黒鉄重工

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北米project 4 ~Is the order a warbird? その28【2016/03/04~10】

2017-11-11 21:42:16 | 海外旅行記

ヤンクス航空博物館 星戦士の格納庫ジェット機軍団の後編です。
こいつはコンベアF-106Bデルタダート(1956年・86機目)です。これは初めて見る機体です。
前回のF-100スーパーセイバーから続くセンチュリーシリーズの6番目の機体(F-103は欠番)にして軍団の最後を飾る機体です。デルタ兄弟の弟で、F-102デルタダガーというよく似た兄がいます。
アメリカ本土を火の海にしにやってくるソ連の核爆撃機を叩き落とすための全天候型迎撃機です。SAGE(セイジ)という敵爆撃機を発見・追跡・要撃するための地上の制御システムと接続することで自動操縦・自動攻撃を行ってしまうスゲーやつで、パイロットは離陸と着陸以外は座っているだけというパイロットの存在意義とは?と考えてしまう機体です。
この装置は始めは兄のF-102の時点で完成するはずだったんですが開発に手こずってしまい、F-102はとりあえず暫定で配備してしまってその後完成形のF-106が姿を表すことになるのです。
こいつについては兄のF-102と合わせて紹介した方がいいので、今日のところはこのくらいで・・・。



正面。
風防の真正面に窓枠があって、操縦しにくくないのかなとか思ってました。でも離着陸以外はすることないからこれでいいのか?
なお武装はジーニー空対空核ミサイルです。敵の爆撃機を撃ち漏らしてはならないのでね、核武装しないとね。本当、狂ってたと思います。



馴染みのあるあいつことロッキードF-104Cスターファイター(1954年・87機目)
星戦士の格納庫、つまりスターファイター・ハンガーと名の付く建物なのでF-104でもいるのかな?と思いながら見学していましたが、本当にいましたね。
小型の迎撃戦闘機っていう機体ですが、なんでこいつが生まれてきたのかよく分からんといったところ。この頃の米空軍の戦闘機は戦闘爆撃機か迎撃戦闘機しか存在できなかったのですが、それぞれF-105とF-102/106という本命がいるわけです。
で、F-104はその小ささゆえにどちらに対応させるにも中途半端なわけです。実際米空軍でも使い所に悩んだようでちょっとだけ採用してソッコーで退役させたらしいです。後は日本を始めとした海外にドカドカ輸出されていきましたね。
同様の存在意義がワケワカメな機体はもうひとつF-101ってやつがいるんですが、これもまた今度。
この機体は、アメリカ空軍に就役せず、さらに飛行もしたことがないという究極の箱入り娘とでも言えますでしょうか。一応、新型の部品の試験に供されたようです。



御存知マクドネル・ダグラスF-15Aイーグル(1972年・88機目)
F-15が博物館入りする時代なのか・・・。初期型のA型とはいえ少しショック。とは言え初飛行が45年前の機体と考えると腑に落ちます。これも長寿機ですよね。
ベトナム戦争でセンチュリーシリーズが手も足も出ずにボコボコにされたのを目の当たりにして、このままじゃちょっとやばいっぽいと気づいたことで開発されたF-86以来の制空戦闘機。初飛行以来数十年に渡って第一線を張り続けている名機ですね。改めて書くこともないでしょう(手抜き)



F-104とF-15の並び。体格差がすごいですね。F-15がでかいのもありますがF-104が小さすぎなのだと思います。



ちなみに奥にはF-16がいます。それが見たいんだ、見せてくれよ。



ここから海軍機が続きます。グラマンF-14Aトムキャット(1974年・89機目・1日ぶり2機目)
昨日の西部航空博物館でも見たF-14。塗装も昨日と同じVF-2「バウンティハンターズ」です。
アメリカ海軍の艦上戦闘機で、この頃流行ってた可変翼を採用しているのが特徴ですね。主翼が可動することで後退角の角度を変えることが出来、低速では主翼を展開して揚力を稼ぎ、高速では主翼を畳んで空気抵抗を抑え、速度により理想的な形状を得られるんだというのが利点。ただそれ以上に欠点の方が大きかったです。上記の利点を帳消しにする可変翼装置の重量の重さと、装置の複雑さから来る整備の難しさと維持費の高額さがアレしてしまい、現在新しく開発されている機体には採用されていない技術です。
とはいえ見た目にはかっこよくてロマンがある装置なので、そりゃもう人気です。往々にして兵器におけるロマンと実用性は相反する存在ですね。

