黒鉄重工

プラモ製作、旅行記執筆をやっています
同人誌通販始めましたhttps://603kurogane.booth.pm/

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その6【2018/4/28~5/3】

2021-01-30 23:52:23 | 旅行・イベント記
2018年4月28日(土)13時12分
富山県富山市 富山地方鉄道電鉄富山駅
立山駅を出発後、最初は初めて乗る富山地鉄を堪能しようと思っていたんですが、高原バスに引き続き眠気に負けてしまい道中の殆どを寝てしまいました。再び目が覚めた時には終点の数駅手前でした。
うーん、これは乗ったうちに入るのか?とても消化不良となってしまいました。以来、地鉄は黒鉄重工の重要攻略目標のひとつとなっていますが、この時以来まだ行けていません。
降り立った地鉄のホームには16010形特急「アルプス」が止まっていました。元レッドアローのやつですね。


16010形はすぐに出発していってしまったので、ここまで乗ってきた10030形の編成写真でも。


本日最大の目的、立山黒部アルペンルートはもう終えてしまったので、今日はあとはもう消化試合です。
地鉄の他にもJR西日本とほんにゃらとやま鉄道が乗り入れている富山駅。新幹線が開通してから来るのは初めてですが、地上駅時代とは別物になっていて大層驚く。どっちかというと、工事の真っ最中でぐちゃぐちゃだった駅前のロータリーやバスのりばが整然となっている方が驚いたかな・・・。


とりあえずまずは昼飯です。歩いていく途中に見かけた富山市内軌道線の7000形7022号。レトロ電車に改造されていて、車体の塗り分けは地鉄の旧標準色です。車体のあちこちに文字が書かれまくっていて、お察しの通りこれも水戸岡電車です。ただこれはかなりおとなしめです。つまらんのう。


富山駅前で昼飯となるとこれはもう西町大喜のブラックラーメンで決まりです。これほど白飯に合うラーメンもないんじゃないかな。


食べ終えたらJR富山駅の方へ。新幹線の高架下に乗り込んで富山駅と直結した市内線を一瞥します。以前は駅前の道路を渡らないと乗れなかったんですが、これだと雨にも濡れないので最強です。この頃はまだでしたが、今は富山ライトレールも乗り入れていて直通運転しています。
富山市の都市交通のグランドデザインは日本にしては先を言っている感があって、感心するばかりです。


第11走者:富山ライトレール(TLR0600形)富山駅北13:15→城川原13:30
富山駅北口に出て、そこから富山ライトレールに乗ります。2020(令和2)年2月に富山ライトレールと富山地鉄の直通運転が始まると富山駅北電停は廃止になりました。現在では取り壊されたようで、すでに過去の光景になってしまいました。
さらにいうと富山ライトレールという会社そのものも直通を機に富山地鉄へ吸収される形で消滅しています。富山ライトレールを取り巻く状況は訪れてから数年で激変しました。


鉄道むすめの岩瀬ゆうこ嬢。電車の車内で乗客の乗車の補助をするアテンダントさんでしたが、ここに来る少し前、2018(平成30)年3月21日に現実のアテンダント業務が終了してしまいました・・・。
しかし、岩瀬ゆうこさんはそれでもクビにされること無く乗客に案内を続けていたという泣ける話でした。でも、もはや所属会社すら無くなってしまった2021年、彼女はいまもホームの壁に佇んでいるのでしょうか・・・。


車庫のある城川原駅で下車。駅に隣接する富山ライトレールの本社社屋で鉄道むすめスタンプラリーのスタンプを押してきました。それが乗りに来た目的です。

時間もあるし、ということで少し周りをうろつきます。地図を見てみると、運河とか閘門とか、素敵ワードを見つけたのでそこへ。
5分くらい歩くと、川というか運河みたいなものが現れました。これが富岩運河ですな。


親柱の銘板が埋められてしまった・・・。橋の竣工年は1934(昭和9)年8月なので結構古いです。


富岩運河は、東岩瀬港(現富山港)と富山市街地を結ぶ全長5.1kmの運河です。東岩瀬港は江戸時代は北前船などの船舶が寄港していた商業の町でしたが富山市街地とは離れていたので、そこを水運で結ぶことで物流の強化を狙っていました。また、それ以前に行った神通川の付け替え工事によって発生した川の跡を、富岩運河の開削時に発生した残土を利用して埋め立てて市街地にするという裏の目的も持っていました。富山市の都市計画はこの頃より周到さが垣間見えます。

富岩運河は5kmありますが、中でも特徴的なのがこの中島閘門です。富岩運河はここを境に上流と下流の水位差が2.5mあります。この間を舟で移動する際に水位を調節して橋渡しする設備です。いわば舟用のエレベーターです。






水位差が分かるかな?
前後2枚の閘門があって、それに閉じ込められる形で船が入り、その中で水位を上げ下げします。つまるところ、パナマ運河の閘門と同じ方式です。
私はこれと同じものをカナダのオタワで見ましたので「もう見た」となりましたが、日本にもこういうのがあったとは知りませんでした。


【中島閘門 】 
動画を引用してきました。
この閘門は現役で、今も観光船が通る時に使用しています。私達が来た時は観光船が通らなかったのでこれは知りませんでした。これは乗ってみたかったかな。再履修です。


中島閘門操作所も復元の上で現存しています。


これが閘門の操作盤。ボタンと計器だけで、思っていたよりも少ないです。1950年代まで使用していました。今は別の操作盤を使っているそうな。


閘門の操作は24時間体制だったので、泊まり勤務の操作員もいたことでしょう。しかし浴室まであるとは。


休憩用の和室もあります。さすがに住み込みで働けるような広さと設備ではありませんでした。


運河を歩いているうちに城川原駅からは離れてしまったので、ひとつ隣の越中中島駅へ。越中中島といえば2010年、富山駅から乗車する「きたぐに」が来るまでの時間つぶしのために駅前のガストに行きましたねぇ。その後富山駅に戻ったら北口は入口が閉まっていてとても焦りましたけどね・・・。

