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伊豆に温泉に浸かりに行こう 【2015/04/15~16】

2015-11-30 22:46:47 | 旅行・イベント記
両親に日本に戻っている間にしたいことはあるかと訊かれて、出した答えが「温泉入りたい(切実)」でした。

ご存知だと思いますが欧米には風呂という文化がありません。カナダももちろん同様ですので体を洗うときにはシャワーで済ませます。仮に風呂桶があったとしても、カナダではお湯はタンクに貯めてそれを適宜使うという方式ゆえにお湯を大量に消費してしまう風呂というのはタンクを空にし、後の人にお湯を使えなくさせてしまうことになります(実はこのことは執筆時点で今の今まで知らなかったのだが)。あとは水道も電気もシャワーに比べたらガンガンに使うので家計上も歓迎されないですね。水と安全はタダと思っている日本人には思いもよらない事情があったのです。なので普段は「風呂桶にお湯を張るなよ!」と釘を刺されていましたw
2014年10月~翌3月の半年間、湯船に浸かることが出来たのは12月末にシアトルに行った時の3日だけ。バンクーバーのホテルで風呂にありつけた時はどんちきどんちき└(^ω^ )┐♪┌( ^ω^)┘♪舞い踊ったものです(大嘘)

という事情もあって、シャワー生活に割りとすんなり順応していたのも事実ですが、広い風呂、要は温泉に浸かりたいなぁと思っていましたわけです。
そして、じゃあ伊豆の温泉行こうと相成ったわけです。やったぜ。



JR静岡駅から電車に乗ってまずは熱海まで行きます。自動車で行ったほうがそりゃもう楽ちんでお値段もお安く仕上がるわけですが、ちょうど動かせる自動車が無いということで電車で行くことに。
ご覧のとおり在来線で行きます。313系とEF66形126号機がちょうど並んでくれました。新幹線は費用対効果が低かったのでやめになりました。



熱海からは251系特急「スーパービュー踊り子」・・・ではなくその隣りにいる伊豆急行2100系で伊豆急行線に乗り換えます。体感で8000系と同じくらいかそれ以上乗っていると思う2100系、今回はリゾートドルフィン塗装でした。
251系は旧塗装に戻さないんですかねぇ。185系はもうほぼ旧塗装への塗替えが完了したと聞きますから、それが終わったら後にそうなるかな?



伊豆熱川駅で下車します。初めて降りる駅です。特急も停まる駅ということで線内でも規模は大きめ。



伊豆熱川駅からは送迎バスに乗ります。なんと日野リエッセに路面電車風の外装を装荷した改造版でした。
というわけで吉祥CARENという旅館で一泊でございます。豪勢だねぇ。



夕食はジャパニーズ・テッパンヤキを頂きます。キンメダイだ。いやぁ魚が旨いなぁ、たまらんねこりゃ。魚料理の扱い方はやはり日本が一番なんじゃないでしょうか。



牛肉もいいゾ~これ。



ガーリックライスがこれまた美味いんですな。やっぱ焼き飯系は火力だよね。家のコンロじゃこうはいかない。
なおカナダの家庭用コンロは基本的にどこも電熱線なので、もう論外です。



とまあ、こんな感じでした。おやつにパンケーキが出たり風呂あがりにビールが飲めたり至れり尽くせりな感じでした。温泉も広くて眺めも良くて満足でしたねぇ。これなら1年くらいシャワーでも平気そうだ。
いい思い出になりました。よかったゾ。



お家に帰るべく伊豆熱川駅に戻ります。
駅前の建物にはなんか「梅宮辰夫漬物本舗」っていう看板が。あー、よくあるよねこういうの。ていうか店閉まってる・・・ダメじゃん。



行きと逆の経路で帰ります。また2100系・・・




ですが、2100系でも乗るのはこっち「アルファリゾート21」です。伊豆急に乗るときはいつも特急運用に入っていて今まで見ることはあっても乗ることはなかったのですが、今回ついに乗ることが出来ました。



途中の富戸駅で8000系と交換。



川奈駅では251系と交換。

で、もうすぐ南伊東駅だなというところでJR伊東線で線路陥没が発生、運転を見合わせます。熱海行きだったこの列車も伊東駅で抑止となります。うーんこの不幸。
とりあえず電車を降りてどうなっていてこれからどうするつもりなのか様子を見に行ったらどうやら代行バスを出す模様です。立ち往生は防げそうですね。