この機体は各部隊を渡り歩いた転勤族で、その中で最初に配属されたのがバウンティハンターズなので、いい加減な塗装をされていることの多い中で、ちゃんと縁のある塗装をされているわけです。



F-14、F-104、F-15、F-106。



存在を知らなかった機体、グラマンF11F-1(F-11A)タイガー(1954年・90機目)
アメリカ海軍の栄えある艦上戦闘機なんですが超が付くほど地味なので今まで知りもしませんでした。一応F-102で発見されたエリアルールを初めて最初の設計段階から盛り込んだ機体という肩書があるそうな。ブルーエンジェルスの使用機体でもあったんですが、何も知りませんでした。たぶん日本人の230%は知らないんじゃないだろうか。プラモデルもハセガワが大昔に発売したのがせいぜいじゃないでしょうか。
なにせ1956年に海軍デビューしてから2年後にF-8クルセイダーに主力を奪われ、その3年後には超速攻退役を決めていますのでさもありなん(ブルーエンジェルスなど後方の機体は1969年まで使われたそうですが)。性能がイマイチだったんでしょう。名前もタイガーで一応ネコ科ですが伝統のキャット系ではないのもパッとしません。
脱線しますが、前回に空軍のF-5E/F戦闘機の名前は「タイガーII」で2代目なわけですが初代はどこだ?という話をしましたが、このF11Fがそれに当たるのでしょう。初代がこんな地味機体じゃ知らんわけだ。
このヘボな機体を造ったせいで干されたのか、これ以降F-14が採用されるまでしばらく空母機動部隊からグラマン製戦闘機は姿を消します。

もう一度脱線しますが、タイガーにはF11FとF-11という2つの型式を持っています。前者は海軍独自の付番規則を持っていた時代の型番で、後者は1962年に航空機の型番をアメリカ軍全軍で統一後に付番され直したものです。F-11の11はF11Fの11から来ているだけで、意外とテキトーなんだなアメリカ軍。
なので、F-11という比較的遅い番号を持っていますが、実はそれよりも若い番号を持つF-4ファントムII(1958年)やF-8クルセイダー(1955年)の方が年下なのです。

この機体は1957年に製造されてVF-21「マッハバスターズ」に配属され、1960年からは後方の訓練部隊に転属になり1967年に退役したそうな。塗装はVF-21時代のものです。



こっちは知名度が高いダグラスA-4Cスカイホーク(1954年・91機目)
これもアメリカ海軍の艦上機で、こっちは攻撃機です。小型、軽量、高機動の傑作機で、25年に渡って2900機が生産されました。結構多い数だと思います。そいで、まだ軍隊で現役の機体がいるらしいですね。
C型はレーダーを搭載して全天候能力を付与したもの。最初はレーダー無かったのか・・・。でも機体が小型で拡張性が乏しいのが災いして、レーダー能力は限定的だったらしい。



海軍機ズララッ!



