黒鉄重工

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東武ワールドスクウェアで世界旅行 その1【2017/03/05】

2018-05-31 22:28:11 | 旅行・イベント記
2017年3月5日。
前日に大学OBとの集まりがあったので、それに参加。その日はそこで一泊して翌日は栃木県の東武ワールドスクウェアに行くことにしました。
前日にもシーサイドラインに乗ったりしてたんですが、うっかり写真を消去してしまったんでその日のことは省略します・・・。

朝早くから移動を開始して、朝8時に東武浅草駅に来ました。狭い始発駅として有名ですが、特に天井が低い気がしますね。これじゃ地下鉄の駅ですがな。やはり頭端式始発駅は天井が高くなければ・・・。
ホームには100系スペーシアと10030系が停まっております。10030系はVVVF試験車の10080系でした。1本しかいない希少車両です。


目当ての電車が駅に進入してきました。


6050系です。2017年4月で浅草駅への乗り入れが終了することが予告されていたので、ついでに乗っておくことにしました。この時はまだ人もまばらで、直前に着いても電車の正面にカメラを構えることができました。
なお先頭の電車は野岩鉄道所属の61101Fでした。今日はレアな電車に当たる日なのか?


快速 東武日光、新藤原、会津田島行き。2両編成*3本の編成で、それぞれの編成が違う行き先へ走る3階建て列車なのです。東武鉄道は昔の国鉄線みたいだと言われることがありますが、こういう長距離列車だと特にその雰囲気が出ています。


浅草駅名物、急曲線のプラットホーム。あまりに急でホームと電車の間の隙間が広いので、電車が到着するたびに渡り板が置かれることも。6050系ではそうならないようになっていますが。
こんな無理なホームの伸ばし方をしても6両編成までしか止まれないので、主力の8両編成や10両編成は浅草駅まで入ってこれず、直通先の地下鉄に逃がすしかない状況です。


車内は中長距離乗車を意識した2扉クロスシート。
昔乗った北陸本線の急行電車みたいな内装が良いのです。


座席は柔らかめ。窓側にも肘掛けがあるのが高ポイント。


浅草駅を出発してすぐに隅田川を渡ります。でも川に近すぎたのが駅の拡張性を狭めましたよね・・・。


北千住駅で1回停まってからは東武動物公園駅まで無停車。気持ちいいですね。
さてワールドスクウェアまで直行せずに東武動物公園駅で6050系から降ります。


乗り換えの電車を待っていると営業運転前の試運転中の500系「リバティ」が通過していきました。ありゃりゃ。
もっと細身なのを想像していましたが、意外と太ましい。


東武動物公園駅からは8500系に乗り換えて南栗橋駅へ。まだ普通に走ってる・・・。
でも最近になってようやく田園都市線の新車が入りましたね。8500系もあと数年です。


南栗橋駅からまた乗り換えて栗橋駅で下車します。


駅の自由通路にはこんなのがありました。鉄道むすめのポップです。かつてより細々としながらもまだ使っているんですね。


中規模駅の駅前という感じの通り。道路の幅を広げようにもどうしようもない感じ。


街頭の垂れ幕には鉄道むすめが描かれていました。いろいろな会社のがありました。でも知らない人からはなんで栗橋に東京モノレールが?とか思うのかも。


目的地の井上酒店。
この時期は鉄道むすめのスタンプラリーをやっていたので、それの1つ目のスタンプを押しに来たのです。このときは全部押したるぞと思っていたものですが、11月頃にやる気が行方不明になってしまい、結局半分ちょっとくらい集めて終わりましたかね?

今日はここまで。



【1/50】EF65形105号機ユーロライナー【ギャラリー】

2018-05-29 21:47:34 | 模型ギャラリー

キット:アオシマ 1/50電気機関車シリーズ#01 EF65/60
仕 様:EF65 105 ユーロライナー
[製作記前編] [製作記後編]

アオシマの古参キットを作りました。キット指定では国鉄色ですが、JR東海のジョイフルトレイン「ユーロライナー」の塗装に仕上げました。かっこいいぞ~。



ユーロライナーを実際に見たことはありませんが、地元の車両だったので作りました。



古いキットなので所々に組み立ての甘い部分がありますが、なかなか精密にできていると思います。



台車の細密さと重量感はお気に入りです。



ナンバーの文字はメタルシールなので実感的。
105号機は収録されていないので、505号機と91号機をニコイチして作り上げました。



第2エンドにはカートレインのヘッドマークを付けました。



パンタグラフの組み立ては大変でした。まずランナーから切り出すときに部品を折らないように気を使いますし(それでも1本折った)、接着時も左右の高さを揃えるよう慎重にならざるを得ませんし・・・。



全長30cm、線路の展示台を含めると50cmにもなる大型キットなので飾った時の存在感は大きいですぞ。



以上、EF65 105 ユーロライナーでした。

【1/50】EF65形電気機関車 製作 後編【アオシマ】

2018-05-27 22:42:33 | 鉄道模型製作記

車体の塗装の続きからです。紺色を塗装後、マスキングします。
今回、ちょっと塗装を捻ってみて、JR東海のジョイフルトレイン「ユーロライナー」の塗装に塗ることにしました。
塗装は青白い白に紺色の帯なので塗り分けは難しくありません。



一応ノギスや定規で帯の高さを確認しながらの作業です。それでも歪みは出てしまうもので、なかなかビシッとした直線は決まりません。しかし、物がデカいおかげか、塗装後マスキングテープを剥がしてみると意外に帯の歪みは気にならない範囲でした。



屋根も紺色なのでマスクします。全面にテープを使っていたらもったいないのでコピー紙の裏紙で覆います。



側面はひたすら平面なのでテープ貼りが楽なのですが、前面は突起物があるのでマスクが難しいです。
細切りのテープで枠から囲んでいき、突起部はマスキングゾルで覆いました。



白をブワーッと吹きます。
ユーロライナーの白は他の鉄道車両の塗色と違って、絶対的な色味が定まっておらず、模型によって白の色が異なっています。ユーロライナーのNゲージはトミックスとカトーの両者から発売されていますが、両者の白の色味は全く異なるものです。どっちか忘れましたが、片方はもはや水色と言えるほどの白でした。
こんなに解釈の異なる塗装の車両もそうそうなく私も困ったものですが、今回は白に近い青白に塗ることにしました。

