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北米project 4 ~Is the order a warbird? その109【2016/03/04~10】

2019-10-30 23:41:56 | 海外旅行記
サンディエゴからアムトラックの「パシフィックサーフライナー」に乗って今回の旅行の始点ロサンゼルスへ戻ってきました。といっても、このユニオン駅にやってくるのは初めてですけど。


客車と屋根の隙間がギリギリ・・・。


サーフライナーとよく似ているけど、実は「メトロリンク」の通勤列車。戦闘のディーゼル機関車はMPI MP36PH-3C形890号機。後ろの二階建客車はヒュンダイロテムのバイレベル客車。 最後尾にはもう1機機関車がつながっているのですが、これは後述。

ロサンゼルス・ユニオン駅は、複数の鉄道会社が共同使用する駅。駅舎はもちろんプラットホームも共用します。いわば、新宿駅のJRのホームを小田急線や京王線も共用するようなものです。
ロサンゼルス・ユニオン駅にはサザンパシフィック、サンタフェ、ユニオンパシフィックの3社が乗り入れていました。現在は、「アムトラック」の中長距離列車、ロサンゼルスの通勤鉄道「メトロリンク」、市内鉄道の「メトロレール」が乗り入れています。


ユニオン駅はホームの先が行き止まりの頭端式ホームです。ここが各列車の起終点だったことが伺える構造であります。ただ、駅舎は線路の終点の先にあるのではなく、線路の向きに平行して建っているので、線路の先には特に何もありません。ちょっとさみしいかな。
現在もそれは変わっていませんが、「パシフィックサーフライナー」は、ユニオン駅が途中駅とする列車もあります。今私が乗ってきた785号もロサンゼルスよりも北のサンタバーバラまで走ります。なのでこのユニオン駅で列車はスイッチバックするのです。
余談ですが、サンタバーバラといえばコマンドー民にはおなじみの地名ですね。大佐がサンタバーバラの北にある小島でドンパチするのだ。余談終わり。


振り返ってみると、ホームとの線路の間に機回し線があります。うーむ、これも客車列車のターミナル駅という雰囲気が感じられて良いです。こういう機回し専用の線路は日本ではもうほとんど見られないでしょう。今でもアムトラックの大陸横断列車の発着時に使われていると思います。たぶん。


バイレベル客車の制御客車。結構かっこいいので好きなのですが、大量採用している鉄道はメトロリンクだけですね。


制御客車の先には、BNSF鉄道の機関車が連結されています。これは、前に起きたメトロリンクの踏切事故で制御客車が脱線・正面が大破して衝突安全性が疑われたため、根本的な対策がされるまでの間ディーゼル機関車を連結して応急的な対策としているようです。
その機関車は自前では賄えないので、貨物鉄道のBNSFから機関車を借りているのです。
そう言っている間にメトロリンクの列車が出発していきました。このBNSFの機関車(GE AC4400CW形5621号機)が後ろ側なのですが、尾灯が無いので前照灯を点けてますね。何かしらライトを点けていれば何でもいいのか、って感じですか・・・。


停車中のパシフィックサーフライナー。


増結車のスーパーライナー(#34101)。もうこれの増結が常態化していますけどね。


メトロリンクの謎組成。二階建列車なのかな?


最後にパシフィックサーフライナーの編成を撮影してシメ。
前にも書きましたが、パシフィックサーフライナーの機関車のEMD F59PHI形(458号機)は執筆している現在ではすべて新型機に置き換えられてしまいました。この写真も意外と早くに過去の光景となってしまったのです。
機関車自体はまだ耐用年数内ですので、中古機として他の鉄道へ転属した機体もあるみたいです。


こちらは市内電車のメトロレール・ゴールドライン。地下鉄のレッドラインとパープルラインの他に、LRTのゴールドラインが乗り入れています。LRTはアムトラックのホームの横にあります。
電車は全然ゴールドじゃないからアレなんですけどね。電車が他路線との共用なのかは知りませんけど路線名と車体の塗装を一致させる気はないようで。
この電車はアンサルド・ブレダ製P2550形だそうな。


ホームを去って待合室へ。サンタフェ駅と同じスパニッシュ・コロニアル様式だそうな。
高く重厚な木組みの天井が良いです。左右にある腰掛けも当時物でしょうなぁ。


ピアノを弾いているおじさん。


封鎖されていましたがこれは切符売り場です。使うこともないけど、ちゃんと残しているのだ。

そいで、駅の地下通路にあるサブウェイで夕ご飯。そしたら外に出ます。


駅の外に出て駅舎を撮影。ライトアップされて青っぽくなってますが、本来は白亜の駅舎なのです。のっぺりしている感はありますが、歴史的建造物なのです。時計塔があるのもアメリカらしいです。


UNION STATIONの文字。


ユニオン駅からは空港行バスに乗り換えます。


ロサンゼルス空港連絡バスのフライアウェイ(FLYAWAY)。公共交通機関での空港アクセスでは一番使いやすいと思われ。
ロサンゼルス空港って規模がクソでかいくせに公共交通機関が貧弱なのです。鉄道じゃなくてバスが主要手段っていうのでお察しください。
ただしこのバス路線自体は悪くない運行で、ユニオン駅発着の系統は30分間隔で運行(深夜帯は1時間間隔らしい)、24時間運行しているのです。

とまあ、これに乗ってロサンゼルス空港へ向かうのです。切符は、これもインターネットで事前に購入しているので、購入画面を運転手に見せるだけなのです。
写真に写っている車両はヴァンフール(Van Hool) CX45。


今夜は空港近くのホテルを押さえてありますので、空港に着いたら空港とホテルを結ぶシャトルバスを呼びます。
ところが私、アメリカで電話できないので、到着ロビーにある固定の呼び出し電話を使ってホテルに連絡するっていう、携帯電話の普及前の古い方法を使いました。というかまだこういうの使えるんだね。まあこれで助かりましたが。
しばらく待たされてシャトルバスに乗りまして、ホテルに辿り着いたのでした。場所はBest Western Plus Suites Hotelというチェーン店。今回で一番マシな部屋だ。


サブウェイだけでは微妙に腹持ちが悪かったので、ホテルの近くにあるメキシコ系ローストチキンのファストフード店「El Pollo Loco」に行ってローストチキンを買う。ついでに隣のセブンイレブンでビールも買う。これで晩酌セットの完成だ。
チキンの味は存外美味しくて、アメリカのファストフードも昔話だけ聞いていたステレオタイプな味よりはだいぶレベルが上っているんだろうなと思いました。

適度に酔ったところで、この日は終了。明日はもう帰るだけです。
それでは今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その108【2016/03/04~10】

