黒鉄重工

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【ホビーボス】Su-47 製作【1/72】

2018-10-30 21:53:15 | 航空機模型製作記
ホビーボスの1/72スホーイSu-47を作ってみました。
前進翼が特徴のソ連(当時はもうロシア?)の試作ジェット戦闘機なのですが、当時の時流は高機動戦闘機よりもステルス機でして、試作機止まりになってしまいました。それでも特徴的な姿が人気の機体なのです。

キットは中国のホビーボスが発売したもの。昨今の日本のプラモデルはひとつの金型で複数のバリエーション展開が必須ですが、ここはよく試作機をよくキット化したと思います。中国だとそこら辺の事情が違うんでしょうかね?


ランナー構成。でかい胴体がドカンと真ん中に置かれていてその周りに細々とした部品が配置されています。
これ1/72スケールなんですけどでかい機体なんですね。


こっちは胴体の腹側が入ってます。


翼関係の部品とか。主翼なんかは表裏一体成形です。
でかい機体なんですが部品点数は恐ろしく少ないです。はじめは図体のデカさにビビりますが組み立ては驚くほど簡単ですぐに形にできます。

デカールと塗装図。
実機の情報が少ないのか、デカールは国籍マークや機体番号など目立つものだけで、細かい注意書きなどは無し。
塗装図は贅沢にカラー図ですが基本的に黒一色ですからね、こいつ。


胴体、特に機首部の垂直面は金型の磨きが十分でなかったんでしょう、表面が粗くザラザラしています。ちょっと磨いてやるといいと思います。


胴体のランナーってスプール(樹脂が注入される湯口)が見当たらないんでどこにあるんだろうと思ってたんですが、なんと胴体の意匠面に堂々とありました。しかも複数口・・・。
ちょっとアレなんで表面を均しました。少し抉れているんで本当はパテとかも使う方がいいんでしょうけど、例によって面倒くさいのでヤスリで磨くだけでヨシにしました。


磨いた後。あんまり分からんな・・・。


脚は仮組みしながら接着できるところは接着してしまって塗装作業を楽にする作戦。


胴体背中に付ける謎の板。エアブレーキでしょうかね?よく分からんので水平状態で接着。


仮組み。胴体を翼とエンジンノズル付けたから後の作り込みは別にもういいでしょ?という感じの設計になってます。
胴体内側の作り込みは一切ないので、空気取り入れ口から奥を覗いてみると中がガランドウになっているのが丸見えになってしまいます。
どうせろくな設計情報が無い機体でしょうから、でっちあげでもいいので管くらいは欲しかったかなと。まあ私はそこらへん何もやらずに完成させましたけども。


塗装します。機体は黒一色なんですが、味気ないんでオリジナルで濃黒灰色にしました。試作機だしそこら辺は自由にやってもいいでしょ。
しかしアクリジョンの希釈配分をミスってしまいましてね、じゃぶじゃぶになってしまいましたとさ・・・。こんなんじゃまるで駄目なので一度塗料を剥がしてやり直しなんですが、またやらかしたんでしばらくヘコんでしまい数ヶ月間手を付けなくなってしまいました。
アクリジョンは希釈の比率がシビアなんですよねぇ。すぐ薄くし過ぎになるし、濃い目に調節するとすぐエアブラシのノズルが詰まるし・・・。それでもシンナー臭がしないのは魅力なんで使っています。


で、やり直してどうにか形にできたやつ。色合いは結構うまく行っただけに一発で塗れなかったのは惜しいです。


で、デカールを貼ってクリアコートもして最終組み立ての最中、脚を取り付けて地面に立たせたところ、尻餅をつきました・・・。組立図にはそんなこと書いてなかったのに・・・。
そこで急遽機首のレドームに釣り用の重りを入れてバランスを取りました。これで無事に解決です。


完成です。
塗装で萎えてしまったんで中盤以降はいい加減に作ってしまいましたが・・・デカイし強そうだしやっぱりかっこいいですねぇ。

はじめにも書きましたがキットは簡単な作りですのでサクッと大きい戦闘機を作りたい時に良いと思います。

<使用塗料>
■機体本体:N54ネービーブルー:N2ブラック=8:2
■レドーム、降着装置:N1ホワイト:N22ニュートラルグレー=10:少々
■コックピット:H42ブルーグレー
■タイヤ:N2ブラック
■エンジンノズル:N18黒鉄色

完成品はギャラリーにて。
 

北方project ~Welcome to Hokkaido. その4【2017/5/3~7】

2018-10-24 20:54:12 | 旅行・イベント記
2017年5月3日(水)14時48分
 北海道小樽市 小樽市総合博物館屋外
次に屋外展示を見ましょう。前回も書きましたが収蔵車両の数はかなり多くここにしか保存していないような車両もあり、内容には満足できます。さらに蒸気機関車アイアンホース号の動態保存をしていて、館内に敷かれた線路を往復運転する本格的なものです。これは後で紹介します。欠点は、冬期は積雪から保護するために屋外の車両は全てブルーシートに覆われて見学不可になること。

というわけで順番に見ていきましょう。


DD16形17号機
重いDD13やDE10では走れないような支線用の小型ディーゼル機関車です。C12やC56といった支線用蒸気機関車の置き換えを目的に1971年に開発されました。ただしこの時期になると支線の旅客列車は気動車化され、貨物列車も廃止傾向にあり、そもそもDD16しか入れないような低規格ローカル支線自体が廃線になって消える事態になっていました・・・。
製造機数は65機に留まり、活躍の機会もあんま得られないまま多くが廃車されました。今も現役やっているのはJR東日本の1機だけ。

先行して開発されたDD51、DE10と部品を共用化することで開発費用や維持費用の圧縮を図っているので、パッと見はDE10と似ています。DE10をさらに小型化したような見た目で、2位側(写真だと手前側)のボンネットがすごく短いのがかわいいやつです。
2位側のボンネットにはエンジンが載っていないんですけど、排ガス用煙突がついているのは見た目の美観なんでしょうかねぇ。


DD13形611号機
1958年から導入された操車場での貨車の入換や支線の貨物列車の牽引などに活躍したディーゼル機関車です。個人的には地元の清水港線での活躍をよく聞く機関車です。

日本の液体式ディーゼル機関車の基礎を作り上げた機関車で、後のDD51やDE10の開発に繋がります。
国鉄の貨物列車を扱うにはやや性能不足ではありましたが、私鉄の専用線や貨物鉄道で扱うには手頃だったのか、私鉄向けの同型機も少なくない数が製造され、まだ現役をやっている機体もそこそこいます。実は長生きの機関車ですが、今後JRからDE10が引退すると変化が出てくるかも知れません。
611号機は600番台でして、駆動装置を小変更した300番台に総括重連能力を付与したものです。


DE10形503号機
御存知、客車列車、貨物列車、工臨、入換、定期列車、臨時列車、だいたいなんでも出来る万能ディーゼル機関車。ただしDD51と比べると基本的に地味で目立たない奴という扱いを受けています。
牽引/制動能力と軸重制限を満たすために2軸台車+3軸台車という珍しい配置を取っています。これが中々複雑な構造をしているのだが割愛。

500番台は貨物列車専用機として製造されたもので、客車暖房用の蒸気暖房発生装置を積んでおりませぬ。
ちなみにこれも使い勝手が良いので私鉄向けの同型機が導入されていますがDD13ほどではないですね。

割とどこでも見かけることが出来るし普通に元気に動いているんであんまり珍しがられないしありがたがれることもない、よく考えると不遇の扱いを受けているんですが、一番若いやつでも製造から40年は経っています。
最近は後継機となるDD200形の試作機が試験導入されていて、これが量産され始めたらいよいよ引退という感じです。元気なうちに乗ったり撮ったりするなら今のうち。


ワム80000形ワム82506号有蓋車
DE10の後ろには貨車が数台連結されていて、貨物列車のようになっているのが特徴。
これは数年前まで現役だった2軸の有蓋貨車のワム80000。くすんだうぐいす色に塗られていますが、どういう意味があるのかは不明です。一応標準色はとび色なんですけどね。
保存車はそこそこありますが、それ以上に放出された貨車の車輪を取り払って地面に直置きして物置に転用したいわゆる「だるま」が多いです。


セキ6000形セキ7342号石炭車
石炭車という名前の貨車ですが、構造としてはホッパ車と同じです。ホッパ車と統合されててもいいもんですが、歴史的には日本ではホッパ車よりも石炭車のほうが先に登場していたことと、貨物列車における石炭車の役割が大きかったので特別に区別されていた模様。
最高速度65km/hというやる気のない速度しか出なかったので、のろまを表す黄帯が巻かれています。また、北海道専用の道外禁止の文字も書かれています。
保存車はここと三笠鉄道村の2台だけで貴重です。