ここからは富山駅に戻りますが、それより先に岩瀬浜行が着いたのでそれを撮影。オレンジの0602号でした。


第12走者:富山ライトレール(TLR0600形)越中中島15:30→富山駅北15:41
富山駅に戻ります。乗ったのは赤の0601号。


第13走者:あいの風とやま鉄道(521系)富山16:00→高岡16:20
富山駅では北陸本線・・・もとい、あいの風とやま鉄道というふざけた名前の鉄道へ。北陸本線の3セク転換鉄道の社名はどれも命名センスが破壊的だって評判悪かったぞ。その通りかもな。
この名前のなにがまずいって、これといった略称が思い浮かばないし、あったとしても人によって略す箇所が揺れるだろうなっていう。誰かが言っていましたが、4文字以内に略せる名前にすると親しまれやすいんだそうな。あいの風とやま鉄道ではムリだろう・・・。

それにしても富山駅のホームはまるで別世界になりましたね。天井は高いが骨組みがやたら多いのは、雪対策なんでしょうな。富山の雪は重そうだし。
なお路線はあいの風とやま鉄道ですが車両はIRいしかわ鉄道の521系。3セク鉄道にしては珍しく両社は相互乗り入れしているのでこういうことになっています。だったら一体化してしまってよかった気もしますが、これも県同士の事情がありましょう。
IRいしかわ鉄道はIRまで入れて正式名だそうです。北陸3セク鉄道の中では一番マトモですが、カジノでも建てるんかいなっていう略称が少し気になる。


ものの20分で高岡駅に到着。ここのホームは前と変わらず安心感があります。
反対のホームにあいの風とやま鉄道の521系が停まっていたので撮影。新幹線開通後に北陸本線に乗るのは初めてなので少し楽しくなっているのですな。

というところで今日はここまで。


その7へ→

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その5【2018/4/28~5/3】

2021-01-29 23:41:26 | 旅行・イベント記
2018年4月28日(土)9時41分
富山県中新川郡立山町 室堂駅
第8走者:立山黒部貫光立山高原バス(日野セレガ)室堂→美女平
アルペンルートの第6区間は高原バスです。ようは普通の観光バス。
立山黒部貫光の他にも今回乗った加越能バスとか富山地鉄バスとか、他社にも運行委託しています。ここからは山下りとなります。


さっき歩いた雪の大谷を今度はバスに乗りながら通過。


さよならさよなら~。
雪の大谷を抜けるとこっちも気が抜けてしまい、美女平に着く直前まで眠りについてしまいました。ムーンライト信州でろくに寝れずに信濃大町駅に降りてからこっち、移動しっぱなしでしたのですっかり疲れてしまいました。まだ9時台なんですけどね・・・。


第9走者:立山黒部貫光立山ケーブルカー 美女平10:40→立山10:47
アルペンルートの第7区間にして最終区間となるのは2度目のケーブルカーです。ただしこちらは露天。
美女平の駅では山を下る客よりも登っていく客の方が多かったです。富山市あたりから出発しようと思うと、ちょうどこの辺りの時間に美女平に到達するんですかね。長野側の扇沢~黒部ダムも似たような状況でしょう。
その点、我々はムーンライト信州でスタートダッシュを決めて混雑が始まるよりも先に電光石火の如し速さでアルペンルートを貫きましたので、トロリーバス以外は混雑知らずという、快適な移動を堪能できました。
まあこの立山ケーブルカーでまた混雑してしまったんですけども・・・。麓の交通機関はやっぱり混むんだな。大半の人達は黒部ダムか室堂で折り返してしまうんでしょう。


はい、立山駅です。走行中の写真は撮れず。ただ景色は普通のケーブルカーの平均以上でした。なにせ線路に曲線があるのが良い。曲線のあるケーブルカーは初めて乗りました。ケーブルカーでも曲線敷いて大丈夫なんですね。


ケーブルカーの車両。2003(平成15)年に運行開始した2代目です。



ケーブルカーは下から見るほうが好き。


連結器にはバッファ付き。・・・ん?連結器?


おやおやなにか連結されていますね。


なんともう1台連結されています。これは物資運搬用の貨車ですね。
普通に自動車道が並行しているんでぶっちゃけ必要なのか微妙ですが、道路が通行止めになった時のバックアップなのかもしれません。
なお貨車には制御室が付いていて、立山行列車を走らせる時にはここに車掌(あるいは制動手?;ケーブルカー車両に"運転手"は乗らない)が乗るんだそうな。珍しいものを見られました。


富山地鉄の立山駅に着きました・・・が、微妙に電車の接続が悪かったので暇に。


どうにかして時間を潰します。駅の側線に電車が停まっていたのでまずはこれを撮影。14760形というやたら数字を刻む電車です。
富山地鉄は軌道線は何度か乗ったことありますけれども鉄道線の方は一度も乗車したことがなくて、富山地鉄は実は隠れた空白地帯になっているのです。


次は駐車してある観光バスを撮影し始める。これは上郷タクシーのいすゞ・ガーラミオ。つくばナンバーで、遠いところから来たもんだと。


北日本観光自動車の日野・セレガR。


立山黒部貫光の日野・セレガハイブリッド。環境に配慮してハイブリッド車多めなのだろうか?


駅チカに立山カルデラ砂防博物館という建物がありました。入場無料ということで入ることに。


が、無料なのは半分だけで、もう半分は有料なのでした・・・。無料の展示は無料なだけあってなんというか、今となっては印象が殆ど残っていないというか。有料は入らなかったし。
これはらいてうの剥製。


立山連峰の模型。ここまで辿ってきた道を復習。


博物館はすぐに出てしまいました。ぼちぼち下り電車がやってくる時間なので駅から少し歩いて電車を撮影することにしました。
移動中にやってきたふそう・エアロクイーンII。少し珍しいがブレてしまった。


鉄橋沿いで撮影。ここって雑誌等で見覚えがあるけど、例の有名な撮影地だったりする?しかし立木が伸びてしまっていて最高かと言われると・・・。
やってきたのは10030形。いわゆる京阪3000系。あれの折返しに乗ることになるのかな?


