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北米project 5 ~How do you like Canada? その47【2016/6/15~22】

2024-04-10 06:30:30 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。ちょっとだけ宇宙コーナーもあるので、見てみます。
これはカナダーム (Canadarm) という船外作業用マニピュレーターです。1981年登場。日本語だとカナダアームとも書かれており、表記揺れがあります。
1981年11月にアメリカのスペースシャトル「コロンビア」でこのカナダーム201号が打ち上げられました。1億5300kmもの距離を移動(地球約3,800周分)し、23回の任務をこなしました。最後の任務は2011年6月、スペースシャトル「エンデバー」の最終任務のときでした。


こんな感じ。こういう宇宙関連の実物展示はだいたいモックアップと相場が決まっていますが、これは実際に宇宙に行って実戦投入されていますから重みがちがいますな。
カナダームはスペースシャトルの貨物室に取り付けられて、貨物室にある貨物を掴んで船外へ放す、あるいはその逆の作業ができます。シャトル・リモート・マニピュレーター・システム (SRMS) と呼ばれています。


宇宙空間でのロボットアーム制御は想像するよりも難しいみたいですが、そこら辺の説明が少ないのでよく分からず。


スペースシャトルは退役してしまったのでカナダームも一緒に退役しましたが、今度は国際宇宙ステーションに取り付けられたカナダーム2というマニピュレーターが現役です。


こちら宇宙空間での船外活動ユニット (EMU) です。船外活動中の宇宙飛行士の保護と生命維持を目的とした、いわゆる宇宙服です。


胸部はごちゃごちゃしています。生命維持装置やら通信装置やらなんだと思います。
目盛りの文字が反転しているんですが、これは腕についている鏡を通して目盛りを確認するため。首を倒して覗き込みながら目盛りを見ることはできないんですって。


他にも宇宙関連の展示がありますが、割愛します。みんなも行ってね。


宇宙の次は、ブッシュプレーンのコーナーに迷い込みました。ブッシュプレーン (Bush plane) というのはカナダ独特の航空機の種類で、カナダ北部やアラスカ、ユーコン等の外界との接続が乏しい辺境の未開地へ行くための物です。
未開地なので飛行場があるところは少ないわけでして、そういう辺境でも運用できるように、通常の車輪の他に水上用のフロートや雪原用のスキー板を装備できるように、なおかつ簡単に換装できるように設計されています。
他にも、下方視界に優れた高翼配置、高い短距離離着陸性能、低圧タイヤ等の性能を付与されていることが多いです。

さてこの機体はノールダイン・ノースマンMk.VI (Noorduyn Norseman Mk.VI) です。1935年初飛行。
 カナダで初めてのブッシュプレーンと言われています。頑丈な構造と広い荷室が評価されて、カナダ空軍やアメリカ陸軍でも採用された実績を持ちます。カナダで開発された機体は数多くありますが、これは人々から頭一つ抜けた誇り高い扱いを受けているように感じました。
変わっているのは、機体は順当にMk.Iから開発されていったんですが、Mk.IVの次は一個飛ばしてMk.VIでした。その後第二次世界大戦後にMk.VIの改良型としてMK.Vが開発されています。つまりマークナンバーが逆戻りしているわけです。
これは、V (5) は勝利 (Victory) のVとも読み取れるので、第二次世界大戦に勝った暁にはそれを記念したマークナンバーを開発するためにあえて空席にしていたというのです。なんだか余裕っすね。


この個体は1943年製で、戦時中は通信士の訓練用に使われたんだそうな。戦後は連絡、輸送、訓練等多用途に使われて、1950年に退役。その後博物館が取得しています。機体は晩年の姿をしているとのこと。
胴体は機首からエンジンマウントあたりまでが金属製ですがそれより後ろの胴体は鋼管羽布張りです。主翼も羽布張りです。速度は求めていないのでこういう構造のほうが合理的でしょう。ブッシュプレーンは過酷な環境での運用となりますので、鋼管羽布張りの方が修理が容易というのも評価される理由でしょう。


がに股の脚が特徴的。これは、水上用フロートに履き替えた時に安定性が出るように左右の間隔を広げるためだと思います。
どうでもいいですが、エンジンから伸びている長い排気管は、当時のカナダ空軍のレシプロ機によく見られるものですね。機体に排煙が付着しないようにするためか、消音性を出すためなのか、よく分からないのですが・・・。」


プラット&ホイットニー R-1340-AN1ワスプエンジンです。星型9気筒、600馬力。1920年代の代表的航空機エンジンのひとつで、これを搭載した機体は多いです。ノースマンのエンジンもこれです。


カーチスHS-2Lラ・ビジランス (Curtiss HS-2L La Vigilance) です。1917年初飛行。飛行艇ですね、つまり羽のついたカヌー。
アメリカ海軍の沿岸哨戒飛行艇として開発されました。ブッシュプレーンとしての適性に目をつけたカナダでも戦後に余剰となった機体を購入し、第一次世界大戦後初めてのカナダのブッシュプレーンとして使われだしました。他にも1919年にはカナダ初の森林パトロールと上空からの森林調査、1920年に上空からの鉱山権益の発見、1924年には初の定期航空便などを達成しています。

「紅の豚」に出てきたモブの飛行艇はこういう感じだったような、という気がします。


機体の隣りにあった黒い物体。特に説明はありませんでしたが、これがオリジナルの船体だと思います。


骨組みまで見れるのはありがたいですね。オリジナルの船体は湖に水没後40年以上そのままでしたが、良好な姿を留めています。寒冷地の淡水湖に沈んでいたのが幸いして腐食があまり進行しなかったのだと思います。湖に沈んだ飛行機って意外と物持ちがいいんですよね。


飛行艇なのでエンジンに海水が被らないように高位置に置かれています。エンジンはリバティで、V型12気筒、360馬力です。


この個体は1918年製で、1919年にカナダ初のブッシュプレーンとして飛行した記念すべき機体なのです。1922年に機体はオンタリオ州の湖に墜落して、機体は水没しました。1967年に発見されて、翌年から引き揚げられました。
オリジナルの船体はいじらずに残しておいて、復元用に別の機体から供出したものを使っています。復元は1970年から1986年までの長期間にわたっていて、当館の中でも最大最長の復元計画だったと言われています。


カーチス・シーガル (Curtiss Seagull) です。1912年初飛行。
これもアメリカ海軍が当初使用した飛行艇で、第一次世界大戦後に民間に放出された機体がカナダで運用されたものです。飛行艇としては小型に属するのでブッシュプレーンとして最適でした。
この個体はブラジルのアマゾンの探検に使われたんだそうな。まさしく、取材班はアマゾンの奥地へと向かった・・・・時に使った機体ですな。


主翼は長めですね~。


1925年式のヘンダーソン社製バイクです。聞いたこともないメーカーですが、1912年にアメリカで創業したものの世界恐慌で1931年に倒産してしまった短命の会社です。4気筒バイクの雄だったそうな。
私はバイクはみんな同じ形に見えるバイク音痴なのでどういうモデルなのかはよく分かりません。4気筒エンジンは見たところ直列配置ですが置き方が現代のものと比較すると90度回した状態で置かれています。
なんで置かれているのかもよく分かりませんが、ブッシュプレーンに運ばれていって現地のアシに使われたというところだと思います。


ベランカCH-300ペースメーカー (Bellanca CH-300 Pacemaker) です。1925年初飛行。
アメリカのベランカ社で開発された6人乗りのブッシュプレーンです。カナダ空軍向けにカナディアン・ビッカーズでもライセンス生産されました。
2機しか現存しないCH-300のうちの1機で、テキサス、メキシコ、アラスカ等で飛行をしていた機体です。


1920年代にもなるとはやくもブッシュプレーンとしての機体の形状は確立された感はありますね。
エンジンはR-985ワスプジュニア(星型9気筒、450馬力)。


1925年式のフォード・3トントラックです。モデルTTかな?平トラックですが、ダブルキャブなのはちょっと珍しいかも。
これも唐突に置かれているだけですが、ブッシュプレーンが内地の飛行場から飛び立つ前に積み込む物資を運ぶトラックなんだよ、という演出というところでしょうぬ。

というところで今日はここまで。


その48へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その46【2016/6/15~22】

2024-03-20 06:26:49 | 海外旅行記
メッサーシュミットBf109F-4 (Messerschmitt Bf 109F-4 ) です。試作機の初飛行は1935年。
ドイツ機を複数見れるなんて、ここはいいところですね。アメリカやカナダと違ってドイツは敗戦国なので、現存機はどうしても少なくなりがちなんですよね。
でも私はドイツ機には疎いのであまり書けることはないです~。これもスピットファイアに劣らず派生型の数が多いですし。