なんじゃこりゃ?と思って書かれている文字を読んでみると、F-111戦闘機のコックピットブロックらしい。ていうことはアレか。空軍の戦闘機なんですが、海軍も採用する話はありましたし、一応ね?F-111はまた後々出てくるのでどんな機体なのかは割愛します(手抜き)
F-111は複座の戦闘機なんですが、なんでか2つの座席を前後ではなく左右に配置するという特異っぷりを見せています。他の複座戦闘機は漏れなく前後方向に配置していますからね。
それでアレとは、そもそももし空中で脱出する事態になったとき、他の戦闘機だとシートからロケット噴射させて天蓋を突き破って上へ脱出していきますよね。でも仲良く横並びに座るF-111ではどっちか片方が脱出するともう1人はシートの噴射で丸焼きにされてしまいます。
そこで考え出されたのは、だったらコックピットまるごと脱出させてしまえ!という豪快なものでした。そんなんアリかと思いますが、本人たちは大真面目なんでしょう。でもコイツより後にこんな方式を採用している戦闘機なんてないので、やっぱりダメだったんじゃないかと。
ところでこの展示だと天蓋が開いていますが、乗るとき窮屈そうだなぁって。



グラマンのマイナー機のひとつグラマンRF-9J(F9F-8P)クーガー(1951年・92機目)
アメリカ海軍の艦上戦闘機なんですが、どうもキャットの名の付かないグラマン戦闘機は地味ですね。朝鮮戦争では実戦も経験しているんですけども。
当初は直線翼を採用していて名前もパンサーだったのですが、後退翼を持つMiG-15やF-86に性能で見劣りするのでF9Fも後退翼化します。型式だと6型(F9F-6)以降、1962年の型式統一後はF型(F-9F)以降が後退翼機となっています。これに伴い名前もクーガーと改められています。
この機体はクーガーの写真偵察型で、機首にカメラが追加搭載されていますので、機首形状はだいぶ変わっています。「アヒルのくちばし」というあだ名が付けられていたとか。チョッパヤが命の偵察機なので余計な重量になる武装は全部降ろされています。



カメラは収まっていませんでした。残念。



はい、これでヤンクス航空博物館編は以上です。
ライトフライヤーから超音速戦闘機までまんべんなく展示されていまして、収蔵機も有名所から他ではめったに出てこないようなマイナーものまであり、ここで初めて見た機体も多く大漁でした。
ヤンクスは蒐集と復元を継続して行っているので、どんどん機体が増えています。10年後に再訪したら前回は見なかった機体がそこら中に展示されているのではないでしょうかという感じでした。
この次に行くプレーンズオブフェームの隣りにあるので、そこと合わせて訪れるのがおすすめです。1日で時間が足りると良いですが。

さて、次回からは日本でも名前が知られているプレーンズ・オブ・フェーム博物館に討ち入りします。


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ゴールドストリームでサーモンラン見物 前編【2015/11/09】

2017-11-09 23:26:00 | 日常記
11月のビクトリアは鮭の遡上、サーモン・ランが見られる季節です。
遡上が見られる場所は何箇所かありますが、中でもビクトリアの北西部にあるゴールドストリーム公園の遡上が有名です。鮭の数がここが多いからだと思われます。
昨年2014年にも訪れましたがもう日が暮れそうな時間だったので、消化不良感が残りました。今年はそれを晴らしますよ。



さて、ゴールドストリーム公園のサーモン・ランが見られる場所はここです。トランスカナダハイウェイ1号線沿いにあります。ここを訪れるに当たって困るのは、公共交通機関が通っていないことです。自家用車で行くのがベストなのです。
でも私は車を持っていません。近所なので高いお金を出してレンタカーを借りて行くほどでもありません。そうなると大正義チャリンコで行くわけです。まずは近くの町のランフォードまでバスに乗っていって、そこから自転車を漕いで1号線沿いに行くのが最短です。
でも、1号線は自動車の往来が激しく道幅も広くないので、できれば自転車で通りたくない・・・。

ここで、ゴールドストリーム公園の地図を見てみます。
グーグルマップでは出てこない遊歩道が書かれています。いくつか経路がありますが、ここを歩いていけばあまり車道を通らずに到達できそうです。この案で行くことに決定しました。



最初にBCトランジットの#50系統Langford行きに乗って、終点のランフォード・エクスチェンジ Langford Exchange まで行きます。ここで#58系統Goldstream Meadowsに乗り換えます。
使用するバスは小型車のArboc SOM28Dです。写真のバスは#52系統ですが、#58系統に乗りましょう。車内は同じサーモンラン目的と思われる若者で中々の乗車率でした。



