも再現できるほどだという。私の夢に出てくる人達もかなりリアルで、会話は勿論、感触まで残っていることがある。しばらく前から、夢の世界は実際にあって、それは「あの世」なんじゃないかと考えていた。しかしいちいち光の輪をくぐることはないし、死にそうになることもない。ただし走っても走っても苦しくて心臓に来て、目が覚めることはある。そのタイミングは薬の切れた時なのだ。意識して、あの世(集合的意識)と通信することはできないが、もしかすると毎晩、「無意識」が代わりに通信しているのかも知れない。
この問題に関しては、2013年11月29日を始め、3回も書いていた。オレもしつこい性格のようだ。
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