黒鉄重工

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北陸project ~Hokuriku Master Side M. その32【2018/4/28~5/3】

2021-08-31 06:39:28 | 旅行・イベント記
2018年5月3日(木・祝)16時14分
滋賀県大津市 比叡山鉄道ケーブル延暦寺駅
鉄軌道と索道で往く比叡山越えも次で最後、比叡山鉄道の山頂駅、ケーブル延暦寺駅に着きました。
最寄りのバス停の無動寺からケーブル延暦寺駅までは少し離れていて徒歩連絡しないといけないですが、未舗装の山道を歩かされてどういうこっちゃと思いました。たぶん本来の経路ではないんじゃなかろうかと思います。
山道を少し下ってたどり着いたのがこの駅舎。なんでこんな黄ばんでいるんだろうと思いました。そういう石材を使っている?経年劣化?よく分かりませんでしたが、建物の作りからしても相当に古い建築物だろうとは想像がつきました。たぶん地元産の石材を使っているんだと思います。
実際、この駅舎は1927(昭和2)年に比叡山鉄道が開業した時から使われているものです。


もう滋賀県側に入っているので、山から見える麓の景色も滋賀県です。琵琶湖が見えますな。
天気は山頂を境に曇り空になってしまいました。


切符を買ってケーブルカーに乗り込みます。駅舎の待合室は山を降りる人達で大混雑でした。


第41走者:比叡山鉄道ケーブル坂本行(1号)ケーブル延暦寺16:30→ケーブル坂本16:41
比叡山鉄道というより坂本ケーブルの方が名前の通りが良いケーブルカーに乗ります。


前方の麓側のかぶりつきを確保できました。坂本ケーブルは、距離が2.0kmあって日本最長のケーブルカーです。標高差は484mで、所要時間は11分。長い時間ケーブルカーを楽しめそうです。


距離が長いからなのかケーブルカーにしては珍しく途中駅があります。もたて山駅です。


谷を橋で渡っていきます。
ところで車両には確かにパンタグラフが付いていましたが、実際走ってみると架空線はどこにも見当たりません。最近になって撤去されて非電化されたのかもしれないです。ケーブルカーの車両自体には動力が付いていないので非電化でも問題ないですが、車内照明等のサービス電源はどこからやって来るのやら。


数日前に乗った立山ケーブルでもそうでしたが、ケーブルカーで曲線があるのいいですよね。ケーブルカーは離合部を除いて直線だけであるという先入観があったので、意外性が強いです。ケーブルがよく外れないなと思います。
なお線路脇をよく見ると、昔は建ってたと思われる架線柱の土台が残っています。


隧道もあります!すごいな坂本ケーブル、いち路線の中に要素を詰め込んできてますね!とても楽しい!



しかも結構長いし途中でカーブしている。


隧道を抜けるとようやく中間地点の離合部に到達しました。


ここらへんはまあ普通なのかな。


ここの架線柱の土台は柱が根本でぶった切られていますね。


2本目の短い隧道を抜けるとほうらい丘駅を通過。


そして麓のケーブル坂本駅へ進入。


前面展望が楽しいケーブルカーでした!登る時もかぶりつきたいものです。


ケーブル坂本駅も開業以来の駅舎を使っています。間取りや柱なんかは当時物でしょう。戦前昭和っぽい雰囲気です。


駅舎はケーブル延暦寺駅と似たような外観ですが、外壁は吹付のようなもので、色も違うんで印象は結構変わりますね。


ケーブル坂本駅からは京阪電車の石山坂本線に乗り換えます。ただし両者の駅は900mくらい離れています。歩いていけない距離ではないですが、路線バスが接続しているのでこれに乗ります。日が傾く前にもうひと撮影したいですからね。


第42走者:江若バス41系統比叡山坂本駅行(日野レインボーRJ)ケーブル坂本駅16:50→坂本比叡山口駅16:53
江若バスの路線バスに乗って京阪電車の駅まで乗ります。ケーブルカーの乗客はだいたいこれに乗り継ぐので、ケーブルカーよりも小さいバスの車内は満員でした。


第43走者:京阪電鉄石山坂本線石山寺行(600形)坂本比叡山口17:02→三井寺17:15
個人的には京阪本線より馴染み深い石山坂本線に乗ります。
駅名がいつの間にか坂本比叡山口駅に改称していました。JRの比叡山坂本駅と紛らわしいような。



