松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

ミスユニバース秋田代表

2014-11-26 17:41:00 | 日記・エッセイ・コラム

 縁があって、10人の中に残ったうちの一人を、心の中で応援していた。そしたら今日の新聞を見て思わず「やったね、しおりちゃん」。トイレで叫んだ声を聞いた妻が、目覚ましの鳴る前に起きてきた。

 しおりちゃんのお母さんは町内でお店をやっていて、オレは行く用事があるので、そのタイミングを見ていたのだった。ちょうど駅前の藤原氏が「号外」を作って持ってきたところだった。いい絵だった。きのうのプログラムから取って伸ばした写真と新聞記事のコラボだった。母上は昨夜相当お祝いしたようで、何だか全身こころもとなかった。まだ夢の途中のように仕事に集中できない。かなり飲んだのだが、酒が効かなかったそうだ。まだ残っているに違いない。いとこという女性が来て、ゆうべ一緒だった友達がきて、近所の人がお祝いに顔を出して、そう、朝一番に誰かが張り紙をしていったのだった。それは入口にフリーハンドで書かれたもので、チラシの裏を使ったような粗末な「おめでとう」だったが店主は気に入って貼ったままにしている。そのうち立派な花束は届く、コチョウランのでっかい鉢は届く、まったくこんな現場に居合わせるとは、いい日にお客として来たもんだ。しかしまだアルコールの残っている友達は、一向に帰る気配がなく、時折店主のスマホを覗いては仕事の邪魔をする。まあこのくらい、想像の範囲内だったので楽しくお付き合いしたのだった。長くなった分、ご本人に会えた。ゆっくり休んで、遅い昼飯を食べようと起きてきたところだ。その前に、ひと騒動あったのだ。しおりちゃんが北海道のおじいちゃんに知らせようと電話したところ、反対に悪い知らせが入ったのだった。おじいちゃんの具合が悪いらしい。泣きながらママに知らせてきた。だからマスク越しの声は、かすれて力がなかった。ママには予感があったらしく動揺することなくなぐさめていた。いろんなことが、起こりすぎる。だんだんお母さんも実感がわいてきたらしい。色々地域の皆さんからお祝いされて、「私、どうやってお返しすればいい?」「歌うか?」「踊るか?」「脱ぐか?」

 それだけはやめて。こういう冗談も言えるママだから、気の利いた子が産まれるのだろう。しおりちゃんは、初めてこういうことにチャレンジして、人が経験できないことを経て、周りがびっくりするほど成長した。これからもこの小さな町を、明るく照らす希望の星でいてほしい。

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ニュースな晩餐会に見るUFOの存在感

2014-11-25 17:04:16 | 日記・エッセイ・コラム

 先日、最新のUFO映像を5個くらい持ってきて、映像解析の専門家と、CGクリエイターが真偽のほどを分析する番組を見ました。この二人は、解析するまでもなく、1個を除いて作り物だと見抜いていました。残る1個は本物かも知れないということでした。そんなことはどっちでも構いませんが、伊集院光の態度が気になりました。彼の世界は狭いようですね。この奇跡の星が、いかに確率の低いものであるかを力説していました。だから文明は地球にしかない、ということらしいです。確かにUFOイコール宇宙人がいる、という論法には私も賛成しかねます。はるか遠いところから、始終やってくる意味はないでしょうし、もしかすると地球人が作って操縦している可能性もあるし、地球内部のプラズマから守られた星アルザルから来ているのかも知れません。そこで、2002年に書いた文章を掲載します。私の教科書にあるUFOは、こんなんです。

