黒鉄重工

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北米project 4 ~Is the order a warbird? その81【2016/03/04~10】

2019-03-30 23:47:14 | 海外旅行記
ノースアメリカンF-86Hセイバー(5機目・420機目)
F-86の戦闘爆撃型。胴体の形状が微妙に変わってます。
なんかパチもん臭いなぁ、と最近そう見えるようになったんですが、これで私も近所のセイバーマニアになれたかもしれないです。


LTV A-7DコルセアII(1日ぶり3機目・421機目)
アメリカ海軍が開発したA-7攻撃機の空軍版。空軍が海軍の開発した機体を使うなんてのは腹わた煮えくり案件ですが、核爆撃機ばかりにウツツを抜かして自前で近接航空支援機を開発しないでいたんで自業自得だなって。
ベトナム戦争までのアメリカ空軍の航空機が核戦争前提の機体ばかりだったのに対して海軍はまだ通常戦力も有していたので、F-4の時もそうでしたがどうにかなりましたね。


リパブリックF-84Fサンダーストリーク(1日ぶり3機目・422機目)
アメリカ空軍の戦闘爆撃機。これはサンダーバーズ塗装をしていますね。サンダーバーズの初代機がF-84でした。


BACライトニングF.53(1957年・423機目)
米ソとの軍事力の格差が広がる中で、このままではイカンでしょ、と奮い立って開発した英国面全開のジェット戦闘機です。
これを完成させるまでに各メーカーを巻き込み数多もの試作機が造られてきたんですが、それはまた別のお話。というかイギリスの博物館に大事に保管されとりますので。そのうち見に行く機会があるかもしれませんね。

で、機体の方ですが、迎撃戦闘機として優秀だぞ、という評です。ただ、外観が笑いを取りに来てるのでそっちをよくネタにされがち。
今から見ていきますけど、主な特徴は「縦に配置された双発エンジン」と「後退翼みたいな形状のデルタ翼」です。

展示機のF.53型は、イギリス仕様のF.6型のサウジアラビア向け輸出仕様です。なのにマーキングはロイヤルエアフォースなのでおやおや...という感じですが。


まず縦置きエンジン。縦に置いてあると言っても排気口が地面を向いているということではなくて、向きは普通ですが縦に2段重なって置かれているのです。後にも先にもこんな配置は無く、まさにライトニング独特といえます。

左右に配置するよりも空気抵抗が少なくなるのだとか片肺飛行になっても安定性が高いのだとか、というのが理由ですが、これに続く戦闘機が現れなかったことから、ビミョーだった模様。左右配置よりも整備性が悪いとか重心が高いとかそんな理由ですね。
そういう配置なので、横から見るとデブに見えますが上から見ると実はスマートなのです。物事は多角的に見ないとダメなんだぞということを我々に教えてくれますね。

なお縦配置の弊害としてもうひとつ、胴体を細くしたため胴体内に燃料タンクが置けなくなったというものがありにけり。あまり容量がないと航続距離が減ってしまっていけません。
次に考えられる配置先である主翼には降着装置を付けてしまったため(この配置もそもそも胴体に降着装置を付けれなかったから)、主翼にも空間がありませぬ。
そこで、胴体下面に膨らみの付いた燃料タンクを付けてどうにかしました。結構目立つタンクで、おかげで卵を蓄えた魚みたいな姿に見えます。


主翼は地面からの観察だと分かりにくいんですが、角度のキツイ後退翼になっています。一般的に一部を切り欠いたデルタ翼(クリップド・デルタ翼)ということになってますが、ちょっとムリがあろうかと。
このキツイ後退翼では、フラップはともかくエルロンを後縁に付けても舵の効きが悪いので、翼端にエルロンを付けてしまう離れ業をやってみせます。
あとは、主翼に降着装置を付けたので燃料タンクが入れられなくなったのは今書きましたが、それだけでなく増槽やミサイルも主翼下に装備することが出来なくなっています。
ミサイルは胴体に装備できましたが、増槽は主翼の上面に付けるというこれまた離れ業というか苦肉の策で乗り切りました。

余談ですが、イギリスの博物館にはライトニングを垂直にした状態で天井から吊るして「どうだ参ったか」と言わんばかりに展示しています。まるでイカの干物みたいですが、独特な主翼がよく観察できるのでよくやったもんだと思います。
やはりそのうち見に行きたいもんですね。


リパブリックF-84Cサンダージェット(1日ぶり3機目・424機目)
F-84の初期型ですね。特に書くこと無し。


コンベアF-106Aデルタダート(2日ぶり2機目・425機目)
F-102の改良型ですね。
センチュリーシリーズの中では長生きした方で1988年退役でした。F-106が優秀だったと言うよりは後継機が不在だったので使い続けざるを得なかったというところでしょうが。


ロッキードP-80Bシューティングスター(1944年・426機目)
またT-33ですかぁ、と思ったらT-33の原型になった戦闘機のP-80でした。
「アメリカ軍で初めて本格的に量産されたジェット戦闘機」という称号を持っています。「本格的に量産された」という回りくどい言い方なのは、P-80以前に量産されたジェット戦闘機P-59(生産数60機)がいるから。これが「アメリカ軍初の量産型ジェット戦闘機」の称号を持っています。ただしP-59は失敗作と言われるくらい低性能だったので次第に存在を消されてしまい、代わりに外に出しても恥ずかしくないP-80が妙な言い回しと共に表に出るようになったのです。実際の所P-80は量産型のジェット戦闘機としては2番目です(ちなみにP-80は1,700機造られた)

胴体中央にジェットエンジンを置いて機首側面から空気を取り込むという以後のジェット戦闘機の基本スタイルを確立した機体と言われていますが、この配置の元祖はP-59で間違いないので、ケリー・ジョンソンはそれをパクったんでしょう。

1944年には初飛行をしていて、WWII中のヨーロッパにも持ち込まれています。ただし実戦投入はされませんでした。日本がうっかり本土決戦をしていたら、P-80とゼロ戦の対決が繰り広げられたのかもしれませぬ。勝負にならないと思うけど・・・。


コンベアF-102デルタダガー(10分ぶり3機目・427機目)
今見たF-106の原型。
F-102は短剣(ダガー)で改良型であるF-106は投矢(ダート)と、改良したらなぜか名前が弱体化してしまったのは長年の疑問です。

前も書きましたがF-102とF-106の見分け方は空気取り入れ口。コックピットの脇まで前に突き出ているのがF-102です。


フーガCM.170マジステール(1952年・428機目)
「マジステールをマジ捨てーる」というダジャレでフランスの平均株価を急下落させたことで私に知られるジェット練習機です。
V字尾翼を採用しているのは練習機としては珍しいですね。練習機以外にも軽攻撃機になったりフランスの曲技飛行隊で使われたりで50年以上も飛び続けた長寿機なのです。
この個体はフランス空軍で使用された後、米国へ渡って個人が所有して飛行していたそうです。民間に放出されたマジステールは他にもいたみたいで、退役した練習機とはいえ結構あっさりと軍用機を渡しちゃうもんなんですね。


BACジェットプロボスト(1954年・429機目)
イギリス空軍用のジェット練習機です。全く知らなかった機体です。
並列配置のコックピットなのもあると思いますが、頭でっかちな印象があります。
これもマジステール同様、退役後に放出されたものをマニアが飛ばしたいた個体だそうです。この手のやつはジェット機としては廉価でしょうし2人乗りですから、ジェット機を飛ばしたい人たちにはちょうどよい物件なのでしょう。


マクドネルRF-101Cブードゥー(1時間ぶり3機目・430機目)
護衛戦闘機から迎撃機へ転職したと思ったら今度は偵察機に転職したやつ。機首にカメラを付けているんで機首の形状が違ってますね。
F-101自体は何度も見ていますが、RF-101はこれが初めて。
これもやたら姿かたちが変わるF-84系の偵察機RF-84Fの後継機です。センチュリーシリーズなので超音速飛行できます。なのでアメリカ初の超音速偵察機でした。キューバ危機の時にキューバ上空を偵察飛行したことが有名ですかね?


