黒鉄重工

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カナダの鉄道模型ショーのレイアウトを観察する 前編【2016/5/29】

2020-08-31 22:23:34 | 鉄道模型記

2016年5月29日。
ビクトリアの鉄道模型ショー (Vivtoria's Annual Model Railway Show 2016) が2016年も開催されましたので、見にいってきました(去年の様子はここから)。
主にレイアウト展示と中古模型の販売をやるイベントで、レイアウトを眺めつつ掘り出し物の中古品を買い漁りました。
戦利品は後で紹介するとして、まずは会場のレイアウトを見ていきましょう。


南国の島のようなレイアウトです。


複数のパネルを繋ぎ合わせるレイアウトですが、接続部は橋になっていて違和感を感じさせない作りにしてあるのは感心です。


右側の島。


右端はこんな感じ。


工場の中もよく作られているなぁと。


次です。これは森林鉄道のレイアウトです。


雑然と散らかった現場が素敵。


材木の積替え場ですな。


デルタ線という言葉は日本語で、アメリカ英語ではワイと呼びます。イギリス英語は知らん・・・。


森林鉄道に欠かせないスチームドンキーも見事。


積替え場の地面にはもう1本線路が通っています。ここが周回線路(本線)です。


手前と奥の線路の奥行きが良き。


駅です。本屋を増築中。給水槽もありにけり。材木の風化表現の違いが楽しいです。


レイアウトの反対側は貯木場と製材所です。


製材所。


細かい~。


レイアウトの角を池で処理するのはいい考えかもしれない。


運材車に積んである木材を貯木場へ下ろすところ。


列車が走っているところ。


次です。エスクイモルト海軍基地内の鉄道模型愛好会のレイアウト。ひたすら距離が長いです。


海軍基地の区画。


Nゲージで、本線は3本あります。とにかく走らせるのだというのが命題で、レイアウトの作り込みは一歩劣る感じですが、地面の作り方はやはり日本のものとは違いますね。植生の違いですかね。


引き込み線の多さが目に入ります。こっちの鉄道は未だ引き込み線や専用線が多いので、よく取り上げられるのでしょう。


角地はこんな感じ。

というところで今日はここまで。


中編へ→

東南project ~God’s Blessing on This Wonderful Singapore! その8【2018/2/9~13】

2020-08-29 22:53:50 | 海外旅行記
シンガポール動物園の続きです。これは有名なマレーバク (Malayan tapir) です。アジアではこの種類しか生息していません(他に中南米に数種類いるらしい)。
ちょうど木の葉っぱを食べているところで、どうやら夢だけが主食ではないそうだ。



微妙に長い鼻がシュノーケルの役目をして、水中潜航も可能。水陸両用なのだ。


シロクロで目立ちそうなもんですが、これが夜間迷彩になるのだそうな。おたくの夜間戦闘機にもいかが?


蹄は馬のような牛のような・・・バクはバクなのだなと。


急速潜航~。


牙をひと目見ただけで分かるアイツです。名前までは覚えていなかったんですが、バビルサ (Babirusa) といいます。インドネシア原産で、インドネシア語で豚鹿という意味。分類的にはイノシシですが、マレー半島にイノシシはいなかったのかな?

オスの鼻から牙が突き出ているのがバビルサの一番の特徴です。上顎の犬歯が突き抜けているのだそうな。いやそうはならんやろ。
で、牙は一生伸び続けますから、いつの日か鼻からの牙が自分の頭に突き刺さって死ぬという伝説がありにけり、それが有名な動物です。まさかこの目で見られるとはね。
でも牙が頭に刺さる前に寿命になってしまったり他のオスとの闘争で折れてしまったりして、そう伝説通りにはいかないみたいですぜ。


イノシシと比べて体毛は短い、ていうか無い?割とスパルタンな肉付きが好き。


牙はバリルサの大事なセックスシンボルなので長いほど強いしまさか折るわけにはいかんのだ。人間のアソコと同じようなもんだ。


動物の展示場はだいたいこんなふうになっています。柵はないけど川のような緩衝地帯がありにけり。で、たぶん緩衝地帯から人間の居る方へは這い登ってこれないような設計になっているんだと思います。でもここの主は越えてきそうな気もしますが・・・。
柵はないけど対象は離れたところにいるので、カメラ撮影しようとするとある程度望遠がきかないとキツイでしょう。スマホじゃちょっと苦しいんじゃないかな。ヤツがどこにいるかわかるかな?