トラ55000形トラ57964無蓋車
一般的な無蓋車ですね。砕石が積まれています。
これもここと那珂川清流鉄道の2台しか残っていません。


ホキ2200形ホキ2226ホッパ車
小麦やとうもろこしなどの粉粒穀物を輸送するためのホッパ車。北米ではグレインホッパーとして馴染み深いやつ。
これは昔カトーのNゲージを持っていたので懐かしい気分に。活躍時期は2000年までと意外と遅くまで走っていたんですね。
保存車はこことクロフォード公園の2台だけでやっぱり貴重。


ワフ29500形ワフ29984有蓋緩急車
有蓋車と緩急車(車掌車)が組み合わさった貨車です。
これは北海道を中心に10台弱が現存しています。


緩急車の車内はこう。車掌クンが仕事してますね。
机仕事するにはちょうどいい広さ。


後ろから。ちゃんと貨物列車になっています。こういう展示は嬉しいですよね。


キハ82形1号(キハ82-1)
キハ80系気動車の2次車の先頭車。1次車のキハ81形はボンネット形状の非貫通型、さらに日本初の特急型気動車でした。しかしその分初期不良も多かったです。それを解消したのがキハ82です。
先頭部形状が貫通型になったのが外観上の一番の特徴です。この形状は以降の貫通型の特急型車両の基本形になってます。
車番はトップナンバーであり、実は貴重なやつです。北海道はキハ82保存車の天国で、翌日もすごいのを見ます。


キシ80形34号(キシ80-34)
キハ80系の食堂車です。これの場合まず食堂車自体の保存例が貴重です。
食堂区画の大型窓(右側)と厨房脇の通路の小型窓(左側)という変則的窓配置や乗降用扉が無かったり、特徴的な車両なのです。中央左寄りにある扉は食材搬入用の業務用扉です。


少しですが自動車も置かれています。最近の鉄道博物館は鉄道以外の展示は止めてしまったところが多いので、こういうのも嬉しいです。


スバル360 K111型
軽自動車を日本初の量販軽自動車にして日本に軽自動車を定着させた自動車。
まるっこいのがかわいいのだ。


トヨタカローラDX-1100 KE10型
大衆車の代名詞カローラの初代モデルです。
なるほどなぁこれが初代か。意識して見たのは初めてですね。


日産ダットサン(サニー)1000DX B10型
これも大衆車の代名詞サニーの初代モデルです。上記のカローラとは骨肉の争いを展開しましたが、サニーは今では消滅してしまいましたね...。
この時代の自動車かっこいいですねぇ。乗ろうとは思わんけど。

というところで今日はここまで。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その3【2017/5/3~7】

2018-10-22 22:00:09 | 旅行・イベント記
円山動物園のある円山公園からは路線バスが出ていたので帰りはそれに乗車し円山公園駅へ戻ります。なお道路激混みで歩くより時間かかりました。それでも疲れてたんでバスでよかったんです。
JR北海道バスのいすゞエルガでした。


北海道中央バスのエルガも停まってたのでついでに撮影。
円山公園駅からは地下鉄に乗って琴似駅へ。


琴似駅ではJR函館本線に乗り換えるのですが、地下鉄とJRで同じ駅名なのに両者はおよそ800m離れています。800mは乗り換えするにはちと遠いですがそうは言ってもこれが一番楽ですので。


駅前にはJR北海道バスのふそうエアロスター新MP35。


琴似駅から函館本線の普通電車に乗って小樽駅まで行きます。731系でした。
特に車窓とかは無し。


小樽駅へ着きました。小樽は2度目で、初回は札幌から函館まで函館本線経由で移動する酔狂なことをやった途中で寄りました。
留置線には733系が停まっていました。731系の改良版で、細かいところが色々良くなっているのだ。


いつもの駅前の景色。昔はもっと海がよく見えたんだろうなとか。


2017年5月3日(水)14時20分
 北海道小樽市 小樽市総合博物館
その後歩いていったかタクシーに乗っていったか忘れましたが、小樽市総合博物館に来ました。来るの初めて。前に小樽に来た時は冬でしたからね、屋外展示物は雪対策で覆いをされて見れないので行かなかったのです。
総合博物館という名前ですが特に鉄道系の展示が強く、鉄道博物館としても十分通用する規模を持ちます。その中身はこれから見ていくとして。


まずは館内に展示されている蒸気機関車から見て行きます。
6号機関車、しづか号、7100形、A形などやたら名前がありますが、「しづか号」が通りがいいでしょうかね。
北海道最初の鉄道「官営幌内鉄道」が1884年にアメリカのH.K.ポーター社に発注し1885年に納品された蒸気機関車。つまりアメリカ型蒸気機関車なわけです。約1年ぶりに見たアメリカ型に懐かしさが。
幌内鉄道は北海道炭礦鉄道を経て鉄道省に買収されて国有化されましたが、その後もしづか号は1917年まで現役でいました。引退後は製鉄所に転職しましたが、これが幸いして後まで現存することに繋がり、1952年の鉄道開通80周年を記念して原型に復元されました。

ひし形火の粉止付きの煙突に大型の排障器が特徴で、これはまんま当時のアメリカ型の蒸気機関車の特徴です。内地の鉄道は主にイギリスの鉄道を範にしたんですが、北海道はアメリカ製をよく輸入していたとかなんとか。
当時の北海道も開拓時代でしたし、この開拓スピリッツあふれるアメリカ型蒸気機関車はよく似合っていたのかも。

なお同型機は他に2機保存されていて、7101号機「弁慶号」が埼玉の鉄道博物館に、7105号機「義経号」が京都の京都鉄道博物館に保存されています。この時代の車両としてはよく残っている方だと思います。


ポーターの銘板。#672はメーカーの製造番号です。
ポーターは小型機関車の製造に自信ニキだったので、幌内鉄道がポーターに発注したのもそういう理由だったのかも知れません。


車輪配置は2-6-0(車軸配置1C)モーガル。動輪直径は914mmで小さめです。
当時の主流は旅客用は4-6-0、貨物用は2-8-0で、どっちつかずの2-6-0は半端な配置なのですが、汎用性はある程度あるので中小規模の鉄道では需要があったようです。幌内鉄道でも適していたと思います。

動輪を始め機体には細かく色差しされていて、当時はまだ珍しく数も少なかった蒸気機関車への思い入れが感じられます。しづか号といった固有の愛称もまだ数が少なかった頃特有の慣例です。


キャブは開放式でして、冬は寒さで死にそうなんですね。

なおしづかとは源義経の妾だった静御前から取られています。先に名付けられていた義経号繋がりだと思います。


ボイラー周りはこんなかんじ。


しづか号の後ろにいる客車(連結はされていない)はい1号客車。これもい1、フコイ5130、ロフコ5670、コロ1と名前がたくさんありますが、い1が一番通じるようです。
1882年製の幌内鉄道の一等客車です。アメリカから輸入した客車のコピーですが自社製です。ただし台車は製作できなかったようで、これはアメリカから輸入しています。
1928年に定山渓鉄道に譲渡されて1963年まで活躍、その後原型に復元されました。これも転職したのが幸いして、現役期間が長くなったうちに価値が認められて現存に至った例ですね。意外とこういう例は多いので、バカに出来ないものです。


台車はいわゆるイコライザー台車。鎖で台枠と繋がれているのは脱落防止?


星マークは幌内鉄道の社章だったかな?


屋根は採光用の段差が設けられた二重屋根。これがあると意外と明るいんですよ。


車内はロングシートとクロスシートが変則的に組み合わされたもの。貴賓車として使われたこともあったというので、ラウンジ的な設計をされたのかもしれませぬ。
ちなみに当時の内地の鉄道の客車はイギリス式の多扉多室構造で、アメリカ式の両端扉一室構造とは真逆と言えるものでした。


というところで今日はここまで。次回からは屋外展示を見学します。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その65【2016/03/04~10】

2018-10-20 21:23:28 | 海外旅行記
ピマ航空宇宙博物館の館内展示の続き。まだ始まったばかり。
スターラー バンブル・ビー(1984年・263機目)
やたら小さい飛行機ですが、これはロバート・スターラーが世界最小の航空機の称号を得るためにわざわざ設計したもの。全幅1.98m、全長2.84m、全高1.24m。よくこんなんで飛べるなって感じですが・・・。コックピットもすげぇ窮屈そう。
これでも飛行はできて無事に世界最小の航空機の称号を得たのでした。後に1988年にはさらに小型のバンブルビーIIを製作し飛行に成功。記録を自身で塗り替えましたがその後機体は墜落して失われてしまいます。やっぱり飛びづらい飛行機なんかな。それでもパイロットのロバート・スターラーは重症を負いながらも生還したんだからたいしたもんです。
機体はロバート・スターラーが寄贈したもの。バンブルビー Bumble bee とはマルハナバチのことです。ジービーといい、こういう極端な飛行機にはハチの名前を付けるのがお約束なのかしら?


