黒鉄重工

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東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その7【2018/6/9~10】

2022-05-27 12:31:00 | 鉄道撮影記
2018年6月10日。
滋賀県東近江市の旅館「はざま」で迎えた日曜日の朝です。食堂で朝ごはんを食べます。一般的でいかにもな朝食でした。こういうのがいいんだ。


旅館を後にして近江鉄道の駅へ向かいます。


昨夜歩いてきた道とは別方向を歩きます。八日市駅へは歩いていないのです。
この道路は昔から形を変えず残っているんだろうなという趣き。


滋賀県名物の飛び出し坊や。かわいそうなことに両腕をはねられていました・・・。身代わりになってくれたんだろうか。


近江鉄道の踏切を渡るときに線路を見てみると駅が見えました。ひとまずはあそこが目的地です。緑化軌道化が進んでますな。



ここも良い生活道路だ。飛び出し坊やがいるので一発でここが滋賀県と分かりますね。



はい、着きました。近江鉄道八日市線の「新八日市駅」です。
駅前は意外と広いのね。家屋もあるし。


新八日市駅は、昨日降りた八日市駅から600mほどしか離れていない位置にある駅です。主要駅八日市駅のすぐ隣にありますが、あんまり賑わってはいないようです。
新八日市駅と言ったら何と言ってもこの駅舎です。木造2階建ての堂々とした姿!この駅舎は1912(明治45)年設立の「湖南鉄道」の本社機能を有していたので、このような大きい建物となっております。
今は近江鉄道八日市線(万葉あかね線)になっているこの路線は歴史を辿ると湖南鉄道が1913(大正2)年に新八幡駅(現・近江八幡駅)からここまで開業させた路線でした。当時は八日市口駅という名前で(1919年に現駅名に改称)、ここと八日市駅の線路は今のように繋がっていませんでした。(後に開通した飛行場駅については割愛)
湖南鉄道はなんやかんやあって1944(昭和19)年に近江鉄道に吸収されて路線も八日市線となりました。1946(昭和21)年には新八日市駅と八日市駅をつなぐ線路が開通して本線と一体化しました。


この駅舎は1922(大正11)年築です。訪問当時でも築96年、執筆している今はちょうど築100年です。
建物は洋風というか、木造校舎の小さいやつみたいな雰囲気です。正面だけはうぐいす色に塗られているのが独特でおしゃれです。
よくも残っているものだと感心しますが、どちらかというと半ば放置されているようにも見え、いつ解体が決定されても不思議じゃないと思いました。
似たような築年数が極めて高い駅が同じ近江鉄道の日野駅にあります。これも築100年経った大変古い駅舎でしたが、地元の熱意でもって耐震補強と改修工事を行って現役でやっています。新八日市駅駅舎の行く末も恐らくは地元の意向次第で決まるでしょう。


広い駅前からも普通の途中駅じゃないというのが伺えるものです。


何かの商店だった建物かな?鉄道模型のストラクチャーのお手本になりそうな形です。


年季の入った駅名板。


室内も広いです。八日市の玄関口として賑わってた頃が想像されます。
写真右に写っている駅周辺地図が貼ってある壁は、その壁の向こうに特等の待合室のような小部屋があります。うまい具合に板で覆われていてこの時は気づきませんでしたが・・・。


平日の朝夕だけですが駅員のいる時間があるので、改札窓口は今も使われています。駅員が立っているということは平日の朝夕はそこそこ利用者がいるということね。


改札口。いいぞ~(語彙力のなさ)


改札口からプラットホームの間にある数段の階段は戦前の駅舎の特徴的な構造のひとつです(無い駅ももちろんあるが)。これを見ると古い駅だな~と感じるわけです。
ひし形に敷かれたタイルもこの時期特有というか、現代では見ない敷き方なんですよね。