2019-10-25 22:11:36 | 海外旅行記
2016年3月9日(水)15時35分
カリフォルニア州サンディエゴ サンタフェ駅前
USSミッドウェイ博物館を後にして、サンタフェ駅へ向かいます。ここで帰りの列車に乗るのです。実はもう時間が押しているので、急ぎ足で歩いています。
この線路はMTSのトロリーのもの。


MTSのアメリカプラザ電停。すぐそこですが、寄らずに立ち去ります。また来ます。


こちらアムトラックのサンタフェ駅。ここが乗車駅です。「サンタフェ・ディーポ」とも呼ばれとります。
サンタフェとはこの駅を建てたアッチソン・トピーカ&サンタフェ鉄道(サンタフェ鉄道、ATSF鉄道)が由来でもあるし、サンタフェ方面へ向かう列車の始発駅だったからという由来もあるし、いろいろ。なお、聖なるフェの直訳で私に親しまれるサンタフェの街はニューメキシコ州にあるので、全く別の土地なのです。ここはサンディエゴなのに、少しややこしいので、アムトラックではサンディエゴ駅と呼んでいます。

駅舎はスペインの影響を受けたスパニッシュ・ミッション様式の設計になっています。といっても建築様式はよく分からんのですが。



サンタフェ駅には、アムトラックの短距離列車「パシフィック・サーフライナー」、サンディエゴの通勤列車「コースター」、MTSトロリーが乗り入れています。他にアムトラックの連絡バス、MTSの路線バスもここを発着していますね。
アメリカの路線バスは系統番号を多用している印象が強いです。初見殺しの面はありますが、番号さえ覚えてしまえば分かりやすいと思います。初見殺しと言っても、番号を覚えられやすい運用をしているとも思います。
日本の路線バスは系統番号こそ振られていることもありますが、それを活用しようとしていないかなと。


きっぷの販売窓口。私は予め切符をインターネットで購入済みなので、ここに並ぶ必要はありません。
建物は小物類は新しいものに置き換えられていますが、基本構造は昔のものを維持しています。


天井が高い~。舎内の共有空間はほとんどを待合室が占めているんですが、この余裕のある造りは欧米ならではですねぇ。JR東だったらこの空間にエキナカを作る。


乗客の鳥類。


サンタフェ鉄道の社章である十文字が駅のあちこちに掲げられています。サンタフェって地名と十文字からして、宗教的な雰囲気を仄かに感じます。
今はアムトラックの駅ですがこうして残しているのはいいですねぇ。三セク転換のローカル線の駅で国鉄の残滓を見つけた時の気分です。


良い駅ですけど、昔の設備のままで今も対応可能というのは、やや寂しいものも感じます。今も乗客がまばらですし。


タイル張りの壁にもサンタフェマーク。この色使いはいかにもスパニッシュ。模様は中南米の文化も流入している?


ぼちぼち改札の時刻になりましたので改札口へ。
ここらへんは飛行機と似たような流れです。ビジネスカーの乗客は先に乗車できます。平民は立って並んで待つのじゃ。


プラットホームへ入ります。ホームのど真ん中にある構内踏切を渡って真ん中のホームへ移ります。
手前側に停車しているのは通勤列車「コースター」の二階建て客車バイレベルカー。この客車の真の功績は、二階建てによる座席定員の増加よりも、一階に乗降扉を設置したことでプラットホームと客車をノンステップで繋ぐことが出来たバリアフリー性だと思いますけども、どうでしょうね。


その奥にいるのが今から私が乗る列車。機関車を撮ろうと思ったら、柵で通れませんでした。保安上、意外とこういうのに厳しいです。まあ、降りる駅で撮ればいいか。


さて、このサンディエゴ16:00発の「パシフィック・サーフライナー785号」に乗ってサンディエゴを離脱し、数日ぶりのロサンゼルスへと舞い戻ります。
ロサンゼルスへの到着は18:55。3時間弱の旅路で、アメリカの鉄道をちょいと体感するにはちょうど良い時間です。

乗車するサーフライナー形という客車は二階建てになっていますが、1階は2箇所ある扉の間の狭い空間にしか客室がなく、そこも荷物置き場や車いす用空間などほとんど座席はないです。


なので階段を登って2階に行きましょう。階段意外のほぼすべての面積が座席で占められています。
座席は集団見合い式の固定式クロスシート。


眺めの良い海側の座席は残念なことに埋まっていたので、山側のボックス席を確保。電源もすぐに確保。
アメリカの鉄道や高速バスといった陸上交通機関ではよく見られる装備ですが、電源コンセントが付いています。この客車は2000年代前半に登場したわけですが、航空機との競争への優位性を出すための対策のひとつです。もちろん無料Wi-Fiも飛んでいます。
ここらへんは日本よりも先進性がありますねぇ。日本でもここ数年でようやく普及してきた感じですが。


列車は定刻でサンディエゴ駅を出発。最初の停車駅は、今朝サンディエゴへ行く時に乗車したオールドタウン駅。
パシフィック・サーフライナーの経路は、通勤列車コースターを完全に被っています。ただしコースターが各駅停車ならパシフィック・サーフライナーは急行に位置する上位存在です。また、コースターはICカードで気軽に乗れますが、アムトラックのパシフィック・サーフライナーはそうはいかないようなので、棲み分けはなされている様子。


カリフォルニアの海沿いを走るのだ。速度は結構出します。
機関車が後ろから押しているんですけどね、客車の重心は高いし線路の保線もどうだか分からないし、よくも脱線しないなと。


カーブでのおなじみの構図。後ろから客車を押す機関車を撮影するのだ。


海だーーー!!
もうすぐ夕暮れ時とあってとても良い眺めですよ。まさにパシフィック・サーフライナーそのものであるな。問題は客車の窓が汚いこと。

アメリカにもこんな景色を走る列車があるんだなぁ。

この先、オーシャンサイド駅(センス的には横浜:サイドビーチに近い安直さ)に停車。サンディエゴから延びているコースターはここが終点。
ちなみにオーシャンサイドからロサンゼルスまでは、メトロリンクという別の通勤列車が走っていますので、サンディエゴ~ロサンゼルス各駅停車の旅も出来ます。時間どのくらいかかるんだろう。

オーシャンサイド出発後、本線上で停車。車掌曰く、対向の貨物列車の通過待ちだそうな。
10分くらい待って貨物列車がすれ違っていきました。アメリカの線路は基本的に貨物鉄道会社の所有で、アムトラックはその線路を借りて運行しているので貨物優先なのです。日本でよく例えられるのは、JR東日本の線路をJR貨物の貨物列車が間借りしている、という構図を逆にしたもの、ですね。
貨物優先なのだというのを実感しましたね。


