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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その6 【2015/06/24~26】

2016-03-30 23:06:49 | 海外旅行記

2015年6月25日(木) 10時29分 ワシントン州エバレット ペインフィールド空港
2日目です!
朝、ホステルで朝飯を食べて、それから9時にホステルから歩いて5分くらいのところにあるレンタカー屋へ。自動車整備工場が連なる通りの建物のひとつの中にあって、本当にこんなところにレンタカー屋があるのか中に入るまで疑いが晴れませんでしたが、一応あるようでひと安心。
少し待たされた後に車両を受領。写真にも写っている日産セントラでした。レンタカーはもう何回も借りていますが、日本車ばっかですね・・・。
アメリカまで来て日産を運転することもないんで「アメ車はないの?」と訊いたら「これしか持ってきてない」と返されました。さらに、「ガソリンは満タンじゃなくてメーターの針のところ(だいたい8割くらい)で返してくれればいいよ」と妙に面倒なことも言われました。あー、この建物を間借りしている支店には車両が配置されていなくて別のどこか大きい支店から回送してきてるってことなのね。

で、北へ向けて針路をとったのですが、運転開始5分でハイウェイの分岐を間違えてそのまま迷う。
今回のレンタカー、ケチってカーナビを付けてません(北米ではカーナビはオプションなのだ)。で、その1で書いたようにスマートフォンに電波は入りません。つまり事前に紙に印刷してきた地図だけが頼りです。これは失策と言ってよく、結構時間を無駄にしました。
結局、10時には着くだろうと思っていた最初の目的地には30分も遅れて到着するハメになりました。とほほ。というか、紙に印刷してきたグーグルマップの経路案内地図だけでよく無事に辿りつけたと今でもちょっと信じられないくらいです。



というわけでどうにか辿り着いたペインフィールド飛行場。
ここはシアトルの北約30kmのところにある飛行場です。民間の飛行場ですが旅客航空会社は乗り入れてこないので普通は利用しないところです。じゃあ何があるのかってのは追々・・・。

とりあえず駐車場から見える範囲にいる飛行機を撮影。いきなりアントノフ航空のAn-124ルスラーン(UR-82008)という文字通り大物がいるじゃないですか!
ソ連が開発した輸送機でその搭載量150tは世界最大です。軍用機以外にもその搭載量を活かして規格外の貨物を輸送する民間貨物機としても使われています。広島電鉄の外国製路面電車を空輸したのがこれです。あとは名古屋からボーイング787の部品も運びます。
ケツしか撮れないのが惜しい。



他にはボーイング737が数機置かれています。



Jet Timeの737。デンマークの会社だそうな。



中国聯合航空の737。一度も聞いたことのない名前ですね。今は違うそうですが元は人民解放軍が運営していた会社だったそうな。軍が航空会社を運営するのか・・・。



ハンガー内にいる悪い病気にでも罹ったかのようなハデハデの737はアメリカのサウスウェスト航空。沖縄を飛んでそうな名前だな。9ヶ月後乗ります。



他には全日空のボーイング787が。なんだかまだ造りかけって感じだ。
・・・ここの飛行場の正体は後までとっておくつもりだったんですが、なんか書いていくうちに隠すのが苦しくなってきたんでもうバラしてしまいましょうw
ペインフィールドにはボーイング大帝国の旅客機製造工場が隣接していて、出来たてホヤホヤの機体の試運転をするところがこのペインフィールドなのです。上のAn-124もちょろっと書いたように名古屋から787の部材を積んで運んできたんでしょう。
まあボーイングについては追々。



まずはここを攻略します!フライング・ヘリテージ・コレクション(FHC)。空飛ぶ遺産収集館。やっぱりheritageは日本語訳しにくいなぁ。
航空博物館でして、第二次世界大戦時の戦闘機を中心とした収蔵品を展示しています。アメリカ、イギリス、ソ連、ドイツそして日本(イタリア・・・はて?)と主要参戦国の有名どころの戦闘機を完璧でないにしろおおよそ網羅していて、第二次世界大戦の戦闘機見るならここに来れば大体オッケーだと思います。
ちなみにここのオーナーはポール・アレンという人物。マイクロソフト大帝国の共同創業者でございやす。最近だと海底に沈没した戦艦「武蔵」を自前のヨットと探査チームを率いて見つけ出したという出来事で話題になりましたな。武蔵といいこの私設博物館といい、金を持ったオタクはやることがすげーや・・・。



受付で入館料を支払い館内へ。あっ暗い・・・。展示室は格納庫を改造したものになってますね。北米の航空博物館ではよく見られるものです。



時代も国のバラバラに見ていきますよw
最初はドイツ空軍フィゼラーFi156 C-2「シュトルヒ Storch。原型機は1936年に初飛行。
なんだか弱そうですがこれは戦闘機ではなく、連絡機・偵察機として開発されたものです。
50mもあれば離着陸できてしまう短距離離着陸性能が特徴で、現代のSTOL機の草分けとも言えます。
脚が特徴的で、機体胴体に繋がっているわけではなくて支柱から伸びているんですね。折れそうだなぁと心配になるんですが、これの空虚重量は860kgと1tを切っている驚きの数字。その上この脚にはショックアブソーバーが入っているので問題なかったらしい。むしろこの脚や軽量さ、加えてエンジン馬力の高さもSTOL性能に寄与したとかなんとか。