塗る色は決まったわけですが、今度は塗料の選定であります。この色がまた微妙な色でして、調色無しでコレだという色は無いのです。
イスラエル空軍の青白をもっと薄く調色してどうにかしようと最初は思っていましたが、ある日駿河屋へ行ってみるとガイアノーツのダグラムカラーというのがありまして。その中に「コレだ!」という色がありました。CB-22ブルーホワイトです。
まさに求めていた色そのもので、これを調色無しで使いました。



マスキングテープを剥がして全体のまとまりを見てみると・・・問題ないじゃないですか!まさにユーロライナーと言える塗装になっていました。これには膝をたたきました。

ちなみに紺の帯はGMカラーの青20号です。紺色も色々な説があるので悩ましかったのですが、たぶん新幹線と同じ色の紺色だろうなと思い、青20号を選択しました。結果、当たっていたと思います。



いいですねぇ。狙い通りに運んでご満悦。



次は前面のステンレスの飾帯を塗装。クレオスのメタルカラーで塗装し、乾燥後は表面を磨いて金属光沢を出しました。



このような感じに。素晴らしきかな。



下回りと車体を仮組みします。だんだん形が見えてきましたね。



パンタグラフの組み立て。ゲートから切り出す時に細く折れやすいので神経を使いますし、組み立て用の治具もないので位置決めも難しかったです。それでも組み上がると細密感が出てかっこいいものです。
パンタグラフはメッキ処理されていますが、灰色に上塗りします。



機器類を艤装します。運転室以外ほとんど見えなくなるんですが、まあ。



屋根もパステルでウェザリングします。やはり効果は薄いのですけどね。



このキットの旧版では機体番号の部分が凹んでいて、そこに複数の番号を彫った部品からひとつ選んで差し込むというものでした。
これだと部品を入れた時に隙間ができる上に(このEF65はナンバープレートではなく切り抜き文字)、その番号の書体も実車の数字とは程遠いものでした。
新版の発売にあたって、この凹みを埋めて番号は付属のメタルシールを貼るようになりました。これにより格段に実感的になったと思います。

今回のユーロライナー機は105号機なのですが、ドンピシャの番号はキットに収録されていません。まずは505号機の番号を貼り付けます。



メタルシールはこんな感じ。
鉄道模型のインレタのようなもので、シール裏面の保護シールを剥がしたら車体に貼り付けてペン先などで押し付けるようにして転写させます。一度くっつくと意外と強固に貼りつきます。
で、この中からEF6091の番号から1だけを抜き取りまして・・・。



505の5があったところと取り替えてめでたく105になりました。
製造所銘板も一緒に貼りました。105号機は東芝製じゃないようなのですが、東芝以外のシールが入っていません。さりとて何も貼らないのも寂しいのででっち上げで貼りました。まあ分かる人はいないやろ。



キットにはヘッドマークの部品が入っていますが、ユーロライナーのものは無いので自作します。
GIMPでデータ作成してミラクルデカール(透明)に印刷します。A5用紙に小さなヘッドマークだけ印刷するのはもったいないので、他にも色々印刷しました。これらが日の目を見る日は来るのか?



ヘッドマークにデカールを貼ります。デカールの膜は透明なので部品は白に塗っておく必要があります。デカール乾燥後にトップコートしてまた乾燥。
ヘッドマークが出来上がったら機体に仮止めします。お、いいじゃないですか。引き締まります。



反対側には「カートレイン」のヘッドマークを装着しました。105号機での牽引実績はあったはずです。



手すりや汽笛など細かい部品を取り付けてトップコートをしたら完成です。
完成してみると改めて大きい模型だと実感でき、飾って置いた時の存在感が1/350艦船模型のように大きいです。

大昔のキットゆえ、細かい部分では出来が悪い部分もあり、真面目に修正や改造をしていたら出来上がらないんじゃ・・・と。
それでも、精密さは中々のもので、私のように素組みで完成させても重厚感は十分得られると思います。
飾っておくだけの鉄道模型を作るのも楽しいものですね。また違うキットを作りたくなります。



<使用塗料>
車体白:ガイアノーツ CB22ブルーホワイト
車体紺:鉄道カラー #16青20号
台車黒:アクリジョン N2ブラック
車体内張り緑:Mr.カラー C26ダックエッググリーン
運転台緑:Mr.カラー C313薄松葉色
スカート:Mr.カラー C97灰色9号
機械類:Mr.カラー C35明灰白色
線路:水性カラー H47レッドブラウン
道床:水性カラー H47レッドブラウン、H37ウッドブラウン
枕木:アクリジョン N84マホガニー
Hゴム:タミヤエナメル XF23ライトブルー

以上です。完成品写真はギャラリーにて。

【1/50】EF65形電気機関車 製作 前編【アオシマ】

2018-05-26 23:33:21 | 鉄道模型製作記

去年にアオシマのEF65がパッケージ替えで再販されたんですが、その時に金型の改修をして作りやすくなったそうな。
前から気になっていたキットではあったので、いい機会だと思って作ってみることにしました。



アオシマのプラモデルの組立図は、モチーフになった対象物の解説が一切書かれていないので(一応箱の側面に少し書かれている)読み物としてはつまらないの一言なのですが、EF65には箱に書かれているものと同じ内容ながら組立図にも書かれとりました。



まず台車からです。
数十年前に発売された相当古いキットです。なので、現代のキットと比べると設計は悪いし部品の合いも良くないし・・・。しかし部品は多く、大変ボリューミーな内容です。
Nゲージのように走行させて遊ぶことを考えていないディズプレイモデルなので、台車もモーターやまくら梁が実感的に再現されとります。
台車なので同じようなものを3つ分作らないといけないのがやや面倒・・・。



他にも色々。
発売当初のキットとしては部品の点数と再現度はかなりのものだったのではないかと窺います。



台枠と台車を黒で塗装します。



大きいキットゆえ完成した時に大味にならないよう少しウェザリングしてやります。
パステルを目の細かい網の上で擦って粉末状にしたものを部品に付着させます。パステルは茶色と黄色を7:3程度の割合で混ぜました。



付着し終えました。
この後トップコートで保護するのですが、その時にパステルで付けた汚れは半分以下に減衰してしまいますので、パステルを付着させる際はやりすぎるくらいがちょうどよいです。



