黒鉄重工

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海王丸のセイルドリル見学 後編【2017/7/29】

2019-06-27 21:20:38 | 日常記

海王丸のセイルドリルが行われた御前崎港を後にして、その帰りに立ち寄ったのが牧之原市相良町にある「相良油田」です。ちょっと行ってみたいと思ってたんですよね。
日本では数少ない油田なわけですが、お察しの通り今は採油していません。埋蔵量は少なかったんでしょうねぇ・・・。
この建物は資料館です。明治初期に採掘が始まって昭和中頃まで採油してたとか当時のここの町並み(畑ばっかりだが)のジオラマとかそういうのがありました。田舎の資料館という具合でして、味がありました。



これは再現された井戸小屋。手掘りの井戸で石油を採集していました。屋根に明り取りの窓が出っ張っているのが特徴です。南向きに据えられたあの窓から入った光は井戸の穴の中を照らすのです。
ちなみに辺りは「油田の里公園」というなんか中東の砂漠の中にありそうな名前の公園になっていて、この時は一族総出のバーベキュー大会みたいなのをやってました。申請すればバーベキューできるっぽいですね。でも、石油を燃料にして肉を焼くというわけではないようで残念。



小屋の中に入ると、なんの奇もてらわずに真ん中に井戸が居座っています。現役時代の井戸の跡地ではなくて新しく掘ったものですが、寸法は当時と同一とのこと。
手掘りですが、穴は柱と桟木で囲いながら掘り進めていきました。深さはだいたい100~180mが一般的。最深記録は255mでした。

井戸と説明板の間にある板状のものはたたらです。これを踏むと坑内に空気を送り込むことができるのです。こうやって空気を坑内に送ってやらないと、坑内がたちまち酸欠になって坑夫がくたばってしまうのです。



いかにも油田の資材を転用したような時計の柱。井戸の穴の上に立てた櫓でしょうな。本物かどうかはわからぬ・・・。



ここだけ弥生時代でした。
基礎の高さがやけに低いな、というか基礎造ってあるのかしら?雨が降ったらすぐに床上浸水しそうですが。



資料館にあるジオラマ模型。設定年代は忘れましたが、たぶん末期の頃?
油田の周りだけひとけがあって、あとは山と田んぼだけという。今もそんなに変わらんぞ。



採掘道具とか汲み出しの桶とか井戸に吊るす滑車とか。



原油を汲み出している敏三(左)とたたらを踏んでいる久夫(右)。サービス残業もこれで10日連続です。



見学の最後に、実際の採掘場(油井)がひとつ残っているというので、見に行ってみましょう。公園を出てすぐの道路を少し歩くとこんな看板が目に入ります。



道が観光用に舗装されていなければ、本当にこの先に油井があるの?という道を入ります。周りは普通に人の茶畑ですからね。



行き着くところまで行くと、櫓がドンと建てられていました。やっぱりさっき見た公園の時計は油井の櫓を再利用したのかもしれない。



坑口は塞がれてました。残念。
ただしたまに調査のために採油されることがあり、その時は観光客向けに一般公開されてます。


ひと回りしたところで撤収、帰宅しました。
おしまい。

海王丸のセイルドリル見学 前編【2017/7/29】

2019-06-26 22:35:13 | 日常記
2017年7月29日。
静岡県は御前崎港に練習帆船「海王丸」が練習航海の途上で寄港して、その一環として帆を張る訓練「セイルドリル」を披露してくれるのだそうな(ドリルとは計算ドリルとか漢字ドリルとかのドリルだ)ということを聞きつけたので行ってみることにしました。
セイルドリルは昼から始まるので、午前中は他のところをぶらつきます。とりあず浜岡原子力発電所の広報施設「浜岡原子力館」を見てみることに。まだ小さかった頃に一度来たことあったと思います。というか御前崎に行くのもずいぶんと久しぶりですよ。

館内の展示はかなり平易化と単純化がされていて、思ってたよりも物足りなかったかな・・・。というわけなんで、ここの話はバッサリと切ります。


次は御前崎市観光物産会館へ。駐車場には船がモニュメント的に置かれています。
御前崎丸という名前ですが、そんな名前本当にあるの?と思ってよく見てみたらやっぱりテキトーで、本当は漁業取締船「天龍丸」でした。漁業取締は都道府県と水産庁の2つの管轄があるんですけど、これはどっちでしょうね?静岡県ですかね?
船の諸元はやたら詳しく解説されていて、船体はFRP製、エンジンはドイツMTU製8V331型V8ディーゼルエンジン2発、最高速度27ノットなどなど・・・。


目当ては「御前崎 海の模型コンテスト」という企画の展示でした。海に関わる模型ならなんでもOKという企画なのです。2019年も開催しますが、応募はすでに締め切られてしまいました。また来年。
写真のこの富嶽三十六景の模型が今年の優勝作品です。なるほどぉ~。


会館の隣りにあるなぶら市場で昼飯を食べたら、セイルドリル会場へ向かいます。
岸壁には海王丸が停泊していました。見るのは初めてでございます。


綱がいくつにも交差していて美しいです。


後ろから。帆船は後ろから見ても様になるね。


そしてセイルドリル開始。
甲板に実習生が集合し、さらに初めに取り掛かる班はすでにマストに向けてシュラウドを登り始めています。これ、梯子の役割かと思ったらそれはついでで、本来はマストを支えるためのものなんですね、しらなんだ。


どんどんマストに取り付いていって、そこからヤード(横棒)へ散っていきます。この時訓練生の足は1本の綱にだけ乗っかっています。命綱はありますし、体はヤードに委ねているんでしょうけど、ただ立ってるだけじゃなくてヤードに巻かれている帆を縛っている綱を解く作業をするんですから、おっかないことで。


船首から突き出ている衝角みたいなやつはバウスプリットといいます。そこでもせっせと作業しています。


帆がヤードから外されて垂れてきました。一旦この状態で仮置きします。
もっと一気にバサッと展開されるものだと思ってましたが(アニメだとそんな作画が多いような気がしたんでその印象を持ってました)、実際はゆっくりじわじわと広がっていくのですね。


