黒鉄重工

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【1/48】カナディアCF-5Aフリーダムファイター カナダ空軍【ギャラリー】

2024-01-31 23:48:10 | 模型ギャラリー
キット:1/48 F-5A/CF-5A/NF-5A フリーダムファイター(キネティック)
仕 様:カナダ空軍機
製作記は下記です。


カナダ空軍機シリーズです。CF-5AはノースロップF-5Aのカナダ版で、カナディアでライセンス生産をしていました。遡ってF-5Aは、アメリカを盟主とする西側の中小国の運用に適した安価で簡素な輸出戦闘機として開発されたものです。
カナダ空軍には1968年から配備が始まり、勢力は単座型89機、複座型46機でした。NATO軍の緊急展開部隊の装備として配備され、時期により戦闘攻撃機、偵察機、練習機などと役割が変わっていきました。1980年代からはCF-18により置き換えられて、1995年に全機退役しました。


CF-5は時期によって塗装が頻繁に変わる戦闘機でした。今回の作品で塗ったのは、訓練用のアグレッサー機に塗られていた3色迷彩です。これは、私が2016年に訪ねたカナダ軍用機博物館に収蔵されていた個体と同じです。ちょうどそれを再現できるマーキングデカールが入っていたので、迷わずにこれを作ることにしました。
博物館の個体は現役時の塗装はもっと濃かったようですが、経年によるものか退色が甚だしいです。作品でも塗装の退色と薄汚れた雰囲気を再現しています。


カナダの戦闘機だから作ったのもありますが、F-5自体も好きなんですよね。見た目の良さはもちろん、輸出先の要求に合致した性能の戦闘機というところが好きなのです。





低価格戦闘にしては双発エンジンなんですが(飛行機で一番高い部品はエンジンなので)、そこそこの大きさのエンジン2発をそこそこの出力で飛ばす方が長持ちするらしいっす。知らんけど。








武装したF-5の写真って見つからなくて、主翼の下には何を吊るしたもんだと悩みました。ロケットランチャーと増槽を選んでいます。


コックピットはいい感じにできたので、天蓋を開けた状態にしています。乗り降り時に使うはしごはキットに付属するものです。


F-5の初期型はレーダーを積んでいません。これが価格の低さと整備性の高さの決め手です。なので、機首に機関砲を積むなんて芸当もできるのです。


実機の前脚は、長さを2段階に調整可能です。脚を長くすると頭が少し上を向く格好となります。そうすると迎え角が強くなって揚力が高くなり、通常よりも短い距離で離陸できるのです。これはカナディア製独自の改良点です。


迷彩塗装のもやもや感はこだわっています。


国籍章は迷彩塗装とほぼ同化してしまい、とても見にくいです。






離陸時に使う補助空気取入口のスリットを再現しているのがこのキットの良いところです。本家ノースロップ製には無い、これもカナディア独自の改良点です。


裏側です。胴体の黒く塗られたところは、欺瞞用のニセ風防です。風防の形に沿って黒く塗っただけです。これを使って相手にこの機体の表裏を間違って認識させるのです。空戦では一瞬の判断の遅れが命取りになると言いますし、簡単な施工のわりに効果があるようです。





以上、CF-5Aフリーダムファイターでした。



 
 
 

【キネティック】1/48 CF-5Aフリーダムファイター カナダ空軍【プラモデル製作】

2024-01-30 23:36:46 | 航空機模型製作記
今回は、カナダ空軍シリーズとしてキネティックのF-5Aフリーダムファイターを作ります。
キネティックは中国のプラモメーカーです。このブログに出てくるのは初めてだったかな?
今回作るカナダ空軍機の他に、アメリカ空軍とベルギー空軍の機体も作ることができます。
F-5Aは、アメリカが西側の中小国の空軍向けに開発した小型戦闘機です。当時のアメリカ空軍の戦闘機はどれも大型で高性能で高価な、アメリカにしか扱えないお大臣様専用機ばかりでしたので、中小国の需要に適した簡素で安価な戦闘機に仕上がっています。

 


F-5の細かな差異まで再現するために機体の部品はバラバラにされています。こういう時、大抵は部品の合いが良くなくて擦り合わせに苦労します。中国メーカーは部品単品で見ると良さそうに見えるんですが、組み立ててみるとイマイチなことがよくあります。
キネティックのF-5も大なり小なりそういう箇所はありましたが、どうしようもないなとまでいくところはありませんでした。
機体各部に貼り付ける編隊飛行灯はエッチングパーツです。


機体はおおまかに胴体前部・胴体後部・主翼の3つに分かれます。カナダ版のF-5はCF-5と呼びますが、これは地元メーカーのカナディアがライセンス生産したものを装備しています。カナディア製は自国製のオレンダエンジンを搭載したほか、外観的特徴としてエンジンの前に補助空気取入口のスリットが追加されている点が挙げられます。キットでもそれを再現しています。



エアスクープは、穴の彫刻を入れると塗装で表現するよりもリアルさが増しますね。

胴体と主翼の嵌め合いはそんなに悪くないです。エリアルールを意識したくびれた胴体と、偶然の産物から生まれた主翼前縁ストレーキの高揚力装置LERXがよく表現されています。


機体の下塗りとして、全身を黒で塗ります。


機体の迷彩色を塗ります。下地を活かすためにその色が塗られている部分だけを吹き付けます。
まずはパネルの中央部を塗ります。そうするとパネルラインの周辺は下地が残ります。この段階ではパネル中央とパネルラインとの間の色差が大きいので、次にパネルライン周辺を中心に塗料を薄く吹き付けて色差を減らしていきます。完全になくさないようにするのがポイント。


