黒鉄重工

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ビクトリアのバスとアザラシ 後編【2016/3/26】

2020-04-29 20:48:38 | バス・航空機撮影記
前編から時間が少し前後して、オグデンポイントからエンプレスホテルへ移動する間の出来事。フィッシャーマンズ・ワーフというところに寄ってみると、いつもの通りアザラシが遊弋していたのでちょっと寄っていくことに。


・・・よく見てみるとカワウソも紛れていました。


フィッシャーマンズ・ワーフに現れるアザラシは、人間があげる魚が目当てで現れます。完全に餌付けされてるわけなんですけど、動物愛好家的には問題にならんのかと。


アザラシには明るくないので、なんのアザラシなのかは分かりませぬ。


アザラシも別に人間どもに愛想を振りまくために来ているわけではないので、あまりアザラシを見てばかりで魚をくれないとヒレで水面を叩いて魚を催促してきます。アザラシだって日々食うのに必死ですが、何様だ。


しかしアザラシの愛くるしい姿に胸キュンされた人間は、ホイホイ売店で売っている魚をあげてしまうのだ。この売店はなかなか美味しい商売をしていますね。


アザラシも調子に乗ってクレクレ攻撃を繰り返します。売店で売っている魚は1皿数匹乗っていますから、その分の食い扶持は確保できるわけだ。


このアザラシは積極的に仕掛けてきます。


なんだカワウソ君、キミも欲しいのか。しかしキミはアザラシほど可愛くないし、横取りしようと喧嘩しても負けてしまうので難しいと思うぞ。だからと言ってそんな目で見るな。


しかしながらカワウソを見るのは珍しいので、もっぱらこっちを撮影します。ていうかカワウソ君は海も泳げるんだね。


1匹くらいはアザラシのおこぼれに預かれてましたかね。よかったね。


ビクトリアの湾内を航行する水上タクシー。タクシーと言いつつ決まった航路しか移動できないんですけどね。


弊ブログではおなじみ、水上機専門の航空会社ハーバーエアのDHC-3Tオッター (C-FHAX)。


ウェストコーストエアのDHC-6ツインオッター (C-FGQH)。これはとても好きな飛行機。


フェアモントエンプレスホテルは外壁の整備中で足場が組まれている残念な感じでした。足場の覆いを外壁に合わせているのは良いと思います。


ビクトリア・ハーバー空港の新しいターミナルビル。もうすぐ竣工というところです。
これでこの日はおしまい。




2016年4月1日。
おまけです。この日は近所のスワン湖を一周しながら野鳥撮影をしてきました。ただし、おまけで収まる程度の収穫しかありませんでした。
これはミミヒメウ (Double-crested Cormorant )。青い瞳とオレンジのクチバシが獰猛な印象を与える鵜です。結構好き。


これはただのカモ。スワン湖は以上。


遠回りしながらお家に帰っていったら途中でスクールバスの車庫を発見。そこに珍し目のバスがいました。
これはThomas Built BusのConventional。シャーシが1984~1991年製のGMC B-Series(2代目)でした。このシャーシのバスは初めて見ました。いるものですね。


その隣りにいるのも1993~2003年製のB-Series(3代目)シャーシのバス。これはBlue Birdというコーチビルダーのバス (Conventional)です。


これもやや珍しめか。IC BusのBE-Seriesですね。B型と呼ばれる大きさのスクールバスで、フルサイズの大きさのC型の短尺型といえるものです。近年では小型バスのA型で代替できるからか、減少傾向にあるようです。見かけたらラッキーと思って良いと思います。

というところでおまけもおしまい。

ビクトリアのバスとアザラシ 前編【2016/3/26】

2020-04-28 22:48:59 | バス・航空機撮影記
2016年3月26日。
今日はまずビクトリアのダウンタウン南にある高速バスの発着場いわゆるバスディーポへ。ここのバスディーポからはグレイハウンドのバンクーバー島内路線、それとビクトリアとバンクーバーをフェリー経由で結ぶパシフィックコーチが発着しているんですが、なんだか今日はいつもと違うバスがいますね。
これはPrevost H3-45(2代目)。


ウィルソン交通 (Wilson's Transportation)のBCフェリー・コネクターというバスが停まっていました。名前的にパシフィックコーチの路線とモロ被りするんですがどういうこっちゃ・・・、と思い家に帰ってから調べましたら、パシフィックコーチはこの路線から撤退してしまったのでした。
貸切バス事業を本業とするウィルソン交通がこの事業を引き継いで運行しているということです。これはまた走っているところも押さえておこう。
これはPrevost H3-45(初代)。

わかりやすいド直球な路線名。ビクトリア~バンクーバー線は途中フェリーに乗って移動します。乗客はバスに乗ったままフェリーに乗船して、航行中はフェリー車内で過ごし、着岸前にまたバスに乗って着岸したらそのままバスごと下船してバンクーバーまで向かうというもの。

余談ですが、パシフィックコーチは他にバンクーバー~ウィスラー線とバンクーバー空港~ウィスラー線を運行していました。が、2018年3月末で倒産してしまいました。そこでこのうちバンクーバー~ウィスラー線を引き継ぎました。
さらに、高速バス最大手のグレイハウンド・カナダが2018年5月にBC州内の全路線を廃止して撤退してしまいました。そこでそのうちバンクーバー~ケロウナ線、バンクーバー~シアトル線を引き継ぎました。
・・・という風に、倒産や撤退で運行停止になった路線の受け皿として拡大を続けるウィルソン交通なのでした。


