黒鉄重工

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東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その6【2018/6/9~10】

2022-04-30 21:02:36 | 鉄道撮影記
第9走者:三岐鉄道北勢線西桑名行(270系)阿下喜15:34→西桑名16:27
北勢線を去ります。


終点西桑名駅で乗り換えます。これは桑名市のマンホール蓋。はまぐりですねぇ。


JR桑名駅に入って、そこから近鉄桑名駅に行きます。その途中には桑名駅名物のガバガバ自動改札機があります。こんなに突破の簡単な自動改札機もないでしょうが、天井の看板にもあるとおりこれはJRと近鉄の乗り換え改札口です。
なお、乗り鉄☆たびきっぷは、磁気切符ですし自動改札を通すことが出来ないので素通りします。


桑名駅から乗るのは、養老鉄道です。養老鉄道は近鉄から分離した路線で、桑名駅の乗り場は近鉄の構内にあります。しかし養老鉄道は近鉄とは線路の幅が異なるので、線路は物理的に分断されています。


第10走者:養老鉄道養老線大垣行(600系)桑名16:45→西大垣17:53
養老鉄道は初乗車です。養老鉄道の車両は近鉄時代から引き継いだ600系で占められています。
ですがそこは細かい区分をしている近鉄の電車なので、単に600系と括られていますがその中身は細かく分けることが出来ます。これは厳密には610系なのだそうな。
本当は、養老鉄道でも途中の駅で降りたり撮影したりして楽しもうと思っていたのですが、思いの外時間が推してしまったので今回は諦めました。またの機会とします。


途中の養老駅で列車交換です。反対方面からやってきたのは、600系のセンロク塗装車でした。この600系の改造前の姿だった名古屋線の1600系がこの塗装を纏っていたので、その復刻版なのです。翌年にこの塗装は消滅してしまったので、記録できて良かったです。
養老駅では下車する予定を立てていましたが、もう夕方なのでこれも断念です。とほほ。


西大垣駅で下車します。ここでも列車交換します。これは620系です。中間車の窓配置が不自然ですが、それにつっこんだ先は沼でしょうから、見なかったことにしておきます。


ここまで乗ってきた電車も後追いで撮影。


駅は中線もある大きめの規模ですね。あとは車両基地もあります。これが目当てで降りたんですが、あまり良く見えずこれはさほど収穫がありませんでした。


有人駅です。開放感があっていいですな。


西大垣駅舎どす。


次の列車を待つのも時間がかかるので、路線バスに乗って大垣駅へ行きます。


第11走者:名阪近鉄バス(日野・リエッセII)工業高口18:12→大垣駅前18:20
バスはすぐに来てくれましたが、乗ったのがこれ。リエッセIIです。リエッセと名乗っているけど、これはトヨタ・コースターでしょう。マイクロバスじゃん。うーんなんだか意外だ。


大垣駅で夕ご飯にします。あんまり選択肢がなかったですが、さっき桑名駅であのドムドムハンバーガーを見たのが印象に残っていたので、ロッテリアでハンバーガーにしました。



大垣駅からはJR線に復帰。これは豊橋行の313系300番台新快速ですがこれには乗りません。



美濃太田支線の313系3000番台。これにも乗りません。いまだ支線には乗れていないので乗りたいところなんですけどね。



第12走者:JR東海道本線新快速米原行(313系)大垣19:04→米原19:39
米原行の列車に乗って、東海道線を下りJR東海在来線の最西端へ行きます。


おう、新快速にボックスシートの3000番台が入る時があるのか。いつもは最高速度時速85kmの飯田線ばっか走っているだろうから、たまには時速120kmの高速運転をしないと足が鈍ってしまうのかも知れませんな。


米原駅に着きました。もう日没です。


さて米原駅は新幹線も止まる鉄道交通の要衝でありますが、駅前が賑やかかと聞かれるとそうでもないよ、と答える駅です。
というわけではないですが、ここからさらに移動を進めます。