帆を広げるにも順番があるようで、最初に下から2段目の帆を広げていきました。


途中トイレ行ったり動画撮影したりで端折りましたが、このくらいまで展開されていました。


およそ70分後。帆の展開が完了しました。思ってたより時間が掛かる作業でした。
しかし美しいですね、海王丸。帆船いいなぁ、ロマンある。


タグボートの宝永丸。


正面寄りから。背が高くて迫力ある。


帆は汚れて少し灰色がかってますが、使い慣れた味があって好きです。


後ろから見るとあんまりかっこよくないんですね・・・。帆の向きが大事なのか。

この後は帆の収納の実演もありますが、それは見ずに撤収しました。たぶん展開よりも収納の方が時間かかるはずで、収納の仕方も興味があったんですけどね。

メインイベントは終わりですが、もうちょっとだけ続きます。



ドクターイエローと通勤急行【2017/7/8・2017/7/26】

2019-06-25 22:32:08 | 鉄道撮影記

2017年7月8日。
ドクターイエローののぞみ検がこの日運転されるという情報を聞きつけて出撃。私単独ではその情報を知りえないので、人から教えてもらいました。
無難アンド無難というところで静岡駅で待ち構えることにしました。N700系5000番台K12。



N700A系F8。
静岡駅で新幹線の駅撮りなんていつ以来だと思ったわけですが、たぶん300系の引退以来じゃないかなぁ。



そしてドクターイエローこと923形T4。
走っている姿を見たのは2~3回目だったと思います。やはり普通とは違う新幹線という雰囲気です。確かに知らずに見かけたら今日はラッキーという気分になります。



後追いも。
この日はここまで。



日付が変わって2017年7月26日。
早起きして静岡鉄道の急行電車の撮影へ。静鉄の急行は平日の朝にしか運行されないのです。今日は久々に県総合運動場駅の隣で撮影することにしました。
手始めに1000系1009F。



1007F。登場時の無塗装や300形の青帯といった復刻塗装でファンを沸かせた電車でしたが、その後2019年に引退してしまいました。



2017年に登場したA3000形A3002F。通勤急行での運用です。今時珍しい標識灯を点灯させているのが魅力です。A3000形の標識灯は完全に飾りだと思うんですけども、特別感が出ますよね。



平日朝の県総合運動場駅といえば、下り列車の緩急接続、さらにそこから続く当駅止まりの各駅停車の折返し作業が見ものです。静鉄急行電車の見せ場と言っていいでしょう。これがだいたい12分おきに展開されるのです。

最初に、新静岡から来たA3001Fの県総合運動場駅止まり普通が1番線に到着します。車両は新旧関係なく共通運用でしょうからなんてことないんですが、新型に区間列車を担当させるのね。



1分後、後続の1008Fの急行新清水行が2番線に到着。並びますので、緩急接続の画が撮影できるのだ。



区間列車の乗客を拾って、1008Fが発車。この「急」ヘッドマークが付いているのも今どき珍しいのです。A3000形では引き継がれなかったのが残念・・・。
お気づきのように、静鉄の急行は追越しのない平行ダイヤ(例えば名鉄瀬戸線のような)ではなく、途中で先行の普通を追い越す立派な急行を走らせている、ということです。



下り急行発車の2分後、1003Fの上り普通が接近します。



1003Fが駅に停車するよりも前に、A3001Fが動き出して折返し作業が始まりました。
複線だから衝突することは無いとはいえ、少々おっかない。



本線を少し進みます。ちなみにこの時、この少し先にある踏切は作動しないようになっていたはずです。通常だったら作動する距離にいるんですけど、折り返し時だけはそうでなかったはず。踏切のカラ動作を無くしているのはよく練られているなと思います。



渡り線の分岐器を通り過ぎたら、折り返して渡り線を渡るために本線上で停止。通常こういう折返し作業は引き上げ線を用いてやるものですが、静鉄にはそれが無いので本線上で方向転換します。
数分後には後続の列車がやってくる中での停止と方向転換なので、時間に余裕がなく見ていてヒヤヒヤします。そこら辺の懸念はi-ATSの導入で解決しているらしい。



すぐに方向転換して渡り線を通ります。そしたら4番線に入線して、出発まで扉を開けて待機。



渡り線通過の2分後、1001Fの普通新清水行が通過していきました。タイトな中で作業しているのです。



その1分後、1012Fの通勤急行新静岡行が通過。通勤急行は県総合運動場駅には停まらずに通過します。代わりにひとつ先の古庄駅に停車します。
通勤急行通過後に、県総合運動場駅始発のA3001Fの上り普通が発車します。この区間列車は、次の古庄駅で先発した通勤急行が通過する長沼~音羽町で下車する乗客を拾う役割があります。
つまり古庄駅で緩急接続をしているとも言えます。まあ、急→緩の片方向だけの接続ですが。

ここまでが区間列車の折返しの一連の流れです。これが短い時で12分間隔で朝の9時前頃まで繰り返されます。数分間隔で走る電車の合間を縫って本線上で折返し作業を行っているというのが見どころです。カオス駅好きにおすすめ。地元民以外は訪れにくいけど。。。



2巡目は動画撮影をしたので写真はこれだけ。急行はA3002F、普通は1005F。1005Fも2019年に廃車になりました。



1012F急行と1007F普通。1000系同士の並びは今後確率がどんどん下がっていきますね。



最後に1012Fの急行を撮影して撤収しました。

おしまい

北米project 4 ~Is the order a warbird? その94【2016/03/04~10】

2019-06-19 23:33:35 | 海外旅行記
今度はこの潜水艦を見ます。中に入れなかったB-36ではなく、USSドルフィン (USS Dolphin) (AGSS-555)です。艦種記号AGSSは補助潜水艦を表します。AGが補助(Auxiliary; Gの語源は分からん)、SSが潜水艦(Submarine; 2文字目のSは特に意味なし)。
1968~2007年の間就役していたアメリカ海軍の実験潜水艦で、ドルフィンという名前はこれが7代目。最新鋭の装備を試験する実験艦ですので、色々な肩書を持っています。潜水艦として最深記録(3000ft≒914m)の保持、初の潜水艦と航空機との双方向通信、魚雷発射深度の最深記録、水面下でのEメールの送受信、アメリカ海軍で最後に引退した通常動力型潜水艦等々・・・。肩書以外にも色々な開発実績があるようで、それは後のアメリカ海軍原子力潜水艦の性能向上に大きく寄与しています。
通常動力型潜水艦なので、バッテリーに充電した電気で動きます。バッテリー切れになりそうな時はさっさと入れ替えろマヌケェ搭載しているディーゼルエンジンで発電して充電します。いわゆる電気式ディーゼルですな。


