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北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その46 【2015/07/08~18】

2016-10-29 20:15:05 | 海外旅行記

2015年7月17日(金)16時26分
アルバータ州カルガリー カルガリー軍事博物館

博物館も4回目。今回でおしまいですよ。
貴重な空軍成分ということで戦闘機の模型をば。こういう軍事系博物館ってヒマな学芸員が勤務中に作ったんじゃない?と思える飛行機模型が展示ケースにズラズラっと並べられているって場合が必ずあるんですが、ここはこれくらいしか見当たらなかったです。
右の翼端が赤いのがデ・ハビランドのバンパイア、奥のプロペラ機がノースアメリカンP-51ムスタング、そして左のクソデカイ白いのがアブロカナダCF-105アローです。どれも戦後カナダで運用されていた戦闘機です。
この3機はどれも同じ縮尺なのでCF-105の異様なデカさがお分かりになると思います。F-15やSu-27よりも大型で、たぶん戦闘機としては世界最大級の大きさを持つはずです(最大離陸重量はF-15とほど同等でSu-27よりもやや軽い)。

CF-105は北極を経由してアメリカへ向かうソ連の爆撃機を撃墜するための迎撃戦闘機として開発が始められましたが、なんやかんやで開発は試作機が作られただけで中止になり幻の戦闘機となったのでした。仮に制式配備されても現在のCF-18に置き換えられたと思うんでどっち道そんなに長生きしなかったとは思いますが。
なお5機造られた試作機は全機解体されてしまっていて現存機無し。部品の一部だけが各地に散り散りになりながら残っている・・・という状態です。トロントに1機原寸大モックアップがあるという話ですが、それが収蔵されている博物館はやっているのかいないのかよく分からないです。
試作機止まりの幻の戦闘機、仮に配備されれば世界有数の性能を有する(とされる)、現存機無し、というのは何だか日本の艦上戦闘機「烈風」に似たような境遇を持っています。
そういう悲劇的な過去を持っているからか、カナダ人はCF-105を好きみたいで、軍用機を置いてあるカナダの博物館には必ず何らかのCF-105の展示が置いてあります。何箇所か訪れましたが今のところ百発百中全ての博物館で見ました。



77mm野砲。
第一次世界大戦でドイツが使っていた直接援護用の火砲。
1917年ビミーリッジの戦いでカナダ人がこれを何門か鹵獲してそのままドイツ相手に使った模様。
そのまま本国までかっぱらってきたやつの生き残りってことですかね。



連合軍の軍馬、ジープ。もう説明不要でしょう(手抜き
これは出目金ジープなので戦後のモデルだと思います。出目金はブサイクかなぁって・・・。



今際の兵士のマネキン。



ジオラマの小道具に使われるシャーマン。・・・本当に贅沢な使い方するよな。
市街戦の場面ですかね?



チャーチルかな?
館内展示はこれで終了。また屋外に出て、最初に見なかったどうでもいい兵器たちを回収していきます。



17ポンド対戦車砲。おなじみイギリスの76mm対戦車砲です。
効率的な移動のためにクルセイダー巡航戦車に牽引されて運用されてたこともあったとか。それでも効率悪いからか知りませんが、これを戦車に載っけたのがシャーマン・ファイアフライです。



6ポンド対戦車砲。17ポンド砲の前任でこちらは57mm砲。ここでいうポンドとは砲弾の重さを表していますぞ。
1942年アフリカで使用し始めましたが、ドイツのクソ硬い重戦車には敵わずあっという間に陳腐化、1943年にソッコーで17ポンド砲に置き換えられます。それでも比較的機動力があったのでその後20年間以上使われたそうな。



野砲は丘の上にあるので丘から戦車を見下ろすことが出来ます。
台座にまだ空きがありますし用地もまだまだ残っているのでやろうと思えばまだ増やせますね。こういう拡張性の余裕は、日本のこの手の博物館(軍事系に限らず鉄道系などの)には皆無なので羨ましいです。



少し離れた位置にも装甲車があるので見ていきます。



解説がないのでアレですが、リンクス装甲偵察車のようです。
概説はすでにしたので省略。



M113装甲兵員輸送車 M113 armoured personal carrier
1960年アメリカで制式化された装甲車です。ベトナム戦争世代の車両で、起伏の激しいベトナムの土地では「戦場のタクシー」と呼ばれるほど大活躍だったそうな。
NATO諸国を中心に輸出もバカスカ行われた結果、生産数は8万両超えというおびただしい数字に。
もちろんカナダ陸軍でも使われました。通常の兵員輸送車の他に地対空ミサイルを装備した車両もいたようで。
1966年に導入され、後に延命工事を受けて現在も300両弱が現役。2020年辺りまで使う気でいるらしいです。



M113の派生型、M113A2 TUA。TUAはTOW Under Armourの頭文字で、TOW対戦車ミサイルを搭載した車両です。パッと見ビームでも撃ちそうな形をしていますがね。
TOW対戦ミサイルは、戦車を潰すにはコレ!というくらい歩兵、車両、航空機とあらゆる場面で普及してるんだそうですが、まあ知りませんでしたね。



こっちはドーザー付きのM113。
そういえばここに置いてある装甲車、どれも履帯に市街地走行用のゴムパッドが付いているんですけど、まさか自走できるのかしら?



個人的に収穫だったと思うのがこのT-72戦車。ソ連が開発した戦車ですね。こんなのも置いてあるのかと興奮しました。始めて見ましたよ。
ソ連が1972年に制式化した戦車でして、ソ連を始めとした東側陣営の主力装備でした。
低い車高と丸い砲塔が好きなんですが、湾岸戦争ではアメリカのM1戦車とイギリスのチャレンジャー戦車にフルボッコにされていいとこナシでしたとさ。
さて、西側だったカナダになんでT-72がいるのかというと、1990年の東西ドイツ統一後に旧東ドイツ所属だった10両のT-72が性能評価のためにかっぱらってきたようでございます。そして評価試験後に使いみちの無くなったT-72は博物館送りにされたということです。残りの9台もまだカナダのどこかにいるかもしれませんぞ?(オタワでそれっぽい1台を確認済み)
東ドイツの車両だったのに砂漠迷彩なの?と思いましたが、元々深緑色だったのを塗り替えていたようです。



後方から。
当ててくださいと言わんばかりの燃料タンクが目を引きますね。車高が低いので車外に燃料を搭載する他無かったそうな。これは生存性に少なからず影響を与えたとか。



正面から。主砲がこっちを睨んでいる・・・。このアングルはかっこいいです。
125mm滑空砲というのがT-72のウリのひとつだったんですが、M1やチャレンジャーと比べてもそんなに優位でもなかったらしい。



