黒鉄重工

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東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その8【2018/6/9~10】

2022-06-03 17:54:00 | 鉄道撮影記
第14走者:近江鉄道八日市線八日市行(700系)新八日市8:58→八日市9:00
八日市行の電車が来たので、これに乗って新八日市駅を後にします。
来たのは、まさかの700系「あかね号」でした。1998(平成10)年に近江鉄道創立100周年を記念して西武401系を改造して2両編成1組を作り上げたワンオフの電車です。西武401系は、さっき見たばかりの820系と同じ車種です。820系は401系の原型をよく留めているので、あれがこれになったと思ってくれて良いです。
初めてお目にかかりましたが、これが音に聞こえた近江鉄道の名作品。わずかひと駅600mだけですが味わいました。


八日市駅に到着。ここからは本線に乗り換えます。乗り換え待ちが10分くらいあるのでそれまで700系を観察。
単純な形状ながらも流線型の前面を新たに付けているところが素晴らしいです。側窓も原型が扉間に4枚と戸袋窓2枚あったところを、一体感のある3枚の連続窓風固定窓に改造されています。特に戸袋部は手の込んだ改造をしています。
並の地方私鉄だったらイベント用車両として運用されるでしょうが、700系は他の一般車と混じって普通に走ることが多いそうな。


座席も気合が入っていて、転換クロスシートが奢られています。これで並行するJR西日本にも負けません。噂では、同時期にアコモ改善工事が施工されていたJR東日本185系の座席交換時に廃棄されたものを流用しているとか・・・。
そんな700系でしたが、2019(令和元)年5月に老朽化で廃車になりました。800系/820系など他の西武401系を起源とする電車は多数現役な中での引退でした。大改造が祟ったのかも・・・しれません。


留置線に止まっている800系。近江鉄道の主力車両です。


本線下り貴生川行の100形。これは西武新101系の中古です。中古車導入にあたって改造されていますが内容は必要なところだけやった感じで、例えば前面は西武時代のままで、近江鉄道独特の改造はされていません。
ただしこの編成は、中間電動車に先頭車の前部構体を移植して先頭車化改造されています。通常だと乗務員扉と戸袋窓の間に側窓が1枚あるんですが、それが無いのが見分けるポイントです。


第15走者:近江鉄道本線彦根行(800系)八日市9:13→高宮9:38
本線の上り列車が来ましたので、乗り換えます。


高宮駅に到着。ここで列車を降りて、多賀線に乗り換えます。
構内踏切、中線、低いホーム。近江鉄道は創立が古いだけあって、いまやJR線でもあまり見なくなった構内施設が見られるのがたまらないですね。


広めの構内。線路から生えている草は鉄道草かしら。
高宮駅は「た↑か→みや↓」という発音の車内放送をしていたのがやけに印象に残っています。地元ではそういう発音をするんでしょうかね。


年月を経て積み上がっていったプラットホームの地層が好きです。長い歴史を感じるのですね。構内踏切の周りだけ高さが低いのも良いです。


高宮駅は本線と多賀線の分岐駅です。多賀線への分岐は駅構内から始まっていて、多賀線の乗り場は急曲線を描いている途中にあります。こういう分岐ホームが大好物なのは四日市あすなろう鉄道でも述べましたが、2日連続で出会えるとは眼福でありますな。


この3番乗り場は特に急曲線で、かつては20m級車両は車体の端をホームに擦ってしまうのでここに入ることが出来ませんでした。20m級電車であるところの800系/820系では、車体裾の四隅を削り取って干渉を避けたほか、プラットホームも曲線を緩和する工事をして乗り入れできるようにしたそうです。
ホームを削ったというより継ぎ足して曲線を緩和したように思えます。継ぎ足した関係でホームの端と雨よけの屋根の位置関係がずれてしまっていますが、直す気はないみたいです。


いいですね~。いいですよ~。


分岐器を見てみると、分岐した直後に折れるように曲率が変わっています。緩和工事の影響でしょうかね。


高宮駅には広い留置線が広がっています。昔は貨物列車の操車場として賑わっていたと思われます。
今は買い取ってきた中古の電車の保管場所になっています。この時は西武鉄道から買ってきた大量の3000系6両編成2本が留め置かれていました。


多賀線の列車は本線下り列車と接続するので、それが到着するところを撮影しておきます。


やってきたのは100形でした。しかも鉄道むすめのヘッドマーク付き!今日は朝から撮れ高が良いです。


ヘッドマークには、近江鉄道の豊郷あかねと伊豆箱根鉄道の修善寺まきのの2人がいました。この取り合わせは、西武グループ繋がり・・・?


第16走者:近江鉄道多賀線多賀大社前行(800系)高宮9:48→多賀大社前9:54
高宮駅を発車です。留置中の3000系の端が見えました。植物の一部になりかけている・・・。
この3000系は結局2020(令和2)年に改造の上300形として営業運転に入りました。6両編成のうち中間電動車2両を先頭車化改造しました。運転台を提供した制御車ともう2両の中間電動車は、使える部品を剥ぎ取られた後解体されたそうな。6両編成の電車から2両編成の電車を錬成するというある意味大胆な手法なのでした。


スクリーン駅。スクリーンという会社が目の前にあるからスクリーン駅。
企業名が入った駅は数あれど、そのほとんどは「XX前」。ど直球に企業名だけ入れているのは珍しいです。スクリーンというのも一般名詞めいた単語なので、この駅の背景を知らないとなんのこっちゃねんという気もします。


多賀大社前駅に着きました。
多賀線に乗ったのは近江鉄道線の未乗区間がここだけだったから、この機会にすべて乗りつぶしたかったからです。よって、これにて近江鉄道は完乗したこととなります。