船体構造は単純な円筒形で、半球形の部材で両端を閉じています。単純な構造にして実験や構造試験を容易にするためだそうな。


実験艦なので大きさはかなり小さめで、151ft≒46m。第二次世界大戦時代のバラオ級の半分くらいしかないのです。


これの中には入れますので、行ってみましょう。潜水艦の中に入るのは初めてです。船体には足場が組まれていて、なるほど円筒形だから足の踏み場がないのだな。艦首から入る格好です。
ちなみにUSSドルフィンには潜行中のディーゼルエンジン駆動のためのシュノーケルがありませぬ。まあ実験艦だし。


クソ狭い。普通の駆逐艦が豪邸に見えるぞ。
左側は乗員の寝床。4段B寝台。起き上がれないやんけ。


実験艦ですので、怪しげな実験器具みたいなのがあります。何の機械か分かりませぬが、海水を分析する機械でしょうかね?海洋実験的なこともしていた?


ベッドの向かいにはソナー室(Sonar room)があります。僅かな音量の異音を聞き逃さないため、ソナー室は主制御室から離れた場所に分離されています。


その隣には通信室(Radio room)があります。通信設備は良かったようで、水上艦、航空機、人工衛星と音声やデジタルデータを介した通信ができました。全方位UHFアンテナが外のセイルにあります。
一部の通信機器にはFor display onlyという注意書きがあり、これのある機械はUSSドルフィンでは使われてなかったものだと思います。


此処から先が制御室です。
扉の奥に立ちふさがっているステンレスの板みたいなのは、USSドルフィン唯一の乗降ハッチです。乗員の出入りや物資、機材の搬入出は全てここでやってました。外の扉はセイルの上にあると思われ。
私はさっき艦首から入ってきたんですが、あれは退役後に博物館が見学しやすいように後付けで設けたものです。全然そんな感じしなかったけどな・・・。
ハッチ開口部は小さく、大きい機材は分解して入れて艦内で再組立するとか、それでも入れない場合は船体をぶった切って入れるというダイナミックなこともしました。そういうことしても大丈夫なんだ。
また、バッテリー充電のためにディーゼルエンジンを駆動させてる時の換気口の役割もありました。さっきも書きましたがUSSドルフィンにはシュノーケルがありませぬゆえ。そもそもハッチを開ける理由ですが、換気をしないとエンジンの排気で乗員がたちまち一酸化炭素中毒でくたばってしまいますからね。なので発電時は水上航行する必要があります。


ここが制御室(Control room)。映画とかでよく見るので、いいねぇ燃えるねぇ。
USSドルフィンでは操舵手2名(HelmsmanとQuartermaster)、制御手2名(深度制御担当と推進移動担当)、レーダー手、士官、艦首と艦尾をそれぞれ担当する伝達手というか使い走り2名で運用されます。


胸アツアイテム、潜望鏡。ウィーンと天井から下がってきてハンドルをガシャッと広げて海上の様子を覗くやつ。ああかっこいいのぉ。


潜望鏡を実際にのぞけるのがまた素晴らしい!というわけで潜望鏡からの眺め。岸が写ってますね。


操舵席ですね。外の様子が分からない。なのでまあ、計器を見ながら指示通りに操作するという運用なんでしょう。軍艦だと水上艦でもそういうもんだしね。USSアイオワもそうでしたが、操舵手からは外が見づらかったですし。
水上艦と違って深度計があるのが潜水艦の特徴ですね。たしかに潜水艦は3次元航行をするから操舵の複雑さが桁違いかもしれませぬ。


これは航法士席。バラストやバッテリーの管理も担当していたようですね。


制御室の階下にあるのがポンプ室。バラスト水の排水をする機械を収めた部屋ですな。同じ階にバッテリー室もあると思います。

USSドルフィンは2002年5月21日、サンディエゴ沖100マイルの海域で充電のため水上を航行中に魚雷発射管の蓋が破損してそこから海水が浸水する事故が起きました。当日は強風と波高さ10~11ftもあったため、エンジン排気の換気のために開けていた乗降ハッチからも大量の海水が浸水してきました。70~85tもの量が入り込み、それはUSSドルフィンの浮力の限界に近いものでした。さらに電気ショートによる火災も発生します。
そんな中で機関長のジョン・D・ワイズ・ジュニアは冷たい海水の溢れるポンプ室に飛び込んで90分以上に渡ってダメコンを行いました。具体的には排水弁の作動とその監視。その甲斐あって艦は安定して、沈没は免れました。乗員も全員退艦して死者なしでした。潜水艦は翌日サンディエゴへ曳航されて3年半かけて修理されて復帰しましたが、その後兵役についたのは1年だけでした。曰く、修理には5000万ドル掛かっているので、そんだけで退役させるのは変だなと思います。
ジョン・D・ワイズ・ジュニアはその後、敵戦闘以外での英雄的行為及び功績をしたものに贈られる海軍海兵隊勲章(Navy and Marine Corps Medal)を授与されました。

と、いう話でした。


制御室を抜けると次は士官室です。ベッドは2段A寝台。当たり前ですがリネン類を除いて可燃物は一切なし。潜水艦で火災とかシャレにならんですからね。水上艦には割と木製の調度品などが見られるので、ここは分かりやすい差異です。


反対側。デスクも狭いよねぇ。



ここがダイニングルーム。ギャレーと食卓が一緒になってます。


食卓。食事の他にも仕事したり休憩したり、艦内では貴重な憩いの場です。
壁側に3つある金庫みたいのは道具箱ですかねぇ?
真ん中の道具箱の上から天井へ向かってぶら下がっているステンレスの板は、食事時に展開して調味料や食器などを置く物置になります。使える空間はとことん利用してやるという意気込みを感じる。