代行バス、車両とドライバーの手配に時間がかかってJRの職員が乗客からあーだこーだ質問責めにあっていましたが程なくして第1便が到着。
伊豆東海バスのいすゞエルガでした。「列車代行」の行先表示はなかなかお目にかかれないのではないでしょうか?もう災い転じて福を見つけるくらいの気構えでいましょう。
ただまあ、JRの対応はちょっとしょっぱかったかなぁ。関係ないはずの伊豆急の社員がなぜか乗客を誘導していてですね。JR社員は裏にいたのかなあ、どうなのかしら?ちょうど当時は山手線で架線柱が倒れるなんて事故が起きていて、そのそばからの線路陥没ですから保線しっかりしてちょーだいよとは思いますわな。



2便目は南伊豆東海バスのいすゞガーラHD。観光バスまで投入してくるとは。これに乗りたかったけど列が思いのほか長くて乗れず。



第1便から第2便はすぐに到着しましたが、第3便は手配に手間取ったせいかかなり待たされました。地方のバス会社に車両・人員ともに余裕は無いだろうしなぁ。というわけで待っている間に列を一旦抜けてバス撮影をば。
伊豆東海バスのいすゞガーラミオですが、なんだいきなり変なのが来たな。ジャーニークラスの中型路線バスボディにガーラのマスクという出で立ち。ちなみにリアもガーラと同様の2枚窓です。で、これの場合、塗装が東海バスの旧塗装というレア物です。



伊豆東海バスの三菱エアロミディMJ。エアロバスのマスクに東海バスの旧塗装をまとった、こいつもレア物。
なんだか抑止食らってむしろラッキーになってないか?ただ他に得している人間はいないだろうけど・・・。



いすゞエルガミオの第3便が到着しました。これは熱海駅から乗客を乗せてやってきたバスです。



第4便、これに乗ります。車両は三菱エアロスターM。ここに来て古いバスが来ました。
ところでライトケースが銀色のエアロスターMというのは他では見ないですから違和感があります。
余裕の着席をし、これで熱海まで。なお、これに前後して伊東線も運転を再開してまして(そんなに深刻な陥没じゃなかったのかな)、熱海到着はバスと電車とで結局だいたい同じになりました。



伊東駅のごたごたでくたくたになってしまいましたが、来宮神社に寄っていきました。名前は何度か聞いていましたが来るのは初めて。



本殿。ご挨拶していきました。
あとは天然記念物のくすの木がありますね。1周回ると寿命が1年伸びるらしいぞ?



裏には川も流れてるのだ。



熱海駅に戻ります。
駅前には熱海軽便鉄道7号機関車が置かれていました。あれ、こんなところに置かれてたっけ?と不思議がりましたが、駅舎の建て替えに伴って駅前も整備されているようです。全然気が付かなくて旧駅舎の写真とか何も記録していなかったぞい。



帰りも鈍行に乗りました。
静岡の211系も執筆時点ではテールライトがクリアガラス化されてしまったという話ですので、これも過去の形態になってしまったというわけです。なんとなく撮った写真もいつ過去の記録になるのか分かりませんな。


・・・以上で、日本での行動はこれですべて書き終えました。次回からまたカナダです。
カナダへの渡航は既に半年も前に書いていて今更改めて書くこともないので気になる人はそちらを読んでくだしあ。
いやしかし、執筆ペース遅すぎですね。7ヶ月遅れですよ。そのうち本当に周回遅れになりそう・・・。
まあ、善処します。

【拉致旅行シリーズ】 山陽project ~ Unforeseen Destinations. 最終回 【2015/04/11~13】

2015-11-29 22:54:42 | 旅行・イベント記

2015年4月13日12時29分
東京都大田区 JALメンテナンスセンター

いよいよ整備場の格納庫にやってきました。ヘルメットを着用して団体行動で見学します。格納庫は広くて高いです。飛行機の胴体自体はコンパクトでも主翼と垂直尾翼が場所をとるのでまあ当然なのですが。



B737-800がいました。機材の前には新品の座席が置いてあるので、スカイネクストへの更新工事をこれからするのかもしれません。



747の模型。JALの747は一度も見たことないです、きっと。下の見切れているのは777です。



もうひとつの格納庫、JALメンテナンスセンター2へ移動します。
ご安全に!



整備道具がきっちり並んでいますねぇ。



ふたつめの格納庫にはB777-200(JA773J)がいました。特になにかされているわけではなく、ただ置かれているだけのご様子。



そして、今までは上から見るだけでしたがここは機材と同じレベルで見学できます。さすが777、間近まで迫るとデカいですなぁ。カメラに収まらない。
エンジンの直径が737の胴体に匹敵するっていうんだからすごいよな。あのエンジンの内側に6人横に座れるんだぜ。



格納庫からちょうど着陸する飛行機が見えます。いきなりビジネスジェットは降りてきてびっくり・・・。
ガルフストリームG550(N588PX)でした。この大きさで成田~ニューヨークを無着陸飛行できるすごいやつらしい。上海のPengxin(ペンシン?)という会社の社用機かと。機材の国籍はアメリカっぽいんですがね。



日本航空のB767-300(JA8988)。鶴丸もだいぶ増えてきた印象ですね。



エバー航空のA330-300(B-16331)。キティちゃん推しのところですね。
767とA330は見分けるの難しいです。胴体尾部の形状で識別すればいいのかな?