別角度から。うむ、たまらんな。


ホームから改札口。


事務室。駅員が出入りする扉だけアルミ化されていますがそれ以外は当時物か?こちら側もうぐいす色で塗られているんですね。


良い腰掛けですな。


この脚のさりげない装飾が良いのだ。本社が直結している駅だったからか、今はくたびれていても当時は地元の顔のような駅だったのではないかと。


駅舎の妻面(?)はうぐいす色に塗られていなかったのかな?
黄色いトタンの小屋は便所です。一応あるよ、という程度で、あんまり使いたいとは思わなかったかな・・・。


近江八幡行の列車が来たので、駅撮りで撮影します。
元西武401系の820系です。昔は、103系に似た顔をした電車と思っていましたが、最近だとJR西日本岡山支社の115系の方が近いな、と考え直すようになりました。


駅舎と820系。


下りホームから見た駅舎。
プラットホームを見るに、何度もホーム高さを嵩上げしたような形跡は見られないです。


駅の横に置いてあるワムハチを発見。だからどうしたというあれですが。
ちなみにワムハチがいる辺りは昔は貨車の操車場だったそうな。駅舎と反対側にある近江八幡方面のホームも操車場が無くなった跡に建てられたものです。なので、駅舎はすごい立派だったけど旅客のプラットホームは1面1線しかなかったということに。貨物輸送主体だったんでしょうかねぇ。

というところで今日はここまで。


その8へ→


【1/100】V08-1228グリムゲルデ【ギャラリー】

2022-05-23 22:19:26 | 模型ギャラリー
キット:1/100グリムゲルデ(バンダイ)
製作記はありません

「機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ」より、グリムゲルデのプラモデルを作りました。劇中では赤い装甲で活躍していましたが、メタリックブルーに色を変えて作りました。マクギリスの色に寄せたというのとアクリジョンのメタリックブルーを消化したかったという2つの思惑があります。
色変えをした以外に目立った工作はしていません。よくできたガンプラです。


細身の甲冑のような姿をしていて、人型ロボット全体を見た中でも好みのスタイリングです。





エイハブリアクターは、弊ブログおなじみのカッパー塗装。胴体、腕、脚にある動力管はゴールドで塗装してアクセントにしています。インプのゴールドホイールから着想しました。


ザクマシンガンみたいなライフルもおしゃれ。


飛行機の余ったデカールの中に甲冑のようなマークがありましたので、流用しました。パーソナルマークや機体番号があるとそれっぽく見えますよね。


下半身。











以上、グリムゲルデでした。



 

【ノンスケール】メカゴジラ3式機龍【ギャラリー】

2022-05-20 06:16:04 | 模型ギャラリー
キット:ACKS GO-01 ゴジラ×メカゴジラ MFS-3 3式機龍(アオシマ)
製作記はありません

映画「ゴジラ×メカゴジラ」に登場する3式機龍を作りました。今更ですがギャラリーに加えておくことにします。


ガンメタの骨格に銀の装甲なのはかっこよくていいですね。


正面。


側面。


背面。


銀の塗装は、黒を下地で塗った後に銀で立ち上げていく方法を取りました。銀は2色使いましたが、よく見ないとわからないくらいの違いだったので狙い通りとは行きませんでした。銀の質感を出すためにあえて仕上げのトップコート処理はしていません。
骨格のガンメタには、クレオスのグラファイトブラックを使いました。これがいい色で、自分の想像に合致するものでした。骨格部品の一部(首、腰、尻尾)にはTPEの軟質素材が使われていますが、それにもサフ吹きした上でグラファイトブラックを塗装しました。軟質部品をやたら動かして塗膜にヒビを入れないよう慎重に扱う必要がありました。








アブソリュート・ゼロを開いた状態。


しっぽの組み立ては修行でした。


太ましい脚。


重武装型バックパックを背負った姿。


後ろ姿。





以上、3式機龍でした。


 

北米project 5 ~How do you like Canada? その16【2016/6/15~22】

2022-05-16 19:28:58 | 海外旅行記
カナダ軍用機歴史博物館の続きです。今回で最後です。
屋外展示を一通りみたところで格納庫内に戻りますが、その時目に入るのはアブロ・ランカスターです。うう、大きい・・・。
しかしあれだ、機体下面が黒いおかげで写真で撮ると黒で潰れてしまうがな。