ノースアメリカンF-100Cスーパーセイバー(1日ぶり4機目・431機目)
センチュリーシリーズの一番手。こうして見るとカモノハシみたいなやつです。
エリアルールもショックコーンもない、幾分か設計の古い機体なのだよなー。


デ・ハビランドDH.100バンパイアT.35(1943年・432機目)
イギリス製のジェット戦闘機です。WWII中に設計されているので、結構初期のジェット機ということになります。イギリス製では2番めのジェット戦闘機という称号を持っています。
ジェット機なのにコックピット周辺はベニヤ板で構成されている半木製ジェット戦闘機なのです。これはモスキートで実績のあった木製戦闘機の経験を活かすものでした。
実戦配備される前に大戦が終わってしまったのですが、開発時はまだ実戦に入れる気満々だったでしょうから、資材節約を念頭に置いた設計だったのかもしれませぬ。
T.35型はオーストラリア向けの練習機です。


ロッキードT-33Aシューティングスター(4時間ぶり6機目・433機目)
航空博物館の常連、どこにでも湧いてくる、またお前か、と熱いコメントが出てくる練習機。
本当に必ずいるよね君。ちなみにピマでは2機目。


ノースロップT-38Aタロン(1日ぶり3機目・434機目)
アメリカ空軍の超音速練習機。カネのない親米国へのバラマキ用戦闘機だったF-5は基本的に採用しなかったアメリカ軍だけど、それの練習機型のT-38はたくさん導入して、半世紀経った今もバリバリ現役でいる、っていう話は前にもしたと思います。
この前ようやくT-38の後継機が決まったようで。まだ納品されるまでには数年掛かりそうな感じですが、T-38もようやく全機退役できますね。


ロッキードT-1Aシースター(1953年・435機目)
えっ、またT-33ですか・・・?と思ったらどうやら違う機体らしい。
これはT-33をアメリカ海軍用に再設計した練習機です。主に空母に離着艦できるような設計がされています。着艦フックの追加とか降着装置の強化とかね。
分かりやすい違いは、空気取り入れ口が大型化して形状が変わっていることと、キャノピーが天地方向に大きくなっていること。
初めはT2Vという型番でしたが、いつもの命名規則統一でT-1に改名しました。


ロッキードF-104Dスターファイター(2日ぶり3機目・436機目)
F-104の複座練習機型。たった21機しか造られてないそうで。しかも1958年に配備されてから1年経たずに用途廃止に追い込まれてますから、アメリカでのF-104の評価って実は低いんじゃないかって思うんですよね。
練習機ですが戦闘任務もこなせます。ただし複座にしたら機関銃を置く空間が無くなってしまったのでミサイルや爆弾だけで戦います。本当に余裕のない設計なのね。


ちなみに、この列にはセンチュリーシリーズの各機が一列に並んで会しています。番号順に並んでいないところが雑だと思うけども。
センチュリーシリーズを全部揃えて展示しているところはそうそう見られないはずです。知っているところだとアメリカ空軍博物館ですかねぇ。でもそこも一列に並べる展示はしていないはずですから、この眺めはピマだけのものだと思いますよ。

というところで今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その80【2016/03/04~10】

2019-03-24 23:12:38 | 海外旅行記
2016年3月7日(月)13時53分
 アリゾナ州ツーソン ピマ航空宇宙博物館
14時前になりました。まあ屋外展示の半分は見たかなという感じです。でもまだ半分残ってるよ。
敷地の片隅に迷い込んできたのですが、そこはヘリコプターの広場でした。ヘリだけが一箇所に集められているのです。順番に見ていきますよ。


シコルスキーUH-19Bチカソー(1949年・401機目)
きかんしゃトーマスのハロルドの元ネタとして私に知られているヘリコプターです。民間型はS-55という名前。
ヘリコプターとしては黎明期の機体で、機首に載せている星型レシプロエンジンがコックピットをぶち抜くプロペラシャフトをぶん回して屋根の回転翼を動かすという豪快な駆動方法をとっています。おかげで胴体に広い空間が出来たので人間10名くらいを乗せることができました。


ベルOH-58Aカイオワ(1952年・402機目)
カービー将軍がメイトリクスの住む山小屋を訪れた時に乗っていたヘリコプターとして私に知られるアメリカ陸軍の観測ヘリコプターですね(厳密にはカービー将軍が乗っていたのはOH-58の民間型モデル206だが)

元々YOH-4観測ヘリとして競争試作されたものでしたがヒューズのYOH-6(→OH-6カイオワ)に敗れてお蔵入りになったヘリ。
せっかく作ったのでベルはボディを民間用に改良したものをモデル206として民間市場で売り出したらバカ売れしました。
しかもOH-6が調達打ち切りになったので代替の観測ヘリを再度入札が行われ、その際にモデル206がOH-58として制式採用されました。見事な敗者復活であります。


ベルUH-1Hヒューイ(4時間ぶり5機目・403機目)
御存知汎用ヘリコプター。もう説明不要でいいでしょ(手抜き)
これは赤十字のマークが付いているんで、戦傷者の輸送に使っていたんでしょう。


カマンOH-43Dハスキー(1947年・404機目)
初めて見るヘリコプターです。観測、消防、救難なんかに使われた小型ヘリです。これの特徴は交差反転式ローターを採用していることでしょう。翼が外されているんで実感は湧きにくいですが実物は初めて見ました。
機体上部にローターの基部が2本立っているのが分かると思います。あれが2つとも回転することで飛ぶのです。2つのローターがそれぞれ反対方向に回転するところがミソで、これによってトルクを相殺するので安定性が高いのです。なので単一ローター式のヘリには必ずあるテールローターが無いのです。
2つのローター基部はお互いがとても近い距離に置かれていますが、もちろんお互いの回転翼はぶつからないように同調されています。ちなみに片側2枚ペラです。

これはアメリカ海兵隊が使用していた観測型です。ちなみにエンジンは星型レシプロエンジンとターボシャフトエンジンの2種類がありますがOH-43Dは前者です。


カマンHH-43Fハスキー(15秒ぶり2機目・405機目)
隣にもう1機いました。こっちはアメリカ空軍の救難型。さらにエンジンはターボシャフトです。エンジン換装に合わせて機体もやや大型化している模様。


シコルスキーHH-52Aシーガード(1959年・406機目)
アメリカ沿岸警備隊が使用していた救難ヘリです。メーカーの型番はS-62。
機体底面が舟艇型をしていて、水上への離着水が可能な機体になっています。小型S-61シーキングのような外観をしています。
自衛隊でも使っていました。


シコルスキーHH-3Fペリカン(1959年・407機目)
S-61シーキングから発展したヘリです。大雑把に言うとS-61を大型化したかんじ。メーカー型番もS-61Rなので、シーキングの派生型ということです。
これも沿岸警備隊が使っていたやつです。なので離着水できるようになっています。


パイアセッキCH-21Cワークホース(1日ぶり2機目・408機目)
腰の曲がった胴体から付けられたフライングバナナのあだ名のほうが有名なタンデムローター式ヘリコプター。
中がどんな様子なのか知りませんが、飛行中もこの逆への字の姿勢なので変な体勢で座ったりとかならないだろうかと心配になります。
これもヘリコプター黎明期の機体です。ベトナム戦争の初期あたりまで現役だったそうな。


パイアセッキHUP-3 (H-25A)レトリバー(1948年・409機目)
H-21がアメリカ陸軍向けの機体だったのに対してHUPはアメリカ海軍向けに開発されたタンデムローター式ヘリコプターです。空母や戦艦に着艦できるようにH-21より小型に造られています。初期型は対潜ヘリコプターとして使われましたがこの3型は救難救助に使われた模様。
この機体のマーキングは1961年に厚木基地に配備されていた時のものだそうで、もしかすると日本にいた個体なのかもしれません。


ベルHTL-7 (TH-13N)スー(2日ぶり2機目・410機目)
ベルの民間用ヘリコプターのベストセラー、モデル47の軍用型でアメリカ海軍向けの練習機です。
モデル47は骨組みだけのテールブームと巨大なバブル型の風防が特徴的なやつなんですが、風防は小型化してテールブームにも外板が貼ってあるので、あの頼りない外観は鳴りを潜めています。


シコルスキーH-5Gドラゴンフライ(1943年・411機目)
シコルスキーの前作R-4を上回る搭載能力や速度を求めて開発されたR-5が原型のヘリコプター。WWIIの真っ最中に初飛行をしている古いヘリコプターで、そんな状況でも新概念兵器を開発できるアメリカの国力よ・・・という感じ。ただし配備されたのは終戦間際で、実戦投入は朝鮮戦争まで後になります。

G型は、民間用のS-51を徴用した機体。S-51は4人乗りの輸送型ヘリです。


シコルスキーHO3S-1ドラゴンフライ(10秒ぶり2機目・412機目)
また隣に同型機が並んでいました。型番がだいぶ違っていますがこれは海軍式の命名規則なのです。型番が違うだけで、中身はH-5Gと同じ4人乗りの輸送ヘリです。
これはアメリカ沿岸警備隊が使っていました。


シコルスキーMH-53MペイブロウIV(1967年・413機目)
西側最大の輸送ヘリコプターのCH-53を原型にした戦闘地帯で撃墜されたパイロットを救助するためのアメリカ空軍向けの戦闘捜索救難ヘリです。クソデケェなという印象。
もともとCH-53系統のHH-53という戦闘捜索救難機がいました。余裕のある大きさは使い勝手が良かったですが全天候型能力が欠けていたので暗視装置やセンサーなんかを追加搭載してそれを補ったMH-53Jが開発されたのでした。で、捜索装備を強化したのがM型です。