暗くなって撮るものも無くなったのでトイレを。横には給水器がありますぞ。
なお編成の中には軽食を提供するカフェ車もあります。おなか空いた時はそこで。


そんなこんなで無事にロサンゼルス・ユニオン駅に到着。途中、貨物列車の行き違い待ちを喰らいましたが、数分遅れ・・・アメリカ基準だと間違いなく定刻に到着しました。
おそらく、初めから遅延を見込んで、遅れを吸収できる余裕を持ったダイヤ設定をしているんだと思います。これは別に大したことはないからくりがあるんですが、今回は省略します。

着いたところで今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その107【2016/03/04~10】

2019-10-22 22:59:54 | 海外旅行記
USSミッドウェイのアイランド見学のツアーの後は、そのまま今度は艦内のツアーに移行します。
艦内住所(ブルズアイ)でいうと「B 0211 1L 6 FR 107 109 MAR DET」となっていますが、やはり分かりません。


「フラッグオフィサー」こと提督が過ごす部屋。さすが提督となるとこのくらい豪華になります。


ボーイングのレリーフが飾ってありましたけど、USSミッドウェイのスポンサーになっているんでしょうかね?


提督のベッド。意外と狭いかな。1人用ベッドにしては広いですけど。


提督付参謀長の専用室。会議室みたいな感じです。


参謀長部屋用の厨房。部屋の隣りにあります。将軍級になると余裕ある造りですよね。厨房にはアーロン(仮名)が参謀長に出すポタージュを温めてます。


タイプライターを打っているジョニー(仮名)。これも参謀長部屋付きの通信室ですかね。


作戦室です。英語だとWar roomで直訳すると戦争部屋です。戦略的な事項を決定する時に使う部屋だそうな。


これ、湾岸戦争ですかね。


ご存知CICです。「トップガン」で見たことある薄暗い部屋です。


電照式のボード。書いてある内容はテキトーなのかな。OKINAWAとか書いてあるし。


無線通信部屋。通信の送受信がここで行われます。送信に関しては、テキストを暗号通信に変換して送信しますが、これは自動変換されるようです。
今のこの通信部屋は、アマチュア無線家が有事の際にアメリカ軍の通信を補助するための機関MARS(Military Auxiliary Radio System)の基地のひとつとして活用されています。空母の艦内で無線をいじれるのは楽しそうです。


空気圧式の伝声管です。現場では「バニーチューブ」(うさぎの管)と呼ばれてたそうな。
たぶん声を上げて伝えるのではなくて、管についているシンバルみたいなものを叩いて符号化した状態で伝えるのかしらね。でも受信はどうなってるのかな・・・?


通信制御室。
通信設備の制御室です。通信に関しては知っていることはほぼ無いので何も言えません。


モールス通信を打つのを体験する機械。君の送信技術を試してみよ!


海兵隊用のお部屋。アメリカ海軍の空母に海兵隊が乗り込むの?という感想が出てきますが、これはうろ覚えですが艦内の治安維持のために海兵隊が派遣されていたみたいです、たしか。その海兵隊の長の部屋ですね。


トイレとシャワー付き。


そして最後にやってきたのが艦長室です。普通にオフィスだ。さすが正規空母だとこれだけ広いのね。ここまで広くする必要あるの?って感じもしますが。一般兵との格差が凄まじい。
ただ常時ここで過ごすわけじゃないようで、主に入港時に過ごす部屋だそうです。他の部屋は前回見たアイランドの艦橋にある部屋。他にも隠し部屋がありそう。


艦長のエルンスト(仮名)。ちゃんと執務中なんですよ。下敷きの上に書類は何も置いてないけども。


艦長となるとやはり一般兵とは別格ですから、実はからくり人形になっていて動きますし喋ります。こんなところからも海軍の格差社会が感じられるのです。


一方、艦長室付きの厨房で棒立ちの刑に処されているコックのカール(仮名)。俺にだって、ポタージュに胡椒をかける動作をするからくりを仕込んだっていいじゃないか・・・!


たぶん艦長にお昼のハンバーガーを作っていたところですね。
紅茶のカップは7人分あるのにハンバーガーは1つだけ。自分だけハンバーガーを食べるつもりなのかな?


以上をもってUSSミッドウェイの見学は終了です!お、終わった・・・。
空母の何たるやが少しわかった気がしますよ(気がするだけ)
正規空母の記念艦は日本では逆立ちしたって建つことのない博物館ですので、一度は行ってみていいと思いますよ。その設計思想と運用思想を自分の目で見れば何かしら得るものはあるでしょう。

空母の博物館は他にもサンディエゴの他にサンフランシスコとニューヨークなどにもあるので、割と行きやすいのです。

これでもう、観光らしい観光はすべて終了。あとは帰るだけですね。次回からこの旅行もいよいよ終盤です。


北米project 4 ~Is the order a warbird? その106【2016/03/04~10】

2019-10-20 20:09:06 | 海外旅行記
2016年3月9日(水)14時29分
カリフォルニア州サンディエゴ USSミッドウェイ博物館
飛行甲板上にある航空機を全て見ましたので、次はアイランドを見に行きます。本当はスルーすることも考えていましたが、ラッキーなことにちょうどいい具合に艦内ツアーをやることを聞きつけたので、それに付いていきます。


超大型の正規空母だからと言って艦内通路が広いわけではなく、普通に駆逐艦と同じような狭さです。飛行甲板上に何の断りもなく生えているアイランドは本当は無いほうがいいのですが、そういうわけにもいかないのできるだけ小さくして生やしてます。なので、煙突というでかい構造物が必要ない原子力空母というのは飛行甲板の省スペース化にも一役買っているのだ。
USSミッドウェイにも、艦内住所とも言えるブルズアイがあります。「0613 L FR. 119-121 V-2 DIV」ですが、どれがどういう意味なのかひとつも分からない。戦艦とは違う規則でしょうね。


まず案内されたのは、航空管制室。空母も陸の飛行場同様に飛行機の離着艦は管制官により航空管制されます。いわゆる艦橋とは別の系統です。この管制室の中でもトップの人間はエアボスと呼ばれとります。


退役軍人のおじいちゃんが色々説明してくれてますがめっちゃ早口・・・。


透明のアクリル板にマジックで書かれた離着艦リスト。


エアボス席の背後から。飛行甲板に対して垂直に眺めることになります。めっちゃ眺めが良い。空母艦載機を掌握したような気分になります。


管制室の住所は「B-0705-1C FR.116-121 V-5」だそうな。


着艦する飛行機がよく見える~。


艦内見学すると絶対出てくる海図の乗ったデスク。管制室にもあります。


一旦外に出る。


おじいちゃんが早口で説明してくれてますけど、これなんだったかな・・・忘れた。羅針盤ではない。


航空機ではなく空母そのものをを指揮する、いわゆる艦橋。先程の航空管制室とは階が異なっていて、船の指揮と航空機の指揮は別物ということです。


機器類はよく見るものが多いですが、まあ狭い狭い。現代の下手なイージス駆逐艦よりもよっぽど狭い。


艦橋からの眺め。当たり前ですがこっちは真正面を向いています。
しかしこれ、接岸時はタグボートの支援が欠かせませんな。


なんか書いてありますがよく分からん。0200時にデフコン1発令と書いてあるんで、緊張度かなり高いですね。


操艦は奥の部屋でやります。操舵士が操舵機ごと攻撃を受けておっ死んでしまうと船は操舵不能になってしまいますので、装甲された奥の部屋にあるのです。ここらへん、戦艦時代と変わらんね。
指示されたとおりに操艦するからなのか、計器は少ないです。