ワコーRNF(1930年・264機目)
木製複葉の民生機に自信ニキのワコーを代表する1930年代の複葉機です。RNFはFシリーズの一種で初期型の部類。ワーナー社スカラブエンジンを積んでます。
Fシリーズは1940年代前半まで製造が続いていて、製造後期型のYMFでは外観の印象が結構変わってるぞ。


ピッツS-1Cスペシャル(1944年・265機目)
曲技飛行でおなじみの軽飛行機です。カーチス・ピッツが設計製作しました。基本的には完成機での販売ですがお家のガレージで作るためのキット形態でも販売していました。S-1Cはまさにキットとして販売されていたやつです。
この機体は地元ツーソン出身のジョン・マレックが購入したもので、1994年にこの機体でツーソンの競技飛行大会の「アンリミテッド級」で優勝した経験を持ちます。機体の引退後はツーソン空港で吊り下げられて展示されていましたが、空港の改修に伴い博物館に移設されました。


B-52Dの胴体尾部の銃座です。意外と有機的でグラマラスな形をしているんだなと。


ワコーZKS-6(1935年・266機目)
4人乗りの複葉機Sシリーズの一種で、密閉型の客室が特徴です。
型番のZはヤコブL-5エンジン搭載、KはK型標準客室、Sは系列名、-6はそのサブナンバーです。


カセット パイロンレーサー(1954年・267機目)
エアレース用のホームビルド機です。名前通り、エアレースの競技種目のひとつであるパイロンレース用の機体だそうな。
800機以上のキットが販売されて、ホームビルド機の中ではそこそこ成功したほうでしょう。素組で製作されたキットはほとんど無いらしく、パイロットの要望による改造が多かれ少なかれ加えられているようです。


エバンスVP-1フォルクスプレーン(1968年・268機目)
どこのお家にもあるような簡単な工具で造れることを目指して設計されたホームビルド機です。木の合板と羽布で構成された機体や平面形が矩形の主翼といった簡易な構造は組み立てやすさを第一に設計されていて、美観や性能は二の次にされています。ただし飛行特性はマイルドで案外と初心者向け。
エンジンはフォルクスワーゲンのビートルに使用される自動車用のタイプ1型エンジンを採用しています。機体名のフォルクスプレーンはここから取られています。
ホームビルド機の入門キットという感じでして、アメリカでのホームビルド機の敷居の低さや広さを感じられる機体です。


ルータン ロングEZ(1979年・269機目)
これもホームビルド機ですが複座型は珍しいかも。
燃費と飛行安定性を追求した結果辿り着いた、炭素繊維製の機体にエンテ翼に推進式の構造(右が前側だ)が何よりも特徴です。航続距離が長いのも特徴で、飛行時間は最大10時間、最大距離は2,500kmに及びます。小さいけどすごいやつなのだ。
これを設計したのはバート・ルータンで、彼はこういう異端な飛行機の設計が好きで、エンテ翼と推進式は得意とするところです。特に世界初の無着陸飛行世界一周のボイジャー、低燃費ビジネス飛行機のスターシップ、世界初の民間宇宙船スペースシップワンなんかが有名ですかね。他にも個性的でクセのある設計が多いんですが、好きな人は結構いるようです。


ベルランカ14-13-2クルーザー(1945年・270機目)
ベルランカ社が開発した軽飛行機。そこそこのコストの割に高性能で高耐久なのが売り。あとは正直良く知らん。


ミッチェル ウィングB-10(1929年・271機目)
動力式のハンググライダーです。あとは特に書くことないかなぁ・・・(手抜き)


ビードBD-5Jマイクロジェット(3日ぶり2機目・272機目)
ホームビルド機ですが名前通りジェット機です。お家で作れるジェット機ってすごいパワーワードだなと。
飛行機の機首に翼を付けただけのようなふざけた機体ですが、これでもちゃんとジェットエンジンを尾部に載せているのだ。実際、ジェット機としては世界最小の機体という肩書を持っています。
みんな忘れてるでしょうが旅行の初日にこれのプロペラ機版を見ています。そこでも書いていますが、映画「007オクトパシー」の劇中で主演のジェームズ・ボンドが乗っていた機体として有名なのです。この機体の塗装もそれを再現しています。映画で使用された当該機というわけではなさそうですが。


テイラークラフトL-2Mグラスホッパー(1941年・273機目)
WWII時にアメリカ陸軍航空隊用の連絡機として開発された軽飛行機です。なので型番もLナンバーです。
グラスホッパー、つまりバッタという名前ですが、前線でも運用できるタフさと短い離着陸距離がバッタみたいな跳ね方を想起させたのかも知れません。
グラスホッパーも英語で書くと聞こえがいい単語ですよね。アルバトロス(アホウドリ)とかドラゴンフライ(トンボ)に通づるものがあります。

戦後は余剰になった機体が1万ドル未満の値段で民間に放出されまして、使い勝手が良かったことから人気機種でした。これも放出機を個人が所有していたものでした。


テイラークラフトBC-12D(274機目)
L-2Mと同じテイラークラフト製でL-2Mとは似ていますがよく見ると異なる機体です。
1930年代から造られた個人所有用の2人乗り軽飛行機Bシリーズの一種で、WWII中はL-2の生産に注力したため一時生産中止しましたが、この戦争は勝ったな風呂入ってくる、となった頃から民間機市場に舞い戻り、戦後に生産され始めたのがB-12です。
L-2とは主に胴体が異なります。L-2は観測機の役割もあったので視界を良くするため後方にも窓を取ってありますが、BC-12ではそれがなくてその分胴体後部が高くなっています。また、座席配置もL-2の縦配列ではなく横配列になっています。

1940年代末までは生産していたようですが、以降はよく知らず。それでも戦後型は2,100機も造られたので、今も飛行可能な機体がそこかしこにいるそうです。
ちなみにテイラークラフト社は今は飛行機製造はしておらず、既存機種の部品製造などで細々と会社をやっているようです。


マカロックHUM-1(2日ぶり2機目・275機目)
世界初のタンデムローターヘリコプターです。MC-4がメーカー内呼称で、HUM-1というのは評価試験用に導入したアメリカ海軍での呼称です。他に陸軍にもYH-30(XH-30)が評価試験目的で導入されています。
陸海ともに使い道を見つけられず、制式採用されぬままメーカーに返却されてしまいました。かなり小型の機体でして、たぶん航続距離が足りないとか搭載能力も低いとかそんな理由なんじゃないでしょうか。知らんけど。
海軍のHUMとして現存するのは2機だけで、もう1機はおととい訪れたヤンクス航空博物館に保存されています。


ウェストランド リンクスAH.7(1977年・276機目)
アメリカの博物館では珍しいことにイギリスのヘリコプターです。軍用の汎用ヘリでして、AH.7はイギリス陸軍用の攻撃ヘリだそうな。
なんでここにいるの?という感じですが、退役したのを引き取ったんでしょうね。2012年にシリア内戦で使われた時の形態で保存されているのでその辺りでしょう。


カーチスO-52オウル(2日ぶり2機目・277機目)
アメリカ陸軍最後のOナンバーの重観測機。以降は軽快なLナンバーの連絡機に移行します。
第二次世界大戦が始まった頃に開発された最新鋭のO-52は、実戦配備された時には戦争やるには時代遅れになっていたことが判明しソッコーで後方へ追いやられました、というのが定説なんですがどういうわけで性能不足だったのかはどこにも説明が無いためよく分からず。
現存するのは3機だけで、1機はここ、もう1機はおととい見たヤンクスで、すでに王手をかけてます。なお最後の1機はデイトンのアメリカ空軍博物館です。生きているうちに行ってみたいところでありますので、これもそのうち見ることになるといいな。