スピットファイアも大概小さめの機体ですが、Bf109はそれ以上に小型の印象があります。小型軽量は正義で、それを活かした戦法を駆使する戦闘機なのだろうなと。


Bf109名物、プロペラスピナーから放たれるモーターカノンはこのF型からやっと搭載されるようになりました。なので、見切れていますが銃口が見えますね。


Bf109も脚の間隔が狭いのです。まあ空力や軽量化にはこれの方が有利なんですよね。

この個体は1942年製。ソ連との戦いで撃墜されて不時着。それ以降の記録はよくわからんようで、次の記録ではソ連の博物館で修復されていたそうな。テキトーな修復だったらしく、どうやら資料性についてはあまり期待しないほうが良さそう。その後イギリスの復元団体が買い取って、マシになるよう修復しています。
当館が2つ持っていたMe163のうちひとつとこのBf109を交換する形で手に入れ、今に至るそうな。


ただでさえ小さい機体なのにコックピットはめちゃ狭そう!デカいドイツ人があの中に収まるとは思えないっす。それに、枕の高さと風防の天地寸法からして、前方視界なんてほとんどないんじゃない?どうやって空戦していたの?



後ろから。実際、ゼロ戦と比較しても小さいです。


Bf109のエンジンですね。ユモエンジンなのかダイムラーのエンジンなのか、よくわからず。


たぶんモーターカノンの機関砲ですかね。これもいろいろな種類を使っていたそうで、特定するのは私にはできないっす。


続いて、ハインケルHe162A-1フォルクスイェーガー (Heinkel He 162A-1 Volksjäger) です。1944年初飛行。
人呼んでドイツの断末魔5号くらい。国民自動車(フォルクスワーゲン)ならぬ国民戦闘機として、安く大量に造れて、操縦は簡単で、それでいて米英の戦闘機よりも強くて、というお前はかぐや姫か!という無茶をドイツ空軍は出してきたのです。それでハインケル社が出してきた回答がジェット戦闘機というのがドイツらしいと言うかなんというか。
開発着手から90日で初飛行に漕ぎ着けるというロボットアニメのような日程で開発を進め、実戦投入も間に合ったそうな。でも撃墜記録はないみたいっす。


安くてたくさん造れることが命題の一つだったので、機体規模は同世代のレシプロ戦闘機と比べても小さいです。本当に小さい、Bf109も大概小さいですがHe162はそれよりも小さそう。これだけ小さいと航続距離も短いんですが、ドイツを焼きに来る連合軍の爆撃機を迎撃する局地戦闘機として使うつもりだったので無問題でした。もはやイギリスに攻め込む気は無かったのです。
あと機体はだいたい木製で、経験の浅い工員でも製作できるような設計になっていたそうな。
その割にジェットエンジンを背負っているのは、連合軍の爆撃機が飛んでいる高高度飛行対策でしょうね。ドイツのレシプロ戦闘機ではハイオクガソリンの入手難から高高度飛行ができないんですが、ジェットエンジンならそれでなくても高高度まで飛べてしまうので、まさにジェットは念願のエンジンだったわけです。


変形H字尾翼とでもいうべきか、変わった形状です。ていうか垂直尾翼の舵面は2つに分かれているのか。妙に手のこんだことをしてますね。
上反角がついているのは、尻もち対策でしょうかね。なお、水平尾翼の付け根部分の胴体の下に突起が出ているのがわかると思います。あれは尻もち防止用のそり的な部品です。
・・・開発期間の驚異的短さに比例して、泥縄的というかその場しのぎ的な設計が見え隠れしているような気がする機体でもあります。この尻もち対策なんてどうも後付けの対策っぽく見えるじゃないですか。


機首の赤い矢印の付け根で部品の分割線が入っていますね。分割線よりも機首側は木製部品で、そこから後ろが金属製だそうな。
He162は20mm機関砲と30mm機関砲を搭載したものに大別されるようですが、これはA-1型なので30mm機関砲搭載型、ということになります。機体が小さい割に強力な武装なわけです。でも、機関砲射撃時の反動を受け止められていたいのかな?

ところでこの個体はやけに塗装がくたびれています。博物館に飾るにはちょっと汚らしいんですが、もしかすると当時の塗装が留められているのであえて下手な修復をしないでこのままにしている可能性もあります。機体の修復歴はよく分からなかったので、可能性程度にとどめておきます。

この個体は1945年2月か3月にハインケルのノルド工場で生産された機体です。実戦投入の有無は分かりませんが、同年5月8日に連合軍に機体が鹵獲されます。その後イギリスが戦利品としてかっぱらっていき、ロンドンのハイド公園で飾られたそうな。飛行試験はしなかったのかな?
1946年9月にカナダ空軍に移管されて、カナダで保管されていました。で、1967年の博物館の所有となり今に至ります。


主翼は泥縄設計が色々されていると言われています。翼端が折れているのもそんな感じがします。他では見ない設計ですよ。直進安定性か揚力増加かが目的のような気がしますけど、よー分からんです。

背中に背負っているのが、BMWの004型ジェットエンジンです。Me262のエンジンとはまた別の種類です。エンジン補機類を詰め込んだために前方上部がやや膨らんでいているのが猫背的に見えて有機的というか、他の機体にはない印象を与えます。
エンジンを外付けにしたのが超短納期設計のミソとも言えそうです。でも機体の重心部にエンジンを乗っけるのは外付けという点を除けば先見性がありましたね。

プロペラが無くなったおかげで超短足になった主脚にも注目です。脚なんて飛行中は死重も同じですから、短いに越したことはないんですね。まあ短すぎて今度は尻もちつくようになっちゃったんでしょうけど、たぶん。


次はホーカー・タイフーンMk IB (Hawker Typhoon Mk IB) です。1940年初飛行。
ホーカー・ハリケーンの後継機として開発された戦闘機でしたが、ダメ性能だったので戦闘爆撃機に転職してどうにか命脈を保ちました。ただイギリスはタイフーンをそんなに気に入っていなかったようで、戦後に全部解体処分してしまっています。スピットファイアとの扱いの差を見るに、本当は黒歴史と思っていたんじゃない?
ただし、1944年に性能試験のためにアメリカに渡っていた1機が戦後スミソニアン協会から、イギリスが持っていたハリケーンと交換という形で帰還しています。なのでタイフーンってイギリスに1機しかいないわけですよ。

・・・・・・あれ、じゃあ目の前のこれ何だ?

当時は気にもしなかったけど、これじゃ辻褄が合わないですね。レプリカだったってオチ?
撮影した写真から機体番号を探すと、「MN235」でした。これ、イギリス空軍博物館(RAF博物館)にある唯一の現存個体と同じです。なにイギリスくん、やっぱり黒歴史はいらないと考え直して、カナダに売っちゃったの?
戦後当時はともかく、自国の兵器はとにかく褒め倒す今のイギリス人がそんなことするとも考えにくく、もうちょい調べてみることに。
するとどうも、2014年6月のDデイ70周年を記念してRAF博物館から当館へ一時的に貸与されたんだそうな。なんと、2014年5月にカナダ空軍のC-17輸送機に詰め込まれて空輸したんですと!ある程度解体して運んだんだろうけど、あれに載せられるんだ。
それで今日は2016年6月なので、その後も数年間継続して展示を続けていたということですね。あれま、これはラッキーなことだったんですね。2024年時点では、もうイギリスに帰っていてカナダにはいないそうです。

下記、ソースです。


ロケット弾と機関砲です。戦闘爆撃機なので、これで地上のドイツ軍をけちょんけちょんにしてやります。


もうちょい下から。
タイフーンはカナダ空軍でも使用されていて、第440飛行隊はオタワが本拠地でしたから、タイフーンがここへ来たのはそういうつながりもありそうです。


タイフーンと言えばそう、顎ですね。顎にはエンジンを冷却するためのラジエーターなんかが入っています。
戦闘爆撃機というのは低空を飛んで対地攻撃するわけですが、地上側もただやられるわけにはいかないので対空砲火などで応戦するわけですね。それで、一番当たりやすいような位置にこの顎が付いているんですね。ラジエーターなんて銃弾1発当たっただけでラジエーターが液漏れすることもあるそうなんで、そうなるとたちまちエンジン本体も駄目になって飛べなくなります。タイフーン最大の弱点じゃないでしょうか。