次に、クルーズ船の発着港であるオグデンポイントへ。ここにはCVS観光 (CVS Sightseeing) の観光バスが待機しています。


Prevost H3-45(3代目)。


今日は後ろも載せます。


MCI D4500CT。


後ろ。こっちの観光バスは基本的に窓無しです。まあ機能的には無用なモノですし。
グリルの内側には冷房装置が入っていると思われ。


Prevost H3-45(2代目)。


AD Enviro 500。2階建ての観光バスですね。これと全く同型の車両が路線バスのBCトランジットで走っているので、ただこれに乗りたい場合はBCトランジットの方が値段が安いぞ。


前照灯の隈取。


CVSのバス共。中央のバスが傾いているのはバネが死んでいるとかではなくて、車高を下げるニーリング機構を付けっぱなしにしているからだと思います。


Prevost H3-45(3代目)。


後ろ。


最後に帰り際にフェアモントホテル前で見かけたCVSの観光用Enviro 500 GO Anywhereをば。GO Anywhereは今見たオレンジの車両のマイナーチェンジ型で、初期型と比較して低車高長尺仕様となっています。
この車両はメーカーのデモカーを去年購入したもので、塗装も銀色のデモカーのままでしたが、今年になって白塗装に観光名所ブッチャートガーデンのラッピングがされていました。こっちの方がいいね。



後ろ。デモカーの名残なのか、路線バスで使う系統番号表示器が残っていますね。

今日はここまで。アザラシは後編で。



東北project~Trains' last tour. その6【2017/10/7~8】

2020-04-27 05:53:23 | 旅行・イベント記

17時頃、山交バスはJR山形駅に到着。ここで降ります。



さすがは県庁所在地の駅なので大きいです。



べにちゃんバスの日野ポンチョ。市内循環バスですか。
西廻りと東廻りの2系統がありますが、車体にデカデカと西と書いているということは車両ごとに運用が明確に分けられているということですかね。



山交バスの日野レインボーRJ。ハイビームの積極活用。



日デスペースランナー+西工96MC。



山形駅構内に進入。
左沢線用のキハ101形普通左沢行をば。左沢線は朝夕の通学時間帯にはいつもこんな具合の4両編成が、最長では6両編成が行き交っているんですが、なんでそんな長くなっているのかは気になるところです。列車本数が少ないのか、沿線に学生が多いのか・・・。
ローカル線の気動車でこれだけ長い両数も最近では珍しいですから、腰を据えて撮影しに行きたいところです。



山形線の719系5000番台普通米沢行。



乗るのはこちら、17時59分発、仙山線のE721系1000番台快速仙台行。
仙山線は仙台市と山形市を2県の県庁所在地を1時間半弱で直に結んでいるので、一見ドル箱路線に見えます。が、実態は並行する高速バスにギッタギタのメッタメタにボコられていて、元気が無いです。おおよそ1時間に1往復しか走ってませぬ(仙台側は区間便あり)。
仙山線と高速バスの本数はそれぞれ18往復と80往復、運賃はそれぞれ1,170円と950円、所要時間はどちらもだいたい80分(仙山線は快速の場合)。まあ、そういうこと・・・。仙山線の強みは定時性くらいかしら。
バスに乗ってみるのも一興でしたが、長井からここまでのバスで1,500円くらい使っていたんで、ここは週末パスで乗れる仙山線で我慢。ところで仙山線は2010年に乗ったことがあるんですが、その時よりも本数が減っている・・・?



仙台駅に着きました。ところでこれ、719系を置き換えるため最近増殖している4両編成の1000番台なんですね。やけに赤帯が退色した電車だなぁ貼り替えてやれよと思いましたが、このピンク色で正解だそうです。



仙山線普通愛子行。「あやし」と入れてもグーグルさんは変換してくれなかったので「あいこ」と入力しました。キミ、これ変換できないんかい。
で、これは在来のE721系0番台。この赤帯の印象があるので1000番台のピンク帯は退色しているふうにしか見えんでしょ・・・。



キハE129・・・もといHB-E210系。初めて見たぞ。ただし今回乗りません。



701系とHB-E210系。


E721系500番台仙台空港行に乗ります。空港アクセス鉄道があるとか仙台空港強いよね。


仙台空港駅に着きました。


なんで乗りに来たかといえば鉄道むすめ杜みなせのスタンプがここにあるからなのでした。


なんやこいつらと思ったらウェイクアップガールズでした。しかし名前が書かれていないので誰だか分からん。分かる人にだけ分かれば良い仕様でしょう。
しかし仙台空港鉄道の制服はJR東日本の女性制服と大差ないのでは・・・?