第13走者:近江鉄道本線貴生川行(820系)米原19:50→八日市20:36
では米原駅から近江鉄道に乗り換えてさらに西へ移動します。
なんと乗り鉄☆たびきっぷで近江鉄道にも乗ることができるのです。近江鉄道は東海地方の外にある鉄道ですけど、米原駅で接続しているというのが接点となってこの切符で乗ることのできる路線に適用されたんでしょうか。
並行する米原から先の東海道線はJR西日本管轄で乗車不可ですから、近江鉄道のおかげでこの切符でも滋賀県南部を移動することができるのです。


八日市駅に着きました。主要駅のひとつで、近江鉄道単独駅としては最大規模です。
今日の移動はここまでです。あとは歩いて宿まで行きます。


宿は少し離れています。だいたい5分ちょっとか。途中で商店街を抜けます。


ちゃんとしたアーケード街になっていますが、ほとんど店は閉まっています。まあ、もう21時だしな。


「ビジネス旅館はざま」に着きました。今日はここで一泊です。


お部屋。出張や合宿で使うような旅館という感じですな。大きい民宿という気も。しかも光明石の人工温泉があるので今日の疲れを取るにもいいです。
画一的なビジネスホテルを離れてこういうところに泊まるのもいいものですな。

というところで今日はここまで。

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東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その5【2018/6/9~10】

2022-04-27 23:05:44 | 鉄道撮影記
三岐鉄道北勢線に乗って楚原駅で降りました。西桑名行の列車とすれ違いするところを見届けたら駅を出ます。


自動改札付きの有人駅で、特殊狭軌路線にはギャップ萌えといったところでしょう。


沿線撮影するために駅を出て歩きます。住宅街を進みますが、昔からある地区のようですね。


とある人家で見つけた防火用水(防火水槽)です。昭和アイテムの一つですが、さすがに見つけられる機会はあんまりないです。これはコンクリート製ですが面を石で装飾してあるのがおしゃれで、文字は彫刻されているのもいいですね。現存する防火用水は植木鉢化していることもあるようですが、これは一応まだ水溜の使命を保っているようです。


タバコ屋の看板。昼夜営業というのは、この自販機のことかな?


クリーニング店の看板。他にも何軒かの旧商店がありました。鉄道利用が今よりも盛んだった頃のこの通りを行き交い店を利用していた人々が思い浮かびます。


旧員弁町のマンホール蓋。この建造物はいなべ公園にある五重塔です。有名観光地なのかもしれない。


楚原駅から西桑名寄りに歩いていって、田んぼの横の築堤を走る線路沿いに陣取って列車を待ちます。
しばらくして来たのは、旧三重交通塗装の270系でした!これは狙っていた列車でした。行きの電車に乗っている時これとすれ違ったので、ぜひとも抑えておきたいところでした。


三重交通塗装の特徴といえば、旧三重交通時代に製造されたク202号を連結していることでしょう。準湘南顔といえるその古風な顔は被写体として魅力的なのです。この時は後追い撮影となりましたが、実はこの列車は楚原駅止まりなので、すぐに折り返してやってきます。これも狙いましょう。


と、いっても、ク202の前面は逆光になってしまっているので、結局側面に重きをおいた写真に仕上がりましたとさ。これはこれで編成内の凸凹ぶりが際立つのでいいと思いますが。


中間車のサ201号。・・・これはあれですね、中間車化改造されたやつですね。
車体の左端は運転台の跡というのがありありと伝わってきます。妻面も少し後退角を持った前頭部形状がそのまま残っているのが分かります。こういうのは好きですねぇ。
というかこの旧三重交通車の3台、連接台車なのか。知らなかった。


モ277号。旧型車との体格差が分かります。


三重交通列車を撮影したら楚原駅に戻ります。ここからは終点阿下喜駅を目指します。
ホームで待っていたら、西桑名行の270系が先に来ました。


引いた位置でも撮影。うねうね~。


上り坂を駆け上がってくる阿下喜行の270系。写真に写り込んでいる勾配標識はなんと33.3パーミル!相当急坂です。


第8走者:三岐鉄道北勢線阿下喜行(270系)楚原14:42→阿下喜14:56
終点阿下喜駅に着きました。


昔来たときと変わらない駅舎。


駅前は広いロータリーが広がっていて使いやすそう。


北勢線で使われていた旧型車両モニ226号も保存されています。こちらも変わらず美しい姿ですね。


その足で駅から少し歩いた畑沿いの線路で270系を撮影してきました。
撮影したら、これの折り返し列車に乗るべく早足で阿下喜駅へ戻りました。

というところで今日はここまで。

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北米project 5 ~How do you like Canada? その14【2016/6/15~22】