HMCSヒューロンのスクリュー。
DDG-281 HMCSヒューロンはイロコイ級ミサイル駆逐艦の2番艦で、1972年就役、2005年退役の軍艦です。退役後は2007年に標的艦としてバンクーバー島近海で沈められました。
そのHMCSヒューロンから取ってきたスクリューです。英語だとプロペラと言うので言い間違いに注意です。20世紀の海軍の機関室要員達へ捧げるために建造された記念碑、と説明されています。
あんまり子細に観察しませんでしたが、可変ピッチスクリューだそうです。

これで見るものは全て見終えました。前に書いたとおり、展示物全てを見る時間が無かったので、まあまた機会があれば(たぶん無いと思うけど)ゆっくり見てみたいと思います。実機展示を見るだけでも楽しめると思いますよ。



この後カルガリーのダウンタウンに戻って両親を拾い、カルガリー空港近くのホテルにチェックイン。
ホテルの近くにあるChop Steakhouseで最後の晩餐。思えばステーキばっか食ってますが、何回食べても飽きないし美味しいですぞ。やはり肉が美味い国です。

これでこの日は終了。翌日はついに最終日です。


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北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その45 【2015/07/08~18】

2016-10-25 23:39:14 | 海外旅行記

前回に続きカルガリー軍事博物館の海軍館の展示を見ていきます。
4インチMk.XXI単装砲とMk.XXIV砲架 Single 4" Mk.XXI Gun on Mk.XXIV Mounting。4インチていうとだいたい100mmです。
第二次世界大戦時のコルベット、アルジェリン級掃海艇、イギリス海軍駆逐艦数隻に装備されていました。

展示されている単装砲は、1945年にカナディアンパシフィック鉄道軍需局のオグデン工場で製造されました。
鉄道会社が軍需局ってのも物騒な話で。元々は機関車や貨車の車両製造をしていましたが、軍需の高まりで戦争中は砲を製造を専門にしていたそうです。終戦までに30万ドル分の兵器を造ったそうな。
砲は戦後、長期間保管されたままになっていて、1992年にエスクイモルトのドックヤードに持ち込まれ、1999年にカナダ海軍太平洋軍司令R.バック少将が復元とカルガリーへの里帰り展示を指示したとされています。オグデン工場というのがカルガリーにあったからだと思います。
復元作業は戦時の砲手や商業水兵などの退役軍人によるボランティアが担当し、カルガリーまではカナディアンパシフィックが輸送したという、粋な復元と返還が行われました。

ちなみに防盾に描かれているノーズアートっぽい絵はHMCSカルガリーに描かれていたもの、だそうで。ただしこの砲がHMCSカルガリー搭載のものだったかは確証得られず。



裏側も見れますで。マネキンがおられるので様子が分かりやすいですね。
砲手2人と装填手1人といったところですかな。



狙いをつけるのだ。艦載砲なんて当たるもんじゃないし、とにかく数打つしか無いんじゃ。



ボフォース40mm機関砲 Bofors 40mm gun
第二次世界大戦中の対水上/対空砲で、単装あるいは四連装で戦艦、空母から駆逐艦、掃海艇まであらゆる艦艇に装備された万能機関砲。海の他に陸でも使用されました。当時の超有名な対空砲のひとつなんですが、私は知りませんでした。
戦後も使用され続けて、ここの説明には1996年時点でカナダの新型沿岸警備艇に装備されているとあります。20年経った今でも使っているのかは分かりませぬが、M2機関銃の例もあるしまだ使われている可能性も無きにしろあらず。ていうか海上保安庁の巡視船が現在も使ってますし、カナダでもその可能性はありますね。

砲架が特殊だそうで、空母HMCSボナベンチャーの対空砲に装備されていた時のものです。HMCSボナベンチャー退役後は西ドイツのカナダ軍ラー基地の対空砲に転用されました。
ラー基地閉鎖後はマニトバ州シロ基地のカナダ軍火砲博物館に収蔵され、1996年からここに貸し出しているとのこと。



ここにもマネキンが。



弾。
そろそろ気づいてきたと思いますが、ここやたらと火砲が展示してあります。もうここが火砲博物館って感じです。こんなに置いてあるところも中々ないんじゃないかなって思います。



Mk33 50口径3インチ速射砲 Mk 33 3" 50caribre gun
対空/対水上両用砲です。戦後に配備が開始され、カナダ海軍には朝鮮戦争中にトライバル級駆逐艦に装備されました。
砲架は速射砲が現役だった頃に訓練のために西海岸艦隊学校(はいふりだ...)で使用され、1995年学校の廃校後にここに移設されて展示されるようになりました。
ちなみにこの艦隊学校はビクトリアにあって、今はロイヤルローズ大学になっています。またそのうち行くことになります。



裏はこうなっています。



2ポンド(40mm)ポンポン砲 2pdr Pom-Pom gun。ポンポンという音を立てて発射するからポンポン砲。これも有名。
第二次世界大戦時のイギリスの対空砲です。単装、連装、4連装、8連装で発動機艇から戦艦まで全てのイギリス艦艇に装備されました。強力で濃密な弾幕を張れるのでイギリス意外にも導入されました。日本でもライセンス生産してたらしいよ?
ただし射程は短いし弾はよくジャムるしで、あまり長い間対空砲の主力に座り続けることはできなかった模様。
展示されているポンポン砲はトロントに保存されている駆逐艦HMCSハイダに装備されていたものです。



ビッカーズ3インチ(76.2mm)70口径連装砲 Vickers 3", 70 calibre gun mounting
カナダ海軍駆逐艦レスティゴーシュ級の主武装として搭載するため1950年代に導入。元々イギリスで開発されていたんですが、弾詰まりが起きやすくて整備も面倒という英国面を持っていたため、カナダ人技師が修正して導入しました。



コルブス対抗装置 Corvus countermeasure system。コルブスチャフ発射管とも。
76.2mmロケットランチャー8発(3-3-2発)で構成される防御装置です。発射管にはチャフが入っていて、対艦ミサイルに対して防御します。
この発射管は1997年にビクトリアのスクラップヤードから引き揚げてきたものとのこと。



シールドミサイル防御装置 Shield missile defence system
レーダー/赤外線追尾対艦ミサイルを逸らすためにチャフとIRフレアを発射する防御装置です。
昔はミサイルでミサイルを撃ち落とすようなことは離れ業だったそうなので、チャフやフレアでミサイルの目を潰して弾道を逸らそうとしたという感じです。現代では古典的手法ですが信頼性はあるので今でもチャフやフレアは使われています。



