黒鉄重工

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ビクトリアの沿岸要塞跡地を見学する その8【2016/3/16】

2020-02-28 22:19:20 | 日常記
下部砲台の砲台部分に来ました。造りは先に見た上部砲台と同様です。ただしkちらには復元された大砲部分はありません。


その代わりですが、6インチ砲の砲台の模型がありました。
上部砲台で見た砲台の上にある天板は展示を見やすくするための足場だと思っていましたが、どうやら現役時からあったもののようです。敵の砲撃からの砲兵の保護のためでしょうね。


この模型はスグレモノでして、レバーを動かせば砲台がガションと上にせり出してくる機構が再現されています。


下からも見てみましょう。


こうです。
ちなみに砲弾の装填は大砲が下がった時にしかできないので、撃つ度に大砲を一度下ろさなければならないという手間がありました。



防御壁の端だけ、なにか空間がありますが、よくわからず。


大砲は復元されていませんが、その分砲台の基礎がよく分かるようになっています。この通り、砲台は旋回可能だったのです。これは上部砲台では気づかなかった点でした。
ちなみに、この6インチ砲の運用には10名の砲兵が必要でした。


退避壕的な・・・?


砲台の上に登ってみます。


上からの景色。東を向くとカナダ海軍のエスクイモルト基地が望めます。



ここは射撃指揮所。右のコンクリートの柱は、距離計を据えていた跡。
俯角距離計 (Depression range finder) というのを使っていたのですが、原理とかは割愛します(手抜き)



こういうふうに使ってました。距離計というと戦艦の測距儀みたいに左右の対物レンズがあるのかと思っていましたが、これは単眼だそうです。で、三角測量法で目標との距離を計測します。海面から距離計までの高さは潮の満ち引きの補正は入りますが基本的に一定なので、あとはこの距離計が出す俯角を出してやると、距離計から目標までの距離が分かるのだ、という具合のはず。


下部砲台を後にします。ここはさっき見た工事中の区画。


海岸沿いを歩くとエスクイモルト基地が見えます。割と小さめの基地ですけど、カナダ海軍の太平洋側の重要拠点です。



ここから見えている軍艦はHMCSレジャイナ (HMCS Regina) FFH-334というフリゲート艦です。駆逐艦よりも小型のフリゲートですがカナダ海軍の主力艦艇です。一時期は正規空母も持っていたカナダ海軍の戦力は現在はかなり縮小されているようです。
その右にいるにはBCフェリーのクイーン・オブ・カンバーランド (Queen of Cumberland) がドック入りしています。BCフェリーはビクトリアからバンクーバーへ出かける時に乗るフェリー会社ですが、この船はローカル航路担当のようです。
なんで軍港に民間フェリーがいるのかしらと思いましたが、このドックはシースパン社が運営する民間ドックなのだそうな。軍艦どころか大型クルーズ船も入渠できるような大型ドックを持っています。


カモですね。君ら海の上でも平気なのか。


今度は上空をハーバーエアの水上飛行機が通過していきました。DHC-3T (C-FIUZ) です。


要塞の石垣。この石垣の向こうはさっきの工事中の区画でしたので、見れませんでした。


ブイで作られた方位のあれ(語彙力)


世界各地の主要な港湾都市の方位と距離が示されています。YOKOHAMAは7,612km彼方にあります。
レースロックだけ知らない名前ですが、これはビクトリア沖にある灯台の建っている島だそうです。

というところで今日はここまで。



ビクトリアの沿岸要塞跡地を見学する その7【2016/3/16】

2020-02-25 23:15:20 | 日常記
3つある砲台陣地の最後のやつ、下部砲台 (Lower battery) に来ました。
ちなみに最初に見たのは上部砲台 (Upper battery) です。


現在地です。


門をくぐります。入り口が塀に囲まれるように窄まっているのは、侵入対策というのは明らかですね。ここらへんは日本の城塞と設計思想が似ているのが興味深いです。やっぱり考え抜くと辿り着くところは一緒なんやね。
塀も背が高いですが、塀の内側は盛土されていて今いる塀の外側よりも地面が上にあります。内側の地面の高さは、塀に空いている狭間の高さから察してみてください。これも、戦闘の際は上を取っている方(要塞を守る方)が有利に立つという基本に徹しています。


門の守衛室。



守衛室の門を挟んで向かい側の建物。見張り台でしょうな。


斜面の狭間は段々になっていて、守備兵が銃を撃ちやすいようになっています。塀の向こう側の地面の低さにも注目。


塀の先は何やら工事中でした。保守作業かな?