まあこれ見るまで今まで知りませんでしたね、うん。当時ドイツ機は何も知らなかったんでふ~ん程度にしか見てなかったです。今もあまり詳しいとはいえんです。



偵察機なので下方視界が良いよう主翼は高翼配置、コックピットからの視界もよくて下を見やすいようにキャノピー(というのかこれ?)が膨らんだ形になっています。さらに屋根もガラス窓になっています。
これのサブタイプであるC-2型は自衛用機関銃MG15を1門搭載したタイプです。後ろ側に向かって取り付けられていますな。あれで追ってくる戦闘機を蹴散らすのです。
この機体は1939年製で1980年代東ドイツで発見されたもの。90年代にミシガン州で復元されて2000年にFHCに収蔵となりました。



次はソ連軍イリューシンIl-2。アイアイ-2ではない、アイエル-2だ。
戦闘機というよりかは対地対戦車用の攻撃機で、シュトルモヴィク штурмовикというあだ名も有名。
その異名の由来にもなった23mm機関銃*2門、7.6mm機関銃*2門の重武装は強力で、ドイツ戦車にポンポン風穴を開けていったのだ。いくら無敵のドイツ戦車でも上面装甲は薄いのです。
こいつの場合防御力も高く、エンジンに4mm、コックピット周りには8mmと12mmの装甲を装備していたので、打たれても中々墜ちないとか空飛ぶ戦車とかと言われてたそうな。



ティーガー絶対殺すマンこと23mm機銃と7.6mm機銃。太いほうが23mmだゾ。あんまり目立たないのね・・・。
降着装置は空気抵抗なんざ知るか!と言わんばかりの収納の仕方ですな。普通は主翼内に収めるもんなんですが・・・。速度が遅いからあまり問題にはならなかったのだろうというのと、この方がたぶん構造が楽で軽量化に繋がるんじゃないかなと。想像ですが。

Il-2は、同志スターリンが「我々は空気やパンのようにIl-2が必要である」とお手紙を書いたおかげでバカスカと造られてしまい、気がつけば世界最多の生産機数を持つ軍用機と言われるくらいに、具体的には約3.6万機も造られました。おかしいんやないか。
ところがアホみたいに造られたIl-2も現存機は10機くらい。残存率およそ0.02%と戦勝国のくせにその現存機はえらく少ないのです。というのもヨシフおじさんが飛行機嫌いだったせいか、ソ連は戦後に航空機をみんな潰してしまったのです。なので現存機もソ連以外の他国で運用されていた機体か残骸からレストアされた機体というところでしょう。
ここの機体も元はソ連領内に残っていた残骸だったもの、それも4機分の残骸を組み合わせて復元した機体です。ニコイチならぬヨンコイチ・・・。



後ろから。
後部銃座が見えます。初期型は銃座なしの単座機だったんですが、ノロマな機体が対地攻撃なんてしてたら敵戦闘機から見ればカモですから、いくら装甲が厚くてもよく撃墜されたそうで、後に追っかけてくる戦闘機を追っ払うために付けられました。銃座要員は装甲されてなかったのでよく死んだらしい・・・。



前から。
胴体下面にはエンジン冷却用オイルを冷やすためのオイルクーラーがあります。Il-2の弱点といえる部分で、ここをやられるとエンジンがたちまち焼き付いてしまいます。なのでエンジン同様ここにも装甲がされてるとか。本当に戦車だなぁ。
ちなみに液体でエンジンを冷却するのを液冷エンジン、空気で冷却するのを空冷エンジンと言います。液冷エンジンは概ね箱みたいな形をしているのに対し空冷エンジンは輪っかのような形をしています。搭載する機体にも形状差が現れていて、液冷エンジン機は機首が細長く先が尖っていて、空冷エンジン機は断面が円形で先端が丸っこくなっています。色々例外はありますがだいたいこの見分け方で大丈夫なはずだぞ。Il-2は先が細いから液冷エンジン機ですな。
あとは、右主翼前縁の付け根からなにか飛び出していますが、あれはエンジンへの空気吸入口だそうで。フィルターがあるのは雪対策かな?



