黒鉄重工

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続・ビクトリア・デイのパレードを見物する その2【2016/5/23】

2020-06-29 22:25:12 | 日常記
消防の次は警察の出番です。いきなりクラシックカーで、これはダッジ・1940年式セダンと思われ。ビクトリア市警交通局の交通取締車パトカーだった模様。この時代のパトカーはパンダ塗装なのね。


ダッジ・キャラバン(5代目)。ビクトリア市警のボランティアサービスの車両。ボランティアってあたり、正規のパトカーと警官が乗る車両ではなさそう。


ダッジ・LD系チャージャー(V15570)。これは正規のパトカー。このチャージャーは2015年以降のマイチェンを受けた車種です。


ダッジ・キャラバン(5代目)。「クライムストッパー」というのは警察の外部協力組織です。


サーニッチ署のGMC・シエラ(3代目)(1192)。後ろのトレーラーにはモーターゴムボートが乗っていて、海の果てまで追いかけるぜという気迫を感じます。
ボートに乗っている着ぐるみはサーニッチ署のマスコット、エース君です。かつてサーニッチ署で働いていた同名の警察犬が由来。全国警察犬チャンピオンでした。


フォード・E450のカタウェイで拵えた小型箱型トラック。ボディに描かれている「スクリーミングイーグルス」は、学校のマーチングバンドです。


シボレー・カメオ3124(1957年式?)。荷台の看板はレース場の宣伝です。


フォード・フェアレーン(初代:1957~1959年式)。知らない車ですね・・・。
トランクにあたる部分にはハードトップが格納されていて、ボタン一つで自動的に展開収納できるようです。ちょうど中間形態で止めたまま走っていますが、なんだあれ自慢か?


フォード・TTトラックですね。平然と走っているけどすげぇな。


キャデラック・デビル(5代目:1977~1984年)。残念ながらシートがビニールで天井がたっぷりあって余裕の音がして馬力が違って一番気に入っているのは値段の車種ではあらず。それは1985年販売開始の6代目でした。


フォード・E-450のカタウェイにバスのボディを装荷したやつ。野球部の遠征バスかな?


路面電車風のボディを装荷した観光バス、トロリーバスです。オーバーハングがすごいけど大丈夫なのか?
これは隣町のランフォードで運行されていますが、観光用と言うより町内のコミュニティバスの側面が強いです。


グレイラインが市内観光用に運行しているダイムラー・フリートライン。いわゆるロンドンバスです。左側通行を右側通行仕様にムリヤリ改造しているので乗降扉が楽しいことになっています。


ペニー・ファージング自転車。こいつ逆向きに乗っている。


日野・600系258型。北米向けの大型ボンネットトラックです。小型中型のキャブオーバー以外にもこういうのも揃えているんですね。しかもOEMじゃなくて自社製造。


フォード・1937年式クーペ。ちょうどこの頃流行りだした流線型ボディをしています。ていうかリンカーン・ゼファーのパクリだと思いますけれども。
ゼファーやクライスラー・エアフロー等にも見られるこのスタイルはかっこよくて好きなんですよねえ。


ビンテージカー、クラシックカー軍団がぞろぞろと。


古すぎるのと写真からの情報が少なすぎるので車種不明。1920年代の車なんでしょうけども。
この原色オレンジのやつは車高が下げられていて、カナダ人もシャコタン好きなんだなと。


シボレー・ベルエアー(2代目:1955~1957年式)。これも知らない車ですね。2ドア・ハードトップかな?

というところで今日はここまで。


その3へ→

続・ビクトリア・デイのパレードを見物する その1【2016/5/23】

2020-06-28 21:03:58 | 日常記
当日、ビクトリアの街では毎年パレードが開催されて様々な団体、吹奏楽団などが街を練り歩くのです。
今年もそれを見に行ったのですが、去年もほぼ全てを見たので気が抜けていたので今年は寝坊して途中から見物となり、しかも去年と似たような顔ぶれでした。なので、2016年はパレードに参加した自動車に焦点を絞って取り上げていこうと思います。
大まかな様子は下記の2015年のビクトリア・デイのパレードをご一読ください。



寝坊したのでダウンタウンまで行くことはせず、最寄りの沿道で陣取ることに。


とりあえず最初にやって来たのは昔の消防車。というか消防馬車。本当、よく動かせる状態で残してあるねと。ところで馬の下の地面がビチャビチャだけどこれは馬のションベン???