いたぞぉ、いたぞ(ry
みんなのアイドル、ホワイトタイガー (White tiger) ですぞ。いわゆる白虎ですが中国語だと白老虎です。
この動物園の人気者です。奥で寝ていたら残念だなーと思っていましたが、超手前で毛づくろいしていました。最高かよ。さっきからここの動物たち、サービス精神旺盛で素晴らしいんだが。


ホワイトタイガーはアルビノではなく、ベンガルトラの遺伝変異体です。生息環境、習性は通常のベンガルトラと同一です。色違いのポケモンみたいなもんじゃないかと。
白黒の縞模様に青い瞳がそれにしたって神秘的なので、当たり前のように人間の捕獲対象になってしまい野生のホワイトタイガーはほぼほぼいないです。これは、白い体毛が迷彩の用にならず、結果狩りがヘタクソになって生き延びていけないというのもあるそうですが・・・。よって、地球上に存在するホワイトタイガーのほとんどは人間の管理下にあります。


かっこいい。





・・・やはり猫ですな。
肉球ががが。トラの肉球はぷにぷになのだろうか。


余裕っすな。


亀の池。


アンナンガメ (Vietnamese pond turtle) です。なんとなくアカミミガメっぽいけど違いますよ。安南なのでベトナム原産です。






泳いでいるこいつはマコードナガクビガメ (Roti Island snake-necked turtle) というインドネシアの亀。名前に違わず首は24cmも伸びます。ただしその代償に首を甲羅の中にすべて収めることは捨てた模様。代わりに甲羅の周りに首をへばりつけます。


水かきが大きいし頭も獰猛そうで、人の指を噛みちぎるとかそういう系なのかしら。


御存知、見た目と違って実はおっかない動物、地上最強の称号をほしいままにする、カバ (Hippopotamus) です。いえ、カバ閣下です。
あなた、そんな牙が口からはみ出るようなお方でしたっけ・・・?おっかないな。


こっちを見ている・・・。野生のカバ閣下とこんな感じで出会っちゃったら「あ、死んだな」ってなるんじゃないでしょうか(名推理)


カバ閣下実は泳げないので、水陸両用と言っても足が水底に付いているのだ。だからイノシシみたいに海や大河川を渡ることは出来ないんだろうなと。


というところで今日はここまで。
この調子だと結構回数重ねますね。お覚悟ください。

その9へ→

東南project ~God’s Blessing on This Wonderful Singapore! その7【2018/2/9~13】

2020-08-28 23:35:08 | 海外旅行記
2018年2月10日(土)14時42分
シンガポール シンガポール動物園
バスを乗り継いでシンガポール動物園へと着きました。今日は夜中までここで楽しむつもりです。
シンガポール動物園はシンガポールの一大観光地のひとつで、観光客でいっぱいです。それだけなら別に・・・というところですが、ここは動物を檻や柵のない展示をしています。
なので動物の撮影がしやすいと見込んで行くことにしました。結果的にその予想は当たって、撮れ高の高い撮影ができました。特に霊長目の展示に力を入れているような印象でした。


シンガポール動物園の地図。ここは、普通の動物園区画、水生動物に自信ニキのリバーサファリ区画、夕方以降に開かれるナイトサファリ区画の3つに分かれています。
今回は、動物園とナイトサファリに行くことにします。リバーサファリはまた今度ということで。

動物園の入場券を買って、中へ入ります。ナイトサファリの当日券は、夕方になってから販売開始するそうなので、動物園を回ってから買うことにします。


入ってすぐのところに水場があるんですが、そこにいたのがワニでした。いきなりワニか。日本だと最初の動物はたいていフラミンゴが定番ですが、さすが南国か。


で、上を見てみればサルがいました。
動物を撮る時は基本望遠レンズなので、いちいち広角レンズに変えるのも手間で園内の遠景写真は撮っていないんですが、本当に檻や柵が無いのです。よく脱走しないものだと思いますが、何か観光客には見えない柵があるんでしょう。