改札口です。こういう舟のある改札口もましてや現役のものとなると最近では珍しいです。
土休日は無人駅ですが、隣には観光協会の事務所とこの地域のコミュニティハウスが入っています。


駅舎。参詣路線の神社最寄り駅の常として、神社本堂っぽい建屋に見えます。
僅かばかりですが列車の折り返しまで時間があるので、せっかく来たんですから多賀大社にお参りしてこようと思います。

というところで今日はここまで。


その9へ→




東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その7【2018/6/9~10】

2022-05-27 12:31:00 | 鉄道撮影記
2018年6月10日。
滋賀県東近江市の旅館「はざま」で迎えた日曜日の朝です。食堂で朝ごはんを食べます。一般的でいかにもな朝食でした。こういうのがいいんだ。


旅館を後にして近江鉄道の駅へ向かいます。


昨夜歩いてきた道とは別方向を歩きます。八日市駅へは歩いていないのです。
この道路は昔から形を変えず残っているんだろうなという趣き。


滋賀県名物の飛び出し坊や。かわいそうなことに両腕をはねられていました・・・。身代わりになってくれたんだろうか。


近江鉄道の踏切を渡るときに線路を見てみると駅が見えました。ひとまずはあそこが目的地です。緑化軌道化が進んでますな。



ここも良い生活道路だ。飛び出し坊やがいるので一発でここが滋賀県と分かりますね。



はい、着きました。近江鉄道八日市線の「新八日市駅」です。
駅前は意外と広いのね。家屋もあるし。


新八日市駅は、昨日降りた八日市駅から600mほどしか離れていない位置にある駅です。主要駅八日市駅のすぐ隣にありますが、あんまり賑わってはいないようです。
新八日市駅と言ったら何と言ってもこの駅舎です。木造2階建ての堂々とした姿!この駅舎は1912(明治45)年設立の「湖南鉄道」の本社機能を有していたので、このような大きい建物となっております。
今は近江鉄道八日市線(万葉あかね線)になっているこの路線は歴史を辿ると湖南鉄道が1913(大正2)年に新八幡駅(現・近江八幡駅)からここまで開業させた路線でした。当時は八日市口駅という名前で(1919年に現駅名に改称)、ここと八日市駅の線路は今のように繋がっていませんでした。(後に開通した飛行場駅については割愛)
湖南鉄道はなんやかんやあって1944(昭和19)年に近江鉄道に吸収されて路線も八日市線となりました。1946(昭和21)年には新八日市駅と八日市駅をつなぐ線路が開通して本線と一体化しました。


この駅舎は1922(大正11)年築です。訪問当時でも築96年、執筆している今はちょうど築100年です。
建物は洋風というか、木造校舎の小さいやつみたいな雰囲気です。正面だけはうぐいす色に塗られているのが独特でおしゃれです。
よくも残っているものだと感心しますが、どちらかというと半ば放置されているようにも見え、いつ解体が決定されても不思議じゃないと思いました。
似たような築年数が極めて高い駅が同じ近江鉄道の日野駅にあります。これも築100年経った大変古い駅舎でしたが、地元の熱意でもって耐震補強と改修工事を行って現役でやっています。新八日市駅駅舎の行く末も恐らくは地元の意向次第で決まるでしょう。


広い駅前からも普通の途中駅じゃないというのが伺えるものです。


何かの商店だった建物かな?鉄道模型のストラクチャーのお手本になりそうな形です。


年季の入った駅名板。


室内も広いです。八日市の玄関口として賑わってた頃が想像されます。
写真右に写っている駅周辺地図が貼ってある壁は、その壁の向こうに特等の待合室のような小部屋があります。うまい具合に板で覆われていてこの時は気づきませんでしたが・・・。


平日の朝夕だけですが駅員のいる時間があるので、改札窓口は今も使われています。駅員が立っているということは平日の朝夕はそこそこ利用者がいるということね。


改札口。いいぞ~(語彙力のなさ)


改札口からプラットホームの間にある数段の階段は戦前の駅舎の特徴的な構造のひとつです(無い駅ももちろんあるが)。これを見ると古い駅だな~と感じるわけです。
ひし形に敷かれたタイルもこの時期特有というか、現代では見ない敷き方なんですよね。


別角度から。うむ、たまらんな。


ホームから改札口。


事務室。駅員が出入りする扉だけアルミ化されていますがそれ以外は当時物か?こちら側もうぐいす色で塗られているんですね。


良い腰掛けですな。


この脚のさりげない装飾が良いのだ。本社が直結している駅だったからか、今はくたびれていても当時は地元の顔のような駅だったのではないかと。


駅舎の妻面(?)はうぐいす色に塗られていなかったのかな?
黄色いトタンの小屋は便所です。一応あるよ、という程度で、あんまり使いたいとは思わなかったかな・・・。


近江八幡行の列車が来たので、駅撮りで撮影します。
元西武401系の820系です。昔は、103系に似た顔をした電車と思っていましたが、最近だとJR西日本岡山支社の115系の方が近いな、と考え直すようになりました。


駅舎と820系。


下りホームから見た駅舎。
プラットホームを見るに、何度もホーム高さを嵩上げしたような形跡は見られないです。


駅の横に置いてあるワムハチを発見。だからどうしたというあれですが。
ちなみにワムハチがいる辺りは昔は貨車の操車場だったそうな。駅舎と反対側にある近江八幡方面のホームも操車場が無くなった跡に建てられたものです。なので、駅舎はすごい立派だったけど旅客のプラットホームは1面1線しかなかったということに。貨物輸送主体だったんでしょうかねぇ。