これはポンプ車(Fire engine)でしょう。ポンプ車なので高圧水を放水せにゃならんのですが・・・、見た感じこれは蒸気機関を動力源にしているのでしょう。蒸気消防車は貴重です。
調べてみると、1907年納入の蒸気ポンプ車だそうです。引退時既に貴重な車両であることは認識されていたので、保存はされていましたが状態は悪かったみたいです。1980年代に復元作業が行われてボイラーやポンプや車輪等、色々取っ替えられた模様。テセウスの船に片足突っ込んでるな。


これは現役消防署のカートですね。メーカー不詳。


ビクトリア消防署 (Victoria Fire Department) のフォードF-350(3代目のP473系)。指揮車ですかね。


アメリカン・ラ・フランス製1925年式45系ポンプ車。アメリカン・ラ・フランスは消防車メーカーと言えばここ!というくらいのシェアを持っているようです。
車体のライニングがいいじゃあないですか。


スチュードベーカー製1935年式ポンプ車。


シボレー製1937年式シーグレーブ(ポンプ車)。


ビックル・シーグレーブ製1942年式トレーラーポンプ車。
特殊車両となると聞いたこと無いメーカーばかり出てきますな。


ケンワース製1952年式ポンプ車。


ここからは現役の消防車。
左の黄色いのはローゼンバウアー製はしご車(ビクトリア消防署 Ladder 1)、右の白いのもローゼンバウアー製はしご車(コルウッド消防署 Tower 57)です。


スパルタン製ポンプ車(ハイランズ消防署 Engine 1)。


動態保存のアメリカン・ラ・フランス製900系ポンプ車。この型式は有名なのか、プラモデル化もされていますね。


シボレー・シルバラード3500HD(3代目)。サーニッチ消防署の指揮車(B1)です。
シボレーのピックアップはフォードに次いで業界2位だそうですが、あまり見覚えがありません。どっちかというとGMCブランドのピックアップの方がよほど見かけるので、それの販売数も一緒に計上されているのかも。


サットフェン製はしご車(オークベイ消防署 Ladder 1)。


フォートギャリー製ポンプ車(エスクイモルト基地消防署 Engine 2)。カナダ海軍のエスクイモルト基地の消防車ですな。


車列はこんな感じで、とても心強い並び。


スミール製ポンプ車(ビューロイヤル消防署 Engine 39)。


ローゼンバウアー製ポンプ車(エスクイモルト消防署 Engine 1)。


ピアース製ポンプ車(ランフォード消防署 Engine 2)。

今日はここまで。


その2へ→

【1/100】ダグラスDC-9ハワイアン航空【ギャラリー】

2020-06-26 23:47:41 | 模型ギャラリー
キット:1/100マクドネル・ダグラスDC-9ハワイアン航空(童友社)
仕 様:ハワイアン航空(N679HA)

童友社が昔売っていたDC-9のキットを素組しました。
ところどころ残念なキットでしたが、大きいDC-9のプラモデルを作れたのは満足。






































以上、ダグラスDC-9ハワイアン航空でした。

【1/100】ダグラスDC-9 製作【童友社】

2020-06-25 20:13:26 | 航空機模型製作記
ブックオフで売っていたマクドネル・ダグラスDC-9ハワイアン航空のプラモデルを作ります。
童友社は昔は旅客機のプラモデルをよく売っていたんですが、これがそのひとつ。


身には成形品の暴れ防止の紙帯が止められているのが高級感を出しています。プラモデル業界がもっと元気だった頃の名残ですね。今じゃコスト的にできないでしょう。


ハワイアン航空のデカールです。ハワイアン航空には馴染みも何もないのでできるならサードパーティのデカールに変えたかったのですが、1/100のDC-9は見当たらなかったのでこれで行きます。経年劣化でちょっと黄ばんでいますが、使用するには問題ありませんでした。
問題は窓の表現でして、キットの窓は胴体に窓の穴が空いていて、そこに窓ガラスの部品を内側からはめ込むものです。しかし胴体の帯のデカールには窓の部分が抜けているわけではなく、窓の形状も一緒に印刷されています。場所によって窓の表現が変わってしまうわけで、ちょっと悩みました。
デカールの窓の部分を切り抜くのは面倒くさいし、胴体の窓の穴を埋めてデカール表現にしようにも窓のデカールは入っていないし・・・結局特に手を加えることもせずそのまま組み立てることにしました。
しかしここで少しやる気が下がる・・・。


窓ガラスはコレ。湯回りが悪くて、窓の部分にヒケが発生しています。悪い箇所だとエクボになっています・・・。ヒケ修正の効かない透明部品でこれはひどい。
どうしようもないのでこのまま使いましたが、やる気がさらに下がる・・・。


少しでもごまかせるように窓にはスモークを塗りました。その後、胴体にはめ込む前にマスキングゾルを塗って胴体の塗装に備えます。


仮組みしてみます。1/100なのでDC-9といえども大きいです。飛行状態と地上状態の選択式だったので今回は前者で組み立てます。ただし台座は付いていないので、ズベズダのIl-62を作ったときに使わなかった台座を流用しました。