MH-53Mは全て退役してしまいましたが、原型になったCH-53はまだアメリカで現役です。


ミルMi-24Dハインド(1969年・414機目)
敵メカっぽい姿がこの上なく魅力的なソ連の攻撃ヘリコプターです。ハインドというのはNATOコードネーム。造ったのはミグじゃないよ。見るのは初めて。
アメリカの攻撃ヘリコプターAH-1をパクって開発されたんですが、どこかで何かを間違えたのか、攻撃ヘリと輸送ヘリを折衷した機体に仕上がりました。なので攻撃ヘリと言いつつ胴体には大きな兵員室があります。
ここに武装した兵士8名を乗せて、機体の機銃で辺りを一掃した後に兵士を降ろして展開させるというもの。なので攻撃ヘリとは言ってもアメリカのものとは思想が全く異なっているのです。なので強襲ヘリコプターと分類されることもありにけり。

結果的には中途半端な機体になってしまったそうですが、ソ連お得意の物量で2,300機以上生産し、東側諸国にばら撒き、西側にとっても驚異っちゃ驚異って具合だったそうな。
この個体は東ドイツから持ち込んできたものだそうな。


シコルスキーCH-37Bモハーベ(1953年・415機目)
登場当時世界最大だった重輸送ヘリコプター。完全武装の兵士26名とか、墜落した航空機とか、重いものも楽に運べるのだ。
星型レシプロエンジンを2発載せているのですが、載せ方が独特なものになっています。胴体の兵員室を広く取るためにエンジンは機外に搭載。その場所は降着装置を収納するポッドなのです。あのバカでかいポッドですね。星型エンジンなのでどうしても直径が太くなってしまうのですよ。
うまく考えたもんだと思いましたが、これ以降はターボシャフトエンジンが普及し始めるので、これがレシプロエンジン搭載ヘリコプターとしては末期の機体になりました。CH-37自体も10年程度しか活躍しなかったそうで。


シコルスキーCH-54Aタルヘ(1962年・416機目)
部品が欠損してるまま展示してんじゃないの?という感じですが、これで完品のヘリコプターです、はい。悪い冗談みたいですが。
輸送ヘリコプターなんですが、これは物を吊り下げて移動させるための空中クレーンとしての役割を期待されて開発されたクレーンヘリコプターです。コックピットより後ろがガランドウで骨組みとローターだけになっていて、そこにものを吊り下げられます。
戦車とか墜落した飛行機とか、そういう重量物を運び出すのに使われていた他にも、機体に合わせた大きさのコンテナを運ぶことも出来ました。
ニッチながらも確実に需要のある機体だったのでそこそこ成功しました。直接の後継機は無いんですが、今はCH-47がその役割を一部引き継いでいると言えますし、放出された民間機はクレーンヘリとして独占的な立場にいるようです。

これでヘリコプター軍団は終了。これのさらに奥には宇宙館みたいな宇宙船関連の展示の建物があったんですが、今回はパスさせてもらいました。時間が推しまくっているので宇宙まで見ている暇はなかったです。実機が展示されているのかも怪しいですし。


ノースロップF-5Bフリーダムファイター(2日ぶり3機目・417機目)
ノースロップの軽量戦闘機です。400機以上も見てまだ3機目なのか・・・?と思いましたが、F-5は基本的にアメリカでは運用されていない機体だったのでそりゃそうか、と思いました。今まで見た2機はどちらも海外で運用されていた機体を持ってきたものでしたしね。

で、これは複座型のB型なんですが、機首の機関砲が無いので本当はT-38なんじゃないかと思いました。でも主翼前縁付根のLERXは付いているんで、間違いなくF-5なのだよなぁと。と思って調べてみたらB型には機関砲が初めから付いていないそうで。じゃあ間違いなくF-5Bなんだなと。


ダッソー・ドルニエ アルファジェットA(1973年・418機目)
これもアメリカでは珍しい欧州ジェット機です。
形状的に分かるかもしれませんが高等練習機でして、フランスのダッソーとドイツのドルニエで共同開発された機体です。同時期にイギリス製のBAEホークが開発されてたんで競合してしまい、しかもホークの方が売れたんで、ちょっと影が薄いです。

高等練習機と言っても、いまや純粋な練習機としてだけで設計されるほど開発に余裕もないので、軽攻撃機としても使えるように設計されています。極東の島国の4番目の練習機は攻撃能力も付与すると政治的にアレだったんで純練習機として設計されたんでしょうけど。

で、A型はドイツ空軍が運用している攻撃型です。ドイツには飛行訓練ができるだけの領空を持っていないので、飛行訓練はもっぱらアメリカに遠征してアメリカの練習機を借りて行っています。よって自国の練習機が要らんのです。


ノースアメリカンF-86Lセイバードッグ(1日ぶり2機目・419機目)
全天候型戦闘機3兄弟の末っ子。これもノースロップの問題児F-89の穴埋めに開発されたもの。
パイロットの他に火器管制オペレーターが必須で複座機が前提だった当時の全天候型戦闘機に於いて、どこかで何かを根本的に間違えた結果、操縦も火器管制(FCS)も1人でこなさなければならないワンオペ戦闘機として仕上がってしまったヤツです。
今までのFCSではとんでもないブラック戦闘機になってしまうので、ヒューズにこれ用に新たなFCSを開発させてしまいました。ヒューズすっげー。
前にも書きましたが、L型はD型の改良型で、SAGEレーダーネットワークとのデータリンクが出来るようになったものです。

というところで今日はここまで。



【1/100】BACライトニングF.6【ギャラリー】

2019-03-21 23:54:06 | 模型ギャラリー

キット:タミヤ 1/100コンバットプレーンNo.6 ライトニングF Mk.6
仕 様:イギリス空軍第5中隊
[製作記]

英国面全開のジェット戦闘機です。これも日本製のプラモデルキットだとこれくらいしか見当たらないので買っていました。
でも海外に目を向けてみると複数の会社からキット化されているのでそっちを買ったほうが良さそう。



とにかく変わった姿をした戦闘機で、一言では説明しきれんといったところ。



キットにはイギリスとサウジアラビアのデカールの選択式でした。迷った末にイギリスを選びました。







ライトニングで一番特徴的な構造は、やっぱり縦に並べられたジェットエンジンでしょうね。



以上ライトニングでした。

【1/100】MiG-21 北ベトナム空軍【ギャラリー】

2019-03-20 22:40:46 | 模型ギャラリー

キット:1/100コンバットプレーンシリーズNo.2 MiG-21フィッシュベッド
仕様:北ベトナム空軍
[製作記]

MiG-21は有名な機体ではありますが日本製のプラモデルキットとしてはあまり流通しておらず、このタミヤのキットが一番安定して手に入るやつだと思います。
最近は東欧のメーカーのキットがよく手に入るようになっているんで、そっちを作ったほうがいいんだと思いますよ。



キットには特にサブタイプが書かれていませんでしたが、たぶん全天候型のPF型でしょうね。



ソ連機ということで銀一色ですがスモークを掛けてすこし煤けた感じにしました。
エンジンノズル周りだけは他の銀色と違う色味のものを使い分けました。







コンバットプレーンシリーズの風防は窓枠のモールドが内側に彫られているのでマスキングしづらいのがアレですね。
でもミグは窓枠が少ないので多少楽でした。



東側の機体マークは当時の情報が少なかったのか、国籍マークと番号だけという素っ気ないものでした。


以上MiG-21でした。

【1/100】MiG-21、BACライトニング 製作【タミヤ】

2019-03-19 22:26:28 | 航空機模型製作記

タミヤの1/100飛行機軍団を2018年中に消化しきりたいと思ってちゃっちゃかと作りました。
ソ連の戦闘機MiG-21と、



イギリスの戦闘機BACライトニングです。
どっちも銀色だから一度にまとめて作ってしまおうというやつです。特にエアブラシ塗装の時に手間が減りますね。



ライトニングは主翼やエンジンが面白い構造をしている戦闘機で語りだすと止まらなくなるのですが、止めときます。そのうち北米Pに出てくるし。
組み立てはいつも通りタミヤらしからぬ出来で、胴体にどうしても隙間や段差が出来てしまいます。あまり真面目に取り組むと大掛かりなことになるので、背中側に合わせ目の基準を持ってきて、腹側は合わせ目上等とばかりに段差がよく分かるものになりました。



MiG-21も基本的に同様。成形品の色が違うのね・・・。




塗りにけり。
両機ともアクリジョンのシルバーで塗りましたが、MiG-21の方はその上にスモークを薄く吹きました。パネルラインを中心に細吹きしましたが、ライトニングと比べて全体的に暗めの雰囲気に仕上がりました。
少しくどいな、という箇所もありますが全体的にはいい感じ。

逆にライトニングはシルバーのみの塗装でさっぱりとさせました。でも少し物足りないので、フラップとエルロンをスーパーシルバーで塗りました。僅かな違いにしかなりませんでしたが・・・。



デカールを貼ってトップコートして完成。
ミグは北ベトナム空軍、ライトニングはRAFです。



ライトニングを上から。
主翼はキツイ角度の後退翼にしか見えませんが、これでもデルタ翼らしい。



ミグは意外と細身なのだなと。



4機揃いました。あとはA-7だけなので、これもすぐに作ってしまいませう。

続きはギャラリーにて。

北方project ~Welcome to Hokkaido. その16【2017/5/3~7】

2019-03-13 23:55:48 | 旅行・イベント記
神居古潭駅から道道4号線を通って芦別市へと向かう途中の小さな展望台。
なだらかな丘陵地に広がる畑が北海道って感じ。


2017年5月5日(金)11時45分
 北海道芦別市 カナディアンワールド公園
本日のメインディッシュへと到着です。その名も「カナディアンワールド公園」。元カナダ在住ニキとしては外せないでしょう!
日本が戦争に負けた時のどさくさでカナダがここを占領して以降カナダの領土になっているのだと思います。現地民や政府による領土返還運動は聞いたことがないですが、カナダはアメリカやロシアほど目立つ国ではないのであんまり話題にならないのでしょう。

で、あの黄色いゲートが国境なわけですが、門扉はないし人はいないし、カナダの国境警備はかなりガバガバと言わざるを得ません。それでも自動車で直接入国できる辺り、自動車大国ですね。
というわけで入国。パスポート持ってないけど。


やけに広いのだ。もっと建物がギュウギュウになってると思ってたけど。


道路は舗装されていません。お財布は意外とキビシイのかもしれない。


建物の密集地帯があります。あそこが町なのでしょう。いざ突撃~。


廃墟っ!ゴーストタウンッ!!