というところで今日はここまで。


その8へ→


【1/100】V08-1228グリムゲルデ【ギャラリー】

2022-05-23 22:19:26 | 模型ギャラリー
キット:1/100グリムゲルデ(バンダイ)
製作記はありません

「機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ」より、グリムゲルデのプラモデルを作りました。劇中では赤い装甲で活躍していましたが、メタリックブルーに色を変えて作りました。マクギリスの色に寄せたというのとアクリジョンのメタリックブルーを消化したかったという2つの思惑があります。
色変えをした以外に目立った工作はしていません。よくできたガンプラです。


細身の甲冑のような姿をしていて、人型ロボット全体を見た中でも好みのスタイリングです。





エイハブリアクターは、弊ブログおなじみのカッパー塗装。胴体、腕、脚にある動力管はゴールドで塗装してアクセントにしています。インプのゴールドホイールから着想しました。


ザクマシンガンみたいなライフルもおしゃれ。


飛行機の余ったデカールの中に甲冑のようなマークがありましたので、流用しました。パーソナルマークや機体番号があるとそれっぽく見えますよね。


下半身。











以上、グリムゲルデでした。



 

【ノンスケール】メカゴジラ3式機龍【ギャラリー】

2022-05-20 06:16:04 | 模型ギャラリー
キット:ACKS GO-01 ゴジラ×メカゴジラ MFS-3 3式機龍(アオシマ)
製作記はありません

映画「ゴジラ×メカゴジラ」に登場する3式機龍を作りました。今更ですがギャラリーに加えておくことにします。


ガンメタの骨格に銀の装甲なのはかっこよくていいですね。


正面。


側面。


背面。


銀の塗装は、黒を下地で塗った後に銀で立ち上げていく方法を取りました。銀は2色使いましたが、よく見ないとわからないくらいの違いだったので狙い通りとは行きませんでした。銀の質感を出すためにあえて仕上げのトップコート処理はしていません。
骨格のガンメタには、クレオスのグラファイトブラックを使いました。これがいい色で、自分の想像に合致するものでした。骨格部品の一部(首、腰、尻尾)にはTPEの軟質素材が使われていますが、それにもサフ吹きした上でグラファイトブラックを塗装しました。軟質部品をやたら動かして塗膜にヒビを入れないよう慎重に扱う必要がありました。








アブソリュート・ゼロを開いた状態。


しっぽの組み立ては修行でした。


太ましい脚。


重武装型バックパックを背負った姿。


後ろ姿。





以上、3式機龍でした。


 

北米project 5 ~How do you like Canada? その16【2016/6/15~22】

2022-05-16 19:28:58 | 海外旅行記
カナダ軍用機歴史博物館の続きです。今回で最後です。
屋外展示を一通りみたところで格納庫内に戻りますが、その時目に入るのはアブロ・ランカスターです。うう、大きい・・・。
しかしあれだ、機体下面が黒いおかげで写真で撮ると黒で潰れてしまうがな。


この角度から撮るといい感じ。なにより機体からかっこよさがにじみ出てきているぞ。
四角い断面の胴体はランカスター特有のかっこよさですなあ。


爆弾倉とエンジンハッチが開いています。エンジンの方は、さっきぶん回していたのでそれを終えた後の確認をしているものだと思っていましたが、後で飛行前点検だったんじゃないかと気づきました。


ノーズアートも華やかに。爆弾の数は任務の回数を示していると思われ。大戦を生き延びただけあって任務をこなした数は多そうです。それか、機体の由来と全く関係ないマーキングかも。


イギリスの至宝、マーリンエンジンです。前も書きましたが、ランカスターはマーリンを4発使うわけで、このランカスターのマーリン4発を使えばスピットファイアが4機も動態復活できるのです。
厳密なこと言うと、同じマーリンでも爆撃機用と戦闘機用だとチューンの仕方が違っているそうなので、そう簡単な話でもないみたいですが。とにかく、エンジンを4発も必要とする大型爆撃機はひどく贅沢な飛行機だということです。


あちこち点検している博物館のボランティアたち。人間がいると爆撃機の大きさも際立つものです。車輪は子供の背丈よりも高そうです。



館内に戻りました。ここまで見物ばかりしていたので、休憩しながらお昼ごはんを食べます。なんと館内に食堂があるので、そこでお昼を食べられました。博物館の周りには何も無いところなので、これはありがたいです。食料的にもここは1日中楽しめる博物館です。
食べたのはフレンチフライとサンドイッチとジンジャエールという栄養が偏りそうなコンボ。美味しかったけど安い食事を頼むとこうなりがち。


博物館の2階に上がって、上から収蔵機体を見てみようというものです。こうやって見るとプラモデルのジオラマみたいで楽しいです。
CF-104の前には遠足できた子どもがボランティアの説明を受けているんだと思います。ここに遠足に来たら楽しいだろうなあ、いいなあ。


で、そういえばランカスターがいないなとおもったら倉庫の奥へ移動していました。いつのまに?どうやって?どうして?
答えはエンジンを回して自力で空港の誘導路まで移動したでした。ランカスターはこの後誘導路をさらに進んで左側の方へ見えなくなって消えていきました。
じゃあその後にすることといえば、滑走路から離陸する以外にないんじゃ・・・。ん、まじすか?あのランカスター飛ぶ気ですか?