砲台に据え付けられている大砲を取り外しする時に使う道具の模型。Repositoryと呼ぶんだそうですが、翻訳不能でした。分からん。
というか、普通に三又(三脚)ですよねこれ。



滑車とかフックとか。


これに巻き付いている縄は滑車とフック、それに引っ掛けている大砲に繋がっています。
縄が巻き付いている丸太の左右端にあるハンドルで縄を巻き上げて使うんですな。


再び守衛室。


中は普通に生活というか事務仕事ができる居住性。


塀と繋がっている壁には狭間あり。なんだかんだ言って軍事施設である。


別の角度から。


ここは弾薬庫。岩をくり抜いて造った天然の要塞。書いてある通り、1896年築でしょう。入り口の右上にある小さい四角いのは換気口です。


これは装薬の貯蔵庫です。装薬は火薬を布製の袋に入れたものですから、湿気ないようにこういう箱に入れて保存していたのか。なるほどなぁ。
袋に使っている布はたぶん絹だと思います。戦艦の主砲の装薬は絹でしたので、それと同じ可能性はあるでしょう、程度のものですが。
装薬は、そこの鉄製の筒に詰め込んで移動させます。



弾頭の貯蔵庫。奥の行き止まりの左側に、表に通じる窓があって、そこで表へ弾頭や装薬を渡します。

親切なことにここには弾頭の種類の説明書きがありました。
一番手前から、先端が白黒模様のやつは練習弾。
先端が欠けた赤黒模様のやつは榴散弾。弾頭の中に球状の散弾が詰まった対人・非装甲目標用弾頭です。要は散弾ですな。第一次世界大戦の頃は多用されましたがその後第二次世界大戦までに廃れてしまった模様。ただ、クラスター爆弾やフレシェット弾のような後継は今もいますね。
紅白模様のやつは徹甲弾。発射された砲弾の運動量で破壊するやつ。
黄色いやつは榴弾。砲弾の中の爆薬の炸裂とその時に出る砲弾の破片で破壊するやつ。

・・・だ、そうです。謎が解けた。


弾を上の砲台へ運んでいるダニー(仮名)。こんなにこやかな顔で猫を抱えるような手付きで運べたのかは疑問。

弾薬庫の廊下はこんな感じ。

というところで今日はここまで。



横田でプチアメリカ旅行 その2【2017/9/16】

2020-02-23 22:35:26 | バス・航空機撮影記

貨物室の奥はコックピットの見学も出来たもののこっちは時間かかりそうなので止めたような記憶。そもそもそんなものやっていなかったような気もします。なんにせよ貨物室だけ見て外に出てきました。
外に出て目に入ったのはC-130の脚。めちゃくちゃ脚が短くて親近感が湧くぜ。
脚が短いと着陸時の衝撃で脚が折れにくくなります。C-130は未整地の滑走路でも離着陸できるように設計されています。この子結構乱暴な操縦が想定されているのよ。
車輪の上に出っ張っている水滴状の出っ張りは後付のセンサーでしょうね。どういう働きをするのかは知らん。


エンジン排気のスス汚れ。模型の参考までに。でもC-130のプラモデルって決定版と言えるようなもの無いよね?1/144あたりで欲しくない?


主翼から吊るされている空中給油の授受装置。先端の赤いのは他の機体から空中給油を受ける時に使う給油口。飛ぶ前にキャップを外します。Remove before flightです。


で、後ろ側はC-130が他機に給油する時に使うホースが収納されています。給油時はホースを伸ばして、給油を受ける側は給油口をホースの口に接触させて給油を受けます。
こういう方式をプローブアンドドローブ式と言うので覚えておきましょう。


横から見るとこう。C-130は燃料搭載量が多いので戦闘機へ給油してやる側で使われることが多いと思いますが、この装置なら給油を受けることもできるのです。
ところでこの給油方式はアメリカ空軍の機体では採用されていないんですが、使い所が分からない・・・。空軍の燃料を海軍に分けてやるほど仲が良いとも思えず。


第二次世界大戦後のアメリカ機でよく見るプロペラ。形状が美しくないのであまり好きではない・・・。
飛行機の誕生以来、プロペラの形状は常に進化を続けてきたんですが、1950年代くらいになるとジェット機の到来もあって進化が鈍くなってしまいました。そんな時代に開発されたやつです。だから美しくないのかは知らんですが。


機首に回ってみると、アナタお鼻が長いのね~。まるでウソップ。
これ、普通のC-130じゃないねと思って調べたら、MC-130Pという特殊な輸送機。名前もコンバットシャドウという中二感が溢れるものが与えられています。アヤシイ任務とかに使われるそうな。まあ名前からしてねぇ。


