縁があって、10人の中に残ったうちの一人を、心の中で応援していた。そしたら今日の新聞を見て思わず「やったね、しおりちゃん」。トイレで叫んだ声を聞いた妻が、目覚ましの鳴る前に起きてきた。
しおりちゃんのお母さんは町内でお店をやっていて、オレは行く用事があるので、そのタイミングを見ていたのだった。ちょうど駅前の藤原氏が「号外」を作って持ってきたところだった。いい絵だった。きのうのプログラムから取って伸ばした写真と新聞記事のコラボだった。母上は昨夜相当お祝いしたようで、何だか全身こころもとなかった。まだ夢の途中のように仕事に集中できない。かなり飲んだのだが、酒が効かなかったそうだ。まだ残っているに違いない。いとこという女性が来て、ゆうべ一緒だった友達がきて、近所の人がお祝いに顔を出して、そう、朝一番に誰かが張り紙をしていったのだった。それは入口にフリーハンドで書かれたもので、チラシの裏を使ったような粗末な「おめでとう」だったが店主は気に入って貼ったままにしている。そのうち立派な花束は届く、コチョウランのでっかい鉢は届く、まったくこんな現場に居合わせるとは、いい日にお客として来たもんだ。しかしまだアルコールの残っている友達は、一向に帰る気配がなく、時折店主のスマホを覗いては仕事の邪魔をする。まあこのくらい、想像の範囲内だったので楽しくお付き合いしたのだった。長くなった分、ご本人に会えた。ゆっくり休んで、遅い昼飯を食べようと起きてきたところだ。その前に、ひと騒動あったのだ。しおりちゃんが北海道のおじいちゃんに知らせようと電話したところ、反対に悪い知らせが入ったのだった。おじいちゃんの具合が悪いらしい。泣きながらママに知らせてきた。だからマスク越しの声は、かすれて力がなかった。ママには予感があったらしく動揺することなくなぐさめていた。いろんなことが、起こりすぎる。だんだんお母さんも実感がわいてきたらしい。色々地域の皆さんからお祝いされて、「私、どうやってお返しすればいい?」「歌うか?」「踊るか?」「脱ぐか?」
それだけはやめて。こういう冗談も言えるママだから、気の利いた子が産まれるのだろう。しおりちゃんは、初めてこういうことにチャレンジして、人が経験できないことを経て、周りがびっくりするほど成長した。これからもこの小さな町を、明るく照らす希望の星でいてほしい。