トップコートした後の部品。だいぶ大人しくなってしまいました。



タイヤは予めメッキ処理されています。メッキ落としなどはせずこのまま組み立てました。
多少ケレン味が出るのが良いのです。



部品をすべて組み立てて台車の完成。
手のひらに置いてみるとずしりと重量感があり、作りがいがあります。



台車枠の内側にモーターがあるというのはNやHOでは無い構造なので大変実感的です。



側面も、走らせる鉄道模型の一体成型の台車と違って立体感があります。台車を組むだけでも意義があるように思えます。



これは壮観です。



下回りの製作が完了したので次は車体側へ。
まず車体の内側をダックエッググリーンで塗ります。意外と窓から中が見えるのでここは手を抜かないでおきます。
車体は一体成型で全長30cmにもなるので、塗るのにも一苦労・・・。



車体の外側を塗ります。グリーンマックスの鉄道カラーの青20号を塗ります。
なんかもう、これに後は前面にクリーム色塗っていいにしようとも思いましたが、そこは我慢して次の工程へ。



並行して車体中央の機器類を塗ります。ここは完成後もあまり見えない部分ですので、テキトーに済ませます。



展示用線路の道床を塗ります。レッドブラウンを地色として塗った後、ウッドブラウンをところどころに塗ります。いろいろな色が混ざったバラストの感じが出たかと。



さらに枕木はマホガニーで塗ります。中々いい感じになりました。
道床は立体感がないので作り直そうと思いましたが、こっちは面倒になってしまい止めてしまいました。1/50という鉄道模型にはない縮尺なので部品を揃えるのが大変そうだなぁって。

長くなるので今日はここまで。


後編へ→

北米project 4 ~Is the order a warbird? その46【2016/03/04~10】

2018-05-24 22:12:28 | 海外旅行記

2016年3月6日(日)10時20分
カリフォルニア州ペリス オレンジエンパイア鉄道博物館
グリズリーフラッツ鉄道車庫

入場してからだいたい1時間くらい経ったのですが、まだ半分には差し掛かってないですかね。まだまだ続くぞ。
ちなみに雨が上がりました。青空も見えてきて、もう雨の心配はいらないです。雨上がりなのでジメッとしてるのがちょっとアレですが、これで気分も高まります。



Source of map: Orange Empire Railway Museum (http://www.oerm.org/grounds-map/)
今はグリズリーフラッツ鉄道の車庫の前に来ています。地図上だと6番です。36inch(=3ft=914mm)狭軌鉄道という文字に心が踊るのでは?
グリズリーフラッツは知る人ぞ知るという鉄道のようですが、私は帰って調べるまで何も知りませんでした。

グリズリーフラッツ鉄道 Grizzly Flats Railroad はウォード・キンボール Ward Kimball (1914~2002)が設立した鉄道です。
彼の仕事は鉄道会社の社長ではなくディズニー社のアニメーターです。なので貨物や客を運ぶ普通の鉄道ではなく、趣味のために作った庭園鉄道なのです。庭園鉄道というのは屋外に乗用可能な鉄道模型を走らせるような趣味です。王道にして至高。

キンボールは1938年に消えつつあったサザンパシフィック鉄道の狭軌路線の客車を蒐集して自宅の裏庭に敷いた線路の上を置こうと思いました。鉄道車両の個人所有というやつです。最初はどうも客車を庭に置いて楽しむだけのつもりだったようです。でも自宅の庭は客車を置けるだけの空間を既に用意していたと言われてますから、コイツ元からすんげー鉄オタだぞ。

しかし、キンボールの妻やオタク仲間からは「客車を置いておくだけだと物足りないよね、機関車も集めようよ」と提案されます。こいつらノリノリだよ。オタクはともかく妻って普通こういうの止める役なんじゃないのしょうか。
しかも、ちょうどいい具合に廃車になった狭軌用蒸気機関車がネバダの砂漠で売りに出されていました。キンボールはこのネバダセントラル鉄道の1881年製蒸気機関車を400ドルで購入して「エマ・ネバダ」という名前を与えます。

機関車と客車が揃った後やることと言えばそりゃもう、復元して、走らせるしか、無いでしょう、人として!
キンボールはもちろん妻やオタク連中も巻き込んで週末に復元作業をして、1942年になんと270mの線路と共に運転開始にこぎつけます。その時にグリズリーフラッツ鉄道を立ち上げたのです。
つまり車両自体がやや小型とは言え、原寸大の本物の鉄道車両を自分ちの庭で走らせるんだから、これはもう鉄道趣味の極致のひとつでしょう。すげーわ。
その後もキンボールは蒐集を続けていき、カブース、有蓋車、家畜車、無蓋車等、貨車も集めていき、機関庫、駅舎、給水塔といった付帯設備も建造(移築?)しました。

1992年からは、蒐集品の一部をオレンジエンパイアに寄贈し始めました。この時既に80歳近い年齢なので、そろそろ整理を始めた方が良いと思ったのかもしれません。2001年に博物館に本格的な保存施設を建設したのですが、翌年キンボールは亡くなりました。
死後も家族の手により2006年までグリズリーフラッツ鉄道は走っていました。これほどの趣味、家族の理解があればこそだよなと。そして運転を終了した翌年の2007年にグリズリーフラッツのすべての車両をオレンジエンパイアに寄贈したのでした。以降、車両はここで静態保存されています。

オタクの鑑というか行動力の化身のような人ですね。趣味に全力を出した人生は羨ましいものです。



私は上記のことは知らずに入ったのでアレでしたが、中を見て最初に思ったのが車両の小ささなのでした。軽便鉄道みたい。



サザンパシフィック鉄道#223無蓋車(1917年自社製)
SPが保有していた3ft狭軌路線用の木造無蓋車。
SPの狭軌路線はカーソン&コロラド鉄道(1880~1900)を買収したもの。ネバダ州とカリフォルニア州東部に跨って走っていた鉄道です。コロラド州までは行ってない・・・。3ft鉄道と侮るなかれ、総延長は300mile(=480km)で、グランドキャニオンの峠越えもする山岳路線なのです。
建設したは良いけど十数年で経営に行き詰まって1900年の世紀末にSPに売却したそうな。標準軌の他路線と直通できない狭軌にしたのが祟ったんじゃないかしら。
SPもよく買ったもんですが、直後に金山と銀山が見つかってフィーバーしたとのこと。とはいえそれも一過性のものなので、1930年代から段階的に廃線が進んでいって、1960年に全線廃止になりました。