三井寺駅に着きました。こんなところに石山ともか。

というところで今日はここまで。次回やっと最終回。


最終回へ→

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その31【2018/4/28~5/3】

2021-08-26 22:55:14 | 旅行・イベント記
2018年5月3日(木・祝)15時1分
京都府京都市左京区 叡山電鉄 八瀬比叡山口駅
叡山電鉄とはこれでおさらばです。
八瀬比叡山口駅の駅舎は1925(大正14)年に開業した頃から残っているものです。軒の屋根の下から出ているのこぎり型の飾り板やホーム上屋のトラス構造といい、2代目京都駅のホーム上屋のような雰囲気を感じます。同じ設計者なのかもしれません。


高野川を渡ってケーブル八瀬駅へ。ここまで来ると緑豊かな感じ。


叡山ケーブルのケーブル八瀬駅です。京都滋賀の県境にある比叡山の京都側から登る経路です。
しかし八瀬比叡山口駅でぼやぼやしているうちに先発列車は行ってしまったみたいで、次の便を待つことにします。


ケーブル八瀬駅の改札口。内装はリフォームされていますけど、構造自体は1925(大正14)年から使い続けているそうな。
叡山ケーブルの運営はどこがやっているんだろう、というのは現地にいた時は分からなかったんですが、後で調べてみたらケーブルカーの上のロープウェイともども京福電鉄の経営だったんですな。嵐電以外にも路線を持っているのね。


ゴロゴロと音を立てながら山を下ってくるケーブルカーを撮影。ケ1というらしい。
パンタグラフが4つも付いてますけど、トロリーバスと同じで+と-の架線があるということかしら。鉄道だけど線路にはアースさせないのか?これに関してはネットを調べただけでは分からなかったので不明としておきます。


第38走者:京福電鉄叡山ケーブル(ケ1)ケーブル八瀬15:25→ケーブル比叡15:34
それでは比叡山を登ります。山頂駅との標高差は500m以上、最大勾配は530‰あります。


登っています。


中間のすれ違い設備。


ケ2とすれ違い。ちなみに、この白地に赤青帯の塗装は2021(令和3)年に新塗装に塗り替えられて消滅してしまいました。あれま・・・。
新塗装は叡電の観光列車「ひえい」のような緑と金の塗り分けです。統一感を出したんだね。


ケーブル比叡駅に着きました。


ケーブル比叡駅は山頂ではありません。ここからさらに叡山ロープウェー(ロープウェイではない)に乗り継いで降りたらようやく山頂です。


結構登ってきましたね。今いるところの標高は690mあるのだそうな。
奥に見える町並みは左京区岩倉ですね。


昔使っていたロープウェイに関する機械ですね。左から山頂駅で操作するノッチハンドル、手ブレーキ、あとは索道を動かす主電動機です。



第39走者:叡山ロープウェイ比叡山頂行(1号)ロープ比叡15:45→比叡山頂15:48
乗り継ぎ時間は10分なのでそそくさと乗り場へ行きます。ロープウェイですが乗り場は傾斜しているのか。


いい駅だ。色使いがレトロチック。


ロープウェイに乗る時は麓側を見たほうが面白い派です。


霧が出てきたけど・・・。


比叡山頂駅に着きました。標高は840mあります。


山腹に駅を建てているから乗り場も傾斜せざるを得ないということか?


いやぁ~ガスってますねぇ。標高840mにしてはちょっと涼しいし。


第40走者:京阪バス57系統京都駅前行(ふそう・エアロスター)比叡山頂16:05→無動寺16:13
はい、それでは、比叡山を降ります・・・。あれ、延暦寺は・・・?
実は、延暦寺は24時間立ち入れるわけではなく、確か15時か16時が最終入場時刻なのです。比叡山頂に着いた時点でどの道ムリなのでございます。
確かケーブル八瀬駅の切符売り場のおばちゃんにそんなことを言われたような気がします。内心ガビーンと気落ちしましたが、まあおもしろ交通機関を乗り継ぐのが主目的でしたので、延暦寺は再履修するということで。
ていうか延暦寺は中々に敷地が広いらしいのでこんな時間に行ってもどうせろくに回れなかったと思います。