4インチ(102mm)速射砲Mk.XVIとMk.XIX連装砲砲架 4" Q/F Mk. XVI on Twin Mk. XIX mounting
戦艦、巡洋艦、駆逐艦、スプール艦、フリゲート、対空補助艇に装備されていた連装速射砲。カナダではトライバル級駆逐艦4隻(HMCSハイダ、HMCSヒューロン、HMCSイロコイ、HMCSアサバスカン)に装備されていました。
砲塔内での手動操作の他に遠隔操作も出来ます。
これもビクトリアの艦隊学校で教育用に使われていましたが、学校閉鎖後はビクトリアのエスクイモルト海軍・軍事博物館に収蔵されました。で、1996年にここに貸し出されました。



21インチMk.IXホワイトヘッド式魚雷 21" Mk. IX Whithead torpedo
ホワイトヘッド魚雷って何?って感じですが、今に通ずる魚雷の祖です。
1870年代、オーストリア政府と契約していたロバート・ホワイトヘッドというイギリス人技師が開発しました。なんでオーストリアやねん海無いやん。・・・昔は海に面する所まで領土持ってたということですかね(調べない

魚雷は水中を進んで艦艇の土手っ腹にドカンといく兵器です。艦砲だと中々喫水線下に穴を開けられないんですが、魚雷なら一発でドカンといって船内に浸水を起こせるのです。水中だと爆発の衝撃波の密度が濃いので破壊力も水上のそれより大きいですし。
あとは、大口径の大砲はバカみたいにデカさにクソみたいな重さなので戦艦クラスでないと積めないですが、魚雷だと小型ボートでも積めます。戦艦クラスの破壊力をボートに収められるんですから経済的です。魚雷艇で戦艦を沈められたらその費用対効果は絶大なのです。まあ実際そううまく事は運ばないわけですが。
日本海軍があんなに魚雷フェチだったのも、列強と比べて主力艦を制限されていた中で列強と張り合うには魚雷で一撃必殺を狙うんや!という部分があったとかなかったとか。



こっちは18インチ航空魚雷。
名前通り飛行機に魚雷を抱えさせて敵艦の近くでぶっ放して使います。この魚雷の運び屋を雷撃機とか攻撃機とか言うんですね。
魚雷というのは進むのが遅い遅いなので海戦で雷撃戦を行う距離でも割と簡単に避けられてしまいます。そこでもっと命中しやすいよう飛行機に敵艦の手前まで運んでもらおうってことで雷撃機が生み出されたんですな。
これはイギリスのソードフィッシュ雷撃機に装備されていた航空魚雷です。艦船に積む魚雷と較べて短いのが航空魚雷なのです。ソードフィッシュというのは複葉の雷撃機で、話すと長くなりそうなんで今回は省略。



無人標的機ビンディケーター Vindicator。急にハイテクなものが。
カナダで設計・開発された標的機で、カナダ軍とアメリカ軍へ向けて600機以上が製造されているとか。カナダ軍ではCU-162の型式で使われています。
UAVはよく分からないのであまり書くことないです。



艦内の食堂で食事を摂る水兵、という場面。
食堂は艦内の中でも広い空間を持つ部屋でもあるので、食事に使わない時は寝床として利用されていました。ベッドみたいな上等なものは無くてハンモックをぶら下げて寝ていました。部屋のあちこちにハンモックを吊るすフックが備わっているのですよ。これもまたいずれ・・・。



嫌い・・・もとい機雷。
第二次世界大戦時の機雷には主に接触、磁性、聴音を感知して爆発するものがあります。
これはイギリスのMk XVIIインフルエンス機雷で聴音感知機雷でした。見た目は接触機雷なんですけどね。

こんな感じで海軍館はおしまいです。他にも艦船模型もあるんで楽しいと思いますよん。とにかく充実の展示でした。


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【Bトレ】 静鉄A3000形を作る

2016-10-23 21:10:01 | 鉄道模型記

10月15日に静岡鉄道の長沼工場の開放イベントがありました。
デワ1形の展示とかA3000形の運転体験とかやっていましたが、物販ではA3000形のBトレが売られていました。お値段2,300円。Bトレも随分高くなってきましたね。
いつの間にと思ったんですが、ついこの間発売されたばかりだったようです。ていうか登場から半年でもう模型化されたのか、仕事早いね。どうやら事業社限定製品っぽいです。
Bトレはほとんど作らないのですが、A3000形は地元の電車なのと、いずれ7色全て出るだろうし全色揃えたら中々様になるだろうと思ったので購入してしまいました。



Bトレは組立模型なので自分で組み立てていく必要があるわけなんですが、箱を開けてビックリ!部品構成が通常のBトレとだいぶ異なっていたのです。
普通だと車体は前面、側面*2、妻面の4面を貼り合わせて組立てます。A3000形も基本はそれを踏襲してはいますが、側面の部品が2つ(窓を入れれば3つ)に分割されていたのです。
ちょうど車体の塗装ごとに車体の水色、ドアと幕板の白、窓まわりの黒という風に分割されています。先に書いたとおりBトレは普段作らないので詳しくないんですが、自分が知っている限りではこのような構造は初めて見たので驚きました。会社が製品を作る時に塗装工程が楽でいいですよね(部品の色は成型色でなく塗装)。



窓を組立てていきます。この写真を撮った後部品のハメ忘れがあったんで慌てて解体しましたが・・・。
これの組立図、1つの図解に車体の組立工程を全部詰め込んでるせいで読みにくいです。紙面構成もあるんでしょうけど、そこはページ数増やしてもうちょい分けて書いてもいいんじゃないと思います。



前面も2層構造という凝った分割をしています。ライトケースの立体感などがよく表現されているほか運転台上の計器盤も彫刻されていてよく出来ています。



続いて側板の青い部品を貼り付けます。



最後に白い部品を取り付けます。部品同士の隙間がなく合いがピッタリなのはさすがバンダイという出来です。



シールはこんな感じ。予備を用意してくれているのは親切。
行き先表示は普通と急行と通勤急行の3種です。日本語と英語の両方が収録されているのがマニアック。
方向幕ベースのシールはのり面に黒が印刷されていて風防の裏側から貼り付ける形になっているので、ガラスの裏から表示されているという立体感を再現しています。
他にも前面/側面の車両番号、A3000 Seriesの銘板、虹のロゴ、車椅子表示、号車番号、側面行き先表示器とたくさん種類があります。これは実車がそうなのでどうしようもないんですが、貼る量が多くて中々しんどい作業でした。



完成しました。いい感じになっていると思います。
最新のサスティナ車体に昔のTS台車の組み合わせは何回見ても不思議ですね。



前面。行き先は通勤急行で、静岡側を日本語、清水側を英語としました。
部品分割上、おでこに目立つ合せ目が来てしまうのは減点ですね。これ、成型色が白なら合わせ目消しが出来るんですが、実際は透明の成型色に白の塗装ですからどうしようもないです(合わせ目消ししてその上からまた塗るほどの気力はない)。前面部は別部品化して、白い部分は3パーツにするのが良かったと思います。