階下につながるハッチ。階段すら無くて、はしごで上り下りします。空間がないのもあるでしょうが、水密の関係もあるんだと思います。


もう一つあったけど、アクリル板で蓋されていてよくわからないニャン・・・。

これでUSSドルフィンの見学は終わり。
実験艦が保存されるのも珍しいと思いますが、これが寄与した功績と、あやわ沈没から救われた英雄的逸話が保存へ向けて働いたのかもしれません。人を惹きつけるストーリーは大切な要素だよねと思います。

外に出てまた次の船を見学します。今回はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その93【2016/03/04~10】

2019-06-17 23:43:41 | 海外旅行記
サンディエゴ海事博物館のつづき。次は「HMSサプライズ(HMS Surprise)」を見学します。
18世紀のイギリス海軍の帆走フリゲート帆船をイメージして1970年にカナダの造船所で建造されたレプリカの帆船です。
建造時はHMSローズとして建造されましたが、2001年にみんな大好き20世紀フォックスが購入し、映画「マスター アンド コマンダー」で主人公たちの乗る船として撮影に使われたのです。その際にHMSローズからHMSサプライズへの改造がされたのだそうな。


この時代の帆船によくある船首像。剣と盾を持った女戦士の像で、ドンパチするき満々だな。盾にはタツノオトシゴが彫られてますが、何か縁起が良かったのかしら?像の形状はどうやら本物のHMSサプライズのものと合致します。
なお本物のHMSサプライズは元々フランス海軍のコルベットを分捕ったものだそうな。その時からの像なのかはちょっと分かりませんけども。


これも乗船できるので上がります。
帆船ですねぇ。いいねぇ。


後部からはB-39が見えます。今回入れなかったのでこれ見よがしに写真撮ります。


これが操舵輪。
フリゲート帆船くらいの大きさになると船の舵を直接操舵するのは力のいる作業になるので、綱を介してテコを使って操舵するようになったのでした。で、その綱を動かすのがこの操舵輪でござい。
船の操舵には欠かせない操舵輪はこの綱を動かすための装置が由来であり、操舵方式が機械式になっても帆船時代の名残として今に至るまで残っているのですな。
操舵輪が2つ付いているのは、2人で動かすのが前提だったからか。これも結構力仕事だったのでしょう。

甲板から海を見渡してみると、向こう側に空母が停泊しています。それもそのはずで、サンディエゴにはアメリカ海軍の基地があるのです。サンディエゴ基地(Naval Base San Diego)とノースアイランド航空基地(Naval Air Station North Island)の2箇所があり、一大拠点ですね。
コロナド半島にあるノースアイランド航空基地は海軍航空隊と航空母艦の拠点になっています。半島のほぼ一帯がクソデカい軍事基地になっていて、そこがもうひとつの街になっています。デカいアメリカ軍基地ではよく見られるやつですね。


ノースアイランドには2隻の空母の母港になっています。この写真に写っているUSSカール・ビンソン(CVN-70)がそうです。原子力空母は初めて見たんじゃないかしら・・・。クソデカいな。
USSカール・ビンソンといえば、その後北の将軍様がイキった時に派遣された空母ですよね。この時見ていたのね。
カール・ビンソンはアメリカ大統領ではないし知らない人だなと思って調べたら、海軍力を増強させた下院議員なのでした。どうでもいいですが、ビンソンといえばガンダムにビンソン計画という用語がありますが、この人が元ネタなのかしらん。


こっちがもう1隻の空母USSセオドア・ルーズベルト(CVN-71)。こっちは大統領から名前を取っています。
ビンソンといいルーズベルトといい、人名を艦名にするセンスは分からんというか抵抗ありますね。将来擬人化されたらどうするんだという要らぬ心配をしてしまいます。


HMSサプライズの見学を再開しましょう。
甲板には日除けのためのキャンバスが張られています。日除け以外にも甲板の下の船室の室温が高温になってしまうのを防ぐ役割もありにけり。


甲板の下にも入れるのだ。右舷左舷ともに大砲が装備されていて、戦争する気満々です。


ここの階はどっちかというと船内の食糧事情が興味深かったです。これはギャレーですね。船内厨房はキッチンではなくギャレーと呼びます。
これは暖炉でベーコンを作っているところ。18世紀の帆船なので冷蔵冷凍設備なんてありませんからね。とにかく保存食を作るのだ。


籠の中の鶏。鶏を生きたまま船に乗せておけばいつでも新鮮な鶏肉が食べられるよね!という発想。ただし鶏は卵を産みますゆえ、それを食べることからそんなにバッサバッサ締めていたことはないんじゃないかしら?鶏の他にアヒルとガチョウ、牛に豚に羊も運んでいた模様。これら食料のために生きたまま積んだ家畜のことをシーストックと呼んどりました。
なお肉と卵にありつけたのは士官だけ。下士官に人権はないんだなぁ。


道具箱がいくつかありまして、中には斧とか剣とか危なっかしいものがたくさん入っていました。これ、戦闘時に相手の船へ乗り込んでカチコミにいく時・・・いわゆる切込みする時に装備するやつでしょう。


ビスケットの上に置かれた魚の模型。見ただけではなんのこっちゃ分からないんですが、この魚はビスケットに湧くウジ虫対策です。
ビスケットは長期保存のために硬い硬いビスケットなんですが、それでもウジ虫が湧きにけり。そこでウジを取り除くためにビスケットの入った樽の上に死んだ魚を置きます。するとビスケットよりも魚のほうが美味しいですから、ウジが魚の方に移ってくるのです。ウジだらけになった死んだ魚は海にポイすればいいんですね。これをウジが湧かなくなるまで根気よく続ければウジのいないビスケットの完成。
船上生活の知恵ですね。でもビスケットはウジの食いかけだし死んだ魚の匂いが移ってそうだし。それどころじゃなかったのかもしれませぬ。