山道を大型バスで走るのはダイナミックで良いんですが、酔いやすいので乗車中は油断ならないんですよ。


バスに乗り続けていれば寝ているうちに京都駅まで連れて行ってくれますが、それはせずに途中の無動寺バス停で下車します。ここから比叡山坂本ケーブルカーに乗り換えます。

というところで今日はここまで。

博多→大阪 サイコロの旅5・落穂拾い編 第6夜

2021-08-21 22:36:29 | 旅行・イベント記
前回に続いてジーライオンミュージアム収蔵のアメ車を見ていきます。


前回紹介したハドソン・7パッセンジャーとスチュードベーカー・コマンダー8コマンダーのグリルには、これ見よがしに「8」の数字がグリルに意匠としてあります。8気筒車はステータスだった時代だったのかもしれないです。


これも前回書いたスチュードベーカー・アースキンモデル50、フォード・モデルAA、フォード・モデルTT。


フォード・モデルAのロードスターだと思います。こういうロードスターはよくホットロッドのベース車に使われていたので、原型を維持している車両は実は貴重なのだ。まあこれが原型なのかホットロッドから復元したのか、見ただけでは判別できませんが。
ちなみにモデルTのロードスターやV8を搭載したモデル18のロードスターも同じような目に遭っているので、もはや宿命なんですかね。


1941(昭和26)年式キャデラック・モデル61です。御存知高級車メーカーのキャデラックです。キャディがお好き?結構。ではますm(ry


1941年にもなると流線型ブームは大衆に受け入れられて、キャデラックでもそれを採用していますね。今見てもオラついてるなぁっていう顔つきです。


はい、これすき。フォード・デラックスです。たぶん1939(昭和14)年式。
1930年代後半から流線型の概念が自動車のデザインにも取り入れられたんですが、その黎明期に登場したこのフォード・デラックスやリンカーン・ゼファーはドンピシャどストライクで好きな自動車です。
フェンダーの張り出た従来のボディから現代の箱型へ移行する過渡期なのもあり、従来型ボディとしてはかなり洗練されてきているのも魅力です。


バッジがおされ。


フォードとキャデラック。


ビュイック・エイト。1942(昭和17)年登場の2代目で、4ドアセダンですかね。
1942年登場ながら、当時は戦争真っ最中でしたので統制が入り同年に生産中止。戦後の1946年から生産を再開しました。この個体も戦後型じゃないかな?


1938(昭和13)年式ハドソン。流線型が勃興した時期ですが、準流線型とでも言うべきやや保守的なボディで登場しました。ただ縦長ヘッドライトはハドソンのトレードマークだったらしく、これにも採用されています。


1938(昭和13)年式パッカード・モデル120。リンカーン、キャデラックと並ぶアメ車高級車メーカーの一角。今は消滅してしまったけど...。
ホイールベース120inch (3,048mm)なのが車名の由来だとかで。


アメ車館は以上。やはり楽しいところですなぁ。ハドソンとかスチュードベーカーとかは正直知らんかったので、新しい発見もありました。


次はイギリス車館です。イギリス車もブリティッシュ・レイランドが出てくるまではなんだか楽しそうな車ばかり作っていましたな、というのがなんとなくな印象です。ただここに収蔵されているのはだいたいロールスロイスなんですが。


トライアンフ・タイガー100。二輪はさっぱりなんだ・・・。


ロールスロイスのなにかです。


1961(昭和36)年式ビュイック・ル・セイバーです。これは1961~1964年に生産されていた2代目の2ドアコンバーチブルです。


この頃の車の内装、赤一色や青一色みたいな目が疲れそうなものが多いです。


1910(明治43)年式のビュイック・10サレー。またT型フォードかと思いきや、グリルの切り抜き文字がビュイックなのでした。
製造当時から白の塗装が純正であったみたいです。当時に白い車というのはあんまり聞いたことがなくて、たぶん珍しかったんじゃないですかね。


古式ゆかしい車で良いなと思いました。

というところで今日はここまで。

最終夜へ→

博多→大阪 サイコロの旅5・落穂拾い編 第5夜

2021-08-16 18:42:00 | 旅行・イベント記
ジーライオンミュージアム本館の続きです。前回も書きましたけど、元々小さめの倉庫が何棟かあるところを再活用した施設なので、館内も複数の倉庫があります。倉庫ごとにその自動車の生産国が分かれていて、最初の倉庫は自動車黎明期と日本車です。


