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武器学校の公開イベントへ出向く 最終回【2017/4/8】

2018-09-30 21:52:23 | 旅行・イベント記
前回BRTのかしてつバスに乗りましたが、その目的は沿線に保存されている鹿島鉄道の気動車を見に行くためでした。鹿島鉄道廃線時は9台の気動車が在籍していましたが、そのうち6台が保存されています。元の数が少ないとは言え残存率66%は高い数字です。車種が数種類あったのも幸いしていると思います。

で、最初は小川駅停留所近くの小川南病院の介護施設はるるの郷に保存されているキハ432です。
1957年東急車輛製で、鹿島鉄道ではなく富山県の加越能鉄道向けに2台造られたものです。加越能鉄道廃止後の1973年に2台とも鹿島鉄道に譲渡されてきました。そして廃線時まで活躍を続けます。ただし非冷房車なので夏場は走っていなかったようです。


なんといっても湘南顔の前面が特徴でしょう。製造当時流行っていたデザインです。とても好ましい気動車です。
露天保存にも関わらず車体の状態は非常に美しい状態です。


片側にはプラットホームが建てられています。
車両をじろじろと見ていると私を怪しんだだろう施設の従業員が声を掛けてくれ、車内を見せてもらえました。その時に記帳するんですが、今もちらほらとキハ432を訪れる人がいました。


車内もきれいな状態を保っています。座席はロングシート、床は木の板ですし、車幅は少し狭いのかも。
通路中央には長机が置かれていて、何かしら活用されているようです。


運転室は半室構造。左側に細い扉があり、あそこから出入りします(そもそも車体横に扉がない)。逆に運賃収受するところには壁と窓が出来ています。変わった構造をしていますね。
ワンマン運転するにはやや不便な構造だと思いますが、製造時の原型のままなのかはちょっとわからないです。


運転席。当時らしい計器の少ない運転台です。手ブレーキが目に付きます。


車外に出て反対側を撮影。全長16mの両運転台車なのです。


台車は正確なところは不明ですが当時の気動車によく使われていたTR26でしょう。製造元の東急車輛での名称はTS-102Aでした。
当時のディーゼルエンジンは非力でしたので、軽量化と低走行抵抗を念頭に置いて設計された台車です。部品のひとつひとつが細くて弱々しいのが分かります。軸受にはころ軸受を採用して走行抵抗の低下を狙っていたんだそうな。


エンジンはDMF13Cです。DMF13というと1980年代の国鉄末期からJR初期にかけてJRや第三セクター鉄道の気動車に採用されたやつなんですが、キハ432の製造時よりも後のエンジンですしエンジン換装の記録も見当たりません。
実際は1950年代に登場したDMH17を8気筒から6気筒に小型化したエンジンです。DMH17はキハ20系やキハ58系なんかに採用されたのが有名ですかね。DMF13はそれを小型化したんで出力も相応に下がっているようです。
これのエンジンは配管やベルトに至る細かい部品まで残っていて正直驚きました。エンジンは動かすことが出来るなんて噂もありますが、本当なのかも知れません。

というところでキハ432見学は終了。車体から足回り、車内に至るまで美しい状態だったのに驚かされました。今後も大切にされてもらえると思います。


病院から533号線に戻って再びかしてつバスに乗ります。小川駅停留所へは戻らず、そのひとつ先の旧小川高校下停留所でバスを待ちます。
この後はほっとパーク鉾田へ行きます。


もうすぐ鉾田駅というところの坂戸中央停留所で下車します。


グーグルマップによればここを通れば近道。昔から残っている古道なのでしょうな。


バス停から歩いて5分位。ほっとパーク鉾田へ着きました。ここは日帰り温泉・プール施設なのですが、温泉に入りに来たわけではありません。まあこの後入るっちゃ入りますけどね。


敷地内に保存されている鹿島鉄道の2台の気動車、これを見に来ました。KR-505とキハ601です。
鹿島鉄道廃止後に鉾田駅保存会という団体により旧鉾田駅で保存されてきましたが、現在はこちらに移設され引き続き保存されています。気動車2台を移設となると(主に資金面と移設先交渉で)苦労されたと思います。
今もエンジンは動かせる状態で保存されていて、車内の公開イベントもたまに開かれている等活動は積極的です。車両の維持活動も抜かり無く、きれいな状態です。


まずはKR-505から。1988年から4台が新潟鐵工所で製造された16m級の軽快気動車です。鹿島鉄道初の冷房車でした。一般型気動車には珍しい前面非貫通構造も特徴的。
4台しか造っていないのに505がいるのは、504は忌み数字で避けられたから。なお帯の色は1台ずつ異なっています。


台車はNP120T/D。付随台車はT、動力台車はDです。これはTかな。簡素っぽい見た目をしています。


エンジンはDMF13。さっきのキハ431とは違う80年代に出てきた新しい方のDMF13です。


キハ601。見た目はそこそこ新し目ですが実は1936年製の戦前製ディーゼルカーです。
国鉄のキハ07形気動車を1965年に2台譲渡してもらったものです。キハ07は前面が流線型になっているのが特徴でしたが、1972年から近代化改修を行い前面を切妻型にして貫通扉を設置(後に埋めることになりましたが)しました。なので製造年の割に垢抜けた顔つきなのです。ただし側面は部品単位の交換に留まったので原型をよく残しています。車内はロングシート化されたそうな。
塗装は何度か変わったようですが、晩年はキハ58のような急行型気動車と同じ塗装をしていました。元が元だからかよく似合っています。


台車はTR26の改良型のTR29を履いています。といっても基本構造は変わらないのでやはり繊細な印象を受けます。


辺りも暗くなってきたところで今回の鹿島鉄道の保存車巡りは以上です。
鹿島鉄道の保存車は6台いると書きましたが、残りの3台は鹿島鉄道保存会という団体が一箇所に保存してあります。ただしたまに開かれる公開日以外は非公開となっており、見学のハードルが高いのが難点です。公開日も不定期ですので、見に行きたい場合は常にアンテナを張っておく必要があります。
しかし今日見た3台も粒ぞろいであり状態も極めて良好です。これらだけでも一見の価値は大いにあるでしょう。

この後は明日の用事で一緒に行動する人達と合流し、ほっとパーク鉾田で温泉に浸かった後(一日中雨に打たれていたのでよく温まった・・・)、鉾田市内の宿泊施設で一泊しました。

以上おしまい。

武器学校の公開イベントへ出向く その5【2017/4/8】

2018-09-29 22:08:11 | 旅行・イベント記
土浦駅から常磐線の下り列車に乗ります。普通電車なのでE531系。


石岡駅で降ります。
東口の自由通路を歩いていると、空き地が広がっていました。ああ、ここがかつての・・・としみじみしました。
石岡駅からは鹿島鉄道という地方私鉄が2007年まで石岡駅~鉾田駅を走っていました。非電化路線の典型的ローカル線だったようで、旅客収入が年々減少する中で航空自衛隊百里基地への燃料輸送のための貨物列車が廃止になったことがトドメとなって廃線になってしまいました。
起点の石岡駅には車両基地があって、その跡地がこの空き地なのです。線路、駅、車庫が建っていたのですが更地にされていて面影すらありません。


こっちは反対側の土浦方面を見た時。土地の境界に立てられた柵を見るにあそこらへんが鹿島鉄道と常磐線の接続線だったのかなぁとか思います。知らんけど。
こちら側には道路が舗装されています。鹿島鉄道の廃線跡の一部(旧石岡駅~旧四箇村駅)はバス専用道に転用されたBRTの「かしてつバス」になっています。なんでもこの区間の代替バスは慢性的な渋滞に悩まされて定時運行がとても出来ない状況だったといいます。


駅舎は2016年に橋上化したばかりでキレイでコンパクトに纏まっています。鹿島鉄道の線路のあった場所もガンガン再開発されてますんで、やはり面影はありません。ただし、鹿島鉄道とかしてつバスの歴史という立て看板が立っていて、今後これだけが名残ということになりそうです。


ふと常磐線ホームの方を見てみるとEF81形98号機が停まっていました。北斗星色の機体は久々に見た気がします・・・というかまだいたんですね。


かしてつバスが乗り場にやってきました。名前は鹿島鉄道を感じられますが、運行は関東鉄道のグループ会社である関鉄グリーンバスが担当しています。まあ鹿島鉄道も晩年は関鉄グループだったんですけども。
車両はいすゞエルガミオ(G048)。銀色のかしてつバスの専用塗装がされた特別仕様です。車内は普通ですけどね。大きく「か」と書かれているのが目立ちますが、ちょっと崩し過ぎな感もあり、私は最初なんの文字か分かりませんでした。「分」かな?なんで?とか思ってました。

というわけでこれに乗ります。BRTに乗るのは初めてですね。


乗客はほとんどおらず車内はガラガラなので難なく一番前の座席を確保できました。まだ時間が夕方前で人の少なめの時間帯とは言え、心配になる乗車率ですね。平日はまた違ったりするんでしょうか?