正面から。鼻が・・・。鼻にピントが合ってしまう。


C-130はこの風防周りの形状がな、未だに慣れないというかかっこ悪いようにしか見えないんじゃ。


こっちは普通のC-130J。前回も書きましたが北朝鮮がミサイル撃ったせいで今日の展示機の大半は欠席になってしまいました。今日出席しているのは横田基地を拠点にしているC-130が大半なのです。なのでC-130ばっかでこれしか撮るものがない。かなしい。


C-130Jのプロペラは従来型と異なり6枚翅になっていて、ペラの形状も異なります。
第二次世界大戦以来、進化や発展が鈍かったプロペラですが、1990年代になると炭素繊維やガラス繊維の新材料が発達してきたので、それを用いたプロペラが出現し始めました。炭素繊維やガラス繊維だと金属と比較した場合、強度も軽さも上になるのでより速い回転数でぶん回しても耐えられるのです。また、金属よりも軽いなら金属製よりも炭素繊維製の方が多い枚数を付けても合計の重量は同じにできます。
ちなみにペラの長さは金属製よりも短い傾向にあります。これは、より高い回転数で回せるようになると金属製と同じ長さだとペラの先端が音速に近くなってしまうから。音速に近くなるとペラが発生させる推進力が落ちてしまうんですね。
なので、炭素繊維/ガラス繊維製の短いペラを多数配置するというのが最近の傾向です。6枚翅だとイカツイですしペラの形状も美しいので私はこれ好きです。最近のプロペラ機はこの形状のものを装着している場合が軍用機、旅客機問わず多いです。


主翼の追加燃料タンク。プローブアンドドローグ式空中給油のホースも投下できる模様。ただし、自機は空中給油を受けられないようです。


後ろ。スコープドッグのような目が付いてますけど、空中給油の状態を示す信号かしらね。


ちょうどこの時期は横田基地のC-130がH型からJ型へ更新されている最中だったような記憶です。だからなのか、垂直尾翼にはテールコードが書かれていませんでした。着任したてホヤホヤ?


これの貨物室にも入ってみます。うーんまあ、変わらない?
操縦室は計器類が液晶画面化されてかなり様変わりしたようです。



H型とJ型の並び。


海兵隊もゲスト参戦しています。これはシコルスキーCH-53Eスーパースタリオン。
重輸送ヘリコプターで、まあデカい。今現役のヘリコプターでは最大です。
自衛隊も持っていたはずですが、いまは退役してしまったかな?


回転翼の基部。ここらへんの機構については、何も勉強していないのでよく分からんのだ。


実はエンジンは3発積んでいます。


これは列の進みが鈍かったので見学はパス。


人間が入ると大きさの対比が簡単なのでそういう時は人混みもありがたいかな。

というところで今日はここまで。



横田でプチアメリカ旅行 その1【2017/9/16】

2020-02-22 21:39:54 | バス・航空機撮影記
2017年9月16日。
東京にあるアメリカ空軍横田基地へ行ってきました。ここは日本の中のアメリカ合衆国なのでホイホイと入れる施設ではないのですが、年に1日だけ日本国民も入場できるフレンドシップデーだったか友好祭だったかなるものがあります。それに行ったわけです。
基地内はアメリカですから、これすなわち海外旅行。なのでパスポートか住民票付運転免許証あたりが入場の際に必要になります。パスポートを持っている場合はそれを持っていくのが楽です。私もパスポートを準備して行きました。まあ入場に必要な書類や注意点に関しては詳しくはググってくれたまへ。

まずは、静岡駅初電の「こだま」700号で東京駅へ。


そこから中央線と青梅線を乗り継いで拝島駅で降ります。通ったことはあるけど降りたのは初めてかな。
拝島駅から横田基地までは歩いていきます。今日の拝島駅は横田基地へ行く人達で溢れていますから、人の波に乗ってついていけばいいのです(他力本願寺


ぞろぞろと大名行列を歩いていきます。中々たどり着かない。
道中では沿道の民家や店舗が横田基地目当ての人に貸駐車場屋を開いていて、いい値段で駐車場を貸していました。


沿道では日本の警察も目を見張っています。パトカーの上にお立ち台を立ててその上で交通整理をしている警官が。なるほどあれがDJポリスか。初めて見たな、というかハロウィンの渋谷くらいにしかいないと思ってたんで、一生会うことがないと思っていました。