マツダ・コスモスポーツです。1967(昭和42)年登場。世界で初めて、多気筒で実用的で量産されたロータリーエンジンを搭載した自動車です。なおこういう妙な肩書の時はたいてい先駆者がいるので注意。本当の意味で世界初はNSUヴァンケルというドイツのメーカーのヴァンケルスパイダーという車です。なお課題山積だった模様。


コスモスポーツについては、なんだかウルトラマンやエヴァンゲリオンでその姿を見ることができるらしいよ、というくらいのことしか知らないので多くは語れません。
ただ実物を見るのは初めてですね。


クーペなんですね、というかんじ。


マツダ・ルーチェ(初代SUA/SUAV/SVA型)です。1966(昭和41)年登場の4ドアセダンです。実物見るまで存在を知りませんでした。


フェラーリ・ディーノ。1967(昭和42)年登場のミッドシップ2人乗りスポーツカーです。フェラーリ、他に適した置き場所がなかったのかしら。
ディーノには206型と246型の2種類があるみたいなんですけど、どっちかは分かりませぬ。日本へ輸入されたのは246型の方が多いので、確率的には246型だと思いますが・・・。


1968(昭和43)年式のアルピーヌ・A110です。アルピーヌはフランスのメーカーで、今はルノーの傘下です。当時にしては顔立ちが濃いかなあという気がします。まあこれも全く知りません。


御存知、1969年式トヨタ・2000GTです。1967(昭和43)年登場したトヨタとヤマハが共同開発したスポーツカーです。当時の高級車のアイコンみたいなポジションにいますよね。
どうやらこれは2台共後期型のようです。フォグランプが小さくなっているのが見分けるポイントだとかで。


こちらも御存知、日産・スカイラインGT-R(KPGC系)です。1969(昭和44)年登場のいわゆるハコスカですね。極稀に道端で見かけることもあったと思いますが、まじまじと見るのは初めてでしょうねえ。
グリルのバッジと拡大されたリアフェンダーがGT-Rであることを主張していますけども、ぱっと見は不通のハードトップクーペなのだろうというおとなしい外観からのギャップ萌えがミソなのかもしれないです。


プリンス・スカイラインスポーツです。1962(昭和37)年登場した日本初のスペシャリティカーと言われとるやつです。
値段が高いのとスペシャリティカー文化が日本ではまだ浅かったので、たったの60台くらいしか生産されなかったらしいです。



まあなんと言ってもこの顔つきでありますが・・・。ツリ目ヘッドライトにクソデカグリルというのは斬新でありましたでしょう。後のグラチャン族の車にこういうツリ目ヘッドライトがありましたけど、元ネタになっているのかしら。というか今に続くオラオラ顔の元祖か?


隣の倉庫に移って、次はアメリカ車館です。日本車は1960年代以降の車種ばかりでしたが、アメ車だとさすが1910年代からの車両が展示されています。


フォード・モデルTTです。1917(大正6)年登場のトラックです。例のT型フォードの貨物版です。
モデルTのシャーシを元に、骨格強化、ホイールベース延長、ギヤ比変更、リアサス強化などのトラックとして使うための設計変更がされています。
荷台の種類は色々あるようですが、この個体は木枠の柵を付けたステークベッドという種類ですね。


1927(昭和2)年登場のフォード・モデルA。モデルTの次に登場したやつですな。


1928(昭和3)年式のスチュードベーカー・アースキンモデル50。
ヨーロッパ向けの小型車として売り出しましたが、あんま売れなかったようです。

ダッジ・1931年式クーペ。


シボレーのクーペだと思いますけど、手がかりが少ないのでなんとも言えませぬ。


1932(昭和7)年式ハドソン・エイト。縦長のヘッドライトが個性を出している感じ。


1947(昭和22)年式インディアン・チーフ1200。すまねえ二輪はさっぱりなんだ。


1923(大正11)年式ハドソン・7パッセンジャー。7人乗りということでこの頃にしては大きめの車体してます。エンジンは水冷直8で、8気筒の大排気量エンジンを搭載しているのがハドソンの強みの時代もありました。


1929(昭和4)年式スチュードベーカー・コマンダー8。コマンダーは元々6直エンジン車でしたが、1929年から加わったのが8気筒エンジン車でした。

というところで今日はここまで。

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【1/72】マクドネル・ダグラスCF-18Aホーネット カナダ空軍バトル・オブ・ブリテン特別塗装機【ギャラリー】