このサルはフクロテナガザル (Siamang) です。オスは大きな喉袋を持っていて、これで動物界最強の大声を出せるんだそうな。だからフクロテナガザル・・・。





さっき見たワニです。これはガビアルモドキ (False Gharial) というクロコダイル科のワニ。


口先は意外と細いのだ。


6500万年前から姿を変えずに存在していると言われる古代生物なのだ。


シロガオサキ (White-faced Saki) というサキ科のサル。しっぽが長いのね。
シロガオと呼ばれてるくらいなので顔が白いのですが、それはオスだけでメスは地味です。





よく動くなぁと。しかしこれは園内の動物全般に言えることで、撮れ高が多い要因の一つになります。


これがオスのシロガオサキです。


顔の毛が黄色っぽい白になっているのが非常に目立ちます。
これはちょうど葉っぱを食べているところです。


クチバシが2つ生えてるやん・・・と思ってしまうこれはシロクロコサイチョウ (Oriental pied hornbill) です。
クチバシの上に突起が生えているという変わった鳥です。中身はスポンジ状でで意外と軽いようです。


ジャングル区画。


写真映えする3匹の猿がいるなと思ったらあれは置物でした・・・。


御存知コツメカワウソ (Asian small-clawed otter) です。たーのしー!





今日はここまで。

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カナダの旧車展示会で魅惑のアメ車を堪能する 最終回【2016/5/28】

2020-08-26 23:09:53 | 日常記
スプリントカー
謎車ですが、ガチのレースカーでしょうね。地面にトロフィーが置いてあるんで、表彰台の経験もありそう。



後ろ。レーシングカーはよく分からんのだ。


スプリントカー#33J
謎車具合ではこっちの方が上ですね。なんだこの空気抵抗の塊は・・・。


コックピットの真上にあるのはウィングで、一応ダウンフォースを生み出せるような構造になってますがな。これでいいんだ。


フォード・フュージョンレースカー(2015年式)
レースカーなのでよく分からん。前照灯はなんだかウソっぽいし、どうも胡散臭い。


後ろ。うーん、チープさが。


シボレー・3100系ピックアップ(1952年式)
ひと目で魔改造されたと分かるピックアップです。サテンブラックのボディもこういう改造車には合うのなー。


こういう路線かー、という内装。デスメタル系?それにしたってきれいに仕上げていますね。
座席の上に置いてあるリモコンが気になりますが、なんだろうね。


荷台の底が跳ね上げられていて、リアエンドが丸見え。このタンクはエアサスで車高調するための空気タンクと見た。実際、運転席側の車輪だけニーリングしてますしね。


インディアナポリス・レースカー(1965年式)
これもガチレース仕様の車ですね。当時のレーシングカーはこんな感じでしたね。


エンジンが半分裸になっています。


シボレー・シェベルZ-16(1965年式)
フォード・フェアレーンと競合する大衆向けの中型車です。ボディがおおまかに2ドアと4ドアに分かれていて、この個体は2ドアハードトップ仕様です。


この個体は、当時新型の396型ビッグブロックエンジン(6.5L V8)を搭載したもので、200台の限定生産だったようです。このエンジンは大型車用だったので、中型車に大型車用エンジンをぶっ込んだということでパワー厨だった模様。


運転席。


後ろ。




ダットサン・サニー(1973年式;B110系)
唐突に多摩ナンバー。日本車。しかもダットサン。
この頃のサニーはカローラと覇権を争っていたことで知られてますがな。アメリカでも販売されていて、これも左ハンドル車なので現地販売されていたものでしょう。
なので多摩ナンバーはダミーなのだと思いますが、ダットサンへの敬意が感じられて少し嬉しいです。


日本車の旧車だと維持にハンデを負いそうなイメージがありますが・・・、とてもきれいな状態ですね。


フォード・モデルAチューダー(1928年式)
御存知モデルAです。モデルAもホットロッドに片っ端から改造されてしまったので通常仕様はあんまり残っていないらしいです。
これも相当レストアしたように見えます。


車内。


後ろ。

以上で、会場内の展示車をすべて見終えました。特にオチはないですがこれでおしまいです。
ビクトリア市内だけでもこれだけの旧車があって、カナダの自動車文化の深さを垣間見たように思います。これがトドメになってアメ車も私の関心対象になりましたとさ。めでたし。

おしまい。

カナダの旧車展示会で魅惑のアメ車を堪能する その10【2016/5/28】

2020-08-25 22:03:39 | 日常記
GMC・T-14(1937年式)
この会場では初登場、GMCのピックアップです。積載量1/2トンだそうな。
15ドルで叩き売られていた個体を買って色々弄り倒した模様。