777が格納庫から引っ張られて屋外に連れて行かれました。



さようなら・・・。



格納庫の片隅では737が整備を受けていました。足場も組まれていてまさに真っ最中という感じですね。



エンジンカウルがバラされて中身が見えています。



新品のクラスJ座席が置かれていました。あの737に積みこむのかな?



取り外された古い座席(かな?)。
これで行けるところまで行ったのであとは戻るだけです。



帰り際にはダグラスDC-8のカットモデルを見ました。当時の日本航空の機材にはそれぞれに固有の愛称を付けられていて、このJA8001は「富士」でした。
キャビンには和室があってアテンダントは割烹着を着るというかなり意欲的な造りだったそうで。
ビートルズが来日した時に乗ってきた機材もDC-8でした(これとは別の機体ですが)。



さっきの777が頭をこっちに向けていました。向きを変えたかったのかな?



東京モノレールに乗って浜松町の方に戻ります。
いまの整備場でもう行くところは全部行ったようで、この後は考えもなしに秋葉原へ。



秋葉原で遅い昼飯。いわゆるJapanese healthy foodである二郎のような何かを食べます。
うーん、たぶんもう来ないと思う。平打ち麺はないわー。
このあとは考えもなしに秋葉原を徘徊します。秋葉原には先週既に訪れて買い物は済ましているんで特にこれといったこともなく。



徘徊を終えたら新宿に。もう帰りますよん。西口バスターミナルからバスで帰ります。
アルピコ交通(川中島バス)日野セレガHDの特急長野・善光寺行き。



伊那バス日野セレガHDの特急飯田行き。東京から伊那地方まで公共交通で行くとすると電車よりバスが便利なんですかねぇ?



京王バス東日野セレガRの甲府・竜王行き。



JR東海バス日野セレガHDの「渋谷・新宿ライナー静岡号」。これに乗ります。

というわけでこれにて解散となりました。
みんなも誰かと旅行にいく時はそいつの行っていることが本当に正しいのかよく確かめよう!

ZeBonさんとはまた来年お会いしましょう、日本の何処かで、はたまた・・・?


おしまい

【拉致旅行シリーズ】 山陽project ~Unforeseen Destinations. その13 【2015/04/11~13】

2015-11-26 22:49:45 | 旅行・イベント記

2015年4月13日6時28分
JR東京駅9番線ホーム

東京駅に着きました。今度は寝台に乗りたいですね。



東十条駅に連れて行かれて「北斗星」を撮ろうとしましたがよく分からないうちに列車が通りすぎてしまって敗北D。グダグダじゃないか。
で、そのまま京浜東北線に乗って浜松町駅まで連行されました。こんなところで降ろされて次に乗るのは東京モノレールで、そして羽田空港に連れてかれるに違いありません。もうお分かりだと思いますが行き先を知りません。なんだ?また飛行機か?今度はどこだ?次こそ北海道か?



新整備場駅とかいう普通は降りないような駅で降ろされて、「JALメンテナンスセンター」という建物へ。JALの整備場の見学ツアーに参加するようです。



受付を済ませてからツアーの開始までは施設内の資料館を見て回ることが出来ます。JALの歴史だとか機材の一部だとか座席だとかを見られます。
これはビジネスクラス座席ですね。一度は乗っておきたい。



ファーストクラス。乗れたらいいなぁ。



プレミアムエコノミー。昔のビジネスクラスに相当するとのこと。これなら手が届きそう?



クラスJ座席。1000円の課金でそれなりの快適さとのこと。1000円なら乗ってもええやんって思ってしまう。



歴代キャビンアテンダントの制服。派手なのとおとなしめなのが交互にありますね。一番奥の黄色やオレンジの制服とかすごいもの。



DC-9のコックピット。



ツアーの始まる時刻になりましたが、整備場に行く前に飛行機って何?という疑問に応える航空学概要(必修科目・単位2)という講義を聞きます。
1時間くらいの講義を終えたらいよいよお待ちかねの航空学実習(必修科目・単位1)です。


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【拉致旅行シリーズ】 山陽project ~Unforeseen Destinations. その12 【2015/04/11~13】