見えなくなって少し経った後、急に左側から右奥へ進むランカスターが出てきました。エンジン音は聞こえてきませんでしたね。
で、浮いてます、あいつ。


うわぁー、本当に飛んでいる...。す、すごい。第二次世界大戦の4発爆撃機が飛んでいるところを初めて目撃した。あんな遠くからでも迫力が伝わってきます。


離陸した後、旋回して博物館の真上を通過していきました。すごい!これには思わずランカスターへ手を振りました。遠足の子どもたちも喜んでいます。まさか彼らのために飛ばしたわけじゃないでしょうが。


まさかこんな日にこの博物館を尋ねることができるとは思いも寄りませんでした。最高じゃないですか!
ランカスターはそのまま行ってしまいました。どこへ向かったんだろう・・・。


ランカスターの感動の余韻がまだビンビンに残っていますが、行ってしまったので地上に目を向けて収蔵機を見てみましょう。これはCF-5Aフリーダムファイター。


CF-104スターファイター。


ハーバードMk.IV。よく見たらこれはまだ見たこと無い個体でした。ハーバードの説明は省くとして、この個体は1952年にカナディアン・カー&ファウンドリーで製造された機体です。
T-6テキサン(ハーバード)は第二次世界大戦期に製造されたものがほとんどですが、カナダでは戦後も生産された時期がありました。
1950年代にソ連の台頭で冷戦が始まると、カナダ空軍はソ連の爆撃機の来襲を迎え撃つためのパイロットを育てる練習機を必要としたのです。そのためアメリカから中古のT-6Jを100機買ってきた他にカナディアン・カー&ファウンドリーに270機のハーバードMk.IVを発注したのです。この大量のハーバードが完全に引退したのは、1966年のことでした。


コーネルMk.IIです。これもさっき見たのとは別の個体ですな。この個体はフリート社がライセンス生産した機体で、ちょうどフリート製コーネルの1,000機目にあたる個体です。


DC-3です。またなんか動かしていました。


ミッチェルMk.IIIです。


C-47。


といったところで、カナダ軍用機歴史博物館からは撤収します。
長い歴史と高い経験に裏付けされた密度の高い実機展示が魅力的な博物館でした。多くの機体が飛行可能な動態保存状態であるのも特筆すべき点です。動態保存が静態保存よりも格上であるわけではないですけど、動く機械として維持されているのを見るとやはりわくわくするものなのです。
このように大規模だと定期的なエアショーをやっているはずで、またその機会を見つけて行ってみたいと思う博物館でした。また来ます。


博物館を後にしてバス停へ歩いていると、ランカスターが着陸していくところを目にしました。割りと短時間の飛行だったようです。試運転だったのかな?

というところで今日はここまで。


その17へ→

北米project 5 ~How do you like Canada? その15【2016/6/15~22】

2022-05-12 06:32:56 | 海外旅行記
カナダ軍用機歴史博物館の続きです。引き続き屋外展示を見ます。
これはカナディアCF-104スターファイター(1954年初飛行)です。悪夢のセンチュリーシリーズのうち、よく分からん戦闘機2種のうちのひとつ、ロッキードF-104をカナディアがライセンス生産したものです。カナダ空軍は200機の単座型と38機の複座型を採用しました。
カナダ空軍の運用したCF-104は、G型に相当する機種です。F-104Gにということです。つまり、CF-104は欧州に展開するカナダ空軍による核攻撃機として運用されとったわけです。
F-104は戦闘爆撃機には不向きな飛行機なものですから、西ドイツ軍同様多数の事故機を生み出してしまうのです。就役中に喪失したCF-104は110機にのぼり、実に半数近くが事故で失われたことになります。パイロットも37名殉職しており、ロッキードの開発者もこれでは天国に行けないでしょう。ただ、CF-104の前任のF-86よりも事故の発生件数と殉職者数は少ないからそれよりはマシだよ、という話も有りにけり。


CF-104は、本土の訓練部隊を除いて欧州に配備されていました。この個体もそうで、西ドイツに展開していた第439飛行隊セイバートゥースに配備されていた機体です。
虎柄の派手な機体は、NATO加盟国の合同演習「タイガーミート」に参加した時の塗装です。タイガーミートに因んで各国が工夫をこらした虎柄の特別塗装機で参加することが多々あります。これもその時の特別塗装というわけです。


全身を虎柄に塗る機体は珍しいです。大抵は垂直尾翼だけを虎柄にします。
全身虎柄はよく目立つので、プラモデルや完成品模型でもよく題材にされてます。この虎柄CF-104も過去にハセガワがプラモデルで発売していました(今は絶版)。


F-104の翼端にはチップタンクという増槽をつけた状態がデフォですが、この個体はチップタンクを外した状態です。せっかくなので少し見ておきましょう。
なんといってもこの薄い主翼です。こんなんで離陸できるんかいと思うんですけども、実はフラップはもちろん主翼前縁も折り曲がるようになっていて、見かけ上はそれなりに主翼に厚みを持たせることができるらしいです。


うしろ。


マクドネルCF-101Bブードゥー(1954年初飛行)です。
これもセンチュリーシリーズのひとつで、よく分からん戦闘機のうちのもう1種です。カナダ空軍、よりによって開発目的がよく分からん戦闘機を2機種すべて採用している稀有な空軍です。どうして・・・。
開発中止となってしまった国産迎撃機アブロカナダCF-105アローの穴埋めにアメリカから購入した戦闘機です。この頃だと新型の火器管制装置を積んだF-102がアメリカで就役しているはずなんですが、それを入れなかったのはF102に禁輸措置でも発動したのか、カナダのド田舎だと地上のレーダー網装置が無いので接続することが出来なかったのか・・・。


センチュリーシリーズの中では唯一の双発機です。
エンジン排気口の上から後ろに長く伸びた尾翼部なんてのは、後のF-4ファントムでも見られる形状です。マクドネルに戦闘機を作らせるとこうなるんだよという文法めいたものを感じます。
なお、迎え角を取るとそのまま機種上げが止まらなくなり、最悪エンジン停止という大欠陥を持っていました。水平安定板が悪かったのか、F-4では位置が変わっていますね。ちなみにその操作上の癖の解決方法は機首上げしないで真っ直ぐ飛ぶという、曲がりなりにも戦闘機に取らせる対策ではありませんでした。


