松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

人間国宝、ギリシャの円形劇場で能を舞う。

2016-01-04 10:54:33 | 日記・エッセイ・コラム

 ギリシャの著名な演出家が、能楽に興味を持ち、世界遺産での舞を持ちかけます。私の求めていた表現はこれだ、と言うことです。叙事詩オデュッセイアの第11歌「ネキア」は、主人公が母に会うため冥界へ行くというお話です。

 能が昔からの作品を守り、引き継いでいると言った印象がガラリ変わりました。脚本家がいて、新作を次々発表しているのです。人間国宝となったばかりの梅若玄祥氏67才も、伝統を守るだけではありません。伝統はその時代にマッチした方法で、観る人を惹きつけなければいけません。そうしてきたからこそ、現代まで残ったと言えるでしょう。それにしても題材がギリシャ神話とは。

 変わらないのは、囃子と舞い手、それに能面。良くNHKで見るやつより人が多いから、動きも派手に見えます。能は極限まで「削ぎ落す」芸術です。直前まで意見が食い違い、白紙撤回もあり得るとギリシャ側から。人間国宝の考え方は柔軟でした。大事な人物が3人ほど、登場しないではないか、と演出家。長い長い脚本を追加してよこしました。このおじさん、日本を理解しているようで、私にはそうは見えません。単に自分の表現に利用しているように感じます。しかし来日するたび、明治神宮に寄るそうです。そこには静寂と松の木々、神殿に神々を感じ、まるで古代ギリシャにいるようだと言います。

 面を突き合わせて議論を繰り返し、相手の最もこだわる部分は尊重します。そうして能楽「ネキア」は完成しました。

 フェスティバルの最終演目は午後9時に始まりました。円形劇場には約1万人が集いました。ギリシャ危機の最中なだけに、双方とも安堵を隠せません。観客は能を理解していました。2時間の間、シーンと聞き入る人々。経済と芸術は別だと言う観客。いいものはいい。2千年以上続く文化の国のプライドは高いです。

 能では初めての、カーテンコールに応えて全員再登場。観客は立って迎えます。その拍手は鳴りやまず、しばらく人々は帰りませんでした。サインに忙しい能楽師・梅若玄祥氏。連れてきた若手に、ここから何かが得られると思い、日本に帰って活かされることを期待していました。

 能がダンスのように軽くなって、JUDOやSUSHIのように、アレンジされるのも困るけど、あの程度の柔軟さは、あってしかるべきと思います。

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