と、こんな感じでした。
おでこの合わせ目以外は見た目もよくサクサク組立てられるので楽しかったです。これは全色揃えたくなってきます。実車の導入計画の都合上一気に製品が発売されることもないのでお財布にも優しいですしね。

以上です。静岡へ来た際には買ってみてはどうでしょうかというベタベタなオチでおしまいとします。

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その44 【2015/07/08~18】

2016-10-22 23:44:47 | 海外旅行記

2015年7月17日(金)15時56分
アルバータ州カルガリー カルガリー軍事博物館

軍事博物館の続きです。
博物館はいくつかの区画に分かれていて、陸軍館、空軍館、海軍館、第一次世界大戦館、冷戦館、みたいな感じになっています。中でも海軍館は実機展示が豊富なのです。
というわけでこれらを見ていきましょう。



まずは目立つものから。スーパーマリーン「シーファイアMk XV Seafire Mk XV」。
イギリス空軍の名機スピットファイアを海軍の空母でも運用できるように再設計した艦上戦闘機です。狭い空母でも格納できるように主翼が折り畳まるようになっているのが最大の違いですね。
スピットファイア同様たくさんのマークナンバーがあるんですが(それでもスピットよりは全然少ないが)、Mk XV設計の元になったのはスピットファイアMk XIIです。
これはスピットで初めてマーリンエンジンに替えてグリフォンエンジンを搭載した型式です。グリフォンスピットはオリジナルのマーリンスピットの機体から再設計が加えられて、主翼や胴体が別の形状になっています。ただしMk XIIはまだ再設計されていない段階だったので、マーリンスピットの機体形状にグリフォンエンジンを積んだ格好になります。ややこしいのだ。
1944年後半から生産が始まり、イギリス海軍に配備されたのは1945年5月。ただし、すでにナチスドイツの降伏は目前であり実戦投入はほとんどされず、発注分もほとんどキャンセルされたそうな。
で、戦後にカナダ海軍がこれを購入、自身の持つ空母へと配備しました。イギリス海軍のお古なのか新たに発注したのかは知りませぬが。1948年にシーフューリーに置き換えられるまで使用されました。かなり短命ですね・・・。

この機体(S/N PR-451)は、1946年1月に購入。空母HMCSウォーリアの第803飛行隊(後の第19支援飛行連隊VF-870)に配備されました。その後の経歴は不明ですが、現在はこのように博物館に展示されています。



主翼の折り畳まるところ。やっぱり厚みが薄いなぁと。



後ろから。
主翼は2段折り畳まる様になっていて、あまり見ない方式です。翼端同士がぶつかるのかしら?
PR-451は天蓋後部が胴体と面一になっているいわゆるファストバック式のキャノピーをしています。Mk XVの後期型は零戦みたいな後方視界も確保された涙滴型なので、これは前期型ということになります。
戦後になってファストバック式を作ることもないと思うんで、ということはPR-451はイギリスのお古ということか?



シーファイアを置き換えた機体、ホーカー「シーフューリー F.B. II Sea Fury F.B. II」。
これも第二次世界大戦期のイギリスの戦闘機ですが、初めて見た機体なんであんまよく知りません。ハリケーンから続くホーカー社の「嵐」シリーズの最後の機体です。Furyの意味は「嵐のような激しさ」ですから、ちょっとムリのある名前にも聞こえますが、まあハリケーン、タイフーン、テンペストと来ていよいよネタ切れだったんでしょう。
テンペストのエンジンが、複雑で信頼性が低くて使えないネイピア社のセイバーエンジンだったことから、もうちょっとまともなエンジン使おうぜってことになってブリストル社セントーラス空冷エンジンを採用した戦闘機です。あとは軽量化もしています。
1944年9月に空軍向けのフューリーが初飛行、続く1945年2月には海軍向けシーフューリーも初飛行。ところが同年5月8日にドイツが降伏しやがりましたおかげで速攻でいらない子になってしまいました。フューリーは結局生産されず、シーフューリーもだいぶ発注がキャンセルされました。

で、その宙に浮いてしまったキャンセル分の発注を買ったのがカナダ海軍なのでした。1948年から75機を導入していき、シーファイアを置き換えていきました。1956年までにF2Hバンシーに置き換えられるまで活躍していました。
ここに保存されている機体(S/N WG-565)は空母HMCSマグニフィセントの第870、第871飛行隊で運用されていました。

どうでもいいですけど、プロペラ5枚ってのは何だか気持ち悪いですねこれ。



所属記号はAA A。どういう意味なのかは知らんどす。
ラウンデルは戦後になってから楓の葉を入れたカナダ独自のものになりました。この楓の葉の形が年代によって微妙に異なるのでプラモデル作る時なんかは気をつけないといかんのですが、この形は初めて見たな・・・。1950年代頃まではこのデザインだったらしいようで。ついでに言うと黄色い縁は1952年まで使われていたらしい。・・・ややこしい。
日本くらいだと思いますよ、長い間ラウンデルのデザインが変わらない国。



それで、シーフューリーを置き換えた戦闘機、マクドネルF2H-3「バンシー Banshee」。バンシィと書くとガンダムになってしまうのでここではバンシーと伸ばしますよ。カナダ海軍初のジェット戦闘機にして最後の艦上戦闘機です。
これは元はアメリカ海軍用の艦上戦闘機ですな。初飛行は1947年です。かなり初期のジェット戦闘機と言えましょうぞ。ギザギザの空気取入口マークや空気取入口から見えるエンジンのファンとかが時代を感じさせるなって感じです。
元々は新型ジェット戦闘機の開発が上手く行かなかった時の保険として開発されてましたが、それは頓挫したようで保険のF2Hが最終的に900機弱が製造されることになりました。アメリカ海軍って保険の機体が本命になってばかりだ。
カナダ海軍では1955~1958年にかけて39機を導入、シーフューリーを置き換えていきました。10年経たずに戦闘機を置き換え続けるとか本当に昔の兵器更新ペースは今じゃ信じられないくらいに速いですね。空母HMCSボナベンチャーに配備されていました。
ただしだいぶ扱いに困っていたようで、39機のうち12機を着艦時の事故で失っています。3割に上る数字で、ちょっとヤバいです。
その後、軍の予算は減るわ、機齢が高くなって維持にお金がかかるわ、海軍は対潜重視に方向性を変えるわで1962年に退役しました。後継の戦闘機は無しで、空母自体もしばらくして姿を消しました。



なおこのバンシー、絶対写真を撮らせないぞと言わんばかりに撮りにくい位置取りをしています。
まず機首が部屋の角を向いていて、前から写真を撮れない。せめて横からと思っても展示物が入り込んで邪魔になる。
どうやっても綺麗に全体を取れないという残念な展示になっています。
バンシーの現存機はカナダに3機、アメリカに7機と北米にしては製造数の割に保存機の少ない比較的貴重な機種なので、もうちょいどうにかせいと思います。



目玉の戦闘機の展示の次は艦艇装備を見ていきます。さすがに軍艦はないです。
まずはリンボー対潜迫撃砲。ビクトリアでも見たことのある兵器です。ただ爆雷を投下するよりもこういう対潜兵器を使ったほうがやりやすいのです。手前に置いてあるのが爆雷ですな。
本格的な対潜兵器を見られるのがいいですね。日本は魚雷フェチで潜水艦とか軽く見てたから仕方ないね。なお結果。



対潜魚雷。
自衛隊の護衛艦にも似たような形の魚雷管がありますね。同じやつかしら?