駅前のバスターミナルは一般の乗用車も乗り入れられますが、出発してすぐにBRT専用道に入ります。乗用車の誤進入を防ぐために専用道の出入り口には棒が伸びています。
そして出入り口の横に石岡一高下停留所が。停留所は鉄道時代よりも格段に増えました。


専用道をひた走ります。バス1本が走れる程度の道幅に緩やかな曲線など、鉄道をつよく感じられる道路です。


石岡南台駅停留所。旧石岡南台駅があったところで、見ての通り鉄道時代の遺構が色濃く残っている場所です。
プラットホームと跨線橋がそのまま残っています。ただしバスを乗り降りするのは地面からです。


途中、道幅の広いところで対抗のバスとすれ違い。
関鉄グリーンバスのエルガミオ(G069)です。普通の関鉄バス塗装のバスも走っています。


四箇村駅停留所を出ると専用道区間は終了。ここから先は一般道を走ります。
道路は左に曲がりますが、正面の方向を見ると鉄道の廃線跡がまだくっきりと残っています。


このバスの終点、小川駅停留所に着きました。ここは旧常陸小川駅だった場所です。
常陸小川駅はちょっとした駅だったんですが、すっかり更地にされて今はバスターミナルになっています。といってもかしてつバスの途中駅という扱いの停留所で、後は茨城空港や水戸駅へ向かうバスが分岐するくらいの場所です。


駐車場はありますが、別にパークアンドライドというわけではなさそう。勿体無いような。


ここまで乗ってきたエルガミオは石岡駅へ折り返して行きました。石岡駅~小川駅は本数が多いのです。
初めてのBRTだったわけで、乗る分には楽しい交通機関でしたが、かしてつバスは乗客が少ないのががが。そもそも収入少なくて鉄道を維持できないのでそれよりも維持費の安い交通機関をという弱気の交通機関なので、もとから人数は多くないんでしょうけども。もうちょい活気があると思ってたのです。


小川駅から少し散歩します。駅前の道路である県道355号線を南東へ歩いていきます。
途中園部川を渡りますが、そこには鹿島鉄道の橋梁がまだ残っていました。


小美玉市のマンホール蓋。市の花コスモス、市の木ケヤキ、市の鳥シラサギをすべてまとめた欲張りな一枚です。


園部川を渡ったら脇道に入ります。


ズンズンと進んでいくと・・・いましたね!

というところで今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その60【2016/03/04~10】

2018-09-25 23:20:40 | 海外旅行記
マーチフィールド航空博物館のつづき。
数的には後半戦に入ったと思います。


ボーイングKC-135Aストラトタンカー(1956年・241機目)
アメリカ空軍の空中給油機ですね。輸出もされてますがアメリカだけで700機以上は造ってます。そして1957年から就役して今もなお徹底した近代化改修により多数が現役でいるという長寿な機体です。近代改修型のR型が在日アメリカ軍基地の友好祭なんかで展示されてますんで、割と馴染みがあるんじゃないかと。

これは有名な話なんであんまり書かなくていいと思いますが、ボーイングのジェット旅客機707はこのKC-135より後に出来たものです。
最初は367-80という試作機をジェット輸送機としてアメリカ空軍に売り込んだんですが、これは失敗してしまいました。
ところがB-47やB-52のようなジェット戦略爆撃機の高速について行けるような空中給油機がほしいと思っていた(当時は前々回くらいに見たプロペラのKC-95くらいしか持っていなかった)空軍の要請で、367-80の空中給油型を開発しました。
これが当たって合計で800機くらいの受注を得ました。さらにこれを旅客機化した707も1,000機以上の大ヒットになりました。当初の目論見通り輸送機として採用されてたらここまでは売れなかったとは思えず(これの座はこの後出てくるC-141が射抜いた)、いやはや何が幸いするか分かりません。


A型は普通の量産型でこれだけで700機以上造ってます。
近代化改修でエンジンがターボファンエンジンで大型化したR型しか見ていないので、A型のターボジェットエンジンはなんだか新鮮です。


空中給油ブーム。まあKC-95なんかと同じですわな。


ロッキードD-21(1964年・242機目)
ラムジェットエンジン搭載超音速無人偵察機です。あっ・・・これあるの。説明板も何もなくてただ置いてるだけだけど。
屋内で見たSR-71からエンジンだけ抜き取ってそこに羽だけ取り付けたような見た目ですが、実際SR-71とセットで語られることの多いやつです。こんなんでもマッハ3出せるのよ。
マッハ3出せる無人の小型偵察機ならSR-71よりも安全に領空侵犯しながら偵察できるよね、ということで造られましたけど、まあ色々ムリがありました。これも色々アレな機体です。

これのエンジンはラムジェットエンジンで、超音速飛行で生じる機体前面の衝撃波を取り込んで圧縮タービン無しで空気を燃焼して飛んでしまおうというやつです。超音速で飛んでる限り燃料が続く限り無限に動き続けるエンジンです。複雑で面倒な圧縮タービンが無いんで構造が簡単という利点もあります。
逆に言えば超音速飛行でないと飛べないわけなんですが、そうなると普通の離着陸ができんわけです。なのでSR-71の姉妹機M-21を母機にしてそれの背中に搭載、空中で超音速飛行している最中にD-21を分離しました。助走をつけさせたわけですね。そういう機体なので、こいつには足が付いていません。あんなものは飾りです。
ですが4回目の分離中に接触事故を起こして母機ともども墜落してしまいます。M-21の背中の垂直尾翼の間に配置するんだからそら接触するわっちゅうねん。パイロット1名も殉職する後味の悪い結果になっています。以降M-21への搭載は行われなくなりました。つまり以後は別の機体であるB-52に搭載して行われたんですがここでは割愛(手抜き)


ロッキードC-141Bスターリフター(1963年・243機目)
アメリカ空軍初のジェット輸送機です。C-130での機体構成を踏襲した造りになってます。
輸送機の割には細長い胴体が特徴的ですが、これが災いして積載量いっぱいになる前に貨物室が満載になってしまう容積不足の問題が出てきました。
1993年にC-17が就役すると次第に勢力を減らしていきますがそれでも2006年まで現役にいたようです。


セスナT-37Bツイート(1954年・244機目)
アメリカ空軍の初等練習機です。これに乗って育てられた訓練生が本当のツイッタラーや!(大嘘)
当時の空軍は練習機を全部ジェット機で賄おうと思っていて、その一環として導入されました。全過程をジェット化するので初等練習機でよく使われるプロペラ機は廃止されました。
ですが、初心者が初っ端からジェット機を扱うのはムリがあったので、飛行適正検査と最初期の訓練過程用にセスナの軽飛行機172型を転用したT-41を新たに採用する羽目になりました。ジェット化計画は失敗だったんですね・・・。
ちなみに座席配置は練習機でよく見られる訓練生と教官が縦並びに座るタンデム配置ではなくて横並びに座るサイドバイサイド配置。


ロッキードT-33Aシューティングスター(1日ぶり4機目・245機目)
またお前か。
今旅行で一番数を見る飛行機はどれだ選手権での優勝候補です。他にT-6、MiG-15、F-4、F-14など名だたる機体が候補に上がっています。


T-33の空気取入口に付いている板は境界層対策なんでしょうけど、具体的にはよく知りません(手抜き)


ノースアメリカンT-39Aセイバーライナー(1958年・246機目)
ノースアメリカンがビジネスジェットなんて造ってたんだ、という飛行機です。ただ、軍の発注で造られたのが最初で、民間型はそれより後に開発されています。
機体名はノースアメリカンのヒット商品F-86セイバーから取ったんだろうというところですが、主翼と垂直尾翼がセイバーのそれと似ているのも理由だそうです。

Tナンバーが付けられているのでこれも練習機です。輸送機などの大型機用の練習機でしょうね。他にも小型輸送機としても使ってたとかで。


ノースロップYA-9(1972年・247機目)
これは珍しいやつです。なんでここにいるんだ。
アメリカ空軍の近接航空支援(CAS)用の攻撃機として「A-X計画」において試作されたやつです。A-X計画では複数社による競争試作によるもので、最終的にノースロップさんチームのYA-9とフェアチャイルドさんチームのYA-10が最後まで残り、決勝戦となりました。
結果、勝ったのはフェアチャイルドさんチームで、YA-10は晴れて制式採用されてA-10サンダーボルトIIになりました。
一方ノースロップさんチームはYA-9を2機造っただけで終わりになってしまいました。2号機がここに、1号機はエドワーズ空軍基地に保存されています。