エンジンはシボレーの5.8L 4ボルト・メインエンジン、後輪軸はフォード・エクスプローラーのもの、トランスミッションはおなじみシボレー700R4、全輪ディスクブレーキ化、エアサス装備、パワーウィンドウ装備、遠隔操作式施解錠装備、CDプレイヤー装備、等々・・・魔改造を受けています。


ステアリングホイールはフォード・サンダーバードのものを、シートはボルボのセダンのものをそれぞれ移植したそうな。


見た目はビンテージカーなれど、中身は現用装備で固めているのも、旧車を楽しむひとつの選択ですな。


フォード・クーペ(1932年式)
ボディとシャーシは切った貼ったはしたことのない原型なのが売りなのだそうな。


エンジンはコルベットL-79型に換装しています。トランスミッションはターボ350型だそうな。


ピンぼけしているけど運転席。さすがに内張りや座席は張り直しているようです。


後ろ。


ジャガー・Mk-II(1964年式)
御存知イギリスの高級車です。光岡に形がよく似た自動車があったような気がしますが、これが元ネタでしょうかね。
これも現用の快適装備を満載していて、ABSブレーキ、エアバッグ、空調装置、電動窓、電動施解錠、電動ドアミラー、間欠ワイパー、位置記憶機能付電動座席、シートヒーター、等々・・・。


後ろ。


シボレー・カマロSSコンバーチブル(1967年式;初代)
御存知カマロ君の初年発売の個体です。SS(スーパー・スポーツ)なので高性能グレードですね。


ボンネット。


こんな感じです。


車内。


後ろ。


カスタム・プロ・ストリート・チョッパーという二輪。バイクはよく分からん。


フォード・マスタングGT(1967年式)
御存知アメ車を代表するスペシャリティカーの初年発売の個体。やはり初代はカッコ良きかな。実物見たのはこれが初めてかな?


車内。


後ろ。きれいなファストバックスタイルなのだ。

というところで今日はここまで。


最終回へ→

カナダの旧車展示会で魅惑のアメ車を堪能する その9【2016/5/28】

2020-08-23 20:14:57 | 日常記
MG・MGB GT(1967年式)
イギリス製の大人気スポーツカーです。これは日本でも有名な部類だと思います。
北米のMGBだとアメリカの衝突安全性基準を満たすために後期型ではバンパーがラバー製になってダサくなりましたが、これは前期型なのでクロームのバンパーになっています。やはりこっちの方がかっこいいですよね。


MGBは基本的にはオープンカーですが、GTモデルはファストバックスタイルのハッチバックになっています。


MG・YA(1948年式)
どうやらここはイギリス車軍団のようです。
YAは初めて知りましたが、1947~1953年製造のスポーツサルーンだそうな。


後ろ。


トライアンフ・TR3A(1962年式)
車種どころかメーカーすら初耳でした・・・。これもイギリス製スポーツカーです。
車種全体としてはTRが車種名で、その後ろの数字や英字はサブタイプですな。TR3Aは、最初の量産型TR2のマイナーチェンジ版で、前照灯とグリルの位置が変わったんだそうな。


・・・カエルですな。


背が低く。
この前後フェンダーの形状は、昔の神奈中バスの裾部の赤塗装を想起させるものですな。


スタンダード・アトラスメジャー(1963年式)
イギリスのスタンダード社のライトバンです。これもメーカーからして知りませんでしたが、オーナーも渋いものを持っていますね。


現在の視点から見ると変わった構造をしています。運転室と貨物室で屋根の高さが違っています。ダイナルートバンみたいなチグハグな印象が。
それと、キャビンのドアが引き戸式になっています。これは反対側も同様です。
あとは、前輪がボディに埋まっています。曲がれなさそうな感じがします。実際、これの最小旋回半径は8.3m (29ft)だそうな。ハイエースの方がよっぽど曲がれますがな。


バックドアは開き戸式。


オースチンヒーレー・100BN1(1954年式)
オースチンは聞いたことあるけど、車自体は初見ですねぇ。
TRがカエルならこれはカニみたいな印象のスポーツカー。でも魅力的。