                   世界はこうしてだまされた

 紅白の裏番組で「ビートたけしの世界はこうしてだまされた」というのがありました。ビロ~ンと長くなった紅白に途中飽きて、チャンネル回した方もおいででしょう。主旨からいって、すべての超能力、UFO、UMA、予言、これを否定する番組でした。最後の議論はいつもながらめちゃくちゃでした。中でも野坂昭如は何のために来ているんでしょう。どーもおねえちゃんが目当てらしいです。今回はこまどり姉妹でした。違うって、そう叶姉妹でしたね。彼はもう暴言吐き放題「だまれ、お前は!」議論の前提となる相手の説明にすら参加しようとせず、それなら今年起こることを予言してみろ、といった具合です。ノストラダムスの予言は起こったあとで、ああそうかと解るということで有名になったのであって、その謎解きのおもしろさが自称解読者の興味をそそるのでしょう。人相から言っても真剣さから言っても肯定派の態度に同情を禁じ得ません。肯定派とはロマン派、韮崎潤一郎(たま出版)、ロマン派長老、実吉達郎(動物研究家)らです。松尾貴史は野坂と同じで、はなから聞く気がありません。固定観念に凝り固まっているのはヤツらに違いありません。そこで最大限譲歩しましょう。UFOはどうです。ベルギーの空軍が記者会見まで開いて謎の飛行物体の実在を肯定し、スクランブル発進で追跡した戦闘機の様子も図面で説明してました。1秒で時速280キロから930キロに急加速したら中の人間は耐えられないだろうと言ってます。その飛行物体は三角UFOでしたが、彼ら否定派は、円盤の形もおかしい、なんで飛びにくいまあるい形をしているのか、それがそもそもおかしい。という具合です。私が持っている「教科書」によると、宇宙船の中の居住空間はゼリー状の物質で満たされていて、あたかも羊水の中に浮かんでいるように快適なそうです。宇宙服の上からですけどね。その宇宙服も静電気の作用で肌に密着しないようにできているそうです。あとはバーチャルリアリティで説明したとおり本物と見分けがつかない風景が眼前に広がっています。風景でも人物でも彼女でも。そのゼリー状物質は状況によって硬くも柔らかくもなり中の人間を保護するのです。機体に係る応力を軽減する効果もあります。しかも加速時に急激にGがかかるということもありません。瞬時に加速し惰性で航行し、また瞬間的に加速する。これをスムーズ且つ素早く行うので、中の人間に影響はないのです。それとまあるい形は周りのイオン化した空気の流れを制御するために電極をベルト状に配置すると必然的にまあるくなるのです。周りの空気を完璧にコントロールできたら何も流線型などにこだわる必要もないでしょう。しかも進行方向の空気を圧縮しないから衝撃波の発生も押さえることができるし後ろに乱流を発生させることもないのです。これは例えれば水中を泳ぐゾウリムシに似ています。ゾウリムシの表面の無数の繊毛は航跡を残すことなくスイスイ進むはずです。つまり日本の電磁力推進船「大和」のノズルを機体の中ではなく外に出したわけです。飛行機が飛べるのは翼の上と下で空気の流れを変えることで揚力を発生させているのであって、同じことを円盤は周りのどこでも発生させることができる、というだけです。また空中だけでなく海中を進むこともできます。もともと海水中にはイオンの状態で物質が存在してますから。それに岩石をもイオン化して山に潜ることも可能だそうです。MHD推進による(磁気流体力学に基づいた)飛び方の説明でした。このほか裏宇宙を行き来する方法もあります。余談ですが宇宙船の中の居住空間は二重構造になっていて、中心の柱を軸にゆっくりと回転しています。すると遠心力が生まれ、その方向を下に、軸を上に感じることになります。これで一応外部から見れば真横ではあるけど安定した重力を感じることができます。問題なのは回転半径が小さいためにコリオリの力の影響を受ける三半規管と視覚情報との矛盾から肉体的に非常な不快感を感じるので、内耳に外科手術でインプラントを埋め込み不快感を解消しているそうです。
よく丸い窓が回転しているのを見た、と言う証言が出てきますが、あれは電極から発生したプラズマの光だそうです。宇宙船の外殻は精巧なあらゆるセンサーも兼ねていて何も透明な窓がなくともどの方向も意のままに見ることができるし、外界の成分分析も可能です。
 宇宙船が故障して落っこちるなんてことはまず起こり得ないと彼らは断言します。それは異なる3系統のコントロールシステムがあるからです。1番目は光ファイバーによって。2番目は原子の磁力共振を利用したもの。3番目は重力波によるもの。このうち地球人は1番目をようやく実用化した段階です。電子回路はもちろん強い電磁場発生のため使用に耐えません。

長すぎてごめんなさい。きょうの講義はここまで。

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二度目の「あなたへ」

2014-11-24 08:45:00 | 映画

 同じ映画を立て続けに見た。しかし同じ映画とは思えないほど動揺した。一度目は、賞を取ったという視点から、凄い場面があるんだろうと半ばそういう先入観から見ていた。だから、物語がただ淡々と進んでいった。(ように見えた)

 しかし今回は高倉健という人格を、じっくり観察した。「人を想う心」それが人間高倉健の生き方だし、この作品の神髄だろう。健さんは、言葉の数以上に多くのことを語る、まあ皆役者はそうなんだが、セリフを切り出す前の「間」と「表情」がまさしく何かを物語っている、稀有な役者だと思う。だからそれをいつくしむように、一場面、一場面を鑑賞した。すると何だか分からないが、目尻からじわーっと、水が染み出てくるのだった。ずーっと拭い、拭い、見ていた。散骨したいと漁船を探す場面で、漁協から、漁師からやんわり断られる。この時の若い二人の言葉が、逆にこの作品のテーマを浮き上がらせる。今までの旅で、亡き妻との想い出で、相手を想う気持ちの深さを味わってきたところで、まったく反対の言葉が出てくる。「こんままじゃ、薄香の漁師は薄情だってことになるばい」この対比によって、人情が深みを増す。