攻撃機なので主翼には兵装ステーションがたくさん。片側5箇所あります。
他に固定武装として機首にバルカン砲を装備できる仕様だったそうです。
エンジンは胴体中央部に2つ付いてます。


尾翼は十字翼。
A-10と比べるとずいぶんシンプルな機体構成なんだなと思います。というかA-10が先進的というか前衛的というか。
普通の形状じゃダメだと懲りたのか次回作となるYF-23では思いっきり前衛的な方向に振りましたけど、これもダメでしたね・・・。


オシュコシュP-15化学消防車
1977年に開発された空港用の化学消防車です。基本的に軍用に使われたようです。表記からして隣のマーチ空軍基地で使われていたものをもらったようですね。


ノースロップF-89Jスコーピオン(1948年・248機目)
アメリカ空軍初期の全天候型迎撃戦闘機3兄弟(F-89、F-94、F-86D/L)のうちのひとつ。開発開始時期からも型式番号からも3兄弟の長男なんですが、トラブっている間に次男と三男に就役時期を抜かれてしまい、F-89が本格的に配備されたのは一番最後になってしまいました。というか、F-89の開発が炎上してたもんで急遽F-94とF-86Dが生まれたわけですが。

この頃の全天候型戦闘機はWWIIの夜間戦闘機の延長みたいな感じで、機首にレーダーを搭載することでどんな飛行条件でも敵を発見して攻撃、撃墜できるような戦闘機のことを言いました。
自機のレーダーと地上からのレーダーで目標まで誘導し、自機の火器管制装置で照準まで付ける、極端な話パイロットは引き金を引くだけという、自動操縦、自動戦闘装置のひとつといえるものです。
そうは言っても1948年当時のレーダーと火器管制装置(FCS)はまだまだ大型でした。なのでそれらを搭載したF-89の機首は大きく張り出したものになっていて、当時の全天候型戦闘機の特徴のひとつです。

で、F-89は主翼の強度不足という大きな欠陥があったので初期の量産型は何機も空中分解、墜落してしまいました。
それでもノースロップは何度も機体を改良してようやくまともな型式、D型を配備します。初飛行からすでに6年、21世紀の戦闘機か旅客機の開発遅延くらいの遅さです。当時としてはかなり時間がかかったと思われ。
なおこの頃にはすでに急遽代打指名されたF-94とF-86D/Lが配備されていましたし、全天候型戦闘機の決定版として開発されているF-102も前年に初飛行を済ませ量産まで秒読みという段階でした。それでもD型が量産されたのは世界初の空対空ミサイル「ファルコン」が搭載できたからと言う部分があるでしょう。

D型はさらに発展して、1957年からは空対空ミサイルのある意味では頂点である「ジーニー」核ミサイルを搭載できるJ型が量産されました。
という感じのまあ狂気に飲まれてるよなという戦闘機です。


ちなみにスコーピオンつまりサソリの由来となったのは細長い胴体尾部と尾翼がサソリの尾節に似ているからとかで。前作のP-61ブラックウィドウはクロゴケグモの意味だし、なんかそういう系の節足動物が好きだったんですねぇ。


ノースアメリカンF-86Lセイバードッグ(1949年・249機目)
全天候型戦闘機3兄弟の末っ子。F-86の派生型とされることもありますが、部品の共用率は25%程度と低く、事実上別の機体です。当初はF-95という別型式を与えられそうになっていたのもその根拠と言えましょう。F-86の派生型になったのは、全くの新型機よりも既存機の派生形のほうが予算が通りやすいという議会対策というのが定説ですがホントのところは分かりません。たぶん最初は根も葉もない所からたった噂だったんでしょうけど。
FCSのオペレーターが必須だった当時の全天候戦闘機としては異例の単座戦闘機になっています。当時の全天候機はとてもじゃないですけど機体の操縦とFCSの操作をひとりでやれるような代物じゃなかったんです。それが新型のFCS E-4をどうにかこうにかして完成させて単座機に仕上げました。

最初に造られたのがD型で、後にL型が造られました。L型は例の対空レーダーネットワークシステムのSAGEとのデータリンク接続ができるよう開発されたやつです。
他にモンキーモデルのK型がいるんですが、これ完全にNATO向けの輸出用なんでアメリカにはおらずNATO諸国の博物館に行かないと見れませぬ。


D/L型の武装はロケット弾です。対爆撃機用の全天候型戦闘機なので機関砲は積んでないよ。元のF-86は制空戦闘機ですが、D/L型は間違っても戦闘機相手には戦えません。
搭載場所が面白くて、コックピットの真下にマイティマウス24発を入れたランチャーを載せています。でもこのままだと空気抵抗になってしまうので飛行中は機内に収納して射撃時にランチャーがガシャンと飛び出る素敵ギミックを持ってます。

今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その59【2016/03/04~10】

2018-09-24 20:36:22 | 海外旅行記
2016年3月6日14時52分
 カリフォルニア州リバーサイド マーチフィールド航空博物館 屋内展示棟
屋外展示を見ていたんですが、「屋内展示等の別館は15時になったら閉めるで~」と館内放送で言われたので、一旦そっちへ行くことに。初めは無視してしまうつもりでしたが、やっぱり後ろ髪を引かれてしまいました・・・。
置いてあるのは戦間期の古い機体ばかりです。天井から吊るされているミサイル類は無視しました。


フェアチャイルドPT-19Bコーネル(1939年・227機目)
アメリカ陸軍の初等練習機です。B型は計器飛行用の練習機です。低翼単葉で鋼管羽布張りの近代的な外観です。
戦間期のこの青と黄の塗装は好きですね~。
機体の手前に置いてあるエンジンはPT-19に搭載されているレンジャー社のL-440です。液冷みたいな形をしていますが実は空冷エンジンです。なので空冷機ながら液冷機のような細い機首の機体が設計できるのです。


カーチスP-6Eホーク(1927年・228機目)
アメリカ陸軍最後の複葉戦闘機です。ホークって名前、これが初代なんですね。P-40はホークIIとでもすべきところだったんでしょうけど、この頃はまだそういう慣習がなかったのかもしれませぬ。
70機しか造られてませんが、この時期のアメリカの航空機はたくさんの機種を少量ずつ採用していたので、こんなところでしょう。というか戦間期はこういう100機未満の僅かな数しか造っていなかったのに、戦争に突入すると本気出して1万機以上の数を平気で生産してしまうんで、やっぱり国力の基礎がつえーな。
なおこれはレプリカです。


コンソリデーテッドPT-6A(1928年・229機目)
これも初等練習機です。元は民間用のスポーツ機ですが、PT-6として造られたのはたったの16機だけです。で、これは原型の機体なのでそのうちの1機なのか、それとも民間機からそれっぽく復元されたのか。


ニューポール モデル11(1915年・230機目)
WWI期のフランス製戦闘機の7/8縮尺のレプリカ。大戦後半に登場し、ドイツ製戦闘機の優位を覆した機体です。
塗装はフランス軍ですが、乗ったパイロットはアメリカから出兵してきた人なんだそうです。縮尺レプリカということは、たぶん元は飛べるように造られたんじゃないかなぁと思いますが、そこら辺は不明です。

これで屋内展示はおしまい。外へ戻ります。


ロッキードR5O-5ロードスター(1日ぶり3機目・231機目)
ロッキードの民間用旅客機モデル18を軍事転用した10~14人乗りの輸送機です。型式から見て海軍用でしょう。陸軍向けはC-56~C-60の型式があります(細かい違いにより型式が変わっているのだ・・・)
ここの機体はこの博物館まで自力で直接飛行してきたらしい。これもアメリカではよくあること。


ダグラスC-54Qスカイマスター(1942年・232機目)
元々は空軍向けのC-54Dが海軍に移籍してR5D-3に改名になったんですが、1962年の型式の命名規則統一に伴いC-54Qに再改名した模様。ややこしいな。
C-54自体はダグラスの民間旅客機DC-4の軍用版です。ただし開発時期が大戦中だったため初めに登場したのは軍用型のC-54のみで、民間型のDC-4は戦後に登場しています。民間型の方が後に出てくるというのはなんだかボーイング707みたいな関係ですね。
さらに民間型DC-4の大半はC-54の払下げであり、1,200機強の生産数の内始めから民間型として新造された機体はわずか80機しかありません。民間型より軍用型のほうが数が多い旅客機というのはなんだかDC-3みたいな関係ですね。
というか今まで戦後に開発・登場した旅客機だと思ってたんですが、大戦中に初飛行と運用を経験していたんですね。知らんかった。なので今の今までこれをロッキードのエレクトラだと思ってました。


