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日帰り伊豆半島の根本観光 後編【2018/9/17】

2023-06-28 21:54:31 | 鉄道撮影記
路線バスに乗って静岡県沼津市にある旧沼津御用邸記念公園へ来ました。初めて来ました。
ここはその名の通り皇族の静養先として建てられた建物です。1893(明治26)年に当時は皇太子だった大正天皇のために造営されました。静岡県平野部は御存知の通り冬でも比較的温暖な気候であることから、皇太子(当時)は特に冬場に利用することが多かったそうな。
本邸の建築以降も増改築を繰り返していきました。しかし太平洋戦争での連合国の空襲で本邸は焼失してしまいました。
大正天皇崩御後も今の上皇陛下を始めとした他の皇族も沼津にご静養することがありました。上皇陛下は御用邸の目の前に広がる駿河湾で水泳するのが好きだったそうな。


1969(昭和44)年に沼津御用邸が廃止されると敷地は沼津市に移管されました。移管された翌年、沼津御用邸記念公園として一般公開が始まり今に至ります。


それでは御用邸の中を見せてもらいましょう。上がったのは西付属邸という1905(明治38)年に本邸に隣接する海軍大将の別荘を買い上げた建物です。その後も増築が何度か行われたため複雑な間取りとなっています。本邸焼失後は西付属邸が本邸の役割を持つようになりました。
一見すると質素そうに見えましたが、部材は高級そうな物が使われていそうです。また、床には赤絨毯が敷かれていてそれとなく豪華です。


女官応接という部屋。文字通り女官が使った応接間です。


なんとなく江戸時代の屋敷のような雰囲気も感じますが、当時物の扇風機やストーブが残されているので、ちょっと困惑しますね。


これは昭和天皇が学習院時代に乗っていた自転車の複製だそうな。三輪車じゃないかい。万が一にも転倒しないようにするための配慮?


調理室です。当時物の道具が残っています。天窓で明かりを取っているのがおしゃれ。


まだ残暑厳しい9月に来ましたが、こういう建物は案外涼しい、少なくとも暑苦しくはないんですよね。風通しが良いからでしょうかねえ。


供進所です。皇族の食事の盛り付け、配膳をする部屋です。
昭和天皇はうどんそば好きとか長寿の秘訣は毎朝落花生と銀杏を3粒ずつ食べるとかいうプチ情報も教えてくれました。


御食堂です。皇族が食事を取られる部屋です。
元々は畳敷きの部屋だったでしょうけど、絨毯を敷いて机と椅子を使って食事していたんですね。格式もあるでしょうが年を取るとしゃがんで床に座って食べることも難しくなりますからね。


謁見所です。ご静養中の来客がここで皇族と面会するわけです。
来客の椅子は左側で2脚あります。皇族用の椅子は右側に1脚あります。皇族用の椅子の方が遠目から見ても格上です。


三角形になっているミニ中庭。増築されてんなあと感じる部分です。


御座所です。皇族の居住部屋で、御座所、御寝室、御着替所から成っています。ここは御座所なので、要は居間です。


外廊下が二重になっているのがなんとも特別感があります。外側の廊下は一般人の廊下で内側は皇族用の廊下でしょうね。
部屋が外廊下で囲まれているところも、昔ながらの日本家屋の間取りで素晴らしいです。


御玉突所です。つまりビリヤード部屋ってことね。ここだけ完全に洋式チック。


御便所です。ぼっとん便所と洋式便器が仲良く同居している・・・。でも洋式便器からトイレットペーパー遠くないっすか?さすがの皇族もこれは不便だったでしょう。


御料浴室です。浴槽は無く、掛け湯だけだそうな。万が一にも溺れないようにする配慮?