2色目の迷彩色を塗ったところです。


パネル中央部は、迷彩色に白を加えて明度を上げたものを薄く吹き付けて塗装の退色を表現します。


3色目の迷彩を塗りました。
かなり薄い迷彩になっています。塗りたての頃はもっと色が濃かったようですが、経年により色が抜けていったみたいです。


最後にコックピットの座席です。シートベルトにファインモールドのナノアビエーションのシートベルト(F-4・F-8用)を使いました。情報量がぐっと増して精密度が上がりました。全てのキットにシートベルトを付けると金額が積もり積もって大変なので、これぞというキットに引き続き使用していきたいものです。


デカール貼り、つや消しトップコート、最終組立をして完成です!
つや消しは強めにしたのでくたびれた感が出せたんじゃないでしょうか。


国籍章などの注意書き類のデカールは、機体塗装と近似の色だったので貼り付けても目立たなくなってしまいました。


ちなみに今回作った機体は、カナダ旅行の際に博物館で見た物と同じ機番にしてあります。

迷彩の色はかなり寄せられていると思いますよ!


コックピットが存外いい感じに仕上がったので、天蓋を開けた状態で完成させることにしました。


吊るしものは、増槽が5本とロケットランチャーです。

思い出の戦闘機の模型を完成させることができて、感無量でした。
というところで、完成品はギャラリーにて。

<使用塗料>
機体迷彩1:C337グレイッシュブルーFS35237:C1ホワイト(2:1)
機体迷彩2:C74エアスペリオリティブルー:C1ホワイト(2:1)
機体迷彩3:C128灰緑色:C1ホワイト(2:1)
機体下塗:GX2ウィノーブラック
主脚・ホイール:C8シルバー
タイヤ:N77タイヤブラック
空気取入口:N2ブラック
エンジンノズル:C61焼鉄色
エンジンファン:N18黒鉄色
コックピット:C307グレーFS36320
計器盤:N12つや消しブラック
ヘッドレスト:H13つや消しレッド


 
 
 

九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その12【2018/9/19~23】

2024-01-28 23:06:45 | 旅行・イベント記
第20走者:熊本電鉄菊池線藤崎宮前行(6000形)須屋14:50→北熊本15:01
本降りの雨の日の熊本電鉄放浪です。( ˘ω˘)・・・もとい須屋駅の訪問を終えたので、次は北熊本駅へ行きます。
やって来たのはくまモンだらけの6000形です。炭素繊維強化プラスチックでできた台車efWINGを履いていることをイメージしているのか、カーボンっぽい色をした前面が妙にかっこいいんですよね、これ。


北熊本駅で下車。駅舎は小綺麗ですがたぶんリフォームしたやつだと思います。


乗客が通る通路が意外と狭いです。駅の事務所には熊本電鉄グッズが売られていたので物色。何点かお買い上げしました。


ホームは2面3線で国鉄っぽい配置。島式ホームとの行き来は構内踏切です。雨に日にはつらいということ。


北熊本駅は列車の運行拠点でもあり、車庫もあります。
さっきは乗り換え待ちで流し見するだけだった5000系をもう少しよく見てみます。東急5000系の中古車で、最後まで現役に就いていたことでオタクの注目の的でした。今はもう引退していますが、たまに構内を動いているようです。


車庫で寝ている方の6000形。この時代の電車は抵抗器の数がおびただしいですねえ。


200形という電車。南海22000形の中古です。熊本電鉄に導入する前に西鉄で改造されています。南海時代はおでこヘッドライトだったんですが、西鉄らしさが爆発しているデカライトユニットに交換されています。あとは乗降扉を片側1箇所ずつ増やしています。
これが動いているところは見たことないです。一応この頃は現役だったようですが、そのうちに引退してしまったようです。


いやあいいもんですよ、これ。



モハ71形。好ましい戦前型電車です。パンタグラフが通常よりもやや中心寄りに乗っているのが特徴的か。
広浜鉄道という今のJR可部線に当たる路線で導入されたモハ90形のお古です。1928(昭和3)年デビューの超古参電車。1981(昭和56)年に引退していますが、今も入換用として残っています。


5000系は1両編成でも運転できるように妻面に運転台を追加しています。妻面はまっ平らです。


上熊本~北熊本をシャトルランする01形が来ました。


第21走者:熊本電鉄藤崎線藤崎宮前行(01形)北熊本15:31→藤崎宮前15:37
乗る電車が来ました。
01系の前面意匠はやはりこの車体断面に最適化されている感があり、後に出てきた丸ノ内線用の02系は横長でちょっと似合わないという印象を持っています。


御代志行の6000形も来ました。


藤崎宮前駅に着きました。経年は感じますが立派な駅ですね。どうでもいいですが、藤崎宮前という名前は、すべての文字が東急田園都市線の駅みたいなもの(藤が丘、宮崎台、宮前平など...)を連想させるので読むたびにちょっと反応します。
この駅と隣の駅の間には熊本電鉄名物の併用軌道がありまして、ぜひ寄ってみたかったんですがこの雨では諦めるしかないでしょう。次回への宿題にします。


ここが熊本の市街地に一番近い駅なので改札口も大きいです。


駅の外へ出てみると、立派な構内の正体はビルの中に電車の駅が入居しているというものでした。新静岡駅みたいで何やら親近感があります。ただし駅の所在地は市街地の中心地からやや外れにあり、ラストワンマイルが届かないという歯がゆい状況。