入り口に来ました。ゲートの雰囲気は以前に入ったことのあるデイビスモンサン基地に似ているなぁ、共通設計なのかなぁとか。


基地の門です。みんな同じ方向を見ていますが、この日は航空自衛隊のブルーインパルスが飛行している日なのです。
なんでこの日にこんなところで、、、と忘れていたんですが、調べたら八王子市制100周年記念行事の一環だったそうな。横田基地関係なかった。


入国成功。標識類は全部アメリカのもので、日本語が見当たらない。アメリカの土地なんだなぁ。


ブルーインパルスが飛んでますね。ここは別に八王子市ではないので演目と演目の間だと思いますが、ビシッと機体の編成を揃えていますね。


まあ、今日の目当てはこっちなのだ。うーむ人だらけだ。


ロッキード・マーティンのC-130Jハーキュリーズ。ベトナム戦争あたりから現役を続けているC-130輸送機の最新型。
書いていて思い出しましたが、今年の横田基地は戦略爆撃機やら戦闘機やらが大量に展示される予定なのでした。特にB-1Bは例の北米P4でもモスボールされた姿しか見ていなかったこともあって、ワタシ的には目玉展示でした。
しかし、当日の数日前に北朝鮮が飛翔体(事実上の弾道ミサイル)をぶっ放しやがり、朝鮮半島の緊張度が高まってしまいました。横田基地に展示される予定だった爆撃機や戦闘機、空中給油機は全てキャンセルされて他所の基地に待機となってしまいましたとさ・・・。
この時はかなりガッカリして北の国にも恨み節を飛ばしましたが、それでもまあ行ってみるか・・・ということになったのでした。


輸送機の機内見学の行列。すげー並んでる。きびしい。


周りの人がまばらで悲しいことになっているラフトC-12Jヒューロン。軽輸送機なわけですが見た目の通りでビジネスプロペラ機を軍用に流用したもの。これはラフト1900C


ベルUH-1Nイロコイ(ツインヒューイ)。おなじみの汎用ヘリコプターですが、大抵茶色と緑色の迷彩ばかりで空軍の灰色塗装は見慣れていないのでちょっと新鮮。
ちなみにN型は双発エンジンを積んだ出力向上型です。積載能力も上がって機体も少し大きくなったらしい。


輸送機の見学はなんだか進みが早いので、これなら行けそうと思い並んでみることに。


輸送機に飲み込まれていく日本人。くじらみたいだ。
御存知の通り、C-130は胴体の後部を貨物室との出入り口にして素早い荷物の積み下ろし、車両を直接積み下ろしできるようにする方式を確立した輸送機です。


C-130って横から見ると胴体尾部と垂直尾翼の付け根が細すぎて折れやしないのかと心配になったんですが、後ろから見ると胴体が横に太いのでちゃんと大丈夫そうなんだな。


空力性能が戦闘機ほど求められてない輸送機はリベットの頭が出ているんだよなぁ、とか。


乗車率90%くらいの貨物室。まだまだ詰められるぞ。
機内は普通の自動車くらいしか積めなさそうで、戦車や装甲車は難しそう。

というところで今日はここまで。



平日朝のホームライナー撮影【2017/8/24】

2020-02-19 22:50:34 | 鉄道撮影記
平日に休みが取れることになったので、早起きして平日朝に東海道線を走るホームライナーを撮影しに行くことにしました。
あまり遠出だと超早起きになって嫌なので、近場の用宗駅付近に陣取りました。


2017年8月24日。
東海道本線JR用宗駅から安倍川駅方面へ歩いて最初の踏切の脇から撮影することにしました。
この日は特に何か珍しい列車が来るわけでもなし、ただの普段の記録です。できるうちにしておかないとね。
まずは313系2500番台+211系5000番台普通沼津行き。


EF210形126号機の貨物列車。福山通運のコンテナで統一されていて素晴らしい。


313系2600番台+211系5000番台普通興津行き。


1本目の373系+373系「ホームライナー静岡」2号は下り列車と被って撃沈。くそうくそう。


下り列車の撮影は・・・望遠が足りない。


313系2500番台+211系5000番台普通熱海行き。
211系先頭の列車が来ない・・・。


と思っていたら程なくして来ました。211系5000番台+211系5000番台普通富士行き。


もう1本、211系5000番台+211系5000番台普通三島行き。


313系2500番台+313系2350番台+211系5000番台普通熱海行き。
平日朝名物、8両編成です。あれ、こんな編成だっけ?運用変わった?