細かいところの観察。脚庫でござい。


主翼はそんなに広くない印象です。
この時代のカナダ空軍機は、胴体の稲妻上のストライプがかっこいいんですよね。


機首は太め。ここらへんもなんとなくF-4っぽさを感じるところです。


CF-101Bの兵装は胴体の爆弾倉に搭載するんですが、蓋に半埋込式のような具合で搭載するようになっています。ミサイル2発を撃ち尽くすと、蓋が半回転して、裏側に仕込んであったもう2発のミサイルがコンニチワするという。他には見られない方式。省スペース化にはつながると思いますが、他にあまり利点がなかったんでしょうかね、以後には繋がりませんでした。
なおこれに写っている兵装はAIR-2ジニー核ロケット弾ですね。ひえー。誘導弾ではないのでロケット弾です。目標に対して多少狙いを外しても核爆発起こすんだからイチコロじゃよ、という雑な論理です。


反対側にはAIM-4ファルコンミサイルがいました。


ミサイル取付部はこういうようになっているよ。


操縦席はこんな感じだよ。


カナディアT-33ANシルバースター(1948年初飛行)です。御存知ジェット練習機の常連ロッキードT-33のライセンス生産版です。ということで機体説明は割愛。
カナディアで生産したT-33ANは、ジェットエンジンをアリソンJ-33に代えてロールスロイスのニーン10を搭載しました。これはJ-33よりも強力な出力を出すものでした。また、本家ロッキードではシューティングスターという名前で親しまれますが、カナダではシルバースターと呼んでいました。
この個体は、曲技飛行部隊「スノーバード」の支援機として運用されていた機体でした。白無垢の塗装が特徴であり、2022年現在はその仕様に復元されているようです。


ノールダイン・ノースマンMk.V(1935年初飛行)です。
カナダで開発された未開地用航空機「ブッシュプレーン」のひとつです。滑走路などが整備されていないカナダ北部の未開地でも運用できるよう頑丈な機体構造とされ、降着装置も車輪、水上用フロート、スキー板のどれかを選択可能で交換も容易な設計でした。
第二次世界大戦が始まってカナダ空軍やアメリカ陸軍から大量の発注が入ったことによって、最終的な生産数は900機程度になりました。中小メーカーのブッシュプレーンとしては成功した機数と言えるんじゃないでしょうか。
この個体は、1950年にカナディアン・カー&ファウンドリー社で製造されたもので、ブリティッシュコロンビア州の林業会社で働いていました。その後東部の会社に何社か転職して2015年に当館に寄贈されて現在に至ります。まだ寄贈されて日が経っていないです。これも当然のように飛行可能です。


博物館の敷地外というか空港の敷地内には、UPS航空のエアバスA300-600F (N154UP)が止まっていました。
前にも書きましたがこの博物館はハミルトン空港に隣接する形で立地しているので、博物館のすぐ隣は空港なのです。ハミルトン空港はトロント近郊にあり、トロント・ピアソン空港のセカンダリー空港としての役割があります。特にトロントにおける貨物機の一大拠点となっている模様。
UPSは、国際貨物会社ですね。FedExやDHLみたいなものです。UPSの機材もA300も、ここで目撃したのが初めてでしたので、実は収穫がある一幕なのでした。

というところで今日はここまで。


その16へ→


 
 
 

東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その6【2018/6/9~10】

2022-04-30 21:02:36 | 鉄道撮影記
第9走者:三岐鉄道北勢線西桑名行(270系)阿下喜15:34→西桑名16:27
北勢線を去ります。


終点西桑名駅で乗り換えます。これは桑名市のマンホール蓋。はまぐりですねぇ。


JR桑名駅に入って、そこから近鉄桑名駅に行きます。その途中には桑名駅名物のガバガバ自動改札機があります。こんなに突破の簡単な自動改札機もないでしょうが、天井の看板にもあるとおりこれはJRと近鉄の乗り換え改札口です。
なお、乗り鉄☆たびきっぷは、磁気切符ですし自動改札を通すことが出来ないので素通りします。


桑名駅から乗るのは、養老鉄道です。養老鉄道は近鉄から分離した路線で、桑名駅の乗り場は近鉄の構内にあります。しかし養老鉄道は近鉄とは線路の幅が異なるので、線路は物理的に分断されています。


第10走者:養老鉄道養老線大垣行(600系)桑名16:45→西大垣17:53
養老鉄道は初乗車です。養老鉄道の車両は近鉄時代から引き継いだ600系で占められています。
ですがそこは細かい区分をしている近鉄の電車なので、単に600系と括られていますがその中身は細かく分けることが出来ます。これは厳密には610系なのだそうな。
本当は、養老鉄道でも途中の駅で降りたり撮影したりして楽しもうと思っていたのですが、思いの外時間が推してしまったので今回は諦めました。またの機会とします。


途中の養老駅で列車交換です。反対方面からやってきたのは、600系のセンロク塗装車でした。この600系の改造前の姿だった名古屋線の1600系がこの塗装を纏っていたので、その復刻版なのです。翌年にこの塗装は消滅してしまったので、記録できて良かったです。
養老駅では下車する予定を立てていましたが、もう夕方なのでこれも断念です。とほほ。


西大垣駅で下車します。ここでも列車交換します。これは620系です。中間車の窓配置が不自然ですが、それにつっこんだ先は沼でしょうから、見なかったことにしておきます。