2021-08-12 19:19:33 | 模型ギャラリー
キット:カナックモデル CF-18Aホーネット バトル・オブ・ブリテン塗装
仕 様:カナダ空軍デモチーム 2015年バトル・オブ・ブリテン特別塗装機#188761

カナダ空軍にはCF-18Aを用いたデモチームが存在します。主にカナダとアメリカ各地の航空ショーで展示飛行をして、空軍の広報活動等をしています。このチームに在籍しているCF-18Aは、毎年異なる特別塗装を纏って飛行しています。
2015年の特別塗装は、第二次世界大戦中の1940年、イギリスとドイツで戦われた大航空戦「バトル・オブ・ブリテン」にイギリスが勝利してから65周年にあたることから、当時の戦闘機を模した迷彩塗装が機体上面に描かれています。
この戦闘にはカナダ空軍もイギリス連邦の一員として参戦していて、カナダ空軍第1飛行隊(イギリス空軍第1飛行隊と混同してしまうため1941年に第401飛行隊に改名)が約100名の兵士とホーカー・ハリケーンMk Iと共に派遣されました。
この記念塗装は、その第1飛行隊に配備されていたハリケーンMk Iを再現したものです。スピットファイアと混同しがちですが、主翼前縁に描かれているダミーの機関銃の配置を見れば、これがハリケーンを元にしているのが分かるはずです。また、側面に上半分だけ書かれている飛行隊コード「YO」は第1飛行隊を表しています。

2015年、私はBC州コモックスの航空ショーでこの機体の展示飛行を目の当たりにしました。戦闘機らしいパワフルな機動に魅せられてすっかりこの機体が気に入ってしまい、これのプラモデルが発売されるとネットで知った時にはすかさず予約をして購入しました。
キットはすぐに手に入ったものの、当時はまだエアブラシ環境がなかったためしばらくお蔵入り。エアブラシを手に入れた後も失敗が怖かったのでその後も押し入れの奥に。そうこうしているうちにBoBから70年経ってしまいました。そろそろ作ってもよかろうと押し入れから引っ張り出してきて、ようやく完成させることができました。
カナダにまつわるプラモデルを作るのはこれが初めて(カナダにいた時にミニクラフトのホーネットを作ったけどあれは・・・)。今まで温存してきましたがここから一転攻勢、色々な機体を作っていこうと思います。


ジェット戦闘機に茶色と緑色の迷彩というのは、実際のところアメリカ空軍の東南アジア迷彩と混同しそうな気がしないこともないです。色味は全然違うんですけどね。


迷彩柄は見た感じではハリケーンに合わせているようですが、平面形は当然ハリケーンとホーネットでは異なるので(特に主翼の位置は前後している)、そこはアレンジしています。でも見る人が見れば、スピットじゃなくてハリケーンの迷彩だなと分かると思います。


機体下面は通常のCF-18と同じ灰色です。ハリケーンではスカイ一色でした。
成形品はアカデミー製なのですが、噂に違わぬ組みやすさとディテールでした。確かにこれは1/72レガシーホーネットの決定版ですね。CF-18独特の微妙な違いも再現できますし。残りのCF-18を作るために複数在庫しておきたいくらい。


CF-18の独自装備として機首左舷には探照灯が装備されています(761の右隣)。夜間に北極圏からやってくるソ連の爆撃機を識別するために追加したんだそうな。


YO◎Hの機体コードが書かれていますが、なぜか上半分だけ。全部書くと特に蛇の目がイギリス機と誤認される恐れがあったから?
LERXフェンスには、この機体の所属する第425戦術戦闘飛行隊「アロエッツ」の文字が書かれています。


垂直尾翼には肖像画が描かれています。左の人物はジョージ・ドナン軍曹。右の人物は当時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルです。


右側の垂直尾翼も同様。第1飛行隊のパイロット、ゴードン・ロイ・マグレガー中尉が描かれています。


尾部です。


尾部。


主翼。国籍章はカナダ空軍のものを当時のイギリス空軍の色使いにアレンジしたものが貼られています。これはナイスだと思います。
前縁にはハリケーンの片側4連装機銃が描かれています。これが、ハリケーンが元になっていると断言できる部分です。


近年のCF-18の機首にはIFFアンテナが追加されています。新造時には無かったので、最近になって追加取付されたと思います。ここらへんの作り分けは少し面倒なところです。ハセガワのレガシーホーネットにはIFFアンテナは再現されていないので少し難儀しそうです。まあプラバンで再現できそうな形状なのですが、素組で作ろうとしたら1/72だったらアカデミー、1/48だったらキネティックが好適なのかなと思います。