Mk.46対潜魚雷。アメリカ開発の魚雷で、日本では短魚雷と言うと分かりやすいかもしれません。
艦か航空機から発射されて蛇行か円形に進んで接触もしくは近接信管で爆発します。
展示品はレプリカですが実際の廃品を利用したものです。カナダ海軍100周年を記念して武器庫の工員が自作したんだそう。



内部図解もあります。
弾頭の後ろには変圧器や変換器なんかがあります。



ジャイロコンパスとか制御パネルとか。
内部はNATO諸国が使用している魚雷のそれとそっくりに出来ているとのこと。



オットー燃料のタンク。オットー燃料は魚雷などに使われている燃料なんだそうな。詳しいことはよく知りませぬ。



後部の推進装置。エンジンとか歯車がごちゃごちゃと配置されています。



40口径(7.62cm)12ポンド速射高角/低角砲Mk.VとMk.IX砲架 12pdr, 40Caribre, QF, HA/LA, Mk.V Gun on Mk.IX Mounting
カナダ海軍のバンゴール級掃海艇の主武装およびフリゲートの副武装として装備されていました。日本でも使ってたそうだぞ。
ついでに、バンゴール級はイギリス、カナダ、インドの海軍が使用していた掃海艇です。が、なんと日本海軍も使っていたのです。香港占領時に残されていた建造中の艦をかっぱらったようで、第101号、第102号掃海艇と名前を変えて使用していました。



エリコン連装砲Mk.2。名前の説明しかなかったのでそれ以上のことはちょっとわからないです。
こういう機銃まで展示してあるので、まあよくも集めたもんだと感心します。

はい今日はここまで。


その45→

北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その43 【2015/07/08~18】

2016-10-14 23:17:09 | 海外旅行記

2015年7月17日(金)15時27分
アルバータ州カルガリー カルガリー軍事博物館

前回から時間と場所は一気に飛んで、カルガリーへ。
マーブル渓谷からは一気にカルガリーまで車で走りました。途中一瞬だけ休憩しましたがそれでも2時間程度でカルガリーまで行けるんですね。
到着後は両親を一旦ダウンタウンで降ろし、自分だけは写真の「カルガリー軍事博物館 Military Museum of Calgary」へ向かいました。ちょっと興味があったんで行ってみました。あまり見学時間が取れなかったので主に実機展示を見てきましたよ。



まずは屋外展示から。戦車や野砲などが展示されています。
戦争博物館というと胡散臭いイメージ(大体靖国神社のアレのせい)があるんですが、カナダはさすがというべきか実機展示も充実しています。
では見ていきましょう。



1台目はこれ、「チャーチル・クロコダイルMk VII Churchill Crocodile Mk VII」。
ガルパンでもおなじみチャーチル歩兵戦車ですね。ダージリンの搭乗車と違って履帯カバーが無いので印象が異なりますが。
歩兵に随伴して彼らの支援や防御を行う歩兵戦車なので対戦車戦はあまり考慮されてないです。なんていうかイギリス戦車ってこんなのばっかなんで他国と比べてどうも影が薄いんですな。それでもガルパンでだいぶ名を挙げた(?)と思います。
ちなみに名前は当時の英首相ウィンストン・チャーチルから。現役の首相を戦車の名前にするセンスというか脳ミソの中身というか。10式戦車を鳩山戦車と呼ぶような感じなので

で、ここにあるのはチャーチル・クロコダイルという戦車に火炎放射器を積んだ「汚物は消毒だー!」を地で行く戦車です。火炎放射器は主砲ではなくその脇の機銃のようなものです。元々機銃があったところを火炎放射器に交換したんですな。
戦車本体の他に火炎放射に使う燃料を積んだ燃料車を別に連結して運用します。主砲はそのままなので戦車としても運用できるんだそうで。
火炎放射戦車なんて珍しいんやろなぁと思ったんですが、世界に現存しているチャーチルのうちだいたい3分の1はクロコダイルだそうなので、まあ普通か・・・ということで。
でも恐らく現存唯一のMk Iがトロント近郊のボーデン基地博物館に保存されてるんで見に行くといいかもしれませんよ。何か他にも面白そうな戦車があるからいつになるか分からない次回の襲撃リストに入れておこう。

ここの説明板、保存車の経歴が書かれていないのでどういう戦車だったのかはよく分かりんせん。他の車両も含めカナダ陸軍が使っていた戦車だとは思うんですが。
あと説明板曰くこれはMk VIIIだそうですが、主砲形状からしてMk VIIの誤植なんじゃないかな?と思います。他の戦車の解説も何だかいい加減な印象があったので注意が必要です。



次はこれ、「センチュリオンMk 3 Centurion Mk 3」。これもガルパンに出てきたな。
イギリスの戦車って弱いし影薄くね?と陰口を叩かれたイギリス人、マジになって戦車を開発したら、悪いもんでも食べたのかなんだかいい感じのものが出来たぞ!って感じの戦車。たぶん間違った認識です。でも実際強い。
これのエンジン「ミーティア」はイギリス空軍の戦闘機スピットファイア用のエンジン「マーリン」を戦車用に設計し直したものだったり紅茶用の湯沸かし器を標準装備してたり、イギリスっぽさも残っとるやんという感じもします。
Mk 3は94mm(20pdr)砲を搭載した型式です。
これ第二次世界大戦時に設計された戦車?と疑うほどスマートで、好きな戦車の部類に入りますね。



おまたせいつもの、戦車博物館の常連「M4A2E8シャーマン Sherman」。
日本ですらその姿を見られる程だいたいどこにでもいるシャーマン、ここに保存されているのはM4A2E8という型式。M4A3E8「イージーエイト」じゃないぞ。
これの説明板、デカデカとM4A3E8って書かれてたんで最初はそう思ったんですが(実際外観はそんな感じに見える)、説明を読んでいくとどうもM4A2E8っぽいなぁ、と。いい加減な説明板だと困りますね・・・。