西付属邸の見学は終えて、外に出ました。このあたりは砂浜でクロマツ林が広がっています。


ちょっと歩いてみます。駿河湾の海岸近くまでいけます。砂浜とは鉄条網で仕切られていて、外に出ることはできません。
御用邸の方角からは駿河湾を挟んで富士山も望むことができます。御用邸に選ばれるだけあって景勝地としても優れているんですね~。


静養に使う宮殿としてはやはり質素に見えます。でもこのくらいのほうが夏は涼しげな気もするので、過ごしやすかったんじゃないかな、と。


沼津御用邸記念公園はもっと広いんですが、今日のところは西付属邸の周りだけ見て帰ることにします。
御用邸停留所から伊豆箱根バス日デスペースランナーRM+富士8E (#237) 沼78沼津駅に乗って沼津駅へ。


沼津駅に入場します。レアな313系2350番台 (W2) がいましたよ~。


東海道線に乗っておうちに帰りましたとさ。おしまい。



 
 
 

日帰り伊豆半島の根本観光 中編【2018/9/17】

2023-06-27 21:44:38 | 鉄道撮影記
伊豆箱根鉄道修善寺駅に着きました。
3000系の一般塗装(3504F)と軌道線復刻塗装(3501F)が並んでいました。


ここまで運んできてくれた185系特急「踊り子」。


前回来た時も感じましたが、修善寺駅はいつの間に建て替えられていてきれいになっていました。
改札前の通路には蒸気機関車の置物が置かれています。ラブライブ!のコンサート「ラブライブ!サンシャイン!! Aqours 2nd LoveLive! HAPPY PARTY TRAIN TOUR」 で使用された大道具とのこと。由緒ある物なのです。一定期間置かれていましたが、執筆時時点では撤去されています。


知らない鉄道むすめですね、と思ったらこの人は温泉むすめの修善寺透子でした。温泉むすめのパネルと邂逅するのはこの時が初めてとなるのです。


駅前に停まっている路線バス観察です。


伊豆箱根バス日野・レインボーHR (#259)。前照灯ケースが上下逆に付いていると思いますけど、詳細不明。


伊豆箱根バス日野・レインボーII (#248) 修10修善寺温泉(右)。


新東海バスいすゞ・エルガミオLR234 (#954) C33虹の郷。自転車ラック付きです。


壮観です。


新東海バス日野・レインボーRJ (#783) C52昭和の森。


タクシーです。左から伊豆箱根タクシートヨタ・JPNタクシー(白タクじゃないよ)、寺山自動車トヨタ・クラウンコンフォート、伊豆箱根タクシートヨタ・ヴェルファイアです。3台とも上級車っぽい見た目です。


修善寺駅で昼ごはんを食べます。駅構内の売店あるいは駅前の店舗で販売している「武士のあじ寿司」という駅弁です。
あじ寿司弁当は沼津駅や小田原駅のものが知名度が高いですが、品質の高さで言えばこれが一番だと思っています。大量生産はしていないようなので遅い時間に行くと売り切れていることもあります。今回は無事購入することができてよかったです。


アジは近海物を酢じめしたものです。締め方が軽いので弁当なのにまるで刺し身のような食感を得られます。なので弁当としては足が速いと思います。買ったらすぐ食べてしまいましょう。アジとシャリの間には松崎の桜の葉漬が挟まっていて、わさびももちろん地場産です。
駅前の店舗で購入すると店内飲食できます。涼しい店内で落ち着いて食べることができました。この弁当はおすすめなので、近くに行ったら立ち寄ってみてください。


修善寺から駿豆線に乗って三島方面へ戻ります。乗るのはどうやら7000系(7502F)です。


ホーム上にある洗面台もいまや貴重なアイテムです。


伊豆長岡駅で下車しました。駅前のバス留置場にはラブライブ!のバスが停まっていました。伊豆箱根バス日デ・スペースランナーRM+西工96MC B-I (#260)。ホイールを広告に合わせて水色に塗ってあるのがポイントですね。


駅舎は窓に貼られていたAqoursの絵がアレだナニだと言われて差し替えられた後の撮影です。


伊豆長岡駅からは伊豆箱根バスに乗り換えます。日デ・スペースランナーRM+富士8E (#145) 沼72沼津駅です。これに乗ると乗換無しで沼津駅へ直行できるのです。


この系統は途中伊豆長岡温泉を経由します。伊豆長岡駅と温泉街の間は歩いていくにはちょっと離れているんで、バスで行くのが最適です。温泉街には「温泉駅」という自動車駅も立地するのが興味深いです。
温泉街周辺の道路は路線バスが通るには十分な広さとは言えない道幅が続き、運転手の腕の見せ所です。


長岡温泉を抜けると狩野川放水路に沿って走り、沼津市の江浦湾へ出ます。そこからは海沿いで車窓の良い国道414号線を北上します。


御用邸停留所で下車します。旧沼津御用邸記念公園まで歩いていって、ここを見学していきます。

というところで今日はここまで。


後編へ→


 
 