2015-11-25 23:43:54 | 旅行・イベント記

2015年4月12日17時53分
JR岩国駅

陸奥記念館から車で大体2時間、JR岩国駅に着きました。既にレンタカーは返却してあります。ここから再び鉄道に乗ります。



お ま た せ
い つ も の
1 1 5 系

広島方面行の電車に乗ります。新型の227系を期待していましたが、そううまく事は運びませんね。
ちなみにこのクハ115は113系から改造されたようですね。タイフォンがスリット状だからね、怪しさ全開だね。



反対のホームにも115系。しかもどちらも広島更新色。ここは2015年なのか?(末期色がいない的な意味で



広島駅で降りろと言われました。というわけで広島県上陸です。ホームに降り立つと、おや白い電車が・・・。



ここ数年広島ではお馴染みとなっているカープ電車に遭遇しました。年々派手になってきているような気がしますが、2015年はスローガンの常昇魂や選手のイラストを大きく描いていました。すごく目立つ。



カフェオレ115系との並び。あまりのカープ愛にワイ選手も今日だけカープファンに。



今回は意外と見かける機会の少ない末期色の115系。



広島駅の駅ビルで夕飯。お好み焼きが死ぬほど食いたかったんだよ!もう2日もまともなメシ食ってねぇ、やってられっか!・・・実に美味である。
今旅行、食事だけはだめだめでした。山口が何も無さすぎるもので。山口県 食事以外は いいところ(ベベン、というのが今回の総評です。文句があるならその店へ連れっててごちそうしてくれ。



食後の運動がてら撮影会。広電バスのいすゞエルガハイブリッド。



広電の新型車両1000形Green Mover Lex。じわじわ増えていって旧型車を更新しているらしい。



広島バスの富士重7E。



広電5100形Green Mover Max。広電のフラッグシップ路面電車ですね。



5000形Green Mover。グリーンムーバー一族の長男。もっと古い車が1台くらい来ないかなとも思いましたが、来ませんでしたね。駅前には乗り入れないのかな?
広島市内、実はろくに周ったことがないのでここもまたちゃんと散策しなければ。



JRのホームに戻ると、いました、JR広島地区うん十年ぶりの期待の新車227系です。時刻表に3両の表示が出ていたので来るのは予め分かっていました。



外観上目立つのが先頭の転落防止幌です。まあ確かに見かけは悪く見えてしまいますが、設計段階から取り付けられているだけあって、後付けの223系や221系よりもよくまとまっています。



新幹線ホームへ上って、N700系7000番台「さくら」572号新大阪行に乗せられます。7000番台(S編成)はJR西日本の所属です。ちなみに九州新幹線に乗るのは初めて。



隣の人がシンカンセンスゴクカタイアイスを食べているうちに岡山駅に到着。ここで降ろされます。



隣には700系7000番台レールスター。これにはまだ乗ったことがないです。



在来線ホームに降りてキハ187系と115系。き、黄色が眩しい・・・。



次に乗るのはこちら、寝台特急「サンライズ瀬戸」東京行です。あ、もう東京に帰るんだって感じですがまあ乗ります。
なお乗るのは初めてです。やったぜ。これはかっこいい。



「サンライズ出雲」は来る前に連結の準備をします。なお「出雲」は少々遅れての到着でした。



せっかくの寝台特急ですが乗るのは雑魚寝ののびのびシート。
「出雲」が遅れていたのでその間車内探検と洒落こみましたが、あーこれは寝台に乗ってみたいですね。なかなか居住性が高そう。
どうもこのままの状況で推移すると、285系「サンライズ」を最後に日本の寝台特急は絶滅してしまいそうな様子なので、そうなる前に一度は寝台に乗って四国なり山陰なりに行ってみたいですねぇ。

岡山駅を出発したら、早々に就寝しました。


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【拉致旅行シリーズ】 山陽project ~Unforeseen Destinations. その11 【2015/04/11~13】

2015-11-23 21:39:10 | 旅行・イベント記

2015年4月12日14時49分
山口県周防大島町 陸奥記念館

というわけでレンタカーで拉致られてきた場所は陸奥記念館です。帝国海軍の戦艦「陸奥」にまつわるあんなものこんなものを置いているわけですね。
たしかにここは自動車でないと来にくい場所だわ。一応バスは通ってるんですけどね、本数はお察しという状態ですのでね。
記念艦の表には「陸奥」の主錨が置いてあります。左右についているもののうちの右側の錨です。



さて、戦艦「陸奥」といえば長門型戦艦の2番艦で41cm主砲を装備した戦艦「世界のビッグセブン」の一角でした。現代では日本の戦艦といえば「大和」ですが「大和」は竣工後も軍事機密だったらめ、当時の日本国民に親しまれていた戦艦は「陸奥」とその姉妹艦「長門」でした。
しかし、1943(昭和18)年6月8日、柱島水道警泊中に後部の第三砲塔が謎の大爆発を起こし沈没。乗員1471名中生存者は350名と悲惨な結果となりました。
みんなも火遊びには気をつけよう。