これがカナディアンワールドの正体である。
芦別炭鉱の閉山で斜陽化待ったなしの芦別市が折からのバブル景気も手伝って、露天掘りの炭鉱跡地に1990年にぶち建てたカナダをテーマに据えた屋外テーマパークなのです。カナダと同国を舞台にした小説「赤毛のアン」をテーマにするって時点で何か根本的に間違ってる気がしますが、小説の人気に当て込んだようです・・・。
開園したものの集客は延びずに、初っ端で巨額の負債を抱え込み初年度からパークの危機になります。これが原因で当時の市長が引責辞任してるんですから、まあそれなりに大きい問題だったようで。挽回できないまま1997年にソッコーで閉園。南無。その後市営公園として1999年に再出発しました。
以降は市営ゴーストタウンとして北海道の隠れ観光スポットとして文字通り細々とやってましたが(公園を開けているだけで赤字なのだ)、2019年度を最後に閉園してしまうことが2018年11月に報道されました。理由が老朽化というのは嘘はついてないでしょうが、実際のところこれ以上付き合ってられないといったところでしょう。もはやここまで・・・。もう尾張一宮・・・。


今日はゴールデンウィークなんですけどね~、こどもの日なんですけどね~、悲しいくらいだーれもいませんね・・・。


町の建物はほとんど全てが閉鎖されていて廃墟化してるんですが、1~2軒だけ開いていました。この建物は園内案内とか芦別市とカナダとの交流の宣伝(ただし4~5年前のやつ...)とか、そんな感じ。なお係員はいない・・・。
一応お客さんに見える部分は手入れされていますよ。ところで部屋に掲げられている旗の左の方はブリティッシュコロンビア州の州旗ですね。ちょっと懐かしいお気持ちに。


天井の方には大陸横断鉄道と称した鉄道模型が飾られてました。部屋の壁に沿って線路が敷かれているんで、在りし日には部屋の中を走っていたんでしょう。
ところで、大陸横断鉄道と言っといて蒸気機関車が森林鉄道用のクライマックス式機関車というのはどういう冗談なんだか。よくこういう珍しい機関車を持ち込んできましたね。


外に出て町を散策。まあ廃墟ばっかなんですけど。
他に開いていた建物は、個人商店みたいな感じでした。テナントを借りてそこで物を売ったり出来るんでしょうね。物好きだなぁと思いますが。


鉛色の空、薄汚れた建物、人気のない空気。
この光景は、当時はめちゃくちゃ流行っていたアニメ「けものフレンズ」のジャパリパークに通ずるものがあり、特にエンディングの「ぼくのフレンズ」ととても合いそうな雰囲気を醸していると我々の話題はそれで持ちきり。
「ぼくのフレンズ」を流すともうそこはジャパリパークになるのだ。


あら、園内鉄道があるのね。たぶんカナディアンナショナル鉄道だ。
まあ当たり前ですがすでに廃線になってます。集客がありそうな遊覧鉄道がゴールデンウィーク中に稼働していないってところがもう危機的です。


客車が2両放置されています。トロッコ風。特にカナダって感じはしないですね(無慈悲)


駅舎もありますよ。遊覧鉄道にしては十分すぎるほど立派です。ファーマーズ駅というんだそうな。


中はというと・・・アッハイ(察し)


駅舎のすぐ脇には車庫があります。遊覧鉄道によくある本線上の車庫ですね。
あの中に機関車が眠っているんだと思います。この先外に出ることは・・・なさそう。


百姓駅のプラットホーム。放置されてますが意外とちゃんとした造りですね。


謎ステージ。たぶんPPPがライブやってる。


丘の上に建つ家。レストランか喫茶店だったと思います。当然ながら休業中。
ちなみにですがカナディアンワールドは、周り全てが丘で、今いた中心の町と池の所が一番低い位置にあるという、すり鉢状の地形になっています。周り全ての高いところを抑えられているので、戦争になったら相当不利な町だなと思います。
実際のところは、石炭の露天掘りをやっていた時に掘った地形がそのまま活用されたというところでしょうが。


線路は続くよどこまでも。だってエンドレス線形だからだよ。
列車の撮影には苦労しないだろうなという。

そういうわけで、意外と見るところがあるので次回に続きます。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その15【2017/5/3~7】

2019-03-11 22:16:22 | 旅行・イベント記
2017年5月5日(金)8時50分
 北海道東川町 P-DASH
3日目です。北海道滞在の最終日です。早いもんだ。
前日泊まったゲストハウスを後にします。着いた時は真っ暗でなにも分かりませんでしたが、こんな感じの建物なのでした。


まずは準備運動とばかりに寄ったのは、旭川市の東旭川公民館にあるこの保存車両。旭川電気軌道モハ1001です。
旭川市にも1973年までは旭川電気軌道という私鉄が走っていたのですが、そこで使われていた電車です。北海道には蒸気機関車の保存車はゴロゴロいますが、電車はとても珍しいです。実は鉄道コレクションで模型化もされています。
1955年日本車輌製で1形式1両、つまり1台だけ製造された電車です。当時製造されていた日車標準車体っぽいですが、それについて言及されている資料がないので、厳密には違うのかもしれませぬ。
なお旭川電気軌道の会社そのものは名前を変えずに今も存続していて、バス事業を営んでいます。鉄道事業を辞めて数十年経っているのにまだ鉄道系の社名を使っている変わった会社です。


片側にはホームと同じ高さの土台が設置されています。車内には入れませんが土台から車内を覗くことはできます。
状態は良好でして、露天保存というハンデを感じさせません。とても大切にされているんだろうなと。旭川電気軌道の保存車はもう1台、モハ101が残っていますが、これはまた今度ということに。


簡単な路線の経歴と路線図の説明が書かれていて、イメージが湧きやすいです。

今日はとりあえず芦別を通って苫小牧まで行く、くらいの事しか決めていません。今日もそこそこ移動しますぜ。
なので通り道だしともう1箇所寄り道します。


2017年5月5日(金)10時22分
 北海道旭川市 神居古潭
国道12号線沿いにある神居古潭というところにやって来ました。カムイコタンと読みます。石狩川が織りなす絶景が名物の景勝地なんですが、イマイチ知名度がないです。私も今日来るまで知らんかったし。
山の中にあるような感じですが、意外にも路線バスが1時間に1本以上あるのでアクセスも悪くない感じ。
石狩川に架かる白い橋は神居大橋。大橋と呼んでいますが歩道橋です。あれを渡って対岸へ行きます。その先になんか建ってますね?


石狩川の急流を堪能。
すんげー濁ってますね。雪解けだけではここまではならず。実は我々が渡道する直前まで雨でしたのでこんなことに。水量もいつもより多いハズ。


対岸へ渡って階段を登っていくと・・・。おや、何かいるぞ。しかも3機も。なんかすごいところに来たのでは。


さらに歩道と隧道が。あからさまに廃線跡アピールしてますね。


目的地はここ。函館本線旧神居古潭駅です。1901(明治34)年開業、1969(昭和44)年廃業。廃止理由は、函館本線の電化と複線化による線路付け替えのためです。つまりこの一帯は函館本線の旧線の要素も持っています。あとは駅メモの聖地らしいぞ。
駅舎は1910(明治43)年の建築。数度の増改築を受けてますが廃止時まで現役で、その後も歴史的価値が認められ、廃止時の姿で保存されています。西洋風建築で萌黄色の壁が特徴的ですね。


室内は大きく手を加えられていて、休憩所みたいに改造されていました。


ホームも現存しているのが嬉しいところ。千鳥配置の2面2線で導線も一発で分かりにけり。


廃線跡活用あるあるのサイクリングロードにされているので線路はないのです。
当時は道路の修復工事中でここから旭川寄りの一部区間が通行止めになっていたので、自転車は1台もやって来ませんでした。