後ろはまあ普通。当時で4発の旅客機相当の輸送機は結構デカかったはず。
C-54と言えば特殊な機体として大統領専用機VC-54というのがありにけり。WWII中ルーズベルト大統領が搭乗していたやつで、なんと現存していてデイトンの博物館にあります。気になる人は行ってみよう。


ダグラスVC-47スカイトレイン(1日ぶり3機目・233機目)
御存知ベストセラー旅客機/輸送機です。VC-47は型式にVが付いていますので、要人や将校用の輸送機です。普通の旅客機と変わらない内装だったそうで。
1944年製ですが戦場へは送られずに一生を本土で過ごしました。戦後はカリフォルニア州空軍に転属して、カリフォルニア州知事の移動などに使われていたようです。塗装も州空軍のものです。


フェアチャイルドC-119Gフライングボックスカー(1947年・234機目)
アメリカ空軍の中型輸送機で、同社の輸送機C-82パケットの発展型です。貨物搭載量10tあるいは完全武装兵62名を輸送可能です。
空飛ぶ有蓋貨車というもうそのまんまだという名前です。ただし貨物扉は横ではなく後ろから開くんですけどね。


C-119というかその前身のC-82では、大型貨物や車両を地上から直接機内へ搬出入できるように要求されていました。C-46やC-47のような地上にいる時胴体が斜めになっているような尾輪式の輸送機では搬出入に手間がかかるのは想像に難くないと思います。
そこで車輪を前輪式にして地面と胴体が水平になるようにして、貨物扉は胴体後方に配置しました。この配置の仕方が独特で、胴体後部を双胴式のツインブームにすることで胴体後部に空間を確保、その空間から貨物を出し入れするという方法を採りました。


後ろから。まあこんな感じなんですわ。双胴の胴体後部はエンジンポッドから伸びているのにも注目。
貨物扉は貨物室後方に付いていて、扉の部分は左右から絞り込まれているのが分かります。その部分が観音扉のように開く素敵ギミックを内蔵しているのです。
ただ、この双胴構造に観音扉はなんだかムリがある構造なのか流行らず、現在運用している輸送機では採用されてない絶滅してしまった方式です。他にもこの観音扉は飛行中は開閉ができない構造なので空中投下が出来ない欠点がありました。どうしても空中投下したい時は初めに観音扉を取っ払ってから飛行するというマッチョな方法を採っていたようです。


フェアチャイルドC-123Kプロバイダー(1949年・235機目)
C-119の次に採用されたアメリカ空軍の中型輸送機です。搭載量はC-119とほとんど同じ。
前線の整備が届いていない滑走路でも離着陸できるような頑丈さを求められたので、悪路でも壊れない短くで頑丈な脚と短距離離着陸性能を持ちます。
K型はJ85ジェットエンジンを追加搭載して補助推力としています。レシプロエンジンと燃料タンクの間にあるやつです。

さらに進化したのは貨物扉で、C-119の双胴と観音扉をやめて、ひとつの大きな胴体とカーゴスロープも兼ねた上下に開く大型扉を採用。これが完成度が高く、以降に開発された輸送機はどれもこれと似たような扉構造を持っています。

以降の輸送機の基本設計であるこれら太い胴体、高翼配置、短い脚、スロープを兼ねた後部大型貨物扉を初めて採用したのはC-123なんですが、これより後に登場したC-130が最初だという人がよくいます。まあ確かにこの方式を確立して普及させたのはC-130かも知れないけどね。
なおこれとほぼ同じスタイルは実は第二次世界大戦時に眩しいステンレスの輝きとともに姿を現していたんですが、それは翌日実機を見た時に話しましょうか(伏線)


ビーチSNB-5(1937年・236機目)
ビーチクラフトの民間用小型旅客機、モデル18を軍事転用したもの。モデル18ってギリギリ戦前製の機体だし地味だしでほとんど残ってないと思ってたんですが、意外とよく見かけるので割とありふれた親しまれた機体だったんでしょうか?
モデル18はWWIIによる需要拡大に伴って陸軍・海軍ともに採用したものです。モデル18の総生産数は9,000機以上なのですが、そのうちの大半である5,000機は1940年から生産された軍用型です。終戦までの5~6年でこれだけの数を造ったんですから、ビーチの生産能力は大したものです。フォードやGMなどに一部の生産を委託した可能性もありますがそういう記述は見かけないので不明としておきます。

SNBは海軍向け呼称です。S:偵察、N:練習、B:ビーチクラフトなのでビーチの偵察機兼練習機といったところでしょう。
ただしその中身は航法士用の練習機だったようです。これは陸軍のAT-7に相当するものです。航法士が使う天窓が付いているんですが、確認できず。つーか現役時の写真見てもどこにあんのか分からんのでなんとも言えぬ。


バルティーBT-13バリアント(1日ぶり2機目・237機目)
T-6テキサンっぽく見えるけどもじつは違うバリアントさん。型番がBTなので中等練習機です。
前も書きましたがアメリカ陸軍の練習機は習熟度により操縦する機体とその型番を区別していました。初等練習機(Primary Trainer: PT)、中等練習機(Basic Trainer: BT)、高等練習機(Advanced Trainer: AT)の3段階です。思い出しましたか?
PTの代表格が上記のPT-19コーネルで、BT担当がBT-13バリアント、AT担当がAT-6テキサンです。今はT-6で親しまれているテキサンですが、AT-6と呼ばれていた時代もあったのでした。

飛行操縦中よく振動するクセがあった模様で、このことから「バイブレーター (Vibrator)」というあだ名を付けられています。単にクセをそのまま付けただけでなく、バルティー(Vultee)とバリアント(Valiant)の頭文字と掛けて付けられた可能性が高そうです。
この振動は失速寸前になると起きたと言われています。一見振動が起きるなんて欠陥に思えますが、これは失速警報の役割があったのではないかなと。なにせ操縦の未熟な訓練生ですので失速寸前に入ってもそれを気づかせるにはいい手だと思います。同時期の航空機にも方法は違いますが振動による失速警報があったといいますから、やはりそんなところじゃないかなぁと。


エアロデザインYU-9Aエアロコマンダー(1948年・238機目)
エアロデザインとは聞いたことのない会社ですが、ロックウェルの子会社だそうな。
日本でも新聞社や測量会社が一時期よく使っていて、引退後は各地の航空博物館に寄贈されたこともあり、実は日本でもおなじみの軽飛行機です。

これはアメリカ陸軍が使っていた機体で、Yナンバーが付いていることから試作機というか採用するかどうかの評価用の機体でしょうね。
なお空軍も同型機を採用していますがこちらはU-4と別型式。元は同じ釜の飯を食べてたのに仲良くない(?)ね。


コンベアC-131Dサマリタン(1947年・239機目)
コンベアの旅客機、CV240の改良型であるCV340の軍用型です。人員輸送、特に傷痍軍人の輸送に使われました。
サマリタン(Samaritan)というのはサマリア人のことですが、サマリアはパレスチナにある地名ですね。これだけだとわっけわからないですが、A good Samaritanという言葉があり、これが「情け深い人」や「慈悲深い人」という意味があるんだそうな。これが輸送する人間を考えるとこういう意味が含まれてると見ていいでしょうね。

CV240は機体規模はダグラスDC-3と同程度ですが予圧キャビンを装備しているのが特徴でした(DC-3は予圧なし)
日本でも旅客型が国内線で運用されていた時期がありました。それで、調べているとそのうちの1機が日本で現存しているというのでびっくりです。私有地っぽいのでここでは場所は伏せときます...。


ノースアメリカンSNJ-4テキサン(1日ぶり4機目・240機目)
どこにでもいるアイツことテキサンです。アメリカ海軍の機体なのでAT-6ではなくSNJと呼びます。偵察(S)兼練習(N)機でしたのね。Jはノースアメリカンの記号です。Jってノースアメリカンに掠りもしてないですけど、掠るような記号は既に埋まってたんでしょうね。
あとはもう特に書くことがないです。4機目ですし・・・(手抜き)

