2015年6月25日(木) 10時29分 ワシントン州エバレット ペインフィールド空港
2日目です!
朝、ホステルで朝飯を食べて、それから9時にホステルから歩いて5分くらいのところにあるレンタカー屋へ。自動車整備工場が連なる通りの建物のひとつの中にあって、本当にこんなところにレンタカー屋があるのか中に入るまで疑いが晴れませんでしたが、一応あるようでひと安心。
少し待たされた後に車両を受領。写真にも写っている日産セントラでした。レンタカーはもう何回も借りていますが、日本車ばっかですね・・・。
アメリカまで来て日産を運転することもないんで「アメ車はないの?」と訊いたら「これしか持ってきてない」と返されました。さらに、「ガソリンは満タンじゃなくてメーターの針のところ(だいたい8割くらい)で返してくれればいいよ」と妙に面倒なことも言われました。あー、この建物を間借りしている支店には車両が配置されていなくて別のどこか大きい支店から回送してきてるってことなのね。
で、北へ向けて針路をとったのですが、運転開始5分でハイウェイの分岐を間違えてそのまま迷う。
今回のレンタカー、ケチってカーナビを付けてません(北米ではカーナビはオプションなのだ)。で、その1で書いたようにスマートフォンに電波は入りません。つまり事前に紙に印刷してきた地図だけが頼りです。これは失策と言ってよく、結構時間を無駄にしました。
結局、10時には着くだろうと思っていた最初の目的地には30分も遅れて到着するハメになりました。とほほ。というか、紙に印刷してきたグーグルマップの経路案内地図だけでよく無事に辿りつけたと今でもちょっと信じられないくらいです。
というわけでどうにか辿り着いたペインフィールド飛行場。
ここはシアトルの北約30kmのところにある飛行場です。民間の飛行場ですが旅客航空会社は乗り入れてこないので普通は利用しないところです。じゃあ何があるのかってのは追々・・・。
とりあえず駐車場から見える範囲にいる飛行機を撮影。いきなりアントノフ航空のAn-124ルスラーン(UR-82008)という文字通り大物がいるじゃないですか!
ソ連が開発した輸送機でその搭載量150tは世界最大です。軍用機以外にもその搭載量を活かして規格外の貨物を輸送する民間貨物機としても使われています。広島電鉄の外国製路面電車を空輸したのがこれです。あとは名古屋からボーイング787の部品も運びます。
ケツしか撮れないのが惜しい。
他にはボーイング737が数機置かれています。
Jet Timeの737。デンマークの会社だそうな。
中国聯合航空の737。一度も聞いたことのない名前ですね。今は違うそうですが元は人民解放軍が運営していた会社だったそうな。軍が航空会社を運営するのか・・・。
ハンガー内にいる悪い病気にでも罹ったかのようなハデハデの737はアメリカのサウスウェスト航空。沖縄を飛んでそうな名前だな。9ヶ月後乗ります。
他には全日空のボーイング787が。なんだかまだ造りかけって感じだ。
・・・ここの飛行場の正体は後までとっておくつもりだったんですが、なんか書いていくうちに隠すのが苦しくなってきたんでもうバラしてしまいましょうw
ペインフィールドにはボーイング大帝国の旅客機製造工場が隣接していて、出来たてホヤホヤの機体の試運転をするところがこのペインフィールドなのです。上のAn-124もちょろっと書いたように名古屋から787の部材を積んで運んできたんでしょう。
まあボーイングについては追々。
まずはここを攻略します!フライング・ヘリテージ・コレクション(FHC)。空飛ぶ遺産収集館。やっぱりheritageは日本語訳しにくいなぁ。
航空博物館でして、第二次世界大戦時の戦闘機を中心とした収蔵品を展示しています。アメリカ、イギリス、ソ連、ドイツそして日本(イタリア・・・はて?)と主要参戦国の有名どころの戦闘機を完璧でないにしろおおよそ網羅していて、第二次世界大戦の戦闘機見るならここに来れば大体オッケーだと思います。
ちなみにここのオーナーはポール・アレンという人物。マイクロソフト大帝国の共同創業者でございやす。最近だと海底に沈没した戦艦「武蔵」を自前のヨットと探査チームを率いて見つけ出したという出来事で話題になりましたな。武蔵といいこの私設博物館といい、金を持ったオタクはやることがすげーや・・・。
受付で入館料を支払い館内へ。あっ暗い・・・。展示室は格納庫を改造したものになってますね。北米の航空博物館ではよく見られるものです。
時代も国のバラバラに見ていきますよw