 

【1/24】戦国の三四郎 組頭と足軽【ギャラリー】

2023-06-24 23:09:00 | 模型ギャラリー
キット:戦国の三四郎 `組頭` (黒) 2体入 、戦国の三四郎 `足軽` (黒) 2体入(スヤタ)
スヤタという中国のプラモデルメーカーが出したキットを作りました。正直怪しいキットで怖いもの見たさで買って作った部分はあります。



成形品はまだ未熟な部分もありますが、関節が可動するので好きな姿勢で飾ることができます。また、リアル系というより人形にデフォルメしたようなアイコニックな侍の造形が魅力に感じます。


組頭1人、足軽2人の構成でいわゆる小隊編成を組んでビネットにしています。





武器は大太刀、小太刀、槍、火縄銃が付属しています。好きな武器を持たせましょう。


組頭は鎧が立派です。


足軽はそれっぽい格好をしています。火縄銃は熟練しなくても扱える武器なので、足軽向けといえるかもしれません。


リーチが長いので便利そうな槍を持つ足軽です。


簡単なものですが地面を作っています。こんなものでも雰囲気が出るので、作ってよかったですね。





以上、戦国の三四郎でした。



【スヤタ】1/24 戦国の三四郎・組頭・足軽【プラモデル製作】

2023-06-23 21:49:36 | スケール模型製作記
今日は色物というか変わり種というか、スヤタという中国の新興プラモメーカーが世に送り出したキットを作ります。
「戦国の三四郎」というシリーズの組頭と足軽のプラモデルです。中国のメーカーが日本の侍のプラモデルを?そもそも侍のプラモデルが珍しいです。日本市場を念頭に置いたプラモデルなんでしょうか。箱絵も時代的なイラストが彩られています。怖いもの見たさで買いましたが、パッケージを見ただけでわくわくしてきます。
キットは組頭と足軽の2種類があり、それぞれ2体入りです。後々、国衆や大名なども出てくるのかなと期待していましたが、今のところ侍はこれだけです。


パッケージの注意書きには怪しい日本語。最近はもうわざとやっていても驚かないですが。


これは足軽の成形品です。着色済み、圧着式組み立てです。しかも関節は可動します。
肌色は人形の素体で、組頭・足軽共通です。武器のランナーも共通です。
黒で成形された甲冑は組頭と足軽で差別化されています。組頭の方が豪華な甲冑です。また、黒の他に赤で成形された製品もあります。赤の侍だと赤備えのようで強そうですね。


人形は全部で4体いる計算になりますが、3体だけ使って残り1体は他の作品で使えるように温存しておきます。
さてまずは顔面から作ります。肌色は成型色を活かして無塗装として、目や口などの各パーツを塗ります。目には隈取で黒目無し、麻呂眉でケレン味を付ける方向で進めます。加えて組頭は隈取を増やしていて、階級の違いを表します。


人形の素体が完成しました。肌色以外は適宜塗装しています。
関節の可動範囲はまあまあ標準的です。各部に開いている角穴は甲冑を着けるためのものです。
接着剤不要の圧着式の組み立てですが、圧着の嵌合は中の下というかんじ。まだまだです。
人形がむくむくと出来上がっていくさまは作っていて楽しいものでした。


甲冑は艶出しのために塗装しました。3体分塗るのでまあまあ大変。


足軽に甲冑を着けるとこんな感じ。手には槍、刀、火縄銃など各種武器を持たせることができますが、確実に保持させるには接着剤が必要です。
人形はこれで完成とします。


人形だけ作っても持て余してしまうので、地面もこしらえてちょっとしたビネットにしてしまいましょう。
ホームセンターで買ってきた木の幹の輪切りを台座にします。これは輪切りを皮付きのまま商品として売っているものです。円形や矩形に整形されていないので、切ったまんまの素朴な味わいが好きです。
この台座に地面を作ります。タミヤの情景テクスチャーを塗り、その上にシーナリーパウダーを振りかけます。


シーナリーパウダーを固定させるためにボンド水を掛けます。ボンド水は木工ボンドを水で溶かしたものです。


シーナリーパウダーにボンド水をそのまま滴下してもシーナリーパウダーがダマになってしまい汚くなってしまいます。なので、事前に水を霧吹きで噴霧してシーナリーパウダーを湿らせます。そしたらボンド水を滴下するとうまく定着します。