2022-04-24 23:23:32 | 海外旅行記
2016年6月16日(木)12時12分
オンタリオ州マウントホープ カナダ軍用機歴史博物館 
カナダ軍用機歴史博物館の続きです。格納庫内の収蔵機は回り終えたので、次は外に展示されている収蔵機を見ようと思います。



これはさっきドナドナされていたDC-3(C-47)。第二次世界大戦時に製造されてカナダ空軍で使われたのち民間放出されて民間航空会社を何社か渡り歩いた後1981年に当館に寄贈されました。飛行時間は82,000時間以上で、現存するDC-3の中では最も長い飛行時間記録を持っているんだそうな。

アブロ・アンソンMk.V(1935年初飛行)です。輸送から偵察から練習から色々な用途に使われた多目的な双発機です。あだ名はアニー。イギリスで開発された機体ですがカナダでも生産されました。その数約11,000機で、実はチーム1万機軍団の一員です。そのうちカナダ製は約3,000機。
Mk.Vは航法訓練用の練習機です。カナダ製ですね。Mk.Vの胴体は、戦時中の鋼材不足を補うために合板で出来た木製飛行機です。戦時中に生産された他のアンソンも木造で、これらはビダール・アンソンを呼ばれてました。それでも1,000機以上生産されました。
潰しの効く機体だったので第二次世界大戦後もカナダ空軍で運用されて1954年に退役しました。


この個体は1944年製で、写真撮影用に使われいたんだそうな。1940年代後半に退役して民間に払い下げられ、1956年鉱山会社が買い取って1980年代まで鉱物調査に使いました。
現在の展示では、第二次世界大戦中の航法訓練機仕様に仕上げられています。
黄色が薄い気がしますけどこんなものなのかしら。


デ・ハビランド・カナダDHC-5Aバッファロー(1964年初飛行)。軍用の軽輸送機で、短距離離陸性能に優れた前線で使いやすい輸送機です。前作DHC-4カリブーの発展型で、エンジンをレシプロからターボプロップに強化したものと捉えれば概ね大丈夫と思います。
1963年、アメリカ陸軍の要求から開発された機体です。アメリカ陸軍は元々DHC-4をAC-1として運用していて、それの性能向上型(積載量5.4t)としてまず4機の試作機が製作されました。しかし、DHC-4時代には有用だったSTOL輸送機も、より大型な機体が同等のSTOL性能を有してきたのと輸送ヘリコプターの大型化で中途半端に見えるようになりました。
あとは、DHC-4とDHC-5は陸軍の所有する機体ですが、1966年に固定翼機は全部空軍の管轄という線引が設けられたことでこの2機種も空軍機に移管されます。それにより余計に扱いにくい機体になってしまったのではないでしょうか。アメリカ軍内のこうして方針転換の影響でDHC-5の本採用は消えてしまいました。
ところが捨てる神あれば拾う神ありで、1964年カナダ空軍がDHC-5を15機発注しました。デ・ハビランド・カナダ社の救済目的が多少はあったんじゃないかと思います。カナダ空軍ではCC-115と命名しました。あだ名はバフ。
はじめは空挺部隊や物資投下の訓練、多目的輸送などに使われて、後に黄色い塗装がよく目立つ救難救助任務を主体とする部隊へ配属されて現在に至ります。STOL性能を活かして田舎の飛行場でも運用できるので救難救助には適しているみたいです。しかし運用開始から50年以上経過しいい加減老朽化してきたみたいで、2022年1月にコモックスにいる最後の機体が最終飛行を終えて退役しました。後継機はCC-295キングフィッシャーです。295でピンときた人はすごいですが、ベース機はEADS CASA C-295です。



