明治11年の初夏から夏にかけ、英国人女性のイザベラ・バードは単身で横浜から北海道を目指して北上する。18才のイトウを通訳として雇い、もっぱら人力車と馬、時には牛で旅をする。
西洋人の泊まるホテル(民宿)があったのは日光ぐらい。あとは旅館だから、障子にふすま。どこへ行っても破れたすき間から好奇の目が覗いてくるので、休んだ気がしない。おまけにノミや蚊に苦しめられる。
日本人の印象は決して良くない。背は低いし、足はガニ股、身なりは汚い。ある時、子供が魚の骨をのどに突き刺し泣き叫ぶので、母親が抱いたままオロオロしていた。のどを見ようともしないので、どれと覗いたら骨が見える。持っていたピンで取ってやった。すると何を聞きつけたのか、皮膚病や虫に刺された人々が列を作っている。母親は餅やらお菓子をたんまりお礼に持ってきた。これはU・tubeを耳で聞いただけなので、間違っているだろうと思う。
どこに行っても日本の風景には圧倒されたようで、特に川が流れる峡谷や山々の木々の緑、緑青、青緑。その中に咲くフジやツツジなどの花のある景色には心を打たれたようだ。
秋田では大館で川の増水によって舟で危ない目に遭い、嵐の津軽海峡を越えて函館に到着する。アイヌ人に会うために苫小牧の更に奥地まで足を延ばす。
途中で気が付いたらしいが、日本はどこへ行こうと、人は節度を保っていた。決まった金額以上は要求しない。それどころか半日うちわで扇いでくれた人にお礼をしようとしたら絶対受け取らない。子供に菓子をあげようとしたら、親を振り返っていいかどうかを聞く。そして先に周りの子に渡してから最後に自分のをもらう。お金も無くならなければ、荷物も安全だ。
これがいち外国人の感想でないことが、今では分かる。グローバルな目から、日本を見ることが出来る。日本人の外見と生活水準はボロクソに書いているが、道徳感と自然は褒めたたえている。
あの当時、外国人女性が一人で日本の田舎を旅することができた。それは素晴らしいことじゃないか。