駅へ戻っている途中、ケーブルカーがうおんうおん登っていくところが見えました。


駅へ戻ってきました。こっちが駅舎の表側か。


第10走者:富山地方鉄道立山線(10030形)立山12:05→電鉄富山13:11
それでは富山地鉄に乗車します。乗るのはやはりさっき鉄橋で迎え撃った10030形でした。この電車も型式を刻むね。近鉄か?
これにて立山黒部アルペンルートは攻略完了となります。割と急ぎ足で貫いてしまった感はありますが、あんな雪深い高山に登るなんてのは私の趣味では考えもつかないことでした。そこから望む眺めは絶景と言うにふさわしいでしょう。
今度行く機会があれば、違う季節の時が良いですね。しかしムーンライト信州は事実上死に体ですから、今回のようにスタートダッシュを決められないのは残念です。

というところで今日はここまで。

東南project ~God’s Blessing on This Wonderful Singapore! その34【2018/2/9~13】

2021-01-27 22:25:28 | 海外旅行記
2018年2月12日(月)16時11分
シンガポール サンテックシティ
モスクとアラブ人街から立ち去って、どこか適当なショッピングモール「サンテックシティ」へ。
この後は日が暮れるくらいの時間になったらマリーナベイサンズの舟のところへ行こうと決めていたんですが、シンガポールの日没は遅いので(東西の距離が1,900km以上離れた台湾と同じ標準時なのだ)まだ時間が余ります。
インド人街とアラブ人街を見たらあとはもういいかなぁ、中国人街は他の国でも見たし(今思えば春節直前の中国人街は見ておいて損はなかったかもと若干後悔していますが)、という具合に持て余し気味でした。お金は使いたくないし。
そんな時に流れ着いたのがこのショッピングモールでした。迷走気味です。


きれ~いな区画で、私からすれば味気ないなぁという。噴水もあるよ。国土狭い割に土地の使い方は欧米的とでも言えましょうか。
暑いしとっとと中に入りませう。


よくあるショッピングモールかな、といったところ。


スーパーマーケットが入っていたので、土産を買っていくのも兼ねて見ていきました。外国のスーパーマーケットを見るのは楽しいですものね。
鮮魚コーナーは裸の魚が氷の中で泳いでいました。こういう陳列は日本でもあるにはありますけどやっぱり外国で見ることが多いです。
根魚系はやはり見たことないものばかり。蒸して食べると美味しそう。


青果コーナー。当然のごとく果物は裸のまま山積みです。これが世界標準で、ここらへんは日本が過剰包装だよなと外国スーパーに行くたびに思います。


謎野菜。中国のネギだそうな (Red leek)。


春節前なのでお正月用品もありにけり。これお土産にいいなと一瞬思いましたがどうやって持ち替えるねんと我に返って諦める。
結局スーパーではレトルト食品、クックドゥ的な調味料、スナック菓子、カップ麺等を買っていきました。

スーパーマーケット物色も消化してしまったのでまたすることがなくなりましたが、どうせならもう夕飯にしてしまうことに。モール内のレストランをざっと見回してみましたが、外資系チェーン店かおひとり様にはキツそうな店しかありませんでした。ちょっとズレてるなとここで食べるのは止めに。
せっかくならまたホーカーズに行って食べたいので、最寄りのホーカーズを調べてそこに行くことにしました。
この後はモール内にあるMRTサークル線プロムナード駅 (Promenade) へ行って地下鉄に乗車。ひと駅隣りのニコルハイウェイ駅 (Nicol Highway) で下車。歩いていけますが、暑いのと乗り放題なのがあるので積極的に地下鉄利用。


同日17時46分
シンガポール ゴールデンマイル・フードセンター
ニコルハイウェイ駅から歩いて5分くらいにあるゴールデンマイル・フードセンターへ着きました。ホテル最寄りのハイロードのホーカーズと違ってここは多層建てになっています。しかし密閉構造ではなく風雨をしのげないのは庶民向け施設の宿命なのか・・・?こういうところで格差を作らんでも。


建物が多層建てになっていること以外はハイロードと同じ造りになっていて安心。やはりモールよりこっちのほうが好きだ。
もう18時前ですが意外と客はまばらです。混雑するのはもう少し遅い時間か。一昨日動物園帰りの夜中に夜食を食べに行ったら活気があったので、もっと夜が更けてから混むんだろうか。中国人労働者は1日に4食食べる(朝、昼、夕、夜)と聞きますが、シンガポールでもそんな感じなのだろうか。とか考えていました。


これがシンガポールで最後のご飯になるので大いに迷いましたが、海南鶏飯をもう一度食べておこうと思い、それに。ハイロードで食べたのとは少し違うものでした。日本のラーメン屋と同じで、店ごとに味付けが違うのです。飲み物はA&Wルートビア。これも今日を最後にしばらく飲めなくなってしまう・・・かなしみ。


珍しく店の写真を撮っていました。三國演義鶏飯という店でした。今回記事を書くにあたって場所を調べ直しましたが、今は臨時休業だそうな。新型コロナウィルスの影響でしょう。ホーカーズは小規模店舗の集合体なので、打撃が大きいでしょうね。

食べ終えたらまたMRTニコルハイウェイ駅に戻って、今度はマリーナベイサンズの最寄り駅ベイフロント駅 (Bayfront) へ。


同日18時44分
シンガポール マリーナベイサンズ
地下鉄の駅を出ると地下街が広がっていてこれは都会ですわ、となる。
どうにかマリーナベイサンズの3棟のビルのうちのどれかに辿り着きます。
マリーナベイサンズの舟のところはホテルの宿泊者しか立ち入れないんですが、一部だけただの観光客も入れるところがあります。そこへ行きます。


ビルの端っこにある入口から一度地下に潜ってそこで入場料を払います。20シンガポールドルくらい取られましたがな。高い・・・。展望タワー系の入場料はどうしてこうも高いのか。どうせ2度も来ないんだから最初で最後の1度目でぼったくってしまえとか思っているんだろうか。
舟へ向かうエレベーターはやたら速かったです。入場料の数割はこのエレベーターの特急料金だと思います。


同日19時6分
マリーナベイサンズ サンズスカイデッキ
表に出て最初に撮った写真がこれ!施設が見せたい向きと逆ですがな。
今写真を見返すと、コナンであの水門からテロリストの貨物船が・・・などというのを思い出すわけです。


沖止めしている多数の貨物船。コンテナ船、Ro-Ro船、起重機船、タンカー・・・貨物船の見本市みたいになっています。


で、こっち。ガチで意識高い人達の集うダウンタウンコアが湾を挟んだ向こう側に見えます。19時回ってようやく日暮れですね。
ちなみに我ら日帰り客どもは船の先っちょしか立ち入ることが出来ません。よく紹介されるプールなんかがあるところは、宿泊者しか立ち入れません。まあ妥当だと思います。