正面から。顎のお陰で前面投影面積が広くなっちゃってるのが分かるかと。迫力が出て見た目には好きな顎ですが、乗るかと聞かれれば願い下げですね。


最後にランカスターをば。
これで第二次世界大戦コーナーはおしまいですね。歴史的経緯からイギリス系の機体が多い展示でした。同じ北米大陸でもアメリカ産の博物館とは大きく様相が異なるわけです。つまり北米大陸にありながらイギリス機を多く見ることができるのがカナダの博物館の魅力と言えるわけです。
イギリスが手癖でドイツからかっぱらってきた戦利品もいくつか流れてきているのも抑えておきたい所。

というところで今日はここまで。


その47へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その45【2016/6/15~22】

2024-03-04 07:23:00 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。
続いてこちらは、メッサーシュミットMe163B-1aコメート (Messerschmitt Me 163B-1a Komet) です。初飛行1943年。
ドイツの断末魔2号です。第二次世界大戦で運用された唯一のロケット推進戦闘機です。敵の爆撃機が飛んでいる高高度までチョッパヤで上昇できる迎撃機なんですな。
まさに彗星のごとし上昇力と高速性を持ちますが、ロケット燃料が使えるのは点火後たった8分間のみ、まさに彗星のごとく。ガス欠になったらもう着陸するしか無いんですが、滑空して降りていました。敵からすればいい的なので、狙い撃ちされていたみたいっす。そういう性能もあって、運用はなかなか難しかったみたいです。
この個体は1945年製で、ドイツの敗戦後にイギリスがかっぱらっていき性能試験をしました。翌1946年に戦利品としてカナダのモントリオールへ渡りました。こう、戦争の戦利品をかっぱらって連邦諸国へ渡らせるのは、イギリスの手癖なんですかね。第一次世界大戦のときも同じことしてましたよね。
カナダへ渡った後はカナダ空軍へ移管され、様々な場所で保管されていました。1964年に当館を安住の地と決めて展示されるに至っています。その際に実際にこれが配備されていたドイツ空軍JG400部隊の塗装に復元されています。


脚です。いや厳密には脚と言える部分は無いです。車輪は離陸すると外れてしまい、着陸時は黒いそりを展開して軟着陸させるっていう、そういう仕様です。


1941年式フォード・GPトラック (1941 Ford GP Utility Truck) です。
なんだ、どこにでもあるMBジープか・・・おや、なんだか変だな?と思ったあなたはジープ通ですね。これは、いわばMBジープの先行量産型とでも言うべき、フォード・GPなのです!
第二次世界大戦で馬車馬のごとく使われたいわゆるMBジープは、1940年アメリカ陸軍からのコンペで開発が始まりました。設計図提出まで49日、試作車提出まで75日っていういくら戦争だからって無茶苦茶なスケジュールで、100社以上に呼びかけてそれに応札したのはアメリカン・バンタムだけでした。
結果、バンタムが落札して試作車を作ったんですが、バンタムは3社の中で一番小さい会社でした。自分で落札しておいて勝手に会社規模の小ささに不安を覚えた陸軍は、バンタムの設計図をウィリス・オーバーランドとフォードに渡してしまい、結局3社がそれぞれ1500台ずつ試作車の発注を受けることに。バンタムはキレていいと思うんですよ。
1941年1月、じゃあいよいよ発注するよって時に3社の仕様の標準化が求められたので、設計を改めることになりました。その時の車種が、バンタムはBRC-40型、ウィリスはMA型、そしてフォードはこの写真のGP型です。標準化と言ってもまだ形状はそれぞれ異なっていたんですけどね。この3車種は2回目の試作車、あるいは先行量産型とも言われているやつです。各社1500台と言われていたのに大量生産バカのフォードだけは我慢できなかったのか4400台も作りましたが・・・。
ジープは全部で65万台造られたんですが、そのうちフォード生産分が28万台で、その中でGPは4400台と極わずかです。しかも、造られたGPはとっととヨーロッパにレンドリースで1941年の戦地に送られていったので、さて現存数はいかほどか・・・と考えると貴重なわけです。これが戦地帰りなのかそもそもアメリカ大陸から出たことがないのか、そういう説明はなかったので知りませんが。一応、フォード・カナダ製なのと、車台番号19970113-014というのは確認できたので、気になる諸兄は各自お調べくださいまし。

余談ですが、戦争省(すごい名前!今の国防総省)から「ジープ3種類もいらない、1種類に絞りなさい」とお達しがあったので、一番優れていたウィリスMAが選ばれ、改良の上でMB型(に加えてそれと完全互換性を持つフォード・GPW型)が量産型として大量生産されることになりました。バンタムは泣いてもいいぞ。
ジープ社(クライスラー)が「ジープはウチが開発したんでござい」という顔をしていますが、元々はイギリスのオースチン社の系列のアメリカン・バンタムが開発した車だということだけ覚えて今日は帰ってください。なので、ジープの何割かはイギリス車の血統が入っていると思いますよ。


スーパーマリン・スピットファイアMk IX LF (Supermarine Spitfire Mk IX LF) です。御存知、イギリスの名戦闘機です。1936年初飛行(試作機)。
Mk IXぐらいなら前にもどこかで見たことあるだろうと思ったら、意外なことに初めてらしい。マークナンバーが多すぎて終わっているスピットファイアですが、このMk IXは有名です。というか、スピットファイアのナンバーは、基本的にMk I, Mk V, MK IX (XVI)だけ覚えていれば大半は事足り、あなたも明日から近所のスピットファイア博士を名乗れます。

Mk IXは大雑把に言えば、マーリン61型を搭載したスピットファイアのことです。マーリン61は二段二速の新型過給器を積んだ究極のマーリンエンジンです。今までのマーリン45は一段一速でした。ほんで、究極のエンジンには究極のドンガラを、ということで専用ボディのMk VIIIを開発することになりました。でも、これの開発は難航してしまいました。エンジンは完成しているのに、機体の方でもたもたしているうちにもドイツ軍は続々と新兵器を投入してくるぞ。
ふと隣を見てみると、Mk Vの機体が転がっていました。これとマーリン61を合体させればいいんじゃね?と気がついたら早い、半ば戦時急造型として1942年に出来上がったのがMk IXだったのです。取ってつけたような機体とは思えない高性能ぶりを発揮して、大戦後半の主力機としてドイツをけちょんけちょんにしたのでした。事実上のスピットファイアの完成形で、生産数もMk Vに次ぐ5,900機です。
ちなみに、アメリカのパッカードでライセンス生産されたいわゆるパッカード・マーリンを載せた機体はMk XVIと言います。


尾翼。機体は基本的には、Mk Vのままです。それはつまりMk Iのままと同義語です。事実上エンジン換装だけで第二次世界大戦を通じて第一線の機体に留まり続けたのです。機体設計の秀逸さが光ります。


風防もマルコムフードのまま。


二段二速式過給器は今までのものよりも大きいので、その分機首も若干長くなっています。エンジンが強力になったので、プロペラも4枚に増えています。ここらへんがMk Vとの識別点でしょう。
ちなみにこの個体はマーリン76型を搭載しているらしく。マーリン70型の派生型で、70型は63型(61型の派生型)を高高度向けに調整したものだそうな。LF型なのになんで・・・。というか76型はどうやらモスキート等の双発機向けのエンジンらしいんで、ますます謎。うーんよくわからないですが、損傷時の修理でテキトーに転がっていたエンジンに載せ替えられたんでしょうか?