爆発した後の「陸奥」のスケッチです。
海底に横たわるように沈没しています。そして、第3砲塔の部分で船体が見事にふたつに分かれてしまっているのが分かります。
戦艦の船体って装甲が厚いので丈夫というイメージがありますが、それを破るほどの大爆発だったのか、それとも内側からの衝撃には弱いのか。



「陸奥」乗員の遺品です。下士官の見回り品から艦長の勲章まで色々。遺品ということで生前のご本人たちや遺族が寄贈したと思われ。



こちらが戦後サルベージされた「陸奥」から引き揚げられた品々。指揮刀、日本刀、南部式拳銃などなど。基本的に腐食してしまっていますが、日本刀に関しては水洗いしただけであとは引き揚げられた時のまま。25年以上海底に沈んでいながら、当時の輝きを保っていたのです。これはすごいですね。
「陸奥」のサルベージは1970(昭和45)年から8年がかりで行われ、船体の約75%が引き揚げられました。ちなみにサルベージの作業にあたったのはサルベージマニアで知らないものはいないという深田サルベージです。



電池、弾丸、圧力計などこちらは船体の装備品です。



陸奥が沈んだ地点の模型。手前に沈んでいるのが「陸奥」、奥の赤い目印が今いる陸奥記念館です。大体3kmくらいの距離です。
他にもこれでもかというくらいありますが、あとはあなた自身で確かめるのだ。意外と写真撮ってなかったね



屋外にも展示物があります。
記念館の裏には新明和工業PS-1哨戒飛行艇。海上自衛隊の対潜航空機です。デカくて迫力があり何しろ航空機が保存されているというのは比較的珍しいことで良いわけなのですが、周りに木が乱立していていかんせん全体を撮りにくい。もうちょいどうにかならなかったのか。



記念艦は海岸沿いに建っています。ちょうど「陸奥」の沈んでいた地点も見晴らせるわけですねぇ。だいたい写真のあたりのはず。



そして記念館の目玉、ちょっと離れた高台にはサルベージされた「陸奥」の部品の一部が置かれています。
まずは陸奥の脚ことスクリュー。26.5ノットまで出せます。なおこれだけで11トンあります。重い・・・。



次、陸奥の肘とでもいうべきか、50口径14cm単装副砲。「陸奥」はこれを左右9門ずつ計18門装備していました。射程は14.8km、砲身長は7m、重量は砲座含めて18トン。どいつもこいつも見かけの割に重いです。そりゃ排水量4万トンにもなるわ。



中でも貴重なのが、陸奥の頭頂こと艦首です。もう先端の先端だけですが、それでも太平洋戦争時の艦船の船体としてはたぶん唯一の保存例。ちなみに正面に飾られていた菊の御紋は江田島で保存されているとのこと。さすがに野ざらしにはしないか。



副砲は2門あります。
ぶっちゃけあまり手入れが行き届いてないような気はしますが、あまり腐食が進んでいないのはさすが戦艦といったところでしょうか。



「陸奥」の慰霊碑ですね。



「陸奥」を象った柵もあります。戦艦は正面から見るとカッコいいですね~。



今日のレンタカー。マツダ・フレアです。



ZeBonさん、撤退する前に艦これをプレイして午後の演習だけやります。ここは陸奥記念館なので旗艦はもちろん陸奥です。後は適当。結果はもう覚えていないです。
ちなみに午前の演習は大津島で既にプレイ済み。旗艦はもちろん伊58です。



また次の場所へ移動します。途中でバスの廃車体を見かけました。何者なのかはさっぱり分かりません。
ちょっと遠目から見るだけですぐに車をまた走らせました。


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【拉致旅行シリーズ】 山陽project ~Unforeseen Destinations. その10 【2015/04/11~13】

2015-11-20 23:26:02 | 旅行・イベント記
ZeBonさんは今朝、こんなことを言っていました
「今日は海軍力が高いところを見るから」



2015年4月12日14時00分
山口県岩国市 国道437号線上


あ…ありのまま 今起こった事を話すぜ!