機体塗装が済みました。塗り分けは組み立てずに準じています。


彫刻はカッチリしていて、凹線もくどくないです。


旅客機の主翼は塗り分けがあることが多いので面倒ですね。


デカールを貼り付けます。帯のデカールはデカイし硬いので胴体に馴染ませるのに一苦労。マークソフターでもあまり歯が立たないタフなやつでした。


クリアコートして主翼やエンジンを組み立てれば完成。台座には機種名の書かれたデカールを貼り付け。


ハワイアン航空は、おばはん航空の名前で私に親しまれています。





キットの中身がガッカリだったのでモチベを高く保つのが難しかったですが、どうにか完成できました。
完成品はギャラリーにて。

<使用塗料>
胴体:GX1クールホワイト
主翼:C8シルバー
窓:N95スモーク

飛行機の町と刃物の町の旅行 その4【2018/1/6~7】

2020-06-23 22:42:29 | バス・航空機撮影記
2018年1月7日。
2日目はアパホテルからスタート!


ホテルの部屋は朝食無しで取ったので、朝ごはんはどこかで食べねばなりません。名古屋なんだし喫茶店でモーニングでもキメようとも思いましたが栄周辺ではあまり目につかなかったのでというかその前に見つけたなか卯に飛び込んでしまったので抵抗しようがなかった。


栄駅から地下鉄名城線に乗って金山駅まで移動。ホームドアが立つとこういう写真は未来永劫撮れなくなるのは寂しいなぁと思いにけり。


金山総合駅から青春18きっぷを取り出してJR中央線に乗り換え。
313系1100番台(B5)の快速中津川行に乗ります。1100番台はややレア。


多治見駅で降ります。本当は途中にある古虎渓駅で降りてみようと思っていたんですが、なんか行程を組むのをミスっていたみたい。そこに降りると多治見駅からの乗継がうまく行かないので今回は諦めることに。
とりあえず、2019年に置き換えの発表があった211系5000番台(K2)快速名古屋行を撮影しておきます。


先頭車は静岡県を横断する18きっぱーが喉から手が出るほど欲しいトイレ付き制御車クハ211-5300でした。


国鉄型電車とキハ40を一掃した次はキミたちだろうなぁと予測はしていたので、まあまあ記録していました。211系5000番台(K109)。


ホームの嵩上げした方がいいんじゃないの・・・と思った瞬間。新潟県みたいだな。


太多線のキハ25形1000番台(P105)が到着。


これの折返し列車、岐阜行に乗り継ぎます。


可児駅で下車しました。太多線では唯一(のはず)の昔ながらの駅舎が残っているからというオタクみたいな動機で降りました。


列車交換を終えて発車する多治見行のキハ25形1000番台(M4)。跨線橋からこういう写真が撮れるのは非電化路線のおかげだぜ。


駅の外に出てみたらなんじゃこりゃー!駅前工事で駅舎が埋まっとるがな・・・。



太多線を跨る東西自由通路と駅前ロータリーを可児市が建設している最中でした。これにはがっかり。
ちなみに自由通路竣工後もJRの駅舎は現存するんですが、自由通路の階段に一部隠れているような形になっているようで、以前のような姿は見れなくなった模様。
跨線橋の建設費は可児市が全部負担しているはずで、JRの駅舎を建て替えてやる義理はないですしね。ただし太多線の上下ホームを繋ぐのエレベーターをこれを機に自由通路と一緒に造っています。これの建設費も可児市持ちなんだろうなぁ。


もうすぐ竣工しそうだなという進捗でした。実際この日の2ヶ月後に供用開始しました。
なお工事前は腕木式信号機も保存されていましたがどうやら撤去されてしまったようです。スカばっかり。


市役所かと思ってここからご挨拶したら、子育て健康プラザという全然違う施設でした・・・。


隣には名鉄広見線の新可児駅があります。JRと駅名は別ですが、真横にあります。乗り換え便利。改札口を覗いてみると頭端式ホームだったので、ここが終点かと思いましたが、本当はスイッチバック駅なんですな。