降りるのはHumpback at Rock Hillというバス停ですが、BCトランジットは次に停車するバス停を放送や表示器で案内しない初見殺しのバスなので、事前にグーグルマップで降りるバス停の周辺の地図や景色を叩き込んでおく必要があります。
ここから自転車を漕いでゴールドストリームのキャンプ場へ。



ここで地図を確認。
現在地からゲストハウスの文字の上にある車道から遊歩道に進入します。そこから川を渡って右へ向かい、Prospector's Trailを歩いて駐車場まで進出します。駐車場からは1号線の脇にそって走る遊歩道があるので、ここを進めばサーモン・ラン会場へ楽に辿り着けそうです。この経路で行きましょう。



つらい・・・。
遊歩道とは言うけど、これは山道。森の中を進みます。しかも自転車を転がしながらの行軍です。なんだかオブローダーになった気分だ・・・。でも楽しいぞ。



川を渡ります。川っていうか沢。
雨季なので雨っぽいのもありますが、とにかく湿っぽい森林です。苔も生えまくりです。



右手にゴールドストリーム川が見えてきました。サーモン・ラン会場を流れる川の上流なので、ここにも鮭がいるはずです。
ちなみにゴールドストリーム、つまり金の奔流という地名は、この辺りにあった金鉱がことが由来だそうです。昔のこの辺の産業は鉱業と林業でしたからね。



こういう山を歩くのは滅多にないのでやはり楽しいですね。
ベイマツが乱立する松林かと思いきや雑木林なんですね。苔も濃いですし、あまり手を付けられてないのではないでしょうか。
ちょっと岸まで降りれそうなのでいってみましょうか。



あいや、いますねぇ~。大漁じゃないですか。



すでにカモメが狙いをつけています。山の中にカモメがいるって場違いだなぁって。



すごい光景だな。まだ序盤なのにこんな。



川底が砂利で水深数十cmの川が産卵に適しているといいますから、ここは絶好の場所でしょうね。



いるぞいるぞ。



かもめ。



川を渡ります。ああいま豊かな森の中にいるのだな。ビクトリアから十数kmのところにこんなところが。



川の深みのあるところへ。ここは流れが緩いので、鮭もたくさんおります。



産卵している・・・というかは産卵場所を奪い合っているご様子。



一生に一度の大イベントに誰も彼も必死。



勝負が決したらしい。



イチャつきやがってからに。



虫の息(魚だけど)の鮭。もうボロボロです。



死んで打ち上げられた鮭。この後カモメの餌になるのでしょう。
こういう死骸もあるので、辺りは魚臭いのです。山の中なのに。

まだ会場に着いていませんが今日はここまで。


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ギャロッピンググーストレイルの最深部とは【2015/11/02】

2017-11-07 22:34:52 | 日常記
2015年11月2日。
少し前に昔の鉄道の廃線跡を活用した遊歩道ギャロッピンググース・トレイルを自転車で走った記事を書きました。今回は一応それの続きになりますのでリンク先の記事を予め読んでおくと理解が深まるかと思います。。
11月に入るとこの時期恒例となる鮭の遡上が見られるようになります。去年も訪れたゴールドストリームでの遡上を見るのは確定ですが(次回書きます)、もう一箇所別の場所でも見てみたいなということで、スークを訪れることにしました。
で、せっかくなのでギャロッピンググース・トレイルの終点まで走って、そこから前回果たせなかったランフォードまでの長距離サイクリング(当社比)に再度挑戦しようと思ったのです。ネタバレするとまあ今回もダメだったんですけど。

前回同様、自宅から最寄りのバス停からBCトランジットの#61系統のバスに乗ってスークへ。
まずは観光案内所に行って鮭の遡上場所を聞き出そうと思ったのですが、なんとこの日は休みでした・・・。いきなり目論見が外れる。