ボンド水乾燥後はこうなります。


ちょっとさみしいので、情景テクスチャーの草とコースターフを盛り付けて草地にします。地面はこれで完成とします。


人形に武器を持たせます。足軽にはそれぞれ火縄銃と槍を与えました。


組頭には大太刀を与えます。前述の通り武器は接着剤で固定しています。
そして人形の足を接着剤で固定すれば完成です。


組頭と彼を護衛する臣下の足軽という設定です。さながら戦国時代の合戦場の雰囲気なのです。


スヤタは新興メーカーらしく着眼点が面白く、刺さる時は深く刺さるキットを出してきます。やりたいことに対してまだ技術が追いついていない感はしますが、伸びしろの多いメーカーだと思います。最近はあまり見かけないですが、今後も刺さるプラモデルの開発に期待しています。

完成品はギャラリーにて。

<使用塗料>
上着:N21グランプリホワイト
下着:N85セールカラー
髪:N12つや消しブラック
顔隈取:H13つや消しレッド
甲冑:N55ミッドナイトブルー
甲冑紐:N56ミディアムブルー
スネ:N84マホガニー
草履:H59サンドイエロー
火縄銃:N47レッドブラウン
火縄銃:N18黒鉄色
大太刀・槍:N8シルバー
地面土:情景テクスチャー・土ダークアース
地面草:情景テクスチャー・草カーキ

 
 
 

日帰り伊豆半島の根本観光 前編【2018/9/17】

2023-06-19 23:09:00 | 鉄道撮影記
2018年9月17日。
なんとなく沼津や修善寺の方で休みを過ごしたく思い、電車で出かけてきました。
静岡駅ホームには東京方面への移動でおなじみの373系(F6)「ホームライナー沼津」2号が発車直前です。沼津方面へ行くのでこれに乗るのもありですが、今回はパスします。


普通列車で沼津駅まで来ました。ここで一旦下車します。


沼津駅から路線バスに乗り換えます。伊豆箱根バスふそう・エアロミディ(#2514)沼13沼津港循環に乗って沼津港へ行きます。


沼津市の観光地、沼津港へ来ました。実は今まで行ったことがなかったのです。写真の船は観光船「ちどり」です。


沼津港のランドマーク、大型水門「びゅうお」です。大地震が起きた時に発生する津波から港内を保護するための災害対策施設です。平時は水門の上に建てられている展望台から沼津市を眺めることのできる施設です。



本体の水門です。孔が多数空いていますが、水抜き用でしょうか。



港にいる鳥類といえばかもめが定番ですが、いるのは鳩ばかりでした。


沼津港に来たはいいものの今はまだ9時台で観光施設は開いていません。ここは観光地化されているのでこういう中途半端な時間に来るとちょっと困ってしまいます。
次に行きたいところもありますし、観光地巡りはまた今度にしましょうか。


行きの時と同じエアロミディに乗って沼津駅へ戻ります。よく見たらこのバスは神奈中古でした。


沼津駅から東海道線で三島駅まで移動し、伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り換えます。


3000系(3506F)「HAPPY PARTY TRAIN」が停車していました。ラブライブ!サンシャイン!!の電車ですね。こちら側の車体側面は一通り撮影記録しておきました。


駿豆線の大場駅で降りました。このあたりの撮影地で電車の撮影をします。
移動中に185系0番台(C1)特急「踊り子」3号修善寺行を目撃しました。185系も引退の足音が聞こえてきた時期なので、見かけたら記録です。


3000系(3503F)三島行。


7000系(7502F)修善寺行。この頃からか前面が金色に塗られて側面の青帯も色が暗くなりました。なにかあったんでしたっけ。


5000系(3504F)修善寺行。


3000系(3501F)三島行。今日の目当てのひとつです。通常と異なる緑とクリームの2色に塗られています。これは、1963(昭和38)年2月まで運行されていた伊豆箱根鉄道の軌道線(三島~沼津)に塗られていた塗装を復刻したものです。色と塗り方から案の定江ノ電みたいだと言われています。