可児市のマンホール蓋。市の花サツキが彫られています。市の木、市の鳥版もあるのかもしれない。


可児駅の待合室で列車を待ちます。典型的な戦前時代築の有人駅の間取り。


次に乗る列車は可児駅で列車交換することが分かったので、ホームに先回りして多治見行のキハ25形0番台(P5)を撮影。後ろにこっそりと広見線の電車が写っています。


一方私が乗る方はキハ75形でした。当たりです。


美濃太田駅で長良川鉄道に乗り換えます。初めて乗る路線です。
乗るのはナガラ300形(305)。スバルのLE-DCですね。魅惑の北濃行ですが、ここは堪えます。


長良川鉄道の拠点駅、関駅で下車します。今日はここが舞台です。

というところで今日はここまで。



飛行機の町と刃物の町の旅行 その3【2018/1/6~7】

2020-06-22 23:33:40 | バス・航空機撮影記
あいち航空ミュージアムは想定内の時間で見学を終えてしまったのですが、せっかく初めての小牧空港ですから、空港の展望台に寄ってみましょう。
小牧空港はフジドリームエアラインズの実質的なハブ空港で、FDAの稼ぎ頭だといえます。静岡空港?はて知らんな。
ただJALから引き継いだ路線以外は原則就航地を増やせないという足枷が付いているのが悩ましかったりするんじゃなかろうかという空港でもあります。
かつては国際線ターミナルビルが建つほどの規模がありましたが、国際線やFDA以外の国内線は中部空港に全て移管したので、ここに就航するのはFDAの国内線だけです。
規模縮小でどうやら搭乗橋はもう使っていないみたいで、地面から階段を使って乗り降りするみたいです。中央の通路から放射状に機材が駐機している光景はビクトリア空港を連想させるものがあり、ちょっと懐かしい部分もありますね。


エンブラエルE175 (JA03FJ)ピンク。これは静岡空港でもよく見るやつ。


E175 (JA06FJ)パープル。これは初めて見たかも。


E175 (JA08FJ)ティーグリーン。これは鹿児島空港からの帰りの時に搭乗した機材。


JA03FJが離陸のため滑走路へ移動していきました。


E175 (JA05FJ)オレンジ。これは鹿児島空港へ行く時に乗った機材。


E175 (JA10FJ)シルバー。登録番号の下にある青い四角いやつは青森米の広告のようです。
これが到着したところで、しばらく機材の動きに間があくのでここらへんで撤収としました。


バスに乗って空港を離脱。名鉄バスのふそう・エアロスター。ただしこれには乗らないで別の名古屋駅行きに乗りました。


バスを栄駅で降りてそこから市営地下鉄東山線と名城線を乗り継いで八事日赤駅で下車。


普通の地下鉄の駅というかんじ。ここから10分くらい歩きます。


「喫茶マウンテン」!!カオスで大盛りな料理が有名な喫茶店ですね。気になる人は調べてみてください。
もうかれこれ5年以上前から行ってみたいと切望していたのですが、立地上何かのついでに寄れる場所ではなかったので今まで行けていなかった次第。この度ついに登山します。


メニューはもう色々あるんですけど迷った末に「甘口いちごスパ」にしました。ちゃんと普通の料理もあるよ。
いちごを練り込んだという赤いパスタ麺と熱々パスタの上に乗っけられた白い生クリーム、文字通り清涼剤となる緑のキウイフルーツが目をチカチカさせるのぜ。あとは量が多い。
これの場合実はクリームが伏兵なのだ。パスタの熱で溶けた生クリームが麺に絡みついてもうイヤってくらい甘いのだ。イチゴとキウイフルーツを効果的に使って遅滞防御に持ち込むべきところだが持久戦になるほどキツくなるので、やっぱりできるだけ序盤で攻めたほうがいい気がする。
なんだかんだ言いましたが、無事登頂(完食)しました。次は違うメニューにしよう。


しかし登頂した後の口の中がスターリングラード攻防戦の後のように大変なことになってしまっていたので、コーヒーを追加注文して口内に安寧を取り戻します。お菓子がついていくるところが名古屋だよね。

惹きつけられるものがあるのでまたスキを見つけて挑戦したいと思います。以上。


八事日赤駅から名城線で伝説の矢場町駅へ。
2000形はだいとしのちかてつという感じで好ましいのですがホームドアが立ってしまうと見えなくなってしまうな・・・。


どうやらまだ口の中が甘ったるかったらしく、矢場町で適当なラーメン屋に入って締めの台湾ラーメンを食べたらしい。太るぞ。


無事太った後は今夜泊まる栄のアパホテルにチェックインして今日は終了。ビジネスホテルとしてはもうこれ以上無いよってくらい狭い部屋だった。

というところで今日はここまで。



バンクーバーの保存鉄道の旅 最終回【2016/5/21】

2020-06-20 23:49:09 | 旅行・イベント記
バンクーバーのウォーターフロントにあるバンクーバーハーバー水上空港まで歩いてきました。水上機でも見ようかなというところ。


DHC-6-100 (C-FGQH)が離水していきました。





DHC-3T (C-GHAR)。


DHC-2 (C-FJOS)旧塗装。


DHC-2 (C-GFDI)新塗装。


やはり水上機のいる景色は好きです。


この調子ならバンクーバーを訪れるのはこれが最後の予定だったので、少し耽けながら水上機や海を眺めていました。


アオサギが水浴びをしていました。


あまり動かないし逃げないですね、人馴れしている?