第22走者:熊本市交通局B系統健軍町行(8500形)通町筋16:03→水前寺公園16:17
さて路面電車に乗り換えるわけですが、藤崎宮前駅から最寄りの通町筋停留所との間は700mくらい離れています。ちょっと苦しいですよね。途中商店街を通ると、屋根付きのアーケード街を歩けるので幾分か良かったですが、それでも距離のうちの半分くらいでしたね。
今日は乗りつぶしと決めたので、熊本市電の反対側の終点健軍町へ向けて進みます。

というところで今日はここまで。


その13へ→



 
 
 

九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その11【2018/9/19~23】

2024-01-26 21:42:32 | 旅行・イベント記
第16走者:熊本電鉄上熊本線北熊本行(01形)上熊本13:20→北熊本13:29
上熊本駅へ来たのは、熊本電鉄に乗るためです。乗ったり撮影したりするつもりで来たのですが、雨は強くなっていく一方です。沿線撮影は諦めるしかなさそうです。
熊本電鉄の上熊本駅は、JRの物と違って以前訪れたときから変わらぬ姿をしています。以前と異なるのは、駅に停まっている電車の種類です。


出発を待っているのは01形です。東京メトロ銀座線の01系の中古車です。私としても01系は昔から馴染みのある電車です。特殊な電車なので新型に置き換えられたらそれでおしまいと思っていたのですが、熊本電鉄がこのように引き取ってくれたのです。今後も長い間ここに来れば01系を見ることができます。


車体にうるさいくらいのくまモンがいますが基本的には銀座線時代の塗装のままです。最近の地方私鉄の中古車両の傾向として、譲渡元の塗装を維持したまま走らせることが多いです。いわゆるリバイバルカラーとしての役割を持たせているのです。あとは、再塗装費用の節約もあるでしょうが。
でも私は、塗装復刻は引退直前のほんの一時でよくて、それまでは地方私鉄に転職してきたからにはその鉄道の衣装を纏ってほしいですね。郷に入ってはなんとやらです。
それよりも、乗車口は先頭車後ろよりの扉ですが、そこまでにホーム上屋はありません。数メートルだけとはいえ雨に降られるわけです。もうちょいなんとかならんのか。


戸袋にある熊本電鉄の社紋。これも東京メトロの物が元ネタです。
電車は北熊本駅へ向けて走ります。今乗る区間には意外なことにトンネルがあります。ここらへんの市街地はずっと平野が広がっていると思ったら実は起伏のある土地なのでした。


北熊本駅へ着きました。ここは3方向から来る列車が交わるジャンクションです。もちろん、各方面へ乗り継ぎしやすい運行となっています。
少しの待ち時間の間に、先に到着していた藤崎宮前行の6000形を眺めます。6000形は都営地下鉄三田線の中古車です。ここにもくまモンがいます。


この6000形は世界初の炭素繊維強化プラスチックを主構造に採用した鉄道用ボギー台車efWINGを装着した初めての電車です。ちなみに今乗ってきた01形にも付いています。


北熊本のヌシ、5000形とモハ71形が雨に打たれています。


第17走者:熊本電鉄菊池線御代志行(6000形)北熊本13:31→御代志13:51
とりあえず御代志方面へ向かいます。終点まで乗ります。これも6000形ですが塗装が違います。くまモンも貼られていません。くまモンを見たら死ぬゲームでは、これに乗ることが攻略の鍵になります。


終点に着きました。唐突に線路が終わる単式ホームの終着駅ですが、少しホームから離れてみると、昔は島式ホームだったのを片方を埋めたんだなというのが察せます。埋められた方のホームには路線バスが横付けできて、ドアツードア乗り継ぎが可能な構造になっています。実は先進的なんですよ。


バスこないかなと待ってましたが来ませんでした。ここから先は菊地町方面へ向かうバスが出ています。温泉もあるみたいですので、行ってみたいですな。


来た電車で折り返します。こういう着いた先で何もしないで引き返す単純往復はつまらないのであまりやりたくないですが、雨が降っていては意気消沈なので仕方ないです。


東京都交通局の銘板が残っているんかい。
ステンレス製車体ですが、東急車輛製とは異なる独特なコルゲート。実はステンレス鋼は外板だけで骨組みは普通鋼の嘘ステンレス車です。
当時日本のオールステンレス車はまだ東急車輛の専売特許だったし、都営地下鉄は公営なので入札制だったしで、色々と事情がったんじゃ、しらんけど。


第18走者:熊本電鉄菊池線藤崎宮前行(6000形)御代志14:11→新須屋14:21
運転室です。貫通型構造ですが、扉を開けて使うことはないのですっかり機器箱が置かれて塞がれてしまっているんですか。


することも無ぇので適当な駅に降ります。新須屋駅というところです( ˘ω˘)スヤァ...
ネットミームの( ˘ω˘)と同じ発音だからという理由で降りているあたり、やる気の無さがわかると思います。


駅名標です。


敷地の一部はバイパス道路の高架の下に被っています。出入り口あたりは歩道や階段が入り組んでいてちょっと要塞感があります。


第19走者:熊本電鉄菊池線御代志行(01形)新須屋14:40→須屋14:42
20分弱滞在して、直前に乗ったのとは反対方向の電車に乗ります。電車の撮影には良いカーブですが降りしきる雨で台無しです。