というところで今日はここまで。



武器学校の公開イベントへ出向く その4【2017/4/8】

2018-09-19 22:04:00 | 旅行・イベント記
武器学校の広報棟に来ました。
今日は公開日なので自衛隊の広報とかやってますが、一角に銃火器の展示室があります。
戦中戦前の銃器はもちろん火縄銃まで置いてあるので中々充実したところです。これまた全部見てると時間がないのでテキトーに書いてきます。


一式旋回機銃二連
帝国陸軍が採用したチェコ製の機銃2丁分をひとつにまとめたもの。旋回機銃とありますけどガトリング砲とかではなくて、銃座が旋回するということでしょうかね。
結構使えたようで、後に海軍もちゃっかり採用しています。


九二式7.7mm機関銃
いわゆるルイス機関銃というやつです。第一次世界大戦あたりのイギリスでよく使われた機関銃です。でも発明したのはアメリカ人。7.7mm機銃の割に砲身が太いんですが、これは砲身の放熱装置です。地上用の他に戦闘機の武装にも使われていました。
これは三脚の上に取り付けられてるのと放熱装置付きなので地上用ですね。


九九式20mm二号四型固定機銃
スイス エリコン社のライセンス生産品。零戦とかの20mm機銃のそれです。
二号四型は給弾方式を弾倉式からベルト式に変更したやつです。


江戸時代の火縄銃。
上から普通の火縄銃、長筒(狙撃用)、番筒(足軽用)、十匁筒(武士用)、普通の火縄銃。


明治時代に開発された6.6mm小銃。
上から三十年式歩兵銃、三八式歩兵銃、三十八年式騎兵銃。


零戦の照準器、九八式射爆照準器。
下から照準器の光を照らして斜めに傾けた反射板で反射させて正面のフィルターに照準器を投影させるのだ。椅子に座って照準を合わせてみることも出来るぞ。
でも飛行機飛ばしながら狙いを定めて敵機を撃ち落とそうとするの大変そうね。その間周囲警戒ががら空きになりそう。


ロケットランチャーだけでこんなに。


外国の機関銃。よく集めたね。


拳銃も国内外問わずたくさん。信号弾を撃つための信号拳銃というのもあるんですね。知らなかった。


この広報館の隣には雄翔館という戦時中この駐屯地にあった予科練出身者の遺品などが収蔵されている資料館があります。こちらは撮影禁止です。
帰りは屋外展示車の後ろ側を見ながら戻りました。この頃には雨も小康状態でしたので土の上でも歩きやすかったです。


駐屯地の庁舎。コンビニとかがありました。


駐車されていたハイエース スーパーロングバン。業務車4号というちゃんとした自衛隊の装備です。
ホイールが独特な形ですけど、自衛隊専用だったりするんでしょうか?

以上、武器学校の見学は終了です。
ちゃんと楽しめる内容でした。銃火器や野砲の展示はもっと詳しくなってからまた行ってみたいですね。


この後またバスに乗って土浦駅まで戻りました。昼飯を食べてちょうどよい電車が来る時間まで再びバスを見ます。
関東鉄道バスの日野ブルーリボンHT 9299TC。2017年に廃車されてしまったそうな。


関鉄パープルバスのいすゞジャーニーK 1744P。グリーンバスはなんとなく聞いたことありましたけど、パープルバスというのもあるんですね。


関東鉄道バスのいすゞエルガハイブリッド 2146TC。


JRバス関東の日野ブルーリボンシティハイブリッド L527-04507。


土浦駅を去ります。さらばじゃ。


常磐線ホームへ降ります。
なんとなく撮影したE657系特急「ときわ」65号。

というところで今日はここまで。



武器学校の公開イベントへ出向く その3【2017/4/8】

2018-09-18 20:37:29 | 旅行・イベント記
引き続き武器学校の屋外展示のAFVを見て行きます。


60式自走81mm迫撃砲
聞いたことのない装備だったんですが、車両後方に迫撃砲を装備しています。迫撃砲は後ろへ向けて撃ちますが、その時は後ろと屋根の扉を開けて撃つらしい。正面切って殴り合う装備ではないでしょうが、がら空きなんだなーと。


73式装甲車
兵員輸送用の装甲車です。乗員4名、隊員8名を乗せることができます。出入りは後方の扉から。


74式自走105mm榴弾砲
73式装甲車の足回りを流用して作った自走榴弾砲。
しかし当時の世界の自走榴弾砲は155mmが主流になりつつあったので、開発完了時点ですでに時代遅れになっていました。結局20両造られただけで調達は打ち切りになってしまいました。なんだそりゃ・・・。


60式106mm無反動砲
さっき見たやつですね。背が小さくて可愛い。


75式130mm自走多連装ロケット弾発射機
ロケット弾を30発装備している車両。これも73式装甲車の設計を流用しています。
ロケットランチャーは発射時が画になるのかよくゴジラと戦っていたようです。


96式装輪装甲車
73式装甲車の後継として開発された兵員輸送用の装甲車。乗員2名と隊員8名を輸送可能です。
73式のキャタピラと違いタイヤで走行するようになっています。舗装された道路では最高速度100km/hを出すこともできますが、逆に不整地では欠点になります。
これはまだ現役バリバリ。


99式自走155mm榴弾砲
戦車っぽいけど自走砲です。これは試作車なので量産車とは細かいところが異なっている模様。
これも現役です。


82式通信指揮車
指揮官が前線で指揮するための車両。通信機材がたくさん積んであるのだ。
これも試作車。


87式砲弾運搬車
めっちゃ厳ついやつ。地味に好きです。でも地味なのでプラモデルにはなってないはず。
203mm自走榴弾砲へ補給する弾薬と補給要員を運ぶための車両です。


90式戦車回収車
擱座した戦車を引っ張って回収するための車両。重い90式戦車回収のための車両です。


61式戦車
陸上自衛隊初の国産戦車。丸い砲塔とT字型のマズルブレーキが特徴。2000年に退役済み。


74式戦車
みんな大好き74式おじいちゃん。低い車体とつぶれた砲塔が特徴。
これの次に採用された90式戦車がほぼ北海道専用だったので本土配備の戦車は長いこと74式が主力なのでした。今後は10式戦車や16式機動戦闘車への置き換え、あとは配備車両数の削減で置き換えられること無く単に数が減るだけという感じで退役していきます。
長いこと活躍している上にかっこいいので、日本での人気は結構高いと思われ。


90式戦車
御存知90式先輩。61式や74式が、開発が終わって配備開始した頃には既に時代遅れになってたというアレなことをしていた時期とは違って高水準な戦車だそうな。
本州で運用するには体重が重いのでだいたい全部北海道に配備されてるんですが、御殿場あたりに行けば見ることができます。


屋外展示は以上。桜が綺麗に咲いているだけに天気のいい日に来たかったですね。

今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その58【2016/03/04~10】

2018-09-15 21:51:52 | 海外旅行記
ボーイングKC-97Lストラトフレイター(1944年・218機目)
なんかまたキモい飛行機がいる・・・こんなの初めて見たぞ。
パット見の印象で察せる人もいるかもしれませんが、これ同社のB-29爆撃機(正確にはそれの改良型のB-50)の設計を流用して造ったC-97輸送機・・・をさらに改造して空中給油機にしたKC-97という飛行機です。

胴体は2つの胴体を上下に連結したようなダルマ型の形状をしているのが一番の特徴でしょうか。これは機内予圧のためだとかなんとか。
輸送機としては旧態依然とした構造だったためか輸送機の発注は80機くらいのハナクソみたいな数字しか取れませんでしたが、空中給油型のKC-97は800機以上を生産する大ヒットになりました。


後ろから。尾部に空中給油のためのフライングブームという給油ハンドルのようなものがあります。
空中給油する相手はジェット戦闘機やジェット爆撃機なのですが、ジェット機とレシプロ機では速度差があり、ジェット機が速度の遅いKC-97に合わせて飛んでいると失速しかねない状態でした。
そこで速度差を埋めるためにKC-97の主翼にジェットエンジンを片翼1発ずつ追加搭載して対策とし、ジェットエンジン搭載型はL型のサブタイプが付いています。
最高速度は640km/hだそうですが、これだと燃料をバカ食いしてしまって給油する分をなくしてしまいますから、実際はもっと低速で給油していたのではないでしょうか?巡航速度が370km/hなのでそのあたりなのかな?
これで戦闘機はどうにかなったらしいですが、B-52相手にはこれでも速度差が埋まらず、給油の際に苦労していたようです。
ちなみにこれもL型なのですが、なぜかジェットエンジンが付いていません。謎ですね~。最初はジェットエンジン無しのG型として造られたので、その時の形態を再現しているのかもしれませんが。