この角度から撮るといい感じ。なにより機体からかっこよさがにじみ出てきているぞ。
四角い断面の胴体はランカスター特有のかっこよさですなあ。


爆弾倉とエンジンハッチが開いています。エンジンの方は、さっきぶん回していたのでそれを終えた後の確認をしているものだと思っていましたが、後で飛行前点検だったんじゃないかと気づきました。


ノーズアートも華やかに。爆弾の数は任務の回数を示していると思われ。大戦を生き延びただけあって任務をこなした数は多そうです。それか、機体の由来と全く関係ないマーキングかも。


イギリスの至宝、マーリンエンジンです。前も書きましたが、ランカスターはマーリンを4発使うわけで、このランカスターのマーリン4発を使えばスピットファイアが4機も動態復活できるのです。
厳密なこと言うと、同じマーリンでも爆撃機用と戦闘機用だとチューンの仕方が違っているそうなので、そう簡単な話でもないみたいですが。とにかく、エンジンを4発も必要とする大型爆撃機はひどく贅沢な飛行機だということです。


あちこち点検している博物館のボランティアたち。人間がいると爆撃機の大きさも際立つものです。車輪は子供の背丈よりも高そうです。



館内に戻りました。ここまで見物ばかりしていたので、休憩しながらお昼ごはんを食べます。なんと館内に食堂があるので、そこでお昼を食べられました。博物館の周りには何も無いところなので、これはありがたいです。食料的にもここは1日中楽しめる博物館です。
食べたのはフレンチフライとサンドイッチとジンジャエールという栄養が偏りそうなコンボ。美味しかったけど安い食事を頼むとこうなりがち。


博物館の2階に上がって、上から収蔵機体を見てみようというものです。こうやって見るとプラモデルのジオラマみたいで楽しいです。
CF-104の前には遠足できた子どもがボランティアの説明を受けているんだと思います。ここに遠足に来たら楽しいだろうなあ、いいなあ。


で、そういえばランカスターがいないなとおもったら倉庫の奥へ移動していました。いつのまに?どうやって?どうして?
答えはエンジンを回して自力で空港の誘導路まで移動したでした。ランカスターはこの後誘導路をさらに進んで左側の方へ見えなくなって消えていきました。
じゃあその後にすることといえば、滑走路から離陸する以外にないんじゃ・・・。ん、まじすか?あのランカスター飛ぶ気ですか?


見えなくなって少し経った後、急に左側から右奥へ進むランカスターが出てきました。エンジン音は聞こえてきませんでしたね。
で、浮いてます、あいつ。


うわぁー、本当に飛んでいる...。す、すごい。第二次世界大戦の4発爆撃機が飛んでいるところを初めて目撃した。あんな遠くからでも迫力が伝わってきます。


離陸した後、旋回して博物館の真上を通過していきました。すごい!これには思わずランカスターへ手を振りました。遠足の子どもたちも喜んでいます。まさか彼らのために飛ばしたわけじゃないでしょうが。


まさかこんな日にこの博物館を尋ねることができるとは思いも寄りませんでした。最高じゃないですか!
ランカスターはそのまま行ってしまいました。どこへ向かったんだろう・・・。


ランカスターの感動の余韻がまだビンビンに残っていますが、行ってしまったので地上に目を向けて収蔵機を見てみましょう。これはCF-5Aフリーダムファイター。


CF-104スターファイター。


ハーバードMk.IV。よく見たらこれはまだ見たこと無い個体でした。ハーバードの説明は省くとして、この個体は1952年にカナディアン・カー&ファウンドリーで製造された機体です。
T-6テキサン(ハーバード)は第二次世界大戦期に製造されたものがほとんどですが、カナダでは戦後も生産された時期がありました。
1950年代にソ連の台頭で冷戦が始まると、カナダ空軍はソ連の爆撃機の来襲を迎え撃つためのパイロットを育てる練習機を必要としたのです。そのためアメリカから中古のT-6Jを100機買ってきた他にカナディアン・カー&ファウンドリーに270機のハーバードMk.IVを発注したのです。この大量のハーバードが完全に引退したのは、1966年のことでした。