  最後の健さんのセリフ。「きょう自分は、鳩になりました。」どっぱーっ。水分を補給しなくっちゃ。

 ここは、払田の柵。旧仙北町と旧千畑町にまたがる、平安時代の遺跡。

建物がないせいか、ただただ広い。1370m×780m。都会の皆さんに分かりやすく

説明すると、東京ドームの18倍くらい。人がいるんですが、見えますか。

 ここですよ、ここ。

 ほらね。AKTのアナウンサーだった鈴木陽悦氏に似ていた。彼はクロマンタの発掘調査の

時、一緒に取材に同行してインタビューし、「興味深いデータ」を目撃した

ラッキーな人間の一人だ。

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飛騨の匠(たくみ)作、大曲古四王神社。

2014-11-23 17:33:11 | まち歩き

 その社(やしろ)は、大型ショッピングモールのあるバイパスから、田んぼに向かって360mの場所にあった。

 戦乱に明け暮れた室町末期、信長の台頭してきた1570年建立。飛騨から来た工匠が建てたと、伝えられる。

 このプロポーション。2.5m四方の母屋に対して、大きすぎる屋根。そして特徴的な、2本の並行線が交わった、襷桟(たすきざん)。

 普通のプロポーションでも、屋根の反り返りを維持するために、かなりの複雑な軒の組み物を必要とする。これは一種の「てこの原理」だ。支点、力点、作用点。見えない内側に軒の垂木(たるき)を支える秘密がある。しかしこれは完全にやり過ぎ。匠中の匠(たくみ)だからこその成せるワザだ。

 昔、京の都にプロの集団がいた。「飛騨の匠」と呼ばれた。それが昭和5年、古四王神社の解体修理で、墨書きの名前が出てきた。それは「古川村、甚兵衛」と読めた。岐阜の方でも語り継がれる名工がいた。古川村の五社神社を建てた匠は、請われて越後へ行き、さらに出羽の国へ入った。ここで1本の線が繋がったが、名前を特定するまでは至らなかった。

 そして今、古川町に屋号が「甚兵衛」と言われる家が1軒存在する。今は途絶えたが、昭和20年に戦死した甚兵衛さんまでは、代々甚兵衛を名乗る匠であったことが分かった。やはり飛騨の匠の中の匠は秋田に来ていた。

 建築家にして建築史家の伊藤忠太(1867~1954)という人物がいる。彼はこの神社を見て次のように言った。「手法、放縦、磊落、端倪スベカラズ。実に奇中の奇、珍中の珍ト称スベキナリ」まあ現代語に訳すと、自由奔放、想像を超えていて・・・というところでしょう。この番組の案内役が壇蜜で、だから行ったのですが、檀蜜はおらず代わりに私のような珍品好きがチラホラ途絶えることなく見学に見えていました。

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クロマンタに登る。

2014-11-22 07:39:51 | まち歩き

 黒又山をナビに登録するのは容易でないから、ストーンサークルを目印にする。

同じ道路上にあるし、距離も3km弱と近い。

 この組石は私には日時計にしか見えない。ちなみに今12時。

   

 これと同じ石が、黒又山頂上の神社の礎石に使われている。

 鳥居をくぐって、参道を登る。脇に4~5台駐車できる空地がある。

杉の木立の中に、立派な松が時折あるのだが、この松は、杉に対抗するかの

ように、まっすぐに伸びている。

 足元の緑がかった石を丹念に見ながら登る。何かの意味が込められていないか

考える。この山は、日本環太平洋学会の調査を22年前に受けていて、ピラミッドとして

認定されている。その根拠はいろいろあるが、斜面の一部を切り開いて行った

地中レーダー探査の結果、テラス(階段)状構造が認められた。つまり人工的に

8段ほどのピラミッドに成型されたと考えられる。このタイプは中南米によく見られる。

 若い木々の多い、探査に使われたと思われる斜面。山の傾斜が良く分かる。

 山頂に鎮座する本宮神社。この礎石に使われた石が、ストーンサークルと

形も大きさも質も、同じものだ。そして中の「かまど」も同じ石で組まれている。

この地面も地中探査の結果、何層ものサークルがあることが分かった。

つまり、山頂に存在したストーンサークルの石が、神社建立の際、使用された

可能性がある。そして驚くべきことに、地下15~20センチ表層を剥ぐと、縄文土器

が現れた。ほとんど続縄文期のものだったが、中には縄文晩期のものがあった。

これは4000年前に既に造られていたことを意味する。少なくともその頃から

何かが行われていたことは、間違いない。

 その他、GPSで東西南北に正確に神社が配置されていることとか、線刻石が

見つかったこととか、謎は多い。中でも頂上から吹き出すように見える何らかの

発光現象は、鳥谷幡山が書いた絵でも注目された。本人がわざわざ「突如、光芒が

山頂に現れる」と注釈を付けている。また、同じものを調査隊のメンバーも目撃

している。

 私には、神社の屋根が「キャップストーン」に見えて仕方がない。

この聖地から、何らの変わった啓示は受けなかったが、

いつもは、長距離を走ったあとに、腰に来るのが、

きのうに限っては、なかった。

 

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