1300系(2201F)三島行。西武鉄道の中古電車で、西武線時代の塗装を復刻した「イエローパラダイストレイン」の名前で運行しています。


3000系(3504F)修善寺行。


3000系(3506F)「HAPPY PARTY TRAIN」三島行。めぼしい電車は一通り撮影できましたので、これで撤収します。


大場駅へ移動中に撮影した7000系(7502F)三島行。


修善寺方面へ移動しますが、ちょうどやってきたのが特急「踊り子」9号なのでした。185系0番台(C3)です。
せっかくなので乗ってしまいましょう。特急列車ですが駿豆線内は特急料金不要で、実質的な快速列車となっています。この扱いも後の185系撤退で無くなってしまいましたが。


終点の修善寺駅まで乗ったので、下車前に車内の写真を撮影しておきます。


修善寺駅に到着したところで今日はここまで。



静鉄電車まつり2018へ行く【2018/9/16】

2023-06-18 21:58:49 | 鉄道撮影記
2018年9月16日。
この日は午前中に用事がありましたが午後は暇なので、静岡鉄道の長沼駅併設の長沼工場で9月15日~16日に開催された「静鉄電車まつり」へ行ってきました。


1000系1011Fのちびまる子ちゃん列車です。今日はちょっと装いが違いますがそれは後ほど。


いつも通りの人だかりです。


乗車体験車両はちびまる子ちゃん列車でした。「さくらももこさん ありがとう 寄せ書きコーナー」という立て看板に注目。この日のひと月ほど前にちびまる子ちゃんの原作者さくらももこ氏が亡くなりました。これは静鉄からの追悼行事のひとつなのです。
ちびまる子ちゃん列車を運行していることもそうですし、原作やTVアニメにも当時の静鉄電車がカットインしていますので、縁があったわけです。


また、前面に掲出されているヘッドマークが、9月15日~10月14日の期間限定でさくらももこ氏を追悼する物に交換されました。


正面からです。電車に遺影を乗せて追悼されるというと五島慶太を思い浮かべました。


退役した1003Fが連結位置を変えて留置されていました。


1008Fです。これも次の全般検査までに退役・・・と思いきやもう一度検査を通して2023年になっても現役に留まっています。1000系の他社譲渡に伴って退役計画に変更があった影響だと予想していますが、真相は分かりません。


車庫の建屋です。これも2023年になって知った情報ですが、建屋は元々旧海軍の藤枝航空基地(現・航空自衛隊静浜基地)から移築してきた物ということです。知らなかったなぁ。


電車まつりは1時間くらいで回りきったので撤収。ついでなので電車の撮影に興じます。
1000系1007F。300系復刻塗装です。


1000系1012F。午後の紅茶です。上田電鉄みたいで好きなやつです。


1000系1009F。同年に静岡市で公演のあった劇団四季のオペラ座の怪人の広告です。


1000系1005F。裾のオレンジ帯だけ残された中途半端な形態です。


静岡駅へ移動しました。今度はしずてつジャストラインの路線バスを撮影します。
いすゞ・エルガLV290(鳥坂859)#60-1南沼上団地。銀バス塗装です。


いすゞ・エルガLV234系(小鹿783)#20登呂コープタウン。


日野・セレガ(相良760)#101相良営業所。


いすゞ・エルガミオLR290(唐瀬890)#76唐瀬営業所。銀バス塗装です。


いすゞ・エルガLV290(唐瀬918)#77唐瀬営業所。新通常塗装です。


いすゞ・キュービック+富士・7E(鳥坂2469)#61瀬名新田。旧塗装です。


日デ・スペースランナーUA+西工・96MC B-II(丸子382)#136きゅうのお(久能尾)。


日野・ブリーリボンシティ(小鹿368)#70県立総合病院。


ふそう・エアロスターMP38(鳥坂844)新静岡BT。


ふそう・ローザ(丸子29・家康公)駿府浪漫バス。

というところで今日はここまで。



 
 
 

【1/32】マツダ・KPDA キャロル 1962年式【ギャラリー】

2023-06-14 06:51:00 | 模型ギャラリー
キット:1/32 オーナーズクラブ#8 `62 マツダ キャロル(マイクロエース)

広島県福山市にある福山自動車時計博物館を見学した時にこのキャロルを気に入ったのですが、そのプラモデルがあると知っちゃ作りたくなるでしょう、モデラーとして。
昔の金型のキットなので簡単に作れるという訳にはいかないですが、ありがちな言葉で言えば味のある内容です。