グリズリーフラッツ鉄道#1「クロエ」蒸気機関車(1907年ボールドウィン製)
元はハワイの製糖会社ワイマナロ製糖で使われていた2号機関車「ポカー号」。車輪配置は0-4-2ST、石炭焚きの産業用機関車。砂糖の原料であるサトウキビ輸送で使われました。
1937年にボイラーの交換と重油焚き改造をされます。しかし1945年にサトウキビ輸送がトラック転換されて線路は廃線、機関車もお役御免となりました。その後1948年にジェラルド・ベストという人が機関車を購入してカリフォルニアまで運んでいきました。
同年キンボールが購入してグリズリーフラッツ仕様に改造、地味な産業用機関車から派手な色使いで再塗装されます。さらに1950年代にはサドルタンク、燃料タンクを撤去して新しい水タンクをキャブの後方に設置。これにより車輪配置は0-4-2RTになります。RTというのはリアタンク機のこと。燃料は重油から薪になりました。さらにキャブも新しく作り変えます。
鉄道模型の改造みたいなことするね・・・。ここまで大掛かりな改造をするとなると彼の中に元ネタとなる機関車がいたのかもしれませんね。
この時に「クロエ」という愛称を与えています。クロエはキンボールの娘の名前です。
最初に買ったエマ・ネバダ号は石炭焚きだったんですがこれの煤煙が近所迷惑になったので、グリズリーフラッツ鉄道の晩年はこれを牽引機に使っていたようです。薪焚きだとそういう苦情は来なかった模様。



グリズリーフラッツ鉄道#7客車
クロエ号に連結されていた開放式の2軸客車。とてもかわいらしい。たぶん製糖鉄道の貨車を種車にして自作したのではないでしょうか。
造りがウェスタンリバー鉄道やディズニーランド鉄道のそれとそっくりでして、これらの元ネタになったんじゃなかろうかと。
あとは連結器が朝顔式なのが珍しいなと。

するとここで、外からエンジン音が聞こえてきました。自動車のそれではないので、とするとディーゼル機関車が出しているに違いありません。
慌てて一時外に出て横を走っている線路へ近づいてみました。



!!!えっあっ、マジか、今日これが動いてるのか!
オレンジエンパイアは動態保存系の博物館なのは今までの収蔵品を見てなんとなく感じ取れてると思うんですが、そこの動態保存機関車のひとつがこいつです。
正体はユニオンパシフィック鉄道のEMD E8A形#942です。詳しいことはまた後で紹介するとして・・・、アメリカの動態保存ディーゼル機関車初めて見たぞ、うわーすごいぞ、でかいな(語彙力



微速前進して線路を行ったり来たりしていました。整備後の試運転?にしてもこんなデカいのをボランティアが動態保存してるのかと。
これは興奮しますって。機関士に手も振っちゃいますよ。



そしてさっき見た路面電車の車庫から車両が出庫していくところも目撃しました。お、なんだ?お前も走るのか?
これも今は無視します。後ほど後ほど・・・。



グリズリーフラッツに戻りましょう。お次は1人乗りの軌道自転車。後ろにもう1人乗せてニケツも出来る。ベロシペードと呼ぶそうな。
これを使った郵便配達サービスが19世紀には行われていたようで。当時の新聞の切り抜きによればフリル姿の女性が郵袋を持って軌道自転車を漕いでいるのですが、女性が小遣い稼ぎにやってたのかしらん?
列車との衝突が心配ですけど、どうにかなってたのでしょうかねぇ?



自転車っぽいですがペダル駆動ではなくて、手漕ぎトロッコのように前のハンドルを掴んで前後に動かして走らせます。なので自転車よりも古い乗り物のベロシペードと呼ぶのだと思います。
なかなか興味深い乗り物です。



保線用の手漕ぎトロッコです。
牽引車両の後ろに保線道具と保線員を満載したトロッコを連結して現場に向かってたんでしょう。さすがネバダの砂漠といったところでしょうか、ド田舎みたいな印象です。
牽引車の方は地味にブレーキが付いていて、意外としっかりしてるんだなと。



仕事道具。
レールベンダー、グラインダー、レールのこぎり、釘抜き等々・・・。キンボールがこれを使って線路を敷設したのかも。



別の保線トロッコ。



サザンパシフィック鉄道#65家畜車(1912年製)
歯抜けになった有蓋車のようなこの貨車は家畜車と呼び、名前通り家畜を輸送するための貨車です。これが製造された頃すでに氷で冷却する冷蔵車はあったのですが、鮮度の確保が難しい肉類はまだ生きたまま運んでいきました。
元々は3ft狭軌鉄道のネバダ・カリフォルニア・オレゴン鉄道(1880~1925年)の車両でしたが1925年に財政難からサザンパシフィック鉄道に売却しました。ネバダ・カリフォルニア・オレゴンの路線は1928年に標準軌に改軌されましたので、3ft軌間のこの家畜車は旧カーソン&コロラド鉄道の路線に転属になりました。
廃車後にグリズリーフラッツの一部になりました。
車体は形は保ってますが全体的に荒れています。でもこれ、SPを引退してから手を加えられてない原型度の高い車両なのかもしれません。



ウェストサイドランバー社#7カブース(1949年製)
総延長400km(250mile)のカリフォルニアの森林鉄道のカブースです。長物車の台枠を流用して改造したとかで。
ウェストサイドランバーの森林鉄道は1962年に廃線になりましたので、その後グリズリーフラッツに引き取られたかと。
一般的なカブースと形状は異なっているのが興味深いです。色々あるんだねぇ。

今日はここまで。


その47へ→

北米project 4 ~Is the order a warbird? その45【2016/03/04~10】

2018-05-23 22:55:44 | 海外旅行記

モハーベノーザン鉄道蒸気機関車(1917年ダベンポート製)
謎機関車。恐らく同鉄道の#3だと思います。
車輪配置0-6-0ST・・・つまり前輪無し-動輪6-従輪無し、サドルタンク装備の蒸気機関車です。タンクがボイラーを覆うように取り付けられとるのが特徴で、機関車を正面から見た時にタンクの形状が馬の鞍に見えることからサドルタンクと呼ばれとります。
サドルタンクの利点は一般的なタンク機関車の形態であるサイドタンク式よりも容量を多くできること。欠点は重心が高くなってしまうこと。
モハーベノーザン Mojave Northern Railroad は全く知らない鉄道なのですが、1914年に設立された約28km(17.5mile)のセメント工場の専用線のようです。そりゃ知らんわ。
この風貌で専用線となると現役時は貨物ヤードの入換機として使われていたというところでしょうか。タンクの容量が多い→重量が重い、ということは牽引力増加に繋がります。サドルタンク機が産業用機関車によく使われていたのにはそういう理由もあるのでしょう。
1957年にディーゼル機関車に置き換えられて引退、その後は保存鉄道を転々としてここに至るそうな。