コーネルMk.IIです。これもさっき見たのとは別の個体ですな。この個体はフリート社がライセンス生産した機体で、ちょうどフリート製コーネルの1,000機目にあたる個体です。


DC-3です。またなんか動かしていました。


ミッチェルMk.IIIです。


C-47。


といったところで、カナダ軍用機歴史博物館からは撤収します。
長い歴史と高い経験に裏付けされた密度の高い実機展示が魅力的な博物館でした。多くの機体が飛行可能な動態保存状態であるのも特筆すべき点です。動態保存が静態保存よりも格上であるわけではないですけど、動く機械として維持されているのを見るとやはりわくわくするものなのです。
このように大規模だと定期的なエアショーをやっているはずで、またその機会を見つけて行ってみたいと思う博物館でした。また来ます。


博物館を後にしてバス停へ歩いていると、ランカスターが着陸していくところを目にしました。割りと短時間の飛行だったようです。試運転だったのかな?

というところで今日はここまで。


その17へ→

北米project 5 ~How do you like Canada? その15【2016/6/15~22】

2022-05-12 06:32:56 | 海外旅行記
カナダ軍用機歴史博物館の続きです。引き続き屋外展示を見ます。
これはカナディアCF-104スターファイター(1954年初飛行)です。悪夢のセンチュリーシリーズのうち、よく分からん戦闘機2種のうちのひとつ、ロッキードF-104をカナディアがライセンス生産したものです。カナダ空軍は200機の単座型と38機の複座型を採用しました。
カナダ空軍の運用したCF-104は、G型に相当する機種です。F-104Gにということです。つまり、CF-104は欧州に展開するカナダ空軍による核攻撃機として運用されとったわけです。
F-104は戦闘爆撃機には不向きな飛行機なものですから、西ドイツ軍同様多数の事故機を生み出してしまうのです。就役中に喪失したCF-104は110機にのぼり、実に半数近くが事故で失われたことになります。パイロットも37名殉職しており、ロッキードの開発者もこれでは天国に行けないでしょう。ただ、CF-104の前任のF-86よりも事故の発生件数と殉職者数は少ないからそれよりはマシだよ、という話も有りにけり。


CF-104は、本土の訓練部隊を除いて欧州に配備されていました。この個体もそうで、西ドイツに展開していた第439飛行隊セイバートゥースに配備されていた機体です。
虎柄の派手な機体は、NATO加盟国の合同演習「タイガーミート」に参加した時の塗装です。タイガーミートに因んで各国が工夫をこらした虎柄の特別塗装機で参加することが多々あります。これもその時の特別塗装というわけです。


全身を虎柄に塗る機体は珍しいです。大抵は垂直尾翼だけを虎柄にします。
全身虎柄はよく目立つので、プラモデルや完成品模型でもよく題材にされてます。この虎柄CF-104も過去にハセガワがプラモデルで発売していました(今は絶版)。


F-104の翼端にはチップタンクという増槽をつけた状態がデフォですが、この個体はチップタンクを外した状態です。せっかくなので少し見ておきましょう。
なんといってもこの薄い主翼です。こんなんで離陸できるんかいと思うんですけども、実はフラップはもちろん主翼前縁も折り曲がるようになっていて、見かけ上はそれなりに主翼に厚みを持たせることができるらしいです。


うしろ。


マクドネルCF-101Bブードゥー(1954年初飛行)です。
これもセンチュリーシリーズのひとつで、よく分からん戦闘機のうちのもう1種です。カナダ空軍、よりによって開発目的がよく分からん戦闘機を2機種すべて採用している稀有な空軍です。どうして・・・。
開発中止となってしまった国産迎撃機アブロカナダCF-105アローの穴埋めにアメリカから購入した戦闘機です。この頃だと新型の火器管制装置を積んだF-102がアメリカで就役しているはずなんですが、それを入れなかったのはF102に禁輸措置でも発動したのか、カナダのド田舎だと地上のレーダー網装置が無いので接続することが出来なかったのか・・・。