CC-115のもうひとつの役割が国連の平和維持活動です。白無垢に国連のマーキングをした機体が中東に派遣されて、カイロ、ベイルート、ダマスカスの間を飛行していました。1974年にはシリアを飛行中に撃墜されて乗員全員が戦死する痛ましい事件もありました。


この個体は1978年製で、スーダン空軍に納品された機体です。DHC-5はカナダ空軍が採用後に中小国を中心に受注を伸ばし、最終的に126機を製造しました。アメリカ軍の需要には合いませんでしたが、他の国の潜在需要を掘り起こして成功を収めたのです。
2003年に民間会社を通じて収蔵し、CC-115の国連仕様に復元しました。機体番号#115461は、シリアで撃墜された機体と同じで、その時の乗員はもちろん当時の平和維持活動に従事した全てのカナダ軍人に捧げられたものです。


DHC-4とDHC-5はその開発経緯からよく似ていますが、見分けるポイントは意外と簡単。尾翼がT字翼になっている方がDHC-5です。DHC-4は普通の尾翼。


これは機内に入ることが出来ました。電車よりも狭いかな。


操縦室にはバッファローくんががが。


操縦席はこんな感じ。


ロッキードC-130以降に開発された輸送機ですので、胴体後部が開いてカーゴランプになる、輸送機の正解の設計です。


PBYカタリナの胴体ですね。詳細不明。レストア待ちなのかも。



カナディアCF-5Aフリーダムファイター(1968年初飛行)。御存知はやいうまいやすいでおなじみノースロップF-5です。黒鉄重工推し戦闘機のひとつ。カナダ空軍での正式名はCF-116ですが、これは誰も使っていない説・・・。
西側中小国にばら撒くための戦闘機ですが、カナダ空軍でもF-86の後継機として単座型89機複座型46機を採用しました。その時にカナディアがライセンス生産をして、エンジンはオレンダがGEのJ85をライセンス生産しました。
ノースロップ製のオリジナルと比較して設計変更を加えられた箇所がありにけり。例えば前脚は高さを2段階に調整できて、高い位置では迎え角を取ることで離陸滑走距離を短くする効果があります。他にも空中給油プローブや空気取入口の追加などがあります。
このカナディア製のCF-5は自国向けだけでなくオランダへの輸出もされ、合計240機が製造されました。


戦闘機ですからもちろん戦闘機として自国内以外にも欧州へも展開していたんだそうな。あとは、軽快な機動力を生かした戦闘訓練での敵役にも使っていたそうな。
この個体の塗装もアグレッサー機のそれです。だいぶ色あせちゃってるみたいですが、CF-18と同じ色の塗料を使っているような気もします。


エリアルールのお手本みたいな機体形状を見よ。


この個体は1970年製で、コールドレイク基地第434飛行隊に配属されました。1989年に退役して、トレントン基地のカナダ空軍記念館に展示されました。その後1996年に当館に収蔵されました。
ちなみに、退役したCF-5の一部はボツワナ共和国やベネズエラに売却されてそこの戦闘機として第二の人生を送っています。両国ともまだ使っているよという噂もありますが果たして・・・。


正面から。


車高調できる前脚ですが、このときの展示では高さの低い方の位置だったと思います。



というところで今日はここまで。

その15へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その13【2016/6/15~22】

2022-04-20 08:22:00 | 海外旅行記
カナダ軍用機歴史博物館の続きです。今回は飛行機の復元作業をしている区画です。
今まで見てきた機体からも分かる通り、この博物館の保存機は飛行可能な動態保存機が多いです。動態化の維持や収蔵機の整備復元なんかを自前でやっています。いや、全部内製化しているかは知りませんが。


ちょっとした整備工場のような感じで本格的です。


これは今まさに復元中のフェアチャイルド・ボーリングブロークMk.IVT(1939年初飛行)です。同社のブレニム軽爆撃機をカナダのフェアチャイルドでライセンス生産した機体です。カナダ沿岸の対潜哨戒機とか爆撃機の練習機とかに使われていたんだそうな。
これは1980年代にマニトバ州で回収された8機のボーリングブロークの残骸から1機に復元しているみたいです。ニコイチじゃなくてハッコイチ。