1/32で昔の軽自動車規格の車なのでとても小さくて可愛らしいです。この大きさながら見た目はセダンっぽいのでとても寸詰まりに見えるのも良いかと。


こう見えてRR配置なのでフロントのボンネットは補機類が入っているに過ぎません。



キャビンの後端がばっさりと切られたクリフカットというスタイルが特徴的です。これによって後席の天井高さの確保とリアエンジンフードの開口面積確保を両立しています。フォード・アングリアを参考にしているとも言われています。
クリフカットによって完全な4人乗りを達成できました。1962(昭和38)年登場時は2ドアセダンのラインナップでしたが後にこの作品のような4ドアセダンも加わりました。
先行するスバル・360としのぎを削りましたが、1967(昭和42)ホンダ・N360が登場すると競争から脱落してしまい、1970(昭和45)年に生産終了となりました。後の1990年代に名前が復活しますがこれはスズキ車のOEMという形になっています。


クリフカットがかっこいいのです。


ホイールの造形がやけに精密な印象です。


以上、マツダ・キャロルでした。



【1/32】ホンダ・T360 1962年式【ギャラリー】

2023-06-13 06:03:34 | 模型ギャラリー

キット:オーナーズクラブ#46 `63 ホンダT360 幌付(マイクロエース)

広島県福山市にある福山自動車時計博物館を見学した時にこのT360を気に入ったのですが、そのプラモデルがあると知っちゃ作りたくなるでしょう、モデラーとして。
昔の金型のキットなので簡単に作れるという訳にはいかないですが、ありがちな言葉で言えば味のある内容です。


おそらく細かい点を挙げれば修正箇所はたくさん出てくるでしょうが、オーナーズクラブはそーいうのを気にしないでゆるく楽しむキットだと考えています。なのでこれもいつも通り素組です。唯一、ボディ色だけは博物館で見た個体に合わせるように心がけました。このくすんだ水色はホンダの軽トラや軽バンらしい色なので、気に入っています。色も調合する必要がありましたが、うまいこと出せたと思います。





正面から見ると愛嬌を感じます。日本で始めてDOHCエンジンを搭載した車両として知られています。かつ、ホンダで初めての四輪車です。派手なスポーツカーではなく実用的で販売でも有利に働くだろう商用車に目をつけたのはさすがですかねえ。


正しく軽トラだという佇まいです。


バタは後方にしかありません。そこらへんの機能面はまだ未成熟だったんですな。


幌を外した状態。軽トラ感が増しました。


荷台は完全な平面ではありません。


以上、ホンダ・T360でした。



 
 
 

【マイクロエース】1/32 ホンダ・T360、マツダ・キャロル【プラモデル製作】

2023-06-11 21:56:34 | スケール模型製作記
今回はマイクロエースのホンダ・T360 '63年式とマツダ・キャロル'62年式のプラモデルを作ります。
広島県福山市の福山自動車時計博物館を訪れた際に気に入った自動車のプラモデルを作ろうと思った次第です。前にもトヨタ・クラウンとマツダ・T2000を作りました。
キットはマイクロエースの1/32オーナーズクラブシリーズの物です。年代物の金型で生産しているので部品のあちこちがくたびれていますが、昭和中期の名車を安価に味わえるプラモデルとして支持を集めています。
この2台を今回いっぺんに作ったので、記事もひとまとめにしてご紹介します。


まずはT360から作ります。いわゆる軽トラですね。ホンダ初の四輪車として名を残す自動車でもあります。
ボディはキャブから荷台まで一体化された状態で成形されています。楽でいいですね。成形品は黄緑色をしていますが、博物館で見た水色で完成させたいところです。そこでまずはグレーサフを塗って黄緑色を覆い隠します。グレーサフで塗った方が水色を上塗りした時に黄緑色が滲み出てこない・・・はず。


ボディを水色で塗りました。ただ水色にすれば良いものでもなく、若干くすんだ色味にする必要があります。これの調整が一苦労です。
こういう微妙な中間色を調色する時は、ガンプラの組立図にある塗装ガイドをよく参考にしています。あれにはこれだという中間色のレシピがよく載っています。どのモビルスーツを参考にしたのかはもう忘れてしまいましたが、カラーレシピは記事の一番下に記載してあるので、ご確認ください。
塗装は水性ホビーカラーを使ったのでよく乾燥させる必要があります。気長に乾かします。