というところで今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その64【2016/03/04~10】

2018-10-18 21:37:40 | 海外旅行記
前回までのあらすじ
2016年3月4日~10日の7日間でアメリカ旅行に繰り出した六丸三クン。目的はアメリカに保存されている膨大な歴史的航空機をバカみたいにたくさん見てくること。
最初の3日間「第一部 飛行機だらけのロサンゼルス編」ではロサンゼルスを拠点にし航空博物館4箇所、戦艦博物館と鉄道博物館1箇所ずつに赴く。数えてみたら既に260機以上の航空機を見たことになり、ぶっちゃけ既に飽きが見え始めていた。
そして6日の深夜、舞台をアリゾナ州ツーソンへ移して翌朝を迎えた3月7日。今回の旅行、というか今まで訪れた中で最強の航空博物館「ピマ航空宇宙博物館」との対決へ向かうのであった・・・。
では「第二部 アリゾナの大砂嵐編」始まりです。


2016年3月7日(月)9時32分
 アリゾナ州ツーソン ピマ航空宇宙博物館
来たぞ!対決の地!
ピマ航空宇宙博物館 Pima Air & Space Museum はアリゾナ州ツーソンにある航空博物館です。アメリカの航空博物館の中では有名な部類に入ります。これから嫌というほど味わってもらいますが、32万平米の広大な敷地に300機の航空機を収蔵しているクソでかい博物館です。主に米軍のWWII以降の機体を集めていて、定番からレア物まで色々持っています。
また、アメリカ空軍のデイビスモンサン基地が隣接しています。ここは予備役になったり退役した戦闘機を長期保管しておくための土地「飛行機の墓場」を持っていて、これを見学できるツアーも人気なのです。これも行くよ。

この博物館では対決時間をほぼ1日取っていましたが、あまりに見るものが多く、全然時間がありませんでした。完敗です。まともに見ようと思うと1日では足りません。なので入館口のチケット売り場で2日券を売っていて、最初「大げさだなぁ(笑)」と笑っていましたが、なるほどこれは2日掛けないと無理だわ。死ぬわ。


場所はここ。砂漠です、砂漠。この乾燥した気候は飛行機の屋外保存に適しています。博物館の北側にデイビスモンサン基地があり、「飛行機の墓場」にここが選ばれたのも同様の理由です。
航空写真から察せられる通りやべー数の飛行機が置かれているのが分かりますね。やべーんですよ。外に置いてあるやつの半分くらいは輸送機や爆撃機みたいな大型機だぞ。やべーんだぞ。

ツーソンの町の外れに立地していて、周りは砂漠です。公共交通機関は走っておらず、自家用車かタクシーで行くしかありませぬ。レンタカー借りることはないと思ったんで、ホテルからタクシーを呼んで行きました。
歩いていくのはムリすればいけると思いますけど、やっぱムリだと思いますよ。夏場は死にますよきっと。


受付で入館料(1日券)を払います。その時一緒に飛行機の墓場のツアーも申し込んでおきます。このツアーは観光バスに乗って行く定員制なので、満員になる前に申し込んどかないとイカンのです。

まずは屋内保存されている機体を見ていきましょう。建物はこの本館の他に別館が何棟か建ってます。この別館には終盤まで気付くことが出来ずに結果時間配分を間違えることに。


ライトフライヤー(2日ぶり3機目・263機目)
アメリカの航空博物館の入り口によく置いてあるやつ。本物はスミソニアンが持っているので、これもいつもの通りレプリカです。
ライトフライヤーを開発したライト兄弟とスミソニアンの間ではかつて骨肉の争いをしていたんですが、脱線しまくるので割愛。


今回はエンジンを見ていきますよ。なんでって入り口に置いてあったからよ。とはいえエンジンに時間を掛けてる余裕はないので1~2枚写真撮っておわりです。
これはモナスコC6S-4スーパーバッカニア。スーパーチャージャー付き6気筒空冷290馬力直列型エンジンです。
1930年代のレース機に使われていたエンジンで、これは1937年製。同年開催されたエアレースのトンプソン杯でC6Sを積んだフォルカーツSK-3が優勝しました。このエンジンがそれなのかは分かりませぬが。


キナーK-5
1929年製100馬力5気筒空冷星型エンジンです。1930年代では最も成功したエンジンで、軽飛行機やスポーツ機に多く採用されたとか。


セーケイSR-3
こっちは40馬力3気筒空冷星型エンジン。これは1920年代によく売れたそうな。



レンジャーL-440
175馬力6気筒空冷直列型エンジン。昨日マーチフィールドで見たPT-19などに搭載されていたエンジンです。
直列エンジンはどっちかというと自動車用のエンジンな気がしますが、やはり胴体を細くできるから開発されたんでしょうか?
ただし直列エンジンは性能向上させようと思って気筒を増やすとひたすらエンジンが長くなりますから、限界があったんでしょうか1930年代後半からはまず見なくなったと思います。以降は星型エンジンに取って代わりましたね。

マカロック航空機試作エンジン
1970年に開発された比較的新しい星型エンジン。なんでもディーゼルエンジンだそうな(普通の航空機レシプロエンジンはガソリンで動く)
星型エンジンはクランク回転で回転力を生まない死点を出さないように必ず1列の気筒の数は奇数になっているんですが、これは4気筒エンジンという点にも注目。どういう構造しているのかは知りませぬが、ちゃんと動作して飛行も出来てたということなので性能に問題はなかったんでしょう。


ライトR-975ワールウィンド
300~450馬力9気筒空冷星型エンジン。1930年代のエンジンで、この頃になると見覚えの深い9気筒エンジンが出てきますね。当時の練習機などを始めフォード・トライモーター旅客機にも採用されていました。

なお脱線ですが、この頃のライト航空機社は既にカーチス社と合併してカーチス・ライト社になっていました。元々両者は因縁の仲のライバル関係だったんですが、色々あって合併しました。でもあんま仲が良くなかったのか知りませんが、合併後もブランド名は製品によって分けて使っていて、エンジン類はライトブランド、航空機類はカーチスブランドを使い分けていました。
なおカーチスの航空機には必ずしもライトのエンジンが使われていたわけではないです。そこら辺も少し不思議です。


ゼネラルエレクトリックJ47
GEの開発したジェットエンジンです。主にF-86とかB-47とかに採用されました。両者ともバカスカ量産されましたし、B-47に至っては1機につき6発のエンジンを載せるわけですからエンジンの生産数は膨大なものになり、しめて36,000基も造られました。
でもってこのJ47ですが(右側が前)、これ軸流圧縮式だったのですか。マジか。てっきり遠心圧縮式だとばかり思っていましたがいやはや。
でも燃焼室(左側の赤と青の筒)が複数に分割されていて、これは遠心圧縮式で見られるものです。軸流圧縮式でこれをやる意味はあまり無いので(なので現代の軸流圧縮式エンジンでは見られない設計)まだ設計が成熟していなかったのだなーと。

ご覧の通りカットモデルにされていて、圧縮タービンや燃焼室の様子を見ることが出来ます。一応その写真も撮っておきましたが今回は飛ばします(手抜き)


ホールスコットA-7A
1910年製100馬力4気筒空冷直列型エンジン。飛行中よくエンジンが燃えることで有名だったんだそうな。


クレルジェ9B
1917年フランス製の130馬力9気筒ロータリーエンジン。第一次世界大戦のキャメルF1やニューポール12などの英仏戦闘機に使われました。
ロータリーエンジンというとマツダなんかが使っているおむすび型の圧縮機構を持っているエンジンと名前は同じですが、中身は全く異なるものです。このロータリーエンジンはエンジンそのものが回転するまさにロータリーなエンジンなのです。なので起動中はエンジン自体がぶん回る愉快なことになります。プロペラシャフトとエンジンがバッチリ固定されてるのが分かると思います。
部品点数を減らして軽量化出来てコストも下がる利点がありますが、エンジン出力が向上して回転数が上がっていくとオイルは漏れるわ遠心力で部品が耐えられないわで、その性能向上には限界がありました。せいぜい100馬力級エンジンが限界で、以降はよく見る星型エンジンなんかに取って代わられました。


プラット&ホイットニーR-1340ワスプ
1945年製550~600馬力9気筒空冷星型エンジン。P&Wのワスプシリーズの基礎です。T-6やDHC-3なんかに搭載されていました。


ウェスティングハウス19Bヤンキー
1943年製最初期のターボジェットエンジンでこれも珍しいと思われ。19Bは試作エンジンの名前で、量産型はJ30と呼び、こっちのほうが通りが良いですかね。
ご覧の通り軸流圧縮式でして、この時期のアメリカのジェットエンジンはみんな遠心圧縮式だと思っていたので意外でした。しかもイギリスのコピーとかではなくオリジナルの設計だとかで。
量産型はF4Uコルセアなんかに搭載されて試験されたんだそうな。