動態の構体の復元はあらかた終わったように見えます。ただ主翼はまだまだのようです。今これを書いている2022年時点でもまだ復元は完了していないようですから、相当長い道のりで作業をしているのでしょう。


エンジンの部品が転がっています。


主翼とエンジンマウントです。


機首ですね。なんで機首の風防、変ににえぐれてるんだ。まあ操縦士の視界のためでしょうけど。変な形だなあ。


こっちにも作業場。作業やってますね。復元作業もボランティアで回しているんでしょうかね。今日は水曜日ですけども。


グラマン・アベンジャーAS3(1941年初飛行)です。ご存知アメリカ海軍の艦上攻撃機ですね。
第二次世界大戦後にアメリカで余剰になったアベンジャーを1950年にカナダ海軍が購入して、大型の機体構造を活用して対潜哨戒機に改造して運用しました。ただ後継機のCS2Fトラッカーがすぐに就役してきたので、1950年代のうちに退役したそうな。
この個体はカナダ海軍が使っていたアベンジャーではありません。これは1945年にイースタン航空機(GMの航空機製造部局で、自動車譲りのありえん生産能力を持つ)で製造されたアメリカ海軍向けTBM-3Eです。退役後は民間放出されてカリフォルニア州で農薬散布機に改造されたそうな。
2000年にフランスの保存団体が取得したんですが大西洋を渡る輸送手段が手配できなかったとかで、2009年に当館の所蔵に収まったみたい。


散布機として近年まで使われていたこともあって状態は良いみたい。復元の進み具合からも分かります。それで、2022年時点では復元が完了してカナダ海軍の塗装で展示しているという話です。今後は動態化への作業が待っているそうな。


グラマンCS2F-1トラッカー(1952年初飛行)。アメリカ海軍の対潜哨戒機ですね。カナダ海軍がアベンジャーの後継機として導入しました。機体はデ・ハビランド・カナダ、エンジンはカナダ・プラット&ホイットニーでライセンス生産されました。
CS2Fはカナダ海軍の空母HCMSボナベンチャーの搭載機として運用されていました。1970年にHMCSボナベンチャーが退役すると、陸上基地に拠点を移して1990年に退役しましたとさ。
この個体はカナダ海軍向けの機体を1997年に譲り受けたものです。動態とエンジンと主翼の根元あたりまでは完成しているような雰囲気でした。2022年時点では静態復元が完了しているみたいで、今後は動態化するんだそうな。


さっきも見たミッチェルMk.III。


機首の機銃のフタを開けるとこうなってるんだよ、っていう。


航空博物館おなじみの、飛行器模型コーナー。絶対あるんだよね。ちなみに、この博物館の模型クラブの作品です。

というところで今日はここまで。


その14へ→




【1/72】三菱キ109試作防空戦闘機 日本陸軍飛行第107戦隊第2中隊機【ギャラリー】

2022-04-16 20:41:12 | 模型ギャラリー
キット:エルエス 日本陸軍特殊防空戦闘機キ109
仕 様:日本陸軍飛行第107戦隊第2中隊機

今はマイクロエースが引き継いで発売している旧エルエス時代に発売していた三菱キ109を作りました。1960年代に作られた金型を使った製品なのでとても古い成形品です。しかし当時としては先進的だったと思われる凹リベット彫刻が魅力的なキットです。また、エルエス時代の製品なので金型に痛みがなく、マイクロエース時代の製品でよく言われるバリも無いので作りやすかったです。

キ109は、四式重爆撃機「飛龍」を改造して開発した防空戦闘機、つまり迎撃機です。最大の特徴は機首の爆撃手が座る部分を潰してそこに75mm高射砲を搭載したことです。これで日本へ飛来するアメリカ陸軍のB-29爆撃機を撃墜することを目的としました。
しかしキ109では高高度性能が不足していて、B-29の飛行する高度まで到達できないことから迎撃機としては活用されることはありませんでした。そこで日本本土へ上陸する陸上戦力を攻撃する対地攻撃機に活路を見出すべく、本土決戦に備えて温存されました。ですがこれも結局本土決戦の前に日本が降伏したのでキ109もそのまま終戦を迎えました。


胴体は改造箇所が多く、胴体上部と左右の機銃座は撤去されてそこの窓は埋められています。そのおかげかいくぶんか細身な印象を与えています。


尾翼に描かれている赤い矢印が、第2中隊機であることを表しています。白矢印だと第1中隊、黃矢印だと第3中隊です。


実戦投入皆無の試作機ということで汚し塗装はほぼ無しです。


裏側。全身に彫られたリベット彫刻に注目!