隣の須屋駅で下車。
この01形は銀座線時代には無かった塗装(無論くまモンのことを言っているわけじゃないよ)ですが、これは01系の後任1000系が纏っている塗装です。復刻塗装とはまた違う、なんだか変な現象が起きているのです。とはいえ似合っているのでオールオーケーなんですが。


新須屋駅があるんだから須屋駅もあるんだな。手書きっぽい駅名標がイカス。


プラットホームだけの駅で、典型的な停留所駅というぐあい。

というところで今日はここまで。


その12へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その42【2016/6/15~22】

2024-01-23 23:20:02 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。ちょっと航空機の歴史から外れて、カナダ海軍の艦載機の展示がありましたので寄り道です。ソードフィッシュ、シーフューリー、バンシーが一挙3機並んで展示されています。


最初はコレ、フェアリー・ソードフィッシュMk II (Fairey Swordfish II)。初飛行1933年。
イギリス製の単発複葉艦上攻撃機です。非全金製複葉機時代晩年の機体で、開発当時は妥当な物でしたが、これのまま第二次世界大戦に突入。はっきり言って時代遅れですが、意外な活躍を見せて第二次世界大戦を戦い抜きます。
時代遅れの複葉機なので速度が遅いんですがそれがドイツの高速戦闘機とは相性が悪く、羽布張りの主翼は機銃で撃ち抜かれた程度では折れず、意外な生存性の高さを見せました。ただし低速度の格闘戦に強いゼロ戦にはカモ打ちされていた模様。イギリス人そういう話あんまりしないけどね。


主翼は羽布張りなので、穴が空いても布を張り替えれば復活する整備性の高さも魅力だったとかで。
主翼には爆弾とロケット弾の担架がありにけり。


胴体エンジンマウントの外板は外されていて、中が見えます。


雷撃機として運用されることもあり、航空魚雷も置かれていました。ソードフィッシュがドイツの戦艦ビスマルクを撃沈したのは有名な話。


艦載機展示では3機とも全て主翼を折り畳んだ状態で置かれています。艦載機ならではの機構ですし、博物館の展示面積の節約にもなります。


こっちは上主翼の分割面。
カナダでのソードフィッシュは、ノバスコシア州マーヤスの海軍砲術学校と同州ダートマスのイギリス海軍基地で運用されていました。後方配置だったみたいです。カナダ向けの機体は、寒冷地対策として大型の風防を装備していたそうな。
この個体の正確な来歴は分かっておらず、推測ではブラックバーン製でイギリス海軍に納品後カナダへ運ばれていったと言われています。戦後に放出された機体が農家を営む個人により購入されましたが、その後長いこと放置されていたので、その間に来歴を示すものは喪失したんだと思います。


2機目は、ホーカー・シーフューリーFB.11 (Hawker Sea Fury FB.11) 。初飛行1945年。
イギリスのホーカー社が開発したレシプロの戦闘爆撃機です。シーフューリーという名前の通り、元々は空軍の陸上機フューリーとして開発が始められたものを海軍の艦上戦闘機として設計したものでした。なおフューリーは開発中止になってしまったので、艦上戦闘機のシーフューリーしか存在しないっていう変わった開発系譜になっています。
シーフューリーはホーカー・ハリケーンの後継機として開発されたタイフーン/テンペストが動けるデブで重かったので、小型軽量を目指して設計されました。艦上戦闘機として運用するために、主翼の折りたたみ機構と着艦フックを備えています。
レシプロ戦闘機としては最後発のうちの1種で、速さ自慢です。放出された機体はエアレースで活躍しているものもありにけり。



シーフューリーは約680機が生産され、カナダではカナダ海軍が74機運用していました。この時のカナダ海軍は空母HMCSマグニフィセントを保有していたので、それの艦載機として1948年から運用していました。その後1956年にF2H-3バンシーに置き換えられています。
この個体は、1948年製で製造後にカナダ海軍へ納品されています。退役後は民間企業が購入・保管して、1963年に当館へ寄贈されて今に至ります。


エンジン後方には排気管が集まった部分があります。排気管から出る衝撃波で速度向上を狙ったものです。元ネタは確かドイツのFw190のはずです。それなりに効果があったのか、シーフューリーの他にも日本の五式戦闘機、ソ連のラボチキなどにパクられています。
主翼の根本の四角い穴は空気取入口です。内側の小さい穴はキャブレター用の取入口、外側の大きい穴はオイルクーラー冷却用の穴です。主翼の根本にこういうのをつけるのは空気抵抗低減の点から合理的です。これの元祖はたしかアメリカのP-39エアラコブラだったと思います。
エンジンは、ブリストル・セントーラスXVIIc(2480馬力)星型18気筒です。この時代になると2000馬力級エンジンは当たり前です。なお日本・・・。


主翼の折れ目の部分です。内側へ向かって折りたたまる、よくあるやつです。
ちなみに、このFB.11型は戦闘爆撃機なので、主翼には爆弾やロケット弾を吊るす担架を付けられます。


脚です。これの前任機だったシーファイアは脚の左右の間隔が狭かったので着陸時の安定性が悪く、本当は艦上戦闘機として不向きな構造でした。これでマシになったと思います。
この時代のカナダ海軍機の塗装は、機体上面が暗い灰色、下面が薄い灰色のいわゆるペンギン塗装です。これは同時代のイギリス海軍機と類似しています。ただし、下面の色はイギリスとカナダでは異なるようです。カナダは薄い灰色ですが、イギリスでは緑がかった灰色です。微妙だけどはっきりと違う箇所なので、覚えておきましょう。