フライングブーム。これの先端を相手の給油口にくっつけて、燃料をグビグビ飲ませます。ブームは向ける方向を動かせることが出来ます。


ブームの根元についている窓。ここにブームのオペレーターが乗り込みます、確か(適当


エンジンはB-29のR-3350デュプレックスサイクロンではなくB-50のR-4360ワスプメジャーです。サイクロンが9気筒*2列に対してワスプメジャーは7気筒*4列。なのでエンジンカウルの形状がB-29と大きく異なるB-50に準じたものです。
ワスプメジャーはかなり強力で、レシプロエンジンの最高峰のひとつです。


セスナO-2スカイマスター(1967年・219機目)
セスナっぽいなぁと思ったら案の定。アメリカ空軍の観測機および暴徒鎮圧用軽攻撃機(COIN機)です。セスナの民間機モデル337を軍用機にしたものです。
こう見えて双発機なんですが、ひとつは機首にあるのは分かりますけど、もうひとつは後ろについています。2発のエンジンを前後につけるプッシュプル方式というエンジン配置をした独特な機体なのです。なのでこれの機内、見た目以上に狭苦しいんじゃないかと思います。
双発機なのでその分信頼性が高いです。被弾の可能性の高い観測機やCOIN機では頼れる装備だったでしょう。
こういう機体でも500機以上が造られていて、ベトナム戦争に従事したんだとか。


後ろのエンジンとプロペラはこんな風に取り付けられていて、中々愉快なことになっています。
双胴のテールブームが主翼から伸びているのも面白い構造です。


グラマンHU-16Aアルバトロス(1日ぶり2機目・220機目)
不時着水した航空機パイロットなどを救助するための救難飛行艇。これはアメリカ沿岸警備隊の塗装です。


マーティンEB-57Bキャンベラ(1949年・221機目)
これは変わった機体でして、イギリスが開発したイングリッシュ・エレクトリック キャンベラ爆撃機をアメリカ空軍がライセンス生産したもの。主翼にぶっ刺さったエンジンがブリテンでしょ?
イギリス機のくせに普通の直線翼に双発ジェットエンジンと基本に忠実な形状をしています。しかし性能は良いのです。アメさんもそれに魅力を感じて輸入してしまうほどですし。イギリス機、普通の機体を造っていれば順当に良い飛行機が造れるだろうに、英国面を出すから・・・。
なんか影が薄いけどロッキードと組んで実は今も名前が残っている不思議な会社で私に知られるマーティンがアメリカでの生産をしました。
爆撃機と言ってもB-29やB-52のような大型戦略爆撃機ではなく、機動性に優れた軽爆撃機です。モスキートのような使い方をしたかったんじゃないでしょうか。アメリカではB-26(旧姓A-26)の後継機として導入して、近接地上支援などの低空爆撃なんかで使ったような。

この機体は電子戦の訓練をするための練習機です。なので機体の端が蛍光オレンジになっています。
それにしてもキミ足が短すぎやしないかい?


ノースアメリカンF-100Cスーパーセイバー(1日ぶり3機目・222機目)
センチュリーシリーズの先鋒。3機目になると書くこともなくなるんだよね。
この機体は1955年9月に戦術航空軍団に配属になり、1968年6月からはベトナムのトゥイ・ホア基地でベトナム戦争に従事、1969年7月からはオクラホマ州の州空軍に転属、1975年1月に用途廃止です。


後ろから。
F-100は史上初めての超音速戦闘機なわけですが、エリアルールが発見される前の機体ですから、その音速突破は力技のゴリ押しに近いものがあります。
燃料をバカ食いするアフターバーナーで増速していたわけですから、超音速が出せてた瞬間なんてのはほんの一瞬だったんじゃねぇかなと思います。


マクドネルF-101Bブードゥー(1954年・223機目)
意外にも今旅行ではこれが初登場となるF-101。パッとしないやつなのでどっちかというと地味なやつですが、カナダで採用されてるので弊ブログではちょこちょこ出てくる機体です。

センチュリーシリーズの二番手。戦略爆撃機を長距離護衛できる戦闘機として開発されていて、そのルーツは1948年に開発されたXF-88ブードゥーにあります。大まかな機体形状はこの頃のものと似ています。
しかし長距離護衛戦闘機の計画は破棄されてしまったのでF-101は宙に浮いてしまったのですが、F-100でも行われた戦闘爆撃機化で生きる道を見出します。これがF-101Aです。
でも戦闘爆撃機はF-100がいますからこの役も追われてしまい、今度は複座迎撃戦闘機のF-101Bにジョブチェンジします。これもF-102/F-106という本命がいるんですが、F-101BはF-102/F-106が運用できない(SAGEとの接続ができない)辺境での使用を考えられてたそうな。カナダ空軍で運用されていたのもB型です。ついでに、偵察型のRF-101A/Cもいます。
求められる性能はそれぞれ異なるはずなんですが、全部1つの機体にやらせてる辺り、万能というより迷走してんなという気が。


迎撃機型のB型は機関砲を持ちませぬ。これは別にミサイル万能説だからというわけではなく、爆撃機を迎撃するのに機関砲じゃ役に立たないからです。実際、護衛戦闘機型のA型では機関砲4門を搭載しています。
機関砲の替わりに装備されたのがミサイル倉です。半埋込み式で、2初装填できるのが分かります。このミサイル倉は表裏が回転できるようになっていて、回転させると裏側からミサイルが出てきます。なので表裏合わせて4発のミサイルを装備できます。
ミサイルはAIM-4ファルコン空対空ミサイルとAIR-2ジニー空対空☠核☠ミサイル。核ミサイル・・・。
アメリカに侵攻してきた核爆弾を積んだソ連の爆撃機を1機でも撃ち漏らすことはそれすなわちアメリカの都市が火の海にされることを意味するので、確実に仕留めるために多少外しても広範囲な爆風で撃ち落とせる核ミサイルが運用されることになったとかなんとかで、狂ってるよなぁ。


コンベアF-102Aデルタダガー(1953年・224機目)
全天候型迎撃戦闘機です。これをもってF-100からF-106のセンチュリーシリーズ6機すべてを見れたことになります。やったぜ(F-103は欠番になっている)
まだ隠しキャラのF-107ちゅーのがいるんですがそれは翌日見ますよ、ふふふ・・・。

超音速飛行できるのがセンチュリーシリーズのウリのひとつなのでこれもそうなんですが、試作機では重すぎたり空力設計が甘かったりで音速突破に失敗します。さらにエンジンと火器管制装置の開発も遅延してしまい、機体の基本設計からやり直すほど計画は大炎上します。
さらに試作機の開発と量産機の生産設備準備を並行して行う「クック・グレイギー」という方法が採られましたが、これ基本設計に問題があると生産設備の抜本的見直しが必要になるのでF-102の場合は完全に失敗してこれも大炎上・・・。
まあ、難産だったんですよ、これ。

SAGE(セイジと読む、サゲじゃない)というアメリカ全土とカナダからカツアゲした土地に建設しまくった対空レーダー網をネットワークで繋げて一つの巨大な防空システムにしてしまうという1960年代に運用開始したとは思えん超巨大装置との接続が本格的にされた初めての戦闘機です。SAGEは戦闘機の発進から目標までの誘導まで行うオーパーツじゃねえかと思うすげー装置なんですがここでは割愛します。

ちなみに後継機のF-106とは形がよく似ていますが、見分ける点は空気取り入れ口と垂直尾翼です。空気取り入れ口はF-102は風防の真下にあって、垂直尾翼は三角形になっています。F-106は空気取り入れ口が主翼前縁辺りまで後退していて、垂直尾翼の頂点が切り欠いています。これでキミも近所のデルタ博士だ。


後ろ。F-102/F106はアメリカ機では珍しい水平尾翼の無い無尾翼デルタ翼機です。デルタ翼自体当時は珍しかったです。機体名にもわざわざ採用するほどですしね。これを製造したコンベアはこの後YF-7やB-58などデルタ翼機を造りまくることになります。

胴体は遷音速~超音速あたりで発生する空気抵抗対策のために断面積を変化を緩やかにさせるエリアルールというのを採用しています。特に主翼で断面積が急激に増えるのでその部分の胴体を絞り込むことで増大を緩くしています。
でもこの写真だとよく分かんねぇな。F-5ほど絞ってるわけじゃなさそう。

