田んぼの中の小さな踏切をやってきた、ばばちゃが話しかけてきた。「写真こ、撮ってるなぎゃ」「んだ、今日は天気も最高だし、あしたから荒れるがらな」ここは大久保だが、秋田港に入るフェリーの汽笛も聞こえるそうだ。軽く10kmはある距離だ。SLというやつも、かなり前から汽笛が聞こえる。何もない静かな田園だし、八郎潟の周りは平坦だ。羽後飯塚どころか井川さくら駅あたりから聞こえる。もしかすると煙はもっと前、八郎潟駅のあたりから見えたようだ。まだ、汽笛も聞こえない距離だった。
別の日、別の小さなやはり踏切の前だった。1時間以上前から立って待っている、じさまがいた。ここを通る時間は、きっちり分かっていて、来る人ごとに、その時間を教えていた。あの日は浜風のきつい、寒い日だった。「さむぐ、ねすか」と聞くと「ん、ちょとさびな」といいながらなおも頑張るのだった。
追分駅のホームでは、大きなレンズを構えた撮り鉄か報道らしき人たちがいて、それぞれ自分のポジションを探す。誰も相手の構図が読めるから、視界に入らないような距離を保って、めいめい場所を取る。あうんの呼吸と、いうやつだ。近づいたらガンを飛ばすだろうし、それを相手も分かるだろうが、そんな場面は無かった。列車が行くと、解散するわけだが、なんだか自分は、撮り鉄というより、ひやかしに近いが(持っているカメラから見て)それでも皆それぞれ安心して帰る、奇妙な一体感を感じた。言葉を交わさないのに、同じものを共有している、という気分なのかも知れない。
汽車の窓から手を振る人、それぞれの家から見送る人、沿線で待つ人。駅まで出向いてパフォーマンスする、園児、小学生、引率者、踊り手、竿燈。一大行事だったんだなあと、終わった今、深く回顧している。