イスパノMk.5 20mm機関砲の穴です。中央と外側の大きい穴がそれです。内側の小さい穴はガンカメラ用の穴ですね。


着艦フックですね。後付で設計されたからなのか、機体尾部からはみ出るような位置に付けられています。


プロペラが5枚なのでちょっと画面がうるさいです。


こういう画角が好きです。


3機目、マクドネルF2H-3バンシー (McDonnell F2H-3 Banshee) 。初飛行1948年。
F2H-3はシーフューリーの後継機として1955~1958年に39機導入されたカナダ海軍の艦上戦闘機です。海軍唯一のジェット戦闘機となっています。このあたりから、導入する航空機がイギリス製からアメリカ製へ転換していくことになります。なお、この時期に空母がジェット機も運用できる大型のHMCSボナベンチャーに変わっています。
F2Hは、新興メーカーのマクドネル社が2番目の開発したジェット戦闘機です。1番目はFHファントムで、F2Hはそれを順当に大型化した機体です。
3型は胴体を延長しレーダーを装備した全天候型戦闘機です。

武装は20mm機関砲が4門。機首に集中配置されています。アメリカ製の機体ですがイギリス由来のペンギン塗装が異色の取り合わせです。


主翼の根本にジェットエンジンを収めているのでここは相応に分厚くグラマラスです。空気取り入れ口は胴体にベタ付けかと思いきや、小さいですが境界層分離板がありますね。


主翼の折りたたみ機構です。


尾部です。とくに特徴的な形状はなさそう。脇には空母の飛行甲板で機体を移動していたモトタグがおります。


着艦フックです。


後ろから見たジェットエンジン。やはり主翼の形状がグラマラス。
エンジンは、ウェスティングハウスJ34-WE-34軸流ターボジェットが2基。双発なのは冗長性というより高出力エンジンが無かったから・・・?


横から。


真後ろから。この角度から見ると魅力的ですわね。


空母の模型がありました。HMCSボナベンチャーです。縮尺が書かれていないのでよくわからんです。カタパルトはないみたいですがアングルドデッキが確認でき、意外と近代的な作りなのねと。


S-2トラッカーの模型がいました。バンシーはなんでか下の方に仕舞われていました。

というところで今日はここまで。


その43へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その41【2016/6/15~22】

2024-01-19 23:54:08 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。このあたりから、展示機は第一次世界大戦コーナーへと移ります。
これは、カーチスJN-4カナック (Curtiss JN-4 “Canuck”) です。初飛行1915年。元々はアメリカのカーチス社が量産したアメリカ軍用の練習機JNジェニーです。これの3型 (JN-3) をカナダやイギリス向けに改良したモデルがJN-4です。4型はカナダのカナディアン・エアプレーンズ社で生産された現地生産仕様です。後にアメリカから派生したJN-4も開発され型番が重複したため、機体愛称を「カナック」に変えています。カナダ人という意味です。
第一次世界大戦からくる需要もあって、JNは当時としては大量のシリーズ累計6,000機を超える数が生産されました。JN-4も1,210機が生産されました。他のJN同様に戦後は大量の余剰機が民間に放出され、入手性と低廉な価格から曲技飛行士を始めとした多くの飛行機野郎の手に渡りました。



JN-4は原型機よりもあちこち改良されています。軽量化した骨格、両翼に装備された補助翼、大型化した昇降舵、独自の主翼と尾翼の平面形など。総じて操縦性が良好になったようです。
他にもいくつものカナダ初を達成しています。初の量産機、初の大量輸出、初の軍用飛行、初のスキー飛行、初の航空郵便、初の航空調査、初のカナディアンロッキー横断飛行など。カナダの航空史のマイルストーンです。


この機体は1918年製で、アメリカ軍に納品されました。退役後は民間に放出されて、1932年に個人が購入。以降30年以上納屋で保管されていたのを博物館が購入しました。カナダ空軍第85訓練飛行隊の塗装で復元されて展示しています。右舷側は機体外皮が外されて骨格が見えるようになっています。


尾翼周り。たしかに平面形が原型機と異なっているのです。


A.E.G. G.IVです。初飛行1915年。ドイツの爆撃機です。見たことない知らない。
A.E.G. (Allgemeine Elektricitäts-Gesellschaft ) は、ドイツの電機メーカーです。その社名は総合電気会社の意味です。アメリカのゼネラル・エレクトリックと電機市場を二分した超巨大企業でしたが、ここへ書こうとすると色々調べないとわからないことが多いので割愛。現在はすったもんだの末、ブランドだけは残っているような感じです。日本には食器洗い乾燥機なんかを売り込んでいるのを見かけます。


双発・複葉の爆撃機です。エンジンは下翼の上に装荷される設計ですが、左舷のエンジンは喪失しています。



エンジンマウント。エンジンはダイムラーメルセデスD.IVa直列6気筒260馬力です。


胴体下面に爆弾架があります。第一次世界大戦時の爆撃精度なんて高が知れているし、そもそも爆撃の概念も定まっていないでしょうから、夜間に嫌がらせ爆撃をして敵の神経をすり減らす活躍を見せました。

この個体は第一次世界大戦後にカナダが戦利品として1919年に召し上げた代物で、今では当時物としては唯一残るドイツ製の多発航空機なのです。なにげなく貴重な機体を複数抱えていますね、この博物館。
カナダに輸送された後40年間の記録は残っておらず、その間にオリジナルのエンジンは2発とも喪失しています。