後ろ側。キャブの後ろに何も無く非常にすっきりとしています。
要は燃料を入れる石炭庫が無いわけですが、たぶんこれは重油焚きなのです。たぶん蒸気ドームとキャブの間にある四角い箱状の容器が燃料タンクだったと思います。

キャブはずいぶん荒廃が進んでいますがタンクは再塗装されているので、段階的に補修が行われているのかもしれません。



Source of map: Orange Empire Railway Museum (http://www.oerm.org/grounds-map/)
また地図で現在位置を確認しておきましょう。今は4番の北側にいます。そこから北に向かって歩いていって前回に通った2番の横の留置線へ戻ります。



ロサンゼルス鉄道の路面電車のダルマ。台車やトロリーポールが無い割に車体の状態は悪くないのが不思議。
どこか別の所から運び込んできた電車なのかも。



2番の留置線に戻ってきました。
海軍の有蓋車とどこかの長物車。この6台もあればそこそこの貨物列車が仕立てられるのでいいですね。お金を支払えば貨物列車をチャーターして本線上で撮影したりカブースに同乗したりできるとかできないとか。
貨車を動態保存して走行させるのは日本では無いわけではないけどほとんど見られないので、こういうのは羨ましいなと。



木造カブースのダルマ。なんだか使用感があるので、物置か秘密基地にでも使っているのかも。
カブースは居住性が良いのでちょっとした離れに使うのいいかもしれない。ていうか良いよねそういうの。



サザンパシフィック鉄道#1213カブース(1942年自社製)
アメリカで鉄道会社の自社工場製の車両って初めて見たかもしれない。
C-40-3形という型式名あり。よく見るキューポラ式カブースですが、SPのキューポラ式はこれが最後で、以降はベイウィンドウ式の製造に移りました。



サザンパシフィック鉄道#541411長物車(1945年製)
普通の長物車だな~以外に感想が浮かばないやつ。

ところで鉄道博物館というのは地域性が強くてですね、アメリカにも全米的な鉄道博物館があるにはあるんですが少数派で(収蔵車両も薄く広くでどこか物足りない)、たいていは博物館の周辺地域に特化したところです。日本だってそういう傾向ですよね。
オレンジエンパイアだったらサザンパシフィックとユニオンパシフィック、それとまだ殆ど登場してないですがロサンゼルス鉄道に自信ニキという具合です。どの鉄道もロサンゼルスが縄張りなわけです。逆に東海岸の鉄道、例えばニューヨークセントラルとかペンシルバニアとかは1台もいないわけです。ここらへんは、古今東西の機体を一堂に集めました!という傾向がある航空博物館とは対照的です。
なので1箇所の博物館を回っただけで全体を見渡せるということは難しいのであります。最低でも西海岸、中部、東海岸の各博物館、できれば各大手私鉄の縄張り内の博物館を回っておくと、ただでさえ裾野が広範で底の知れないな北米の鉄道が少しは見えてくるかもしれません。つまりまだまだ全然回れてないんですよ、アテクシ・・・。



謎タンク車。表記類が一切ないので調べようがない。



GATX#80601タンク車(1952年自社製)
シングルドーム式タンク車・・・要は液体を入れる口が1つだけのタンク車です。積載物は軽油のようです。
GATX(ガテックスと読むんだそうで)は鉄道車両リース会社の大手でございます。貨車はもちろん機関車だって貸します。展開地域は北米に留まらず欧州、インドまで。さらに陸だけじゃ収まらず空や海にまで手を出しています。当然現存する会社で、北米に於いては車両運行こそしないですが、十分に大手私鉄と言える規模です。
GATXという社名は、貨車に表記される報告記号をそのまま社名にしちゃったもので、元はGeneral American Transportation Corporationという社名でした。リース会社の社名ってそういうの多いな。



ユニオンタンクカー#9210タンク車(1937年自社製)
リベット留めがイカス古めのタンク車。型式名X-3形。この時代だとまだ溶接は無かったか。



タンク車*3、長物車、カブース。あとは何か適当な入換機でも繋げれば貨物列車の出来上がり。
乗客の運賃が資金源という場合が多い日本の動態保存だとお金を産まない貨車の扱いはひどいものですが、さすがアメリカは違うなと。やっぱり寄付で賄っているのかな?



地図上のCentral Avenueの広いところにいます。
あんまよく調べませんでしたが、トラックが2台。鉄道の作業車なのかしら?
外板がアレですが、動きそうな気配はしますね。



謎バス。たぶんGMCトランジット(オールドルック)です。以下そういう体で話を進めます。
今朝空き地にたくさん止まってた金魚鉢ことニュールックのひとつ前のモデルで、それに対して古いモデルなので"オールド"ルックというあだ名が付けられたのです。
オールドルックは2つ目の前照灯が特徴ですがこれは4つ目なので、なんだこいつは・・・?と頭を抱えましたが、どうも1959年以降のマイナーチェンジ版のようです。

オールドルックは1940年から製造を始めたわけですが、1959年に後継のニュールックが登場します。普通ならここでオールドルックは生産終了になるわけですが、実はその後も1969年まで10年間ニュールックと並行して製造が続いたのです。
ニュールックは良いバスですが、新型のニュールックよりも安価に調達できるオールドルックを買い続けるほうが魅力的な、財政の悪い小規模の事業者からの需要があったのです。GMCもオールドルックの生産設備の償却は済んでいるので並行生産しても問題なかったそうな。
で、ニュールック登場後にオールドルックはマイナーチェンジを受けまして、そのひとつが前照灯の2→4つ目化でした。少しだけニュールックみたいな顔つきになりました。
オールドルックの総生産数は3万8千台で、内マイチェン車は多くて数千台程度と言われていますので、現存しやすい後期型という点を考慮しても少数派と思われ。そういうバスなのです。

他にオールドルックの特徴といえば側面のバス窓です。上下2段に分かれた窓で、下段は開閉式、上段は固定式、上段窓はHゴム固定で四隅が円形になっています。特にこの上段の隅が円形になっている固定窓のことをバス窓と指します。
このバス窓を"バスで"本格的に採用したのがオールドルックなのです。世界初はPCCカー(路面電車)と言われとりますね。その後そのバス窓をいすゞが模倣して日本にも広まってったのです。日本のバス窓の原点と思うと感慨深いですぞ。