機銃口は塞がれています。戦後にベルギー空軍の練習機に使われたんですが、その時の改造でしょうか。


左右の間隔の狭い脚です。
ちなみに、主翼下のラジエーターも2つに増えています。

この個体は1944年製で、納品後はカナダ空軍の飛行隊で実戦投入されました。でもD-Day時のドイツの対空砲火で損傷して以降、実戦には出れなかったそうな。1946年にイギリス空軍からオランダ空軍へ売却、インドネシアで運用されます。1952年にはベルギー空軍へ売却、今度は練習機になりますが1954年に墜落事故を起こして用途廃止になります。1961年にカナダの民間人が購入してカナダへ持ってきて復元、1964年に当館へ寄贈されたとのこと。


これは低空用に調整されたLF型です。外観では主翼翼端が短く切られた形状が特徴。これでロール性能が爆上げされて、Fw190相手にも渡り合えたそうな。でも本質はエンジンを低空用に調整しているところです。


ホーカー・ハリケーン Mk XII (Hawker Hurricane Mk XII) です。1936年初飛行。これも御存知、イギリスの有名な戦闘機です。名戦闘機かはともかく。
ハリケーンについては今までもこっぴどく書いているので、それをまた書くこともないでしょう。
Mk XIIはカナダで生産された機体で、エンジンもアメリカのパッカード・マーリン29型を載せています。


Mk XIIは7.7mm機銃を12丁も載せた、弾幕番長です。通常は主翼内側の片側4丁の機銃だけですが、Mk XIIでは前照灯の外側にも片側2丁を追加しています。収まりきらなかったんでしょう、銃口は主翼の外にはみ出ています。ちょっとかっこ悪いね。


機首側面の上に鉄板が貼り出ています。あれは、エンジン排気管のバックファイアの光からパイロットを守るための遮光板です。あれがないと夜間飛行時には目が眩んでしまうみたいです。


スキー板が履けるようでした。これで雪上離着陸ができるというものです。


この個体は1942年カナディアン・カー&ファウンドリー製で、ヨーロッパの戦地には行かずにカナダのいろいろな場所を転々としていたようです。
カナダ製ハリケーンは、カナダ国内に5機、国外を見渡しても6機しか現存しないそうです。

というところで今日はここまで。


その46へ→



北米project 5 ~How do you like Canada? その44【2016/6/15~22】

2024-02-07 23:49:07 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。
ここで大物選手の登場!アブロ・ランカスターB.X (Avro Lancaster B.X) です。初飛行1941年。
ランカスターはイギリスの代表的な重爆撃機です。機体の下面が黒いので撮影しにくいのなんのって・・・。
爆弾が10t積めるということで、これはアメリカのB-17の倍近い搭載量です。ただしそれは機体の軽量化により達成されたもので、よく撃墜されていたようです。エンジンはスピットファイアと同じマーリンを4発搭載しています。なのでランカスター1機でスピットファイア4機分です。乗員は7名なのでスピットファイア7機分です。こうボコボコと撃ち落とされていい機体じゃないわけです。
それにしても、ランカスターは3日前も別の博物館で見ているわけで、短期間に複数のランカスターを見ているわけです。日本人旅行者からしたら贅沢なことをしているのかもしれません。


そんな贅沢な機体を7,000機以上量産してしまうところが大英帝国の底力なわけですが。こういう戦時に大量生産された航空機は、たいてい複数の企業で生産されているんですが、ランカスターもそうでした。
ランカスターはカナダのビクトリー・エアクラフト社でライセンス生産された物もあります。このB.X型がそうです。ちなみに読み方はビー・エックスじゃなくて、ビー・テン(10)です。イギリスのこのローマ数字表記はややこしいですよね。何カッコつけてるんだと。
基本的にはイギリスで生産されたB.III型の仕様で造られていますが、戦時中の本国から遠く離れたカナダ製ということで、計器や電子機器はカナダかアメリカで製造されたものが使用されています。見た目にはあまりわからないけれども。


ランカスターのエンジンは本来ならイギリスで生産されたロールスロイス・マーリンXXを使います。でもB.X型は現地生産を旨としていますから、エンジンもアメリカでライセンス生産されたパッカード製マーリン224型を搭載しています。爆撃機で液冷エンジンという組み合わせもランカスターくらいなものでしょうか。知らんけど。


ランカスターはカナダ空軍にも配備されたわけですが、戦後しばらくも沿岸哨戒機や海上救難機などに転用されました。1965年まで運用されていたので物持ちがよく、それが現存機の多さに繋がっています。なにしろカナダだけで10機近く現存しているのです。4発爆撃機が10機残っているってすごくないですか。


縦に長い胴体。私はカバと呼んでいますが。
この個体は1945年製で、現存機の中で最も原型の割合が高いと言われています。同年5月にヨーロッパの現地部隊に納品されましたが、その頃はもうナチスドイツが終わってしまっていたので実戦には参加しなかったようです。
戦後カナダに復員して1952年に沿岸哨戒任務に従事、1964年に第二次世界大戦時の装いに復元されて博物館に収蔵されています。
復元されたのはカナダ空軍第428飛行隊の物で、これの経歴とは異なる部隊です。機首に描かれた爆弾マークは出撃回数を意味しています。実戦参加していないこの機体の経歴とは異なりますね。
どうもこの博物館には、機体の経歴とは関係のない塗装に復元される例が多いですね。でもそれは、復元された年代が1960年代という"時代"にも関係がありそうです。まだ戦後20年ですからね。機体の資料性について十分な議論がされていたとは考えにくい時期だと思います。


車輪です。タイヤはさすがに交換されているか。


プロペラです。同じエンジン載せたスピットファイアは初めは3枚ペラ(極初期は2枚でしたが)だったのが最終的には5枚ペラとか二重反転プロペラとかまで進化していきましたが、ランカスターは3枚ペラを貫いたようです。


爆弾倉が長いんですね~。胴体の大半を貫いています。余裕のある広さのお陰でグランドスラムのような大型爆弾も積めたのが、アメリカ製爆撃機には無い利点だったそうな。


尾部。意外と細いのよ。この時代の爆撃機の垂直尾翼が2枚あるのは、ステルス性の確保・・・じゃなくて、胴体にデカい1枚の尾翼を置くと格納庫の高さに引っかかって中にしまえないからです。あー、ボーイングのことは今は忘れておいてもらって・・・。


爆弾倉にも潜れちゃうよ。照明も当てられていて親切です。


こちらが闇討ちしてベルリンを破壊する爆弾です。


胴体上部の防御機銃座です。エコノミー症候群になりそう。


尾翼ですね。


胴体の国籍章と飛行隊コード。左側の2文字のアルファベットの組み合わせで各飛行隊を表しているそうな。どうやって暗記するんだこんなの。しかも、同じ記号で複数の飛行隊が割り当てられていることもよくあり。記号が枯渇したのか、重複していても同じ時期には存在していないからセーフなのか、知りませんけど。


イギリスの至宝、マーリンエンジンです。B.Xに搭載と同型のパッカード・マーリン224です。マーリンは素晴らしく、ランカスター、スピットファイア、マスタングと、これを積んだ機体は一流の機体へと押し上げられています。ハリケーン?デファイアント?はて何ですかそいつらは・・・?

というところで今日はここまで。
ランカスターだけで1回終わっちゃった。


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北米project 5 ~How do you like Canada? その43【2016/6/15~22】

2024-02-04 21:53:39 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。ジェットエンジンの展示がありますね。
カナダのアブロ・カナダが独自開発したターボジェットエンジン、オレンダ14型です。1953年に運用開始されたオレンダ3型が最初の量産型です。
カナダ初のジェット戦闘機CF-100カナックやアメリカのF-86セイバーのライセンス生産版などに搭載されていました。同世代のゼネラル・エレクトリックJ47よりも高性能を発揮したとかで。4000基造られたということで、結構売れたほうなんじゃないでしょうか。


ジェットエンジンの構造がわかるように、カットモデルで展示されています。こういうのは日本の博物館ではよく見ますが北米の博物館ではこういうのが無いところも多く、珍しいです。
手前側がエンジンの前部、空気取入口となります。先端のコーンにはエンジン始動機が収められているとかで。


空気を圧縮する圧縮タービンです。10段あります。


燃焼室です。ここで圧縮した空気を燃料で爆発させてその時の空気の膨張で推進力を生み出すのです。燃焼器は6個あります。


排気口ですね。排気口の前部には圧縮タービンを回すためのタービンが1段あります。ターボジェットなので燃焼した空気はそのまま排気されます。


こっちはターボファンエンジンです。ロールスロイスRB211型です。1972年登場のジェット旅客機用高バイパス比ターボファンエンジンです。
ロッキードL-1011専用に開発されたエンジンで、新機軸を多く採り入れています。それが仇になって開発が順調に進まず、L-1011販売不振の一因とも言われています。


このエンジンは、エアカナダ(後にエア・トランザットへ転籍)のL-1011に搭載されていたものだそうな。


ターボジェットエンジンの前方にエンジン直径よりも大きなファンを設置して回すことで空気流量を増やし、推力を増大させます。エンジン後部ではエンジンで燃焼されたジェット噴流とエンジン外周を流れる普通の空気流が流れるわけです。この方式だと特に亜音速域での燃費に優れるので、経済性が重視される現用ジェット旅客機のエンジンは間違いなくターボファンエンジンです。