右舷のエンジンは乗っかっています。ただしオリジナルのD.IVaじゃなくて、D.III直6 160馬力に変わっています。


双発爆撃機だけあってこの時代にしては大きい機体でございますね。


ニューポール12 (Nieuport 12)。初飛行1915年。
第一次世界大戦のフランス代表みたいな戦闘機です。イギリス、フランス、イタリア、ロシアで運用されていたそうな。
この個体は1915年製でカナダ軍とイギリス海軍航空隊などで使われてましたが、不評だったので1917年にとっとと退役させられました。かわいそす。
退役後はカナダに運ばれて北米各地で展示されて国民への戦争へのご理解とご協力を強制するための宣伝に使われていたそうな。
ニューポール12は世界に2機しか現存しておらず、これがそのうちの1機となります。


これはボレル・モラン単葉機 (Borel-Morane Monoplane) という単葉機です。初飛行1911年。当時のフランスの傑作機ブレリオXIの影響を受けています。ブレリオXIというのは、世界で初めて英仏海峡横断を成功させた航空機です(ドーバー海峡横断じゃないよ)。


ブレリオXIの製作に携わっていたレイモン・ソルニエが、幼馴染のボレルとモランと3人で開発したのがこの飛行機です。この時代の航空機というと複葉機が一般的ですが、フランスに限ってはまず単葉機が多く生まれてきました。特に強力なエンジンがあって速度が出るから単葉機にしたというわけではないみたいで、時期に複葉機に移行しています。
この個体は唯一現存するもので、カナダに現存する最古の機体でもあります。


マクドウォール単葉機 (McDowall Monoplane)。初飛行1915年。
カナダの航空オタク(本業土地測量士)のロバート・マクドウォールが1910年にイギリスとフランスを訪れた時に見た機体に影響を受けて開発した航空機です。現存最古のカナダ製航空機です。
当時は航空オタクが自分で飛行機を開発製作して飛ばすことは珍しくないことでした。マクドウォールもその一人ということです。単葉機という点から、フランスからの影響が強そうな気がします。ただ、飛行はできず短い距離を滑空した結果に終わりました。


1915年の初飛行後(飛行してないけど)は、男子学生が改造をして飛行を試みましたがそれも失敗。結局飛行には成功せずに最後は主翼を取られてアイススクーターに成り果てたとかで・・・。その後1980年代に当館が取得して主翼を復元して今に至ります。
単葉機で高揚力装置も無いですから、飛ばないのも無理ないのかなという気もします。


ノーム・オメガ7気筒ロータリー50馬力エンジンです。ボレル・モランのエンジンです。当ブログでは何度か説明していますが、空冷星型エンジンのように見えて実はロータリーエンジンです。エンジン自体が回転するのです。マツダのロータリーエンジンとは同音異義です。エンジン自体が回るので、エンジンとプロペラは直結しています。

というところで今日はここまで。


その42へ→


 
 
 

【1/144】ボーイング787-9 スクート航空【ギャラリー】

2024-01-16 23:12:35 | 模型ギャラリー
キット:1/144ボーイング787-9ドリームライナー(ズベズダ)
仕 様:スクート航空 (9V-OJF)

ロシアのズベズダのボーイング787を作りました。この世で一番旅客機プラモに精力的なメーカーなのですが、ロシアが戦争を起こしやがったので今は同社製品が入手困難です。とても残念なことです。とっととウクライナから引き揚げなさいな。
さて、キットではボーイングのハウスカラーを作れるようになっていますが今回はサードパーティのデカールを使用してシンガポールのスクートの機材に仕上げました。これは、2018年にシンガポールへ旅行した際に利用した会社です。そういうきっかけがあって作りました。787は意外と乗る機会がなく、ほかはアメリカン航空の機材くらいじゃないでしょうか。


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1/144の大型旅客機なので、プラモデルになっても大きめです。撮影ブースになんとか収まりました。








レジ番号は選択式で、9V-OFJを選びました。シンガポール→成田で搭乗した時と同じ機材です。


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段差のないつるんとした機種はこの787以降どこも会社でも似たりよったりですね。


このキットのみどころ、エンジンのファンブレードです。1枚ずつ独立した形状で成形されていて、ファンブレード同士の隙間が透けて見える素敵仕様。


エンジンナセルもボリューミーで見ごたえのある形状です。





以上、ボーイング787-9スクートでした。


 
 
 

【ズベズダ】1/144 ボーイング787-9 スクート航空【プラモデル製作】

2024-01-15 08:11:00 | 航空機模型製作記
今回は、ズベズダのボーイング787-9を作ります。
飛行機プラモデルの中でも旅客機というジャンルがあり、古今東西のキットが出てきましたが、軍用機ほどのペースやボリュームではありません。そんな中でこの世で最も現用機の旅客機プラモデルを精力的に開発しているのがロシアのズベズダです。ボーイングやエアバスはもちろん、ロシア製旅客機も多く発売しています。注目のメーカーに違いないですが、プーチンが下手こいたので今はズベズダ製品が入ってくることはありません。この先どうなるんでしょ。

話を戻して787-9です。名作と言われるキットです。作るのが楽しみです。
キットではボーイングのハウスカラーを作れるようになっていますが、私はサードパーティのデカールを使用してシンガポールのLCCスクート航空の機材を作ります。


成形品確認です。長胴型の-9型なので長いです。ゲートが胴体下面に切られているのがうれしいです。


エンジン部品です。


ズベズダ787の白眉な部品はターボファンエンジンのファン部品です。ほとんど全ての他メーカーは、このファンを円盤状に一体化した形状の部品にします。
しかしズベズダのそれは、ファン部品の形状を1枚ずつ再現しています。ファンの羽は枚数が多く1点の部品では成形できないので、2つに分割しているところに執念を感じます。