お顔。


そろそろ帰りのフェリーに乗るために移動する時間になりました。ウォーターフロント駅からスカイトレイン・カナダ線に乗って南下します。しかし微妙に時間が余っていたので、乗換駅のブリッジポート駅を通り過ぎてアバディーン駅へ。
ここのホーム上でバンクーバー空港から離陸する飛行機の撮影を少しだけしました。空が曇天なのであまり気分が上がらなかったのは残念。
これはエアカナダ・エクスプレスのDHC-8-300。


ウェストジェットのB737-700。


ルフトハンザのA340-600 (D-AIHB)。600型なげぇ~。これが見れたのは収穫でした。


旅客機を待っている間はカナダ線の電車も撮影。やってくるのは全て100形(便宜的形式名)。
割合かっこいいですよね。


後追い。回送電車でした。


アップで撮影。


NFI D60LF (R6060)。
時間になったのでブリッジポート駅へ戻ってそこから#620系統のバスに乗り換えてフェリーターミナルまで行ってそこからBCフェリーに乗り換えてビクトリアの方へ帰っていきました。

おしまい。

バンクーバーの保存鉄道の旅 その5【2016/5/21】

2020-06-19 22:43:26 | 旅行・イベント記
フレーザーバレー保存鉄道を離脱しました。あとはもう帰るだけなのですが、ついでなのでバンクーバーのダウンタウンへ寄っていきましょう。保存鉄道の駅から北へ向かって歩いていって、58 Ave at 176a Stのバス停からトランスリンクの#320系統Surrey Central Stn.行きのバスに乗ります。車両はNFI D40LF (S7313)でした。

ちなみにバスに乗った時の時刻は14時半過ぎでここまで昼飯無しだったんですが、バス停近くのコンビニでなにか買ったような記憶です(覚えていない)


終点のサレー・セントラル駅で下車します。ここは路線バスのハブ停留所とスカイトレインの鉄道駅が接続するサレー地域の交通結節点です。ここからはある意味BC電鉄の生まれ変わりと言える高架鉄道のスカイトレインに乗り換えます。
乗ったのは1984年の開業時から使われているMk.I形電車。ハリボテみたいな電車で、いわゆる額縁顔ですが無人運転なので窓がない・・・。

この後は途中レンフルー駅(Renfrew)でぶらり途中下車して近くの鉄道模型屋"Central Hobbies"に立ち寄ってお土産を買っていきました。買い物が終わったらまたスカイトレインに乗ってダウンタウンへ。


中央大学・明星大学駅みたいな付け方をした名前のスタジアム=チャイナタウン駅 (Stadium-Chinatown)で下車して、そこから歩いてギャスタウン (Gastown)へ。バンクーバーの観光地のひとつですが、そういえばまだ行ったことなかったなと思ったので寄りにけり。


ギャスタウンは、この元蒸気船水兵でここにバーを開いたジョン・”ギャシー・ジャック”・デイトン (John "Gassy Jack" Deighton)が名前の由来です。なので銅像が建っています。
執筆時現在は銅像を倒して池に沈めるのがアメリカでブームになっていますが彼の明日はどっちだ!?
どうでもいいですが、像を水の中に沈めるとそれから先、球団が長期低迷に陥る呪いが掛かるというのは日本昔ばなしでも知られた寓話です。アメリカ球団の今後の成績に注目です。


昔は荒廃して治安も悪かったそうですが、再開発後はなんだか洒落たオールドタウンだヨみたいな感じを出していますね。これだけでレトロな雰囲気に浸れると言われるとそうかぁ?と返してしまいますが。
こういうのにはあまり馴染めない体質です。


ギャスタウンに行ったら蒸気時計を見るのがお約束、観光ガイドブックにもそう書いてある。
蒸気機関で動くのならそこそこデカイんやろなぁと思って探してみたら、想像より小さすぎて見つけるのに苦労しました。これは札幌時計台に匹敵するがっかり観光地・・・。


ただ蒸気で動かしているのは本当です。ちょっと写りが悪かったですが上の突起からは蒸気が漏れ出ています。
あの四隅と中心にある突起は蒸気機関車の汽笛みたいなものです。時刻になると汽笛が鳴るのです。汽笛はそれぞれ音階が異なるので曲を奏でることが出来にけり。
毎時0分に時報を流すのですが、それは日本人なら嫌になっちゃうほど聞いたことのある学校のチャイムです。なんでやねん!とツッコミが入りますが、あのチャイムの元ネタはビッグベンの鐘のチャイムなので、この蒸気時計もビッグベンの鐘を元ネタにしたのでしょう。時計台繋がりだし。
時報を鳴らした後に中心の汽笛が時刻の数字分汽笛を鳴らします。午後6時なら6回ですね。


