松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

かぐや姫の、ほんとうの物語。

2015-03-14 11:48:03 | 日記・エッセイ・コラム

 「かぐや姫の物語」ご覧になりましたか。かぐや姫の帰る月の世界が、インド仏教の影響を受けていたとは、意外でした。あと気になったのは、アニメとは言え「口の中」の表現がいまいちだったことですね。だから、口を開いた時の顔が何か不自然な印象を受けました。それ以外は力作だと思います。動的表現が、新しい境地を開拓しましたね。基本に物語が頭に入ってないと、ストーリーを楽しめないかも知れません。ということで、再掲載でございます。
 

 この竹取物語というヤツはコレ全編、洒落のオンパレードだったんですね。驚きです。特に5人の色男が登場して、かぐや姫の求婚者として名乗りを上げ、見事ソデにされる場面は圧巻の一語に尽きますです。さて昨今、色男と言えば「エロじじい」となんら変わらない扱いを受けておりますが、当時は違います。「色好みと言はるるかぎり五人」これは「恋の情趣を知る、粋人といわれた人ばかり五人」とあります。ま、プロフェッショナルな大人の恋を知っている方のことでしょうか。その五人とは、石作りの皇子、車持(くらもち)の皇子、左大臣阿倍のみむらじ、大納言大伴の御行(みゆき)、中納言石上(いそのかみ)の麻呂。この人々なりけり。
 さて、この地位も財力もある5人がしつこく言い寄るわけですね。かぐや姫は成人になったとは言え、あちらの方の天上の姫なわけですから、相手にするはずもございません。無理難題を押しつけて、これを持ってきたらお付き合いしてさしあげましょう、と言うわけです。例えば車持の皇子には「東の海に蓬莱といふ山あるなり。それに白銀(しろがね)を根とし、黄金(こがね)を茎とし、白き玉を実として立てる木あり。それ一枝折りて賜はらむ。」と言うわけス。と言われた方はそんなもんあるかいなと思いつつも、永い航海に行ったふりして鍛冶屋に作らせるわけス。出来上がるとすぐ長旅からさも今帰ったという顔してかぐや姫に献上します。すると自分も見たことないし、本物かも、といったんは覚悟を決める姫なのでした。翁は翁で早くも寝床のしたくをしたりなんかするわけです。死ぬほど難儀した旅の話をしているところへ作った本人たち鍛冶屋が6人現れ、俺達を食うも食わせず千日あまりも働かせといてそのお手当がまだなんですけど、と訴えるわけです。かぐや姫は冷静に歌を詠んで返します。「まことかと 聞きて見つれば言の葉を かざれる玉の枝(え)にぞありける」教養のある皆さんに解釈を申しあげるのは誠に僭越ではございますが、あんまりよく出来てるもんで『ほんとうかと思って良く見てみると、白い玉の代わりに言葉を飾ったいつわりの玉の枝であったのですね。』この物語を作った人は相当の歌人でもあるようです。
 次の犠牲者どうぞ。はい右大臣阿倍のみむらじでございますね。あなたは「火鼠の皮衣(ひねずみのかはぎぬ)」を持ってらっしゃい。という訳で火鼠ですから絶対燃えない皮衣なわけです。これも人に必要な金をやって探しに行かせます。唐の国まで行かせます。そして早馬を走らせ九州から7日間で京まで帰ってきます。その皮衣は美しい瑠璃を散りばめた箱の中に入っており、紺青色をしていて毛の先には金の光がさしてきらきらと輝いています。火に焼けないことよりも、まずその美しさが全く無類のものでした。右大臣は箱に、詠んだ歌をしたため、かぐや姫に差し出します。「限りなき思ひに焼けぬ皮ごろも 袂(たもと)かわきて今日こそは着め」適当に訳して下さい。この熱い思いにも焼けない、と言うところがミソです。右大臣はようやく探し求めた品物だけに、姫が火に焼いてみてから、というのに対して渋ります。「さは申すとも、はや焼きて見給へ。」といへば、火の中にうちくべて焼かせ給ふに、めらめらと焼けぬ。当時の人も笑ったでしょうね、この文章見て。ここ絶対笑い転げるところですよ。ほんとに原文「めらめらと」と書いてあるんスから。ここで姫少しも騒がず、カラになった箱に歌を詠んで返します。「なごりなく燃ゆと知りせば皮ごろも 思ひの外におきて見ましを」『こんなにあとかたもなく燃えてしまうと知っていましたなら、よけいな心配はせずに鑑賞しましたものを』人々は噂をしました。どうだったんだ、姫に逢えたのか逢えなかったのか。この時から世間では目的を達しないことを「あへなし」といったそうな。
 お次の方、中納言石上の麻呂さんですね。この人もえらい目に遭います。この方の宿題は「燕(つばくらめ)の小安貝」なんでも燕が卵を産む時に出すもので、人がちょっとでも見ると消えてしまうものだ、そうです。部下の申すには、大炊寮(おおいづかさ)の天井の穴にたくさん燕の巣があるということで、そこにねらいを定めます。今で言えば厨房でしょうか。そこで毎夜、目の荒いかごに家来一人をのせて釣り上げ燕の巣に手を突っ込んで探らせますが、いっこうに成果が上がりません。いらいらした中納言は自ら上って探ります。これが合図だというツバメが尾を上げしきりに回るので、急いで手を入れて探ると平たいものがさわったので「あったぞ、すぐおろせ」と号令をかけた途端、綱を勢い良く引きすぎてぶっつり切れ、大釜の上に「のけざまに落ち給へり。」この、のんびりした口調がなんとも言えません。釜がまさか炊いている最中ではなかったでしょうがえらいことに変わりありません。「御目は白目(しらめ)にて臥し給へり。人々水をすくひ入れ奉る。からうじて息い出給へる」苦しくて腰も動かないが小安貝をつかみ取ったうれしさが先に立ち、あかりを持ってこいと「御髪(みぐし)もたげて御手(みて)をひろげ給へるに、燕のまり置ける古糞(ふるくそ)を握り給へるなりけり。」ほんとに書いてあるんスから。古糞って。それを握りたまえるなりけり、なんと優雅な表現形なことでございましょう。下品な下ネタをこれほど上品に表現した文学がはたしてあったでせうか。プライドも地位もある貴族にこともあろうに「くそ」を握らせるという、この落差。著者は十分に計算していたでしょうね。大した人物です。こういうセンスのある、歌も読める人って平安時代にどれだけいたんでしょうね。下ネタというのは古今東西、ウイットに富んだ作品には欠かせない重要なファクターであったのですね。さてそれを見て中納言が「あな、かひなのわざや。」『ああ、かい(貝)のないことだ』とおっしゃったことから、世間では予想どおりにならないことを「かいなし」とはいひける。
 