すぐに折り返します。なお仙台空港鉄道は週末パス利用対象外です。
今思えば仙台空港にも一瞬でいいから顔を出せばよかったかも・・・。


乗ってきた電車で折り返します。


仙台駅に戻ってきました。これはE721系1000番台。そういえば719系を見ないけどもう仙台周辺は置き換え終わったのかしら(伏線)


1往復だけ走るという石巻線直通の仙石東北ライン女川行。
仙石東北ラインも、接続線を電化して交直流電車のE531系でも入れれば良かっただろうにと思っていましたが、非電化路線の石巻線に直通しようとするなら、ハイブリッド気動車のHB-E210系にも存在意義がありますね。


E721系と701系を撮影したら駅を出ます。


仙台市営地下鉄で勾当台公園駅まで乗ります。


実はもう21時を回っていますが飯がまだでしたので、駅を出た近くの一番町で食べることにしました。
10月に宮城県に来たので、そりゃ牡蠣を食べますね。生牡蠣、蒸し牡蠣、焼き牡蠣の3点セットだ!それと日本酒。うんめーぞ。


あとはご飯物で、いわゆる海鮮親子丼をば。
ちなみに店名は「ととびすと」という名前ですが、なんか閉めてしまったらしく、今はどうなっているのかちょっと分かりません。昼間のラーメンと言い、この日はこればっかりか。

ご飯を終えたらネカフェへインして今日の行動は終了。翌日へ続く。



東北project~Trains' last tour. その5【2017/10/7~8】

2020-04-24 23:06:30 | 旅行・イベント記
JR山形線(奥羽本線)に乗って高畠駅の1駅隣りの赤湯駅で下車します。2010年に山形鉄道に乗りに来たことがあって、それ以来になります。今回もそれに乗りに来ました。ログハウス風の駅舎は健在です。


駅舎は線路の東西にあって、ログハウス風の西口は山形鉄道の、東口はJRの管理になっています。
ちなみに今回使っている「週末パス」は山形鉄道も乗車可能なので追加料金無しです。

跨線橋は自由通路というわけではないです。通り抜けだけする時は便利な入場券を買ってね。
跨線橋には東北地方の鉄道むすめの等身大立ち絵がずらずら。


E3系2000番台「つばさ」181号山形行が到着したので撮影。山形鉄道の列車と接続します。


14時35分発の山形鉄道フラワー長井線に乗ります。車両はYR-880形です。
山形鉄道は御存知かと思いますが、国鉄の赤字ローカル線のひとつだった長井線を引き継いだ第三セクター鉄道です。


途中の今泉駅でJR米坂線の列車と接続します。E120形でした。
小国・坂町方面~山形方面への移動にはここで乗り継いだ方が、米沢経由よりも便利だそうで、接続が図られています。


山形鉄道の上り列車とも列車交換します。
今泉駅から先1.7km程は山形鉄道と米坂線が1本の線路を共用する珍しい区間です。逆に言えば方向の違う2路線が交わるので運行上制約が出やすい区間です。接続を取るのも大変そう。


長井駅に到着。山形鉄道で一番大きい駅ですね。


長井駅には山形鉄道の駅務係鮎貝りんご嬢の等身大ポップがおりました。彼女はもう、尻の一言です。販促・・・もとい反則。
で、この時期は鉄道むすめのスタンプラリーをやっていましたのでこれを押しに来たというのがありました。


スタンプラリーに合わせてミニスタンプとアクリルスタンドを抱き合わせた商品を売っていたので買いました。
これ、薄いけど面積のかさばるアクリルスタンドと小さいけど厚みのあるスタンプを悪魔合体させて1つの箱にぶち込んでパッケージしたので、箱が無駄にかさばるものになってしまいました。箱を開けてみると中は余白ばかりなんですね・・・。箱自体も結構かさばるので、電車で各地の鉄道むすめのスタンプを集めながら旅行しようと思うと、複数このグッズを抱えて旅行するにはかさばりすぎてイカンなと。
今回の旅行で複数箇所のスタンプを集めましたが、アクリルスタンドを買ったのはここだけにしました。かさばるので。はっきり言ってこのパッケージは旅行者本位ではないです。まあスタンプラリーはとっくに終わっていますがまだこの商品の在庫は各地で売られていると思いますよ。

コレの他にも山形鉄道独自のグッズ展開もしていました。かさばらなさでは最強のクリアファイルを買っていきました。迷った時はクリアファイルですよ。


長井駅の駅舎。改築されていますが基本的には1914(大正3)年に建てられた建物とされています。
ですが、後述の理由で2019年5月を最後に建て替え工事が始まり、今は跡形もありませぬ。


山形鉄道はここで乗り捨てて、市役所の方へ向けて歩いていきます。



ココス長井店です。前回、2010年に山形鉄道に乗りに来た時にここでお昼ごはんを食べました。健在でしたか。


いい感じの角の店舗。


長井市役所の庁舎です。1958(昭和33)年築なので、古い方から数えたほうが早そうな庁舎建造物です。これも割りかし好きですね。
しかしながら長井市役所庁舎はいま新庁舎の建設中で、これはいずれ取り壊されます。新庁舎は長井駅に建てられます。行政と交通拠点を一体化してしまおうという考えです。これによって長井駅の駅舎も建て替えられることになったのです。


長井市役所まで来たのは、このバスに乗るため。
山交バスの長井市役所発山形市役所行の路線バスです。車両は日野セレガの路線バス型。
山形鉄道の終点荒砥駅まで乗って折り返しているとちょっと時間が掛かりすぎるのでこれに乗って山形駅までショートカットします。荒砥駅から左沢線へ抜ける路線バスが昔はあってそれに乗れれば一番良かったんですけどね・・・。今はないです。