エンジンノズルの左右には謎の出っ張りが付いてますが、謎ですね。赤外線対策かなとも見えますが、やっぱり謎ですね。


リパブリックF-105Bサンダーチーフ(25分ぶり2機目・225機目)
さっき見たばっかの戦闘爆撃機。B型は最初の量産型です。75機しか生産されてないので貴重。
さっき見たばっかのD型はレーダーの変更で機首が大きくなったので、B型は相対的に機首のコーンが小さいのが特徴。また、機首のバルカン砲が機首の先端に付けられてるのも識別点です。
なおバルカン砲が付いている側面左側の写真は撮っていない模様。逆光だったからね・・・。


さっき見た時も書きましたが、核爆撃を前提に造られた戦闘機です。で、機体に設けられた爆弾倉は核爆弾専用です。狂ってんなぁ・・・。
でも核戦争が起きるわけ無く(起きてたまるか)実際の戦争では通常爆弾を積むことになったんですが、爆弾倉は核爆弾専用なので通常爆弾は積めないというアレっぷり。
なので爆弾は主翼下に吊るすことにしました。爆弾倉の意味なし・・・。それでも燃料タンクに使えたそうな。

見切れてますが、空気取入口の形状がやけに凝ってるなぁという印象。たぶん先端の突起がショックコーンとなっているのだと思います。


図体の割に垂直尾翼がちっさいなぁと。
水平尾翼の影に隠れて分かりづらいですが、エンジンノズル下部分が垂れているのに注目です。
あれは別に推力偏向ノズルではなくて、着陸時にあのノズルの板を展開させることで空気抵抗を生み、着陸滑走の距離を縮めるためのエアブレーキです。板は上下左右に4枚あって、下側の板だけ重力に負けて垂れているだけです。
面白い装備ですが後にも先にもF-105しか持っていないので、流行らなかったんだねぇ。

マクドネル・ダグラスF-4CファントムII(1時間ぶり3機目・226機目)
今日だけで3機目のファントムおじいちゃん。C型は海軍用の最初の量産型です。
海軍機でもこういう地上迷彩するんですね。いわゆるベトナム迷彩ですね。


センチュリーシリーズ軍団勢揃い(全員いるとは言ってない)。F-102とF-106がいません。
F-102とF-105の間にちょうど1機入る空間があるので、以前はF-104がいたのか、それともF-104を収蔵した日のためにそこをわざと空けているのかもしれません。逆にF-106が入れそうな場所はないんですけどね・・・。

というところで今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その57【2016/03/04~10】

2018-09-14 23:58:59 | 海外旅行記
2016年3月6日(日)14時18分
 カリフォルニア州リバーサイド マーチフィールド航空博物館 屋外展示場
ミグ戦闘機が一列に並ぶ区画に来ました。なんとMiG-15からMiG-23までが一同に会しているのです。これこそミグ回廊であるな・・・とひとり感激していました。

なおあの赤いバギーが、バギーに乗りながら屋外を周る「トラムツアー」という有料ツアーです。特に障害者用のツアーというわけではなく誰でも参加できます。やはりできることなら歩きたくないというアメリカ人が一定数いるんだろうなと。やや呆れてしまいますが、そういう選択肢が用意されているのはいいことではあるかなと。


ミコヤン・グレビッチMiG-15UTI(1日ぶり4機目・212機目)
おなじみ朝鮮戦争時代を代表するソ連のジェット戦闘機です。NATOでの愛称はファゴット(=薪束)。博物館の記述ではサブタイプが書かれていないのですが、複座型なので複座練習機型のUTI型でしょう。
ポーランド空軍の塗装がされているので、ポーランドでライセンス生産されたSBLim-1かもしれません。


ここの博物館にはよく鳥が飛んでくるらしく、何度も飛行機を止まり木にしている鳥を見かけました。博物館も手を焼いているらしく、機体の一部には鳥が止まらないようトゲを生やしています。


うしろ。
アメリカのF-86と比べるとやはり一回りは小柄な機体です。その小柄な機体でもって性能的にはF-86を上回っていたそうな。でも実際の戦闘ではF-86が優勢でした。
アメリカ空軍もなんでか不思議に思っていたそうですが、パイロットの練度が高かったからなどという理由で片付けられたそうです。そのせいか知りませんけど、以降のアメリカ空軍では制空戦闘機の開発は長らくおざなりにされてしまうのです。F-100?あれは戦闘爆撃機よ。


ミコヤン・グレビッチMiG-17(1日ぶり3機目・213機目)
MiG-15の改良型。サブタイプは知らん。NATOでの愛称はフレスコ(=フレスコ画)。
ベトナム戦争での北ベトナム軍の主力戦闘機でした。ベトナム戦争というとMiG-21ですが、あれが投入されたのは戦争の後半でした。
つまり戦争前半はこいつでもってアメリカ空軍の戦闘機の相手をしていたのです。とはいえ、制空戦闘機でないへなちょこ戦闘機軍団であるところのセンチュリーシリーズでは旧式のMiG-17にもかなり手こずっていました。少なくない数がこれに落とされていると言われています。


MiG-15とどこが違うねん・・・と見る人を惑わすことに定評があるMiG-17ですが、最近になってようやく見分けがついてきました。
まずは以前にも説明した主翼上の境界層分離版の数です。主翼の前後に伸びている板状の突起の数がMiG-15は片側2枚、MiG-17は片側3枚なのです。
あとは垂直尾翼の輪郭が15は丸いRを描いているのに対して17は角が出ています。後退角度も17の方がキツイです。
他に全長が違っていて17のほうが長いのですが、並べてみると分かりますが単機だけパッと見だと意外とあんまり見分けがつかないです。パット見で777-200と777-300見ても分からんのと一緒だ、たぶん。


ミコヤン・グレビッチMiG-19(1953年・214機目)
ミグ戦闘機の中でもなんか影の薄いやつ。こんなMiG-15みたいな見た目でもソ連機では初めて超音速飛行を成し遂げたのだ。NATOでの愛称はファーマー(=農家)。
やはりMiG-17とどこが違うねん・・・と見る人を惑わすことに定評があります。全長がさらに長くなってたりとか主翼の境界層分離版が大型1枚になってるとか今どき主翼に機関砲を装備してるとか(でも機関砲付けてないやつもある)、そんな感じです。


他に一番の特徴はエンジンが双発になっていること。ここが一番の識別点ですぞ。まあ、前から見たらわっかんねぇんだけど。
あとは、水平尾翼がMiG-17までの垂直尾翼の真ん中から生えてる十字尾翼から胴体から生えている普通の尾翼になったこと。ここも分かりやすいので覚えておこう。


ミコヤン・グレビッチMiG-21F-13(1日ぶり2機目・215機目)
御存知ソ連の超音速ジェット戦闘機。バカスカ造られてそこら中の国にばら撒かれたんで色々なところで見かけることが出来ました。NATOでの愛称はフィッシュベッド(=魚の寝床)。NATOのソ連機への愛称ってテキトーが過ぎると思うんですけど、F(FighterのF)から始まれば何でもいいんかいと。そう思うと第二次大戦中の日本軍機への愛称、ジークやトニーなんてのはまだ人間味のある名付け方でしたね。
ベトナム戦争においては先述の通り戦争後半から登場した、遅れてやってきた主役みたいなやつです。小型軽量の機体に大出力エンジンを載せたので機動性がよく、米空軍のセンチュリーシリーズ相手には圧倒し続け、これらに撃墜されることはありませんでした。
元々は戦略爆撃機の迎撃用なので航続距離が短いなどの弱点もあったようですが。

今どき機首に空気取入口があるのかいな、という機体なので見た目は古臭いという感じです。空気取入口から飛び出ている赤い突起はショックコーンです。でもなんかショックコーンの出っ張りが少ない気がしますし、空気取入口の口も小さいような気がします。


うしろ。
塗装はチェコ空軍ですが、出所不明ですし、たぶんテキトーでしょう。

これはサブタイプが判明していて、F-13型です。初期生産型のF型に、アメリカの空対空ミサイルAIM-9サイドワインダーをコピーしたK-13ミサイルの搭載能力を付与したものです。
このF-13型はまだ全天候戦闘能力がない機種なので背中に大きな背筋の立っていないすっきりとした外観が特徴で、私もコブの大きいbis型よりかはこっちのほうが好きです。


ミコヤン・グレビッチMiG-23BN(1967年・216機目)
MiG-21の後継機なんですが、先代が秀逸すぎたのでいまいちパッとしないやつですね。NATO愛称はフロッガー(=カエル獲り)でやはりバカにしたような名前。
米空軍のF-111戦闘機(後に登場)が可変翼を搭載していたのに影響されてMiG-23も可変翼を採用しています。いやしかしなんでもパクるな・・・。



