松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

2014-10-16 09:57:51 | 日記・エッセイ・コラム

きょうは、SL秋田路号の試乗会の日。園児たちが旗を持って待っている。大人たちに囲まれて

見えないか。寒いので家から写した。エンブレムは本番まで取っておくらしい。

ほとんど乗客全員が窓の外を見ているから、一度手を振ると向こうも気が付いて、結局車両

全部に笑顔で手を振ることになる。最後の車両にナマハゲが乗っていた。あれは傑作だったなあ。

                            夢

 こんな夢を見た。それは多分、選挙カーのようなものに乗っていた。しかし名前を連呼する代わりに、DJ風の陽気な男が軽快な音楽を鳴らしながら、通り沿いの美容店か理容店にいきなり入っていく。そしてマイクを向けてインタビューするのだ。「体が震える時って、どんな時?」この時、ボクの頭の中では彼女の考えが分かった。つまり完全にリンクしているのだ。だからいけないことを最初に想像したのが見えた。いけないとはつまりエッチなという意味だ。その考えを払いのけ、「寒い時」と答える。そこで目が覚めた。私は一晩に数回目が覚める。それは薬が6時間しか持たないせいだ。苦しくって大概目が覚める。今、ヤクを打ったところだ。人よりだから多く夢を見る。しかも目が覚めるたび、ほとんど夢を見ている。寝ている間中、何かの夢を見ているように思う。人はそれは瞬間のことだという。私はそうじゃないと思う。これが記憶の定着に必要な作業だとしたら、きのう経験した何と、いったい関係があるというのか。目が覚めて思った。オレにこんな粋なドラマは作れない。そんな想像力はない。それとも垣根が取り払われた状態では、普通にファンタスティックな映像が撮れるのか。自分ではそうも思わない。きっと何かの通信手段が、存在しているに違いない。と思う。

 文章を振り返って、これは夢全体を表していないことに気が付いた。もちろんそうだ。文字が、経験そのものではない。あの夢には全体を支配するムードというべきものがあった。それはとてもやさしい、悪人のいない、理想的な環境だった。全員が幸せを共有できる、そんな世界だった。

 もう一つ付け加えるならば、フロイトの夢判断は、すべてそうだとは言わないが、正しいと思う。無意識の欲求が具体化して現れるのが夢だ。だから自分の見たものを披露するのに、恥ずかしいとは思わない。それは誰でもあり得ることだと思うからだ。

コメント
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