少し脱線しますが、バスの横に停まっているクライスラー PTクルーザー、いい感じに1930年代の流線型要素を取り込んでいてカッコイイですよね。フロントフェンダーとリアが最高。アメ車の中でもかなり好きな乗用車です。あんまり長続きせず、とっくに生産終了しているのが悲しい・・・。



地図上では1番の位置にあるロサンゼルス鉄道の車両が収められている車庫。この中は後で見に行きます。
これって1067mm幅の狭軌鉄道だったんですね。この線路幅が幸いしたのでしょう、後ですごい隠し玉に遭遇するわけですが・・・。

今日はここまで。


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大鐵の南海電車ツアーに参加する 後編【2017/02/26】

2018-05-21 22:03:42 | 鉄道撮影記
撮影会ももう終わりというところに千頭駅に到着していたSL急行の機関車C56形44号機が転回するために転車台へやってきました。
ちょうど撮影会の会場内から転回する様子が見れたのでついでに見物します。


千頭駅の転車台はC56を乗せるのがギリギリの大きさです。


21001系は撮影会会場を離れてホームへ戻っていきます。


帰りの電車はなんと2編成を連結して4両で走る豪華版です!転線を済ませた電車は連結作業に入ります。
標識灯を片側だけ点灯させているのがイカす。この機能譲渡後も残っていたのね。


連結前の一時停止は基本。
なおJR西は一時停止しないで一気に突っ込む。


連結器のナックルを解放位置にします。
電車の連結なんてずっとやっていないだろうに手慣れたもんだな~と感心しましたが、直後にSLと客車の連結で毎日やってたと気づく。


連結完了。ジャンパホースも接続します。


21001系2+2両編成爆誕!大井川鐵道で電車の2編成併結は近年では例がないはず(7200系は除くとして
譲渡後に改造を加えられて2編成併結はムリなのでは?と思っていた時期もありましたが、やろうと思えばできるのですね。
いやはや眼福であります。この時もホームの一部は規制されていて、一般人はおいそれと4両編成を撮れないようになっています。こういう規制は有り難いですね~。


2番線から3番線へ転線して乗車を始めます。ホームへの進入を真正面から。意外とおでこが広いのね。


3番線停車時のお姿。
さて乗車して千頭駅を出発。復路の行程に入ります。
2編成併結の列車ですが、ちゃんと2編成ともモーターを回して走行しているような感じでした。大井川鐵道の変電所設備は貧弱だという噂を聞きますので、変電所飛ばないのかな?と初めは心配していましたが。


連結部分。窓の向こうにもうひとつの21001系がいますね。



再び地名駅で列車交換待ちです。
4両編成だとホームに収まりきらないので、一番後ろの扉は締切です。名鉄のような便利な締切スイッチはないので、車掌による手動操作でした。


ここでも撮影会状態です。


梅の木が咲いてたりみかんの木に実がなってたりしてました。


交換列車は16000系でした。並びを撮ろうにも上手く行かなかったのでおとなしく退散・・・。


運転台も製造年代相応の簡素な配置でしたが、後の改造によっていろいろな機器が追加装備されてなんともごちゃごちゃとしたものになっています。


家山駅でも停車。乗客からの要望で停車中に後ろ側の前照灯と標識灯を点灯してくれるサービス。
撮影会でのヘッドマーク交換の時もそうでしたが、職員が乗客の要望によく応えてくれていたと思います。感謝ですね。


そして新金谷駅に到着してツアーは終了です。

当たればいいな、程度で応募してみましたが、想像以上に濃い内容で21001系の魅力を満喫できる企画でした。
抽選に外れた人も多いでしょうし、今後第2回、第3回が開催されるといいと思います。私も次回があれば沿線撮影に興じてみたいものです。
あとは16000系のツアーもやるなら応募してみたいですね。

以上、おしまいです。

大鐵の南海電車ツアーに参加する 中編【2017/02/26】

2018-05-20 21:40:21 | 鉄道撮影記
南海21001系のツアー列車は千頭駅に到着。乗客は駅に降ります。この後はお待ちかねの撮影会なのです。
この後3番線から2番線に転線します。


急行マークを金谷側に付け替えて事実上の撮影会に突入です。


少し経つと16000系の普通電車が3番線に到着します。
21001系と並ぶことになり、南海と近鉄の熱い共演となります。


千頭側の先頭には「和歌山市-水軒」のヘッドマークがいつの間にか装着されていました。
水軒って聞いたことのない駅名でしたが後で調べたら和歌山港線の和歌山港駅の更に先にあった終着駅で、2002年に廃止された駅だったんですね。知らなんだ。


反対側でも16000系と一緒に撮影します。16000系は検査明けだったのか、塗装がピカピカで美しかったです。


また、この後の撮影会のためにわざわざ新金谷から回送してきたもうひとつの21001系が4番線に到着。
21001系2本と16000系の並びが展開します。3本横並びというのは普段の千頭駅でもあまり起きないのではないでしょうか?


うーん素敵。近鉄の特急は来ないそうですが、ここは河内長野駅かな?




南海と近鉄の共演を楽しんだ後は、本当の撮影会へ。
21001系2本が大井川本線と井川線の間にある留置線に移動して2本が並んで停車します。たまに大井川鐵道に行きますが、見れそうで見れない21001系同士の並びが今ここに!
ツアー参加者だけが留置線に降り立って自由に撮影できるのです。構内の一部は一般人の入場が規制されているので悠々と撮影できます。一般人も頑張れば遠くから撮ることが出来ますが。

「和歌山市-和歌山港」と「急行」のヘッドマークで展示。
南海電車はドハマリするほど感心はないのですが、そんな私でも興奮します。今すごい光景を見ているのだ。


撮影に興じていると遠くから汽笛の音が聞こえてきました。SL急行が到着するのです。
3番線にSL急行が入線してきましたので、21001系と合わせて撮影。どこだここ?いまいつだ?


撮影会はこんな感じ。
時間はたっぷりあるし被写体も逃げないのでお互い譲り合って終始穏やかに撮影できていました。やっぱり有料の撮影会は平和だと思います。


ヘッドマークを交換して「急行難波-橋本」「和歌山市-和歌山港」に。


「急行」と「臨時」。
真正面前パン横並び、かっこいい、かっこいいですぞ!