最後に2本目の373系「ホームライナー静岡」4号を撮影。こっちは無事に済んだ。
373系を2本連結して走るのはほぼホームライナーだけになってしまいましたから、また撮影してみたいものです。

これで撮影終了。帰りました。
おしまい。

【1/16】フォード・モデルT 1910年式【ギャラリー】

2020-02-18 23:22:15 | 模型ギャラリー
キット:リンドバーグ 1/16 1910 フォード・モデルT
仕 様:1910年式ツーリング型

リンドバーグの古典キットから作りました。素直に素組しましたが、それでも鑑賞に耐えうる良キットだと思います。


誰もが認める名車でありますから、一度はプラモデルを作ってみたいと思っていたのです。良いキットと巡り会えました。





屋根はないので雨が降るような時は後ろの幌を展開します。これ別にオープンカーだったわけではなく、当時の車は開放型のキャビンが普通でした。少し後に現用車のような密閉型キャビンが登場します。登場当時は全天候型と呼ばれとりました。





シャーシの裏。エンジンが見えるのが良い。


運転席。

以上フォード・モデルTでした。

【1/16】フォード・モデルT 製作【リンドバーグ】

2020-02-17 22:33:33 | スケール模型製作記
静岡ホビーショーでの中古プラモデルの即売会で入手したフォード・モデルTのキットを作ります。
モデルTあるいはT型は自動車史に欠かすことの出来ない1台とあって、主に海外メーカーからいくつもキット化されています(国内メーカーはさっぱり)。
今回はアメリカのリンドバーグ社のキットを作ります。モデルTは現用車と比べるといささか小型ですが、これの縮尺は1/16なので十分な迫力があると思います。


これの初版は1960年代の超ベテランプラモデルです。ちなみに今回のキットは2001年発売だそうなので、発売から20年近く経っています。
1枚で成形されたシャーシとフェンダーがドカンと目に入ります。モデルTの実車の部品構成はよく知りませんが、これは1960年代のキットなのだと思っていたよりも細かく再現されているなぁと。特にエンジン付きなのは高得点。


タイヤはゴムだし、メッキ部品は金メッキになってます。銅線のような金属線は、クラクションの部品です。


説明書は年季が入っていますなぁ。


シャーシと走り装置の部品を仮組みします。必要最低限にして十分な点数と再現度じゃないかなぁと。推進軸、バネ、変速機などが別部品化されていて立体感があります。現用車は一体化されることが多いですから、これはこの年代の自動車のプラモデル特有でしょうな。
シャーシと走り装置の部品はつや消し黒で塗装します。


トランクの部品。このピンは組み立てには不要なものですが、金型抜き取り時の取られ防止・・・?


上回りも組み立ててみる。ボンネットの立て付けがやや悪いですが、キャビンなんかはいいですねぇ!


ボディは黒で塗ります。クリア塗装してコンパウンドで磨きます。形状が単純だから磨くのも楽ちん。
靴摺りは銀色に塗ります。


運転室やエンジンを艤装していきます。


車輪やら風防やらを艤装。めちゃかっこいい!ホイールの赤がいいアクセントになるなぁ。
風防は金メッキされた枠に透明の風防部品をハメます。枠がメッキなのでセメントが使えません。
瞬間接着剤は白化が怖いので、セメダインのハイグレード模型用を使って白化を予防しました。


屋根がないのでキャビンもよく見える。


シャーシはこんな感じ。エンジンの色は緑にしました。

古いキットでしたがいい意味で大味だったので、部品の摺合せは難しくなかったです。外観の雰囲気は良いですし、大きい縮尺なのでハッタリもあります。満足できるキットでした。

完成品はギャラリーにて。


<使用塗料>
ボディ:N2ブラック
靴摺り:N8シルバー
シャーシ:N12つや消しブラック
ホイール:N3レッド
座席:N55ミッドナイトブルー
キャビン床:H79サンディイエロー
幌:N85セールカラー
エンジン:H26デイトナグリーン:H36ダークグリーン=7:3

ビクトリアの沿岸要塞跡地を見学する その6【2016/3/16】

2020-02-15 23:07:57 | 日常記
ベルモント陣地の脇からの海岸沿いの小道を歩いていると小屋が出てきました。
これは探照灯小屋ですが、最初に見た2つを含む4つの探照灯小屋とは別の時期に建てられたものです。
この小屋は第二次世界大戦時に建てられた17棟の小屋のひとつ。19世紀に建てられた4棟の探照灯小屋はこの時に置き換えられて役目を終えました(だから探照灯本体は残っていなかったのだ)。
この小屋は6号探照灯小屋で、1940年に建築。6号が最初の4棟からの続番なのか気になりましたが不明。エスクイモルト湾の入り口を見張っていました。
外観は板小屋にみえますが、実は迷彩塗装で、実際はバリバリのコンクリート造り。さっき見た1号探照灯小屋と同じような造りと見て良いでしょう。