「おれは奴(ZeBon)の前で徳山駅へ歩いていたと思ったらいつのまにか(レンタカーに)乗っていた」

な…何を言っているのかわからねーと思うが 

おれも何をされたのかわからなかった…

頭がどうにかなりそうだった… 

催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ

もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…



というわけで、徳山駅に戻ってきたと思ったら昼食も食べずに(まあ徳山駅に飯屋なんて無いんですけどね!!)レンタカーに詰め込まれてしまいました。
フェリーに続きレンタカーもノルマ達成。特になんてこともないけどやったねおめでとう。
当然ながら行き先は知らされていません。このレンタカーはカーナビが付いているのですが、なんということでしょう、あえて使わないことで行き先を拉致被害者に隠しています。拉致の匠ZeBonさんの粋な計らいです。



大島大橋を渡ります。大島ってどこだよ。てか今どこよ。
ちなみに運転手は前の車があんまりチンタラ走るもんでそりゃもうご立腹です。山口は飛ばし屋が多いと聞いていたらしいZeBonくんもこれにはガッカリ。



こんな橋です。とても立派です。



防予フェリーというそうです(ZBS調べ)。写真ブレブレだったのによく分かったな。



防長バスの三菱エアロミディMK。交通機関もあって車通も多い、大島は結構大きな島のようです。



瀬戸内海。どこまで走るんだろ。



直営販売所「無尽蔵」。本当に底なしなんですかねぇ・・・?



英語とカタカナとひらがなを多用したせいで意味不明になってしまった施設名の例「サザンセトとうわ」。
地名をひらがなにするの本当マヌケに見えるんでやめてくれませんかねぇ・・・。あとサザンの英表記くらいちゃんと英語で書けよ。



あっ。




ネタバレを見てしまいましたが、カナダと日本の間に広がる太平洋の水底のように慈悲の深い僕はあえて「青森県のアンテナショップかな?」と会心の演技ですっとぼけることで車内の空気を壊さずに済みました。



はいそして着きました。かなり時間かかりましたね。

陸奥記念館です。

知ってたな、なんだってぇ!!海軍力が高まっている・・・。
まあ実際のところ、ネタバレするまでは想定外でしたがね。


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【拉致旅行シリーズ】 山陽project ~Unforeseen Destinations. その9 【2015/04/11~13】

2015-11-19 23:39:27 | 旅行・イベント記

2015年4月12日11時6分
山口県周南市大津島

大津島探訪も大詰めです。最後に訪れたのは謎の隧道。
何かというと、資材運搬用の軌道線のため掘られた隧道です。前回記事で見た魚雷調整工場からこの先に続いている謎の施設までを繋いでいました。
謎の施設へはこの道しかありませんので、必ず通ることになります。



軌道は単線だったようですね。まあ当然か。
レールの跡がはっきりと残っているので当時の様子は想像しやすいです。



隧道の真ん中辺りで複線が現れました。ここで列車交換が出来ます。



待避線が始まる辺りには横穴が開いていて、外に出られます。退避孔にしては立派なように見えますので、何かの設備に繋がっていたのではないでしょうか?



まあただ、何かあったのかと思えるようなものは見つけられませんでした。眺めは良い。



複線は数十mくらいありました。壁には当時のこの島での写真が掲示されています。



複線が終わるとそのまま左カーブ。そしたら出口です。



トンネルを出るとそこには謎の施設が目の前に現れます。
これは魚雷発射試験場です。文字通り、九三式酸素魚雷の試験を行っていたんですね。回天の訓練もここで行われました。



軌道跡の橋をわたって到達できます。ここにはレールの跡はないですね。



ドーンときます。意外と大きいですな。



ここが魚雷の投下場所。魚雷を下ろすのがせいぜいという大きさの穴で、魚雷より直径の大きくなった回天はここから下ろすことが出来ず、新たにクレーンを設置してそれを使って海面に下ろしていました。



2階は観測所か指揮所だったところですかね。金網が立てられているので立ち入ることは出来ません。
あとは写真手前の網で塞がれている大きな穴は何だったのか気になる所ですが分かりませんでした。



クレーンの支柱跡が残っています。ここから回天を下ろしていました。
あとは潜水艦への積み込みもこれを使っていた・・・はず(覚えていない



というわけで発射場跡でした。当時の様子がよく伝わってくる遺構でした。



帰りがけに基地の営門を発見。門の遺構はよく見かける印象です。



なんてことのない空き地ですがよく見ると、写真右によく海の男が片足を乗せてポーズを決めるアレ(名前がわからない)があります。
昔はここが桟橋だったということですね。



キャンプ場。ここは何が建ってたのかな?