主翼です。ちなみにズベズダの成形品の特徴として表面が梨地になっています。軍用機だと問題ないんでしょうが、つやあり仕上げをすることが一般的な旅客機では不利です。


風防です。窓は透明のガラス部品があるタイプです。


これがスクートのデカールです。アスケンシオというメーカーの物を取り寄せました。オレンジの発色がいまいちなこと以外は、使えると思います。


側面の窓ガラス(本当はアクリルでしょうけど)は活かします。ガラス部品は胴体の内側にはめ殺しで、後ハメできませんので、マスキングゾルで覆い後の塗装に備えます。


ガラス部品を固定します。後で外れないようにテープで抑えておきます。


仮組みします。いやこれは大きいですね。ちなみに、飛行形態で完成させます。


結局梨地のまま塗装することにします。あと、主翼に見過ごせないヒケが出ていたので、パテで埋めておきました。


アンテナなどを植え込みます。


ファンブレードを塗装します。ハブのぐるぐるのデカールがついているのが嬉しい。



完成したファンです。この高密度と緻密さは他のキットでは出せない印象です。素晴らしいです。


エンジンのコーンは、少し青焼きを入れてあります。ここらへんは、めずらしく実機の写真を観察して再現しています。


白を塗装しました。とにかく面積が広いので大変です。787は主翼も白塗装なので見た目が大味になりがち・・・。


アクセントカラーのオレンジを塗ります。左右対称に塗り分けないといけないので、むずいです。


デカールも貼ります。できるだけ近い色を用意したつもりでしたが、やっぱり完全には合わないです。


エンジンも組み立てます。やはりエンジンは出色の出来です。


完成しました。なにしろ1/144なので大きいです。





ここが真骨頂でしょう。ファンブレードを1枚ずつ分けたので、エンジンの向こう側が透けて見えるのです。ファンブレード先端とエンジンナセル内径にわずかな隙間があるのにも注目です。


垂直尾翼のSCOOTロゴは、白地のデカールの上に黒縁のデカールを重ねるので、難しい局面でしたがなんとか処理できました。

キットの出来はやはり秀逸なものでした。今は入手困難なキットですが、また機会があれば作りたいです。
完成品はギャラリーにて。

<使用塗料>
機体:GX1クールホワイト
オレンジ帯:BR04ゴールデンイエロー
主翼前縁:LP38フラットアルミ
エンジン:C104ガンクローム
ファンブレード:LP3フラットブラック
エンジンフェンス:H18黒鉄色
台座:C131赤褐色



九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その10【2018/9/19~23】

2024-01-12 23:12:40 | 旅行・イベント記
前回に続き熊本城を見て回っています。城内を歩いていると天守閣が間近に見えてきました。


復旧工事の真っ最中です。足場を組まれて人工地盤(?)も造られてタワークレーンが立っていて、大掛かりな現場になっているように見えます。
江戸時代の天守閣と現代の足場が組み合わさる構図は、不思議な感覚です。


戌亥櫓です。北西に建っているからこういう名前になったそうな。
ここも石垣が崩れていて、角の石材だけで支えられています。危なっかしいですわね。


ここにも番号を振られた石材が並べられていました。


天守閣の遠景。やっぱり妙な組み合わせです。


宇土櫓です。江戸時代から残る、3番目の天守です。宇土櫓の横にある塀は倒壊して石垣ともども地面に墜落しています。


このようにいたるところで地震の被害を受けているため城内は一般人立入禁止の区画が多くありました。


雨の熊本城はこれで撤収です。熊本城が受けた被害の大きさは思っていた以上でした。城の復旧工事というのも見ようと思って見れるものでもないので、いいものが見れたかも。


第14走者:熊本城周遊バスしろめぐりん熊本駅行(日野・ポンチョ)桜の馬場城彩苑11:29→熊本交通センター11:35
熊本城からはバスで離脱します。今日は乗り放題切符を持っているし天気は雨なので、ちょっとした距離でも雨をしのげるバスや電車を使うと決めているのです。


交通センターで少し路線バスの撮影。
熊本都市バスの日デ・スペースランナーRM+西工96MC B-I (#343) #味1交通センター。


熊本都市バスのふそう・エアロスターM (#2896) #味4小峯。これはまた古いバスがやってきましたね。


熊本バスのふそう・エアロミディMK (#582)。



熊本市電1090形 (#1091) B系統。


昼ごはんは辛島町にあるラーメン屋で熊本ラーメンです。九州のラーメンは何食べても美味しいねー。


餃子も頼んでしまいました。


第15走者:熊本市電B系統上熊本駅前行(8500形)辛島町12:31→上熊本駅前12:47
腹ごしらえを済ませたら、路面電車に乗って上熊本駅へ向かいます。


雨が止む気配ないですね・・・。


上熊本駅へ着きました。路面電車としては立派なのりばです。屋根があるのはありがたい。


上熊本駅には熊本市電の車庫があるので、ちょっと覗きに行ってヤツが見れるか確かめに行きました。
ひときわ古風な塗装で車庫にいるのは5000形です。福岡県の西鉄出身の路面電車で、連接車体なのが特徴です。熊本市電には数台在籍していましたが、今も現存するのは5014号だけです。大型車体を活かしてラッシュ時に活躍しています。
今朝の路面電車撮影はコレ狙いだったんですが、姿を見せてはくれませんでした。まあ姿を見れただけでもよしとします。