最初はドイツ空軍フィゼラーFi156 C-2「シュトルヒ Storch」。原型機は1936年に初飛行。
なんだか弱そうですがこれは戦闘機ではなく、連絡機・偵察機として開発されたものです。
50mもあれば離着陸できてしまう短距離離着陸性能が特徴で、現代のSTOL機の草分けとも言えます。
脚が特徴的で、機体胴体に繋がっているわけではなくて支柱から伸びているんですね。折れそうだなぁと心配になるんですが、これの空虚重量は860kgと1tを切っている驚きの数字。その上この脚にはショックアブソーバーが入っているので問題なかったらしい。むしろこの脚や軽量さ、加えてエンジン馬力の高さもSTOL性能に寄与したとかなんとか。
まあこれ見るまで今まで知りませんでしたね、うん。当時ドイツ機は何も知らなかったんでふ~ん程度にしか見てなかったです。今もあまり詳しいとはいえんです。
偵察機なので下方視界が良いよう主翼は高翼配置、コックピットからの視界もよくて下を見やすいようにキャノピー(というのかこれ?)が膨らんだ形になっています。さらに屋根もガラス窓になっています。
これのサブタイプであるC-2型は自衛用機関銃MG15を1門搭載したタイプです。後ろ側に向かって取り付けられていますな。あれで追ってくる戦闘機を蹴散らすのです。
この機体は1939年製で1980年代東ドイツで発見されたもの。90年代にミシガン州で復元されて2000年にFHCに収蔵となりました。
次はソ連軍イリューシンIl-2。アイアイ-2ではない、アイエル-2だ。
戦闘機というよりかは対地対戦車用の攻撃機で、シュトルモヴィク штурмовикというあだ名も有名。
その異名の由来にもなった23mm機関銃*2門、7.6mm機関銃*2門の重武装は強力で、ドイツ戦車にポンポン風穴を開けていったのだ。いくら無敵のドイツ戦車でも上面装甲は薄いのです。
こいつの場合防御力も高く、エンジンに4mm、コックピット周りには8mmと12mmの装甲を装備していたので、打たれても中々墜ちないとか空飛ぶ戦車とかと言われてたそうな。
ティーガー絶対殺すマンこと23mm機銃と7.6mm機銃。太いほうが23mmだゾ。あんまり目立たないのね・・・。
降着装置は空気抵抗なんざ知るか!と言わんばかりの収納の仕方ですな。普通は主翼内に収めるもんなんですが・・・。速度が遅いからあまり問題にはならなかったのだろうというのと、この方がたぶん構造が楽で軽量化に繋がるんじゃないかなと。想像ですが。
Il-2は、同志スターリンが「我々は空気やパンのようにIl-2が必要である」とお手紙を書いたおかげでバカスカと造られてしまい、気がつけば世界最多の生産機数を持つ軍用機と言われるくらいに、具体的には約3.6万機も造られました。おかしいんやないか。
ところがアホみたいに造られたIl-2も現存機は10機くらい。残存率およそ0.02%と戦勝国のくせにその現存機はえらく少ないのです。というのもヨシフおじさんが飛行機嫌いだったせいか、ソ連は戦後に航空機をみんな潰してしまったのです。なので現存機もソ連以外の他国で運用されていた機体か残骸からレストアされた機体というところでしょう。
ここの機体も元はソ連領内に残っていた残骸だったもの、それも4機分の残骸を組み合わせて復元した機体です。ニコイチならぬヨンコイチ・・・。
後ろから。
後部銃座が見えます。初期型は銃座なしの単座機だったんですが、ノロマな機体が対地攻撃なんてしてたら敵戦闘機から見ればカモですから、いくら装甲が厚くてもよく撃墜されたそうで、後に追っかけてくる戦闘機を追っ払うために付けられました。銃座要員は装甲されてなかったのでよく死んだらしい・・・。
前から。
胴体下面にはエンジン冷却用オイルを冷やすためのオイルクーラーがあります。Il-2の弱点といえる部分で、ここをやられるとエンジンがたちまち焼き付いてしまいます。なのでエンジン同様ここにも装甲がされてるとか。本当に戦車だなぁ。
ちなみに液体でエンジンを冷却するのを液冷エンジン、空気で冷却するのを空冷エンジンと言います。液冷エンジンは概ね箱みたいな形をしているのに対し空冷エンジンは輪っかのような形をしています。搭載する機体にも形状差が現れていて、液冷エンジン機は機首が細長く先が尖っていて、空冷エンジン機は断面が円形で先端が丸っこくなっています。色々例外はありますがだいたいこの見分け方で大丈夫なはずだぞ。Il-2は先が細いから液冷エンジン機ですな。
あとは、右主翼前縁の付け根からなにか飛び出していますが、あれはエンジンへの空気吸入口だそうで。フィルターがあるのは雪対策かな?