左主翼。


以上、CF-18Aホーネット カナダ空軍 バトル・オブ・ブリテン75周年記念塗装でした。

【カナックモデル1/72】CF-18Aホーネット カナダ空軍BoB特別塗装機 製作

2021-08-11 06:47:38 | 航空機模型製作記
はい今回はですね、1/72のCF-18Aホーネットのプラモデルを作りますよ。
CF-18Aというのは、ようはアメリカ海軍の戦闘機F/A-18ホーネットのカナダ空軍版のことです。F/A-18の数少ない輸出国のひとつです。いい加減ボロくなってきたんで置き換えるべきなんですが、その話はまたいつかにしましょうか。

このキットは、カナダのデカールメーカー「カナックモデル (Canuck Models)」とカナダのプラモデルメーカー「モデルクラフト (Model Craft)」が共同で開発販売したと思われるキットです。
どういう流通経路で販売されたのかは定かではありません。少なくとも日本では並行輸入等を除けば全く流通していないと思います。私はカナダに住んでいた頃にカナックモデルの通販ページから購入しました。ただしハセガワから同社の成形品とデカールで構成された同等品が限定品として発売されました。
なおカナックモデルは2019年に廃業してしまい現存していません。一方のモデルクラフトの方も実態がよくわからない会社です。ホームページは10年近く放置状態の模様・・・。
素性がいまいちはっきりしないキットですが、中身は一級品です。ハセガワの限定品以上だと思います。


成形品は、1/72のレガシーホーネットの中では決定版といえるアカデミー製を採用しています。これは素晴らしいことです。たぶん成形品の調達はモデルクラフトが行ったのでしょう。軽く調べたところモデルクラフトはこういう他社の成形品を使ったいわばOEM製品が主流のようです。


デカールはカナックモデル製。同社のデカールは初めて使います。印刷はとてもきれいです。サードパーティ製旅客機デカールでありがちな大判シートに直接印刷したものではなくて、ちゃんとしたプラモデルのデカールのようなニスが上塗りされたものです。使い心地なんかは後述します。

今回作るのはカナダ空軍のデモチームが2015年に運用していたバトル・オブ・ブリテン65周年記念の特別塗装機です。実はこの機体は実物が展示飛行しているところを直接目の当たりにしていて、キットの発売を知った時には速攻で予約をしました。


飛行展示用のデモ機材なので、武装は一切無し、つまりクリーンな状態です。なので主翼にはパイロン含め何も吊るさないんですが、成形品にはパイロン取り付け用の穴が空いた状態になっていました。これは、ラッカーパテで埋めておきます。


風防はバブル形状を再現するためにスライド金型を使っています。そのため前後の中心線上にスライドコマ同士のパーティングラインが入っています。幸い金型の精度は良いので#1500と~#2000の目の細かい紙やすりでPLを取った後にコンパウンドで磨けば良さそうです。この作業をやるのは初めてなので少し慎重に進めます。


しかし痛恨のミス!コンパウンドで磨いている途中でヒビが入ってしまいました・・・。トホホ。修復が効かないのでこのまま進めるしかありませぬ。見る角度によっちゃ見えにくいし。
コンパウンド中の溶剤が悪さをしたのか磨く時の力加減を入れすぎたのか。
もし前者だとしたら、風防を磨く時はタミヤのコンパウンドを止めてハセガワのものに変えた方が良いのかも知れません。ハセガワのコンパウンドに含まれる溶剤は水性なのでタミヤよりはマシかも知れないです。ただ再現性を確認していないので本当のところは不明です。


ある程度形になるよう組んでいきます。後発のキットだけあって秀逸ですが、翼端のミサイル発車軌条のねじり角度は大きすぎでしょう、というのが玉に瑕か。


コックピットはちまちまと最低限組み立てます。コックピットのバスタブは単座と複座で共通のものを使う大胆な構成をしています。


意外なことに計器盤のデカールは付いていません。どうして。
仕方ないので手塗りします。とはいえ比較的最近の機体なので計器は少なめです。どうにかできました。


塗装工程です。まず機体下面を灰色で塗ってから、上面を塗ります。
バトル・オブ・ブリテン記念のデモ機の塗装は、当時戦闘に参加していたカナダ人部隊が運用していた戦闘機、ホーカー・ハリケーンをイメージした茶色と緑色の迷彩塗装となっています。
まずはダークアースを塗ってその後ダークグリーンを塗るための養生をします。


養生はこんな感じ。実機を見ても塗り分け境界はくっきりとしていたのでボカシ塗装とかは無しです。


ダークグリーンを塗って養生を剥がすとこんな感じに!いいですね!