昼間素通りしてしまった国会議事堂も見えます。一応ここからご挨拶して課題履修完了。


19時38分。居座る時間に制限はないので、日没までボケっとダウンタウンを眺めます。20時からは噴水ショーも始まるのでそれが終わるまではいましょうかね。


19時50分。ほぼ日没して黄昏時。都心の密度が高いのでなかなか良い夜景です。水辺があるのもグッド。割と好きです。

というところで今日はここまで。
次回、本編最終回です。

最終回へ→

東南project ~God’s Blessing on This Wonderful Singapore! その33【2018/2/9~13】

2021-01-26 22:28:59 | 海外旅行記
2018年2月12日(月)14時5分
シンガポール マーライオン公園
おもしろ建築シンガポール代表のマリーナベイサンズを正面から。あの船のところに登ってみたいとちょっと思うようになりました。考えておきましょう。


そしてこれです。オエーするライオンとして私に知られるシンガポールの象徴、名物、大明神ことマーライオン閣下です。シンガポールに来たからには閣下にご挨拶しないわけにはイカンでしょう。
ちなみに、挨拶に伺った数日前までは閣下の周りに足場が組まれていて補修作業中だったようです。もし星のめぐり合わせが悪かったら、なんとも後味の悪いシンガポール旅行になるところでした。私の持つ運命力に感謝です。


シンガポールは規則が厳しいのにマーライオン閣下は常時オエオエしてていいのかなどとくだらないことを考えていた模様。


マーライオンの実物を見てみると、意外とデカイんだな!という感想でした。ここらへん、日本のがっかり観光地であるところのはりまや橋や時計台と比べると立派なものです。抱いた印象としてはパリの凱旋門に近いです。あれも思ってたよりデカかったからね。まあ大きさのスケールではマーライオンは負けますが。


斜め前から。


顔を望遠で。口元からノズルが見えるのはちょっと減点かな・・・。


そばにはミニマーライオンもいました。本家の1/5くらい。私の想像していたマーライオンの大きさはこれと本家の中間くらいでした。


両者は意外と近くにいて、背中合わせになっています。


都心に来たからには国会議事堂にご挨拶しなければならぬと思いそっちの方へ歩いていったんですが、知らん間に通り過ぎてしまったようで。
代わりというか、戦争記念公園 (War Memorial Park) へ辿り着きました。シンガポールでの戦争といえば第二次世界大戦で、それの忠霊塔が建っていました。1939年からとなっているので、第二次世界大戦勃発後イギリス軍として徴兵された人たちも慰霊されているんだと思います。


少し離れたところにもう1柱ありました。これは1942年からの日本軍の侵略による民間人犠牲者の忠霊塔でした。



シンガポールに二度と同じような忠霊塔が建たないと良いですね。建てるなら、おもしろ建築のほうがずっと良いのです。

この後はラッフルズシティ・ショッピングセンター (Raffles City Shopping Centre)を経由してMRTシティホール駅 (City Hall) へ。ショッピングセンターでは地下食品売り場を物色しました。外国人が多く利用する地域なのか、割と西洋的な作りでした。


2018年2月12日(月)15時23分
シンガポール サルタン・モスク
アラブ人街に戻ってきました。もうサルタン・モスクは開いている時間です。
どうでもいいですが、モスクの目の前の通りは観光客向けの土産物街になっていて、中にはシンガポールクソTを売っている店もありました。今思えば、1着くらい買っておいても良かったかも・・・。


お待ちかね、ISO認証取得モスクことサルタン・モスクへいざ。ガチのイスラム寺院ですが、立地柄観光客にも開放している懐の広いモスクです。
中は異教徒だろうと無宗教者だろうと土足と露出の多い格好はNG。私は何も問題なかったですが、ダメな人には上着を貸してくれるそうな。逆に露出がなければジーパンでもなんでも良いらしい。


すまねぇアラビア語はさっぱりなんだ。各地の現地時間だと思いますが、どこがどこなのか見当もつかないな・・・。


礼拝堂の中。いや広いなこれは。この中はイスラム教徒しか入れないので私は外から眺めるだけ。しかし礼拝中でも写真撮影できるので太っ腹というか、撮っていいんだっていう。


普通にお祈りしています。イスラム教徒の祈祷は初めて見ましたね。そんな興味本位でホイホイ見れるものではないですからね。


礼拝堂の横の廊下。観光客は立入禁止なのでいけるところまで。礼拝堂もそうですが、中は涼しげ~な色使いです。


ただ教徒の礼拝姿を見世物にするために観光客へモスクを開放しているわけではなくて、イスラム教徒はそもそもなんぞやという、観光客へイスラム教徒への理解を深めてもらうためであります。そのためのパネル展示もあります。そういう狙いもあるので、展示は見ていった方が良いかと。一部は日本語の展示もありますしね。

というところで今日はここまで。

【1/72】ロッキードF-94Cスターファイア アメリカ空軍【ギャラリー】

2021-01-24 17:26:08 | 模型ギャラリー
キット:エマー 1/72 F-94Cスターファイア(後期型) #EM3004
仕様:アメリカ空軍第27戦闘迎撃飛行隊 1955年ライト・パターソン空軍基地

アメリカ空軍が急場しのぎで作り上げたロッキードF-94A/Bの発展形として開発した全天候型迎撃戦闘機です。計画段階ではYF-97という別型式の戦闘機でしたが、謎の力により在来F-94のサブタイプとして採用されることに。
こういう経緯からも分かるように、A/B型とC型では形状も性能も別物です。
兵装は、在来型の機関銃では爆撃機相手では力不足なのでそれに代わって強力ネズミことマイティマウス・ロケット弾24発を機首に装備。それだけでは足らず、主翼前縁にも1基12発のロケットランチャーを苦し紛れとばかりに左右にぶっ刺して運用していました。


極初期のジェット戦闘機だ、というのが凝縮されたようなお姿。その分迷走ぶりもあり。そこが面白いのですが。


後ろ。


エマーのキットは相応の品質はありましたがやはり現代の目で見るとしょぼいので、F-94の最新キットがほしいところです。





ちなみに機首のロケット弾は黄色の星マークのところが内側にパコンと開いて、そこから発射されるっていう超素敵ギミックが内蔵されています。なんでそんなおもしろメカを・・・しかし当時の技師は大真面目だったわけで。
アメリカでもジェット戦闘機が開発されて以来、機関銃は狙いを付けやすい機首に集中配置されるようになったわけですが、このロケット弾もその設計に引きずられたんだと思います。でも実際はロケット弾の排気が空気取入口に流入してエンジンが停まってしまったそうな。


じゃあ空気取入口の真横にロケット弾を置けば大丈夫だろうと思ったか知りませんが、主翼にロケット弾を追加しました。あの筒の中にロケット弾が入っていて、先端には整流のための覆いが付いています。発射する時に覆いも外れるんだそうな。
主翼下のハードポイントにロケット弾を吊り下げる手法はすでに実績があったのに、なぜか主翼前縁にぶっ刺すように取り付けたのは謎ですけど。


尾翼と排気口周りも形状変わってるのだ。ロッキードとしては急ごしらえのA/B型よりもこっちが本命だったのだろうなと。


足回りはA/B型ひいてはT-33と同じなように見えます。数少ない設計流用部分?