自分以外の乗客は1人だけだったので、最前列席を確保。
バスは国道287号線の脇道(旧道?)を走ります。幹線の脇道を通るのは路線バスっぽくて良いですな。


荒砥駅に到着。ちなみに再度山形鉄道に乗って荒砥駅からバスに乗ることも当然考えましたが、それではバスに間に合いませんでした。


荒砥駅からは国道348号線を走行します。小滝峠を越えるので山道です。


峠を越えて下り坂。

今日はここまで。



【ギャラリー】ロッキード・マーティンF-35AライトニングIIアメリカ空軍【1/72】

2020-04-22 21:07:33 | 模型ギャラリー
キット:1/72 F-35AライトニングII(アカデミー)
仕 様:アメリカ空軍第33戦闘航空団第58戦闘飛行隊(2012年エルギン空軍基地)

アメリカ軍の戦闘機F-35のA~C型とその原型機のX-35の1/72プラモデルを一通り作ってみようという自己企画。4機とも異なるメーカーのキットを選択するという縛りルールも設けました。
F-35Aは主にアメリカ空軍が使用する通常離着陸型で、海外への輸出も主にこれですから、日本や欧州の老舗メーカーから中国の新興メーカーまで各社がこぞって製品化する競争の激しい機種です。今時これだけ複数メーカーで題材が被るのも珍しいことです。
で、X-35はイタレリ、F-35Bはハセガワと既に決めていましたから、F-35Aはアカデミーのキットを選択しました。組み立てやすく武器も豊富にあるので遊びやすいキットだったように思えます。


キットにはパイロット人形が付属していますが、これはF-35Bに召し上げました。


キットは成形品である程度色分けがされていますしかし機体のギザギザ模様のRAM塗装は塗装で表現しなければなりません。多色成形で塗装不要を謳うならRAMのデカールを付けてくれてもよかったと思います。





胴体の兵器庫は開閉選択式です。ハセガワのキットは兵器庫の再現が無いですから、こっちは開いた状態を選びました。





以上ロッキード・マーティンF-35Aアメリカ空軍でした。

【1/72】F-35AライトニングII 製作【アカデミー】

2020-04-21 23:52:54 | 航空機模型製作記
F-35の各型式を一通り作ってみるというやつの第2弾はF-35Aを作ります。
A型は最も基本的な型式ですから採用国も多く、プラモデルでも色々なメーカーから題材被り上等な勢いで様々な製品が発売されています。
日本でならハセガワの製品が一番入手しやすいですが、各型式を作る上でメーカー被りを禁じる縛りを設けたのでハセガワ製は使いません。ハセガワはB型で温存しておいています。
なので今回は韓国のアカデミーのキットを選びました。


アカデミーのF-35Aは、MCP (Multi Color Parts) と称した実機に合わせた成形色で成形されているのが特徴です。ただし機体表面のギザギザしたパネルライン(RAMというらしい)や兵器庫カバーの裏側の白など細かい部分までは再現されていません。それと、接着剤は必要です。
せっかくなので基本色は成形色を活かしてしまい、成形色で再現されていない細かい部分塗装だけやって簡単に完成させてしまうことにします。


アカデミーのF-35は兵器庫が開閉選択式です。これもせっかくなので開状態で作ることにします。


その他のランナー。兵器庫、脚庫、空気取入口内側が白成形されているのは嬉しいところです。特に空気取入口の白はF-35製作の中で面倒な工程なので、これをすっ飛ばせるのはありがたいところです。車輪のタイヤとホイールが分割されているのも高得点だしパイロットが白成形なのも塗りやすくてアド。かゆいところに手が届くキットです。
武装も付属していて、AIM-9Xサイドワインダー、AIM-120Cアムラーム、GBU-38ジェイダム、GBU-31(V)3ジェイダムが付属。主翼下に吊り下げるためのパイロンも付いているので遊びの幅が広いです。良いです。


このキットの難題はRAMのマスキングです。塗り分け用の切り出し済みマスキングテープが無いのはいいとして、デカールが付いていないのは不親切。塗装しなくても楽しめるキットのはずなのに・・・。
というわけなので、マスキング地獄です。マスキングテープの細切りを無限に錬成してギザギザした彫刻に合わせて貼り付けていきます。マジできつい。
とてもやる気が続かないので合間に他のキットの製作を挟みながら少しずつ進めていきます。


1週間で上側のマスクが完了。


が、下側はどうにもやる気が起きなかったのでこっちが終わるまで1ヶ月掛かりました。まあそんなもんよ。

塗装した後テープを剥がしました。概ね成功しましたが、テープの隙間から漏れて表面に付着した塗料があちこちに・・・。これはカッターや溶剤を染み込ませた綿棒で除去していきます。溶剤での除去は、基本色を成形色で済ませているので可能な荒業でありますな。


山場はそこくらいなので、あとは他の部分塗装を済ませてバチーンと完成です。
あ、でも胴体の上下の貼り合わせは、仮組みをきちんとやって摺合せをしたほうがいいです。胴体内の部品が干渉して浮く部分が出てきます。
トップコートを吹いたら色味が変わってしまってううむ・・・という感じが。