ここまで乗ってきた電車も後追いで撮影。


駅は中線もある大きめの規模ですね。あとは車両基地もあります。これが目当てで降りたんですが、あまり良く見えずこれはさほど収穫がありませんでした。


有人駅です。開放感があっていいですな。


西大垣駅舎どす。


次の列車を待つのも時間がかかるので、路線バスに乗って大垣駅へ行きます。


第11走者:名阪近鉄バス(日野・リエッセII)工業高口18:12→大垣駅前18:20
バスはすぐに来てくれましたが、乗ったのがこれ。リエッセIIです。リエッセと名乗っているけど、これはトヨタ・コースターでしょう。マイクロバスじゃん。うーんなんだか意外だ。


大垣駅で夕ご飯にします。あんまり選択肢がなかったですが、さっき桑名駅であのドムドムハンバーガーを見たのが印象に残っていたので、ロッテリアでハンバーガーにしました。



大垣駅からはJR線に復帰。これは豊橋行の313系300番台新快速ですがこれには乗りません。



美濃太田支線の313系3000番台。これにも乗りません。いまだ支線には乗れていないので乗りたいところなんですけどね。



第12走者:JR東海道本線新快速米原行(313系)大垣19:04→米原19:39
米原行の列車に乗って、東海道線を下りJR東海在来線の最西端へ行きます。


おう、新快速にボックスシートの3000番台が入る時があるのか。いつもは最高速度時速85kmの飯田線ばっか走っているだろうから、たまには時速120kmの高速運転をしないと足が鈍ってしまうのかも知れませんな。


米原駅に着きました。もう日没です。


さて米原駅は新幹線も止まる鉄道交通の要衝でありますが、駅前が賑やかかと聞かれるとそうでもないよ、と答える駅です。
というわけではないですが、ここからさらに移動を進めます。


第13走者:近江鉄道本線貴生川行(820系)米原19:50→八日市20:36
では米原駅から近江鉄道に乗り換えてさらに西へ移動します。
なんと乗り鉄☆たびきっぷで近江鉄道にも乗ることができるのです。近江鉄道は東海地方の外にある鉄道ですけど、米原駅で接続しているというのが接点となってこの切符で乗ることのできる路線に適用されたんでしょうか。
並行する米原から先の東海道線はJR西日本管轄で乗車不可ですから、近江鉄道のおかげでこの切符でも滋賀県南部を移動することができるのです。


八日市駅に着きました。主要駅のひとつで、近江鉄道単独駅としては最大規模です。
今日の移動はここまでです。あとは歩いて宿まで行きます。


宿は少し離れています。だいたい5分ちょっとか。途中で商店街を抜けます。


ちゃんとしたアーケード街になっていますが、ほとんど店は閉まっています。まあ、もう21時だしな。


「ビジネス旅館はざま」に着きました。今日はここで一泊です。


お部屋。出張や合宿で使うような旅館という感じですな。大きい民宿という気も。しかも光明石の人工温泉があるので今日の疲れを取るにもいいです。
画一的なビジネスホテルを離れてこういうところに泊まるのもいいものですな。

というところで今日はここまで。

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東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その5【2018/6/9~10】

2022-04-27 23:05:44 | 鉄道撮影記
三岐鉄道北勢線に乗って楚原駅で降りました。西桑名行の列車とすれ違いするところを見届けたら駅を出ます。


自動改札付きの有人駅で、特殊狭軌路線にはギャップ萌えといったところでしょう。


沿線撮影するために駅を出て歩きます。住宅街を進みますが、昔からある地区のようですね。


とある人家で見つけた防火用水(防火水槽)です。昭和アイテムの一つですが、さすがに見つけられる機会はあんまりないです。これはコンクリート製ですが面を石で装飾してあるのがおしゃれで、文字は彫刻されているのもいいですね。現存する防火用水は植木鉢化していることもあるようですが、これは一応まだ水溜の使命を保っているようです。


タバコ屋の看板。昼夜営業というのは、この自販機のことかな?


クリーニング店の看板。他にも何軒かの旧商店がありました。鉄道利用が今よりも盛んだった頃のこの通りを行き交い店を利用していた人々が思い浮かびます。


旧員弁町のマンホール蓋。この建造物はいなべ公園にある五重塔です。有名観光地なのかもしれない。


楚原駅から西桑名寄りに歩いていって、田んぼの横の築堤を走る線路沿いに陣取って列車を待ちます。
しばらくして来たのは、旧三重交通塗装の270系でした!これは狙っていた列車でした。行きの電車に乗っている時これとすれ違ったので、ぜひとも抑えておきたいところでした。


三重交通塗装の特徴といえば、旧三重交通時代に製造されたク202号を連結していることでしょう。準湘南顔といえるその古風な顔は被写体として魅力的なのです。この時は後追い撮影となりましたが、実はこの列車は楚原駅止まりなので、すぐに折り返してやってきます。これも狙いましょう。


と、いっても、ク202の前面は逆光になってしまっているので、結局側面に重きをおいた写真に仕上がりましたとさ。これはこれで編成内の凸凹ぶりが際立つのでいいと思いますが。


中間車のサ201号。・・・これはあれですね、中間車化改造されたやつですね。
車体の左端は運転台の跡というのがありありと伝わってきます。妻面も少し後退角を持った前頭部形状がそのまま残っているのが分かります。こういうのは好きですねぇ。
というかこの旧三重交通車の3台、連接台車なのか。知らなかった。