排気口はこんな感じ。


飛行機の展示に戻りましょう。ウェストランド・ライサンダーMk III (Westland Lysander Mk III) です。初飛行1936年。
見た目からして高翼配置、優れた下方視界、頑丈そうな脚と、観測機に必要な構造は一通り揃っているわけです。イギリス陸軍の作戦行動を支援するための観測機です。偵察活動や弾着観測などを上空から行うと何かと役立つのですよ。
ただし自軍に航空優勢な場面ばかりじゃないですよね。敵さんもアホじゃないので戦闘機を迎撃に向かわして阻止するわけです。ライサンダーは低速なので、敵戦闘機のいいカモでした。
設計思想が基本的に第一次世界大戦の時から進歩していなかったのです。仕方ないね。


丈夫だけが取り柄そうな主翼です。
低速性能には自信アリで、カナダの訓練基地では向かい風に向かって超低速で飛行していると、風に流されて後ろへ向かって飛んでいたという逸話が残っています。


主翼には前縁スラットが付いていて、離着陸時はこれを展開して滑走距離を短縮しています。これはこの部分だけ展開していますが本当は前縁全てにスラットが付いているはず。


頑丈だけが取り柄そうな脚です。


エンジンは、ブリストル・マーキュリーXX 870馬力星型9気筒です。
Mk IIIはもはや観測機としては使い物にならない頃に生産された機体で、敵地へスパイの送り込みと回収、レジスタンスへの資金供与、武器、物資の支援などの工作目的に使われたのだそうな。なんだかイギリスって感じですわ。


この個体はカナダに残っていた3機の部品を寄せ集めて仕上げたものです。サンコイチということです。復元後しばらくは飛行もできたみたいです。
3機の正確な経歴は不明ですが、胴体はウェストランドで、主翼はカナダのナショナル・スチール・カーで生産された模様。機体はMk IIIですが、塗装はカナダ空軍第110飛行隊のMk Iの個体を再現しています。


鋼管羽布張りの胴体です。

というところで今日はここまで。


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北米project 5 ~How do you like Canada? その42【2016/6/15~22】

2024-01-23 23:20:02 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。ちょっと航空機の歴史から外れて、カナダ海軍の艦載機の展示がありましたので寄り道です。ソードフィッシュ、シーフューリー、バンシーが一挙3機並んで展示されています。


最初はコレ、フェアリー・ソードフィッシュMk II (Fairey Swordfish II)。初飛行1933年。
イギリス製の単発複葉艦上攻撃機です。非全金製複葉機時代晩年の機体で、開発当時は妥当な物でしたが、これのまま第二次世界大戦に突入。はっきり言って時代遅れですが、意外な活躍を見せて第二次世界大戦を戦い抜きます。
時代遅れの複葉機なので速度が遅いんですがそれがドイツの高速戦闘機とは相性が悪く、羽布張りの主翼は機銃で撃ち抜かれた程度では折れず、意外な生存性の高さを見せました。ただし低速度の格闘戦に強いゼロ戦にはカモ打ちされていた模様。イギリス人そういう話あんまりしないけどね。


主翼は羽布張りなので、穴が空いても布を張り替えれば復活する整備性の高さも魅力だったとかで。
主翼には爆弾とロケット弾の担架がありにけり。


胴体エンジンマウントの外板は外されていて、中が見えます。


雷撃機として運用されることもあり、航空魚雷も置かれていました。ソードフィッシュがドイツの戦艦ビスマルクを撃沈したのは有名な話。


艦載機展示では3機とも全て主翼を折り畳んだ状態で置かれています。艦載機ならではの機構ですし、博物館の展示面積の節約にもなります。


こっちは上主翼の分割面。
カナダでのソードフィッシュは、ノバスコシア州マーヤスの海軍砲術学校と同州ダートマスのイギリス海軍基地で運用されていました。後方配置だったみたいです。カナダ向けの機体は、寒冷地対策として大型の風防を装備していたそうな。
この個体の正確な来歴は分かっておらず、推測ではブラックバーン製でイギリス海軍に納品後カナダへ運ばれていったと言われています。戦後に放出された機体が農家を営む個人により購入されましたが、その後長いこと放置されていたので、その間に来歴を示すものは喪失したんだと思います。


2機目は、ホーカー・シーフューリーFB.11 (Hawker Sea Fury FB.11) 。初飛行1945年。
イギリスのホーカー社が開発したレシプロの戦闘爆撃機です。シーフューリーという名前の通り、元々は空軍の陸上機フューリーとして開発が始められたものを海軍の艦上戦闘機として設計したものでした。なおフューリーは開発中止になってしまったので、艦上戦闘機のシーフューリーしか存在しないっていう変わった開発系譜になっています。
シーフューリーはホーカー・ハリケーンの後継機として開発されたタイフーン/テンペストが動けるデブで重かったので、小型軽量を目指して設計されました。艦上戦闘機として運用するために、主翼の折りたたみ機構と着艦フックを備えています。
レシプロ戦闘機としては最後発のうちの1種で、速さ自慢です。放出された機体はエアレースで活躍しているものもありにけり。



シーフューリーは約680機が生産され、カナダではカナダ海軍が74機運用していました。この時のカナダ海軍は空母HMCSマグニフィセントを保有していたので、それの艦載機として1948年から運用していました。その後1956年にF2H-3バンシーに置き換えられています。
この個体は、1948年製で製造後にカナダ海軍へ納品されています。退役後は民間企業が購入・保管して、1963年に当館へ寄贈されて今に至ります。


エンジン後方には排気管が集まった部分があります。排気管から出る衝撃波で速度向上を狙ったものです。元ネタは確かドイツのFw190のはずです。それなりに効果があったのか、シーフューリーの他にも日本の五式戦闘機、ソ連のラボチキなどにパクられています。
主翼の根本の四角い穴は空気取入口です。内側の小さい穴はキャブレター用の取入口、外側の大きい穴はオイルクーラー冷却用の穴です。主翼の根本にこういうのをつけるのは空気抵抗低減の点から合理的です。これの元祖はたしかアメリカのP-39エアラコブラだったと思います。
エンジンは、ブリストル・セントーラスXVIIc(2480馬力)星型18気筒です。この時代になると2000馬力級エンジンは当たり前です。なお日本・・・。


主翼の折れ目の部分です。内側へ向かって折りたたまる、よくあるやつです。
ちなみに、このFB.11型は戦闘爆撃機なので、主翼には爆弾やロケット弾を吊るす担架を付けられます。


脚です。これの前任機だったシーファイアは脚の左右の間隔が狭かったので着陸時の安定性が悪く、本当は艦上戦闘機として不向きな構造でした。これでマシになったと思います。
この時代のカナダ海軍機の塗装は、機体上面が暗い灰色、下面が薄い灰色のいわゆるペンギン塗装です。これは同時代のイギリス海軍機と類似しています。ただし、下面の色はイギリスとカナダでは異なるようです。カナダは薄い灰色ですが、イギリスでは緑がかった灰色です。微妙だけどはっきりと違う箇所なので、覚えておきましょう。


イスパノMk.5 20mm機関砲の穴です。中央と外側の大きい穴がそれです。内側の小さい穴はガンカメラ用の穴ですね。


着艦フックですね。後付で設計されたからなのか、機体尾部からはみ出るような位置に付けられています。


プロペラが5枚なのでちょっと画面がうるさいです。


こういう画角が好きです。


3機目、マクドネルF2H-3バンシー (McDonnell F2H-3 Banshee) 。初飛行1948年。
F2H-3はシーフューリーの後継機として1955~1958年に39機導入されたカナダ海軍の艦上戦闘機です。海軍唯一のジェット戦闘機となっています。このあたりから、導入する航空機がイギリス製からアメリカ製へ転換していくことになります。なお、この時期に空母がジェット機も運用できる大型のHMCSボナベンチャーに変わっています。
F2Hは、新興メーカーのマクドネル社が2番目の開発したジェット戦闘機です。1番目はFHファントムで、F2Hはそれを順当に大型化した機体です。
3型は胴体を延長しレーダーを装備した全天候型戦闘機です。

武装は20mm機関砲が4門。機首に集中配置されています。アメリカ製の機体ですがイギリス由来のペンギン塗装が異色の取り合わせです。


主翼の根本にジェットエンジンを収めているのでここは相応に分厚くグラマラスです。空気取り入れ口は胴体にベタ付けかと思いきや、小さいですが境界層分離板がありますね。


主翼の折りたたみ機構です。


尾部です。とくに特徴的な形状はなさそう。脇には空母の飛行甲板で機体を移動していたモトタグがおります。


着艦フックです。


後ろから見たジェットエンジン。やはり主翼の形状がグラマラス。
エンジンは、ウェスティングハウスJ34-WE-34軸流ターボジェットが2基。双発なのは冗長性というより高出力エンジンが無かったから・・・?