というところでエンジン関連は以上。初期の直列型エンジンを始め珍しいものが多くなかなか見応えありましたね。
次回から機体展示を見ていきますよ。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その2【2017/5/3~7】

2018-10-11 21:04:20 | 旅行・イベント記
ZBS、IORIさん、いぶき君とゴールデンウィークに北海道に行った話。
最初は札幌市の円山動物園ですっごーい!たーのしー!している話。


さばんなちほーを歩く一行。ついにライオンを見つけます。
ネコ科の動物の中で唯一、群れを作って、その群れ、プライドっていう名前がついてまして。狩りも力をあわせて行ってまして。1頭が獲物を見つけると、獲物を囲むようにどんどん距離を縮めていくんですね。何頭かで追いかけて、もう何頭か、待ち伏せをするような形ですね。そっちに追い込んでいって、ポッと仕留めるみたいな感じなんですね。ほかのネコ科動物と違って、チームワークのいい狩りを行いますね。

まあライオンも動物園で寝てばかりの動物筆頭ですからね。寝てますね。時々半目開けたりするんで起きてはいるんですけども。


エランドはアフリカに生息するウシ科の動物。鹿っぽく見えるんですけど牛です。


完全に夜行フェリーの座敷で横になってる時のおっさんの後ろ姿をしているブチハイエナ
ライオンキングの影響で悪者のイメージが付いていて少し気の毒です。


「そこの歩道に伸びてるやつ奴は何なんだ?」
「ここに住んでる」


バk・・・もといカバ。最近は動物界最強の呼び声も高いです。ヒグマ選手も優勝候補ですが、まあ土俵が違いますから。


続いてあじあちほーでアムールトラ
トラというと東南アジアのジャングルっぽいイメージですがアムールトラはロシア極東地方に生息しています。クソ寒いところに住んでいるトラで、なので毛並みが深いのだ。北海道の気候にも適したトラですね。
中々猛虎魂を感じる写真が撮れました。まあ今年最下位だけどな(2018年)


ユキヒョウはヒマラヤやチベットあたりに住む白いヒョウ。雪に対する保護色ですな。ホワイトタイガーみたいな白変種やアルビノとは異なって元から白いです。
前足の毛並みが深くてすっげぇもふもふしてそう。


ぶつかり稽古するヒマラヤグマ
インドシナ半島に住むクマで、この時は見せてくれませんでしたが胸に三日月模様があって、これはツキノワグマの親戚みたいなやつなのです。


耳かき。犬みたいだ・・・。


バk・・・もといマレーバク
バクはバクであって他に例えようがないってくらいには独特な動物ですよね。


御存知ホッキョクグマ
のっしのっしとよく歩いてくれて柵の周りには人だかりができていますが・・・。


実際は暑さに参って早く建物の中に入りたいだけなのでした。しかし無常にも扉は閉まっているのです。中々大変なのね・・・。


カナダやアラスカ原産のシンリンオオカミ。日陰で休んでてもイケメン。すっかりバテてるホッキョクグマと違い余裕の表情を浮かべます。
なんというか、土地柄でしょうけどさっきから寒冷地の動物が多いですね。


ゼニガタアザラシです。ゴマフアザラシと何が違うねんというと体の模様だそうな。ゴマフはゴマを振ったような模様、ゼニガタは小銭の模様をしているからです。


サル、ゴリラと来たらチンパンジーと続けるのが通例。たぶん払い戻しをしてるんだと思います。
ケツがでかいですけど、あのケツだとどのくらいモテるんでしょうね。


ひと通りぐる~っと回ってきて最後にもう一度サーバルを見ていきました。かわいい。


園内のレストランで昼ごはん。しゃれた焼きそばを食べました。
併設する売店ではこの機を逃すなとばかりにけものフレンズグッズを売っていましたんで、みなさんお買い物。自由帳とか買いました。


資料館もあります。ちゃんと見ていきたい気持ちはありますが今回は骨格標本だけ。
マサイキリンの標本です。ここで飼育されていたタカヨの骨です。なんと30歳も生きたそうで、これは国内のキリンの最高齢記録です。


アジアゾウの花子の骨格標本。
象の鼻って骨がないんですね。あれ全部筋肉か。骨になってしまうと少し物足りなくなってしまうのね。

というところで円山動物園は以上です。しっかりと楽しめました。
では次の場所へ移動します。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その1【2017/5/3~7】

2018-10-10 22:20:06 | 旅行・イベント記
2017年5月3日(水)0時53分
 静岡県静岡市駿河区 JR静岡駅
おっしゃゴールデンウィークだ、出かけるぞ!ということで北海道に行くことにしました。
深夜、自宅にいると1台のルークスくんが現れて私を連れ込み拉致し、さらに静岡駅にいたいぶき君も拉致したのである。そうZBSの仕業だったのだ!ちなみに既にIORIさんも拉致されていました。


その後東名高速に乗って東進。途中の富士川SAで小休止。最近建てられた観覧車を見てきました。まあ当然ですがこんな時間にはやってませぬ。富士山見えないしね。
なおいぶき君は去年のアレでこちらの行動を完全に疑っていますが、富士川に着く頃には爆睡してました。今後が心配です。


同日4時40分
 神奈川県鎌倉市 JR大船駅
大船駅へ連行されました。ここから京浜東北線の初電に乗ります。発車時刻は4時43分。さすが都会だ早いなぁ。
横浜駅まで乗ってそこで京急に乗り換えます。


そして羽田空港へ。2015年4月以来ですか。
今回は山口宇部に拉致されることはなさそうか。


同日6時22分
 東京都大田区 羽田空港国内線出発ゲート
保安所を通過して出発ゲートへ。渡されたバーコード紙がちゃんと新千歳になっていていぶき君も安堵。前回は唐突に伊丹行きのチケット渡されたからね。


はい飛んでいます。
というか、北海道には何度か行ったことはありましたけど飛行機で行ったのは初めてですね。今までは青函トンネル通ってました。しかも全部急行はまなす。そっちの方が変わってたと思う。


90分そこらで到着。やっぱはえーわ。
なお乗ったのは6時25分発のANAのNH987便、機材は767-300。6時台発の飛行機とか誰が乗るんだよって感じですが、さすがゴールデンウィークで見事ほぼ満席でした。


同日8時27分
 北海道千歳市 JR新千歳空港駅
そそくさとJR新千歳空港駅へ。朝8時だとまだ何も店がやっていないんですよ・・・。
721系4000番台快速「エアポート」に乗ります。エアポートは混雑がひどいのでロングシート化が進行していると聞いてますが、まだ一部にはクロスシートの721系が走っているんですね。


新札幌駅で地下鉄東西線に乗り換えます。地下鉄の駅は新さっぽろ駅で平仮名。これで円山公園駅まで乗ります。


同日10時4分
 北海道札幌市中央区 札幌市円山動物園
駅から歩いて10分位のところにあります札幌市民の憩いの場所円山公園内にある円山動物園にやってきました!
当時は「けものフレンズ」のアニメがめちゃくちゃ流行っていた時期で、揃い揃ってその影響を受けていた我々もその流れに乗ろうと札幌の動物園へやってきたのです。動物園に来るのも久々です。


園内には色々な動物がいるわけですが、全部写真撮れるわけじゃないし中には失敗したものもあるんで、かいつまんで見ていきましょう。
まずはオオタカ。鳥類は籠の中の鳥なので基本的に網が入り込むしピント合わすのも大変なので難しいですね。猛禽類なのでとても強い。


いつ見に行っても寝転んでるアイツことオオカンガルー。これが走り回っているところはテレビ画面でしか見たことありませぬ。
今日も元気にダレています。タマタマωはみ出てるぞ。


ダチョウ。ダチョウはダチョウなのか。オオとかマとかシロとかクロとかそういう亜種はいないんでしょうか。


なお卵を産んでいたようです。ダチョウ大統領の貴重な産卵シーン、見てみたかった。


サーバルキャット
サーバルはですね、基本的にはアフリカの、サバンナといわれる地域に過ごしていまして、若干ゃ草が、生えているところなので、そういったところで歩きやすいようにサーバル、あの、細長い個体で。であと耳も大きいので、遠くの音を聞こえるように。ジャンプ力ぅ…ですかねぇ…高いところに、スッと、ジャンプできる動物でして、結構高いところが好きなので、軽々と1メートル2メートルは余裕でジャンプしてくれますね。(信頼)