USSアイオワの操舵部屋はむちゃくちゃ厚い装甲に僅かな広さの覗き窓だけで、どうやって外を見るねん!本当に指示されたとおりに舵を動かすだけか!という具合の視界の悪さでしたが、USSミッドウェイはそれに比べるとだいぶ良好な視界です。


アイランドにある艦長部屋。下の船体の方にもちゃんとした部屋がありますが、アイランドにも予備的にあります。警戒時はここで寝泊まりするんだろうね。でもそんな時は部下が絶え間なくやってきて満足に寝れないだろうなー。


アイランドの見学は終わり。
もう一度外から見てみましょう。アイランドの左側にあるのが艦橋ですね。


こっちが航空管制室。

というところで今日はここまで。次回でUSSミッドウェイ編完結です。



【Nゲージ】JR西日本105系和歌山線 製作【グリーンマックス】

2019-10-18 23:45:12 | 鉄道模型製作記
2018年、和歌山県に旅行へ行った時に105系に何度か乗りましたが、やっぱり好きな電車ですしそのうち引退してしまいますので、旅行の途中で日本橋のGMストアに寄ってエコノミーキットを買ってきました。
105系そのもののキットはないので、色々なものを合体して合成して作ることになります。
ベースとするのはエコノミーキットの101系です。実車の105系は103系を改造した電車ですが、側窓の形状は101系の方が近いのでこっちのキットを使います。


あとは103系用改造パーツも用意しておきます。
これには105系の顔面が付いています。他に常磐線用の103系1000番台の顔面も付いているのでこれも使って、常磐線から転用された105系を作っていきます。

一番左のは伊豆箱根鉄道の電車ですね。211系のキットをベースに使いますが、この度鉄道コレクションで商品化されるのでこの顔面もついにお役御免なのかな?


乗務員扉の隣の戸袋窓を埋めます。これはキットに埋め用の部品が付いています。
瞬間接着剤で隙間を埋めて、ヤスリで表面を整えます。


車体の連結面はトイレとか床置冷房とかがあるので車端部の窓は埋まっているのでそれも埋めます。


この窓を埋めるにはプラ板を切り出して埋めて表面をツラにします。このヤスリがけはクソ面倒ですね。


妻板部のマドも埋めます。


動力はGMの新しいコアレスモーター動力ユニットを使ってみます。専用の台車枠と床下機器も用意しておきます。


トレジャータウンのGMコアレス動力用アダプターを取り付けます。
これを使えばエコノミーキットにもコアレス動力を簡単に装着できます。その分お金はかかりますが便利ですね。


灯具は金属製に置き換えてレンズは透明部品にします。
まずは孔を開けます。左右の高さがズレるととてもかっこ悪くなるので、位置決めは慎重になります。おーこわ。


銀河モデルの新国切妻用シールドビームとテールライトの枠を埋めます。
103系顔の方は後でレンズだけ埋めます。


箱にしました。


屋根を塗装して屋根上機器を付けます。1
05系の冷房装置はバス用の冷房装置を流用しています。キットには入っていないので、ボナファイデプロダクトのWAU202を調達して取り付けます。


車体を塗って窓サッシやHゴム等の部分塗装もしました。
作るきっかけになったという意味で水色の単色で塗りました。あとはまあ、塗るのが楽ちんというのもありますけどね。確かに単色化で実車の塗装工程は楽になるのだなと。
塗料はGM鉄道カラーの青22号に少し緑と黄色を足しましたが、ほとんど変わらないなこれ。


レンズをはめて、表示器や運用番号にステッカーを貼ります。
ステッカーは富士川車両工業の105系500番台和歌山地区(黒幕)を使用。貼ったのは和歌山←→和歌山市、83M、ワンマン。


車体と屋根を接着。完成が近づいてきました。


スカートも取り付けます。これはタヴァサのJR西日本型スカートを使用。連結器はキットのものを使用。幌はGMの別売りパーツ使用。
これで完成です。やった~。できたぜ。

<使用塗料>
車体:GM6青22号:GM3黄かん色=9:1
床下:C2ブラック
屋根:GM35ダークグレー
屋上ベンチレーター:H83軍艦色2
屋上冷房装置:C8シルバー
窓サッシ:XF-16フラットアルミ


ケースに収納します。すでに調達していた鉄道コレクションの105系旧塗装と紀勢本線用の113系と一緒です。
残りの空き枠分には、たぶんそのうち発売されそうな227系1000番台を入れる予定です。なぜか和歌山地区の普通電車が充実することに。


完成後、最寄りのポポンデッタで早速走らせてきました。左のは鉄コレの105系。
コアレス動力は走りが快調で素晴らしい。文鎮動力にはもう戻れませんね。


手を加えて自分の欲する電車に仕立てると愛着も一入です。素組では味わえない満足感がえられます。
一方で、サードパーティ製の部品をそこそこ購入して作ったので、資材費は結構かかりました。予算オーバーでしたね。鉄道模型は結局完成品買ってもキットを自作しても金のかかる趣味ですネ。でもたまにやるには楽しいです。

といったところで今日はここまで。
今回はギャラリーは無しです。

京都鉄道博物館を見て回る その4【2017/8/16】

2019-10-14 20:30:13 | 旅行・イベント記
京都鉄道博物館の本館の続き。これはご存知500系521形1号。説明不要でしょう。
掛け値なしにかっこいいですよね。実はまだ乗ったことがないのだけど。


京都鉄道博物館といえば、段差や隙間を徹底的に無くした設計がされていることですね。こんな感じに、車体形状的にどうしても床との隙間が出てしまう500系でも床に張り出しを設けて脚を挟むことのないようにしています。
車両の床下、特に台車は車両観察に置いて重要な要素ですので、できればプラットホームと同じ高さまで嵩上げした床は無い方が嬉しいでが、これもバリアフリーやチーム事情がありましょう。


ガラス柵も車体形状に合わせて隙間がないようになっていて、見事。ここまでされるともう言うことはないなと。
ちなみにガラスのそばにある黒い丸は、なんかセンサーの穴だそうです。