横から。


真後ろから。この角度から見ると魅力的ですわね。


空母の模型がありました。HMCSボナベンチャーです。縮尺が書かれていないのでよくわからんです。カタパルトはないみたいですがアングルドデッキが確認でき、意外と近代的な作りなのねと。


S-2トラッカーの模型がいました。バンシーはなんでか下の方に仕舞われていました。

というところで今日はここまで。


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北米project 5 ~How do you like Canada? その41【2016/6/15~22】

2024-01-19 23:54:08 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。このあたりから、展示機は第一次世界大戦コーナーへと移ります。
これは、カーチスJN-4カナック (Curtiss JN-4 “Canuck”) です。初飛行1915年。元々はアメリカのカーチス社が量産したアメリカ軍用の練習機JNジェニーです。これの3型 (JN-3) をカナダやイギリス向けに改良したモデルがJN-4です。4型はカナダのカナディアン・エアプレーンズ社で生産された現地生産仕様です。後にアメリカから派生したJN-4も開発され型番が重複したため、機体愛称を「カナック」に変えています。カナダ人という意味です。
第一次世界大戦からくる需要もあって、JNは当時としては大量のシリーズ累計6,000機を超える数が生産されました。JN-4も1,210機が生産されました。他のJN同様に戦後は大量の余剰機が民間に放出され、入手性と低廉な価格から曲技飛行士を始めとした多くの飛行機野郎の手に渡りました。



JN-4は原型機よりもあちこち改良されています。軽量化した骨格、両翼に装備された補助翼、大型化した昇降舵、独自の主翼と尾翼の平面形など。総じて操縦性が良好になったようです。
他にもいくつものカナダ初を達成しています。初の量産機、初の大量輸出、初の軍用飛行、初のスキー飛行、初の航空郵便、初の航空調査、初のカナディアンロッキー横断飛行など。カナダの航空史のマイルストーンです。


この機体は1918年製で、アメリカ軍に納品されました。退役後は民間に放出されて、1932年に個人が購入。以降30年以上納屋で保管されていたのを博物館が購入しました。カナダ空軍第85訓練飛行隊の塗装で復元されて展示しています。右舷側は機体外皮が外されて骨格が見えるようになっています。


尾翼周り。たしかに平面形が原型機と異なっているのです。


A.E.G. G.IVです。初飛行1915年。ドイツの爆撃機です。見たことない知らない。
A.E.G. (Allgemeine Elektricitäts-Gesellschaft ) は、ドイツの電機メーカーです。その社名は総合電気会社の意味です。アメリカのゼネラル・エレクトリックと電機市場を二分した超巨大企業でしたが、ここへ書こうとすると色々調べないとわからないことが多いので割愛。現在はすったもんだの末、ブランドだけは残っているような感じです。日本には食器洗い乾燥機なんかを売り込んでいるのを見かけます。


双発・複葉の爆撃機です。エンジンは下翼の上に装荷される設計ですが、左舷のエンジンは喪失しています。



エンジンマウント。エンジンはダイムラーメルセデスD.IVa直列6気筒260馬力です。


胴体下面に爆弾架があります。第一次世界大戦時の爆撃精度なんて高が知れているし、そもそも爆撃の概念も定まっていないでしょうから、夜間に嫌がらせ爆撃をして敵の神経をすり減らす活躍を見せました。

この個体は第一次世界大戦後にカナダが戦利品として1919年に召し上げた代物で、今では当時物としては唯一残るドイツ製の多発航空機なのです。なにげなく貴重な機体を複数抱えていますね、この博物館。
カナダに輸送された後40年間の記録は残っておらず、その間にオリジナルのエンジンは2発とも喪失しています。


右舷のエンジンは乗っかっています。ただしオリジナルのD.IVaじゃなくて、D.III直6 160馬力に変わっています。


双発爆撃機だけあってこの時代にしては大きい機体でございますね。


ニューポール12 (Nieuport 12)。初飛行1915年。
第一次世界大戦のフランス代表みたいな戦闘機です。イギリス、フランス、イタリア、ロシアで運用されていたそうな。
この個体は1915年製でカナダ軍とイギリス海軍航空隊などで使われてましたが、不評だったので1917年にとっとと退役させられました。かわいそす。
退役後はカナダに運ばれて北米各地で展示されて国民への戦争へのご理解とご協力を強制するための宣伝に使われていたそうな。
ニューポール12は世界に2機しか現存しておらず、これがそのうちの1機となります。


これはボレル・モラン単葉機 (Borel-Morane Monoplane) という単葉機です。初飛行1911年。当時のフランスの傑作機ブレリオXIの影響を受けています。ブレリオXIというのは、世界で初めて英仏海峡横断を成功させた航空機です(ドーバー海峡横断じゃないよ)。


ブレリオXIの製作に携わっていたレイモン・ソルニエが、幼馴染のボレルとモランと3人で開発したのがこの飛行機です。この時代の航空機というと複葉機が一般的ですが、フランスに限ってはまず単葉機が多く生まれてきました。特に強力なエンジンがあって速度が出るから単葉機にしたというわけではないみたいで、時期に複葉機に移行しています。
この個体は唯一現存するもので、カナダに現存する最古の機体でもあります。


マクドウォール単葉機 (McDowall Monoplane)。初飛行1915年。
カナダの航空オタク(本業土地測量士)のロバート・マクドウォールが1910年にイギリスとフランスを訪れた時に見た機体に影響を受けて開発した航空機です。現存最古のカナダ製航空機です。
当時は航空オタクが自分で飛行機を開発製作して飛ばすことは珍しくないことでした。マクドウォールもその一人ということです。単葉機という点から、フランスからの影響が強そうな気がします。ただ、飛行はできず短い距離を滑空した結果に終わりました。


1915年の初飛行後(飛行してないけど)は、男子学生が改造をして飛行を試みましたがそれも失敗。結局飛行には成功せずに最後は主翼を取られてアイススクーターに成り果てたとかで・・・。その後1980年代に当館が取得して主翼を復元して今に至ります。
単葉機で高揚力装置も無いですから、飛ばないのも無理ないのかなという気もします。


ノーム・オメガ7気筒ロータリー50馬力エンジンです。ボレル・モランのエンジンです。当ブログでは何度か説明していますが、空冷星型エンジンのように見えて実はロータリーエンジンです。エンジン自体が回転するのです。マツダのロータリーエンジンとは同音異義です。エンジン自体が回るので、エンジンとプロペラは直結しています。

というところで今日はここまで。


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北米project 5 ~How do you like Canada? その40【2016/6/15~22】

2023-11-15 23:03:19 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。前回に続いて航空黎明期の機体を紹介します。
これは、モーリス・ファルマンS.11ショートホーン (Maurice Farman S.11 Shorthorn ) (初飛行1913年)です。
これも初期の複葉機で、フランスで設計されました。これの前の型式S.7は機体前方に昇降舵を備えていましたが、S.11にはそれを廃したのでショートホーンと呼ばれるようになりました。
軍用機としてオーストラリア、ベルギー、イギリス、フランス、イタリア、ロシアで採用され、偵察機か爆撃機として運用されました。前方の昇降舵が無くなったので視界が良くなったとかで。
この個体は、イギリスのエアコー社で1915~1916年にかけて製作された4機のうちの1機です。オーストラリア軍で1919年まで使用されて、1930年代まで保管状態でした。1950年代に動態復帰を果たします。するとアメリカ人が購入して博物館を転々としたあと、最後に当館へやってきたのです。


プロペラが胴体後部に配置された推進式なので前方視界は良好です。飛行機としては変わった形の機首です。第一印象は和式便座ですかね・・・。


尾翼関係を機体後方に持ってきたのが特徴です。推進式なので尾部は双胴式なのです。


エンジンはルノー製V8気筒60馬力です。


尾翼はこんなかんじ。


ソッピース 7F.1 スナイプ (Sopwith 7F.1 Snipe) です。1917年初飛行。
ソッピース社の名作機、キャメルの後継機として開発された単座戦闘機です。ただ初期は速力に課題があり、キャメルと比較してエンジンが100馬力増えたのに速度向上はわずかでした。それでも機動性はキャメルよりも高く、戦闘機として申し分なかった模様。イギリス空軍で500機弱が運用されたそうな。
博物館の個体は1918年にイギリスのニューポート&ジェネラル航空機で作られました。退役後にアメリカ人俳優がカリフォルニア州に輸入して、映画の小道具として使われていたこともありました。
博物館は1964年にこれを取得し、博物館の首席操縦士が操縦したこともありました。