モ277号。旧型車との体格差が分かります。


三重交通列車を撮影したら楚原駅に戻ります。ここからは終点阿下喜駅を目指します。
ホームで待っていたら、西桑名行の270系が先に来ました。


引いた位置でも撮影。うねうね~。


上り坂を駆け上がってくる阿下喜行の270系。写真に写り込んでいる勾配標識はなんと33.3パーミル!相当急坂です。


第8走者:三岐鉄道北勢線阿下喜行(270系)楚原14:42→阿下喜14:56
終点阿下喜駅に着きました。


昔来たときと変わらない駅舎。


駅前は広いロータリーが広がっていて使いやすそう。


北勢線で使われていた旧型車両モニ226号も保存されています。こちらも変わらず美しい姿ですね。


その足で駅から少し歩いた畑沿いの線路で270系を撮影してきました。
撮影したら、これの折り返し列車に乗るべく早足で阿下喜駅へ戻りました。

というところで今日はここまで。

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北米project 5 ~How do you like Canada? その14【2016/6/15~22】

2022-04-24 23:23:32 | 海外旅行記
2016年6月16日(木)12時12分
オンタリオ州マウントホープ カナダ軍用機歴史博物館 
カナダ軍用機歴史博物館の続きです。格納庫内の収蔵機は回り終えたので、次は外に展示されている収蔵機を見ようと思います。



これはさっきドナドナされていたDC-3(C-47)。第二次世界大戦時に製造されてカナダ空軍で使われたのち民間放出されて民間航空会社を何社か渡り歩いた後1981年に当館に寄贈されました。飛行時間は82,000時間以上で、現存するDC-3の中では最も長い飛行時間記録を持っているんだそうな。

アブロ・アンソンMk.V(1935年初飛行)です。輸送から偵察から練習から色々な用途に使われた多目的な双発機です。あだ名はアニー。イギリスで開発された機体ですがカナダでも生産されました。その数約11,000機で、実はチーム1万機軍団の一員です。そのうちカナダ製は約3,000機。
Mk.Vは航法訓練用の練習機です。カナダ製ですね。Mk.Vの胴体は、戦時中の鋼材不足を補うために合板で出来た木製飛行機です。戦時中に生産された他のアンソンも木造で、これらはビダール・アンソンを呼ばれてました。それでも1,000機以上生産されました。
潰しの効く機体だったので第二次世界大戦後もカナダ空軍で運用されて1954年に退役しました。


この個体は1944年製で、写真撮影用に使われいたんだそうな。1940年代後半に退役して民間に払い下げられ、1956年鉱山会社が買い取って1980年代まで鉱物調査に使いました。
現在の展示では、第二次世界大戦中の航法訓練機仕様に仕上げられています。
黄色が薄い気がしますけどこんなものなのかしら。


デ・ハビランド・カナダDHC-5Aバッファロー(1964年初飛行)。軍用の軽輸送機で、短距離離陸性能に優れた前線で使いやすい輸送機です。前作DHC-4カリブーの発展型で、エンジンをレシプロからターボプロップに強化したものと捉えれば概ね大丈夫と思います。
1963年、アメリカ陸軍の要求から開発された機体です。アメリカ陸軍は元々DHC-4をAC-1として運用していて、それの性能向上型(積載量5.4t)としてまず4機の試作機が製作されました。しかし、DHC-4時代には有用だったSTOL輸送機も、より大型な機体が同等のSTOL性能を有してきたのと輸送ヘリコプターの大型化で中途半端に見えるようになりました。
あとは、DHC-4とDHC-5は陸軍の所有する機体ですが、1966年に固定翼機は全部空軍の管轄という線引が設けられたことでこの2機種も空軍機に移管されます。それにより余計に扱いにくい機体になってしまったのではないでしょうか。アメリカ軍内のこうして方針転換の影響でDHC-5の本採用は消えてしまいました。
ところが捨てる神あれば拾う神ありで、1964年カナダ空軍がDHC-5を15機発注しました。デ・ハビランド・カナダ社の救済目的が多少はあったんじゃないかと思います。カナダ空軍ではCC-115と命名しました。あだ名はバフ。
はじめは空挺部隊や物資投下の訓練、多目的輸送などに使われて、後に黄色い塗装がよく目立つ救難救助任務を主体とする部隊へ配属されて現在に至ります。STOL性能を活かして田舎の飛行場でも運用できるので救難救助には適しているみたいです。しかし運用開始から50年以上経過しいい加減老朽化してきたみたいで、2022年1月にコモックスにいる最後の機体が最終飛行を終えて退役しました。後継機はCC-295キングフィッシャーです。295でピンときた人はすごいですが、ベース機はEADS CASA C-295です。



CC-115のもうひとつの役割が国連の平和維持活動です。白無垢に国連のマーキングをした機体が中東に派遣されて、カイロ、ベイルート、ダマスカスの間を飛行していました。1974年にはシリアを飛行中に撃墜されて乗員全員が戦死する痛ましい事件もありました。


この個体は1978年製で、スーダン空軍に納品された機体です。DHC-5はカナダ空軍が採用後に中小国を中心に受注を伸ばし、最終的に126機を製造しました。アメリカ軍の需要には合いませんでしたが、他の国の潜在需要を掘り起こして成功を収めたのです。
2003年に民間会社を通じて収蔵し、CC-115の国連仕様に復元しました。機体番号#115461は、シリアで撃墜された機体と同じで、その時の乗員はもちろん当時の平和維持活動に従事した全てのカナダ軍人に捧げられたものです。