「急行」「回送」。
ところで21001系のパンタグラフってホーン部が黄色と水色に塗られています。一説ではどっちがどっちかを認識するためらしい。


4番線に7200系が到着しました。当然三並びを狙います。前パンが3台並んだぞ、すごい(小並)
撮影する時に構図を組み立てるのが少し大変な前パンですけど、やっぱり電車らしくて好きです。


「急行」「臨時」
左の21003Fは手入れを受けてから日が経っているんでしょう、塗装が退色してしまっています。


あっという間に時間切れが近くなりましたが、最後にヘッドマーク無しで撮影。
ヘッドマーク付きが決まっている21001系ですが、無しは無しで整った顔立ちを感じられて良いです。


これにて撮影会終了。
この年代の湘南顔の電車がこういう贅沢な形で堪能できるのは素晴らしいことです。参加してよかったと思える一時でした。

ツアーはまだ続きます。



大鐵の南海電車ツアーに参加する 前編【2017/02/26】

2018-05-19 22:02:40 | 鉄道撮影記
大井川鐵道は蒸気機関車の動態保存が有名な鉄道ですが、普通の電車も通常なら博物館入りしていてもおかしくない(博物館入りしているとは言っていない)古いものを使っているので往年のファンや乗客からはよく懐かしがられます。南海電車のお古の21001系もそうで、南海電車の名車のひとつなのです。
それを使用した新金谷~千頭往復の企画旅行がこの度行われるということで試しに応募したわけですが、なんと当選しました!
そういうわけで大井川鐵道に出向くことになったわけです。


電車に乗る前に朝飯を食べるべく、金谷にあるラーメン屋「奏心」へ。いわゆる行列のできるラーメン屋なのですが朝からやっている店ですので、9時開店の朝に行けば並ばずにありつけるだろと思って8時半に着くように行ったら既に行列ができていました。うへぇ。
とはいえ開店時の最初のロットで席に座れたので受付時刻には間に合いそう。


煮干しラーメンにしました。最近煮干しスープが流行ってますよね。
スープを口に入れて最初は煮干しの濃い出汁を感じましたが直後にエグみが土足で乗り込んでくるように押し寄せてきました。これは自分には合わないね・・・。
また来ようとは思いましたがその時は普通の醤油ラーメンにしよう。


9時45分に新金谷駅に着いて受付を済ませます。その時切符をもらいましたが、2日間乗り放題切符も兼ねてるんですね。でも今日日曜日なんですが・・・。


既に今日の主役が出てきていました。21001系21001Fです。大鐵にとって使いやすい電車らしく、大事にされ2018年でついに還暦を迎える。
南海時代を復刻するのが趣旨のひとつですので、通常種別が掲示されている六角形のヘッドマークはステーごと外され、風防の行き先表示板(金谷-千頭)とワンマン表示もありません。


改札をして入場します。
なんば駅と言うには無理があるか。


どこから調達したのか円形の急行ヘッドマークを取り付けました。普段は点けない急行灯も点灯してくれるのが嬉しいですね。これは南海電車ですわ。


旧型客車と。


さて乗り込みましょう。指定席だそうですが実際は自由席。でも座席に対してツアー定員に余裕があるので21001系特有の窮屈な座席に2人座るということは無かったです。


沿線では撮り鉄も出没します。


これもどこから調達したのか、昔の南海電車の路線図が貼られていました。
こっちは四国連絡を意識した路線図で、徳島県と淡路島が描かれています。


こっちは線内の名所案内図。最近はこういうのは見ないですね。
高野山もそろそろ行こうや、と以前より何回も思っているんですけども。


扉の上に貼るやつ。これは比較的最近のものでしょう。


途中の地名駅で列車交換のために停車します。降車できるのでプチ撮影会になりました。


といっても光線の向きが悪いので、風景写真を撮るのが良かったですかね。


長閑な時間が流れます。


駅の横の駐車場から全体が撮れますが、まあ逆光なので・・・。


いつの間にヘッドマークが行き先表示付きのものに取り変わってました。


対向列車が来ました。7200系です。


人混みで両者の並びは撮られず。まあそんなもんでしょう。
列車交換が済むと発車しますので車内に戻ります。この後は千頭まで一気に走ります。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その44【2016/03/04~10】

2018-05-16 22:20:12 | 海外旅行記

引き続きオレンジエンパイア鉄道博物館を見学します。
園内には区画分けされた道路があって、やけに立派というか広い。アメリカ的だな。



Source of map: Orange Empire Railway Museum (http://www.oerm.org/grounds-map/)

今いる場所を説明しづらいので園内の地図を引用しました。屋外式の博物館で、敷地がやたら広いのが分かるかと。
今立っているのがBroadwayという南北に走る道路です。



広場みたいなところに置かれているカブース。1980年代まで使われていた貨物列車の最後尾に連結して車掌が乗務する緩急車です。
多くのカブースが一斉に放出されたという事情もあるのか、どこの博物館でも見かけることが出来る他に町や駅のシンボルとして置いたり店舗に改装されたりする例もあり、アメリカでは身近な保存車であると言えます。
これも施設用に改造された口で、周りの広場も含めて屋外パーティなんかで使えるようになっているようです。
地図でいうと8番の位置です。



サザンパシフィック鉄道#374カブース(1947年アメリカン・カー&ファウンドリー製)
こっちもカブースですが、通常とは異なる形態の車両です。
カブースにはキューポラという覗き窓があって、そこから前方に連結されている貨物列車の貨車を監視します。このキューポラは上記のカブースのように天井に飛び出すように付けるのが一般的です。
一方このカブースは車体側面から出窓のように張り出ているのが特徴です。これはベイウィンドウ式と呼ばれています。ベイウィンドウ式は少数派なので、私も初めて見ました。
これはC-30-4形という型式名。#374は新製時はテキサス&ニューオーリンズ鉄道(T&NO)に配置されて、後にSPに移管した際に現番号へ改番されました。
カブースも形種類がいくつもあって、覗き窓の形態、車体材質、車体長、さらに合造車もありますから、これだけで薄い本が一冊書けます。



アメリカ陸軍有蓋車(番号不明)
表記類がほぼ剥がれきっていますがUnited States Armyと読むことが出来、つまりアメリカ陸軍所有の貨車ということです。
実際にアメリカ軍は自前で蒸気機関車、貨車、客車などを持っていた時期がありました。
ところで手前に置いてあるピストンはなんでしょうかね・・・。



アメリカ海軍#61-02480有蓋車(1942年GATC製)
こっちはアメリカ海軍の有蓋車です。陸軍はオリーブドラブですが海軍は銀色の塗装だったんですね。
GATC; General American Tank Car Companyは、前回出てきたタンク車の所有者GATXの子会社でGATXの車両製造部門です。