裏側。


以上、ロッキードF-94Cスターファイアでした。

【エマー1/72】ロッキードF-94Cスターファイア 製作

2021-01-23 22:22:54 | 航空機模型製作記
前回F-94Bの製作記事を掲載しましたが、その時同時にF-94Cも作っていました。B型とC型は型式上は同一型式内のサブタイプ違いになっていますが、実態は全くの別物です。実際C型は初めは別型式として採用予定でした。
B型とC型を同時に作ってその形状を比較してみようと思いました。特に塗装工程に於いては使用する塗料が全く同じなので、工程の簡略化が可能です。1機ずつ塗るより2機同時に塗ってしまったほうが準備と片づけの手間が少なくて楽です。


F-94Cのプラモデルも、黎明期の1960年代にアメリカメーカーから何種類か出た後は途絶えてしまいましたがその後1990年代に今回作るイギリスのエマーから新型が発売されました。マイナーな機種を製品化するメーカーでしたが、近年活動している様子がないので現存していないかもしれません。
エマーのF-94Cは前期型と後期型の2種類が発売されています。私が購入した時は両方売られていましたが、主翼にぶっ刺さったロケットランチャーが印象的な後期型を買いました。


キットは太くて角張ったランナーが特徴的。彫刻は割とだるめに彫られています。これは先に作ったソードモデルのキットの方が繊細で勝っています。


デカールは厚くて追従性が無くて、性能低め。しかもこの個体は経年劣化で表面についている薄紙がデカールにくっついてしまい、剥がしたら薄紙が一部残ってしまいました。
幸か不幸かデカールは丈夫そうでしたから、デカールを機体に貼り付け固定した後に湿らした綿棒でゴシゴシ擦ることで張り付いた薄紙をふやかしてある程度はがすことが出来ました。


あとはゲート切りがしにくいので、ニッパーで部品をえぐってしまわないように注意です。


まずコックピットから。計器盤はまっ平らでデカールも無いですから、なんとも割り切ったものです。しかし少しさみしいので、筆で白い点々をつけて計器っぽくしました。精密さはゼロですが雰囲気は出たので良しとしましょう。


空気取り入れ口は穴が塞がっていたのでドリルで開けました。
ちなみに組み立ては総じてソードよりも楽です。


塗装は最初に書いていたとおり先に組み立てていたF-94Bと同時にします。
初めに黒で塗装して、次に塗るガンクロームに深みをもたせるのと表面を平滑にしてやります。


塗装を終えてデカール貼りします。主翼のUSAFは、前縁に付くロケットランチャーに跨って貼りつきます。塗装工程を簡単にするためにロケットランチャーは別で塗っていましたが、この段階でロケットランチャーをくっつける必要があります。しかしロケットランチャーは艶消し塗装、機体の銀色は艶ありトップコートを最後にかけるので、マスキングゾルでマスクしておきました。
デカールはごわごわで定着させにくかったので、マークソフターを塗りたくってどうにかくっつけました。


デカール保護のために艶有りクリアで薄くトップコートを掛ければ完成です。



古いキットで出来も相応のものでしたが、直前に作ったのがソードのプラモデルだったのでそれに比べると作りやすいものでした。
このキットも実質的に絶版なので、今後数年の間でどこかの東欧メーカーが新規キットを出してくれないかしらと期待しております。



これがやりたかった、B型とC型の並びです。実在のアメリカの博物館でこれをやっているところはデイトンの空軍博物館だけじゃなかろうか。
なんとなくは似ているけど、首からしっぽまで形がぜんぜん違うじゃんというのが分かるかと。主翼も微妙に形状違いますしね。

完成品はギャラリーにて。

<使用塗料>
機体下塗り:C2ブラック
機体上塗り:C104ガンクローム
エンジンノズル:LP63チタンシルバー
主翼踏み板・機首レドーム:LP3フラットブラック
防眩塗装:C55カーキ
機内:N58機体内部色
座席:X18セミグロスブラック
座席枕:N47レッドブラウン


 
 
 

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その4【2018/4/28~5/3】

2021-01-20 23:43:06 | 旅行・イベント記
2018年4月28日(土)8時25分
富山県中新川郡立山町 大観峰駅
ロープウェイを降りて大観峰駅へ着きました。大観峰駅は外に出られるわけではないのでここでは特に何をするでもなくすぐに次の乗り物へ乗り換えます。
第5区間は、立山トンネルトロリーバスです。再びのトロリーバスです。関電2019(令和元)年から関電トンネルトロリーバスが電気バスに転換したので、日本唯一のトロリーバス路線になりました。


第8走者:立山黒部貫光立山トンネルトロリーバス(8000形)大観峰8:30→室堂8:40
乗るのはこれ、8000形。TKKだと東急ですがな。車両は関電300形と同じものですね。

関電トンネルトロリーバスと比べるとやはり乗客が減っています。今回は座れました。片道通り抜けする人というのはまあそれほどいないということでしょうね。


室堂駅着きました。こちらのトロリーバスもいずれは車両更新が必要になりますが、その時にはトロリーバスを維持するのか関電のように電気バスに転換するのか、気になるところです。車両製造費と人員確保の点から、電気バスになるんじゃないかと予想しますが。

室堂は立山黒部アルペンルートの一大拠点となっています。なんと山岳ホテルも建っています。登山家がたくさん泊まっているんだろうな。
あとは室堂といえば、シーズン開始直後だけのお楽しみ、雪の大谷があります。室堂は豪雪地帯かつ吹き溜まりの地形のため積雪がエグいことで有名で、積雪10mくらいはザラなんだそうな。冬が終わると、道路に沿って積もった雪を除雪しきますが、そこにできた道路は路肩が雪の谷というか壁になっているのです。これを観光地化したのが雪の大谷です。


表に出てバスロータリーへ。すでに雪山がエグい。あれ全部雪で、地形じゃないらしいぜ。


立山熊太郎という除雪車だそうな。これで10m積雪を除雪できるのか?と疑問でしたが、やはり一度で除雪しきれるわけもなく何度も少しずつ削っていくようです。大変だなこれは。