DHC-4とDHC-5はその開発経緯からよく似ていますが、見分けるポイントは意外と簡単。尾翼がT字翼になっている方がDHC-5です。DHC-4は普通の尾翼。


これは機内に入ることが出来ました。電車よりも狭いかな。


操縦室にはバッファローくんががが。


操縦席はこんな感じ。


ロッキードC-130以降に開発された輸送機ですので、胴体後部が開いてカーゴランプになる、輸送機の正解の設計です。


PBYカタリナの胴体ですね。詳細不明。レストア待ちなのかも。



カナディアCF-5Aフリーダムファイター(1968年初飛行)。御存知はやいうまいやすいでおなじみノースロップF-5です。黒鉄重工推し戦闘機のひとつ。カナダ空軍での正式名はCF-116ですが、これは誰も使っていない説・・・。
西側中小国にばら撒くための戦闘機ですが、カナダ空軍でもF-86の後継機として単座型89機複座型46機を採用しました。その時にカナディアがライセンス生産をして、エンジンはオレンダがGEのJ85をライセンス生産しました。
ノースロップ製のオリジナルと比較して設計変更を加えられた箇所がありにけり。例えば前脚は高さを2段階に調整できて、高い位置では迎え角を取ることで離陸滑走距離を短くする効果があります。他にも空中給油プローブや空気取入口の追加などがあります。
このカナディア製のCF-5は自国向けだけでなくオランダへの輸出もされ、合計240機が製造されました。


戦闘機ですからもちろん戦闘機として自国内以外にも欧州へも展開していたんだそうな。あとは、軽快な機動力を生かした戦闘訓練での敵役にも使っていたそうな。
この個体の塗装もアグレッサー機のそれです。だいぶ色あせちゃってるみたいですが、CF-18と同じ色の塗料を使っているような気もします。


エリアルールのお手本みたいな機体形状を見よ。


この個体は1970年製で、コールドレイク基地第434飛行隊に配属されました。1989年に退役して、トレントン基地のカナダ空軍記念館に展示されました。その後1996年に当館に収蔵されました。
ちなみに、退役したCF-5の一部はボツワナ共和国やベネズエラに売却されてそこの戦闘機として第二の人生を送っています。両国ともまだ使っているよという噂もありますが果たして・・・。


正面から。


車高調できる前脚ですが、このときの展示では高さの低い方の位置だったと思います。



というところで今日はここまで。

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北米project 5 ~How do you like Canada? その13【2016/6/15~22】

2022-04-20 08:22:00 | 海外旅行記
カナダ軍用機歴史博物館の続きです。今回は飛行機の復元作業をしている区画です。
今まで見てきた機体からも分かる通り、この博物館の保存機は飛行可能な動態保存機が多いです。動態化の維持や収蔵機の整備復元なんかを自前でやっています。いや、全部内製化しているかは知りませんが。


ちょっとした整備工場のような感じで本格的です。


これは今まさに復元中のフェアチャイルド・ボーリングブロークMk.IVT(1939年初飛行)です。同社のブレニム軽爆撃機をカナダのフェアチャイルドでライセンス生産した機体です。カナダ沿岸の対潜哨戒機とか爆撃機の練習機とかに使われていたんだそうな。
これは1980年代にマニトバ州で回収された8機のボーリングブロークの残骸から1機に復元しているみたいです。ニコイチじゃなくてハッコイチ。


動態の構体の復元はあらかた終わったように見えます。ただ主翼はまだまだのようです。今これを書いている2022年時点でもまだ復元は完了していないようですから、相当長い道のりで作業をしているのでしょう。


エンジンの部品が転がっています。


主翼とエンジンマウントです。


機首ですね。なんで機首の風防、変ににえぐれてるんだ。まあ操縦士の視界のためでしょうけど。変な形だなあ。


こっちにも作業場。作業やってますね。復元作業もボランティアで回しているんでしょうかね。今日は水曜日ですけども。


グラマン・アベンジャーAS3(1941年初飛行)です。ご存知アメリカ海軍の艦上攻撃機ですね。
第二次世界大戦後にアメリカで余剰になったアベンジャーを1950年にカナダ海軍が購入して、大型の機体構造を活用して対潜哨戒機に改造して運用しました。ただ後継機のCS2Fトラッカーがすぐに就役してきたので、1950年代のうちに退役したそうな。
この個体はカナダ海軍が使っていたアベンジャーではありません。これは1945年にイースタン航空機(GMの航空機製造部局で、自動車譲りのありえん生産能力を持つ)で製造されたアメリカ海軍向けTBM-3Eです。退役後は民間放出されてカリフォルニア州で農薬散布機に改造されたそうな。
2000年にフランスの保存団体が取得したんですが大西洋を渡る輸送手段が手配できなかったとかで、2009年に当館の所蔵に収まったみたい。


散布機として近年まで使われていたこともあって状態は良いみたい。復元の進み具合からも分かります。それで、2022年時点では復元が完了してカナダ海軍の塗装で展示しているという話です。今後は動態化への作業が待っているそうな。


グラマンCS2F-1トラッカー(1952年初飛行)。アメリカ海軍の対潜哨戒機ですね。カナダ海軍がアベンジャーの後継機として導入しました。機体はデ・ハビランド・カナダ、エンジンはカナダ・プラット&ホイットニーでライセンス生産されました。
CS2Fはカナダ海軍の空母HCMSボナベンチャーの搭載機として運用されていました。1970年にHMCSボナベンチャーが退役すると、陸上基地に拠点を移して1990年に退役しましたとさ。
この個体はカナダ海軍向けの機体を1997年に譲り受けたものです。動態とエンジンと主翼の根元あたりまでは完成しているような雰囲気でした。2022年時点では静態復元が完了しているみたいで、今後は動態化するんだそうな。


さっきも見たミッチェルMk.III。


機首の機銃のフタを開けるとこうなってるんだよ、っていう。


航空博物館おなじみの、飛行器模型コーナー。絶対あるんだよね。ちなみに、この博物館の模型クラブの作品です。

というところで今日はここまで。


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