第一次世界大戦後半に配備された戦闘機ということで、端正な形状をしています。プラモデルも発売されていますよ。
星型空冷エンジンに見えますが、実際はエンジンごと回転するロータリーエンジンです。ロータリーエンジン機の中で最強との呼び声もあります。


機首の機関銃。ルイス機関銃っぽいですが、よくわかりません。


ピトー管だと思います。


後ろから。


ブリストルF.2Bファイター (Bristol F.2B Fighter)。1916年初飛行。
複座偵察機として開発されたものの、堅牢な構造、強力な275馬力ロールスロイス・ファルコンIIIエンジン、高機動、重武装によって戦闘機の使用にも適する機体です。複座だと重くなるわけですが、その欠点も後席を後方からの攻撃の防御に使うことで戦闘力を高めています。イギリス空軍で重用された戦闘機となりました。
ブリストルF.2は世界に3機しか現存しない戦闘機です。この個体は1918年製造です。自国の戦闘機の経歴については異常な執着で洗い出すイギリス人ですが、これの経歴は多くが分からないようです。第二次世界大戦のロンドン空襲で記録が焼かれてしまったのです。
機体は胴体だけにされて売り飛ばされて、納屋の支えに使われていたそうな。2006年までに機体は復元されたとのことですが、こうなると機体の資料性はあまり無さそうです。この機体の経歴を証明するものは、エンジンとカウンセリングの裏に刻印された製造番号なのです。当館には2006年に収蔵されました。



足回りです。脚に小さなプロペラが付いています。


横からです。


ユンカースJ.I (Junkers J.I)。1917年初飛行。
世界で初めての全金属製航空機です。当時まだ全金属製は早すぎた感があり、速度は鈍重でした。偵察機と対地攻撃機として開発されたものの、攻撃機としては使えなかったようです。その代わり防御力が強かったようで、対空砲火に耐えられました。戦闘中に破壊された機体の記録は存在しないと言われています。飛行機で防御力が高いという説明を聞くとは思いませんでした。
J.Iはこの個体が世界で唯一の現存機です。第一次世界大戦の戦利品としてカナダが手に入れ、船で運ばれてきました。戦利品として博覧会で展示されるなどされ、その後は1969年に当館が取得しています。


世界で唯一の個体、となるとおいそれと機体に手を加えるわけにも行かないようです。機体は劣化していますが、資料製の確保のためにそのままにしているのでしょう。こういうのが常設展示されているとは底が深い博物館だと思いました。


胴体も後部の外板が欠損しています。


エンジンは、ベンツ・BzIV200 馬力の直6です。排気管は真上に伸びていたそうです。変わっていますね。





翼は金属製ではないように見えますが、ユンカースお得意の波板構造のようです。つまり翼も金属製です。





コックピットも首から下は完全に金属板で保護されています。機体としては低性能でしたが生存性の高さから乗員からの支持は厚かったと言われています。

というところで今日はここまで。


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北米project 5 ~How do you like Canada? その39【2016/6/15~22】

2023-11-02 22:30:24 | 海外旅行記
2016年6月19日。
ブタ箱の中からおはようございます。4日目の朝です。これが監獄ホステルの独房部屋の中です。ね、本当にベッド以外の空間が無いでしょ?寝返りも打てないよ?私は案外寝れてしまいましたが、これ大柄な欧米人にはさぞ窮屈であろうに。
朝起きて、ホステルのフリーフードを適当に食べて、独房に不要な荷物を置いてきたら一日の始まりです。


2016年6月19日(日)9時13分
オンタリオ州オタワ オタワ・ジェイル・ホステル
4日目はホステルからスタートです。今日はというとですね、まずはカナダ最大級の航空博物館である「カナダ航空宇宙博物館」 (Canada Aviation and Space Museum) へ行きます。最大級だけあるので今日一日を潰す覚悟で臨みます。
もし日が暮れるまでに時間があるようなら、オタワ市街地の閘門運河を見るとか公共交通機関の観察とかをしようと思います。


航空宇宙博物館はオタワ市街地の外れにあります。路線バスでも行くことができ、自動車乗らない人にも割と親切です。バス停のあるところまで市街地を歩きます。今日は日曜日だからか、静かな朝です。


途中で見かけたオタワの路線バス、OCトランスポ。見たこと無い二階建てバスが走っていますな。OCトランスポについては翌日撮影するので、また後ほど・・・。


途中で見かけたSTOのNova LFS Article (#1316)。STOとは、ソシエティ・ド・トランスポート・ド・ル・ウタウエ (Société de transport de l'Outaouais) の頭文字。オンタリオ州オタワとケベック州ウタウエを結ぶ路線バス事業者です。
カナダのケベック州はフランス語圏というのは、知っている方もいると思います。そのケベック州は実はオタワ市街地を流れるオタワ川の反対側、つまりすぐそばに存在するのです。フランス語圏がすぐそばということで、オタワは他の都市よりもフランス語を見聞きすることが多いです。このSTOのようにフランス語表記の路線バスも走っているのです。
そしてケベック州に入ると完全にフランス語が主で英語が従という環境になるんですが、それはまたのちの話。


さて、ダウンタウンのRideau 3Aバス停からOCトランスポ#7系統 St. Laurent行のバスに乗り、St.Laurent/Eastbourneバス停で下車します。バス停から東へ向けて数分歩くと博物館に着きます。途中にはこんなポケモンかよといういかにもな野原を歩きます。本当に博物館へ着くのか疑わしいですが、この林を抜けるとただ広い博物館の敷地が出てきます。


はい着きました。カナダ航空宇宙博物館です。建物の立派さでは今まで見てきたカナダの航空博物館では一番です。
1964年に開館したカナダ航空宇宙博物館は、旧カナダ空軍ロッククリフ基地の脇に建てられています。基地は今も民間のロッククリフ飛行場として供用されています。こっちの博物館では珍しくない、飛行場の脇に航空博物館が建っているパターンです。
航空史の黎明期から現用機に至るまでのカナダにまつわる航空機の膨大な収蔵品が展示されています。オタワに行ったら必ず訪れてみたかった場所です。対戦よろしくお願いいたします。


博物館のロゴマークです。日本人が見たらなんで菊御紋が・・・と疑問に思うでしょう。


入口をくぐり入館口へ入ると目に入るのは天井から吊るされたカナディアCT-114チューターが目に飛び込んできます。
しかしかわいそうに、上下を逆さまにされて吊り下げられています・・・。というわけではなくて(多分)、このCT-114はカナダ空軍の曲技飛行部隊「スノーバーズ」の塗装なので曲技飛行をしているシーンを切り取った展示をしているのです。


CT-114は、ハミルトンの博物館でも見ました。カナダ製のジェット練習機で、この手の練習機としては珍しい並列複座のコックピットが特徴的です。
1961年初飛行で、主にカナダ空軍の練習機として運用され、同軍からは2000年に退役しました。ただし「スノーバーズ」用の機体は2023年現在も運用が続いています。すでに耐用年数を超えていると思われますが、後継機問題がまだ決着していないので、少なくともまだ数年は飛び続ける見込み。


ちゃんとパイロットも乗っています。


こんな角度からも観察できるのは宙吊りならではですな~。


シンプルなトリコロール塗装が美しいです。下面は赤いので地上から飛行展示を見るとよく目立つのです。




CT-114に関する弊ブログの記事はこちらもどうぞ。


エントランスを抜けて展示室へ入ります。柱の少ない広々とした館内に航空機が所狭しと並んでいます。
今まで見てきた航空博物館は、格納庫の中に機体が並べられていた事が多かったんですが、ここは格納庫ではないちゃんとして展示館です。床はカーペット敷きで人が歩き回れる区域は明確に区別されています。日本の博物館に近いような展示だなと感じます。それにしても広いな・・・。