室堂から美女平までは普通の自動車道で、移動手段も観光バスです。ただし一般車は乗り入れ不可。


割とひっきりなしに来ます。これは富山地鉄観光のふそう・エアロバス


ではでは雪の大谷翔平へ。このように一部の区間は徒歩で大谷を満喫できます。脇をバスが通るので少しおっかない。画面の大半が白い・・・。


脇道あり。こっちは普通に雪山の上にできた雪道です。帰りはこっちを歩いてみますか。


では雪の大谷を歩くぞ。この時点でだいたい6mくらいか。


雪が地層になっています。雪が降るたびに層が重なっていくのです。下層の方は上からの荷重で締め固められてしまいもはや氷になっています。
一口に雪と言っても気象条件で雪の性質も変わるので、その道のプロが見れば雪を見ただけでその日の気象が分かってしまうのです。この年は、最下層がざらめ雪(丸くて大粒の雪:温かい日に降雪)、その上はほぼ締り雪(白くて細かい粒:寒い日に降雪)です。さらに表層は中国からの黄砂が混じっているんだそうな。


という説明書きがありました。ありがたい。


これはあれですよ、フラッペスノーランドですよ!まんまじゃないですか!


【マリオカート64】フラッペスノーランド【フラワーカップ】


ここらへんが大谷の最高地点。この年は高さ17mでした。バスと比較すると背が高いのが分かるでしょう?
ちなみにバスは立山黒部貫光の日野・セレガRハイブリッド(立山50)。


背が高い・・・。夏までにはこれ全部溶けちゃうんだもんね。
しかし空がめちゃくちゃ快晴だ。高地だとこうなりやすいのかな。


雪の大谷の歩きで行けるところの終点。ここから先はどのみち高さが低くなっていって迫力も減りそう。


白い山、青い空。これは良い日に来れたなぁ。良い。


自然の猛威が感じられる雪の大谷を現代文明の必需品自動車が通り抜けるのだ。


帰りは道路脇の雪道を歩きます。
世紀末系SF映画にこういう安住地を求めて大移動する生き残った人類の絵ってあるよね。まさにそんな感じ。


帰り道で見えたホテル立山。日本で2番目に標高の高い位置にあるホテルです。見た所館内は平地のホテルと遜色ないものですが、立地が立地だけに料金が高くてなかなか利用しづらいものが。

というところで今日はここまで。


その7へ→

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その3【2018/4/28~5/3】

2021-01-19 20:43:13 | 旅行・イベント記
2018年4月28日(土)7時30分
富山県中新川郡立山町 黒部湖駅
立山黒部アルペンルートの第3区間「黒部ケーブルカー」の麓側の駅「黒部湖駅」に来ました。
この黒部ケーブルカーから反対側の立山ケーブルカーまでは、立山黒部貫光という会社が運営しています。非常に特殊な立地で運営している交通機関ですが実は民間企業。


さっきの関電トンネルはダム建設時の資材搬入路を転用した形で観光道路になっていますが、このケーブルカーは建設時から純粋に観光用として敷設されたものです。だからでしょうが、隧道の断面が道路用とは異なっています。
アルペンルートははじめ全線自動車道で建設する動きもありましたが、環境保護団体の反対があってそれは止めになって今の乗り物を乗り継ぐ形になったそうな。
自動車道だったらバス移動になるでしょうから、今の方式と比べると比較的味気ないでしょう。おそらく自家用車は通行禁止になるでしょうし。


通り抜け切符を見せて乗り場へ。地下ホームです。地下鉄です。全線地下のケーブルカーって他で聞いたこと無いな。
隧道を掘ったのは、雪害対策ですね。環境保護の側面もあるでしょうが。


第6走者:立山黒部貫光黒部ケーブルカー(コ11号)黒部湖7:50→黒部平7:55
では乗ります。なおトロリーバスでは立ち乗りさせられるほどいた乗客は黒部湖の時点で半分程度に減っていました。アルペンルートのハイライトは黒部ダムなのでそこで引き返す人が多いようです。他には、山に挑んでいったツワモノも少しいるでしょう。
車両のコ11は開業時から走っている典型的ケーブルカーです。パンタグラフが可愛いし正面の金太郎塗りがイカします。形式の「コ」の意味するところは一見分からないんですが、たぶん客車の重量区分(<22.5t)だと思います。これの重量は9.06t。



乗客が少ないおかげで前面展望を確保できました。
なんだか先へ進むにつれて勾配が急になっているような気がしますが・・・。最大勾配は587‰っていうインフレ数値です。
しかしこんな急勾配の隧道を掘るの大変だったろうなぁ。麓側から掘るしか無いと思いますが。


製造銘板を見つけました。1969(昭和44)年汽車製造(汽車会社)製でした。汽車製造末期の製造ですね。


7時50分、黒部湖駅を出発。隧道を貫いていきます。車窓いっぱいに広がるは灰色のコンクリートですが、これはこれで格別。


中間地点で山頂側の車両とすれ違い。


ものの5分で山頂側の黒部平駅へ到着。定期のランプが点いていますが、臨時列車も走るのですか。たしかに、運転間隔は20分で片道5分で着きますから、運転間隔を10分に縮めることはできますね。


降ります。客が減ったと言っても乗り物の容量も減っているので車内は満席です。


なんだかだんだん乗客のツワモノ率が高くなっている気がしますが。一方我々、酔狂なただの通りすがりです。


黒部平駅には拠点あり。これは駅そばの範疇に入るのでしょうか。
どうでもいいですが鴨居の上に掛けてある液晶画面は、2010年代後半から出現してきたアイテムで、後々撮影年代不明の写真の撮影時期を絞る手がかりになりそうですねぇ。


トンネルを抜けると雪国であった。雪国っていうか雪山。冬じゃん。
いやぁこんな山深い雪深いところに足を踏み入れるなんて登山家どもでないとできないですから、アルペンルート様様です。しかしただの通りすがりの我々、装備が弱く寒いのですぐに屋内へ撤収。



朝飯を食わせろと駄々をこね、今の黒部そばでわさびコロッケそばをば。高地で食べる蕎麦はうまいな。


黒部平駅はただの中間地点なのでとっとと次に行きます。次は立山ロープウェイに乗ります。今度は山を渡りながら登っていく感じでロープウェイです。


うわぁー、支柱がないですね、これ。ワンスパンというやつですか。これも雪害対策でしょうねぇ。


ロープウェイの籠がやって来ました。2012(平成24)年導入の3代目です。
ロープウェイの奥に見えるのがあの立山です。たぶん。


第7走者:立山黒部貫光立山ロープウェイ 黒部平8:10→大観峰8:17 ※5分延
アルペンルートの第4区間。では乗ります。なお遅れて運行していました。通勤ラッシュかな?