機首の75mm砲。


元々爆撃手用の窓があった機首は専用の物に取り替えられています。原型機よりも細身な印象を与えますね。


第2中隊機を表す赤矢印。機体番号等は書かれていなかったみたいです。制式採用機ではなかったから?キ109という名前しか与えられていないあたり、五式戦よりも慌てていたというか余裕がなかったんだろうな、という。





以上、キ109でした。

【エルエス】1/72 三菱キ109試作戦闘機【プラモデル製作】

2022-04-13 06:34:57 | 航空機模型製作記
今回はまた骨董品キットを作ろうと思います。エルエスのキ109です。
キ109というのは、四式重爆撃機飛龍の機首に75mm高射砲を装備した試作戦闘機(!)で、アメリカのB-29爆撃機の迎撃用として開発されたものです。ビックリドッキリメカ枠だと思います。
キットは、今はなきエルエス製のものです。カナダに住んでいた頃、模型屋で見つけたのを買いました。よく今までの間残っていたものですね。
エルエスの製品はマイクロエースが引き継いでいて、今でもたまに再販されることがあります。


お値段19.22CADなり。PKGはどうやら輸出用らしく、英文が散見されます。
なお、1/72と表記されとりますが開発当時は1/75として開発されたものです。後に1/72が主流となって1/75は表記だけちゃっかり1/72に差し替えられたのです。


機体説明書きが英語なんですよね。マブチモーターも付属しているみたいな書き方ですが、これは入っていませんでした。


中身です。金型は1966(昭和41)年に作られたと見られます。現代の目で見ると大味さはありますが、凹彫刻によるリベットが全体に彫刻されているなど、目を見張る部分もあります。表面もきれいなものです。


おまけ部品として、胴体とエンジンカウルが透明の成形品もありました。エンジンや胴体内も再現されたキットなので、透かしてみてほしいということです。迷った末にこれは使わないでとっておくことにしました。


このキットがいつのロットなのかは定かではありませんが、何十年も前に作られたのは確かです。付属のデカールはもうお亡くなり状態でした。
そこで代替のデカールを探すことに。キ109のデカールだけの製品なんてあるんかいな・・・と思っていたところ、ありました。MYKデザインの「三菱 キ67 四式重爆撃機 飛龍 「派生型」」というのにキ109のデカールを収録しています。
デカールを手に入れたところで製作開始です。


組立図も英語です。


機内は青竹色で塗ります。胴体はキ109専用品を使っています。


人形が人数分付いています。爆撃機は機内がよく見えますから、人形がいる場合は面倒がらずに塗ってあげると最後完成した時に完成度が上がりますぜ。
人形は半分溶けたみたいな形状です。木型の原型に合わせて金型を彫っていた時代です。


4人塗りました。左から二郎(仮名)、洋一(仮名)、秀光(仮名)、貞男(仮名)です。


機首には操縦士(秀光)、75mm砲砲手(貞男)、航法士(二郎)が座ります。機首左舷は75mm砲が収まるよう床が一部くり抜かれた専用の部品を使って再現しています。


尾部には機銃座の洋一を置きます。しかし機銃座には椅子がないので、洋一は空気椅子の刑に処されてしまうのだった・・・。


主翼の裏に彫られた1966とエルエスマーク。1966というのは、1966年製の金型のことだと思いますが、1966個目の金型という可能性も微粒子レベルでありますゆえ。
マイクロエース版の製作記なんかを見るとバリ処理が大変というのを拝見しますが、これはエルエス時代のロットでまだ金型が傷んでいないのでしょう、そういうものは見当たりませんでした。


当時のプラモデルは遊び心というものもあり、補助翼とフラップが可動するようになっています。フラップはちゃんと引き出して動かすことができます。これを殺すのはもったいないので、可動するように組み立てました。
主翼の中央部にある大きい円は、日の丸のことだと思います。初期ロットはデカールが無かった?