で、そもM4A2とは、トラック用ディーゼルエンジンを搭載した車両のことです。ガソリンエンジン主流の当時の戦車において現用戦車の標準であるディーゼルエンジンを搭載したのはさすがアメリカは先見性があるね、ということではなく、単に従来搭載していた航空機用星型エンジンが底をつきそうだったからディーゼルエンジンで代用しただけというオチなのでした。
エンジンは2基並列で搭載されていたため冗長性が高く足も速かったものの、使用燃料をガソリンで統一したいアメリカ陸軍はこれを嫌いました。戦車車種の増加による前線の運用の混乱を嫌ったがために、新型戦車を投入せずシャーマンを使い続けた陸軍ですからまあ残当。
でもって、従来から軽油も使っていたアメリカ海兵隊が使用した以外はソ連などの他国へ丸投げレンドリースされましたとさ。
で、その中でもM4A2E8はM4A2系列の後期型です。そのほとんど全てをソ連にレンドリースしてしまったそうな。じゃあなんでカナダにいるんだって話になるんですが、大戦後にアメリカから購入したという風に説明されています。たぶん大戦終結でソ連にくれてやるつもりが余ってしまったんでしょうかね?



お初にお目にかかる「クーガー装甲戦闘車 Cougar AFV」。なんだかカエルみたいな。
1976年に就役した6輪駆動の汎用装甲車"Armoured Veghicle General Purpose; AVGP"のひとつです。このAVGPを型として3種類のAFV、クーガー、グリズリー、ハスキーが開発されました。同じ車体で複数車種を開発することで開発費用を抑えるとかそんな目的なんだと思います。車体はスイスのピラーニャを元にしています。
イギリスの偵察戦闘車FV101スコーピオンと同等のL23A1 76mm砲を搭載しているのが特徴で、陸自の機動戦闘車と同類な感じです。偵察や火力支援の他に戦車の教習車にも使われていました。
195台が製造され、常設・予備機甲部隊に配備されました。1990年代に信頼性、耐久性、共用性向上のために延命工事が施工されました。2005年から退役が始まり現在はグリズリーを残して退役しています。ただし、払い下げ車両がカナダ国内や国外で現在も運用されているらしいです。



「リンクス装甲偵察車 Lynx Armoured Reconnaissance Vehicle」。
1966~1993年に軽機甲連隊に就役していたカナダの偵察車です。アメリカのM113系列のひとつです。
カナダはフェレット偵察車の更新用に174台を導入し、国内の部隊の他にドイツに展開していた4個旅団にも配備していました。たぶん今後も何度か出てくると思うんですけど、カナダ軍って陸軍と空軍を西ドイツに展開していた時期があったんです。たぶんNATO軍の一員として派兵していたんだと思います。
強固、高速、機敏、大陸横断性能、M113よりも軽量という性能を持っていて偵察や空輸に優れていたとされています。
兵装は50口径M2ブローニング機関銃とブローニング7.62mm1919機関銃を装備した他に運転、偵察、兵装用の夜間暗視装置、通信用のデュアルラジオなど。
コヨーテ偵察車に置き換えられて1993年までに退役しています。



カナダ空軍の戦闘機CF-5。CF-116とも言うらしいが116って数字はどっから出てきたんだと。
で、このようにエンジンの排気口から串刺しにされています。こういうダイナミック展示、こっちだとたまにありますね・・・。日本から見ると贅沢な使い方するなと思います。
塗装は冷戦前期のイギリスっぽい迷彩塗装がされています。が、ラウンデルやコーションマークなんかは無しですので資料性はちょっと劣るかな?ただ地上展示では見れない角度から見れるので、印象把握には持って来いだと思います。エリアルール対策がされたくびれた胴体とか主翼前縁付け根のLERXとかよくわかります。
F-5はまたの機会に見ることになるので今回は簡単に済ませます。

空軍の実機展示はこのCF-5だけと陸海軍と比べると寂しいものでした。ただ、執筆時現在ではF-86、CF-104、CF-18が公開されているらしいです(見学して少し後の2015年9月から公開し始めたようで・・・)。
F-86とCF-104はともかくCF-18は100 years of flight特別塗装機が保存されているので一見の価値ありかと。画像検索すれば分かりますが、お前ら戦争する気あるのか!?と思うほどハデハデですぞ。
他にも航空博物館がカルガリー空港の近くにあるので、空軍力が欲しい人はそっちに行けばいいのです。なお私は行かずじまいです。



野砲も展示してあります。これはまた後で。
丘の上に展示してあるので何だかそれっぽい雰囲気が出ている上に方の向いている先はハイウェイが走っていて、なんだかおっかない感じです。



犬釘を打つおじさんの銅像です。
犬釘ってレールの内側に立って打つもんだと思うんですが、まあこの場面はどう見ても式典だし、多少はね。



味方を誘導する兵士の銅像です。時代は朝鮮戦争辺りなんじゃないかな?(適当



館内に入ってみましょう。
玄関広間には写真を使った絵が飾られています。描かれているのは陸海空の兵士ですな。その上にはエリザベス女王の肖像画もありますね。



戦争博物館ということで文字の展示も豊富です。それの演出用に実車展示も併せて行うのも贅沢ですね。
1944年式のT-16汎用輸送車。ユニバーサルキャリアとも言います。
イギリスが開発した兵員輸送用の装軌輸送車で、T-16はフォードが生産したもの。フォードのことだからバカスカ造ったんやろなぁ。



「そこの歩道に伸びてるやつは何なんだ?」
「ここに住んでる」
マネキンもいるぞ。撮らずにはいられない。



移民してきた日系人部隊の展示。第十大隊日経義勇兵はカルガリーを拠点にしていた大隊で、第一次世界大戦ではフランスへ遠征に行ったそうな。現地での活躍はよく分からんです。パネルの写真を撮ってなかったの。
でも展示があるってことは活躍したんでしょうなぁ。



大層残念そうな顔をしているマネキン。どんな場面だったかな、これ・・・(忘れた



つよいインディアンのマネキン。インディアンも今や機関銃で武装する時代なのだ。槍など古い古い。

こんな感じで今日はここまで。


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北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その42 【2015/07/08~18】

2016-10-10 22:07:25 | 海外旅行記

2015年7月17日(金)10時52分
ブリティッシュコロンビア州クートニー国立公園 マーブル渓谷

マーブル渓谷の続きです。
遠くにそびえている山を見てみると、てっぺんまで緑がほとんど無く、全て焼けてしまったことがわかります。これほど「生」を感じない景色は初めてですね。



とはいえ、その地面では次の生命が着実に息吹いているのです。燃えカスは新しく芽生える植物やそれを食べる動物の栄養源となるのです。
前も書きましたが、カナダでは山火事も自然サイクルのひとつと考え山火事を基本的に手を出しません。人間による消火作業では焼け石どころか焼け山に水だから手を出すだけ無駄、という面もたぶんあるんでしょうけど。



渓谷はこういうふうになっています。山火事より以前はうっそうと茂る森の中を歩く感じだったのでしょうけど、今ではとても開放的な景色が広がります。



渓谷を見ながら奥へと進みます。右側なんてボッコボコに削れてますね、これ。



たぶん山火事で燃えた松ぼっくり。山火事を生き残り、12年目にして芽が生えた・・・のか?