ホームに立っている名所案内の看板も残っているとは。


橋台も2本分残ってます。片方は現役です。


少し離れたところにも橋台跡がありましたが、なんの橋だったのか不明です。


旧線も少し歩いてみましょう。深川側のすぐに隧道があるのっていいですねぇ。
ちなみに旧線跡が自動車が出入りできる唯一の道路ですので、作業車の通行路でもあります。


隧道の銘板は見当たらず。
内壁はコンクリートで巻かれていますが、坑口の外側にも施工してあります。崩落の危険があったのかなぁと。


一面にコンクリートが巻かれているので、直径は一回り小さくなっています。ちょっと機関車が通るにはキツイといったところ。
旭川側にも隧道があるそうな。


100mあったかくらいの長さなのですぐに反対側へ出ました。あんまり奥へ行ってしまってもアレなので出たところで引き返します。
すぐ隣が石狩川なので、現役時代は絶景車窓だったのだろうなと。


反対側の坑口もコンクリートがはみ出ていました。


そして蒸気機関車ですね。最初に見たとおり、なんと1箇所に3機も縦列で保存されています。しかも3機とも一定の貴重さを持っています。贅沢なことをしましたね。

なおSLが置かれている場所は、昔線路だったところです。このレールも現役だったものがそのまま残ってるんじゃないかと。
というかこのSLたちは最初から保存されることを見込まれて、旧線が廃線になる直前に自走して(それか他の機関車に引っ張られて)ここへやってきたんじゃないかと思います。
神居古潭駅周辺は歩道橋と廃線跡の隧道しか外と繋がっていない陸の孤島なわけですが、隧道もあの大きさなので大型トレーラーとクレーン車で機関車を搬入するなんてムリなわけです。廃線前に線路上を走ってきたと見るしか無いよなぁという見解です。
さらに言えば、この3機はもう2度と旧神居古潭駅から動くことはできんのです。出来んことはないかもしれませんが(旭川側の隧道は元の内壁を工事で拡張したのか、大きめになってる)、簡単ではないと思います。
なのでここを動く時というのは、完全に解体されてしまったときくらいなものです。もっとも、解体するにしたって重機をどうやって入れるのって話ですが・・・。
そう考えると凄まじい場所に保存されてしまったなぁと。


まず先頭の9600形29638号機。大正時代の設計の古典SLということで機種自体が貴重です。
ちなみにここの3機、函館本線の線路切り替えをしてここが廃線になってから間もなく廃車にされています。


その後ろにC57形201号機。C57のラストナンバーです。それ以上に、現存する唯一のC57の4次型という点が貴重です。
4次型はC59形の設計を取り入れているので、3次型までと形状が変わっていて、C57とC59の中間みたいな感じに仕上がってます。特にデフレクターの前部上端が斜めに切り欠かれたところや船底テンダーなんかが分かりやすいそうな。
意外なものが意外なところに残っているもんです。


最後はD51形6号機。御存知デゴイチ閣下ですが、ナメクジと呼ばれる初期型である点に注目。デゴイチはごまんと保存されていますが、ナメクジは元々の製造数も少ないこともあってわずかしか現存していません。
煙突から蒸気ドームに至る機器類が流線型のカバーで覆われていて、この形状がナメクジに似てたのが由来。鉄道オタクのネーミングセンスって昔からひどいなと。
他にもボイラー前部の角が丸く整えられているので、標準型と比べて旅客型機関車のような精悍な印象があります。


といったところで撤収します。結構面白いところでした。
では次の場所へ向かいまする。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その79【2016/03/04~10】

2019-03-08 23:57:40 | 海外旅行記
長々と続けている北米P4も旅行した日から3周遅れを超えて4周目に突入でっせ。フフフ・・・。


セスナT-37Bツイート(1日ぶり2機目・384機目)
どんどん見ていきますよ~。

これはツイッタラーが乗る練習機ことアメリカ空軍の初等練習機です。あとは特になし。


コンベアTF-102Aデルタダガー(1日ぶり2機目・385機目)
なんだかF-102のパチもんというか、デッサンの狂ったF-102というか、そんな見た目の機体。まあ型番を見ての通りなんですが、F-102の複座練習機型なのです。
無尾翼デルタ翼機は従来の構造の戦闘機と比べて特に離着陸の飛行特性が変わって操縦が難しいということで、その習熟のために造られました。
戦闘機の複座練習機にしては珍しく座席が左右に並んでいるサイドバイサイド配置になっています。なので、コックピット周りは設計し直されて、頭でっかちになってしまいました。空気取り入れ口の形状も変わっています。
パイロット達はこのコックピットをタブ(tub; 風呂桶、たらい)と呼んでました。


ノースアメリカンT-2Cバックアイ(2日ぶり2機目・386機目)
こっちはアメリカ海軍の練習機です。練習機らしいこじんまりとした見た目が好きです。海軍の練習機なので、空母での離着艦訓練が出来るのが強みです。
C型はエンジンをGE製J85に替えたもの。従来のJ47と同性能ながら燃費が良くなったとかで。

ちなみにバックアイはbuckeyeと書き、「セイヨウトチノキ」を意味します。なんの脈略もない名前ですし経緯も分からんですが、樹木を飛行機の名前にするのは異例なこと。なんかしら理由があるんでしょうけど。
綴り的に「後ろの目」という意味じゃないですが、おそらくダブルミーニング的にその意味(後ろの目で背後を取らせない)も入ってるんだと思います。


フォーランド ナットT.Mk.1(2日ぶり2機目・387機目)
軽量戦闘機として開発されたけど重戦闘機化が進んでいた当時は相手にされず、でも練習機としては適しているのでそっちを俺の生きる道と決めた飛行機です。
腹でも下したかのような緑色をしてますが、これはイギリスの試験飛行部隊の塗装なんだそうな。


ノースアメリカンT-28Cトロージャン(1949年・388機目)
意外にも今回の旅行では見るの初めて、アメリカ海軍の初等練習機です。もとは空軍が導入したものですけども。
エンジンにR-1820というWWII中の戦闘機用のエンジンを載せてるので、練習機にしてはやけに馬力が高いのです。で、C型は海軍向けの機体で、空母着艦用のフックが追加されています。

余談ですが、T-28のオイルクーラーの空気取り入れ口は機首の斜め左下に付いています。普通なら胴体の真下に付けるもんですが、T-28の場合エンジンの真下に前脚を配置してしまったので、やむを得ずというところでしょう。
よってT-28って実は左右非対称なのです。


ロッキードF-94Cスターファイア(1949年・389機目)
アメリカを爆撃してくるであろうソ連の爆撃機を叩き落とすために開発されたアメリカ空軍の全天候型迎撃戦闘機3兄弟(F-89、F-94、F-86D/L)の次男坊。でも一番最初に就役しました。
元々F-94が開発される計画はありませんでした。しかし、長男のF-89の開発が延び延びになったことから、F-89が形になるまでのツナギとして手っ取り早く配備できる全天候型戦闘機として急遽開発されたものなのでした。
F-89は1948年の初飛行しときながら本格的な配備が始まるまで6年掛かっています。現代ならいざしらず当時のジェット戦闘機としては激遅でした。

1949年にソ連が原爆の実験に成功したということでマジで焦っていたこともあり、とりあえずすぐにでも配備できるような機体が求められていました。そこで当時ロッキードが生産していた複座練習機T-33を流用しました。大雑把に言うと、T-33の機首にレーダーと火器管制装置(FCS)と武装を追加したような感じです。あとはアメリカ空軍の機体としては初めてアフターバーナーを搭載してます。ブースト掛けてチョッパヤで迎撃に行く必要がありましたからね。
当時の全天候型戦闘機は操縦士の他にレーダーとFCSを操作する操作員が必要だったので(機種によっては現用機もですが)、複座のT-33はちょうどよい機体だったのです。

F-94はF-89の初飛行の8ヶ月後の1949年に初飛行、その翌年に最初の量産型F-89A(とマイナーチェンジのF-94B)が配備されてますから、驚きの早さなのです。ただし急ごしらえだけあって未洗練な部分もあり。特に武装は機関銃4門だけで、爆撃機相手には力不足だと思われてました。
そこで、機銃を降ろして代わりにより強力なロケット弾と改良されたFCSを装備したこのC型が1951年から生産され始めました。
初期のA/B型からは大部分が設計し直されていて、事実上の新型機です。初めはYF-97という新しい型番が振られていましたしね。
この間もF-89の開発は大炎上してましたから、めでたくF-94が初の全天候型戦闘機としてアメリカ本土防衛の任を担うのです。

A/B型から大きく変わった箇所は機首でして、新型FCSと強力ネズミことマイティマウス ロケット弾を搭載したからです。
ロケット弾は黒いレドームのすぐ後ろに装填されています。飛行中は空気抵抗を出さないために蓋が閉じられていて、攻撃する時にその蓋がカシャッと開いて強力ネズミが発射されるのです。なんともステキなギミックだとは思いませんこと?