断面はかまぼこ型なのだ。窓側席は圧迫感があったとか別にそんなのなかったとか。実際に乗って確かめないとね。


昼夜兼用の寝台電車583系と電車特急の代表格489系。ああ、この2台が並んでいるのはいいな。


座席と寝台を転換可能なプルマン寝台を備えていて昼間は座席特急、夜間は寝台特急として24時間休む間なく走らされることを企図された583系クハネ581形35号
が、この設計思想は色々うまく行かず、後に続く車両は現れませんでした。特に昼間の座席特急は、ボックスシートが評判良くなかったようですね。個人的には、特急運用を念頭に入れてるだけあって座り心地は良かったし足元も広かったので、後ろ向きの座席がどうしても出てくること以外は良かったですけどね、そこがダメだったんでしょうね。
この個体は最後は急行「きたぐに」に使われていたものです。何回か乗りましたね。
現状、まともな583系の保存車はこれだけ。あとは九州に一応いますけどね。それと台湾に何故か中間電動車ユニットがあります。東日本のやつはどうなるんでしょうねぇ。大した期待してないですけど。


489系クハ489形1号。交直流特急型電車485系一門のひとつ。485系に急勾配の碓氷峠を長編成で通過できるように設計した系列です。
ボンネットの先頭形状が特徴で、晩年は主に急行「能登」の運用に入り最後のボンネット型特急として人気を集めていました。現在保存されている485系の大半はこのボンネット型先頭車です。485系は全国を縦横無尽に走り回った割に保存に恵まれてませんゆえ。


鉄道院の有蓋貨車のワム3500形ワム7055号。製造初年は1917(大正6)年で実は100年前の設計の貨車なのだ。製造数は12,000台弱。しゅごい。
最後は1970年代まで北海道で残っていましたが実は北海道には現存車なし。この個体はJR西日本の研修施設に残っていたのを引っ張ってきたらしい。


カーリターダーという貨車の減速装置。線路の両側にある制動板で車輪を締め付けることで減速させるのだ。
貨車操車場のハンプヤードの下り坂にあった装備。貨車を1台ずつ切り離して方面別の線路に仕分ける時にいちいち入換機関車で仕分けていてはいつまで経っても終わらないので、ハンプの頂上で貨車を切り離しました。あとは下り坂で位置エネルギー閣下の力で貨車を自走させて仕分けるのです。その時速度が出すぎないようにカーリターダーを使いました。


油圧式ですかねぇ?
アメリカのヤードではまだカーリターダーが使われてるはず。


車掌車のヨ5000形ヨ5008号。貨物列車にも車掌が乗務していた時代がありました。その車掌が乗るための車で、貨物列車の最後尾に連結されていました。今も鉄道車両の甲種輸送時に連結される時もあるので一応車掌車は現役ですね。
ヨ5000形は最高速度を従来型の75km/hから85km/hの高速貨物に対応できるように開発されたものです。日本初のコンテナ高速貨物列車「たから」に充当されました。塗装は専用の淡緑色に塗られて専用のテールマークも付けられて、大した力の入れようでした。

これは元々JR貨物の宇都宮貨物ターミナルの新幹線高架下に保存されていた18台の貨車の1台。JR貨物はこれらの保存車を活用して博物館を建てるつもりでしたが、流れてしまって保存車は散り散りになって大半は那珂川清流鉄道保存会に譲渡されました。


151系特急「こだま」の前頭部モックアップ。485系のボンネット車とは見た時の印象が微妙に異なるんですけど、両者で形状違うんですかね?


「はつかり、がっかり、事故ばっかり」の文句でおなじみのキハ80系キハ81形3号
国鉄初の気動車特急として登場したけどすぐにエンジンから火を吹いてダメな子扱いされてしまいました。かわいそうに。
151系が少し前に登場していて車体や内装はそれを踏襲しているんですが、ボンネット部の形状は全然違います。キハ81の方がだいぶ無骨。


「ひかり」の新幹線として私に親しまれている100系122形5003号。のぞみは300系、こだまは0系というのが幼き日からの私の構図なのです。
JR西日本の100系だと二階建車を4両繋いだ「グランドひかり」なわけですが、静岡には停車していなかった記憶なので、馴染みがないです。
100系の先頭車は本来無電動車でしたが、グランドひかりの二階建車4両連結に際し中間電動車が不足したので、この122形5000番台で制御電動車化したというもの。先頭の電動機冷却のための空気取入口が連結器覆いとスカートの間にあるのが外観上の特徴。この制御電動車は短編成化の時にも有利に働いたので、100系の中でも最後まで残りました。最後にこの色に復元されてから新大阪駅まで見に行きましたねぇ。なつい。



唐突に現れる昔懐かし昭和コーナーに置かれているダイハツ・ミゼットMPA。地味に左ハンドル車でなんじゃこりゃと思いましたが、沖縄仕様なんだそうな。なるほど、当時はまだアメリカ統治下か。
大阪の交通科学博物館には鉄道車両の他に自動車や航空機や内燃機関といった交通に関わるものも一緒に展示されてたんですが、閉館に伴い公開を止めました。これは数少ない、交通科学博物館から引き続き展示されているものですね。
自動車の行方は存じませぬが、航空機とそのエンジン関連は意外なことに静岡空港の近くにある静岡航空資料館に移設しています。これは次の年に見学してきましたので、後々ご紹介します。いつになるかは約束できませぬが。


無煙化の象徴、DD51形755号機ディーゼル機関車。
蒸気機関車を追いやるために造られたので登場当初はそれはもうオタクから嫌われていたようです。今では貴重な本線用ディーゼル機関車として人気の的。時代も移り変わるし、オタクなんてそんなもん。
まだ細々と活躍していますが、JR貨物の機体はそろそろ絶滅しそう。関西圏ではこの寝台特急「出雲」の牽引機だったのが有名でしたかね。


DD51は機体の下に潜り込めるのだ。気分はピット線の中に入り込んだ整備士なのだ。
推進軸が丸見えだぜ。さすが、機関車だけあって全軸駆動のAWDなんですね。


軸重を減らすための中間付随台車。


私にとってはブルートレインの牽引機として馴染みの深かったEF66形35号機電気機関車。これもね、楔形の先頭形状とか縦型のライトケースとか、かっこいいですよね。


これも足回りがよく見えるのだ。
これといいDD51といい、機関車ってクッソ重いわけですが、車体内に格納されている機械類やエンジンはあるんでしょうかね?よその保存機(特に個人所有や公園保存のもの)では重すぎるゆえに移設が出来ず、中をがらんどうにして保存されていることがしばしばあるんですね。