出発です。はい絶景とばかりに真っ白な景色が見えます。空も澄んでいるし、いい眺めだな。


黒部湖も見えました。手前側が下流です。いや、登ってきましたねぇ。何も労せずここまで登ってきた。


雪の表面に幾条もの筋が通っています。たぶん水流の流れ。雪解けが始まっているということでしょうなあ。


着きました。山頂側から見るとめちゃくちゃ登ってきたんだなって。


ここは大観峰駅です。標高2,316m。


積雪がえげつないんだろうなぁと思わせるクソ頑丈そうな造り。これ冬場は雪が吹き込んできて乗り場が埋まってしまわないんだろうか。

というところで今日はここまで。


その4へ→

東南project ~God’s Blessing on This Wonderful Singapore! その32【2018/2/9~13】

2021-01-16 23:15:48 | 海外旅行記
2018年2月13日(月)11時27分
シンガポール Bigg Boss Bistro
まだインド人街。少し早いですがお昼ごはんです。インドカレーです。カレーは昨日も食べたんですけど、実は羊肉カレーを食べたかったのに昨日の店にはそれが無かったので、ここでリベンジ。ちゃんと羊肉カレーがあるのを確認してから注文しました。
出てきたのは、バナナの葉の上にカレー2種類、ご飯、付け合せ、ナンのなり損ないみたいなものが全部乗っかったもの。これはインドっぽくていいね。素手で食べるのはアレでしたのでスプーン使いましたけど。
羊肉カレーはインドカレー屋に行けばいつでも食べられるものでもないので、今回食べられて満足です。


インド人街を抜けてアラブ人街へ向かって歩きます。途中に雑貨屋があって、そこでCDがワゴンセールにされていたのでお土産に数枚選んで買っていきました。
試聴みたいな気の利いたものはないので完全にジャケ買いです。ガネーシャがやたらジャケットに描かれていたやつを選びました。帰国後に聞いてみましたが、これがインド音楽・・・というインドらしいような曲でした。カレー屋で流れているようなそんな感じ。


同日12時7分
シンガポール カンポン・グラム
アラブ人街の「カンポン・グラム」へ辿り着きました。すげー目立つ建物がありますが、きっとモスクでしょうねぇ。こっちは裏側ですが。


意地でも日向に出たくないのか?


アラビア建築もよく知らないですので書くこともないんですが、歩いている人はイスラム教徒みたいな格好が目立ちます。幹線道路ひとつ隔てて国が変わってしまったような、そんな不思議な感じ。


あらびあ~ん。日が暮れるとまさにアラビアンナイトなのでしょうな。
奥に見えるのがアラブ人街のランドマーク「サルタン・モスク」です。


I S O   9 0 0 1 !!
唐突なISO9001!SO認証取得しているモスクというか教会は初めて見たんだけど・・・。
なおISO9001は、一貫した製品・サービスの提供、顧客満足の向上を狙った企画です。まあ、間違っちゃいないか・・・?

異教徒や無宗教者でも中の見学ができるんですが、運悪く今は昼休みで入ることが出来ず。せっかくなんで、少ししてからまた戻ってきますか。


裏路地ですが、ここもひと気がないんです。やっぱり夕方以降に人が活発になるのではなかろうか。


表通りは昼間も活動する観光客向けの店舗が並んでいるので、それなりの活気がありました。


低層階の建物が並びつつも奥には高層公共団地が見えるのはシンガポール独特の景色なのだろうか。他の東南アジア国家に取材班は向かわなければなりません。


いいですね。

モスクが再開するまでの暇つぶしを考えたところ、先に例のオエーするライオンを見に行くことにしました。
地下鉄のブギス駅 (Bugis) からイーストウェスト線に乗ってラッフルズ・プレース駅 (Raffles Place) で下車。


同日13時2分
シンガポール ダウンタウンコア
地下鉄を降りて地上へ出るとそこはダウンタウンコア、つまりシンガポールの中心地、都心です。高層ビルが立ち並びます。
ちょうど昼休み時なのか、スーツ姿のビジネスマンがやたらうろついています。顔つきからしてどいつもこいつもワイより遥かに年収高そうなやり手です。すげえ、生きてる世界が違うな。地下鉄で数駅だけで生活レベルがガラリと変わった。


なんか場違い感を感じたので早々にココからは撤収。見るもの無いしね。


片方のビルの座標がバグってもう片方に埋まり込んでいるビル。
おもしろビルディングコンテストシンガポール大会会場はここですか。しかしドバイには敵わないなぁ。


鳥の銅像。黒鉄重工コードネームはもこにゅ先生(内輪ネタ)


シンガポールの内海、マリーナ湾へ。せいぜい運河レベルですし橋もあんなに低いところに架けられては、観光舟が航行するだけのほぼ飾りのような水路ですね。しかしこういう憩いの場所的なものは都市計画には必要不可欠でしょうな。


めっちゃ親近感のある自販機・・・。中古でしょうけど、なんでもいいのか。
それにしても、生搾りオレンジジュース自販機といい、自販機が置いてあるということはやはり治安は良い方なんですかね。


表記類日本語のまんまなんかーい。販売中と売切のランプもそのままだし。


あれがビルの上に船が乗っかっているとよく形容されるマリーナベイサンズ!
この建物が後にコナンの映画の餌食になるとはこの時は思いもよらないのであった(最後の倒壊の仕方はそうはならんやろと思いますがアクション映画なのでヨシ)


おもしろビルコンテストNo.2。


コナンの映画の序盤、たしかここらへんでしたよねぇ。


3棟とも微妙に形が違うのか・・・。

というところで今日はここまで。


その33へ→

東南project ~God’s Blessing on This Wonderful Singapore! その31【2018/2/9~13】

2021-01-14 23:20:30 | 海外旅行記
2018年2月13日(月)8時0分
シンガポール ハイロード・ロード・フード&マーケット・センター
シンガポール旅行4日目の朝です。今日はもう帰国日ですが、帰りの飛行機は深夜に出発するので丸一日現地で過ごすことが出来ます。
とりあえずまずは朝飯にしましょうか。いつも通り、ホテルの近くにあるホーカーズで食べることにします。初めて行った時にも書きましたが、たくさんの店が集合しているので観光旅行程度なら飯の種類が被ることはなく、ここ一箇所で済んでしまうのが楽ちんで良いです。