とりあえず昼飯といきますか。
前回来た時に気になった店があったので入ってみました。その名もTERIYAKI HOUSE。
テリヤキというのは和食の照り焼きのことですが、照り焼きとテリヤキは似て非なるものです。スシ同様、アメリカに広まったのと同時に独自の形態に変化していきました。
そもそもは照り焼きのあの甘い味付けが現地人に受け入れられていったのだと思いますが(彼らは甘辛いソースが大好き)、次第に中身が変化していって今ではテリヤキソースを料理の上にかけるだけみたいな状態になっているんだそうな。照り焼きしてないじゃん。

で、この店は日本食を出す店ですが、現地化された日本料理でした。でも私はそもそも本国のものも含めて照り焼きが言うほど好きじゃないので、天ぷらうどんあたりを食べました。味はまあこんなもんだよねという感じで値段相応においしかったです。



どうでもいいですが、この店の看板キャラクターが山田うどんのカカシを連想させました。

腹ごしらえも済んだので、鮭を探しに行きます。



観光案内所は閉まっていて仕方ないので、手元のスマホでググってみると、ギャロッピンググース・トレイルに並行して流れるスーク川で見られるそうなので、スーク川のほとりを走るスークリバー・ロード Sooke River Rd. を走ることに。でもスーク川は川幅が広く川底も深いので鮭がいたとしても、見えねぇな・・・という感じです。
そんな中チャリを漕いでいると鮭の看板が目に入りました。



あ、これだ!
この看板はここを流れる川が鮭の生息地 Salmon habitat であることを示すものです。「ここには鮭が住んでるから、この環境を守ってちょーだいよ」ということを言っているんですが、つまりはこの川に鮭が遡上してくるわけですよ、奥さん!
ちなみに看板の上に書いてあるのは川の名前です。これはチャーターズ川 Charters Creekです。creekというのは川の意味ですが、riverよりも小さい小川を指します。creekよりも小さい川はbrookと言うようで、意外と分類が細かいのだなと。
そしてこの看板の右側、川の上流方を見てみると歩けるよういい感じに整備された川辺があるじゃないですか!これはもう突っ込むしかないでしょ!



いい雰囲気ですよ!何だか鮭もいそうな感じ。



く、熊が出るのか・・・。そりゃ鮭を食いにも来るよな。運命の出逢いを果たしたらどうしようか。



橋の下が深みになっているのですが、そこにいました!



数匹しかいませんが、確かにいます。まだ交尾や産卵という感じではないです。
鮭にも種類があるんですが、ちょっと判別できませぬ。ここら辺にはシロサケ(Chum salmomあるいはDog salmon; 我々がよく食べる一般的な鮭)、ギンザケ(Coho salmon; 日本ではもっぱら養殖用の鮭)、マスノスケ(Chinook salmon; いわゆるキングサーモン)が遡上してくるのだそうな。



それと、意外と察しが良くて、近くで足音を立てただけでも泳いで逃げ出します。まあここまで来てこの後人生の大一番が控えている中で取って喰われたらたまらないので、警戒もするよな。



別の溜まりにて。ぼっちの鮭。相手はいない。



橋の上から。デキてる鮭。水の透明度が素晴らしいです。こんな川は久々か。鮭もよく見えます。真上から撮っていますが、足音立てないようにかなり用心して近づきました。

なおこの川はチャーターズ川なので、上流へ歩いていけばギャロッピンググーストレイルのチャーターズトレッスル橋とぶつかるはずです。行けそうな感じはしましたが行きませんでしたけども。