今までは無名に近い猫でしたが2017年に入ってから急激に知名度を上げ、今やヒョウやトラ並みの認知度を獲得。一体なにフレンズのせいなんだ・・・?
お察しの通り一行が円山動物園に押しかけたのはほとんどこれが目当てです。

毛並みが悪いですが、高齢ゆえの体質だそうで。ちなみに国内で飼育されているサーバルの中で最高齢。
円山動物園には2匹のサーバルがいますがもう1匹は骨折のリハビリのためおやすみしていました。みんみ・・・。


ミーアキャットはライオンキングのティモンがいたので昔から知っている動物です。ティモンと実際のミーアキャットはだいぶ姿が違うんですけどもね。
名前とは裏腹にネコ科ではなくてマングース科の動物です。まあ猫の顔つきではないです。


直立するのが特徴です。


キリンは陸上動物で最も背の高い生き物。頭身は高いし美脚だしでモデル体型なのだ。

というところで今日はここまで。



清水港のクルーズ船を撮影する【2017/4/16】

2018-10-09 20:25:08 | 鉄道撮影記
2017年4月16日。
ビクトリアにいた頃散々、寄港するクルーズ船を見に行っていた私ですが、日本に帰ってからも近所の清水港にクルーズ船がちょくちょくやってくることを知ったのでそれを見に行かない手はないでしょ、ということで行くことにしたわけです。ただまあ、今のところ見に行ったのはこの1回こっきりなんですけどね・・・。

今日寄港するクルーズ船は「ドーンプリンセス」という清水港には初寄港する船です。アメリカのプリンセスクルーズという会社の運営です。
クルーズ船は日の出埠頭に接岸するんですが、ちょうど背景に富士山が見えるので良いのですがこの日は薄~く見えるだけでした。まあ暖かくなってきたしね。
クルーズ船の乗客の目当てのひとつは富士山なんでしょうけど、クルーズ船が寄港する夏場は見えない日が多いんですよね。


初寄港ですのでタグボートによる歓迎を込めた放水がされています。


タグボートは「富嶽丸」です。


ドーンプリンセスは総トン数約7万7千t、乗客数2,000名、乗員900名の巨大船です。
なおドーンプリンセスは2017年6月にオーストラリアの会社に移籍して船名も「パシフィックエクスプローラー」に改名しました。なのでドーンプリンセスとしての清水港入港はこれが最初で最後なのです。


何度見ても泳ぐマンションみたいな船です。
接岸作業を終えると乗客が少しずつ下船してきました。結構外国人が来ているんです。
清水に寄港するクルーズ船はたまにではなく観光シーズンを通して何度も来ているので静岡の観光は結構好評なんでしょうかね。


岸壁の一角にはしずてつジョイステップバスの観光バスが待機していました。静鉄の子会社ですがしずてつジャストラインとは違う会社で貸切バスを営む会社です。意外と撮影する機会がなかったのです。
バスは普通の観光バスで日野セレガRです。


こっちはいすゞガーラ。ジョイステップのバスはバンパーが白いのが識別点。ジャストラインは赤いのです。


バス勢揃い。
この先は特に動きがなさそうなので日の出埠頭から撤収します。


ドーンプリンセスが入港した時はまだ8時でしたので、少し足を伸ばして東海道本線の撮影にでも出かけました。
場所は清水~興津の清見寺のところ。
211系5000番台+313系3000番台(LL10+V14)


313系2500番台+211系5000番台(T16+SS1)


EF210形152号機の貨物列車(1097レ)


211系5000番台(LL2)
興津行きですが方向幕は既に折り返しの島田行きになっています。


線路沿いには桜が咲いてましたけど、うーん微妙・・・。


313系2600番台(N9)


EF210形170号機の貨物列車(1068レ)
貨物列車の撮影の時、いつも機関車のすぐ後ろのコキが空荷で締まらない写真になっていたんですが、今日は2本とも満載でしたので絵になりました。
貨物列車に満足したところで撤収。


今度は静鉄の撮影へ。いつも静岡側で撮っているのでたまには清水側でもと思い巴川橋梁へ。
A3000形の3001Fと、


3002Fを撮影できました。こういう写真を撮る時に電車が目立って良いです。


さらに静鉄の県総合運動場~県立美術館前でも撮影。
1000系1010F静岡理工科大広告。


A3002F。
A3002は営業開始後初撮影でした。


A3001Fを撮影して撤収し、お昼ご飯を食べてお家に帰りました。以上。

北米project 4 ~Is the order a warbird? その63【2016/03/04~10】

2018-10-07 20:02:16 | 海外旅行記
2016年3月6日(日)16時42分
 カリフォルニア州オンタリオ オンタリオ駅
マーチフィールド航空博物館を撤退後、レンタカーを走らせてロサンゼルス方面へ戻ります。途中のオンタリオというところにあるオンタリオ駅に寄り道します。
ここはアムトラックの駅で、ちょうどロサンゼルス発ニューオーリンズ行の大陸横断列車「サンセットリミテッド」号が運転される日(週3日しか運転しないのだ)だったのでちょっと見ていくことにしました。
「サンセットリミテッド」はサザンパシフィック鉄道が1984年から運行を始めためちゃくちゃ昔からある列車です。今は御存知アムトラックにより運転されています。
アムトラックの大陸横断列車が大陸横断を謳いながらアメリカ西海岸とアメリカ中部の都市シカゴを結ぶものばかりで片手落ち感のあるものばかりだったのに対してサンセットリミテッドは西海岸のロサンゼルスからフロリダ州オーランドまで運行されていて、まさに大陸の端から端までを結ぶ列車でありました。ただし今は途中のニューオーリンズ止まりになってしまい、やはり片手落ち感が・・・。


オンタリオ駅は始発のロサンゼルスユニオン駅を出てから最初に停車する駅。停まるのはアムトラックの列車だけで、ロサンゼルスの通勤鉄道メトロリンクはここを通りません。
ですが駅のホームには乗車待ちの客がそこそこ列車を待っています。数割かは見送りなんでしょうけどね。

ちなみにアムトラックに精通している読者諸氏ならばお気づきかと思いますが、サンセットリミテッドのユニオン駅出発は22時ちょうどです。でも現実にはまだ17時にもなっていないのに・・・。
というのも当時この列車の走るユニオンパシフィック鉄道の線路で大きな保線工事がありまして、その影響でサンセットリミテッドは列車の出発時刻を大幅に繰り上げたのでした。UPの線路を借りて運行しているという立場上、UPの都合に合わせないとならないんですねー・・・。

実は今回の旅行を始めに計画していた時、このサンセットリミテッドに乗車する予定でした。夜の10時にロサンゼルスを出発して、翌朝アリゾナ州ツーソンに朝の8時に着きます。そして次の対決地ピマへそのまま出向くという計画でした。
アムトラックの大陸横断列車にも乗れて出発と到着の時間も絶妙で、ホントにもう完璧だと思っていたんですがこの保線工事で全部パーになりました。下車駅のツーソンに着くのは夜中の2時で、アリゾナの田舎町に深夜2時に放り出されるのはキツイものでして、泣く泣くアムトラック乗車は諦めることになったのです。ちなみに乗ろうと思っていたのはコーチクラスでした。一晩しか乗らないしね。
なのでせめて列車だけでも拝んでおこうというそういうことだったんですねー。


来ました。列車番号は栄光の#2。反対のロサンゼルス行が#1です。
なお普通に10分くらい遅れてきやがりました。まだ2駅目なんだけど。
でもやっぱかっこいいわ。


牽引機はおなじみのP42DC #83+#195の重連です。


なおプラットホームから普通にオーバーランして停まりました。おっとこれは誤算・・・。
ついでに停車中にUPの貨物列車がすれ違っていきましたがP42が邪魔で撮れませんでした。南無。


客車は普通のスーパーライナーなのですが、特筆すべきは荷物車で、これは2014年から製造されているビューライナーII#61062でした。
ビューライナーはアムトラックの製造する1階建て客車で、主にシカゴ以東の長距離路線に使用されます。ただし荷物車だけは西部の大陸横断列車にも連結されます。これは長年活躍を続けてきたヘリテージ客車をいよいよ一掃するためとかなんとか。
アムトラックはその設立経緯から設立当初は各鉄道会社から引き継いだ雑多な客車で運行していました。次第に客車はスーパーライナーやアムフリートなど自社で新造したものに置き換えられていきましたが、荷物車だけは近年まで雑多な旧型車が使われてきました。
それが今回のアムフリートIIの製造でついに引導が渡されることになると思われます。