これはねえ、いいですねぇ。360度から見れるのもいいです。



主電動機と車軸を合わせた駆動装置の展示。
主電動機はMT56です。


車輪はすごくものものしいのだ。


101系のモックアップ。新性能通勤電車の先駆けです。電車の構造とはなんぞや?という展示のために使われています。
画期的な電車ですが保存車は大宮に1台だけです。まあ通勤電車への扱いなんてそんなものよ。

これで本館の常設展示車両は回り切りました。では次は特別展示車を見に行きますか。



京都鉄道博物館を見て回る その3【2017/8/16】

2019-10-13 21:53:41 | 旅行・イベント記
京都鉄道博物館の本館に入りました。入ってまず出迎えてくれるのは500系、583系、489系です。博物館建造時にたまたま廃車になったことと車輪が8つ付いていることくらいしか共通点のない3者ですが、500系はともかく他の2台も何かしら功績を残しているんでしょう。
記念撮影には絶好の場所なので常に人だかりができています。まともに電車だけ撮影は不可能です。平日の閉館間際を狙いましょう。


あの3台は後で見るとして、まずはこれですよ、230形233号機。1902年製造開始の2-4-2配置の古典蒸気機関車です。
官設鉄道が汽車会社に発注して初めて国産化して量産化した蒸気機関車という肩書ですが、この頃はまだイギリスから輸入した蒸気機関車のパk・・・模倣でした。この頃の国産機関車あるあるです。これらの模倣、イギリスのメーカーの承諾は多分取ってないと思うんですけど、どうだったんでしょうね?


好ましい大きさで端正な造りの古典機です。好き。
よくぞ残っていたというところですが、幹線運用から退いた後、工場の入換機として生き延びていたところを価値が認められて保存となったようです。運が良かったのです。案外そんなものです。


みんな大好きネジ式連結器と緩衝器。これはブレーキ管が低い位置にあるのだなと。


シリンダー部。比較的単純な構造ですね。


動輪も2軸だしやっぱり単純。


後ろ。この時代の機体はライニングが良いのです。まだ蒸気機関車が珍しく1機1機が大事にされてたんだなと思わせます。


横から。弁天町から移される際に化粧直しされてきれいになりましたね。


ワット式複動蒸気機関の模型。ジェームス・ワットが発明した、蒸気機関の事実上の始祖と呼んでいい代物です。
蒸気機関自体はワット以前にもありましたが、ワット式はピストンの大幅な熱効率改善円運動の発明が大きな特徴です。
ピストンと蒸気の冷却を別々に配置して熱効率を改善しました(ここらへんの構造は自分の中でよく噛み砕けてないのだが)。ピストンの熱効率が良いということは、エネルギーロスが少ないので低燃費であり石炭消費量は従来型の1/4になりました。
さらに、上下運動しかできないピストン運動をクランクシャフトを用いて円運動に変換することを可能にしました(発明当時クランクシャフトは特許技術だったので別の方法で代替したようだけど)。円運動が可能になったことで従来鉱山の排水用ポンプくらいにしか使い途のなかった蒸気機関は、紡績業を始めとした工業の動力や鉄道、蒸気船にその用途を拡大していき、まさに世界を変えていくことになるのです。また、これにより従来円運動を生むのに使っていた風車や水車は絶滅していくことになりました。

ロンドンの科学博物館にこれの実物大レプリカか本物があるはずなので、見てみたいものです。


ご存知ロコモーション号。世界で初めて乗客を乗せて走った蒸気機関車です。
シリンダーが垂直に配置されていて、それをあっちゃこちゃして車輪に伝えています。ボイラーの上は蜘蛛の足みたいな複雑さになっています。

これの実車は第一線から退いた後定置機関として使われてたんですが、保存されることが決まって復元されました。いまはどこかの博物館に保存されているはずです。


全国に19万人のファンを持つロケット号。世界初の鉄道人身事故の当該機として有名。
ロコモーション号と比較して、シリンダーの往復運動を連結棒で動輪に直接伝える方式にしました。これによりエネルギー効率が良くなりました。シリンダーもロコモーション号の垂直配置から斜めの配置になりました。ただしこれでは重心が高くて安定性に欠けるので、後に水平配置にして改善しています。
他にもボイラーにも改良が加えられてますが割愛(手抜き)
という風に以降の蒸気機関車設計の始祖となった機体なのです。

これもロンドンの科学博物館に保存されています。やっぱり行きたいですねぇ。


側鎖(マイルチェーン)という物差し。これ1つで20.1mで1チェーン。80チェーンで1マイル(1,600m)。明治時代の路線にはチェーンという単位が時々出てくるので覚えておいて損なし。


聖地新橋停車場。
ホームは1面2線ですが、左右に不自然な土地が有りにけり。これ、後々の拡張に対応していたのかしらね?この開業時の姿しか見たことないのでなんとも。

現在は跡地に新しく建て直された駅舎と線路数メートルが復元されています。よく汐留の再開発に飲み込まれずに済んだなと思います。


館内にもう1機いる古典蒸気機関車1800形1801号機。車輪配置は0-6-0で、これすなわち性能を牽引力に振った機関車です。
1880年官設鉄道大津~京都間開通の翌年にイギリスから輸入したもの。この区間にあった逢坂山隧道は急勾配でして、そのために用意されたのが1801号機でした。


動輪とか。
官設鉄道から引退後は高知鉄道、東レ滋賀工場の入換機として活躍。入換機には適した機体でした。東レから引退後に国鉄に寄贈されて戻ってきました。


みんな大好きネジ式連結器と緩衝器(2回目)。こっちは他の車両と連結状態ですね。


1801号機の後ろに連結されているのはマッチ箱客車の一部のレプリカ。たぶんハ1005。専門家いわくよく出来ているようだ。
こんなの今回の博物館に合わせて新しく造るはずないので(諦め)、交通科学博物館時代からの展示物だと思うんですが、うーん記憶にないですね・・・。


おおよそ全体の1/3の長さが再現されています。客室でいうと1区画と1/3。多扉車多コンパートメントというイギリス式の客車なのだということが分かります。
座面が畳敷きなのが日本らしく良いです。


ホコリを被っている線路。ちゃんと双頭レールなのか。


太湖汽船の第一太湖丸。官設鉄道の長浜駅と大津駅の間を結ぶ連絡船でした。


1928年製造の初の国産大型電気機関車のEF52形1号機
国産化へ向けて機関車メーカー6社が一丸となって開発した機体です。東海道本線に投入されて、そこから退くと中央本線や阪和線などに転じて活躍しました。

というところで今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その105【2016/03/04~10】

2019-10-10 22:20:08 | 海外旅行記
USSミッドウェイのアングルドデッキの先端まで来ました。


一応転落防止網はあるのね。


アイランドを過ぎてもまだ飛行機がおりまっせ。これはグラマンE-2Cホークアイ(1960年・507機目)。
E-1の後継機の艦上早期警戒機ですね。自衛隊でも運用しているのでおなじみですね。なのであんまり書くこともないですね(手抜き


グラマンお得意の主翼の折り畳み方。この折り畳み方はグラマン製くらいでしか見たことがないので、何か特許を持ってたのでしょうか?