エンジンは空冷18気筒のハ42を再現しています。たぶん、マブチモーターを仕込んでプロペラを回すことができたんだと思います。


んじゃあ、塗装します。


塗装と組み立てを終えました。キ109というとまだら模様が有名ですが、面倒くささが勝って普通の濃緑色塗装にしました。
デカールは最新のものにして正解でした。デカールの良し悪しで機体の引き締まり方が変わりますからね。


試作機かつ本土決戦用に温存されてついに実戦投入されなかった機体なので、汚しは控えめにしました。


フラップと補助翼は下げ状態ですが、気分によって動かすことができるのだ。
主翼と胴体に張り巡らされたリベット彫刻にも注目。1/72縮尺にしては点の大きさがややオーバースケール気味なのですが、凸彫刻が多かった当時の金型としては先進的だったのではないでしょうか?


昔より伝わる名作キットを作ることができて満足できました。プラモデルは作ってなんぼですねえ。

完成品はギャラリーにて。それでは。




東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その4【2018/6/9~10】

2022-04-08 22:40:00 | 鉄道撮影記
第5走者:四日市あすなろう鉄道八王子線あすなろう四日市行(260系)日永11:48→あすなろう四日市11:52
日永駅から四日市駅へ戻ります。


近鉄四日市駅へ戻ってきました。


駅前に停車しているバス撮影です。これは三岐鉄道バス(三岐バス)の日野ブルーリボンKV290。三岐鉄道ってバス事業やっていたんですね。


三重交通のいすゞエルガSE(#5762)です。
SEというのはSemi Express (準高速仕様)ということだそうな。つまりはトップドア車ということでしょうか。地味にエルガでは珍しい、前面風防が分割されていない1枚窓になっています。


近鉄四日市駅で昼ごはんとします。おにぎりの桃太郎でおにぎりと唐揚げをば。


貸自転車を回収してJR四日市駅へ戻ってきました。ひと気がないねぇ・・・。


第6走者:JR関西本線普通名古屋行(313系)四日市12:40→桑名12:55
四日市市を後にして隣の桑名市に移動します。


桑名駅で降りて、桑名市にあるもうひとつの狭軌路線、三岐鉄道北勢線に乗り換えます。
この北勢線は「JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ」で乗ることのできる路線です。ただし同じ三岐鉄道の三岐線は、この切符で乗ることができません。JR東海の路線と接続していないからです。乗り換えできない距離じゃないと思うんだけどね、たぶん”近鉄”富田駅が起点なのがだめだったかもしれない。


第7走者:三岐鉄道北勢線阿下喜行(270系)西桑名13:05→楚原13:51
北勢線と内部線・八王子線は同じ特殊狭軌路線ですが、路線の起源はそれぞれの会社が立ち上げています。その後近鉄がどちらも買収して近鉄の路線になりました。
北勢線も2000(平成12)年に近鉄が廃線を表明していて、その後三岐鉄道が沿線自治体の依頼を受ける形で事業を継承しています。


途中の東員駅で列車交換します。車外に出て西桑名行の270系を撮影。
この270系もあすなろう鉄道の260系も近鉄時代に製造された電車ですが、微妙に形状は違っているんですね~。


東員駅のホーム。


蘇原駅に着きました。ここで列車を降ります。
軌間は762mmですがレール自体は40kgレールか50kgレールを使っていると思われ、軌間の狭さが際立っています。


蘇原駅で列車交換があるので、停車しています。


サ136。妻面が丸っこくて他車と見比べた時に目立ちます。車体長も若干短いです。これは1950年代に三重交通が製造した付随車で、相当な古豪が今も現役なのです。


西桑名行の列車が入ってきたところで、今日はここまで。

その5へ→







東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その3【2018/6/9~10】

2022-04-03 22:59:21 | 鉄道撮影記
第3走者:四日市あすなろう鉄道八王子線西日野行(260系)あすなろう四日市10:43→西日野10:51
四日市止まりの列車が到着しました。これの折り返しの西日野行に乗ります。
車両は近鉄時代から使っている狭軌線専用の260系です。外観形状こそ近鉄時代と似ていますが、移管後車体に大規模工事を施工して大幅な近代化を果たしています。