なおビューライナーIIの荷物車の帯は現行のフェーズV塗装ではなくフェーズIII塗装の復刻になっています。毎日がリバイバル運転。理由はよく知りませんが旅客車との識別のためといったところでしょうか?
なお裾の細い赤帯は当時のフェーズIIIには無くフェーズVの塗装の流れを汲むもので、完全な復刻塗装ではないことに注目です。どうでもいいんだけどさ。


扉が1箇所しかない上にみんな寝台車に乗るし荷物はスーツケースばっかで重いしで、乗車には結構時間がかかっていました。これじゃこの先も遅れが拡大しそうだな・・・。


そして10分くらい停車した後17時10分にオンタリオ駅を出発。
ああ、乗りたかったなぁ・・・。


ちなみにオンタリオ駅にはこんな建物が。昔使っていた駅舎のようにも見えるし、ただの保線小屋にも見えるし。謎いです。

この後はロサンゼルス空港まで戻って空港近くでレンタカー屋でヤリス君を返却しました。走行距離は269mile、つまり432kmです。あら、結構走ったのね・・・。本当にそんなに走ったかなぁという気がしますがメーターがそうなんでそうなんでしょう。
返却後は送迎バスで空港の出発ゲートへ。


2016年3月6日(日)20時44分
 カリフォルニア州ロサンゼルス国際空港 国内線出発ロビー
空港に着いたら次なる戦地へ向かうため飛行機で高跳びします。今も書きましたが、向かうのはアリゾナ州ツーソンです。列車で行くのは断念したので飛行機です。
レンタカー返却から飛行機の出発まではだいぶ余裕があったのでとりあえず腹ごなし。今日も昼飯を食べていないんですよ・・・。
安めのレストランを物色しているととんこつラーメンの文字が飛び込んできたのでちょっと高かったけどそれにしました。
味はまあ、アメリカ的ラーメンだなという感じでした。下の上。


出発ロビーで待ちます。1時間位待った希ガス。割と退屈でした。


そして搭乗。乗るのは21時55分発デルタ航空DL4743便ツーソン行き。ロサンゼルス~ツーソンは割と頻繁に運行されているんですが、これより前の便は値段が高いので遅い便にして節約したのです。
機材はCRJでした。背の低いCRJでボーディングブリッジ使うのはちと苦しいのではないか?
飛行時間は1時間くらい。ツーソン到着は0時31分でした。はい、時差を越えるので時計上では2時間掛かったことになります。

余談ですが、レンタカーでアリゾナまで走り通すという考えも一瞬浮かびました。が、25歳未満の運転士には強制的に20~30ドル/日の追加料金が課せられるのですぐに却下しました。旅行の全行程をレンタカーで移動するとこの追加料金だけ見てもバカにならないのです。ただ若いってだけで金取られるのほんとバカバカしい・・・。


2016年3月7日(月)0時50分
 アリゾナ州ツーソン ツーソン国際空港
ツーソン空港に着きました。これにてワシントン州、カリフォルニア州に続き3番目の州に足を踏み入れたことになります。
深夜の空港なんで店は全部閉まっているし人通りも無いです。見るものもないのでそそくさと外へ出ます。入り口にはサボテンが生えてたりして、砂漠度が増した感じ。
ここからはホテルへ直行するんですが、どうにか歩いていけるところに宿をとったので徒歩で行きました。周りは真っ暗でちょっと怖かったですけどね・・・。


コンフォートスイーツというホテルで一泊。値段の割に結構いいお部屋。
なぜベッドが2つあるかというと、みんな覚えていると思いますがZBSが任意同行するはずだったからです。


というわけで北米project 4 第一部飛行機だらけのロサンゼルス編はこれにて終劇。次回からは第二部アリゾナの大砂嵐編が始まります。
お楽しみに。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その62【2016/03/04~10】

2018-10-06 21:50:25 | 海外旅行記
ボーイングB-47Eストラトジェット(1947年・255機目)
爆撃機を作るのが俺の道と決めたボーイングが戦後に開発したジェット爆撃機。開発は1944年から始まっていますが終戦から2年後には初飛行に漕ぎ着けてるんで、すげぇなって(小並感)
B-29とB-50の後継機として開発されたものです。なのでかは知りませぬが爆弾搭載量はB-29の9tを少し上回る10tです。大型爆撃機であるところの例のB-36は最大で30tくらいまでは積めたので、搭載量では見劣りしていました。
それでもB-36が搭載量とコスト以外の性能がアレだったのでB-47がバカスカと2,000機以上も造られる大所帯になったのでした。こんだけ造っておいて輸出は一切行われなかったので全機がアメリカ国籍なのでした。アメリカ空軍の主力機だったと言っても過言ではないでしょう。
あとはまあ、当然ですけど核爆撃機です。息をするように核爆弾搭載を前提にしています。まあ狂ってますよ。


スッキリとしたコックピット。当時としてはなんだか爆撃機離れした印象を受けるんですよね。
乗員は機長、副操縦士、爆撃手/航法士の3名。機長と副操縦士は風防のところにタンデム配置で座ります。たった2名で飛ばすことが出来るのだ、というのはすごいよなと。
爆撃手/航法士は風防より前の機首の中に座っています。窓はないんですけど、どうやって爆撃してたんだ。航法だってどうやってたんだ・・・。気になりますが今回は飛ばします(手抜き)
機首の部隊章は御存知SAC: Strategic Air Commandことキチガイの集まり戦略空軍です。星模様の青帯に稲妻を掴んだ巨人の腕の部隊章が目印。この部隊章と銀色と白の塗装が戦略空軍の爆撃機のトレードマークになっています。
この銀と白の塗装私には妙にかっこよく見えるんですが、別におしゃれで塗っているんではなくて、核爆弾を投下して爆発した時の高熱を逸らすための対策として塗られたという極めて現実的な塗装なのです。やっぱり狂ってんなぁ。


エンジンは片側3発。エンジンポッド2+1発の構成です。大型機のジェットエンジンをポッドにまとめて主翼下に吊り下げるという方式は確かB-47が初めてと言われていて、画期的な機体だったわけです。
なおエンジンポッドから伸びている車輪は補助輪です。主脚は胴体の前後に自転車のように配置されているので、この補助輪がないと横に倒れてしまうのです。


爆弾倉。B-47は脚が短いんで覗きづらかった・・・。


尾部の機銃。あ、付いているんですね。でも誰が操作するんだこれ。


愛知九九式艦上爆撃機・・・もといバルティーBT-13Aバリアント(30分ぶり3機目・256機目)
心のきれいな人には日本海軍の艦上爆撃機、九九艦爆に見えますが、その実態は実はアメリカ陸軍の練習機を九九艦爆っぽく魔改造した機体なのです。これは一度見てみたかった機体です。

戦時中に訓練用の仮想敵として改造された・・・というわけではなく、1970年公開の映画「トラ・トラ・トラ!」での航空シーン撮影用小道具として調達されたものです。今だったらVFXを駆使して撮影をするんでしょうが、当時は実機を用いた空撮が行われたのです。
日米開戦のきっかけになった真珠湾攻撃を題材にした映画ですので、日米の航空機が必要になります。アメリカの航空機の調達はわけなかったでしょうが、日本側の航空機(零戦、九九艦爆、九七艦攻)はまともなものが残っていませんでした。
そこでBT-13やT-6といった日本機に近い練習機を魔改造して出来るだけ姿を似せたのです。T-6を改造して出来た零戦「テキサン・ゼロ」なんかは有名ですかね。BT-13は九九艦爆および九七艦攻の素材に使われました。T-6もBT-13もおそらく数は大量だったとは言え歴史的な機体には違いないので、このような大改造を敢行したのは大英断ではなかったかと。
改造された機体は各機種複数あったので、小道具としての役目を終えた後は散り散りになりました。博物館の収蔵品になった機体もいれば個人所有になった機体もあり、中には今でも飛行可能な機体もありにけり。飛行可能機は貴重な日本機枠ということでエアショーで飛ぶこともしばしば。


ちょうどBT-13を見たばかりなので再掲してみよう。
いやぁ、結構手が入ってるねこれ。原型が行方不明。たぶん殺された。


九九艦爆と言えば脚という人と楕円翼という人でかつて核戦争の一歩手前になりかけたという逸話がありますが(無いです)、同機の特徴である楕円翼はこの魔改造機では再現されていないようです。
飛行特性が大きく変わりそうですし、まあ残当。その代わりもうひとつの特徴の脚はきちんと再現されています。