部分塗装したのはRAM、コックピット一式、パイロット、兵器庫/主脚庫カバー裏、武装、エンジンノズル、主脚緩衝装置、風防です。何だか塗装工程あまり減っていないような・・・?
デカールは3種類から選択でき、私はアメリカ空軍第58戦闘飛行隊にしました。


兵器庫にはAIM-120CとGBU-38を選択。機外には積みませんでした。これだけだとF-16と比べるとなんだか心許ないなぁという気も。

というわけでアカデミーのF-35Aでした。胴体の摺合せは必要だと思いますが、基本的には組み立て良好です。意匠の正確さはよく知りませんが、よく出来ているんじゃないかなと思います。
昔のアカデミーは手癖の悪い会社でしたけど、最近開発されたキットは侮れないのだなぁと認識を改めました。このF-35が他社のコピー製品というのはあまり考えにくいですし。

では完成品はギャラリーにて。

<使用塗料>
胴体RAM塗装:C317グレーFS36231
兵器庫カバー裏:GX1クールホワイト
エンジンノズル:N18黒鉄色
タイヤ:N77タイヤブラック
風防:N95スモークグレー
 

再訪のBC航空博物館 最終回【2016/3/24】

2020-04-18 21:27:48 | バス・航空機撮影記
ウェストウィンドIVという双発の軽飛行機。元々はビーチクラフトの18型という1937年初飛行の機体だったんですが、「お前テキトーなこと言ってんじゃねえぞ」と逆に怒られてしまいそうなくらい大改造されていて、原型を留めていません。
この個体は1943年製でカナダ空軍に納品されたもの。1966年にBC州に払い下げられて、このように魔改造されました。BC州航空局では空中調査、輸送、救急搬送に使われていました。
後の火災で損傷したので登録抹消されて博物館へやってきました。つい最近まで復元作業されていて、2015年に作業が完了したばかりだったはずです。


まずエンジンは原型の星型空冷エンジンに替わってプラット・アンド・ホイットニー・カナダのPT-6ターボプロップエンジンに換装。この時点でやべぇってなります。
次に、車輪の配置を尾輪式から前輪式に変えました。前輪式にすると地上にいる時の前方視界が良くなると同時に、これで地上にいる時に機体を横から見た時の角度が変わりました。前輪を設けるために機種の形状も長く延びたものに大きく変わりました。
尾翼は、原型では垂直尾翼が左右に分かれた双尾翼だったのを普通のこういう配置→┻にしました。
もうお前誰やねーんとしか。


ローターウェイ スコーピオンIIというヘリコプター。ホームビルド機の中でも珍しい、ヘリコプターのキットです。初代のスコーピオンIは1967年に発売、その改良型のスコーピオンIIは1971年発売。IIでは2人乗りになりました。


ノールダイン ノースマン。1935年初飛行。ブッシュプレーンという未開地用機の中でも代表的な機種です。降着装置は予め車輪、水上フロート、雪上スキー板へと容易に換装できるように設計されていて、カナダのあらゆる未開地に適応できる軽飛行機なのでした。
カナダ製の航空機としてははじめて輸出にも成功した機体で、アメリカ陸軍がUC-64として使いました。


この個体は1944年にアメリカ陸軍のUC-64Aとして納品され、1956年にカナダのグリーン・エアウェイズ (CF-JDG) に払い下げられました。その後アメリカのアラスカに移籍して登録番号もN538DWになりました。最終的にはBC州の鉱山会社で使われましたが、ある日の着陸時に車輪が外れたことが原因で深い損傷を負ってしまいそのまま廃棄されてしまいました。
博物館はその機体を引き取って復元に着手しました。胴体の損傷はかなりひどかったらしく、他の現存機からニコイチしてきました。復元後の塗装はカナダ空軍のものに改められました。


単発機にしてはやや大柄な印象もあります。軽輸送機としても使えます。この搭載量を活かしてカナダの奥深くの辺境の遠隔地まで物資を運んできたのです。
エンジンはプラット・アンド・ホイットニーR-1340ワスプです。


胴体は意外と厚い・・・?


いわゆるロングシートですが人間も運べるのね。この座席配置はやはり輸送機のそれですね。配列次第では旅客機のような前向き座席にもできたでしょうけど、そのような資料を見たことがないので謎としておきます。





アリソンV-1710 12気筒液冷エンジン。例えばP-38、P-39、P-40のアメリカ陸軍戦闘機三兄弟、P-51の初期型とその派生型A-36、これらの搭載エンジンがV-1710です。
どの機体もスカポンタンだったので、ダメエンジンとよく言われます。例外的にP-38は成功しましたけどあれは排気タービンを載っけたからという部分が大きいでしょう。
この個体は第二次世界大戦中、カナダ空軍パトリシアベイ基地所属のP-40に搭載されていたものだそう。よく残っていたねというところですが、これは戦後に「ミスUS」という名前のパワーボートのエンジンに転用されて、数々のボートレースに出場したのでした。