機首のロケット弾24発だけでは威力不足だと心配したので、後期生産分にはダメ押しとばかりに12発入ロケットランチャーを両主翼に1つずつ装備。
搭載の仕方がアレで、主翼前縁にぶっ刺しているのがなんとも。機首のロケットランチャーといい、誰か止めて差し上げなかったのか。


ノースロップF-89Jスコーピオン(1日ぶり2機目・390機目)
アメリカ空軍全天候型戦闘機3兄弟の長男。初飛行は3機の中で一番先でありながら、その後の炎上でまともに実戦配備されたのは一番最後になったやつ。そのアレさは昨日見た時に説明したんでそっちを読んでね(手抜き)

F-89にも機関銃を装備した前期型とロケット弾装備の後期型の2種類が有りにけり。F-94の時と同じで、ソ連が原爆抱えた爆撃機で攻めてくることを想定して切羽詰ったんだと思います。
ちなみに機関銃装備の前期型はアイダホ州のよく知らん小さな公園に1機だけ(B型)しか現存していません。しかも、公園の野外で細い柱の上に絶妙なバランス感覚で車輪を置いて宙に浮いた状態で展示されています。いいのか、それで?
さらに余談ですが、その公園には蒸気機関車と戦車もそれぞれ離れたところにぽつんと置かれていて、なんだかよく分からんなぁというところです。

で、後期型はD型から始まりまして、機関銃を降ろしてロケット弾を装備の他に、C型までで問題になってた主翼の強度不足の解消とか、生産途中からファルコン誘導ミサイルの実装とかありました。
さらにミサイル搭載型のD型を改修したのが、J型という空対空ミサイルの極地ジーニー核ミサイルを装備できるようにした型式です。
左翼の下に置いてあるのがそれですね。模型でしょうけど。


マーティンB-57Eキャンベラ(1日ぶり2機目・391機目)
WWII後のアメリカ軍機には珍しい外国製の機体で、イギリスが開発した爆撃機をアメリカのマーティンがライセンス生産したもの。アメリカさんは運動性の優れた高速爆撃機が気に入った御様子。
以降のアメリカ空軍の戦略爆撃機は高速爆撃機に傾倒していくんですが、このB-57に触発されたような気がしないでもなく。

E型は標的曳航装置を備えた練習機型だそうな。爆撃能力を持っているのかは知らぬ。


ホーカー ハンターF.58(1951年・392機目)
イギリス製のジェット機ですね。アメリカでは運用していなかったので、どっか別の国から運び込んできたやつです。アメリカでヨーロッパ製のWWII後の機体を見られるのは珍しいので、まあ見といて損はないでしょう。
ヨーロッパ機は今の所関心の範囲外なのであんまり詳しく書きませんが(手抜き)、F.58はイギリス向けF.6のスイス空軍仕様です。


コンベアB-58Aハスラー(1956年・393機目)
当時は軽くスルーしてしまいましたが、なかなか面白い機体だしよく見ると結構かっこいい。
今見たB-57にインスパイアされたのかは知りませんが、世界初のマッハ2で飛行できる超音速戦略爆撃機です。その目的はその高速でもってソ連の防空網を力ずくで突破してモスクワに核爆弾を落として火の海にすること。それだけ。火の海にした後のことは・・・。
B-52みたいなWWIIの爆撃機の延長みたいなノロマな機体だとソ連の濃密な対空ミサイル網に撃墜されてしまうので、だったらチョッパヤな速度で振り切ってしまえばよいという脳みそが筋肉で出来てるやつが思いつきそうな考えを具現化した飛行機です。

ハニカム構造の機体とかデルタ翼とかエリアルールとか懸架したターボジェット4発とか、新基軸が多く採用されています。デルタ翼なんかはコンベアの得意技とするところですね。
特に特徴的なのは爆弾を全て機外の兵装ポッドに搭載するというもの。胴体の下に抱えているデカい増槽みたいなのがそれ。なのでB-58には機内爆弾倉というのがありませぬ。機外ポッドだと搭載能力は大きく落ちるんですが、これも機体を小型化して高速性に寄与するためです。

モスクワを火の海にすることに特化した割り切った爆撃機だったので、汎用性は低い機体でした。
なので火の海にする任務をICBMやSLBMみたいな弾道ミサイルに奪われるとあっという間に使いみちの無い機体になってしまいました。通常爆撃するには搭載量も低空での安定性も航続距離も無いし、ていうか維持コストも高いし・・・。みたいな理由もあって、10年程度で退役してしまいました。
後にこれの拡大発展型みたいなXB-70が登場するんですけど結局似たような運命を辿っていったので、高速戦略爆撃機は登場した時代がちょっと合わんかったのかなと。まあ合致する時代も無かったんですけども。


見た目はかっこいいんですよねぇ。
ポッドはよく見ると2段構造になっているのが分かります。内側のポッドの下半分をより大きなポッドが包み込んでいるような形になっています。外側のものは燃料タンクで、どうにかこうにかして航続距離を稼ごうと苦心した様子が感じ取れます。
まずはその燃料タンクを投棄して、そうすると現れるのが爆弾ポッドです。
爆弾ポッドも水爆とか原爆とか通常爆弾とか、他に爆弾以外にも偵察カメラポッドも付けられたみたいで、機外ポッドに応じて柔軟な任務に対応できるという、ストライクガンダムみたいな機体なのでした。

なおハスラー(hustler)は「博打打ち、詐欺師」という意味でして、博打打ちは確かにそういう機体だよなと。
ところでスズキに同名の軽自動車がありますが、まあその、あんまりいいイメージの名前じゃないんですよ、アレって・・・。誰か修ちゃんを止めて差し上げる人はいなかったのかしら。


瀋陽J-6A (MiG-19PF)(1日ぶり2機目・394機目)
中国製の戦闘機なんですが、見ての通りでソ連のMiG-19PFのライセンス生産機です。J-6の初飛行は1958年。中国以外にもあちこち輸出されまして、これはエジプト空軍仕様の塗装です。なんでまた、という感じですがエジプトから贈呈されたのかな?
MiG-19ってこんなにお尻が下がってる機体じゃなかったと思うけど、中国仕様なんかな?


ダグラスWB-66Dデストロイヤー(1954年・395機目)
えっ誰君は・・・と困惑するくらい知らない機体なんですが。
アメリカ空軍の双発の軽爆撃機として登場しました。軽爆撃機ごときでデストロイヤーとか言われましても針小棒大といいますかその。
アメリカ海軍のA-3スカイウォーリアから派生した機体なんだそうな。言われてみればそれっぽい面影が・・・?
ただし、F-105みたいな大型の戦闘爆撃機が登場すると軽爆撃機の任務はそれで賄えるようになったため、B-66は10年足らずで爆撃機から降ろされることに。
それでも電子戦機や気象偵察機として再就職してもう10年くらい働くことが出来ました。これもWナンバーなんで気象偵察機ですね。


ミコヤン・グレビッチMiG-17F(1日ぶり4機目・396機目)
MiG-15とよく似ているやつ。これはソ連製だそうで。
北ベトナム空軍の塗装してます。MiG-17は北ベトナムの初期の主力機でしたね。


ミコヤン・グレビッチLim-5P (MiG-17PF)(1分ぶり5機目・397機目)
LimナンバーなのでMiG-17のポーランド生産型ですね。口の中にでかい口内炎みたいな黄色い膨らみがありますが、これはイズムルートレーダーです。MiG-17では初めて見たかな。
レーダーと言っても射撃用の測距レーダーで、F-86のそれと同程度だったとかそうじゃないとか。


ミコヤン・グレビッチMiG-21PF(1日ぶり3機目・398機目)
ご存知ソ連の超音速ジェット機。MiG-21はやたらとサブタイプがあって覚えようとすると一苦労なのですが、PF型はレーダーを強化して全天候型戦闘機となった型式です。PFあたりから風防の後ろの背骨が大きくなり始めた気がします。機首のショックコーンも、そこにレーダーを入れたのででかくなってます。


ダグラスYEA-3Aスカイウォーリア(1952年・399機目)
今見たB-66の原型になったアメリカ海軍の艦上攻撃機。
空軍の戦略爆撃機により存在価値を無くそうとしていた海軍の空母艦隊にどうにかかく爆撃能力を持たせようとして開発したものです。その行動原理には空軍との予算獲得合戦があるんですが、まあそれは置いといて。
まだ1950年代初めだと核爆弾も大型なので、それを搭載する機体も大型に。搭載能力は4.5t、行動半径3700kmを要求されたので、軽爆撃機くらいの大きさになりました。これを空母で離着艦させるってのよくやったなおい、と思います。カタパルトと大型格納庫を持つアメリカの空母でしか運用できないお大臣様専用機ですね。

このYEA-3Aは、電子戦用の試作機ですね。A-3の後継機のA-5が登場すると爆撃任務からは外れて、電子戦機か空中給油機に転職して1991年まで使用されました。結構長生きだったのよ。


ミコヤン・グレビッチMiG-29ファルクラム(1977年・400機目
400機目になりましたよ・・・。500機も夢ではなくなってきましたね、ウフフ・・・。

ミグの戦闘機ですね。F-15やF-16といった格闘戦に強い戦闘機に影響されてスホーイのSu-27と共に開発されました。MiG-23やMiG-25からずいぶんと垢抜けた外観になりましたが、同じような形状のSu-27と比べるとまだ野暮ったさが残るところがミグらしいというか。
初めはMiG-29とSu-27とで棲み分けて運用するつもりだったらしいですが、局地的な運用しか出来ないMiG-29よりも汎用性の高いSu-27を集中的に配備したほうがよくね?という運用思想の変化から、当のソ連/ロシアからはしごを外された不遇の子。


後ろから。双発機双尾翼なんですよね。野暮ったいところ含めて好きですよ。
逆に人気の高いSu-27は実機を見たことがないんでイマイチイメージが湧きにくく、今の所あんまり興味がありませぬ。

MiG-29も多くの国に輸出されてますんで、そこら中で見ることが出来にけり。
これもどっかの国の輸出型を持ってきたんだろうと思ってましたが、どうもソ連用のMiG-29(サブタイプ無しの無印)、ファルクラムAと呼ばれとるやつみたいです。どうやって持ってきたんだろう・・・?