チャリと記念撮影。撮りながらめっちゃいい絵だとか思っていました。
ちなみにこの日の少し前から自転車に泥除けが追加装備されました。初期状態の自転車では走るのに最低限必要な状態でして、必要に応じてヘルメット、前照灯、泥除けなどを買い足していく必要があります。好きなようにカスタマイズできるのが楽しいですが、まとめてセットにしその分割安にして欲しいよなぁ、とも。
夏の間は雨が滅多に降らないので泥除け無しでも大丈夫でしたが、10月後半に入ってから雨が降るようになったのでいよいよ泥除けを装備。あと半年ちょっとしか乗らないので最初はホームセンターにも売っているような安物にしたのですが、ホイールと合わなかったので役に立ちませんで背中が泥だらけに・・・。
なので後日、自転車屋に行って写真のようなホイールをすっぽりと覆い隠すちゃんとした泥除けに付け替えました。前後輪合わせて$40くらいした・・・。
ガッチリと装着するので着脱が面倒というか手持ちの工具では無理でした。なので以降チャリを手放すまでこのままでした。すなわちこれが私のチャリの最終形態。



場所はここらへんです。



目標のひとつである鮭の遡上は無事見れて満足したので、トレイルの最深部到達に専念することにします。
スークリバー・ロードを北へ進んでいくと途中の第2駐車場からギャロッピンググーストレイルへ合流できるので、まずはそこを目指します。



トレイルは平坦な道だったのでスークリバー・ロードもそうかと思いきや意外と坂道が多く、自転車をこぐのがしんどい。トレイルの方はやはり鉄道用に平坦な路盤をわざわざ建設しているのですね。
途中にはこんな広くてその上深い水たまりもありまして・・・。自転車にはキッツい深さだな。
左脇の森から迂回できそうだったので、そこを通ってどうにか突破。



第2駐車場へ到着。
そこの一角に石造りの煙突のような構造物が建っていて、気味が悪かったです。これはどうもここでリゾート開発をやろうとして失敗した夢破れて山河ありという感じの遺構です。



駐車場からギャロッピンググーストレイルに移って北上すること3km。ついに並行するスークリバー・ロードも終点になっていなくなってしまい、そこから先の道はトレイルだけに。
するとトレイルは川岸を走るようになりますので、スーク川の様子が見えるようになります。
前日くらいに雨が降っていたのですごい水量の水ですね、これ。河口から10kmほどしか離れていないですが、既に上流のような景色に変わっています。こんなところでも鮭は遡上していくのだろうか?
もはや人気はなく、聞こえるのは川の流れる轟音だけ。先に進んでも何も無いので、ちょっと不安になります・・・。
ちなみに対岸に道路があるのが分かるでしょうか。ガードレールが見えますよね。あれはボーンヤード・メイン・ロードという道なのですが、入り口は封鎖されているので一般車両は立ち入れない道路っぽいです。



終点までもう一息かな?・・・というところで突如として開けた空間が出てきました。
何度も書いているとおりこのトレイルは元来は鉄道だったので見た瞬間察しはつきましたが、ここには鉄道の駅か貨物ヤードがかつてあったのでしょう。
またまたネットの海を漁ってみましたが、ここにはキャメロン製材所という工場があったようで、その工場の鉄道ヤードだった線が濃厚かと。
さらにこの写真の方向から見て左前方にはリーチタウン Leech Town という林業や鉱業の労働者たちが住む町がありました。今はここでの林業鉱業は廃れてしまったので、現在のリーチタウンは完全なゴーストタウンです。今でも当時の遺構が残っていて、町へはここから分岐する獣道を行けば到達可能とみられる記述の地図があります。




ちょっとした休憩所。カプール Kapoor という地区だそうです。
トレイルの要所要所にこういった休憩所が設けられていますので、特に鉄道施設を意識したものではないでしょう。

しゃがんだおっさん状のパイプは、飾りではなくて自転車とチェーンキーを繋ぐためのもの。
脱線しますが、カナダの自転車には、後輪にあるリング状の鍵を付けません。代わりに鎖状の鍵を使います。その鍵をただフレームと車輪だけを繋いで施錠するのではなく、付近にある電柱、看板の柱といった"地面から生えているもの"も通して施錠します。
恐らく、そうしないと盗難にあってしまうからなのだと思います。自転車まあまあ高いですからね。
とはいえ周りにある柱だけだと数が足りないし周りに迷惑ですので、こういう自転車の鍵を掛けるための衝立のようなものがあちこちに生えているわけです。ダウンタウンなんかだと歩道に十数メートル置きに設置されていたりします。カナダは自動車の路駐し放題ですが、自転車もそうなのです。