位置関係はこのようなかんじ。


砂浜の上に建てられていて、海が荒れていたときに流れ着いた流木が打ち上げられています。こんなところで大丈夫だったのかな・・・。


正面の円弧状の部分がシャッターになっていてそこが開くと探照灯がお目見えします。そのシャッターの部分には四角い窓がありますが、あれも迷彩で描かれたダミーです。結構凝っているのよ。描いた人結構楽しんでやってたんじゃないかな。
小屋の前には舟がありますね。これ、満潮時は舟を使って出入りしていたということですかね。


そして!ここの小屋には探照灯御本尊が鎮座しています!直径60inch (152.4cm) あります。やはりでかいな。
銘板はかすれてて読めなかったけど、ゼネラル・エレクトリック製であるのは確認できました。



振り返ってみるとベルモント陣地が見えます。離れてみるとこう見えるのか。
管制塔の高さは30mくらいなのかなぁ。だとすると、x=3570√30でx≒19.5kmくらいですかね。妥当なんじゃないかなぁ(適当)


道沿いに置かれている物体。まあ、奥のは機雷でしょう。手前のは・・・?


金属製の網ですね。
これは、対魚雷対潜水艇網です。この網を海中に展開することで放たれた魚雷や侵入しようとする潜水艇を網に引っ掛けて防御するためのものです。


もう一度ここの地形を確認してみましょう。
この入り江状の地形の内側にエスクイモルト海軍基地がありまして、艦艇の出入りは入り江の入り口の狭い水道部しかありません。ここだけ守備すればよいので守る側にとってはやりやすいですね。日本の海軍基地も大なり小なり似たような地形をしています。
で、その防御網はこの入り江の入口に直線状に東西に渡って展開されました。一定距離ごとにブイが浮かんでいて、ブイから網が垂らされる格好でした。
ただ網を広げただけでは今度は自分たちの艦艇が出入りできませんから、必要に応じてこの網の門を開閉できるようになっていました。
防御網は両岸から延びていって、先端は移動式の舟に繋がっていました。2艘の舟は普段は連結して門が閉まっている状態になっていますが、友軍の艦艇が出入りする時は舟が離れて門が開いた状態になるのです。

ちなみに日本海軍はさほど特殊潜航艇の使用に熱心でなかったので、対日戦装備としては疑問が残るところ。
この防御網、恐らくは有名なところでイタリア海軍のアレクサンドリア港攻撃の戦訓を活かした格好になっていると思います。イタリア海軍の特殊潜航艇が港内に侵入して、イギリス海軍の戦艦に魚雷か機雷かを放って沈没させたやつですね。
ここ以外での実例は調べていないのでなんとも・・・ですが。



これは機雷ですなぁ・・・と思いましたが、たぶん網を海中に垂らすためのブイですかね、うーん。


海岸から陸地の方に戻ります。これは探照灯を動かすための発電室でござい。
海岸から見て大きな岩の後ろにあります。もちろん、敵の火砲から防御するためのもので、軍事設備でありますな~。ただまあ、長年の経年によるものか、土被りもややあるような気がして、半分埋もれているような格好に。
1902年~1956年の間、運用されていました。つまりベルモント陣地の運用開始直後からロッドヒル要塞そのものが廃止されるまでの間ということですね。


建物は1898年竣工?


奥の鉄柵の先の円筒状の白い物は燃料タンクです。
その手前の地面の白いマンホールみたいなやつは排気濾過装置です。排気と一緒に出る煤煙で敵に気取られないようにするためのもの。中は水タンクになっているようなんですが、構造がよくわからない。塗装ブースを排気ホースの先に水を入れたバケツを用意しておくことがありますけど、あれと同じことかな?
奥にももう一つあるんですが、土嚢で覆われてますね・・・。
でも左の窓からはみ出ている鉄管は発電機本体の排気管ですから、ディーゼル機関換装後の晩年は使われていなかったと思われ。


タンクはいくつも並んでいます。800ガロンが16槽。ガロンは明記されていませんが英ガロンだと思いますが・・・。
中には入れず。


これが発電室の中。発電機も保存されているのは高得点です。
竣工から1940年までは25馬力の焼玉エンジン (ホーンスビー・アクロイド式機関: Hornsby-Akroyd oil engine) を2基使ってたそうな。恥ずかしながら焼玉エンジンはほとんど知らないわけですが、ポンポン船のあの音だよな、くらいにしか親しみがなく・・・。日本でも現存例あんまりなさそうだなぁ。
で、第二次世界大戦の時期にウェスティングハウス製のガードナー・ディーゼル機関3基に置き換わったそうな。CAR-S0103という型番のような文字が書かれてましたが、詳細不明。