まあこれは映像を見てもらったほうが早いでしょうということで貼り付け。


蒸気時計の中は透けてみることができます。
これは蒸気機関車でおなじみのピストンシリンダーで、ピストンの往復運動を回転運動に変換する装置。ただ回転運動にした車輪の先に続くもの(ベルトなり歯車なり)が見当たらないのでこれはただの飾りの可能性が。これを見れば蒸気機関車を連想させて、この時計が蒸気で動くんだと視覚的に理解させるのかもしれませんが・・・。真の心臓部はこの装置が乗っかっている鉄板の下にあると思われ。


謎ボール。えー、あんまり覚えていない(手抜き)


ギャスタウンはあんまり面白くなかったので短い時間で離脱。ウォーターフロントの方へ歩いていきます。
これはその途中で撮影したNFI E40LFR (#2228) #7系統。


Nova LFS (9574) #50系統。



カナダの通勤・近郊鉄道の始発駅ウォーターフロント駅の奥に広がるカナディアンパシフィック鉄道(CPR)の貨物ヤード。CPRが旅客列車を運行していた時代は客車区だった場所です。


海上コンテナを二段積載できるウェルカーが停まっていました。


CPRのGP38-2形4415号機とGP38AC形3009号機。旧型のGP38なので入換とヤード間移動に使われていると思われ。


ウォーターフロント駅の駅舎。今はスカイトレイン、通勤用近郊鉄道のウェストコーストエクスプレス、ノースバンクーバーへの渡し船が使用していますが、もともとはCPRの太平洋岸の始発駅でした。始発駅にふさわしい立派な造りといえます。赤茶色の外壁もCPRらしいのではないでしょうか。

ちなみに競合のカナディアンナショナル鉄道のパシフィックセントラル駅も現存していて、こちらは長距離列車の始発駅になっています。


柱の上にCANADIAN PACIFIC RAILWAYの彫刻が残っています。駅舎の使用者が変わっても撤去されないのは他の都市の駅舎でも見られるものです。懐が深いのか無頓着なのか・・・。

というところで今日はここまで。



飛行機の町と刃物の町の旅行 その2【2018/1/6~7】

2020-06-16 20:21:36 | バス・航空機撮影記
引き続きあいち航空ミュージアム見学の巻。
これはビジネスジェットのMU-300。前作MU-2が成功したので、MU-2の夢よもう一度とアメリカ市場向けに開発されたもの。1978(昭和53)年初飛行。
初飛行後、みんな大好きDC-10が機体欠陥(貨物ドアとかエンジンパイロンとか貨物ドアとか)による墜落事故を数件起こしたのですが、連邦航空局(FAA)の審査が甘かったんじゃないの?という批判もあり、以降の新型機の耐空審査基準が厳格化されました。その第1号がMU-300で、新基準にFAAもまだ不慣れだったと言われ耐空証明審査が長期化し、そのうちに顧客から注文キャンセルが相次ぎ幸先の悪いスタートに。
結局赤字続きで1988(昭和63)年ビーチクラフトに製造権と販売権を売却し、三菱はアメリカ市場から撤退しました。以降ビーチ400(→後にホーカー400)として生産が継続され、さらに1990(平成2)年にアメリカ空軍の練習機に採用されると売れ行きを伸ばしていって、最終的に2009年に生産終了になるまでに1,100機以上生産しました。内、MU-300の生産数は100機ちょっと。

運が悪かったなぁというのはありますね。ただ三菱が生産を続けていても同じようにはならなかっただろうなあというのもありにけり。日系メーカーの実績やアフターサービスはアメリカ系には及ばないでしょうからそこで差がつくんじゃないかなぁ・・・。


三菱重工のヘロヘロ文字が好き。


尾部とか。


エンジンはプラット&ホイットニー・カナダJT15Dターボファンエンジン。これって直径が小さいので覆いが付いているとそうは見えないですが、遠心圧縮式エンジンなんですね。ターボファンはみんな軸流圧縮とばっかり。
どうでもいいですが、館内の説明板に機体の主要諸元を書いていないってやる気あんのか?っていう・・・。(エンジン型式が書かれていなかった)


尾翼。


後ろ。


続いてゼロ戦です。ゼロ戦はこの天井に2階部分のある背の低い場所の奥にあります。しかも表側には衝立が立っていて、表からはゼロ戦が見えないような間取りになっています。前回も書きましたが、ゼロ戦をここで展示するかしないかで新聞沙汰になるくらいには騒ぎになり、結局一時的に展示する形で決着が付いたという経緯があります。
一応、ゼロ戦は日本製のあらゆる飛行機の中では最も日本で知名度の高い飛行機なんですから、館内の目立つところに堂々と置けばいいのに。仕方ないから置くけど、できるだけ人目につかないように展示してやろうというのが感じられます。アホくさとだけ言っておきます。