可変翼というのは主翼の付け根に回転軸を付けて後退角の角度を変えるロマン装置。F-14のやつが一番有名。揚力の必要な離着陸時は主翼を展開し、高速飛行時は翼を畳むことで離着陸時と高速飛行時での高性能を両立させようというのが目的なのでした。
が、回転軸を始めとした装置は戦闘時のGに耐えられるよう頑丈に造る必要があり、とても重量が重くなってしまうのでした。これじゃせっかくの高速性能も台無し・・・。しかも製造費も整備費も嵩むのでお財布にも悪い。
あとはコンピュータ制御とかフラッペロンと前縁フラップの組み合わせとかでお安く代替できてしまったことから、一時期大流行だった可変翼は10年そこらで下火になって今では新規開発されていません。
一時のブームに過ぎなかったんですが、F-14という強烈なキャラが居る上に機構自体はくそカッコイイので今後も語り継がれていくでしょう。


角ばった機首にカメラ窓。偵察型なんやろな~と思ったんですが、これ戦闘爆撃型なんですね。
なのでこれはカメラ窓じゃなくて対地攻撃用のセンサーかなんかでしょう。

戦闘機であるMiG-23を戦闘爆撃機へジョブチェンジさせた仕様はMiG-27という別の型式が与えられているんですが、初期に生産された機体はMiG-23の派生形式として造られたそうな。
BN型はソ連用のBM型の輸出型。ただしBM型は生産前にMiG-27に改名したそうで。輸出型なのでソ連用よりも性能が落ちています。


可変翼の軸のような突起がありますね。
先述のように可変翼は維持費が掛かるので、特に中小国では扱いきれずとっとと退役させられて、潰しの効く旧型のMiG-21を使い続けたところもあったそうな。


アントノフAn-2(1947年・217機目)
ソ連機ですが、ミグ設計局ではなくアントノフ設計局が開発した小型輸送機。見た目が見た目なんでずいぶん古い機体なんだろうな~と思っていましたが、調べてみるとこれ戦後の機体なんですね。複葉機ですぞ・・・?
ところがこれ、元々は軍用機ではなく民間機として開発が始められた機体のようで、それなら納得できる部分もあります。実際、農薬散布機や消防機などで使われる場合があったとか。
で、この手の機体は大抵頑丈に作られているものです。案の定An-2もそうで、未だに現役機が一定数いるのだとか。


ちょうど隣りにあるマーチ予備役基地でアメリカ空軍のC-17輸送機が着陸してきたところを見られました。柵越しですが機体のでかい輸送機なので見ごたえはあります。4発機で騒音もするしね。見学中に何度か離着陸を見れたので、意外と遭遇確率は高いんじゃないでしょうか。

というところで今日はここまで。



【1/700】海上自衛隊 DDV-183いずも【ギャラリー】

2018-09-12 23:58:51 | 模型ギャラリー

キット:ハセガワ ウォーターライン#031 海上自衛隊 ヘリコプター搭載護衛艦 いずも
仕 様:航空母艦仕様(仮想)
[製作記はこちら]

海上自衛隊最大の艦船「いずも」のプラモデルを作りました。
いずもは今はヘリコプター空母という感じですが、将来F-35のような固定翼機も運用できるよう改造されるかもしれないなんて話をよく聞くので、スキージャンプを追加した空母仕様で作ってみました。



今年8月にいずもが清水港に寄港した時に見に行きましたが、やっぱり大きいです。特に背が高いので、近くで見ると壁ですよね。



飛行甲板には空母化されたら乗りそうな航空機を片っ端から乗せてみました。
F-35B、E/A-18G、E-2C、MV-22、SH-60、MCH-101です。中にはスキージャンプ空母での運用はありえねーよ、というのもいますが、まあ賑やかしってことで。



後部。



アイランドとSH-60、支援車両。



左からE-2C、E/A-18G、MV-22。こういう露天駐機をするのか分からないですけど。
E-2CとE/A-18Gは主翼を畳むべきだったんでしょうけど、面倒臭さが勝ってしまった・・・。
E-2Cはかっこいいから普通の1/72スケールのキットも作ってみたいですね。できれば8枚ペラのやつ。



F-35B。日の丸は紅白のものしか無かったので。



以上、空母いずもでした。

【1/700】護衛艦いずも 製作【ハセガワ】

2018-09-11 23:43:04 | 艦船模型製作記
海上自衛隊の護衛艦「いずも」のプラモデルを作ります。
海自最大の艦船であったり実質ヘリコプター空母であったりいろいろ注目を集める艦ですので、模型化されているものも色々あります。今回はハセガワのウォーターラインキットを作ります。

普通に作るのも良いですが「いずも」は固定翼機(普通の飛行機)の離発着が出来るように改造するというまことしやかな話が流れてきますので、これを想定した姿で作りますぞ。
なんてことを考えているうちにタミヤからほぼ同じような題材の空母いぶきが出てしまったんでアレですが。


いずもの空母化は飛行甲板の先端にスキージャンプ台を付けるのが妥当だろうというところなので、これを用意します。
ジャンプ台はアオシマから出ている補給艦ましゅうに付いているおまけから拝借してきます。


仮組みしてみる。
違う会社の部品なので土台の角度が違ったりモールドの密度が合ってなかったりしますが、直すと手間なので無視してしまいます(手抜き


ちなみに船の大きさですが、手持ちの作品と並べてみました。
手前からいずもの甲板、イージス艦あたご、戦艦アイオワ、巡洋艦鈴谷です。肝心の空母はまだ1隻も作ったこと無いんですががが。
やっぱり長さが長いです。巡洋艦は余裕で抜き去って、戦艦と同じくらいの長さがあるんですね~。これはでかいですわ。


全体を仮組みして、艦載機を置いてみます。なんだか賑やかな事になっていますが。


後ろにはF-35BライトニングII(アオシマましゅうのおまけ)とMV-22オスプレイ(ハセガワいずも付属品)を。
F-35Bはいずもが空母化された時に搭載されるだろう戦闘機としてよく挙げられるやつです。ていうか選択肢はこれしかないですしお寿司。
オスプレイはいずもが就役する以前より配備されるかされないかの論争の的になっていますね。まだどうするのか決まっていないようですけども。


前方にはSH-60、E-2C、FA-18、MCH-101。
SH-60とMCH-101はいずもに付属してきたやつです。
E-2Cはアオシマの航空自衛隊機セットから拝借しました。空自のやつが現役だし一応艦載機だし、行けるかなって(たぶん実際にはムリ
FA-18はピットロードの現用アメリカ海軍機セット3から拝借。以前電子攻撃機EA-18Gの導入検討の報道があったので、それに近いFA-18Fを持ってきました。これも実際には離着艦出来ないだろうけどね。ちなみにこれ、風防を再現するために透明で成形されています。

まあ、あり得ないだろうという打線で組んでます。そこは模型のフィクションじゃ。


塗装を済ましました。特に見るところはないです。塗料はMr.カラーの護衛艦セットを使いました。
デカールを貼り付けます。飛行甲板の線のデカールは、キット付属のやつだとスキージャンプ台の幅と合わないので、左右の端を切って幅を調節してやります。
甲板は細かい凹凸が多いのでデカールが定着しなかった部分がシルバリングを起こしてしまいました。浮いたところをカッターで切れ込みを入れてそこからマークセフターを染み込ませて再定着させてある程度改善しましたが完全には除ききれませんでした。
予めつや消しクリアで表面を均しておけばよかったですね。これは勉強になりました。


デカール完了。
甲板には水玉模様状のモールドが付いているので大味だということはなく、いい感じの密度です。


艦載機を塗りました。それっぽい色にしました。国籍章はE-2Cやヘリコプターはもちろん、F-35BやEA-18Gにも日の丸を。なんだか違和感だな。


接着剤で艦載機を甲板に固定して完成。露天駐機すんのかっていう話ですけど、このキット格納庫は再現されていませんので。
完成させるとやはり大きいので作りごたえがありました。空母と言うと大きいので尻込みしていましたが、戦艦よりも楽なんじゃないかというのが印象でした。ただし艦載機を除けば・・・ですが。
たまには空母いずもというおふざけをやるのも楽しいものでした。


<使用塗料>
船体:Mr.カラー SC17 2704灰色
甲板:Mr.カラー SC19 滑り止め塗装部色
(以上海上自衛隊護衛艦カラーセット)
煙突・船底:アクリジョン N2 ブラック
レドーム:Mr.カラー GX1 クールホワイト
艦載戦闘機:Mr.カラー C325 グレーFS26440
艦載ヘリ:Mr.カラー C338 ライトグレーFS36495

完成写真はギャラリーにて。