場所はここ。




ヤードから先へ進みます。
ヤードを出てすぐにオールドウルフ川 Old Wolf Creekを渡ります。ここの橋も昔は鉄道橋を転用していましたが、今は新しく架け替えています。



そしてビクトリアから55km。ついに終点が視界に入ってきました!
うーむ、本当に唐突に門が現れるだけで、独特の終点だという雰囲気がない。



ここ。



あるのは赤い門だけ。ですがその先にもまだまだ道は続いています。
この先に進むと旧カプール製材所、旧カプール駅などの跡地があると思われ、そこを抜けるとスーク湖が見えてくるはずです。ですが進めません。



看板がありますね。
「入んじゃねぇぞ?ちゃんと監視してっからな!」ということを言っていますが、その理由も書かれているのが興味深いです。
グレーター・ビクトリア(ビクトリア都市圏)の飲用水の供給源だから・・・ということだそうです。
当時は、雨水を森林の土で保水するいわゆる緑のダムだから・・・と思っていましたが、今調べているのを見るとそれよりも大事なのだなと。
この辺りは、ビクトリア都市圏の飲用水は安定供給のために19世紀から尽力を続けています。その供給源がこのスーク周辺の森林と湖なのです。ざっと調べただけでも奥が深くてさすがに脱線が過ぎるのでそこら辺は割愛します。
で、この辺には1970年代に建設されたカプールトンネルという全長8.8kmの地下水道管が通っています。スーク湖からランフォードの上水処理場まで、山の地下を貫くように水道管が通っています。水道管だけじゃなくて整備時に人が通るためのトンネルも一緒にあるそうで。
さらに脱線しますが、ここの上水処理場の処理方式が「日本ガルチ式 the Japan Gulch Disinfection Facility (JGDF)というものでした。なんでこんなところで日本が登場するんだ・・・?紫外線と塩素で消毒するそうですが、でもググっても日本語の資料は出てこず、謎なところです。
そのような上水道関係の施設がこの先にあるので、立入禁止なんでしょうね。



チャリと記念撮影。
辺りを見回しましたが、特にこれだというものも無かったので引き返します。
さて、ここからが本番でして、終点からランフォードまで数十kmを走破します。前回は途中でパンクしてしまいましたが、もちろん修理済み。大丈夫だ、問題ない。



やっぱり今回もダメだったよ。
スークまで出る途中のトレイルでパンクしました・・・(泣)
前回のパンクの時はバス停の近くでやったので撤退が楽でしたが、今回はかなり離れた地点でのパンクなので泣けます。
なので、パンクしたまま自転車を漕いでバス停まで出ました。こう連続してパンクが起きるともうたまらんので、今度はチューブを替えることにしたので、この際いくら傷んでも問題ないのです、はい。
ちなみにパンクは和製英語なのでこっちでは通じません。パンクした状態のことをこっちではflat tireと言います。

で、2回連続のパンクは堪えたので、以降トレイルを走破するという野望が再び燃え上がることはありませんでしたとさ・・・。

これでおしまいです。お疲れ様でした。

旅行記インデックス(2016年)

2017-11-03 23:48:49 | 旅行記まとめ
2016年に行った旅行および撮影の記録のまとめです。
記事の第1回のリンクを貼ってあります。2回目以降は各記事に貼ってあるリンクを辿っていってください。
連載が長かったシリーズについては、このページにて要所ごとにリンクを貼っています。

2020/4/27 更新





箱根登山鉄道(3~4)



地上展示(5~6)
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養老鉄道(10~11)



地上展示(2~4)
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T-7飛行展示(6~7)
C50形見聞(8)
















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