可愛いと噂の脚。


機首が黒いのが日本機の特徴なのだ。一説ではエンジンの放熱が目的とか言われてますが、あんま効果がなかったのか戦争後半になると


ダグラスEA-1Eスカイレイダー(1日ぶり2機目・257機目)
ちょろっとだけ海軍機がいます。これはアメリカ海軍のイカス攻撃機A-1。プラモデルで作ってみたいけど定番商品でいつでも手に入るからと後回しにされるやつ上位です。

このE型はちょっと変わり種でして、機長と副操縦士が横並びに座る座席配列になっていること。風防の内側をよく見てみると座席が横に並んでいるのです。
さらにA-1の型番の前にEが付いていることから察せれるように電子系の機体です。電子妨害とか夜間攻撃とか種類はいくつかありますが、これは早期警戒機なんだそうな。
で、そのレーダーオペレーターが乗り込むための座席が操縦士の後ろ側に付いています。かまぼこ状の小窓が付いている部分です。オペレーター席は電子機器を操作しやすいよう暗くするために敢えて窓を小さくして外からの光が入らないようにしているのです。
機体の何処かに早期警戒用レーダーがあるはずですが、見つけられず。胴体の中に収まっているのかもしれないし、機外搭載だったのかもしれません。


ダグラスTA-4Jスカイホーク(1日ぶり4機目・258機目)
海軍のイケてる攻撃機。型番にTが付いていることから察せれるように複座練習機型なのです。
ソ連の星マークとソ連っぽい洋上迷彩が塗られていて、飛行訓練時のアグレッサー機として使われてたんじゃないかなと。
この機体は2003年のアメリカ海軍のA-4が退役する最後まで飛行していた機体のひとつだそうです。


LTV A-7DコルセアII(1日ぶり2機目・259機目)
A-7は元々アメリカ海軍がA-4の後継機としてF-8を土台に開発した艦上攻撃機です。ですがこのD型は空軍専用として派生した型式です。
ベトナム戦争において空軍は地上部隊を援護するための近接航空支援(CAS)用の地上攻撃機を求めるようになったのですが、何せこれからの戦争は核兵器を撃ち込めば一発でケリがつくから通常兵器なんていりませんよとマジで考えていたんで、通常兵器を用いた対地攻撃機なんて何も開発していませんでした。
そういうわけなんで、いざ攻撃機が必要になっても手持ちがなにもないわけです。そこで空軍は海軍からA-1を譲り受ける屈辱を受けます。しかもこのA-1全部海軍ではすでに要らなくなったお古でありますからに。
しかし時が経つとさすがにレシプロ機では性能的にキツイと思った空軍は、またも海軍の攻撃機A-7を採用することになります。これは導入当時も生産中でしたから新造機が導入されています。
そんな経緯で導入されたD型ですが、そこは空軍の意地があったのか、元々の愛称だった「コルセア」は使用せず、愛称無しか「SLUF」というよく分からん名前を使っていました。またエンジンは空軍専用のものをわざわざ用意しています。


セスナA-37ドラゴンフライ(1954年・260機目)
さっき見たT-37ツイート練習機を軽攻撃機(COIN機)に仕上げた機体。ドラゴンフライと書くとかっこいいですが、要はトンボですからね。まあそういう飛行機なんでしょう。
アメリカ空軍ではそんなに使われた形跡はなく、F-5みたいに親米の中小国へばら撒くために造られたと思います。ゲリラ組織や暴徒の鎮圧目的の飛行機ですので、ガチの戦争では使えたもんじゃないですし。


ダグラスB-26Cインベーダー(1942年・261機目)
第二次世界大戦時に開発されたアメリカ陸軍の攻撃機です。使われ方はほとんど爆撃機だったんですが、なんでAナンバーにしたんだろうね。
WWII後も退役せずに継続使用され、空軍独立後はB-26に型番変更されてそのまま朝鮮戦争に投入されます。さらに後のベトナム戦争でも使われることになります。A-1といい、ベトナム戦争はWWII世代のアメリカ機が使用された最後の戦争だったのです。
なおベトナム戦争の最中、型番が再びA-26に戻されるという迷走をしました。上記の対地攻撃機不在問題に際して急遽その候補として浮上した模様です。

この機体は1954年退役なので朝鮮戦争まで使われていたということですね。真っ黒な塗装はおしゃれではなくて夜間攻撃用の夜間迷彩なんでしょう。


というわけで展示機は以上です。だいたい50機くらいいました。たくさん見ましたね。
あとは落ち葉拾いでもしましょうかね。


エンジンが展示してある一角があったんで見てみましょう。これはプラット&ホイットニーR-4360ワスプメジャー。B-50、B-36、C-119などに採用されていました。
7気筒*4列という凄まじいエンジン。空冷エンジンの厚みじゃない。
空冷エンジンで空気を当てて冷やす必要があるので各列が少しずつズレて配置されているのが異様な姿の印象を与えます。


これはソ連のクリモフVK-1ターボジェットエンジン。MiG-15やMiG-17に採用されたエンジンです。
遠心圧縮式のエンジンなので左側のごちゃごちゃした部分がエンジンの本体、右側の筒はただの排気管です。
で、これはイギリスのニーンエンジンのコピーでして、イギリスの共産系政党の労働党がニーンエンジンのソ連への輸出を承認しちゃったためです。ソ連はここぞとばかりにニーンをコピーします。当たり前だよなぁ?


筒側。まあ筒ですね。


こっちはゼネラルエレクトリックI-16ターボジェットエンジン。I-16というのはGEの社内呼称みたいなもんで、正式名はJ31。つまりP-59に搭載されたジェットエンジンです。
J31はGEのジェットエンジンデビュー作となるエンジンです。元々電気屋として創立したGEですが、発電用タービンで会得した技術を航空機の排気タービンに活かし、さらにその時の経験からジェットエンジンの開発も行ってしまいました。そして今ではジェットエンジンの開発メーカーの一角になるまで成長したのです。写真フィルム技術を転用して化粧品メーカーに成長した富士フイルムみたいなもんで、どの技術がどう転ぶか分からないもんです。

J31は独自開発ではなくてイギリス初の実用ジェットエンジンであるホイットルW.1を基にしたというかコピーしたエンジンなんですが、ここでひとつ誤算があり、W.1は英国面を持ったエンジンなのでした。
取入口から吸気された空気は遠心圧縮されて燃焼室に送り込まれるんですが、そこで向きが180度変わってさらにもう1回180度向きを変えられて排気管から後ろへ排気されます。一度向きを反対にして空気を流すわけですから、取入口から排気管まで一直線に空気を流すよりも無駄なエネルギーを使い出力低下を招くのは自明です。なんでこういう構造にしたのか謎ですが、まあ英国面なんで・・・。

さらに不運なのはこれを例のP-59の搭載エンジンとされてしまいその上P-59が制式採用されてしまったこと。おかげでJ31もP-59もダメエンジンにダメ戦闘機の烙印を押されてしまったのでした。
ちょっと同情する。

というわけでダメエンジンだったわけですが最初期のジェットエンジンとしては貴重なわけで、それを外に置いておいていいのかよという気がします。


ターボファンエンジンに見えたけど実はゼネラルエレクトリックYJ93ターボジェットエンジン。
Yナンバーが付いている通り、試作止まりになったエンジンです。搭載機はあのXB-70バルキリーです。
YJ93は軸流圧縮式なので横に細長いエンジンになっています。

他にも色々なエンジンがありましたが説明書きがなくて名前が分からんので割愛。写真もろくなの撮らなかったし。


前にSR-71のエンジン本体を撮り忘れたと書きましたが、最後の落ち葉拾いで撮ってました。
というわけでプラット&ホイットニーJ58エンジンです。


セスナO-2スカイマスター(50分ぶり2機目・262機目)
なんか撮り忘れてました。さっきも見た胴体の前後にプロペラがついてるやつです。
でもこんなに変わった形状をしていてもざっくりとした印象はハッキリとセスナと分かるもんですね。


というところでマーチフィールド航空博物館は以上です。
膨大な収蔵機があるのはここまで読んでくれたならよくわかったと思います。まともに見ようと思ったら1日がかりになるでしょう。
定番から珍しい機体まで色々いるので近くまで来たら一度寄ってみるのも良いと思います。中々行きづらいところにありますけどね・・・。
今回初めて見た機体も多く、収穫のある見学でした。どうにか開館時間中に見終えることが出来ましたし。

では今日はここまで。次の舞台へと移りましょう。