A6M5a零式艦上戦闘機五二型甲。今更零戦については説明不要でしょう(手抜き)
甲は、主翼20mm機関砲の弾倉をドラム式からベルト式に変えて装弾数を増やした型式だそうな。
この個体はヤップ島のジャングルから回収したのを河口湖自動車博物館・飛行館で復元したものを三菱の資料館で展示していたものをここに移したもの。ですがここではムラハチを受けているので三菱の大江工場に新しく建った資料館ができるとさっさとそこへ移動しました。よって執筆時現在はこのゼロ戦はいませぬ。
なのでこの空間は今は空っぽかと思いましたが、映画撮影で使われた小道具のゼロ戦が今は展示されているようです。方針が変わったのか、小道具ならセーフなのか・・・。


機体は前と横から見るようになってます。後ろの衝立いらないでしょう・・・。
周りには踏み台なんかが置いてあって、どうやらかつての名航の工場を再現しているのかもしれませぬ。機体のすぐ横に製図板があるとは思えませんが。


ゼロ戦はもう何機も見ているので何かこう書くこともありませぬ。


尾翼には特に番号も何も書いてありません。よくニコイチで復元した時はどっちつかずになってしまうので書かれていないことがありますが、これもその口でしょうか?



日本航空機製造YS-11。ご存知日本製旅客機です。諸説ございますが型番はヤクルトスワローズ(YS)の背番号11番が由来と思われます。1962(昭和37)年の初飛行当時は田所善治郎の背番号でした。ちなみに直近だと由規。え、当時は国鉄の球団だった?
軍用機を設計するノリで旅客機を造るとこうなる、みたいな機体のようで、頑丈さに自信ニキとはよく言われます。ノウハウ皆無というハンデの中ではようやったんじゃないかな、というところじゃないでせうか。


これは航空自衛隊で人員輸送機として使用されていたもの。つまり兵器なわけですが、元が旅客機で銃や爆弾が付いていなければここに置いてもセーフらしい。


座席は64席が標準だったそうです。DHC-8と同規模ですね。


エンジンはロールスロイス製のダート・ターボプロップエンジンでした。エンジン展示はしていないんですが、ダートも遠心圧縮式なんですね。まだ軸流が主流になる前の時代のエンジンか。


尾部。


主脚。





三菱MU-2。プロペラ双発の小型ビジネス機。1963(昭和38)年初飛行。ゼロ戦は第二次世界大戦期の戦闘機だから除外するとして、しくじり飛行機だらけのこの館内の機体の中では唯一760機以上もバカ売れして成功しました。というか、この大きさのプロペラビジネス機としても成功したと言っていいです。
この大きさの機体では最速の570km/hの叩き出し、航続距離も2,700kmくらいあったそうな。あとは脚が短いゆえに荒れた滑走路でも離着陸できるのも魅力でした。やればできるじゃんというべきか、出来上がった機体がたまたま市場の要求に合致していただけじゃねーのかという気もします(疑り深い)
主にアメリカ市場で販売されたので、ビジネス機の普及が進んでいない日本ではどうしても馴染みの薄い機体です。だからなんだと思いますが成功した国産機として名前が挙がることはそんなに無いと思います。たいていその前にYS-11が出てきますからね・・・。だいたい、収蔵機の中で最も成功したのはこれなんだから、こんな隅っこじゃなくて中央で堂々と置くべきでしょうと(ゼロ戦はムラハチなので数に入れない)。


このくらい小さいとかわいくていいですね。プラモデル化はされていませぬ。知名度低いしビジネス機は人気無いし・・・。


エンジンはギャレットTPE331というターボプロップエンジン。いや正直聞いたこと無いエンジンでした。
プロペラはハーツェル製のもの。プロペラメーカーの大手ですね。ターボプロップエンジンの場合、エンジンは回転しかせず推力をほとんど生みません。回転するエンジンの軸の先に付いているプロペラで推力を出してやらないとなりません。なので、いくらエンジンが高出力でもプロペラの設計がヘボだとみっともない機体になってしまいます。当然プロペラも奥が深い世界なんですが、まあ調べてみるヒマがない・・・。

というところであいち航空ミュージアムは以上。
ここまでメーカー一社の造った機体の展示に限定した博物館も珍しいだろうというところ。一度行ってみるのはいいですが、その先10年は展示内容は増えないし変わらないでしょうから、何度も行くことはないと思います・・・。もっともこれは日本の航空博物館全般に言えることですが・・・。次はスペースジェットが展示されるようになったら行こうと思います。

以上。次回へ続く。



飛行機の町と刃物の町の旅行 その1【2018/1/6~7】

2020-06-15 21:58:09 | バス・航空機撮影記
2018年1月6日。
2018年になりました。青春18きっぷの消化を目的に、1泊2日で名古屋方面へ行ってきました。静岡駅8時過ぎの遅めの出発で、東海道線に3時間乗って名古屋へ。
とりあえず初日は、小牧空港に建った「あいち航空ミュージアム」というところへ行きます。