馬橋の港に戻ってきました。
島の奥には砲台跡、探照灯跡とまだ遺構があるのですが、残念ながら帰りのフェリーに乗る時間です。山口城に続きまたもや時間が足りなくなるという結果に。
それにしても、戦争の訓練をしていたのか?と思わせるような綺麗な海ですね。



ぬこ。ちなみにカナダでは猫は殆ど見かけません。



帰りは大津島巡航の「フェリー新大津島」に乗船します。こちらは車も積める完全なフェリー。これにはワイ選手も納得。
というわけで徳山に戻ります。また来ます。


その10へ→

【拉致旅行シリーズ】 山陽project ~ Unforeseen Destinations. その8 【2015/04/11~13】

2015-11-18 23:23:56 | 旅行・イベント記

2015年4月12日9時12分
山口県周南市大津島 回天記念館

回天記念館を見学していきます。
表には人間魚雷「回天一型」が展示されています。九三式酸素魚雷に操縦席を付けて人間が操縦して攻撃できるようにしたものです。一見すると誘導魚雷っぽいですが、潜望鏡で目標の未来位置の予測を立ててからあとは推測で突入するというもので、運用にはかなりの熟練が必要とされていました。その訓練をしていたのがこの大津島というわけです。



搭乗口。当然ながら外の様子を伺うには潜望鏡を使うしか無く、しかも攻撃時には潜望鏡を下ろすため外の様子が分からないまま戦死するという、特攻兵器群の中でも特にキッツいなぁと感じる兵器です。



後部。



回天の推進装置の一部です。あの回天はレプリカでしょうが、これはどうも本物のようです。残っているものですねぇ。



大津島の模型です。この後の散策で役に立ちます。



回天のモックアップ。内部が再現されています。



うう・・・狭い。キツいなぁ。



オリョクルの達人伊58潜水艦の模型。回天の母艦として運用されていました。



旭日旗。
他にもたくさん展示物がありますので、是非足を運んでみましょう。

次は、山にある遺構を見に山登りをします。



着きました。看板には距離700mと書かれていましたが、体感では2kmありました。足元も悪いし意外ときつかったぞこの野郎。
そんな苦労の末たどり着いたのがこの魚雷見張所跡。回天の訓練基地として運用されていた大津島ですが、それ以前には九三式酸素魚雷の試験場として使われていました。
ここは試験場から発射された魚雷を見張るための建物なのでした。明記されていませんが回天の訓練の様子も見ていたのかもしれません。



屋内はな~にも残っていません。しかし、照明や配線、黒板に机などがあったと思われるような痕跡は至る所に残っているので、そこから想像して補完するしかなさそうです。当時の写真や資料は終戦時に焼いちゃったのかなぁ?



肝心の展望ですが、この通り抜群の悪さです。戦後70年経てば木も生い茂ますわな。残当。



見張所は山の頂上ではありません。ここまで来たんだ、山を制覇することに。頂上は塔が立っているだけでほかは特になにも。



見張所よりかはマシという程度の眺望です。



結構体力を奪われた登りと違って下りはちょろいもので、筍を観察する余裕さえ出てきます。
例えばこの筍はもう成長しすぎです。固いしエグいしろくなものじゃない。基本的に地面から顔を見せている筍はアウトです。



こちらも頭が見えていますが、まあギリギリセーフでしょう。美味しい食卓になりそうです。
なおここは人んちの山なので勝手に収穫していったら捕まりますゆえ。許可を取るかもう竹林を買ってしまいましょう。



ちょうど森林が途切れるところがあったので撮影。大津島は元々2つに分かれていた島が砂州によって繋がってできた島です。DASH島みたいな感じですね。



下山して大津島小学校のところまで戻ってきました。戦前、この小学校は海軍の魚雷や回天の調整工場でした。軍施設です。元々軍需工場の敷地だった学校というのはたまに聞きますがここもそうなんですね。



殆どの設備は解体されていますが、いくつかの建物が今も残っています。例えばこの点火試験場。魚雷の炸薬の試験をしていたんですね。



これも何かの痕跡かなと思いましたが特になんでもなかったようです。水槽?
他にも変電所や危険物貯蔵所が敷地内にあります。ですが、敷地内に侵入するのはダメだぞ。

次回は例の秘密基地に行きます。


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【拉致旅行シリーズ】 山陽project ~Unforeseen Destinations. その7 【2015/04/11~13】

2015-11-16 22:22:02 | 旅行・イベント記
ZeBonさんは僕を騙す前、こんなことを言っていました、確か。
「北海道ではフェリーレンタカーに乗るから」

これを頭の片隅にでも置きながらこれからの記事を読んでいくといいかもしれません。



2015年4月12日8時15分
山口県 JR徳山駅

2日目はJR徳山駅からスタート。この時点でぼくの行き先は分かっていません。
駅から電車には乗らずに南に向かって歩いていきます。



すぐに徳山港につきました。
港には特攻兵器「回天」のレプリカがあるんですねぇ。なんでこんなところに。徳山・・・フェリー・・・回天・・・あっ(察し)
どうやら余計なものを見てしまったようですが、向こうはまだ行き先を隠したがっているようなので仏のように心優しい僕はあえて分からないフリをして、後ろに見える大分行きフェリーの看板を見てたじろぐ迫真の演技をしてミスリードします。お、大分に連れてかれるのかな・・・(棒読み)