左の樽の中にある緑色のは新芽、つまりスプラウトです。野菜は栽培するもの。肉以上に新鮮な野菜も貴重ですよね。

船員たちは他に塩漬け肉、オートミール、チーズ、バターなどを食べていました。ビールも毎日8リットルは飲んでいたんですってね。わずかながらの娯楽だったのか、それとも何か事情でもあったのか・・・。


24ポンド大砲。やけに年季入ってるな。
大砲を動かすには1門につき6人の要員が必要です。熟練された砲兵達ならば、発射してから砲身内の清掃、砲弾の装填、標的の照準、再射撃まで2分でできます。といっても時間のかかる作業で、なるほど当時の帆船には再発射までの時間を埋めるために大砲がたくさん積まれているわけだと。


下士官の寝床、ハンモック。広げる空間さえあればどこにでも広げてしまうのだ。




特に説明がなかったんでアレでしたが、船尾にあるので船長室ですね。
帆船の船長室が船尾にあるのは、は船尾の方に重心があったから安定していたとか、部屋が風上にあるから他の船室や船員から漂ってくる異臭を嗅がなくていいとか、そんな理由を聞いたことがあります。あとは眺めも良さそうですよね。


ただし、船長室にも容赦なく大砲が置かれていて、意外と戦場との距離はすぐ近くなのだなと。


移乗攻撃時に使うパイク(槍)かと思ったら銃でした。銃身がすっげぇ長いけども。


甲板に戻りました。
マストにはたくさんの綱がぶらさがってますけど、この綱の一本一本にちゃんと役割があるんですから、把握し切るのは大変よのぉ。

HMSサプライズはこれでおしまい。次の船へ移乗します。



富士急行をひと通り撮影 後編【2017/7/15】

2019-06-14 23:06:00 | 鉄道撮影記
富士急行河口湖駅での電車撮影会(被写体はJRの電車だったけど)を終えた後は、下吉田駅へ移動しました。
普通列車と富士登山電車が停車する小さめの駅ですが、駅舎はあるし窓口業務もやっています。駅舎は水戸岡鋭治により改装されてきれいになりました。
あとはなんと言ってもここには富士急行で活躍していた車両が保存されているちょっとした鉄道博物館のような駅でもあるのです。
車両を見学するには入場券を購入する必要があります。


まずは14系寝台車(スハネフ14-20)。富士急行に寝台列車が走ったことはないので、この客車だけは富士急行とは縁のない車両です。
昔走っていた富士急行~中央本線直通列車「ふじ」と同じ名前の列車「富士」に使われていた客車と同じ形式だから、というのが理由です。搬入時はブルートレイン末期だったことでにわかにブルートレインブームでしたので、そういう情勢も手伝ったかもしれませぬ。


これは169系(クモハ169-27)。「フジサン特急」で使われていた2000系の部品取り用に車庫に置かれていたもので、これも富士急を走ってたわけではないんです。
2000系が引退したらもう用済みですので解体の予定でしたが、前頭部だけ残して中央本線と縁ある湘南色に塗装して展示されることになりました。165系も活躍の割に保存に恵まれませんでしたから、一部とはいえよきことだなと。


ここの目玉と言えましょう2000系(2001)。JRの165系のジョイフルトレイン「パノラマエクスプレスアルプス」を譲渡してもらって自社の観光列車「フジサン特急」として使っていました。
先頭がロマンスカーみたいに展望席になっているのが名物でした。葉っぱキメてそうな富士山のイラストも特徴で、2代目フジサン特急にも引き継がれてますね。


黒塗りの貨車(ワフ1、ワフ2、ト104)。
ト104は富士急生え抜きで、ワフは南海電鉄から譲り受けたもの、だということ。


保存車両を見ている前後に現役の電車が行ったり来たりしていました。
これは1000系「富士登山電車」大月行き。1000系は勢力減少が続いていますが、これはまだ当分走っていそうですね。最後まで残るんじゃないかな?


6000系大月行き。


5000系河口湖行き。富士急唯一の自社発注車でトーマス電車、という電車でしたが、2019年2月に引退しました。引退後は下吉田駅で保存展示されています。
5000系は方向幕の文字の書体が独特なものになっていますよね。


電車の撮影時間帯までにはまだ時間がありますので、下吉田駅の近くにある新倉山浅間神社に立ち寄りました。浅間神社なので富士信仰の神社ですね。関東~東海地方、特に静岡と山梨では割とどこにでもある印象。


神社はそこそこに、その上にある新倉山浅間公園へ。この公園は上にある忠霊塔と富士山と桜の組み合わせの写真が外国人向けの日本の観光ポスターなどに使われたことでとても有名になった場所です。日本人よりも外国人の方が知名度高いでしょって場所です。最近は日本にもそれが輸入されてきたんで日本人にも知られるようになりましたが。
ただその景色を拝むためには何百段もの階段を登らねばならぬのです。きっつー。7月にこれは殺しにかかっている。


これが例の写真に写っている忠霊塔。1959(昭和34)年起工、1962(昭和37)年竣工。日清戦争~第二次世界大戦までの富士吉田市出身の戦没者を合祀しています。鉄筋コンクリート造の五重塔です。
ここまで登ってきたら後少しか。


途中見えた下吉田の町並み。手前側には下吉田駅が見え、そこをE259系「成田エクスプレス」が通過しています。どこを走っているか分かるかな?

そしてお立ち台へとたどり着きました。どんな景色が待ち受けているのか・・・?