レドームの根本。結構複雑な形状をしているのだ。


航空機のジェット排気を逸らすための板だったと思います。


発艦前の状態で展示をしているLTV A-7BコルセアII(2日ぶり5機目・508機目)。A-4の後継機です。


戦争でもする気かという武装。


空対空ミサイルのサイドワインダー。


空対地誘導爆弾。赤外線誘導だと思いますけど、なんの種類かは分からんちん。


無誘導爆弾。Mk.80系のやつですね。


前脚はカタパルトに固定されてます。飛行甲板ではジェット機が離陸するには絶対に距離が足りないので、滑走距離の短い飛行甲板からでも離陸できるようにカタパルトで射出して助走をつけてやるのです。


カタパルトはこんな感じで甲板の先端まで延びてます。カタパルトは2条ありにけり。


発艦要員のピーター(仮名)。決めポーズをしていますが、この合図でA-7は発艦するのです。


ちょっと飛行機との距離が遠いので写真バエが難しいですが、実際はこれが適正な距離感なんでしょう。


もうひとつのカタパルトにはF-8がいます。



そのチャンス・ヴォートF-8Kクルセイダー(2日ぶり3機目・509機目)。十字軍を戦闘機の名前にするのって、宗教的にどうなんだこれ。
この時期のアメリカ軍の戦闘機としては貴重なまっとうな制空戦闘機です。アメリカ空軍では戦闘核爆撃機か全天候迎撃機しかいなかったんで、制空戦闘機としてはスカタンでした。よって、ベトナム戦争時にはアメリカ軍最強の戦闘機と言って良いものでした。

K型はC型を近代化改修した型式です。
複雑な形状の機関銃周りとか揚力を得るためにジャッキアップされた主翼とかに注目。


グラマンEA-6Bプラウラー(15分ぶり2機目・510機目)。A-6を電子戦機に再設計した機体。A-6からの改造機ではなくて新造機です。
B型からはさらに設計が改められて、特に複座だったのが四座に増えたことが外観上の特徴です。構造的に余裕があったのが功を奏しました。
数年前まで現役に就いていた機体で、日本でも見ることの出来たやつでした。


4座のコックピット。後席は窮屈そうだけど、窓があるだけまだ人権がありますね。風防のガラスはどうも金を薄く蒸着させてるっぽい感じがします。電波対策でしょうかね?


空対地対レーダーミサイルAGM-88。敵防空網のレーダーサイトを無力化するためのレーダーの発信源に向かって飛んでいくミサイル。


飛行甲板の先端、カタパルトの伸びた先にあるのがブライドルアレスト。1980年代までの艦載機の発艦には、カタパルトと機体を綱で繋いでいました。今見たA-7は前脚に固定していましたが、あれとは違う方式です。
両者をつなぐ手綱は機体が離陸して機体から離れると甲板に叩きつけられて、次に跳ね返ったそれが機体に衝突してしまう可能性がありました。
それを防ぐためにカタパルトの先端に下向きの角度のついた張り出しを付けました。こうすると手綱が機体にぶつからないのだ。
現代機はA-7のように前脚にカタパルトを固定するので手綱は不要で、当然張り出しも不要です。なので現代の空母にはこれは付いていません。
USSミッドウェイにも手綱を使っていた時の名残として残っているのです。


空母の端から端まで歩いてきました。まさにちょっとした飛行場でしたね。

次回からアイランドの中に入ります。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その104【2016/03/04~10】

2019-10-05 23:55:25 | 海外旅行記
USSミッドウェイの飛行甲板を歩きます。格納庫から飛行甲板へ出た時は艦尾の方にいたのが、段々と前の方へ向かっているということです。今はちょうどアイランド(艦橋)の横まで来ました。


ここはアングルドデッキが横切っているところ。アングルドデッキは文字通り、飛行甲板が斜め左前に傾けて設置されているところ。
アングルドデッキは航空機の着艦の時に使います。発艦は飛行甲板の前方の方でカタパルトで射出されます。この発艦デッキは真っ直ぐを向いています。
アングルドデッキにより発艦と着艦の動線が分かれることになりました。最大の利点は、着艦デッキの先に航空機が何もいないのでもし着艦に失敗した時に着陸復行できることだそうな。



ヘリコプターもやたらあるんですね。これはシコルスキーHO3Sドラゴンフライ(2日ぶり3機目・498機目)。
シコルスキーR-5が原型のヘリコプターです。撃墜されて不時着したパイロットの救難救助なんかに使っていました。


タンデムローターヘリコプターのパイアセッキHUPレトリバー(2日ぶり2機目・499機目)
空母はもちろん巡洋艦にも着艦できるようタンデム機にしては小型に造られています。これも救難用。


すでに同型機や派生機を何度も見たシコルスキーHSS-1シーバット(3日ぶり2機目・500機目
はい、500機目到達してしまいましたね。いや、まじでこんなに見てるとは思わなかったよ。

シコルスキーでの呼称はS-58で、そのHSSは海軍版の対潜ヘリです。S-58はS-55を大型化した機体で、大まかな輪郭は同じなのでそれぞれパッと見ただけではどっちがどっちかわかりにくいのです。コックピットから尾部へ流れるラインとかテールブームの形状とかで見分けるのが比較的容易かな?
博物館の看板にはH-34と書かれてましたが、これは命名規則統一後の型番かな?S-55もS-58も軍用版は型番が多すぎてややこしいです。型番を統一してくれてありがとうマクナマラ。


対潜ヘリのSH-2シースプライト(2日ぶり2機目・501機目)。
駆逐艦でも運用できるように小型に造られています。特に幅が狭い。軽自動車みたい。


これも対潜ヘリのシコルスキーSH-3シーキング(1961年・502機目)。意外にもこれが今回はじめて見るシーキングなのでした。まあ、カナダ空軍の機体を今までに何度も見ているのでおなじみではあります。
SH-2と異なりこちらはフルサイズの対潜ヘリです。


アイランドを真横から。一番でかいのは煙突なんだな。艦橋部分は意外と小さいし、航空管制室は煙突と半分一体化してますね。


ヘリコプターズララッ!