運転席。車種名の100は100mphで走ることが出来たから。これでアメリカの草レースでブイブイいわせていたそうな。


トライアンフ・TR3B(1961年式)
TR3Aのアメリカ市場向けです。2.2L、直4、116馬力エンジンとそれ用のギヤボックスを持っています。


運転席。


後ろ。


サンビーム・ミンクス(1967年式)
ヒルマン・ミンクスをベースにした自動車です。正直経緯がよくわからん。このモデルのヒルマン・ミンクスは、いすゞでもノックダウン生産していたことがあったようです。


後ろ。


スタンダード・ヴァンガード(1950年式)
イギリス車ですがアメ車みたいなボディをしている自動車。輸出も積極的にされていました。これは、第二次世界大戦で国家経済が傾いたイギリスが外貨獲得のために奨励したことだそうな。


運転席。木目のインパネが素敵。

以上、かつての栄えあるイギリス車軍団でした。
というところで今日はここまで。


その10へ→

【1/32】トヨペット・クラウンRS 1955年式【ギャラリー】

2020-08-22 20:23:35 | 模型ギャラリー
キット:1/32オーナーズクラブ#6 `55 トヨペット クラウン RS
仕 様:素組

福山自動車時計博物館で見かけた自動車の中で気になった車種のプラモデルを作ってみることにしました。クラウンは今もモデルチェンジが続けられている歴史の長いセダンですが、それの初代はこんなに小さかったのかと思ったもので、作ることにしました。


車体は博物館の個体と同じ黒で塗装しました。


グリルの塗り分けが厄介でした。


助手席側。


後ろ。


運転席側。フェンダーの内側に隠しているので見えないですが、これも飾っているうちにタイヤが全て割れてしまいました・・・。


以上、トヨペット・クラウンRSでした。

【1/32】マツダ・T2000 1956年式【ギャラリー】

2020-08-20 23:32:36 | 模型ギャラリー
キット:1/32オーナーズクラブ#18 `56 マツダ T2000 オート三輪(マイクロエース)
仕 様:素組

福山自動車時計博物館で見た自動車の中で気になった車種のプラモデルを作ってみることにしました。そのひとつがT2000です。いわゆるオート三輪ですが、後年に開発された車種だからか、垢抜けた外観で荷台も大きいのが気に入りました。


塗装は博物館の個体と同じくすんだ水色です。


荷台は2tトラックくらいの長さがあるんですかねぇ。


後ろ。


運転席側。


タイヤは3つともいつの間にか割れてしまっていました。ホイールがキツかったのかもしれませんが、普通に素組で装着しているので、ちょっと困るなぁと思います。


以上、マツダ・T2000でした。

【マイクロエース1/32】マツダ・T2000&トヨタ・クラウン【製作】

2020-08-19 20:59:07 | スケール模型製作記
2019年8月に旅行に行った時に広島県福山市にある福山自動車時計博物館に寄ったのですが、そこに影響されて、保存されている旧車のプラモデルを作りたくなった次第。
50~60年代の日本車のプラモデルとなると、アリイ(マイクロエース)が発売している「オーナーズクラブシリーズ」が好適です。この中から博物館で見て気に入ったやつ全部で5台分を買いました。まずは、マツダ・T2000とトヨタ・クラウンを作ることにします。


ノリと勢いで買って作ることにしたので、あまり深いことは考えず、ババーっと作っていきましょう。そういう点からも、1/32縮尺のキットは好都合です。
オーナーズクラブは、1980年代にエルエスという会社が発売していたもので、エルエスが倒産した後はマイクロエースが引き継いで現在でもまれに再販しています。なので金型がくたびれているんでしょう、バリがあちこちに発生しています。写真の前輪が収まるところはもうセンベイになっています。まあ古い商品はそういうものなので、丁寧に処理していきます。


シャーシは完成後見えないので塗らない派ですが、T2000は腰の高いトラックなので丸見えになります。よって、信義を曲げてここは黒で塗装します。荷台の裏側もタンで塗っておきます。


車内は、この時期の車は外装と色が同じことが多いので塗るのが楽です。座席の部分は手持ちの塗料で塗っておきました。


ボディは博物館にあった物と同じ水色です。屋根はキャンバスらしいので、緑色です。


ライトケースの奥は穴を開けてしまいます。


ライトケースとその横のリブの部分にはハセガワのメッキシールを貼り付けました。


続いてクラウンです。あまり書くべきところもなかったので飛ばし気味で。
色はこれも博物館の物と同じ黒。グリルとバンパーはメッキなので、クレオスのスーパークロームシルバー2を吹き付けましたが、あんまりメッキになってくれませんでした。たぶん下処理してなかったからだと思いますが・・・。