シャーシはよく考えずに黒で塗りました。
ホイールの裏側は工数省略のために無塗装にしましたが、軽トラは車高が高いので低い位置で見ると黄緑色のホイールが裏側から見えてしまいました。みんなは手抜きするなよ。


内装はこんなところでしょう。


キットには幌も付いてきます。せっかくなので塗って使いましょう。ゼロ戦のコックピット色で塗ると丁度よい色合いになると思います。


細かい色差し、スミイレ、デカール貼りまで終えました。ボンネットのHマークは白に塗られている場合が一般的のようですが、博物館の個体はボディ色で塗られていたのでそのようにしました。塗り分けも楽ですしね・・・。


風防はじめ細かい部品を組み付けた状態。正しく軽トラの姿をしておられます。


ボディとシャーシをくっつけて、荷台に幌を乗せれば閑静です。
ホンダの商用車といえばくすんだ水色のイメージがありますので、この色で完成できたことは良かったです。


幌を外せばこのように。荷台に何か乗せるのも楽しいかもしれませんね。




次はキャロルを作ります。シャーシとフロアはボディ色で塗ります。座席は手持ちの中から適当な灰色で塗りました。


ボディ色はエアクラフトグレーで塗りました。これも博物館の個体と同じ色です。自動車に塗るとなかなか渋い色ですな。


バンパーやウィンカーを塗りました。


以前作ったクラウンやT2000は、タイヤが経年で割れてしまいました。はっきりした原因はわからないですが、ホイールを塗装した際にできた塗膜がタイヤに負荷をかけた可能性も無きにしろあらず。なので今回の製作ではホイールの踏面には極力塗料を乗せないように作りました。その甲斐あってかキャロルとT360のタイヤはまだ破断していません。


窓枠のメッキモールはハセガワのフィニッシュシートを貼り付けましたが、だらしなくなってしまいました。ガンダムマーカーで塗った方がよかったかもですねー。
キャロルの風防は、ドアのガラスが再現されていません。昔のカーモデルでは間々見られる物です。たぶん抜け勾配を確保できなかったからだと思います。


キャロルの特徴的なクリフカット。リアウィンドウを垂直に立てることにより後部座席の天井高さとエンジンフード開口部の空間を確保したものです。これによって完全な4人乗りを達成できたのです。
このクリフカットのスタイリングが博物館で見てみて気に入ったので、プラモデルでも作ったわけです。


60年代の日本車は独創的な工夫やスタイリングが垣間見えるのでプラモデルで作っても面白いものです。博物館シリーズはこれで一段落ですが、オーナーズクラブはこれ以外にも興味深い車種がたくさんあるので、また折を見つけて作ってみたいと思っています。

完成品はギャラリーにて。


<ホンダ・T360 使用塗料>
ボディ:H21グランプリホワイト(7):H15インディブルー(1):H35コバルトブルー(1):H67RLMライトブルー(1)
幌:XF-71コックピット色(日本海軍)
シャーシ:LP3フラットブラック
ホイール:LP38フラットアルミ
座席:H83軍艦色2
バンパー下塗:H8シルバー
バンパー上塗:MC211クロームシルバー
ミラー、ワイパー:C8シルバー
ウィンカー:N92クリアオレンジ

<マツダ・キャロル 使用塗料>
ボディ:H57エアクラフトグレー
ホイール:LP38フラットアルミ
ハンドル:LP3フラットブラック
座席:H42ブルーグレー
バンパー下塗:H8シルバー
バンパー上塗:MC211クロームシルバー
ミラー、ワイパー:C8シルバー
ウィンカー:N92クリアオレンジ



 
 
 

ぶらり帝都散歩 最終回【2018/9/1~2】

2023-06-10 21:56:11 | 鉄道撮影記
所沢航空発祥記念館の続きです。
これはニューポール81E2という複葉機のレプリカです。1915(大正4)年に初飛行した同社の12型という戦闘機を非武装にして複座型にした物が81E2型です。
1919(大正8)年にフランスからの航空教育団が来日して日本陸軍に飛行機の操縦を教育する際に持ち込んだ機材です。日本でも甲式一型練習機としてライセンス生産されました。それが払い下げられたのか分かりませんが埼玉県の民間飛行士岩田正夫が愛機としていました。しかし、1926(大正15)年に機体を着陸させる時に破損させてしまいました。再起不能だったのか、そのまま慈光寺という場所に寄贈して保管されていました。70年後当館へ収蔵されることになりますが保管中に腐食してしまい、機体の骨組みの一部が残るだけです。