 解説:富士山にまつわるダジャレについて。
 5人の貴公子を袖にしたあと、帝の耳に入り、それほどの人なら会ってみたい、となるわけです。宮中に宮仕えすれば官位を授けると翁を通じて伝えるのですが「私はそんな器量のよい女ではありません」と断り続けます。ある日、狩りに行くふうを装いかぐや姫に会うことができるのですが、まじ、一目惚れしてしまいます。袖を引いて連れ帰ろうとすると「きと影になりぬ」ふっと消えてしまったのです。分かった、無理はすまい、と言うと元に戻ったそうな。それから文通が始まります。三年ほど文通します。(長い!)その頃から夜な夜な月を見てはため息をつくようになるのですが、あとは皆さんご存じのとおり迎えのUFOがやってきて、家来たちは金縛りに遭い、姫は月に帰って行くのですが、天の羽衣を着ると今までの事を全部忘れてしまうという定めですので、姫はしばし待たせて帝のために手紙をしたためます。それを不死の薬とともに帝にお渡しします。その日以来ボーッとしていた帝ですが、思い立ち、私を一番天に近い山に連れて行ってくれ、と言って大勢の兵士を連れて登り、その山の頂上で手紙と壺を燃やします。姫がいないのなら、不死になったとて何の意味があろう、というわけです。 それ以来、この山を「不死の山」・・「ふじの山」・・「富士山」となったもんで。しかも手紙を燃やした煙は今でもまだ、雲の中へ立ち昇っていると伝えられる。とまあ、こういうわけですわ。当時は富士山から噴煙が上がっていたらしいです。
 こんなものを900年代の始めに作られたんじゃ、たまりません。しかもこれが現存する最古の、かな文字を使った物語です。たいしたSFコミカル小説家がいたもんです。

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