JR上熊本駅です。ここには2010(平成22)年に訪れたことがあります。その時は鹿児島本線の高架化工事に合わせて駅舎の建て替え中で仮駅舎でした。それが再び来てみれば、立派な高架駅に様変わりしていました。


構内には薬局、惣菜店、飲食店の並ぶ一角がありました。都会の駅じゃないですか。


これは熊本市電の駅舎。実はJR上熊本駅の駅舎を移築したものです。和風と洋風の合わさったような、一般的な国鉄駅よりも立派で大きい造りだったんですね。


熊本都市バスのいすゞ・キュービック+西工58MC B-II (#3010) #駅1 第一環状線。古い58MCがいたので記録しておきました。

というところで今日はここまで。


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九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その9【2018/9/19~23】

2024-01-11 00:33:34 | 旅行・イベント記
路面電車撮影を終えて、辛島町へ歩いてきました。再開発中のようで、ビル建設をしています。これが熊本交通センターの跡地、後の桜町バスターミナルとなる建物です。
いまさらですが、雨よりの曇天です。今にも降ってきそうで、気分も暗いです。こういう日は屋内型の施設に行くのがいいのですが・・・。


西鉄バスの日デ・スペースアローRA+西工96MC E-III(高6024)のひのくに号(スーパーノンストップ)福岡行。
なにせ九州は静岡その他では見られない車両が走っているので、珍しい物を見かけたら記録しておきたいのです。ハイデッカー型のE-IIIは初めてお目にかかったかもしれません。


第13走者:熊本市交通局市電B系統健軍町行(1090形)辛島町9:39→熊本城・市役所前9:43
ちょっとの距離ですが、路面電車に乗ります。今日は乗り放題切符を使うので運賃を気にしなくて良いのと、マイカー通勤の田舎暮らしだとどうしても歩く距離を短くしがちなのです。


いろいろ興味深い表示類です。入り口の表示には英語の他に韓国語が併記されています。福岡のあたりは韓国人観光客が多いと聞きますが、その人達が熊本まで足を伸ばしてくるのでしょうか。
危険物と並んで鳥獣が取り上げられているのも、なんというか古めかしいです。
そして社紋は蒸気機関車の動輪をモチーフにしていますね。今は路面電車のイメージしかないですが、昔は蒸気機関車を運行していたんでしょうか。


でまあ、降りた先でも撮影です。
熊本電鉄バスのいすゞ・キュービック+西工58MC B-I (#3063) 北4系統南原行。58MCを見かけると嬉しくなります。


熊本都市バスのいすゞ・エルガLV290 (#1462) 交通センター行。熊本県初の新型エルガらしいっす。
というか熊本市の路線バス、4社が入り乱れている戦国時代で、これよく共倒れしないなと思っていました。そんなことを思っていたら、共同経営を始めて路線配分や本数の調整をして経営を安定化させているようです。


熊本電鉄バスの日野レインボーHR (#264) 交通センター。中型ロングも大都会では見かけなくなったものですから。


熊本市電0800形 (#0803) A系統熊本駅。熊本市電の最新型車両です。見ての通り新潟トランシス製の超低床電車です。ただし外装は水戸岡鋭治氏のデザイン設計です。黒っぽい茶色の車体に金色のレタリングなので、ななつ星みたいです。1台しかいない電車なので、珍しいものを見れました。


熊本市電1200形 (#1207) B系統上熊本駅。



ギリギリ被られる前に撮れた8800形 (#101) A系統熊本駅。通常の路面電車の8800形にレトロ調車体をあつらえた特別仕様です。8800形ですが車番は101号と、全く関連がない物です。


2018年9月20日(木)9時50分
熊本県熊本市 熊本城平御櫓
では今日の観光地のひとつめ、ど定番の熊本城を見ていきましょうか。
写真は平御櫓です。路面電車の電停を降りるとまず目に入ってくる構造物です。敵勢力の侵入から防御するための施設でした。


熊本城は2年前の平成28年熊本地震による被害を受けており、天守閣の屋根瓦や石垣が損傷しました。それの復旧工事のため城内の一部は立入禁止になっています。


稲荷神社ですね。


東十八間櫓です。石垣の上に長さ34mの櫓が建っていましたが、地震で石垣ごと崩壊してしまいました。養生されていますが復旧工事はされていない様子でした。天守閣の復旧が優先されているのでしょうか。


熊本大神宮です。ここも地震の被害を受けました。拝殿は無事でしたが、他の建物が石垣の崩壊に巻き込まれたようです。


崩壊した石垣全部番号を振られて横に並べられていました。復旧を待っているのです。ただ石垣を組み直せばいいわけではなく、崩壊する前と同じ位置に戻さないとならないので、手間だらけです。


これは五間櫓の石垣です。ここも崩壊しています。


痛々しいです。雨降ってるから気分も上がりません。
それにしても石垣がどこ見ても高いですね。往時の威容は強かったでしょう。


石垣の石材を回収しているようです。


天守閣が見えます。足場組まれてます。


ここの石垣はまだ石材が崩壊して散乱したままです。


北大手櫓門の石垣です。崩壊こそしませんでしたが石材が緩んでいて、土嚢が積まれて崩壊を防いでいました。


こんなところも崩壊しています。手前側も緩んでいるように見えます。
ううむ、思っていたよりも復旧が進んでいないのと、それだけの被害の大きさが感じられます。

というところで今日はここまで。


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