そんなわけで、レプリカを使って復元されることになりました。機体の原型は一部だけですし、他の81E2型の現存機は存在せず、これの原型になった12型もカナダに1機が残るのみです。復元に際した考証は大変苦労されたことと思います。





この飛行機の胴体だけがガラスケースに収まっている物は、中島九一式戦闘機二型です。戦前の日本の航空機開発は外国機の模倣から始まり、ライセンス生産を通して技術のノウハウを蓄え、外国から招いた技師の指導を仰ぐ中で国産機の開発と生産へ向けて自立していくわけですが、九一式戦闘機は外国の模倣から国産化への過渡期に開発された戦闘機です。

この収蔵品の特徴として、機体は不完全な状態ながらあえて復元せずに現状のまま展示されています。塗装、機体番号、工法、材料など当時を示す情報はもちろんのこと、これを製作した人や実際に使用した人たちの痕跡が多く残されているためです。
いたずらに復元するよりもこちらの方が資料的価値は断然高いのです。ましてや九一式戦闘機の現存機はこれだけなのです。現状で保存するのは当然の帰結と言えるでしょう。良い判断をされたと思います。



胴体はアルミ合金の応力外皮構造ですが、垂直尾翼は鋼板の骨格に羽布張りです。劣化が進んでいるのでかえって材料の違いがわかりやすくなっています。
劣化していると言っても長年倉庫内で保管されていたので年月の割には状態は極めて良好です。さっきのニューポールとは結果に開きがありますが、そこはやはり木製と金属製の差なんでしょうか。


何かしらの部品です。これも状態良いですよね。


二階の展示を見物しましたが、見るべきものは少なく感じたのでぶら下がっている飛行機をもう一度眺めることにします。館内の展示物は色々な意味で古くなってきていて、これを更新することが当館リニューアルの理由の一つになっています。

写真はパイパーL-21スーパーカブです。


HU-1Bです。これの型式は後にUH-1となるんですが、当館では初期に呼ばれていたHU-1で紹介されています。


T-34メンターです。


陸上自衛隊の固定翼機は珍しいです。まだ陸上自衛隊でも固定翼機を使っていた時代の機体ということだと思います。しらんけど。


入り口にぶら下げられていた会式一号機のレプリカです。会式一号というのは略称で、正式名は「臨時軍用気球研究会式一号機 」です。あるいは「徳川式」とも呼ばれていました。
1910(明治43)年日本で初めて飛行したフランス製のアンリ・ファルマンを模倣して設計されました。ただし独自の改良が加えられています。1911(明治44)年に徳川好敏大尉が所沢飛行場格納庫内で設計して製造した飛行機です。同年10月13日に徳川大尉の操縦で所沢飛行場で初飛行しました。


これの原型になったアンリ・ファルマンは、航空機史上初めて主翼に補助翼を装備した航空機として知られています。この操縦方式は以降の航空機の標準となり当然現代でも採用され続けているのです。

というところで所沢航空発祥記念館は以上です。前回来たときよりも飛行機の知識が増えていたので、当時よりも楽しめて回ることができました。またリニューアル工事が完了したら訪ねるかも知れません。


航空公園駅へ戻ります。途中で見かけた所沢市のマンホール蓋。会式一号とゆるキャラ「トコろん」と市の木イチョウが印刷されています。


航空公園駅で昼ごはんと食べたら、午後は所沢市電気鉄道(現在は閉業)に集合してNゲージ運転会に参加してきました。今回のお出かけ一番の目的です。
運転会の様子は省略しますが、北米型縛りの運転会で今まで集めてきた模型を存分に走らせることができました。


運転会を終えたら帰りのこともあるので直帰しました。
品川駅の新幹線乗り換え待ちで立ち食いの魚がし鮨で夕飯を食べていました。ここも今は閉業してしまい残念でした。

というところでおしまいです。