ここも3日目になると店の看板も記録しなくなってしまい、もはや料理名は分からんですが、東南アジア的麺料理です。酸っぱ辛いやつで朝飯には少し刺激があるかもしれなかったですが美味いのでヨシ。麺はもうきしめんです。
飲み物は謎のフルーツジュース。甘い系です。


ホーカーズの前にあるバス停の時刻表をちょっと眺めてみます。情報量が多い。


停留所に停まるバスの全ての系統ごとに路線図と時刻表が明記されています。停留所名が全て書かれているのはありがたいですね。
時刻表は運転間隔が書かれている簡素なものですがこの系統は概ね10~17分/本なのでわざわざ全便の時刻表を書かなくてもよさそうです。あとは、始発と最終バスの時刻も書かれています。


運賃表も停留所に明記されています。ちょっと運賃体系が複雑な気がしますし金額も刻み過ぎな気がしますが、乗る前に運賃を確認できるのは良いですね。

この後はホテルの部屋に戻ってチェックアウトの身支度と今日の行動予定の立案です。エアショーで興味を持ったのでシンガポール空軍の博物館でも行こうと思いましたが、なんと月曜日は休館日・・・。再履修課題ができてしまいました。
仕方ないので、地球の歩き方とにらめっこしてシンガポールの街歩きをすることにしました。
となると荷物の入ったスーツケースは街歩きの邪魔になるので、スーツケースはホテルのフロントで預かってもらい身軽で街に繰り出し、最後空港へ向かう途中に立ち寄ってスーツケースを回収することにしました。
ここまでに1時間くらい使ってしまいました。適当に過ごせばいいや~とだらけながら動いていましたが、ちょっともったいなかったかも。


ホテルから歩いて地下鉄のMRTのパヤ・レバ駅 (Paya Lebar) へ行って、そこから地下鉄サークル線に乗車。初日に買った公共交通機関乗り放題切符は今日まで有効です。ガンガン使って元を取っていこう。
写真はパヤ・レバ駅サークル線ホーム。なんだか21世紀に千里中央駅を建てたらこんな感じになるんだろなという構造でした。

セラングーン駅でノースイースト線に乗り換え、リトルインディア駅 (Little India) で下車します。
駅はスクリーン式ホームドアで電車の撮影は不可能ですから撮っていませぬ。鉄オタに厳しい。


路線バスの撮影をもうちょいまともにやっておこうと思い、駅を出たところで適当な道路で撮影。
これはタワートランジットのメルセデス・ベンツ・シターロO530の#66 Jurong East- Bedock。


SMRT MAN・NL323F #67Tampines。


タワー ボルボ・B9TLオリンピアン #48 Marine Parade Rd.。二階建てバスはかなり見かけます。


SBSトランジット ボルボ・B9TLオリンピアン #166 Clementi Int.。


SBS スカニア・K230UB。

といった感じの5分間でした。まあまあ収穫できたかな。


降りた駅がリトルインディアから察せるとおり、ここ一帯はインド人街です。インドは行ったこと無いのでここでインド気分を味わうのだ。


大通り。
国土は狭いですが道路の使い方は余裕ありんぬ、という印象。象の置物があるところがインドっぽい。旧正月が近いのも関係しているかも。


インド人街をぶらついて良さげな景色の写真を撮っていきます。考えなしだったので、インド人街に行ったらココ!という寺院を見逃してしまいました。通ったら素通りるすのはムリなお姿をしているので、その通りを歩かなかったんでしょうね・・・。


赤シャツのおっちゃんの後ろに置いてあるオレンジジュース専用自販機。オレンジジュース専用ってなんじゃそりゃってあれですが、これはオレンジの果実を丸絞りしてジュールにする機械が入っています。つまり搾りたてストレート果汁オレンジジュースが飲めるということ。たしか、中国か台湾に同じような自販機があったはずなので、それを輸入してきたというところでしょう。
ものの試しで買ってみようか迷いましたが、そうせバズらんしな...ゴミ持ち歩くのも面倒だし...と思いパス。容器の口が自動的にシーリングされたりバーコード決済対応だったり、割と高性能らしいですけどね。


地元民が歩いてそうな通り。もうすぐ11時という時刻ですが、シャッター街です。
これ、寂れているんじゃなくて、ここの客層は夕方以降に活動するので昼間は店を閉じているんじゃないかと思います。昼間はクソ暑いから外に出たくないでござるという引きこもり的思考。ここより数段暑かったドバイがそんな感じでした。


路地裏。あんまりこういうところうろついているとヤバそうなので交差点から眺めるだけにしておきます。


やはりインド系の建築様式なのだろうか?中国大陸っぽくはないですね。


スパ的な店が並んでいる通り。隠語じゃなかろうな。


食い物屋通り。食堂はぼちぼちランチ営業を始めようかね、というところ多し。
ちなみにシンガポールでは自動車に高い税金が掛けられていて、所持に制限がかかっている状態。一般市民には中古ですら手に入れるのが大変らしい。新車の自家用車をもっているやつはだいたい金持ちと見て良いです。
左側通行の国だからか、日本車がやけに多いです。商用バンは大正義ハイエースがほとんど...。日本からやってきた中古車とかも多いんだろうな。


キリスト教の協会ですか。インドにもキリスト教徒はいるっちゃいるけど、少数派なので、インド人街にこれがあるのは意外。


この通りは宝石店とか両替店とか、金融系の通り?インド人街と言ってもなにもカレー屋とかヨガ教室とかばかりではなくて、ここだけで独立した街になっとりますな。
それにしても低層建物がいくつも建っている街、いいですねぇ。日本だと江戸時代の保存宿場町か地方のシャッター商店街くらいなものです。とはいえこれも目抜き通り1本だけですから、ここのように重層的に建っているのは面白いです。


建物は異国なのに路駐している自動車は日本車ばかりなので、目がバグりますがな。


貸店舗を4段くらいぶちぬいていそうな店。最安値を名乗る宝石屋ですが、絶対用が無いので素通り。


路地裏。うんうん、これでないと。

というところで今日はここまで。


その32へ→