よれよれとした胴体の塗り分けも吹きこぼれもなく濡れました。よかった。


デカールを貼りました。デカールの膜は薄くて柔らかめで、とても貼りやすいです。彫刻にもよく馴染みます。軟化剤を使うとすぐに弱くなってしまうので、使わないほうが良いかも。


デカールもハリケーンをイメージしたものになっています。


トップコートし、最後にすべての部品を組み立てて完成です!


トップコートは、上面の迷彩柄の部分はつやあり、下面の灰色の部分はつやなしにしています。迷彩柄はフィルムで再現しているように見えますので、実機も艶があるんですよね。


裏面。ここだけ見ると不通のホーネット。

実はカナダにまつわる飛行機を作るのはこれが初めてです。何かと思い入れがある分、逆に手を付けられない状態が続いていましたが、プラモデルを作る技術もある程度は身についてきたと思いましたので、ここらで作ってみることにしました。風防のひび割れは手痛かったですが、それ以外はうまくまとめられたかなと思います。
ちなみにこのバトル・オブ・ブリテンはシリーズ物です。イギリスのタイフーンが同様の特別塗装をした機体のプラモデルがあります。さらにたまたま手に入れたハリケーンのプラモデルのデカールがこのホーネットのマーキングと同じ部隊だったので、新旧で並べることもできます。そうなるとタイフーンにはスピットファイアを並べないとなりません。・・・という具合に、最終的には4機が揃う予定です。合間合間に作るので全部揃うのに時間はかかりますが。

そんなところで今日はここまで。完成品はギャラリーにて。


 
 
 
 

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その30【2018/4/28~5/3】

2021-08-08 19:56:49 | 旅行・イベント記
2018年5月3日(木・祝)13時18分
京都府京都市左京区 叡山電鉄鞍馬駅
第35走者:叡山電鉄鞍馬線「きらら」出町柳行(900系)鞍馬13:19→修学院13:43
鞍馬山を降ります。帰りの電車も「きらら」でした。


発車直前でもう座れんかったので立って前面展望を楽しみます。鞍馬線もなかなかエグい勾配を進んでいきますね。このあたりの区間は土砂崩れでよく不通になるんだそうです。全線乗れるとは良い時期に来たのかも知れないです。


800系と列車交換。800系はいかにも中小電鉄的な電車です。


八幡前駅のHATO EKICHO。じわじわくる。


ゆるキャンスタンプラリーの最後のスタンプを回収すべく修学院駅で下車。
700系が停まっていたのでついでに撮影。


修学院駅には叡電の車庫があって、そこの事務所内にスタンプが置かれています。これでできた。
あとは出町柳駅で景品と引き換えてもらいます。


第36走者:叡山電鉄叡山本線出町柳行(700系)修学院13:51→出町柳13:58
次の電車で出町柳駅へ戻ります。既に14時前でちょっと時間推してるので、聖地巡礼は省略です。


さっきも見たゆるキャン装飾をした700系がまだ停まっていたので、未撮影だった八瀬比叡山口寄りの先頭をば。


ヘッドマークです。絵柄は特に見新しいところなし。


あきちゃん。


昼飯は駅前のロッテリアで。地元だと食べる機会がないしな。
あと景品は入手できました。缶バッジでしたね。


同日14時23分
京都府京都市左京区 叡山電鉄出町柳駅
そいでは今度は比叡山に登るべく再び叡山電鉄へ。


!?
なんだあれは...。


わぁー、やっぱすごいなあの輪っか。


これが叡電の誇る最新鋭観光列車700系「ひえい」である!
経年の増えてきた700系の延命工事ついでに車体を改造して観光列車に仕立てたものです。
前面に楕円の円環体をくっつけた鉄道車両の常識を外れた外装が「なんじゃこりゃ」と感じさせます。よく見ると700系独特のくさび形の前面形状がわかるんですけど、ぱっと見は円環がまず目に入ってきてしまうので分からんですね。