次、食堂。1900年築。いわゆる酒保でしょうかね。
1930年代に食堂として使われました。他にも物置き、既婚者の住居、事務所などなんにでも使われていた模様。奥の部屋は室温が低く一定なのでビールセラーとして使ってました。


食堂ですね~。顔ハメ看板もあり。顔を取られてしまった兵士カワイソスと思うのは自分だけか。


あれはたぶん野営キャンプ。ここは基本的に後方の基地ですから、兵士の訓練地として使われていたというのはありそう。
今は普通に民間人が宿泊できる観光用のキャンプハウスになっているんだと思います。



組立工小屋。組立工の作業小屋です。なんでこんなところに。


こんなふうに道具が置いてあります。鍛冶仕事もやってたみたい。


見晴らしの良い丘の上にある建物は砲台司令部です。いわゆるコマンドポスト。
各砲台を指揮するための場所で、この要塞の指揮系統の頂点です。
見晴らしが良いと言っても周りは樹木に覆われています。これは司令部を周りから隠匿するためなのでこれで正解。現役時ここの位置は割と機密だったそうな。


海さえ見えればそれでいいっしょ、な具合で窓の天地はとても狭い。なお今は木が生長しまくって前が見えん。


これは距離計を置いていた台。側面になんか書いてありますが、かすれていて読めん。
もうひとつ通信室があって、そこで各砲台陣地へ電話で通信してました。


司令部の裏に建つ、軍事基地にそぐわないお家。1897年築。
砲手長 (Master gunner) とその家族の住む家だったそうな。でも下士官が住んでいた時期もあったそうな。ここに下士官が住めるの?
その後も第二次世界大戦時には将校の家になり、戦後には既婚者の家となり、また砲手長の家になりましたとさ。
これも中には入れず。

というところで今日はここまで。



ビクトリアの沿岸要塞跡地を見学する その5【2016/3/16】

2020-02-13 23:29:19 | 日常記
ロッドヒル要塞内のベルモント陣地の見学の続き。再び砲台のところへ登ります。


建築時に装備された12ポンド速射砲 (12-pounder quick-fire gun) です。前回も書いたように後の増築時には撤去されたようなので、これはどこからか持ってきたものだと思われます。
陣地には左右に1門ずつ装備されていましたが、復元されているのは右側の砲台だけ。


大砲の防盾の裏側。どうも部品の欠損が見受けられる感じ。分かるところでは砲弾を砲身に装填した後に閉める蓋とか。他にもありそう。


照準器の台はありますけど肝心の本体がないっすね。


砲台のハンドルとか土台とか。


のぞき窓からの眺め。
だいたい5人くらいで運用していたようです。


次いで、増築時に設置された連装6ポンド速射砲 (Twin-barrel 6-pounder gun) 。大砲本体の割に防盾が大きいな。


射撃管制塔との並び。管制塔も増築時に建設されたもの。この2つはユニットで運用されたのです。


防盾の裏側はこんな感じ。12ポンド砲よりも必要な要員は多そうで、これが防盾がデカい理由か。


砲台の向き調整のハンドル。のぞき窓と椅子が2つずつあるので2人で動かしていたと思われ。
右のハンドルが砲台、左のハンドルが大砲の調節に使うものかな?(分からん)


反対側にもハンドルがありにけり。連装砲の角度は両者で独立して調節できたのか、それとも別系統の調節ハンドルか・・・?(分からん)
Hビームの上に乗っている黒いのが椅子ですね。一番左の人は何する人なんだろ(分からん)
自国の兵器大好きイギリス人のことだから、調べればネット上でもなにか見つけらるかもしれませんが、今回は省略します(手抜き)


射撃管制塔。内部は非公開でした。かなしい。
二階建て構造になっています。使わない時は窓に蓋できるようになっていますね。
高さが分からんのでなんとも言えませんが、どのくらい向こうまで見れたのかしら。対岸のポートエンジェルスくらいまでは見通せたのかな?(分からん)