エンジンの後ろ側。アリソンは給気口が上を向いているのか。マーリンは下側でしたね。戦闘機の空気取入口を観察すれば確かにその通りなんですね。


ライトR-3350サイクロン18 18気筒空冷エンジン。R-1820 9気筒エンジンを複列18気筒化したもので2,500馬力以上出せる強いエンジン。
有名な搭載機は皆さんも御存知B-29爆撃機。B-29に搭載した時はよく燃えるわ爆発するわ、ろくなもんじゃありませんでした。B-29の搭乗員は日本の対空砲で撃墜されるよりも機体のエンジン故障で墜落する方を恐れていたんじゃないかと。
戦後になって熟成が進むと信頼と実績を積み重ねていって、C-119輸送機、A-1攻撃機といった軍用機に加えてDC-7、コンステレーションといった旅客機にも使われるようになりました。
この個体はマーティンJRMマーズ飛行艇に搭載されていたもの。消防飛行艇に改造されていた機体のエンジンでした。


カナディアCT-33シルバースター。航空博物館の常連、ロッキードT-33をカナディアがライセンス生産したもの。もう何度も出ているので説明不要でしょう。


学芸員が付いていれば操縦席に座れるようです。私はボッチ見学でしたんで出来ませんでした。


翼端の燃料タンク。チップタンクと呼びます。個人的には翼端の燃料タンクは見た目があまり好きではないです。


空気取入口。口の中に板が挟まっていて、境界層対策なんやろなと。でも板の右側にある口はどこへ導かれているのだろうか?(調べない)


シュレーダーHP11-Aエアメイト。1962年初飛行のグライダーです。壁に貼り付けられている形で展示されています。グライダーって主翼が大きいし車輪も付いていないので置き場所無いし安定して置くのも難しそうなんですよね。
主翼は18mありにけり。競技用に設計されたガチ仕様です。


ニューポール11のレプリカ。縮尺しているんだと思います。


オースターAOP6。イギリス製の観測機です。アメリカ陸軍で言うところのOナンバー。1945年就役なので朝鮮戦争で実戦投入されたそうな。
この個体は1946年製でカナダ空軍に納品されたもの。マニトバ州の訓練校にある第444飛行隊で使用されていました。


主翼に吊られている小さいプロペラは何なんでしょうね?ラムエアタービン?


リパブリックRC-3シービー。海の蜂という名前の1944年初飛行の飛行艇。第二次世界大戦終結後の民間航空需要の高まりを見越して開発されました。その頃はもう潮目が変わっていたとは思いますが余裕ぶっこいてるなぁ。
ただし需要を見誤ったみたいで思ったほど売れずに製造原価だけで半分以上掛かってしまいました。当初4,000ドルだった定価は最終的に6,000ドルまでうなぎのぼりに。なので2,500機造ったあたりで生産打ち切りになってしまいました。


2人乗りですが頭でっかち。エンジンはキャビンの後ろに後ろ向きで配置されています。プロペラの回転する空間を確保するためにキャビンより後ろの胴体は極端に絞り込まれた形状をしています。こんな形状でも飛ぶんだ、と驚きます。
この個体はアラスカコースト航空の社用機だったもの。1991年に博物館に寄贈されました。


これでとりあえず一通り見終えました。
ドマイナーな機体ばかり収蔵しているのがお分かりかと。それでも航空博物館の定番品T-6とT-33を両方とも収蔵しているあたり流石です(個人的にはこの2機を収蔵しているところはいっぱしの博物館だと思っている)。
今回改めて博物館のホームページを覗いてみましたが、この数年内に収蔵品をまた増やしているようです。特にランカスターの収蔵はびっくりです。今は復元中でその作業もあと10年くらいかかりそうな気がしますが。
またビクトリアに行く機会があれば寄ってみたい博物館です。

というところで今回はこれでおしまい。

再訪のBC航空博物館 その4【2016/3/24】

2020-04-16 23:55:21 | バス・航空機撮影記
ダグラスA-26インベーダー。アメリカ陸軍の攻撃機です。第二次世界大戦時に運用された機体ですが、朝鮮戦争とベトナム戦争にも駆り出されて無駄に長期間現役にいました。
ただしこれは民間に払い下げられた後、火災消火用に改造された消防機です。コンエアという空中火災専門の航空会社に所属していた機体です。
消防機は森林火災のような大規模火災発生時に威力を発揮します。


非武装の民間機なので機首にたんまりと搭載された機銃は撤去されています。


A-26に元々あった爆弾倉を改造して消火剤の水槽になっています。蓋を開ければ消火剤がばらまかれるというもの。


コンエアは自前で消防機の改造もやってのける会社で、A-26も十数機が改造されてコンエアに所属していたそうな。


22番機 (CF-BMS) です。


操縦席です。


操縦席の後ろの方。


ルータン クイッキーというホームビルド機。バート・ルータンという一部に熱烈なファンがいるとかいないとかの設計士が開発しました。
ルータンは独特なセンスを持つ設計士で、世界初の無着陸世界一周飛行のボイジャー、世界初の民間宇宙船スターシップワン、低燃費のビジネス航空機スターシップはどれも奇抜な外観をしています。空力的な設計というよりルータンの美学が多く表れているという気がします。クイッキーでもそれが発揮されています。
クイッキーは25馬力の低出力エンジンでも飛行できるような機体として設計したのですが、それにしたって彼の手掛けた他の機体を見るに彼の趣味でしょう。機体はガラス繊維製で軽量化には配慮しているんですけどね。
これは複葉機に当てはまるのでしょうかね?前方の翼はカナード翼?水平尾翼は無くても大丈夫なのか。