シマリス(9匹目)。もう望遠レンズに変えるのも面倒になっていますね。






花。



奥に行くに連れて底が深くなってる気がしないでもない。
とてつもない期間、侵食を受け続けていたような感じです。かつては水の流れがどうだったのかを想像するのも楽しいです。



一番奥まで来ました。渓谷を抜けるとそこは普通の小川でした。水流は結構速いです。



上流を見ます。
繰り返しになりますが、全てを焼き尽くす炎とそれに屈することなく成長を続ける木々には畏敬の念すら覚えます。本当すごい光景だなぁと思います。



小川の流れは滝となって渓谷の底まで流れ落ちます。今回見てきた他の侵食系瀑布では一番の迫力でした。






シマリス(10匹目)。動物も戻ってきているということは生態系が復活しているということなんでしょうね。



瀑布のところから引き返して駐車場に戻ります。
これでマーブル渓谷はおわりです。何と言っても山火事の跡をまじまじと見せつけられた衝撃はとても強いものがあります。こんな光景が毎年カナダのどこかで発生しているのかと。また、動植物もそれに負けることなく自らの生態系を取り戻そうとする姿は逞しいです。
カナディアンロッキーの自然を今日まで何箇所も見てきましたが、一番記憶に鮮明に残っているのは最後の最後に訪ねたここです。
カナディアンロッキーの主要観光コースからは外れたところですが、ここは是非行ってほしいと思います。

これでついにカナディアンロッキーとはお別れ。
山、森林、湖、氷河、色々な表情を見ましたがどれも迫力がありまさに大陸級と言うべきものでした。めぼしいところは今回でおおよそ抑えましたが、まだまだ絶景はたくさんあるのでまた機会を見つけて行ってみたいと思える場所でした。町は綺麗だし食事も美味しいしね。
さて、後ろ髪を引かれながらも最後の街カルガリーへと車を走らせます。


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北米project 3 ~Encouragement of Canadian Rockies. その41 【2015/07/08~18】

2016-10-09 23:46:00 | 海外旅行記

2015年7月17日(金)6時51分
アルバータ州バンフ バンクヘッド

ついに10日目です。
昨夜エルクの群れを見た興奮が冷めやまないので、朝早くに同じところに行ってもう一度動物を見ようと思いました。
エルクの群れのいた草地には誰もおらずがっかりしたところでさらに車を走らせると、エルクが1匹だけ歩いていました。
他には何も見かけなかったので、「シカでした」って感じでほぼ肩透かしでした。



あとは町の南側にも出ると聞いたのでそこにも行きましたが、飼い馬がいただけでやはりスカでした。



B&Bをチェックアウトしてまた出かけます。今日でカナディアンロッキーとはお別れで、そこからはアルバータ州最大の都市カルガリーへ向かいます。
その前にバンフの名所のひとつ、「ボウ滝 Bow Falls」へ。
滝そのものは、今まで見てきた他の大自然に比べると大したことはないです。が、バンフの町中にあることと、マリリン・モンロー主演の映画「帰らざる河」のロケ地だったことから、意外と観光客は訪ねてくるらしいです。
アニメの聖地巡礼と似たような部分はありますね。たぶんもう聖地巡礼目当てでここを訪ねる人はいないんでしょうけど、今でも語り草になっているのはすごいですね。大洗のガルパンもこんな感じに語り継がれるのかもしれない・・・。
これを見たらバンフとはお別れ。



カルガリーへ向かうのですが、その前に最後にもう1箇所観光地に寄っていきます。
バンフから西へ、つまりカルガリーとは逆方向へ道のりにして約50km先にあるクートニー国立公園内にある「マーブル渓谷 Marble Canyon」へ来ました。



ここやで。
トランスカナダハイウェイから93号線に分岐し、州境を越えてBC州へ来ました。



ここは深く鋭く切れ込んだ渓谷が見どころなのです。ここを訪れる前はそういう触れ込みでした。
谷間ができる仕組みは写真の通りです。そこに氷河の雪解け水が流れ込み川を作ることで谷間を侵食し、より深い渓谷を形成するのです。



駐車場から渓谷まではちと歩きます。
・・・・・・。



・・・・・・、なんだこの景色。今までとは明らかに異なる風景です。
背の高い木は皆枯れたように枝葉が無くなり幹だけで、その間に背の低いまだ若い木々が生えています。しかもその若木はどれも揃い揃って同じ高さです。
似たような光景は前にも見ましたよね、これ山火事です。2003年の夏にここ一帯で大規模な山火事が起こったのです。この枯れたような木々は山火事の時の燃えカスなのです。
この山火事の跡がマーブル渓谷もうひとつの見どころです。私としてはこちらこそがここ最大の魅力だと思います。



2003年7月のある日に、落雷による山火事が5箇所で発生。うち3箇所はすぐに鎮火しましたが、残り2箇所はその後も延焼しました。
その山火事はなんと40日間も続き、山火事が燃やした面積は170平方km!
山梨県上野原市を1回、千葉県船橋市を2回、神奈川県座間市を100回、コミケ会場(東西展示棟)を2125回、東京ドームを3636回分燃やせます。やばい。
ここらへんでこの規模の山火事はだいたい200~300年ごとに発生しているんだそうな。



川が見えてきました。トクム川 Tokumm Creekと言うんだそうな。
すでにかなりの谷間ですが、こんなのまだまだ序の口でした。



渓谷にはところどころ橋が架かっていて、谷間の底をのぞけます。
川の流れ、見えます?そのくらい深いんですよ。



ズームしてみる。これは死ぬ。



今回はここまで。


その42へ→

久々のJR浜松工場見学 後編 【2016/07/23】

2016-10-05 22:09:56 | 鉄道撮影記

新幹線の車体吊り上げ実演を見た後は、他の展示物を見て回ります。
まずは工場の入換機L9。どこ製だか知りませんが、北陸重機製だというウワサです。
新幹線の入換をするので連結器はそれ用の密着連結器です。かなり出っ張った位置にあるのが特徴。