増築した感ムンムンな雰囲気を出していて好き。

ちなみにイギリス連邦の一員として主に対独戦に参戦していたカナダとしては、太平洋沿岸の要塞は後方の辺境もいいところです。
なのでこの増築した要塞の仮想敵は日本だった可能性は高いです。単に要塞の更新時期と重なっていただけかもしれませんけど・・・。
ただ日本海軍の戦術的には高速魚雷艇ってヨーロッパ程重視されていなかったはずなんで、この対高速魚雷艇要塞が対日戦を本当に想定していたの?という疑問も残りにけり。
まあここは謎ってことにしておきます(手抜き)


左側の12ポンド砲の土台の跡。増築した建物によって潰されてしまいました。


謎空間が。


うーん謎。12ポンド砲時代に使われていた射撃指揮所?(分からん)


というところで今日はここまで。



京都鉄道博物館を見て回る 最終回【2017/8/16】

2020-02-11 17:02:41 | 旅行・イベント記
2017年8月16日(水)20時36分
京都府京都市右京区 渡月橋
この時間の渡月橋、もっと人気が無くてしんみりしていると思ったら激パだった。想像していたのと違う。どうして。


めちゃくちゃ人いるよ。
ちなみにここに着く直前まで山で大文字が燃えてたらしい。うーむ、見てみたかった。で、それが終わった直後なので見終えた群衆が一斉に移動しているんじゃないかと。


橋を渡っているとなんか川の上で光っているものを見つける。


なるほど、灯篭流しか。今日は8月16日なわけですが、ちょうどこの日が年に一度の灯篭流しの日だったのです。第二次世界大戦の戦没者の供養が目的で始まったので、この日になったのね。
そりゃ混むわな・・・。年に一度の行事に鉢合わせたのはラッキーでしたが。


右岸に渡りました。人減らないなぁ。


川岸で受付して自分で灯籠を流すスタイル。


彼の世感ある。見に来てよかったね。


言わば此の世と彼の世の境かしらね。



少しの間灯篭流しを見物したら離脱して歩いてJR嵯峨野駅へ。ホームは中々に混んでいます。嵯峨野線には103系を走らせたほうが良いのでは・・・?


2017年8月16日(水)20時36分
京都府京都市下京区 JR京都駅
JR嵯峨野線でJR京都駅へ。山陰線ホームを降りたら北陸方面の特急「サンダーバード」683系更新車が停車中でした。
まだ当面は活躍すると思って油断しているので、まだまともな写真は撮ったことがないのです。


まだ小一時間時間があったので、酒もまだだったし駅の中のバーで少し飲む。
カナダへの郷愁を誘うフィッシュ・アンド・チップスを注文してみましたが、カナダのものには程遠い代物でした。まあこんなものかと、少し残念。


京都駅八条口に出て、帰りの夜行バスを待ちます。それまでの間はバスの見物をば。
近鉄バス(日野セレガ#2061)の「クリスタルライナー」甲府行き。


近鉄バス(ふそうエアロキング#7402)の「よかっぺ号」水戸行き。便名のセンスが破壊的。


ウィラー(Willer Express西日本)(ふそうエアロエース)のディズニーランド(R)行き。


アルピコ交通(日野セレガ)の長野行き。


阪急バス(日野セレガ)の富山行き。


ウィラーのディズニーランド(R)行き。さっきのとは違う便だよ。
これは大阪さやま交通(ふそうエアロエース)の運行。


京都観光バス(ふそうエアロエース#82F06-736C)の京都止まり。


ほい来ました。しずてつジャストライン(ふそうエアロクイーン)の「京都大阪ライナー」静岡・清水行きです。
なんと阪急バスから移籍してきたエアロクイーンが来ましたね。京都大阪ライナーはしずてつと阪急の共同運行でしたが、阪急がこれから手を引いたのでその際に移籍してきた車両です。行先表示の行灯に阪急の面影が・・・。
移籍の中古車と言っても中はちゃんとした独立3列席だから問題なし。


草津SAで休憩。他のバスもみんなここで休憩を取るので、似たような夜行バスが集結。


平成コミュニティバス(ふそうエアロエース)の「VIPライナー」102号新宿・王子行き。


広栄交通バス(ふそうエアロエース)の「ブルーライナー」大宮行き。


ウィラーの日野セレガとふそうエアロエース。


JRバス関東(ふそうエアロキング#D654-03504)の「青春エコドリーム号」。エアロキングも記録できる内に記録しておかないと。


京成バス(ふそうエアロクイーン#H651)の「K★スターライナー」横浜・東京・千葉行。


一通り撮影し終えたので車内に戻ります。
この後はちゃんと睡眠でき、翌朝静岡駅を降りました。

というわけで、一連の関西遠征のお話でした。
おしまい。