主翼端に車輪を付けるのは面白いものですね。トレッドとホイールベースが最大限大きく取ってあって、地上での安定性は抜群だろうなと思います。
クイッキーのキットは1,000機以上売れたそうなので、ホームビルド機としては成功でしょう。そのうちいくつ完成したのやら。


マンガかアニメに出てきそうだけどこんなのムチャクチャで却ってマンガかアニメには出てこなさそう。


ビッカーズ バイカウント757というトランスカナダ航空の旅客機。
イギリスが1944年に「この戦争どうやら勝ちそうだな」と思って、戦後の旅客機市場の覇権を狙って立ち上げたブラバゾン委員会により各社に開発させた旅客機のひとつです。これには当時のイギリスには輸送機の開発製造ノウハウが無かったので、戦後の覇権をアメリカに取られるのに危機感を持っていたというのもあるそうな。実際、エアバスが現れるまでは西側の旅客機市場はアメリカ優勢で進んでいったようなものですから、その危機意識は間違っていなかったわけです。ただ委員会により開発された旅客機はどれも鳴かず飛ばずで結局アメリカに覇権を取られるわけですが・・・。
バイカウントは1948年初飛行の世界初の実用ターボプロップ旅客機です。ブラバゾンが生んだ旅客機たちの中では最も成功した機体と言われています。
機首と機首から客室へかけての胴体の膨らみが中々好ましい機体なのです。定員は75名で、現在のリージョナルジェット機と同等の規模です。


ターボプロップエンジンは4発。機体規模の割にはエンジンが多いなという印象で、まだターボプロップエンジンの黎明期という感じ。757型はトランスカナダ航空向けの機材で、エンジンは専用のロールスロイス ダート510です。
この個体 (CF-THG) はバンクーバーの航空学校の教材として使われていました。寄贈に際しては、巨大な筏に機材を解体等せぬままそのまま載せて、バンクーバーとバンクーバー島の間に横たわるジョージア海峡を渡ってくるという力技を使いました。


第二次世界大戦後に生産された出目金ジープですね。


運転席。簡素オブ簡素。


ジープはアメリカ車にしては小型なんですが、これは当時の輸送機に搭載できる寸法から逆算するとこのくらい小型にしないとダメだったのではと思います。確証はないんですけども・・・。


ベル 47D型というヘリコプター。骨川強右衛門・・・というぐあいの肉付きのない機体。
1945年12月初飛行で、ヘリコプターの中でも初期の機体です。5,600機以上造られてバカ売れしました。P-39とかP-59とか使えない戦闘機ばっか造って軍から干されていたベルが、ヘリコプターこそ俺の生きる道、と活路を見出したのがこれ・・・なのかもしれません。

この個体は1948年にBC州で最初に登録されたヘリコプターで、最初は風防なし、尾部は鉄板で覆われた無印の47型でした。それを後年、風防付、骨組みだけの尾部に改良した47D型相当に改造したそうな。
脚の上に荷棚を追加して少しながら貨物輸送にも対応できるところがかわいい。


俺んだ・・・もといオレンダ11エンジン。アブロカナダ製のターボジェットエンジンです。他社のライセンス生産品だと思っていましたが、アブロカナダの独自開発なんですね。


オレンダエンジンはカナディアがライセンス生産したF-86セイバーとアブロカナダの迎撃戦闘機CF-100カナックに搭載されていました。この11型 (S/N 3982) はCF-100カナックMk.5用のエンジンでした。


ユナイテッド航空機のPT-6ターボプロップエンジン。
ユナイテッド航空機はプラット・アンド・ホイットニーのカナダ現地法人です。ユナイテッド航空とは無関係。今は普通にプラット・アンド・ホイットニー・カナダと名前を変えています。
ターボプロップエンジンといえばコレ、というくらい広く普及していてほぼ独占状態。1964年に量産型での使用が開始されて以来、改良を重ねながら4万発以上が生産されていて、採用された機種は100種類以上と言われています。

というところで今日はここまで。



東北project~Trains' last tour. その4【2017/10/7~8】

2020-04-14 22:34:33 | 旅行・イベント記
浜田広介生家に上がっています。
土間。まあ寒そう。


笠とか。


客間ですかね。


二の間でしょうね。
この家はどのくらいの地位にある人の家なのかイマイチ分からないんですが、近所の豪農級の家なのかしらねぇ。


こっちも書斎?


客間。正直書くことがあるほどうんちくを持っていない。


縁側。夏は涼しそう。


薬箱的な。


米農家だったっぽいです。


土壁。


玄関から退出。


記念館ではなにかお祭をやっていました。高畠駅でも出店が出ていましたが今日はなんかそういう日なんですかね?