センチュリーシリーズの中では唯一の双発機です。
エンジン排気口の上から後ろに長く伸びた尾翼部なんてのは、後のF-4ファントムでも見られる形状です。マクドネルに戦闘機を作らせるとこうなるんだよという文法めいたものを感じます。
なお、迎え角を取るとそのまま機種上げが止まらなくなり、最悪エンジン停止という大欠陥を持っていました。水平安定板が悪かったのか、F-4では位置が変わっていますね。ちなみにその操作上の癖の解決方法は機首上げしないで真っ直ぐ飛ぶという、曲がりなりにも戦闘機に取らせる対策ではありませんでした。


細かいところの観察。脚庫でござい。


主翼はそんなに広くない印象です。
この時代のカナダ空軍機は、胴体の稲妻上のストライプがかっこいいんですよね。


機首は太め。ここらへんもなんとなくF-4っぽさを感じるところです。


CF-101Bの兵装は胴体の爆弾倉に搭載するんですが、蓋に半埋込式のような具合で搭載するようになっています。ミサイル2発を撃ち尽くすと、蓋が半回転して、裏側に仕込んであったもう2発のミサイルがコンニチワするという。他には見られない方式。省スペース化にはつながると思いますが、他にあまり利点がなかったんでしょうかね、以後には繋がりませんでした。
なおこれに写っている兵装はAIR-2ジニー核ロケット弾ですね。ひえー。誘導弾ではないのでロケット弾です。目標に対して多少狙いを外しても核爆発起こすんだからイチコロじゃよ、という雑な論理です。


反対側にはAIM-4ファルコンミサイルがいました。


ミサイル取付部はこういうようになっているよ。


操縦席はこんな感じだよ。


カナディアT-33ANシルバースター(1948年初飛行)です。御存知ジェット練習機の常連ロッキードT-33のライセンス生産版です。ということで機体説明は割愛。
カナディアで生産したT-33ANは、ジェットエンジンをアリソンJ-33に代えてロールスロイスのニーン10を搭載しました。これはJ-33よりも強力な出力を出すものでした。また、本家ロッキードではシューティングスターという名前で親しまれますが、カナダではシルバースターと呼んでいました。
この個体は、曲技飛行部隊「スノーバード」の支援機として運用されていた機体でした。白無垢の塗装が特徴であり、2022年現在はその仕様に復元されているようです。


ノールダイン・ノースマンMk.V(1935年初飛行)です。
カナダで開発された未開地用航空機「ブッシュプレーン」のひとつです。滑走路などが整備されていないカナダ北部の未開地でも運用できるよう頑丈な機体構造とされ、降着装置も車輪、水上用フロート、スキー板のどれかを選択可能で交換も容易な設計でした。
第二次世界大戦が始まってカナダ空軍やアメリカ陸軍から大量の発注が入ったことによって、最終的な生産数は900機程度になりました。中小メーカーのブッシュプレーンとしては成功した機数と言えるんじゃないでしょうか。
この個体は、1950年にカナディアン・カー&ファウンドリー社で製造されたもので、ブリティッシュコロンビア州の林業会社で働いていました。その後東部の会社に何社か転職して2015年に当館に寄贈されて現在に至ります。まだ寄贈されて日が経っていないです。これも当然のように飛行可能です。


博物館の敷地外というか空港の敷地内には、UPS航空のエアバスA300-600F (N154UP)が止まっていました。
前にも書きましたがこの博物館はハミルトン空港に隣接する形で立地しているので、博物館のすぐ隣は空港なのです。ハミルトン空港はトロント近郊にあり、トロント・ピアソン空港のセカンダリー空港としての役割があります。特にトロントにおける貨物機の一大拠点となっている模様。
UPSは、国際貨物会社ですね。FedExやDHLみたいなものです。UPSの機材もA300も、ここで目撃したのが初めてでしたので、実は収穫がある一幕なのでした。

というところで今日はここまで。


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