第37走者:叡山電鉄本線八瀬比叡山口行「ひえい」(700系)出町柳14:37→八瀬比叡山口14:51
駅に着くと誰もが写真を撮ります。そらそうよ。
これに乗ります。別に興味なかったんですが、たまたま乗れてしまいました。ラッキー。



乗り込みます。意外にも混んでいませんでした。観光列車としては珍しいロングシートです。種車が元々ロングシートだったというのもありますけども。
とにかく楕円がこの車の設計概念なのだ、というのが感じられるくらいに社内も楕円が目に入ります。側窓は楕円だらけだし座席の手すりも楕円です。つり革の持ち手も楕円にしてくれれば。


終点についてみんな降りた後に車内を一瞬撮影。座席の幅はたぶん標準的な通勤電車よりも若干広い印象でした。
側窓の間には枕が付いているハイバックシートです。これは人間の頭を窓から外すことで車窓を遮られないための工夫だと思われ。


たった15分足らず、片道だけの乗車じゃ短すぎる気がしました。また乗ってみたいところです。
八瀬比叡山口の駅ホームは開放感あって良いですね。高くて広い屋根はなんだかヨーロッパ的です。


出町柳行で折り返していった「ひえい」を後追いで撮影。さよーならー。

というところで今日はここまで。次回は比叡山に挑みます。


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北陸project ~Hokuriku Master Side M. その29【2018/4/28~5/3】

2021-08-03 23:18:41 | 旅行・イベント記
2018年5月3日(木・祝)12時3分
京都府京都市左京区 叡山電鉄鞍馬駅
叡電鞍馬線の終点、鞍馬駅に着きました。終点に着く手前の貴船口駅にはどえらい数の乗客が山を下る列車を待っていましたが、あれと一緒になるのはゴメンだと思いました。


鞍馬駅でゆるキャンスタンプラリーの2つ目を手に入れいました。駅には志摩リンのポップがありました。


駅の待合室は古風にまとめられています。


駅の外に出ると、電車の生首がいます。これは京都電燈デナ21形です。京都電燈というのは、叡山電鉄の前身の会社です。
1928(昭和3)年製造の電車で、鞍馬線開業用に製造されました。なお就役は翌年8月です。1994(平成6)年まで実に65年間活躍した後、前頭部カットモデルのだるまとしてここに保存されています。
デナという型式ですが、デは電動車というのは想像つくもののナが分かりませんでした。鉄道省の客車の重量区分なのかと思いましたけども、調べると車体の大きさなんだそうな。ナというのは中型車(ナカガタ)という意味です。


たぶんデナ21形の車輪です。


駅前名物天狗のお面。大層ご立派なお鼻だこと。



鞍馬寺の門前駅なわけで駅前から伸びるのは門前町とでも言うべきなんでしょうが、ちょっと短いかな。


そういうわけで鞍馬寺へ。勝山の某寺と違ってこっちは盛況です。
これは山門です。

鞍馬寺についてはあまり書けることがないので流していく感じで。


普明殿という建物。休憩所ですかね。


鞍馬寺参拝とはこれすなわちちょっとした登山なので登りはしんどいのですが、ケーブルカーが敷かれているのでズルすることが可能。もちろん拝観料に加えて乗車賃も掛かるわけですが、体力と時間を温存できるならアリです。
乗った搬器は牛若號IVでした。IからIIIもいたんですかね。



山頂駅に着きました。混んでいたので車窓を見る余裕なしでした。搬器はまあ何の変哲もありませんでした。


とはいえ、まだまだ登るんですけどね。


結構登らされました。


道中色々すっ飛ばして登ってきたような気がしますが本殿に着きました。やれやれ。


本坊(金剛寿命院)という建物。要はお寺の事務所。


奥の院参道をまた登りますか・・・。ここでワイ選手、引き返すことに。本殿見たしいいでしょ、うん。


今度は下っていく模様。石垣の擁壁はなんだか年代物っぽいです。


中門です。帰りはケーブルカーには乗らないで歩いて鞍馬駅まで戻ります。


山内にある由岐神社 。


屋根にびっしりコケ生えているけど、屋根張り替えないんですかねぇ?という気持ちで撮っていたと思われ。


山中にある神社の場合、あんまり朱色を全面に出していない神社のほうが落ち着きあるので好きかも。


門前町へ戻ってきました。ぐへぇ。

というところで今日はここまで。


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