内装は実車をもとにそれっぽい色を塗りました。


最後に、クリアコートを厚めに吹いて組み上げたら完成です。小さい車だし手軽に作るのが目的なので研ぎ出しは省きました。
車種もキットの作りも古いものですが、自動車なので飛行機みたいに合わせに困る場面はなく、部品も少ないのでチャーっと作ることが出来ました。残りの3点もまたそのうち作ります。

完成品はギャラリーにて。

<T2000使用塗料>
ボディ:H25・スカイブルー(8割):H1・ホワイト(2割):H22・グレー(少々)
シャーシ:N2・ブラック
荷台:H27・ライトブラウン
屋根:XF71・コックピット色(日本海軍)
フェンダーミラー、ワイパー等:X11・クロームシルバー
座席:H73・ダークグリーン

<クラウン使用塗料>
ボディ:GX2・ウィノーブラック
バンパー、グリル、ホイール:SM206・スーパークロームシルバー2
座席:H42・ブルーグレー
ダッシュボード:H5・ブルー
ドアトリム:H47・レッドブラウン

東南project ~God’s Blessing on This Wonderful Singapore! その6【2018/2/9~13】

2020-08-16 18:14:03 | 海外旅行記
2018年2月10日(土)12時19分
シンガポール キングアルバートパーク駅前停留所
次の場所へは路線バスで移動します。自分の乗る路線が来るまでバス撮影します。これはSBSのボルボ・B9TLオリンピアン#74 Buona Vista Rd.。元イギリス植民地だからか、二階建てバスも走っているのです。


スカニア・K230UB (Euro V) #154 Boon Lay。


SMRTの#184 Bukit Panjang に乗ります。シンガポールの路線バスは$1.4~$2.5の間の距離変動制運賃です。前乗りで料金先払なので、現金払いだとイチイチ運転手に料金を聞く必要が有りにけり。小銭も用意しなければならないので、何かと面倒だと思います。
私みたいにツーリストパスを買うか、あるいはSuicaのシステムに近いイージーリンク・カードを使うのが楽だと思います。
車内はクロスシート主体です。


Aft. Old Jurong Rd.停留所で下車。車両はメルセデス・ベンツ・O405G連節バスでした。


バス停はこう。
停留所名と乗り入れ路線系統番号が書かれていて、分かりやすいね。


バス停を降りて徒歩1分、来たのは「旧フォード工場 (Former Ford Factory) 」です。いや本当にこういう名前。
名前からは連想しづらいですが、ここは戦争資料館です。自動車博物館とかではないのよ。

場所はここ。


この場所は、太平洋戦争の緒戦で大日本帝国陸軍が当時イギリス領のマレー半島とシンガポールに侵攻した際、最終的にイギリス軍が降伏しました。そしてイギリスが降伏文書に調印した場所がここのフォード自動車の組立工場だったのです。


建物はやけにきれいですが、建て直しじゃなくて当時から残っているものです。ただ内部は原型を留めていないと思います。
このフォードの工場は1941年に建てられて、マレーシア、ミャンマー、タイ等の東南アジア向けの自動車の組立工場として稼働していました。
日本軍がマレーシアに攻め込んだ1941年12月8日に工場は操業停止し、イギリス軍の軍用車や戦闘機の組立工場に徴用されました。日本軍がシンガポールまで侵攻してきた1942年2月13日には日本軍に乗っ取られて臨時の司令部になりました。んで、2月15日にイギリス軍と日本軍の間で降伏文書が交わされました。
それから日本が戦争に降伏するまでは日本向けの軍用車の生産を行っていました。終戦後はフォードの所有に戻り、1947年~1980年まで組立工場として操業していました。閉鎖後は放置されていましたが、2006年に国定史跡に指定された上で戦争資料館として活用されることになったのでした。


入館料を払って館内へ。当時の史料を交えたパネル展示が主です。
土地柄、イギリス軍が日本軍に降伏してシンガポールが日本に占領された、というかシンガポール側の視点で展示されております。まあそうなるな。