・・・・・・。

富士山見るならやっぱり、静岡だね。


そして富士急の撮影をば。場所はいつもの寿~三つ峠。ここ以外の場所行ったことあったかな?くらいにはここしか来たことないですね。
最初に来たのは8500系「富士山ビュー特急」河口湖行き。水戸岡鋭治による改造がされてます。富士登山電車といい、富士急は臙脂色が好きですね。
その改造に関してはまあ色々言われてる。JR東海はアンチと信者が極端だから・・・。


6000系大月行きの艦これ電車。


ヘッドマークを正面から。まあ、そうなるな。


1000系「富士登山電車」河口湖行き。8500系とは色味が違うんだね。


183系「ホリデー快速富士山」新宿行き。


183系の沿線撮影はこれが最後になりましたね(駅撮りとか乗車とかはこの先まだ控えてる、ということだ)。
「ホリデー快速富士山」を見るのもこれが最後に。今の「富士回遊」は両数は半減するわ指定席のシステムがアレだわで、大変なことになってるらしい。


20000形RSEこと8000系「フジサン特急」河口湖行き。
ハイデッカー構造で窓が車体の上半分に収まっているというのは、キマってる富士山の絵を描く時に都合がいいのだな~とか思ってました。


485系快速「リゾートやまどり富士山」高崎行き。河口湖~武蔵野線経由~高崎を走る長距離列車。乗り通すと4時間超えになります。それだけ乗れればもう十分だなという。
ただしこれも中央線系統の特急予約システムをチケットレスにした関係で、今後二度と運転されることは無いと思いますが…。


6000系大月行き。


最後に5000系トーマス号河口湖行きを撮影。これもこの日が最後の撮影になりました。

これにて撤収します。楽しかった。
ところで富士急は撮影は何度もしに来てるんですが、未だに1度も1駅も乗ったことがないのでいい加減乗りに行きたいな~・・・と思いながらこの日から2年が経とうとしているのです。いつ行くんでしょうね。


帰りがけに新東名の駿河湾沼津SAに寄り道。ラブライバーの聖地と化していました。

以上おしまい。

富士急行をひと通り撮影 前編【2017/7/15】

2019-06-12 22:43:33 | 鉄道撮影記
2017年7月15日。
特に特別な動機はなかったですが、富士急行の電車の撮影をしたくなったので行くことにしました。はじめに駿河小山駅へ遠回りして、たまたま居合わせた(棒)ZBSを拉致。
そしたら国道138号線を走って河口湖へ行き、いつもの店で吉田うどんを食べたら富士急の河口湖駅へ。


事前に知らなかったのですが、何やら今日は河口湖駅で撮影会をやっているんだそうな。入場券を買うだけで参加できるので入りました。
撮影会の時間まではホームに停まっている電車を撮ります。205系こと6000系ですが、なんか瑞雲師匠のヘッドマークが付いていますね。
ちょうど瑞雲祭りをやっている時期なのでした。そっちには行きませんでしたけど。


戸袋の部分にも立ち絵のフィルムが貼られてます。まあ、今や電車のラッピングくらいでは驚きませぬ。


隣には371系こと8500系。改造後の姿は初めて見ました。まさか再びRSEと同じ線路を走るとは思わなんだ。
改造後の姿は色々言われてますが、現物が残っているだけでも結構なことだと思いますよ。


ただまあ、371系の魅力だった窓の天地の高さを潰してしまったのは「あぁ、そうですか・・・」という具合の顔になりましたけど。


5000系こと1000系。マッターホルン号と富士登山電車です。これもいまや半分以下の勢力になってしまいました。


表に出てバス撮影。
富士急シティバスの日デスペースウィングI+富士1S(E8231)。路線バスだけどハイデッカー構造です。観光バスのお下がりなのかも。
富士重工ボディの高速バス車も少なくなってきているような印象があります。


なんか変わったボンネットバスが。エアロミディを改造したという観光用周遊バス(F5969)です。
ボンネットはハリボテ。ホイールベースも変わってないですから、本来ボンネットにあるはずの前輪も無いです(でもフェンダーのような形状は作ってあるのだ)。でも凝った作りをしてますし、車体本体もフロントガラスの傾斜や方向幕周りの形状に原型との差異がありますから、ここには改造が及んでいるのではないでしょうか。
さらに後部には燃焼炉のハリボテが付けられていることから、このバスは薪バスという設定なのでしょう。薪バスが分かる人少ないだろうに、見るほどに凝ってるなと思います。


そういえばこんなポスターも貼ってありましたね。七駆がまぶしい。


では撮影会会場へ。構内の留置線が会場です。並んでいるのは183系、E233系、485系「やまどり」、ついでにE259系。どれもJRの電車じゃん。


E259系。「成田エクスプレス」用の電車ですが、数が余り気味なのか土休日には河口湖駅まで顔を出しています。なので撮影会に合わせて呼ばれたわけではなく、ちゃんとした運用でここにいます。
しかし2019年のダイヤ改正でJRから富士急行へ直通する特急/快速はE353系の特急「富士回遊」に統一されてしまったので、今はここまで来なくなってしまいました。


主役の3本。型式も用途も異なる電車同士です。


左側が183系。ご存知国鉄型特急電車です。この頃にはすでに廃車の噂は立っていて、今日原稿を書くまでの間に既に廃車になってしまっています。あずさ色の塗装も過去帳入りだし、ホリデー快速富士山ももうありません。


中央はE233系。ご存知JR東の主力通勤型電車。
風防左下の編成番号を見てみると青669編成でした。いわゆる青編成は通常青梅線か五日市線での走行に限られています。過去にも青編成が富士急まで乗り入れた実績はあるみたいですが、珍しいっちゃ珍しいんじゃないでしょうか。


右側は485系「リゾートやまどり」。ご存知ジョイフルトレインです。今日は臨時列車としてはるばる高崎からやってきました。
今時珍しい茶色い電車。座席が広々しているようで、一度乗ってみたいなぁとは思ってますが果たして・・・。


正面から。架線柱も無いし、とてもスッキリした構図がありがたい。


横から。隣に並んでいる富士急の電車と一緒に。


ローアングラー。


隣に並んでいる富士急の電車。撮影会の被写体にはなっていないので少し奥にいます。
6000系が2本、1000系が1本。6000系のマッターホルンは初見だったのですがこの日は動いておりませんでした・・・。

撮影会を出たところで今回はここまで。



【告知】コミックマーケット96サークル参加(4日目西か15b)のお知らせ

2019-06-09 19:08:18 | 日常記

「コミックマーケット96」に当選しました!今回もコミックマーケットにサークル参加します!