グラマンA-6Eイントルーダー(1960年・503機目) Let's go downtown! 
あれれ、イントルーダーは今回はこれが初見ですか。全体を見てもシアトルの博物館で見たのが今までで唯一で、これが2度目。ううむ、意外とまだ博物館入りしていないということですかね。
艦上攻撃機で、レーダーを搭載した全天候型攻撃機なのです。なのでレーダー士も乗せた2人乗り。で、横並びに座らせたのでなんだか頭でっかちな機体です。


無誘導爆弾のマシマシフルコンボ。殺す気か。


頭でっかちの機首に対してとても絞られた尾部。


アイランドの後ろの方。レーダーマストが多いのです。上を黒く塗っているのは低視認性のためでしょうが、海上自衛隊ではこういうことやってないですし、効果あるんでしょうかね。


煙突とか。
「41」の右側から飛び出ている掘っ立て小屋みたいな出っ張りが、エアボスのいる航空管制室です。後でツアーで見に行きます。


いい天気だなぁ。3月は過ごしやすい気候でした。夏に行ったら照り返しで溶けそうですが。


ボーイング・バートルCH-46シーナイト(1962年・504機目)
さっきからここに来て初見の機体がぼろぼろと。まあこれもカナダの博物館で見たことありますけども。
近年では沖縄の海兵隊がずーっと騙し騙し使っていて、シーナイトの後継機をどうにかしーないと、という状況だと認識していましたが、2015年にオスプレイと交代して退役済みだったんですね。よかったなー。


CH-46は中に入れます。列も空いてますし行ってみましょう。軍用輸送ヘリでもシートベルトはやっぱり必要なんだね。



後部のカーゴランプ。タンデムヘリはパイアセッキを吸収したボーイング・バートルを吸収したボーイングしか現状造ってないんですが、結構ノウハウが必要な機種なのか、需要無いだけか・・・?
タンデムヘリもCH-47以降は新型出てないですし。でもこれはボーイングに新機種の開発能力がないだけな気もしますけど。ボーイングって吸収合併したメーカーの機種をこねくり回して改良することしか現状できてないですよね。
でも最近になってボーイング・サーブのタッグでT-Xの開発競争に勝ちましたね。


もうこいつはお腹いっぱいのベルUH-1ヒューイ(2日ぶり6機目・505機目)。
もういいでしょ、何も書かなくても。


もともとは非武装の輸送ヘリですが、ベトナム戦争では無理やり武装化してガンシップとして使ってました。


機内にも機関銃あり。


シコルスキーSH-60シーホーク(1974年・506機目)
君まだバリバリ現役でしょう、なにやってんの。
UH-1の後継機として開発されたんですけども、性能相応に高価だもので数を揃えられずUH-1を完全に置き換えられずにいる事が多いです。自衛隊とかそうですものね。かなしい。
通常型はUH-60で、このSH-60は対潜ヘリです。

というところで今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その103【2016/03/04~10】

2019-10-03 22:52:29 | 海外旅行記
USSミッドウェイの続き。
飛行甲板に並ぶ艦載機をズラリ。いいなぁ、様になるなぁ。こんなに情景が抜群の航空博物館あるかい?



さっき見たA-4のあるエレベーターを見下ろせます。
エレベーターの広さに対してA-4の小ささよ。本当に小型機なのだと実感できます。


空母に欠かせない装備のアレスティングワイヤー。空母に着艦する航空機を引き止めるための綱です。
甲板の左右に綱が張られていて、この綱に航空機から伸びるアレスティングフックという鈎状のフックに引っ掛けて半ば強引に着陸させるもの。陸上と同じような着陸だととてもじゃないですが制動距離が足りないですからね。


アレスティングワイヤーを辿っていくと航空機のところまで行きます。ちょうどこのF-4のアレスティングフックが綱を引っ掛けて制動をかける瞬間を再現しています。実際の飛行甲板上で実物の戦闘機を使っての再現とは贅沢な展示です。


これが鈎ですね。こんな大きさしかありません。少々頼りなく見えますがこれでも止められます。


根本はこんな感じでやっぱり頼りない感じが。
アレスティングワイヤーの張り方にもコツが要るみたいで、ピンと張り詰めた状態で鈎に引っ掛けると負荷が強すぎて最悪折れてしまうそうな。なので緩めに綱を渡しておいて、鈎が引っかかると同時に徐々に綱の制動をかけていきます。
機種ごとに機体重量や着艦速度も変わってくるので1機ごとに適正な制動力に調節することも必要です。結構ノウハウが必要なのよ。


アレスティングワイヤーの再現展示をしているマクドネル・ダグラスF-4BファントムII(9分ぶり8機目・495機目)。
B型はF-4の最初の量産型ですね。残っているもんですね。



エンジンは搭載されているっぽいかんじ。


赤い板は制動板ですかね?


パイロットのロウ中佐(仮名)とレーダー士のスミス大尉(仮名)。再現展示なので人形は欠かせません。
このF-4Bに塗られているVF-21フリーランサーズは、1965年6月17日ベトナム戦争の転がる雷作戦ことローリングサンダー作戦中に北ベトナムのミグを相手に初めて空戦で勝利した部隊です。
よく見ると空気取入口にキルマークが描いてあります。


主翼に吊下されてるミサイル。たぶんサイドワインダー(いい加減)


修復中のグラマンC-1トレーダー(1952年・496機目)。ここに来て初見の機体ですか。
同じグラマン製のS-2対潜哨戒機の設計を流用した輸送機で、胴体を輸送用に再設計した以外はだいたいS-2の流用。さらに、C-1の設計を流用して発展させたE-1早期警戒機もいます。トラッカー、トレーラー、トレーサーの3兄弟です。全部Tで始まっているのは狙ってやってるでしょうね。
陸上から航行中の空母への輸送任務で使われます。輸送機と言えど艦上輸送機なので大きさは輸送機としては小さいです。



今の所C-1を見たのはこれが唯一となっているので修復中なのは残念でしたが、ちゃんと修復されているのは良いことです。海の上という場所柄、全部の展示機を良好な状態で展示し続けることは困難ですから、順繰りに修復していく必要があるのは十分理解できます。


爆弾のコーナー。これはMk.51クラスター爆弾。この爆弾の中にたくさんの小爆弾が詰まっていて、空中で破裂して広い範囲を攻撃する兵器。マップ兵器みたいでエグいので世界では規制する流れに。なおアメリカは


えー、これは謎。


潜水艦絶対殺すマンことロッキードS-3Bバイキング(2日ぶり2機目・497機目)。
艦上機でロッキード製は珍しい組み合わせです。ロッキード製なのに星に関する名前でないのも珍しいです。アメリカ海軍機の昔の命名規則に製造メーカー記号があって、ロッキードにはVが割り当てられていたのでバイキング(Viking)にしたのかな?


ジェット艦上対潜哨戒機という珍しいやつ。小ささゆえに能力に制約もあるので輸出はサッパリだめでした。


胴体下部に爆弾倉あり。

今日はここまで。