こっちは新幹線の線路の保線車両。青と黄色の塗装はJR東海の保線車両では統一されたものです。
これはバラスト整理車のKVP-S形という車両。形式名の文字はKehren(掃く)、Verdichten(締め固める)、Planieren(整地する)、Stabilizieren(安定化する)の頭文字になっています。
マルタイことマルチプルタイタンパーと一緒になって作業します。マルタイの作業後に散らかった道床を掃除して整えるという役割を担っています。



そしてこれがマルチプルタイタンパー。保線車両の代表格のひとつといえます。
新幹線が走ることで生じる線路の歪みを直す車両です。レールを持ち上げてそしたら道床のバラストに爪を突き刺して振動させます。それによりバラストが敷き詰められてレールをしっかりと支えることが出来るというわけです。



SW形延線車。
新幹線の電気を供給している架線のトロリ線を張り替えるための車両です。トロリ線を延ばす、巻く、引っ張る、積み込むといったことができるのです。
これと組んで動くだろう作業車と装柱車が連結されているんですがこれらは省略。



衛星通信車。
新幹線で災害が起きた時に現地で情報収集し、その内容を東京の指令所へ送るための自動車です。パトカーや消防車と同じ緊急車両という扱いのようで、サイレンを鳴らせば優先して道路を走行できるのだそうな。



ボディ側面が新幹線の帯と同じなのが面白いです。



おなじみ923形ドクターイエロー。



話題のパワーワード、無人新幹線爆弾。この時はまだシン・ゴジラ公開前であったわけだけど。



治具に車体を乗っけているN700系。クレーンで運ばれてきたんだろうなぁ。
とまあこんな感じで浜松工場の見学はおしまい。ぼちぼち帰ります。



帰りもシャトルバス。遠鉄バス以外にも「浜松バス」という観光バスも動員されています。これは三菱ふそうエアロバスですな。



日野セレガHDに乗りました。観光バス車なのでアタリですね。



浜松駅に戻ってきた後は、もう一回遠鉄に乗って全線を往復してきます。ZBSが駅メモというゲームのために乗ったようなもんなので、駅メモやってない身からすれば特に面白くもなかったのでほとんど寝ていました。

その後は浜松で夕飯を食べて磐田のぞーなハウスに一泊させてもらいました。
というわけで翌日へ続く。


翌日へ→

久々のJR浜松工場見学 前編 【2016/07/23】

2016-10-02 22:40:35 | 鉄道撮影記
2016年7月の話です。
毎年この時期になると浜松にあるJR東海の新幹線のための工場「浜松工場」が一般公開されます。もろに子供をターゲットにした催しなので今となっては近づきづらいのですが、今年は少し事情が違います。
この公開の目玉は、新幹線を車両検査する際に使う車体吊り上げ用のクレーンの実演で、「空飛ぶ新幹線」として知られています(空飛ぶという表現はちょっと違う気もするが)。ところがこれが今年限りで運用を終えてしまうのです。新工場の建て替えが数年前から進んでいて、その新しい方にはこの方式は受け継がれないようです。

でまあ、最後にもう一回見ておきたいね、ということになって行くことにしました。
道連れに大船在住ZeBonくんと磐田在住ぞーなさんを召喚して出発です。



午前10時頃、新浜松駅。
浜松に行く前に遠州鉄道のモハ30形が走っていないかな?と調べたところ、ちょうど走っていました。普段は波動用か予備用でめったなことでは走らないそうですが、この時期は夏休みということで特別に運用を予め決めた上で走るのです。
これにも乗っておきたいね、ということでまずは遠鉄を攻めます。最初に浜松工場に行くと戻ってくる頃にはもうモハ30形が運用を終えている可能性があることと、開場したてのメチャ混みな浜松工場は避けたいからというところです。
とりあえず1000形に乗って西鹿島の方へ。



終点の西鹿島駅からモハ30形に乗るつもりでいたんですが、電車に乗るのが遅かったのでそれだと間に合わず、途中の西ケ崎駅で折り返すことにしました。
ここには昔の電気機関車ED28形なんかがいるのでそれを見ながら待ちます。



モハ30形が来ました。ED28形とモーターカーを添えて撮影。
右側のホームに入ってくれると構図が良かったんですが、左側に入ったのでちょっと無理矢理感が・・・。



これで新浜松駅まで戻ります。
吊り掛け駆動モーターという古いモーターを載せているのがモハ30形最大のウリなのでモーター車に乗ります。
吊り掛け電車は今や数えるくらいしかいないですから、これを積んでいるというのは結構なステータスなのです。今にも分解しそうなやかましい音が特徴なのです。



新浜松駅では隣の線路に留置されているモハ30形との並びが撮れました。両者ともにモハ30形ですが、見た目も中身も別物です。



こんな風に軽い撮影会状態になっていました。



この後は浜松工場へ向かいます。工場まではシャトルバスに乗ります。
バスは主に遠鉄バスが運行しています。エアロスターからポンチョまで手の空いている車はとにかく動員するスタイルでした。しかしポンチョはどうなんだ・・・。
これは三菱ふそうエアロスターM。古いバスですが遠鉄バスにはまだ一定数がいる・・・ような気がします。



かと思ったら最新型のエアロスターも来ました。MP38顔のMP35、いわゆる新MP35系です。MP38系はノンステップ車ですが新MP35系はワンステップ車なのです。ワンステ車の方が窓の下辺が高い位置にあるので見分けやすいと思います。
MP38顔をまともに見たのは初めてでしたからこれはちょっと嬉しかったですね。

で、我々はその後来たエルガかブルーリボンに乗って工場へ。



はい着きました。
トラバーサがお出迎え。新工場建設の際に設置されたもの・・・のはず。



工場の中を進んでいきます。古い棟(戦争の時の米軍機の機銃掃射跡が云々という話を聞くのでだいぶ昔の建物)なので、こっちはそのうち取り壊されるんだと思います。
もうすぐ吊り上げ実演が始まるのでまずはそこへ向かいます。



たどり着きました。人混みはまあまあ。やはり人が減るだろうお昼時を狙ったのが良かったと思います。
車体吊り上げは人の背よりも高いところで行われるので、別に最前列に陣取らなくても不自由なく見られるというのがいいですよね。



奥にいるN700系が吊り上げられてすぐ手前までやってきます。迫ってくる部分は動画撮影したのでここでは無し。
タブレットで撮影している人がいるのが現代だって感じがしてそれもまた良し。



今度は奥へと戻っていきます。こちらは静止画撮影です。
JRはこの状態を「空飛ぶ新幹線」と呼んでいますがそれだと何かジェットエンジンと翼を付けてビュンと飛行しているイメージで、「宙を舞う新幹線」くらいが適当だと思います。もう吊り上げられることはないので、もはや議論しても仕方のないことなんですが・・・。



メインイベントは消化したので他の展示を見て回ります。
今日はここまで。


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