今回の配置場所は8月12日月曜日(4日目) 西地区"か"ブロック-15bです。
誕生席の脇ですね。ちょっといい位置に配置されました。



今回の頒布物はサークルカットの通り、今まで撮影してきた北米で走っている路線バスおよび観光バスの車両紹介本にする予定です。前回まで刊行していた鉄道からは一旦離れます。
図鑑と言っても資料はほぼ集まらないものですから、写真と簡単な解説が主の軽めの本にするつもりです。

また、前回好評につき完売となった「VIA鉄道のステンレス客車」の再頒布も予定しています。

また新刊の執筆をせにゃならんので、7月入った辺りからブログの更新頻度が下がると思います。ご了承の程を。

そんな感じですので、よろしくおねがいします。
またイベント前になったら頒布内容を告知します。

北米project 4 ~Is the order a warbird? その92【2016/03/04~10】

2019-06-07 22:04:00 | 海外旅行記
2016年3月9日(水)9時12分
 カリフォルニア州サンディエゴ サンディエゴ海事博物館
トロリーの電停を降りたら海の方へ向かって歩いていきます。海はすぐそこです。すると見えてくるのは数隻の帆船たち。そうですね、博物館ですね。
昨日1日メジャー観戦で息抜きしたので、今日は再び博物館巡りと行きます。はじめに来たのは「サンディエゴ海事博物館 Maritime Museum of San Diego」で、見ての通り古典的な帆船等を数隻所有している博物館です。
アメリカは航空機、鉄道、自動車の歴史遺産保存が盛んな国ですが、船舶も同様に盛んであり、その規模は世界一と言ってよいでしょう。前3つの乗り物はイギリスでも保存に熱心なことで知られていますが船に関してはそこまでではないのです。
特別海洋国家というわけでもないアメリカがどうしてここまでの船舶保存国となったのかは興味深いところです。
日本にもこの手の海事博物館は少ないですからね。珍しいと思いますよ。


博物館の目玉となっているインドの星丸こと「スター・オブ・インディア」。1863年に建造されたウィンドジャマー船です。これは後で見ます。


「B-39」潜水艦。ソ連の641型潜水艦(NATO名ではフォックストロット級)。なんでこんなところにあるのよ。


「HMSサプライズ」。イギリスの帆走フリゲートです。これは1970年に建造されたレプリカです。


サンフランシスコとオークランドに挟まれたサンフランシスコ湾で運行されていたフェリー船「バークレー」。


入館料を払って館内へ。まずはB-39でも見ましょうかね・・・と思ったら「修理中なんで見学できないよ」の看板が。あっ、さいですか・・・。早速再履修・・・。
フォックストロット級は、第二次世界大戦後に初めて設計されたソ連のズールー級の改良型として開発されたもの。なのでズールー級と似た形をしているそうな。
なのでSLBMは装備していないし、動力も通常のディーゼルエンジンです。設計的にもUボートの延長線なんだそうな。それでも潜水艦や水上艦の攻撃を目的にした攻撃型潜水艦です(艦名のBが通常動力式の攻撃型潜水艦を意味する記号)。


B-39の艦橋。なんか窓がたくさんついているけど、耐圧大丈夫なのかな?それかブリッジは耐圧構造でないのかもしれませんが。

B-39は1974年レニングラードの造船所で建造され、極東ウラジオストクの第9潜水戦隊に配備されました。インド洋から太平洋のアメリカとカナダ沿岸まで縄張りにしていました。
1994年に除籍され、カナダの個人に売却されました。その後シアトルでの展示を経由しながら2005年にサンディエゴに辿り着いたのです。


博物館の奥にある浮き桟橋にはカリフォルニア人丸こと「カリフォルニアン (Californian)」がいました。1848年の密輸監視艇(Revenue cutter)ローレンスのレプリカとして1984年に建造されたもの。2003年に当時のシュワちゃん知事が署名して州公認の帆船(トールシップ)に認定されたそうな。


大砲。まあレプリカなんだろうけど。


こっちはカノン砲といった趣の大砲。


乗船できたので甲板に上がってみました。
密輸監視艇は文字通り密輸を水際で取り締まるための船です。財務省の下部組織の歳入監視船局(Revenue Cutter Service)が運営していました。この場合のカッターは小型艇の意味だよ。
見つかったら逃げるだろう密輸船を取り締まるために密輸監視艇は高速性が重視されとりました。船体は小型で喫水は浅く、帆を張るマストも2本だけです。


マスト周り。うーむ、帆船だ。
密輸監視艇について調べようとすると米墨戦争まで遡る必要があるんで、ちょっと今回はパスしましね…(手抜き


船尾。めっちゃ喫水線が浅いところにあるな。横転してしまいそうに見えるけども。なお前の方には立ち入れませんでした。USSアイオワの悲劇再び。


ふと空の方を見てみると旅客機が着陸してくるところでした。しかも日本航空のB787-8(JA840J)でした。サンディエゴ行きがあるんだ。
こんなに高度が低いってことは空港も近くにあるんですね。

というところで今回はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その91【2016/03/04~10】

2019-06-06 23:26:38 | 海外旅行記
2016年3月9日(水)7時57分
 カリフォルニア州サンディエゴ オールドタウン駅
6日目の朝です。今日が実質的に今回の旅行の最終日です。モーテル最寄り駅のオールドタウン駅から行動開始です。
ここは文字通りサンディエゴの歴史保存地区「オールドタウン」があるのですが、今回は見送りました。

オールドタウン駅はMTSのLRT「トロリー」とその路線バス、サンディエゴの通勤鉄道「コースター(Coaster)」が乗り入れる駅です。アムトラックの「パシフィックサーフライナー」も一部の列車が停車します。


すぐにコースターの列車が来ました。郊外方面へ向かう635レ オーシャンサイド行きです。
先頭の機関車はMK製F40PH形2101号機。F40PHはかつてアムトラックの主力機だったディーゼル機関車です。大陸横断列車も牽引していましたが本来は短距離列車用に開発された機関車だったので、通勤鉄道でも数社が導入しています。


後追いも撮影します。客車は通勤鉄道でおなじみのボンバルディアBiLevel車です。横から見ると八角形の車体をしていて、制御客車の前面も素っ気ないものが多いアメリカの客車の中では比較的マシな部類に入ります。