ちょっとした貨物側線ですね。架線が張られているので路面電車も通行できるのでしょう。
分岐器がダブルスリップスイッチなのが地味にすごいなと。
以上の貨車は2番の東側の留置線にあります。



そこからさらに南下して地図上18番の留置線へ。その北側に沿う道路を歩きます。
この博物館、留置線を合計3個ばかし持っていて、使える土地面積がとにかく広いという日本のそれでは到底叶えられない要素があるのがアメリカの保存鉄道のいいところのひとつですよね。



一見有蓋車ですが、その実は冷蔵機能を持ったパシフィックフルーツエクスプレス(PFE)#453606冷蔵有蓋車(製造年不明)
日本で言うところに「レ」であり、英語ではリーファー Reefer と呼びます。車体左側に冷蔵装置のためのスリットがあるのが分かるかと。
密閉のため扉が物々しかったり冷蔵装置用の燃料タンクが床下にあったりと独特の装備もあります。

PFEは1907年創立の冷蔵車の運用とリースをする会社で、ユニオンパシフィック(UP)とサザンパシフィック(SP)の合弁会社でした。
初っ端から6,600台の冷蔵車の運用を開始しています。さすがアメリカ、桁が多い・・・。最盛期には4万台の貨車を持っていたと言いますから、アメリカ人の胃袋はすごいもんだ。
貨物は名前通り果物や野菜であり、西部で生産した青果類を東部へ輸送するのが主な役割だったとかで。
1978年にPFEはUPとSPに分割され、その時に報告記号がPFEからUP所属はUPFEに、SP所属はSPFEにそれぞれ変更されました。SPも今はUPに吸収されていますので、SPFEもUP所属ということに。



どこの馬の骨とも知れない貨車移動機。貨車移動機と言っても日本のそれよりは図体がでかい。
部品取り車なのか、エンジン部が抜かれています。



ユニオンパシフィック鉄道#25129カブース(1944年PC&M製)
標準的な形態の鋼製カブース。CA-4形という型式だそうな。しかしおもちゃみたいな色だ。
元の車番は#3829で、1959年4月に現番へ改番された模様。1980年4月廃車。その前月に脱線したそうなので、となるとこれ事故廃車ですね・・・。その割に見た目は良好なのが気になりますが。

ところでさっきから第二次世界大戦中に製造された車両が出てきています。戦争中にも貨車をドカドカと造れていたのかしら。



サンタフェ鉄道(ATSF)#2602座席荷物合造車(1923年プルマン製)
1台の客車に2種類以上の機能を持つ客車のことを合造車と言いますが、アメリカ英語ではコンバイン Combine と言います。組み合わせは何種類もありますが、一般的なのはこのような座席/荷物の組み合わせです。日本で言うところの「ハニ」です。
これは座席より荷物室の比率が大きいやつです。合造車の客室は乗客を乗せる目的で設けたものもあれば、乗務員の休憩所として使われた例もあります。これは運用側によって異なるので、各自研究してみてください(丸投げ



トーマスペイン#800通勤座席車(1953年CC&F製) ※CC&F; Canadian Car &Foundry
謎客車。都市近郊の通勤客車っぽい見た目をしています。
報告記号にはTPHXと書かれていて、これはThomas Payne Holdings Inc.の所有だったようで、カナダ モントリオールの通勤列車に使われていたとの記述がネットで散見されます。
モントリオールの列車でなおかつ水色と青の塗装というとモントリオールの公営交通AMTしかないわけですが、AMTは1995年設立ですからどうもちぐはぐだ。
仮説としては、#800客車はTPH所有で、通勤列車の運行はカナディアンパシフィック鉄道に委託していたのではないかと。その後1995年にカナディアンパシフィックとカナディアンナショナルから同社が運行していたモントリオール都市圏の通勤列車を分離・統合してAMTが発足したわけですが、その際に#800も継承されてAMT塗装をまとって近年まで使われてたんじゃないかなと。
#800以外にも#821等数台がここに保存されている模様。



サザンパシフィック鉄道U25B形ディーゼル機関車#3100(1963年GE製) ※GE; General Electric
アルコの機関車には見えないからGM-EMD製かなと思ったらGEでした。
GEは1953年までアルコと提携して機関車製造していましたが同年に独立、そして1959年のまだ機関車製造の駆け出しだった頃のGEが独立後初めて造り出したディーゼル機関車がU25B形です。あだ名はUボート、Uちゃん。
競合他社の同世代機よりも強力な馬力と保守作業の省力性の高さが売りで、これの販売によりGEは業界2位のアルコを抜き去ったのです。
生産数は7年間で476機で、やや少なめな感じ。U25B形の売れ行きに泡食った業界1位のGM-EMDは対抗馬のGP30形を開発してこれがバカ売れしたので(2年間で948機)思うように伸ばせなかったかと。

GEにとっては記念的な機関車なわけですが保存車には恵まれず、片手で数えられる数しか残っていないようです。
SP3100号機は全米でも唯一のU25Bの動態保存機で貴重な存在です。イベントの時には客車を引っ張って博物館の来場者を楽しませます。



UPの客車。黄色い客車というとUPくらいしか思い浮かばないので一発で連想できます。上下の細い赤帯が黄色を引き締めますね。
客車の奥にある車庫(地図上の4番)には動態保存車両が眠っているはずですが、見せてくれるような感じではなかったです。SPの蒸気機関車等が入っていると思われ。



ユニオンパシフィック鉄道#1530ドミトリー寝台/クラブ車(1924年PC&M製)
1924年製にしてはずいぶんと近代的で、1950年代製みたいだ・・・と思ったら1954年に更新工事を受けて延命化されたそうな。たぶん車体更新したんじゃないかな。
ドミトリー寝台というのは、名前通りでしてドミトリー形態の区画を持つ寝台のことです。手持ちの資料では該当するものが無かったので正確さは欠けますが、ホステルのドミトリー同様比較的広い区画に寝台が3つ以上(たぶん4つ?)あるのではないかと?2個寝台だとダブルベッドルームになるはずなので(ツインルームとは呼ばないそうだ)
クラブカーというのはバーカー(bar car)の別名で、アルコールや軽食を提供するカウンターのあるところです。かつての長距離列車では必須でした。

ちなみにコンテナに隠れて見えないその右に連結されているのは、UPの#542座席車(1926年PC&M製)です。座席車ってCoachの他にChair carとも書くんですね・・・。最初戸惑いました。



この奥にも線路と保存車が広がっているんですが、これより先は立ち入れない感じだったので近寄るのはやめました。

というところで今日はここまで。


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