港に来たということは船に乗るんですね。大津島巡航の「鼓海II」という60トンクラスの小型客船です。これで大津島の馬島地区まで連行されます。
これでまずフェリーはノルマ達成ですね。フェリーといえるかどうか怪しいところですけれどカナダ国土のように心の広い僕はこれを認めます。



船に乗ったら必ず撮る定番の画。



仙島かな・・・多分。



馬島で下船。わずか20分ほどの船旅でした。馬島は経由地のひとつで終点ではないので船はとっとと次の寄港地へ向かってしまいました。



回天の島という看板がお出迎え。そう、ここは帝国海軍の回天搭乗員の訓練施設が存在した島なのです。現在もその遺構がちらほら残っています。それらを見ていくという趣向のようですね。



港です。何かありそうですが後々見て行きます。



島の反対岸には海に浮かぶ秘密基地のようなものがありますね。これも後で見て行きます。



どうみても軍施設の遺構だろというコンクリの塀に固められた道を歩いていると、「地獄の石段」という遺構が。
ただの連絡階段に見えますが、訓練にも使われ、当時の人達(訓練兵?)からそう呼ばれていたといいます。
蝶番が残っていることから、昔は扉が付いていたことが分かります。



井戸・・・?



そして最初の目的地、回天記念館です。まずはここを見学します。


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【拉致旅行シリーズ】 山陽project ~Unforeseen Destinations. その6 【2015/04/11~13】

2015-11-12 23:50:17 | 旅行・イベント記

2015年4月11日15時30分
山口市山口県庁敷地内

県庁舎の全体を撮影して撤退します。また来ます。



お城だったのでお堀があります。お堀には鯉。おなじみですな。



珍しいものとしてコブハクチョウも。くちばしの根元に黒いコブが付いているのが見分けるポイント。



JRバス中国の三菱エアロスターM。秋芳洞にも行きたいよね。



歩いて山口駅に戻ってきました。最初は周りに何もないつまらない駅だと思ったここも、散歩し終えてみれば立派な駅なように見えます(テノヒラクルー
防長バスの日野レインボーRBが来たので適当に撮影。レインボーと言っても大きさはリエッセクラスの小型車です。
さてここから「やまぐち号」撮影をしに行きます。もうあまり時間がないので駅の近くで済ませます。



駅近くの益田寄りの踏切で迎撃することに。
すぐそばにJRバス中国の営業所がありますので、こんなふうにいすゞエルガなんかが通っていきます。



ハイ来ました、C57形「やまぐち号」です。周りがごちゃごちゃしてますが、まあこんなものでしょう。もっとド田舎でも撮れましたが、2時間待ってそこからまた長時間帰りの列車を待つのはつらいと思ったので。



帰りの「やまぐち号」は密閉式展望車が後ろに付きます。車内はともかく外観はやややっつけ感が。
なお2017年にはオハ31形・オハ35形・マイテ49形を模した旧型客車をなんと新規生産して客車を更新することが決まっていますので、12系に乗るのはどうも今回が最初で最後になりそうです。
それにしても旧型客車の再生産(?)は驚かされたもので、これにもまた乗りに行きたいものです。置き換えられた12系のその後も気になるところで、廃車か北びわこ号に転用かはたまた他の鉄道会社へ譲渡か。



山口駅に戻ります。



目の前にいたキハ40系に乗って新山口駅に。新山口~山口間は列車本数が多いのです。



その前にさっき乗ったしまねっこラッピングのキハ187系特急「スーパーおき」が折り返してきたので撮影。地味ながら鳥取まで走る走行距離の長い列車ですよね。



新山口駅からは山陽本線に乗り換えます。乗ったのはおまたせいつもの115系3000番台ですが、偶然にも大河ドラマ「花燃ゆ」ラッピングの編成でした。
ちなみに僕はどこで降りるのか分かっていません。



徳山駅で降ろされました。今日はここに泊まるそうです。こんなところにいったい何が。

ホテルにチェックインする前に食事をと駅前商店街に繰り出しましたが、いやあ何もないですね。商店街をぐるぐる周って、結局パッとしない味のラーメン屋に落ち着きました。
田舎はやっぱ国道まで出ないと何もないですね。やっぱ山口ってダメだわ(テノヒラクルー もうワイの手のひらはボロボロ。



ホテルはおまたせいつもの東横イン。
実はここで夕食が食べられたらしい。あまりの駅前の食事事情の貧相ぶりに東横インも手を差し伸べたのかと勘ぐりたくなります。知らなかったとはいえ先にチェックインすべきだったね。

というわけで1日目はおしまいです。明日はどこに連れてかれるのか。当然僕は知らされていません。


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