エントランス通ってすぐのところに空中に置かれているのは、A.E.A.シルバーダート (A.E.A. Silver Dart) で、1909年2月23日、カナダで初めて制御動力飛行を成功させた機体です。いわばカナダ版ライトフライヤー号です。ライトフライヤーの初飛行からは5年3ヶ月ばかし後のことです。こういう機体を入り口に置くのはどこも同じですな。
アレクサンダー・グラハム・ベル技師の設計で、ノバスコシア州の氷上で初飛行しました。


機体正面に昇降舵を備えているのは、ライトフライヤーと同じですね。パクったのかな。材料は、鋼管、竹、木材、布、ワイヤーで構成されていて、複合素材飛行機です。ブレーキが付いていないという、危険な乗り物です。


これはレプリカ機です。オリジナルは消失してしまったみたいですね。
シルバーダートの初飛行50周年を記念して、50周年の前年1958年にカナダ空軍の修理工場で製作されました。そして1959年2月23日に同じノバスコシア州でレプリカ機の初飛行と迎えました。しかし、離陸後に強風に煽られて墜落してしまいました(飛行士は無事!)。
墜落した機体は修理されて、1960年に開館した当館に寄贈されました。


後部にエンジンを積む推進式です。エンジンはコンチネンタル・A-65水平対向4気筒65馬力です。


ブレリオ・XI号 (Blériot XI)。初飛行1909年。ルイ・ブレリオとレイモン・ソルニエが開発した飛行機です。
1909年7月には英仏海峡を初めて横断した飛行機として名を残しています。さらに1910年にはイギリスとフランスが同時期に世界で初めて軍用機として使っています。



骨組みだけですが、そのほうがかえって桁構造が美しいものです。
この機体は後年製作されたレプリカかと思いきや、1911年にカリフォルニア州の飛行機工場で製作された当時物です。長いこと保管されていた後、1950年代にカリフォルニア州の個人が購入、1971年に博物館が取得しています。


この時期の飛行機は工芸品ですな。


エンジンはエルブリッジ・エアロ・スペシャルの直4気筒、60馬力。

というところで今日はここまで。
この博物館の紹介は長くなるでしょうが、お付き合いくださいませ。


その40へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その38【2016/6/15~22】

2023-10-19 23:36:48 | 海外旅行記
2016年6月18日(土)18時01分
オンタリオ州トロント ユニオン駅21番線地下コンコース

トロント地下鉄の撮影を終えて、時間までにユニオン駅へ戻ってくることができました。
今からトロントから東へ移動してトロントへ向かいます。これでトロントとはお別れなのです。少なくとももう1日いるべきだったなと後悔しています。
トロント~オタワ~モントリオールはカナダの三大都市で、カナダ版東名阪と言えます。この地域は人の流れも活発なので交通手段の選択肢もいくつかあります。飛行機、バス、そして鉄道です。
三大都市圏ではカナダの国営鉄道VIA鉄道が都市間特急を走らせていて、飛行機やバスに対抗しています。鉄道の強みが発揮できる区間なわけです。
そんなわけで、私にとっては鉄道を使う意外に選択肢はないでしょう!ということで都市間特急「コリドー」(Corridor)に今から乗車します。


「コリドー」の乗客はユニオン駅のVIA鉄道のりば地下コンコースの待合所に集合します。のりばは複数あるので自分の乗る列車の号数を確認してそこに集まります。
待合所には立て看板が立っています。オタワ行の「コリドー」48号なのです。途中の停車駅も書いてありますね。
出発の十数分前になったら改札が始まります。切符はありません。列車はインターネット予約したんですが、そのときにメールで乗車票が送られてくるので、それを印刷して持参します。飛行機のEチケットと同じことです。でも、自宅には印刷機がなかったので、わざわざ大学の生協まで行って乗車票のPDFの入ったUSBメモリーを複合機に差して印刷してくるっていう手間のかかることをすることに・・・。
手間をかけて印刷したEチケットを駅員に見せて、プラットホームへの階段を登ります。


ホームに登ると、既に列車が扉を開けて乗客を待ち構えていました。乗客は客車の中へ吸い込まれていきますが、私はそれを振り切って列車の先頭、機関車の方へ。
「コリドー」48号の牽引機は、GE P42DC形906号機です。前も紹介しましたが、アムトラックの主力機関車と同型機です。ルネサンス塗装がおしゃれなんですよ。
機関車1機とLRC客車3台の4両編成の小柄な列車です。トロントを18時40分に出発し、終点のオタワに着くのは23時16分です。実に4時間半の乗車です。単一の列車にこの時間乗ることもそうそう無いです。ちょっとお尻の肉によくなさそう。


アムトラック機と外観はほぼ同じです。寒冷地用の前照灯が1つ追加されているのが一番わかり易いでしょうかね(ナンバープレートの下)。
前面は走行中に撥ねた羽虫だらけで、汚らしいことに・・・。それだけ高速走行するということなんでしょうが。


GOトレインの列車も見えました。MPI MP40PH-3C形641号機(旧塗装)です。


乗るのはこのLRC客車3345号。これも前に紹介しましたが、元は振り子式車両で、そのため車体が低重心で屋根への絞り込みが大きいです。
1等車と2等車があり、乗るのは2等車です。


2等車の車内はこんな感じです。2+2列の回転式座席です。
コンセントとフリーWi-Fiが装備されていて、快適にPCやスマホを操作できます。シートピッチは日本の特急車両と比べてもそんな違いはなかったかな。


別の車両の様子。荷物棚は飛行機みたいな蓋があるやつ。振り子車両だから揺れ落ちる可能性を考慮したのかな。


便所の写真も撮っていました。せっかくなので載せておきます・・・。


列車は定刻で出発しました。都市部のごちゃごちゃした配線の区間ではのろのろでしたが、郊外へ入ると速度を上げていきました。120km/hはゆうに出ていて、それ以上で走っているでしょうという印象でした。なお最高速度は160km/hなんだそうな。
VIAの列車はCNやCPといった貨物鉄道会社の線路を間借りして走っているので、線路の性能は借りる鉄道会社に委ねられるわけです。貨物列車用の線路だとやっぱり頑丈なのか、結構飛ばすものです。


2つ目の停車駅、オシャワ (Oshawa) に到着。GOトレインも停車します。さながら各駅停車と特急の接続駅です。


列車の乗車時間が夕食時とダブっているため、車内で夕飯を食べます。車内販売があるので、そこからトルティーヤとコークを頼みました。


トルティーヤの中身。意外と量が多くて満足感がありました。味も合格点です。ちゃんとした食事が摂れるのは嬉しいところです。



カナダの平原をずうっと走り続けます。

たまに貨物列車ともすれ違います。すでに20時を回っていますが、まだ日没前です。


同日23時34分
オンタリオ州オタワ VIA鉄道オタワ駅
長時間乗車に耐え、\(^o^)/・・・もといオタワ駅に着きました。列車は若干遅れました。そうはいってもVIAの主力列車に乗ることができたのは良い体験でした。


オタワ駅はやけに現代的です。今のオタワ駅は1966年に開業した、他都市の主要駅と比べれば新しい駅です。駅舎はたぶんそれよりも後に建て替えられているでしょうが。
というのも今のオタワ駅は、その都市に他の場所から移転してきたのです。旧オタワ駅(オタワ・ユニオン駅)はダウンタウン中心部にありました。それを中心部から4km南東に移転しました。


中心部から郊外へ移転させるのは、鉄道の利点である市内中心部へ直接乗り入れるという点を殺すことになるわけですが、1960年代は旅客鉄道が斜陽化していました。鉄道の競争力を削ぐよりも、空いた線路と駅の用地をダウンタウンの再開発に使う利点のほうがあったという行政の判断でしょうか。


宿泊場所はオタワのダウンタウンにありますので、中心部まで路線バスで移動します。早速、駅移転のデメリットを享受することになるわけです。
オタワの路線バスを運行するOCトランスポの#96系統カナタ・テリー・フォックス (Kanata Terry Fox) に乗ります。ちなみに2019年にはオタワ駅までライトレールが建設されたみたいなので、幾分か移動の難易度は下がったかもしれません。


今日から2泊するホテル、正確にはホステルの前に着きました。オタワでもホステル生活よ。変わったホステルでして、話のネタになるかと思いまして。


これは翌朝撮影した写真ですが、ここのホステルは昔使われていた監獄をホステルに改修した建物です。寝床も独房になっていて、部屋はベッドで寝るだけしかできない窮屈な空間です。監獄ホステルの中身については、またそのうち書きます。
部屋にたどり着いたときにはすでに0時を回っていたので、今日はもう独房の中で寝ることにしましょう・・・。

というところで今日はここまで。


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