3つめ、ドイツ空軍フォッケウルフFw190A-5。
Bf109と並んでドイツ代表の戦闘機のひとつ。ドイツ空軍さん、Bf109を開発したはいいもののあれの液冷エンジンって生産性悪いし操縦も難しいし主脚の間隔短くて着陸時に事故りそうだし・・・意外とヤバくね?ってことで補助戦闘機を開発することにしました。それがFw190です。
初飛行は1939年で、あれ、意外と早いのね。ていうか零戦と同世代やん。クルト・タンク技師が開発したんですが、性能だけじゃダメよダメダメ、大量生産性や前線での整備性も考えなくちゃって感じに造り上げて、現場でも好評だったそうな。最終的には主力戦闘機の座をBf109から奪うまでになりました。保険として造られた戦闘機が主力にのし上がるって、結構ありますよねー。
前から。
機首が丸っこいのでこれは空冷エンジン機ですね、うん。
Fw190といえば内股に開いた主脚で「オカマのフォッケウルフ」というあだ名は私の中では有名です。とはいえこれの収納展開は電動式で、当時でも先進的だったんじゃないかとの噂。あとFw190といえばプロペラスピナーのぐるぐる目ですが、ついてねぇなこれ。イカンでしょ。
機銃はエンジン上に7.92mm機関銃2門、主翼に20mm機関砲4門を装備していました。主翼の機関砲のうち2門はプロペラの半径内にあるのが特徴ですかね。
機関銃を撃つ時というのは普通はプロペラを回して空を飛んでいる時ですから、それだと下手すりゃ弾がプロペラを折ってしまって敵を墜とすはずが自分が墜ちてしまいます。それを避けるために機関銃とプロペラの同調機能が付いています、どういう仕組なのか想像もつかんけど。それでも当たる時は当たるらしい。日本機も同じようなものを持っていました。
なんでそんな面倒くさいことするのかというと、機銃はなるべく機首と同一線上もしくはなるべく近い位置に置いたほうがそのぶん命中しやすいんです。だったらプロペラ軸の先っちょに機銃置いたら最強じゃね?という発想のもと生まれたのがBf109のモーターカノンだとかアメリカのP-39の37mm機関砲だったりするんですがこれはまた別のお話。
ちなみに主翼に配置された機銃はわずかに内側に角度が付いていて、一定距離で交差するようになってます。これまた難しそうだなってなるわけです。ドイツや日本と異なり、アメリカやイギリスの戦闘機は一部を除けば基本的にプロペラ半径内には機銃を装備してなかったはずです。ここら辺にも運用思想の違いが出ますね。
後ろから。
Fw190って調べてみたら細かいサブタイプがバカみたいに多くて、よく混乱しなかったもんだと・・・。このA-5型、というかまずA型というのはドーバー海峡でブイブイいわせたるで~という感じの純粋な戦闘機型です。
で、A-5型というのはエンジンを15cm前に移動させたタイプのようで、これで機体バランスを保ったみたい。なんで今さら、設計段階で調節しとけよ!となりますが、これのひとつ前の型式A-4型でエンジンを出力強化型のBMW801D-2に換装しているようなんでそれに対応したのかな?例によって知りませんが。
なんですが、この機体(1943年製)はどうも対地攻撃に使われてたらしいぞ?で、同年7月9日にソ連の貨物列車を攻撃中に撃墜されたらしい。あらら・・・。
よく分かりませんが前線で戦闘爆撃機に改造されたのかも知れないですね。1943年7月となると戦闘爆撃型であるF/G型が制式化された時期と重なるんで。
その後、パイロットはソ連の捕虜になったものの機体は放置され、そのまま大地の養分となり野となり森となり・・・と行くはずだったんですが、1980年代後半にウォーバードハンターとかいう行動派ミリオタみたいな奴に発見されます。
機体発見時の状態は良かったみたいで、損傷は低かったようです。墜落したくせに。その後復元されて、今では世界で唯一原型エンジンであるBMW801を搭載して飛行可能なFw190となっています。
今日はここまでとします。
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