これは当時の日本の雑誌の記事だそうな。極東イギリスの要塞シンガポールとは何たるやが書かれています。


シンガポール市街地の地図だそうな。


川西富夫くんの出征旗だそうな。


東南アジアの地図だそうな。

こういう資料を展示しながら、戦前のシンガポール、日本軍の侵攻、イギリス軍の防衛なんかを説明しています。


敵軍戦闘指揮要領要図だそうな。


これはイギリス海軍の無線機 (Type CKP-46159-A Radio Receiver) だそうな。


ここの目玉展示が出てきました。
1942年2月15日、イギリス軍の指揮官アーサー・E・パーシバル中将と日本軍の山下奉文中将との間で降伏文書が交わされた時の机と事務室が残っています。歴史を作った机と事務室です。
写真に描かれていたものと同じですね。


色々と降伏条件を引き出そうとするパーシバル中将に対して山下中将が「イエスかノーか」と迫ってきたこの席での話は有名ですね。


壁の黒板は映像が流れるようになっています。山下中将ですな。


ここからは日本の占領政策に関する展示です。占領後のシンガポールは昭南島に名前を改められました。

占領後に日本は組合を作って食料や生活物資の流通を統制し、配給制にしました。が、シンガポールは元来物資を輸入に依存していました。後年、日本の輸送船が連合国の通商破壊作戦で寸断されると物資が枯渇するようになるっていうお馴染みのアレに陥りました。市民は相当苦しめられたようです。
1943年、日本は物資の自給自足を始めますが、そもそも原材料がないのでどうしようもなく、予備部品も払底して日用品の使用にも支障をきたすなど、ヤバみが増してきました。ここで例としてあげられている1日あたりの米の量は、占領開始時が397gだったのに対して1944年2月には男性158g、女性119gと激減しました。あーあ。


日本が戦争に負けるとまたイギリスがヤアヤアと舞い戻ってきました。
戦後はマラヤに自治権を与えましたが、シンガポールとは分離させてイギリス直轄領としました。依然として極東イギリス軍の拠点として戦略的価値が高かったからです。オーストラリアは遠すぎるし香港は中国の内戦でキナ臭いしで、ちょうどよかったようです。戦後10年間は、ソ連の共産化が東南アジア各地を覆ってきていて、シンガポールはそれに対抗する必要もあったのも関係します。
1950年代、こりゃマラヤは西側になるなとイギリスが確信したところで、イギリスはシンガポールをマラヤに帰属させる計画を出してきました。
1955年にシンガポールは完全自治に移行して、この時の選挙で勝利した人民行動党(PAP)が政権に就いて、以来ずっと政権を維持しています。1963年、シンガポールはマラヤと合併してマレーシア連邦の一分になりましたが、こいつらは仲が良くなかったのでマレーシアがシンガポールを追放する形で現在のシンガポール共和国になりましたとさ。


といったところで展示はおしまいです。
第二次世界大戦時のシンガポールというよりはシンガポール共和国建国までの歴史を説明してくれる場所でした。展示は割と中立寄りと思いますが、あくまでシンガポール側の視点に立っているのも外国の戦争資料館ならではです。
シンガポール史を知りたい時にはちょうどよいと思います。冷房が効いていて快適ですしね。



この後は、路線バスでBt Panjang Stn.停留所まで移動。ここで、ブキ・パンジャンLRTという高架鉄道があるので、撮影しようと思ったんですが、バスを降りた眼の前で通過していってしまいました。この路線は休日の日中は40分か60分間隔の運行で、次が来るまでに待たないといけません。この路線は大空港のターミナル間連絡鉄道に使われるような無人運転の小型車が走っています。
なんだかもう嫌になっちゃったし正直次を待つほど魅力がないので、ここは切り捨てて次に行くことにしました。


同日13時55分
シンガポール ジャンクション10
近くにある商業施設「ジャンクション10」内にある食堂で昼飯にしました。肉団子入ラーメンみたいなやつで、スープは東南アジア風です。まあまあでした。


昼飯を食べたら、Junction 10停留所から#961 Woodlands に乗って、Heavy Veh Pk.停留所で#927 Singapore Zooに乗り換えます。これで終点まで乗って、シンガポール動物園に乗り込みます。

というところで今日はここまで。


その7へ→