ファルクラム(fulcrum)は支点という意味で、これは例によって意味不明なNATOコードネームです。ソ連はソ連でラーストチカ(燕)という名前があるようですが、ラーストチカの方がかっこいいですね。
余談ですが、マブラヴオルタネイティヴに出てくるMiG-29(戦術機の方)はドツボのデザインで、リアルロボット系の量産機では最高峰じゃないかとか思ってます。あれはかっこいい。

といったところで今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その78【2016/03/04~10】

2019-03-02 20:54:19 | 海外旅行記
ダグラスEA-1Fスカイレイダー(1日ぶり3機目・373機目)
アメリカ海軍の艦上攻撃機ですが、こいつは電子戦用の機体です。
主にコックピット周りが原型機から変わっていて、単発機のくせに4人乗りになっています。しかも縦一列に乗るのではなくて、横並びで2*2列になってます。自動車みたいですね。


ボーイングEC-135Jストラトリフター(1日ぶり2機目・374機目)
空中給油機のKC-135からの派生型ですな。Eナンバーは電子戦機によく用いられますが、これは空中指揮用の機体です。見た目は輸送機型のC-135とあまり変わらず。背中とお腹にアンテナを収めた出っ張りがたくさんありますけどね。
空中指揮機というのは、何らかの事情で地上の司令部が使用できない時にそこに代わりアメリカ軍を指揮するための空飛ぶ司令塔、という具合の飛行機です。基地の司令官なんかはもちろん、国防長官やアメリカ大統領の搭乗も考慮されてます。
ちなみに何らかの事情というのは、大規模災害か核戦争を想定してます。まあ、ほぼ後者を想定して製造された機体ですね。どんな状況やねんという感じですが、マジでそう考えていたんでしょうね。


アブロ シャクルトンAEW Mk.2(1949年・375機目)
ひと目見ただけで英国面だと気づいたよ。イギリス空軍の哨戒機ですが、AEW型は早期警戒型です。
第二次世界大戦末期に開発された4発重爆撃機リンカーンを原型に、胴体を哨戒機として使いやすい新しいものに取り替えたやつです。


これもやはり英国面で、二重反転プロペラを4組も付けてます。ビジュアルがすごい。
エンジンはターボプロップっぽく見えますが、本当はグリフォンです。バリバリのWWII時代の液冷レシプロエンジンなのでした。しかもグリフォンは換装されないまま1991年に機体が退役するまで使われてたんですから、大したものです。

胴体下面には早期警戒レーダーが付いてます。あくまで潜水艦対策なんかなって感じ。ちなみにこのレーダーは前回見たガネットからぶんどってきたものだそうな。


ボーイングEB-47Eストラトジェット(1日ぶり2機目・376機目)
B-47爆撃機の派生型。これもEナンバーが付いてますが、こっちは電子妨害型。
これの妨害の仕方がなかなかマッチョで、爆撃機編隊の中でまずこいつがソ連に突撃一番し、爆弾倉にたらふく抱えたチャフを大量散布、チャフ回廊を形成します。チャフによって乱反射する電波や雑音でソ連はろくに迎撃できないまま、チャフ回廊を飛行してきたアメリカの核爆撃機により火の海にされるのだ!というもの。マッチョで単純ですが、それなりに強力だったらしい。
なお自機はチャフ回廊の先頭を飛行する上、ソ連としても真っ先に撃墜しに来るので、搭乗員はまず死ぬ。死ぬまでチャフを撒き散らすのだ。1機撃墜されたら、控えていた2番機が出張ってきてまた撃墜されるまでチャフを撒き散らすとかそういう運用だったのだろうか・・・?
この時期のアメリカ軍の兵士には人権がないなという事例がいくつか見受けられるので、ああ冷戦だなーキチガイだなー...という感想です。


ダグラスB-23ドラゴン(1939年・377機目)
ダグラスの爆撃機B-18ボロの後継機です。前に書いたようにB-18は、同社の旅客機DC-2の主翼とエンジンを流用した結果価格を抑えることができ、アメリカ陸軍の主力機の座を射止めました。
が、競合したB-17と比べると安かろう悪かろうのボロ機材(ボロだけに)だったので、特に爆弾搭載量の面からすぐに旧式化しそうな危惧は持っていたようです。

そこで次の爆撃機を開発しようという流れから造られたのがB-23です。
B-17に追いつけ追い越せとばかりに完全新規の設計かと思いきや、今度も旅客機のDC-3の主翼とエンジンを流用して胴体は新規設計というB-18と同じ手法でした。
38機がまず発注されてそれなりに性能向上しましたが、B-18で欠点だった爆弾搭載量は変わっていませんでした。ええ...。
そうこうしていると欧州の方でナチスのちょび髭がイキって戦争を始めたのですが、欧州からの情報でB-23じゃどうもナチス相手にはダメっぽいぜということが分かると立場は一転。追加発注は凍結され、爆撃用装備も引っ剥がされ、あげく輸送機や訓練機に転職を命ぜされ、当初の花形の爆撃任務とは無縁の任務に従事して消えていったのでした。(代わって敗者復活してそこからシンデレラストーリーを歩むのがB-17なのだ)
1度の発注で終わってしまったので、この時代の機体としては珍しくサブタイプが付いていないのです。ただし改造により任務記号から番号までガラッと変わってしまったC-67というやつはいます。

高速で航続距離が長いので輸送機としては適正が高かったのが救いではあります。
ちなみにB-23は9機程度が現存してると言われ、日陰者ながら残存率23%と高い数値を出してます。戦後も輸送機として潰しが効いたのかもしれません。爆撃機のままだったらこうはならなかったと思います。

この個体はB-23ということになってますが、どうみても個人用機の塗装になっていて、戦後放出された輸送機型(C-67)を買った民間機時代の形態でしょうね。


ボーイングKC-135Aストラトタンカー(4分ぶり3機目・378機目)
空中給油機ですね。これの先代だったKC-97はプロペラ機故に低速で、ジェット戦闘機やジェット爆撃機との空中給油には速度差を縮めにくいことから苦労していたようですが、ジェット空中給油機のKC-135でそれも解決しました。

これは真っ白に青帯でおなじみのNASA所有の機体でした。がらんどうの客室を生かして急上昇と急降下による放物線を描いて擬似無重力飛行をやってました。写真を探すと、45度の大迎え角で上昇してる写真とかあります。空中給油機がする機動じゃないよ。
2004年に引退してここにやってきたようです。


グラマンG-1159ガルフストリームII(1966年・379機目)
ビジネスジェット機ですね。グラマンって昔は民間機をそこそこ造ってたんですよね。戦前の民間用飛行艇の製造とかね。

これもNASA所有だった機体で、スペースシャトルのオービターの操縦訓練に使われていたそうな。


ロッキードVP-3Aオライオン(1958年・380機目)
ロッキードの旅客機エレクトラを原型にした対潜哨戒機です。海上自衛隊でも使ってるんで説明不要でしょう(手抜き)
ただしこれは海軍の高官を運ぶための人員輸送機です。なのでVナンバーになってます。



コンベアB-36Jピースメーカー(1946年・381機目)
はいキター!ついにきたー!ピマの名物!これを見たかったんだこれを!すっごくでかい!