車内銘板。
四日市あすなろう鉄道の車両と線路などは四日市市が所有していて、四日市あすなろう鉄道はそれを借りて運行している上下分離方式の運営です。ですので、車両所有者の示す銘板は四日市市の表記がされているんですね。


近鉄時代の260系はボロかったんですが、移管後は大工事してきれいで近代的になりました。上を走っている近鉄の通勤電車よりも新しく見えると思う。
乗降扉の位置も変えたらしく、それだったらもう新造したら良かったんじゃという気もしますが。工事施工は近鉄の車両工場で行われたみたいなので、大改造もお手の物かしらん。


妻面側は機器が艤装されています。冷房装置かと思われ。更新工事に際して一部存在した非冷房車も全部冷房化されたそうな。


ごろごろとした走りで終点の西日野駅に到着。時間にして10分足らず、短い。


終点にしては中途半端。というのも八王子線のここより先の区間は昔すでに廃止されていたのでした。廃止区間に旧伊勢八王子駅もあったそうで。一応伊勢国でしょうけど、四日市市内で伊勢を冠するのは違和感ありますね。
線路上に造られた駐輪場には自転車がほぼ満車で駐輪されているので、休日でも学生の利用はあるんですねえ。


小さいながら駅舎があります。


帰りの切符を買って折り返しの電車に乗ります。旧近鉄路線なのにICカード使えないんですね...。


第4走者:四日市あすなろう鉄道八王子線あすなろう四日市行(260系)西日野11:00→日永11:03
来たのを同じ電車で折り返します。


車体は小さいんだけど、踏切を渡る自動車を躱すために架線は高め。なのでパンタグラフも頑張って上がっているように見えますね。特殊狭軌路線で電化というのは実は向いていないのかもね。


八王子線と内部線が分岐する日永駅で下車します。
ここで列車交換もしています。内部行の列車が入ってきました。これは2両編成ですか。



内部行が到着すると四日市行が発車。線路の分岐点は駅の構内にあります。


内部行が過ぎていきました。260系の塗り分けは上下ツートンとその間の細帯という割りと古典的なものですが、色使いが現代的なのでそんなに古臭く見えないですね。車体はへこみや充填剤の跡も見えないし、近鉄の改造技術はすごいな。


日永駅は駅構内で路線が分岐しているので、内部線(手前)と八王子線(奥)のホームがそれぞれ独立してあります。八王子線の方は曲線上にホームがあります。大正~昭和初期頃に建設された私鉄線の分岐駅では時々見られた構造です。
曲がっている方(分岐する方)のホームは大概急曲線を描いていて、以降の時代に登場する大型車だと車体が鑑賞して乗り入れできないとか、急曲線上での乗降は車両とホームの間の隙間が大きくて安全上よくないとか、あとは分岐する方の路線が廃止になってしまうとか、いろいろな理由から減りはせども増えはしない構造です。残っているのは、あすなろう線のように路線規格が特殊だったから生き残ってしまったような例が大半ですかね。
古い私鉄線の独特かつ稀有な地上設備なので、たまりませんね。



ホームに反して駅舎は近代的です。


日永駅から四日市方面へ歩いて、鹿化川を渡る橋のたもとへ来ました。ここで数本列車の撮影でもしましょう。四日市~日永間なら、両路線の列車が通るので高効率です。


西日野行の260系。


内部から来た四日市行の260系。


堤防を越えるため勾配を登ってくるのでなかなか迫力あります。


引き付けてもう一度シャッターを切ります。


橋を渡る内部行260系。橋にはコンクリートの側壁があるので、どうしても車体は隠れますがな。というか近鉄系の路線は、単線でも架線柱が線路の両側に立っているのですっきりとした写真は狙いにくいんですな。


川を渡って、側面寄りの写真を撮影。四日市行の260系です。
ここで狙えそうな基本的な構図の写真は一通り撮影できたと思うので、あすなろう鉄道からはこれにて撤収しましょう。

というところで今日はここまで。


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