コースターを見送ったら、トロリーでサンタフェ駅へ行きます。


サンタフェ駅へ着きました。そこにはパシフィックサーフライナー(Pacific Surfliner)が停車していました。
サーフライナーはサンディエゴ~ロサンゼルス~サンタバーバラ~サンルイスオビスポを結ぶアムトラック・カリフォルニアの中距離列車です。全区間乗り通すと8時間以上も掛かりますが、大抵はサンディエゴ~ロサンゼルス3時間移動の列車が多いです。
サーフライナーの源流はサンタフェ鉄道が運行していた「サンディエガン」という快速列車。アムトラック発足時にアムトラックへ継承されました。ロサンゼルス~サンディエゴという列車移動にはちょうど良い都市圏を結んでいたので利用は好調だったようで、増発や北方への区間延長がされました。それに合わせてサーフライナーへの改名やサーフライナー形客車の投入などがされて現在に至っています。


サーフライナーの客車はアムトラックの長距離型客車スーパーライナーを雛形に短距離用に再設計したサーフライナー形というもの。車体の上半分が青いのがなかなかかっこいい。
2両目にちょうどスーパーライナーが連結されているので比べやすいですが、両開きの扉が片側2箇所に増えていて、乗降時間の短縮を図っています。あとは車内の2階へ上がる階段も通勤用に設計されています。座席は固定式クロスシートで、スーパーライナーよりも座席間隔は狭いです。
あとは終点での機回しの不要なプッシュプル方式にするために制御客車が造られていることも特徴でしょう。客車の妻面に運転台と灯具類をつけただけの簡単な前面は素っ気ないの極みです。もうちょいなんとかならなかったんかと思いますが・・・。空力なんて知るか、という形状ですがこれが意外と飛ばすんだな。なお荷物室もあるので、クハニ6905ですな。

アムトラック・カリフォルニアはカリフォルニア州内で運行する短中距離列車に付けられるブランド名です。運行自体はアムトラック本体がやっていますがカリフォルニア州が財政援助をしているのでアムトラック本体とは別ブランドになっているんだそうな。


2両目に連結されているのは長距離用のスーパーライナー形です。利用者数が好調なので急遽アムトラック本体から借りてきたそうな。あくまで一時的に借りているだけだからなのか、塗装は通常のまま。なので混色編成になっていて、編成美は劣ります。
内装も変わらずなので、グリーン車並みの座席を持っています。サーフライナー形よりも上質な乗り得客車なのです。ただし乗降扉は閉鎖されているので、乗降時には隣の客車へ移る必要があります(スーパーライナーの扉は手動なのだ・・・)。


サーフライナー形の中間客車。これは1階がカフェになっています。
サーフライナーは2000年代前半に製造されたのですが、それには似合わぬイコライザー台車を履いているのが特徴です。アメリカの軌道ではこれのほうが却って適しているのだ。


サンディエゴ側に連結されるディーゼル機関車。EMD製F59PHI形462号機です。短距離の通勤鉄道でよく見かけるディーゼル機関車です。
なお、その後2018年からディーゼル機関車はシーメンス製チャージャー形に更新され、現在は完全に置き換えられてしまいました。機関車は廃車にはならずに他の鉄道へ譲渡されました。
さらに、客車もシーメンス製の新型に置き換える計画があるみたいですよ。


この組み合わせも時期に過去の光景になってしまいますね。


出発時刻になったので先頭に行って発車のところを撮影します。
8時25分発767レ サンタバーバラ行きです。


ズズズズズ・・・と低いエンジン音を出しながら発車していきました。


サーフライナーの出発と同時にコースターが到着してきました。ちょうど良いタイミングでの離合とは行きませんでしたが・・・。


コースターの638レ サンディエゴ行き(#2304他)。つまりここが終点。
コースターとサーフライナーの運行経路は完全に重複しているのですが、短距離のコースターと中距離のサーフライナーで棲み分けができているようです。コースターの終点オーシャンサイド駅はロサンゼルスよりも結構手前に位置します。
また停車駅も各駅停車のコースター、一部停車の快速列車相当のサーフライナーという分離がされています。


塗り分けは単純ですが明るく爽やかな塗装です。


機関車はF40PH形2102号機。


続いて640レも到着。通勤時間帯なのでバンバンとやってきます。先頭は#2309。


機関車は2105号機。至って普通のF40PH。
コースターのF40PHは全てF40PH-2C形という派生型。2C型は走行用エンジンの他に客車へのサービス電源(HEP)用エンジンを搭載している2型の更新車。カミンズ製HEPエンジンを搭載しているので2C型になっています。他にキャタピラ製エンジン搭載の2CAT型も存在。
さらに、これはEMD製ではなくモリソン・ヌクーソン(MK)でライセンス生産されたもの。

なおコースターのF40PHもチャージャーに更新される計画が進行中です。2021年から導入開始なので、記録するなら早めに。またF40PHの勢力が減りますね・・・。


コースターの通勤客車、バイレベル形(#2201)。中間客車のトップナンバーでした。


制御客車#2309。


ホーム間の移動は構内踏切で。


アムトラック/コースターのホームと駅舎の間にあるのがトロリーのホームです。
3編成繋いでいて、両端が4000形(シーメンス製S70)、間が2000形(シーメンス製SD-100)です(#4001+#2045+#4058)。真っ赤な車体を屋根と裾の黒が引き締めていてかっこいい。
S70はサンディエゴ以外の都市でも採用例が多く、アメリカでは勢力の大きいLRVです。


もう1本(#4038+#2040+#4017)。手前と奥の4000形でパンタグラフの向きが違うんですけど、つまり車両の向きが違っているということですよね。運行していくうちに向きがあべこべになる路線になっているんでしょうけど、これでも問題ないんだな。
なんだか見た感じ4000形で2000形を挟む組み合わせが多いですね。何か都合が良いのかしら。なお2000形よりもさらに古い旧型車が来るのを期待していたんですが、結局見られず。もうほとんど廃車になっていたので最初から確率は低かったんですけどね。


2000形3連で編成された列車(#2007+#2002+#2046)。


サンタフェ駅で列車を一通り見られたので、トロリーに乗ってひとつ隣のCounty Center/Little Italy駅へ行きます。

今回はここまで。