冷戦初期1950年代末までのアメリカ空軍の戦略航空軍団(SAC)の主力機だった超大型戦略爆撃機です。開発はWWII中から始まっていて、日本があの日以降も戦争を継続していたらB-36にケチョンケチョンのシオシオのパーのコンコンチキにされていた可能性はあります。
クソデカイ爆撃機で、全長約70m、全幅約49.4mという巨躯は爆撃機としてはB-52を抜いて世界最大、軍用機全体で見てもC-5輸送機が辛うじて上回るというほど。さすがに747よりは小さいですが、それでも匹敵すると言っていい大きさ。
B-36とB-29が並んだ有名な写真がありますが、なんでお前そんなにデカイんだよと思います。そりゃB-29は中型爆撃機に格下げされるわと。

SACを代表する機体のひとつで、異様な大きさと奇妙な外観が好きな爆撃機なのです。核爆撃機のくせに平和の創造者とはまた大層な名前です。皮肉とかじゃなくてマジでそう思ってたんだろうな(ただしピースメーカーは非公式で、特に正式な愛称はなかった)
一度は見てみたいと思ってましたが、存外早くに実現してしまい小躍り。これは感動ですよぉ。すごいもの~。


エンジンもすごい!
レシプロエンジン6発に加えてジェットエンジン4発の計10発エンジンを持つのです。強そうなので100点。軍用機としては最多のエンジン数です...と回りくどい言い方だということは民間機ではそれ以上がいたわけで。ドルニエのDo Xという大昔の大型飛行艇が12発エンジンでした。

レシプロエンジンは狂気の28気筒空冷エンジンR-4360ワスプメジャーを採用しています。プロペラを後ろ向きに取り付けた推進式を採っているのも特徴です。SFっぽくて好き、200点。
ただしR-4360を6発積んでも期待した性能は出せません。機体が重すぎたのだ・・・。そこで応急処置的にJ47エンジンを4発追加しました。B-47のエンジンポッドと似た形状をしていて、パクってきたんじゃないかという。70点。


人が写ってないんで対比が難しいんですが、デカイですよマジで。さっきからそれしか言ってないな。
尾翼の形状はなんだかボーイングっぽいです。
その下の尾部には後部銃座が付いています。あれはコックピットからリモコン操縦します。

なお10発エンジンを搭載したB-36はそれでもパワー不足だった模様。R-4360も繊細なエンジンだったので稼働率があんま良くなかったそうな。
B-36の運用は、B-17やB-29同様の産業のハブ等の重要施設や都市爆撃を主眼にされてましたが、ジェット戦闘機が実用化されると高高度でもたちまち迎撃されてしまうのでその戦法は現実的では無くなってきました。朝鮮戦争時のB-29がそんな感じだったと思います。
稀によくある戦力化された頃には時代遅れになっていたという機体で、実戦投入されることがないまま1959年までに退役してしまいました。


胴体そのものは太いのですが、なにせ図体がデカイので相対的には細長い印象を受けます。機首の窓が宇宙船っぽくて5000点あげたいです。
主翼前縁に空いている穴がエンジン系の空気取り入れ口です。上の穴がエンジン冷却用、下の穴がオイルクーラーとターボチャージャー用です。ただし実際飛ばしてみると冷却不足だったそうな。

B-36は385機生産されました。この規模にしては多く造られたと思います。これだけ造るのに必要な予算は陸軍と海軍からぶんどってきたもので、この予算獲得争いはエグいものだったらしいよ。
現存機は4機います。この図体なので、形が残っているだけでもすごいと思います。このピマとデイトンの空軍博物館で保存されているものが有名ですかね。
残りの2機はカリフォルニアとネブラスカの航空博物館にありますが、B-36を置いてあるだけあって中々濃い博物館っぽいです。ネブラスカのSAC博物館なんてのは機会があったら行ってみたいですけどね、ネブラスカに特段用事がないのが。


機首。星状の青帯がSACという感じでグッド。
ちなみに写真は縮小されてしまって分かりづらいのですが、B-36の胴体はしわしわになっています。これは機体構造がモノコック構造ではなく、強度のある骨組みで機体を組み立ててその上に金属板の外皮を被せるという構造のため。なのでこれ、WWII前まで採用されていた鋼管羽布張りの飛行機みたいなものです。なんでこういう構造にしたのかは知りませぬが。
なお外板にはマグネシウム合金が使われています。実用金属の中ではアルミ合金を抜いて最も軽い金属です。パワー不足から来る軽量化が命題だったゆえに採用されたんだと思います。なお、マグネシウム合金は燃えやすい特徴がありますので、もし火災が起きたら跡形もなく消し炭になるはずなんですが、1950年のカナダでの墜落事故ではそんな様子ではなさそうなので、あまり問題じゃなかったのかな?


エアロスペースラインズB377-SGスーパーグッピー(1965年・382機目)
出た!これもピマの名物です!
ボーイングのC-97輸送機の民間型モデル377を魔改造して出来た大型輸送機です。C-97はB-29を原型にした輸送機なので、B-29の成れの果てと見ることも出来ます。
胴体上部が大きく膨らんだだるまを逆さにしたような断面が何よりも特徴で、「世界で一番醜い飛行機」の称号を獲得しています。これが運ぶものは宇宙ロケットの部品や飛行機の胴体など、重量は軽いけど嵩の大きい荷物でした。貨物室の容積の割に積載量は少ないので、プロペラ4発でも飛行できるのでした。


機首の貨物扉は横にガバチョと開く構造。コックピット周りにC-97の面影がありますが・・・。

ちなみにスーパーグッピーには前作がいます。その名も妊娠したグッピーことプレグナントグッピーというひどい名前。NASAが宇宙ロケットの部品を運ぶのに使っていたのですが次第に容積不足となったので、より大型の機体をということでスーパーグッピーが3機製造されたのです。

スーパーグッピーはサターンロケットの部品なんかを運んでましたが、1970年代にアメリカの宇宙開発が縮小しだします。するとスーパーグッピーも仕事をなくすのですが、ヨーロッパの旅客機メーカー エアバスが旅客機の部品輸送のために2機を買いました。
エアバスはヨーロッパ各国の企業集合体みたいなもんなので、分散して製造された部品をフランスにある工場に集めてそこで最終組み立てする方式でした。その部品の輸送機としてちょうどよかったんですねー。エアバスの業績も順調で、追加で新たに改造した機体を2機購入しています。
エアバスのスーパーグッピーは4機とも1990年代に製造されたエアバス製の輸送機ベルーガに後を譲りました。そのうちエアバスが追加発注した1機はNASAに売却されて今も現役。


機体の大半は保護されてるので細かい部分が分かりませんが、形状はなんとなく分かります。

ここに保存されているのはスーパーグッピーの初号機。初号機はエアバスに渡らず最後までNASAで使われていた機体です。
C-97は元々レシプロエンジン機でしたが改造にあたりエンジンのターボプロップ化が行われました。初号機はその改造の実験台でもありました。良好な結果を出したので、2号機以降もターボプロップ化されています。
なので、エンジン形状やプロペラの枚数がC-97とは異なっているのですよ。

なお、エアバスで運用されていた3機は引退後全てがイギリス、フランス、ドイツにあるエアバスの各工場で1機ずつ静態保存されています。3機とも保存は珍しいように思え、エアバスもスーパーグッピーによほど愛着があったのかもしれません。


右舷側から。垂直尾翼は巨大化した胴体に隠れないように高さが増されています。すげー高い。でも補助の垂直安定板がないあたり、これだけで安定性は確保されてたんですねぇ。


ボーイングNB-52Aストラトフォートレス(30分ぶり3機目・383機目)
ご存知ボーイングの要塞シリーズ。ピマは3機ものB-52を保存していてたまげてしまうですが、この日近くで見れたのはこの1機だけ。他の2機はさっきも見ましたが整備中でした。
A型ということは最初の量産型です。まさか残っているとは。ちなみに残りの2機はD型とG型なので、3機ともサブタイプが違います。

Nナンバーが付いてますので通常の爆撃型ではありませぬ。これはアメリカ軍の実験機軍団Xプレーンズの黒き直線番長、X-15という極超音速実験機の母機として使われた機体です。
X-15はロケットエンジンで飛行する機体ですが、自力では離陸できんのでNB-52Aで上空まで連れてってもらい、空中で射出されていたのです。一方着陸は自力でできますよ。
右主翼の胴体とエンジンの間にはX-15を懸架するためのハードポイントが残されています。撮影時気が付かなかったのでちゃんと撮っていないのですけどね・・・。
なおX-15はここにはいませんが2機がスミソニアンと空軍博物館に保存されとります。


マクドネルADM-20Cクウェイル
Quailはうずらの意味です。これはちょっとめずらしい展示物。巡航ミサイルのような見た目をしてますし実際分類的にはそれだそうですが、実際にはB-52用に開発されたデコイです。
ミサイル程度の大きさながらB-52と同じ大きさの影をレーダー上に映し出して本物のB-52に欺瞞する、いわば逆ステルスのドローンです。レーダー反射上等な、というかそれを狙った垂直の胴体側面と垂直尾翼が潔い。

肉眼で視認しない限り本物かデコイか見分けがつかないし、レーダー誘導の対空ミサイル対策にも有効です。
ただ飛行プログラムは意外とお粗末で、針路変更2回、速度変更1回しかできませんでした。飛行時間も高度によりますが45~55分間。慣れてしまえば割とレーダー上でも判別できて対策も可能だったんじゃないかなぁと思います。


ちょうどNB-52Aと並べて置いてあるんですよね。この2つが同じレーダー反射断面積を示すなんてちょっと信じられませぬ。


M117爆弾
750lbs(=340kg)の航空爆弾です。B-52はこれを80発積めたとかで。


というところで今日はここまで。今回までで大型機はほとんどやっつけました。