名古屋駅で早めの昼ごはんです。いつもの名古屋駅ホームのきしめん屋。


ここからは、名鉄バスセンターから小牧空港へ向かう路線バスに乗ります。


名鉄バスのふそう・エアロバスに乗って、終点の航空ミュージアムまで乗れば目的地は目の前です。


あいち航空ミュージアムの隣にある「エアポートウォーク名古屋」という大型商業施設。
元々は1999(平成11)年に建てられた小牧空港の国際線ターミナルだったものを転用した建物です。建設当時は既に2005年開港の中部空港の建設中の時期だったので数年で用済みになることが分かっていたのですが、それでも既存施設だけではパンクしてしまうのでそれを承知で建てたという経緯があります。なので初めから商業施設に転用することを前提で建てていたようです。


あいち航空ミュージアムに入ります。入館料は1,000円で、中身の割には高いなと思います・・・。
大抵の場合横文字で「〇〇ミュージアム」なんていう名前の施設には博物館的なものは期待できないんですが、ここもそうでした。今のところそれから外れているのはくりでんミュージアムくらいです。
それでも鉄道と比べるとまだ地位の低い航空機の保存展示施設があるだけでもありがたいことです。


箱の中は格納庫になっていて、吹き抜けの2階から1階の航空機を眺めることができます。
広さにはゆとりがあって屋外とも繋がっている構造なので、この先収蔵機を増やすことができます。一度箱を建てたらその先収蔵品を増やす気が毛頭ない各地の鉄道博物館(ここの近所にある某鉄道博物館は収蔵車の”置き換え”をやらかしたが)と比べるとこの点は評価できます。というか、今後三菱スペースジェットの初号機を置こうとしているだろうな、というのは推察できるのです。収蔵機を見ればスペースジェットならここに展示するのに"ふさわしい"ですしね。


なんか唐突に出てくるダヴィンチのヘリコプターの模型。ANAの昔の社章にこれが描かれていた、だそうな。


みんな大好きDC-10のカットウェイ模型。


航空博物館おなじみの大量の飛行機模型。日本機だけで100機分くらいあるのでドマイナーな機種もあり。フルスクラッチしたんやろなぁ。すごいね。


滑走路の方を見てみると・・・特に何もいませんでした。FDAの他に航空自衛隊の基地もあるので自衛隊の輸送機とかが離着陸しています。あとは中日本航空もここが拠点でしたかね。


1階に降りてみる。展示機を順番に見ていくと察せるんですが、ここに置いてあるのは全部三菱製です。例外は日本航空機製造のYS-11ですが、あれは三菱も深く関わっているので。なので、今開発中のスペースジェットもここに収蔵される資格があるのです。
外国機とそのライセンス生産機どころか国内他社の機体も無しなので、ここの名前は三菱航空博物館にした方がよかったのでは。
後は軍用機を置くのも嫌がっている様子です。ゼロ戦の復元機を展示するかしないかでひと悶着ありました。結局期間限定で展示することになりましたが、建物の奥に隠すように置いてあるので、ああやっぱそういう風に思ってるんだ・・・とは感じました。
というか三菱製の航空機ばかりということは、ここは世にも珍しい失敗機だらけの博物館という言い方も間違いでh(ry


三菱MH2000。三菱が機体はもちろんエンジンまで自社開発した気合の入ったヘリコプターでした。機体とエンジンを両方とも自社開発するのは世界を見ても珍しいことです。1996(平成8)年に初飛行。
ただまあ、生産はたった7機で終わってしまいそれも今は全て退役済み。商業的に大失敗でした・・・。すぐ隣に三菱の工場がある博物館なので「失敗」の2文字はどこを読んでも見当たらないですけどね。
原因は量産直後に起きた飛行試験機の墜落事故が響いたと言われてますが、それだけですかねぇ・・・という話は調べてみるとなんか出てきます。
今は全て退役済みってところがこのヘリコプターの評価なんじゃないんですかなぇ。ヘリコプターの寿命は知りませんが、量産から10年ちょっとで全機退役するほど短いものでもないでしょう。


機内。広そう。


メインローター。


テールローター。


これもMH2000。なんとここでMH2000生産数の約3割の機体を見ることが出来るのだ。
しかし底面以外曲面しか無い機体だな。こういう丸っこいが好きな人もいるかも知れないけど、ちょっとずんぐりかな・・・。


これはJAXAが使っていたそうな。


着陸してエプロン走行中のガルフストリームG550 (N801TM)。所有者を調べるとアメリカのトヨタでした。ビジネスジェットで参上とはさすがアメリカ。


ここにある飛行機は全て三菱製と書きましたが違いました。この名市工フライヤーは名前通り、名古屋市工業高校の飛行機同好会が作りました。
説明板を記録し忘れたのでどういう機体なのかはよく分からず。


動力付きなんですね~。

というところで今日はここまで。