この後は廃線跡を通ってJR高畠駅へ戻ります。戻る途中、どうやら「つばさ」が通りそうだったのでさっき撮影した場所にもう一度行ってそこでE3系2000番台「つばさ」135号を撮影。流し撮りにしました。


もう1本、E3系1000番台「つばさ」142号を撮影。踏切を走るE3系を撮りたかったのだ。


だから何だという看板ですが、見た人は新幹線は速度が速いから気をつけようと思うのかもしれません。
400系の写真が残っているのがエモポイント。


貸し自転車を返却して駅の改札口へ向かいます。土産、軽食、農産物を売っている売店あり。


改札口の脇にあるのが温泉施設「太陽館」の入り口。朝7時~夜10時までやっているので使い勝手が良さそう。まあ今回は入りません。


それでは719系5000番台の奥羽本線普通山形行に乗って高畠を離れます。



東北project~Trains' last tour. その3【2017/10/7~8】

2020-04-13 23:11:01 | 旅行・イベント記
山形交通高畠線の旧高畠駅には保存車両の他に駅舎も残されています。国登録有形文化財で、高畠線が高畠鉄道により開業した1922年に建てられたものです。高畠鉄道の本社屋も兼ねていました。
地元名産の高畠石という凝灰岩をふんだんに使っているのが特徴です。石造りの鉄道駅舎は珍しいもので、私の知る限りでは他にはJR北海道の美瑛駅を思い浮かべるくらいです。高畠鉄道への地元の期待が大きかったのではないかと感じます。
屋上の手すりがおしゃれだなと。


待合室はこの規模なら一般的な広さと設備です。
内部は非公開でした。これは現代の耐震基準に満たないので一般公開できないからです。ただ、2019年5月17日付の山形新聞で駅舎を改修した上で公開する計画が策定されたことが報道されました。まだ調査段階のようですが、うまく弾みが付いてこの駅舎が活かされるようになるといいですね。



錆びついた山形交通のバス停。高畠待合所という名前です。このバス停の路線が現役だった頃はこの駅舎がバスの待合室に使われていたということですかね。


裏側に回ってみると、プラットホームがあります。上記の山形新聞の記事によればこのプラットホームも登録有形文化財に指定されています。
プラットホームとその奥の保存車のある線路の関係からして、現在の芝生の場所は公園化される際に埋め立てられたと見るべきでしょうか。


公園内には駅舎以外にも高畠石造りの建物が残っています。当時の建物ではないかと思うもなんの建物なのか手がかりが無くてずっと謎だったのですが、新聞記事を読んでこれの正体が変電所だとようやく分かりました。
高畠鉄道の電化が1929年ですのでその時建てられたものでしょう。これも登録有形文化財。


公園のトイレと化しているので気づきませんでしたが、これも高畠鉄道時代の1938年に建てられた倉庫です。登録有形文化財。駅舎をもして建てられた最近の建物だと思った・・・。
ただトイレに改造されているので入り口や間取りは原型を留めていないと思います。


石造りの車庫なんて妙だな・・・と不思議に思っていましたが、やはり登録有形文化財。駅舎正面の向かいにある1939年築の自動車修繕庫です。
思った以上にゴロゴロ残っていてびっくり。



最後に、これは山形県置賜郡高畠町のマンホール蓋。桜木町というのはこの蓋のある小字です。字名だったり道路の名前だったり色々あるみたいです。
角型分割式の蓋は初めて見たので撮影した次第。


旧高畠駅を見学して高畠町での用事は済みましたのでJR高畠駅へ戻ります。行きと同じ廃線跡を戻るのも面白くないので帰りは町の方を走ります。
この道は駅前通りだったからか、商店が多めでしたね。


拡幅工事されて見通しの良くなった道とか。


高畠町役場にもご挨拶。土曜日だから閉まっているけどね。


道路を走ったのは道中でお昼を食べれたらいいなというのもありました。無かったら高畠駅までやり過ごせばいいですが、赤湯ラーメンののれんが目に入ったのでここにすることに。赤湯ラーメンは何かで聞いたことがありますね。


普通の赤湯ラーメンにしました。味噌ラーメンに赤い辛味噌が乗っかっているやつです。そういえばそんな感じのラーメンでした。
味噌ラーメンは普段食べないですけど、ここのは美味しかったです。辛味噌を溶かして食べるとまた食欲が刺激されるのだ。
「龍上海 高畠店」という店でしたが、執筆時点の現在では閉業してしまいました。行った時は昼時で席は殆ど埋まっていたのですが・・・。赤湯に本店があるし他にも支店があるのでそこへ行けばまた食べることはできます。


庁舎通りをずっと西へ走ると、行きに通った高畠線の廃線跡の遊歩道とぶつかります。ここで廃線跡に復帰しまして、その近くにある浜田広介記念館へ立ち寄りました。行きの時に見かけて少し気になりまして。
浜田広介(1893(明治26)年~1973(昭和48)年)は高畠町出身の童話作家です。恥ずかしながら彼と彼の作品のことは存じないのですが、記念館の敷地内にある浜田広介生家が気になったので少し見ていきます。 
これは江戸時代末期建築の木造茅葺平屋建ての農家造り。浜田が生まれてから米沢中学校(現米沢興譲館高校)に入学するまで住んでいました。2000(平成12)年に記念館敷地内に移築・復元されていますが茅葺きは止めてしまったようで。


土間と囲炉裏ですね。


天井には煙逃しがあるのだ。


家具ですね。箪笥とか化粧鏡とか湯たんぽとか。


電球の包は特に意味があるわけではないでしょう。


糸車。製糸業が盛んアピール?


梁とか。

中途半端ですが今日はここまで。