3つめ、ドイツ空軍フォッケウルフFw190A-5
Bf109と並んでドイツ代表の戦闘機のひとつ。ドイツ空軍さん、Bf109を開発したはいいもののあれの液冷エンジンって生産性悪いし操縦も難しいし主脚の間隔短くて着陸時に事故りそうだし・・・意外とヤバくね?ってことで補助戦闘機を開発することにしました。それがFw190です。
初飛行は1939年で、あれ、意外と早いのね。ていうか零戦と同世代やん。クルト・タンク技師が開発したんですが、性能だけじゃダメよダメダメ、大量生産性や前線での整備性も考えなくちゃって感じに造り上げて、現場でも好評だったそうな。最終的には主力戦闘機の座をBf109から奪うまでになりました。保険として造られた戦闘機が主力にのし上がるって、結構ありますよねー。



前から。
機首が丸っこいのでこれは空冷エンジン機ですね、うん。
Fw190といえば内股に開いた主脚で「オカマのフォッケウルフ」というあだ名は私の中では有名です。とはいえこれの収納展開は電動式で、当時でも先進的だったんじゃないかとの噂。あとFw190といえばプロペラスピナーのぐるぐる目ですが、ついてねぇなこれ。イカンでしょ。
機銃はエンジン上に7.92mm機関銃2門、主翼に20mm機関砲4門を装備していました。主翼の機関砲のうち2門はプロペラの半径内にあるのが特徴ですかね。
機関銃を撃つ時というのは普通はプロペラを回して空を飛んでいる時ですから、それだと下手すりゃ弾がプロペラを折ってしまって敵を墜とすはずが自分が墜ちてしまいます。それを避けるために機関銃とプロペラの同調機能が付いています、どういう仕組なのか想像もつかんけど。それでも当たる時は当たるらしい。日本機も同じようなものを持っていました。
なんでそんな面倒くさいことするのかというと、機銃はなるべく機首と同一線上もしくはなるべく近い位置に置いたほうがそのぶん命中しやすいんです。だったらプロペラ軸の先っちょに機銃置いたら最強じゃね?という発想のもと生まれたのがBf109のモーターカノンだとかアメリカのP-39の37mm機関砲だったりするんですがこれはまた別のお話。
ちなみに主翼に配置された機銃はわずかに内側に角度が付いていて、一定距離で交差するようになってます。これまた難しそうだなってなるわけです。ドイツや日本と異なり、アメリカやイギリスの戦闘機は一部を除けば基本的にプロペラ半径内には機銃を装備してなかったはずです。ここら辺にも運用思想の違いが出ますね。



後ろから。
Fw190って調べてみたら細かいサブタイプがバカみたいに多くて、よく混乱しなかったもんだと・・・。このA-5型、というかまずA型というのはドーバー海峡でブイブイいわせたるで~という感じの純粋な戦闘機型です。
で、A-5型というのはエンジンを15cm前に移動させたタイプのようで、これで機体バランスを保ったみたい。なんで今さら、設計段階で調節しとけよ!となりますが、これのひとつ前の型式A-4型でエンジンを出力強化型のBMW801D-2に換装しているようなんでそれに対応したのかな?例によって知りませんが。
なんですが、この機体(1943年製)はどうも対地攻撃に使われてたらしいぞ?で、同年7月9日にソ連の貨物列車を攻撃中に撃墜されたらしい。あらら・・・。
よく分かりませんが前線で戦闘爆撃機に改造されたのかも知れないですね。1943年7月となると戦闘爆撃型であるF/G型が制式化された時期と重なるんで。

その後、パイロットはソ連の捕虜になったものの機体は放置され、そのまま大地の養分となり野となり森となり・・・と行くはずだったんですが、1980年代後半にウォーバードハンターとかいう行動派ミリオタみたいな奴に発見されます。
機体発見時の状態は良かったみたいで、損傷は低かったようです。墜落したくせに。その後復元されて、今では世界で唯一原型エンジンであるBMW801を搭載して飛行可能なFw190となっています。

今日はここまでとします。このペースだと長引くな・・・。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その5 【2015/06/24~26】

2016-03-25 23:51:10 | 海外旅行記

2015年6月24日(金)20時58分 シアトル セーフコフィールド
7回表 KC 7-2 SEA

試合も終盤戦です。時刻はもう21時ですが、高緯度にあるのでこの時間でも明るいですねぇ。日照時間が長いと夕方以降も動きやすくていいですな。



7回から飛んで8回表。マリナーズの投手はトム・ウィルヘルムセン。
なお7回表にロイヤルズが追加点を入れて8-2になってた模様。



8回は無失点に抑えます。



カノ打席へ。



ロイヤルズのピッチャーもいつの間に変わっていてジョー・ベイメル。見事に一人も出さずに抑えましたね。
もう負けムードなんで書く方も勢いが落ちますね。



最終回、ロイヤルズは無得点のまま終了。さあマリナーズ、あと7点入れれば勝ちだぞ(棒
まあそんなうまいこといくこともなく、三振、センターフライ、安打、最後はゲッツーで21時55分頃に試合終了となりました。



KC 8-2 SEA
な お マ




選手退場。



観客も一斉に帰っていきます。私も帰ります。22時回ると流石に日没です。

観てみた感想ですが、よう分からんかったというのが正直なところです。分かったことといえばマリナーズが4回にけちょんけちょんに点を入れられてそのまま負けたってこととあとは球場飯が美味いってことくらいです。
ルールは知っていても試合に勝つための戦略・戦術は基本すら知らないわけですから見るべきところが分からないのです。そらそうよってなります。面白さ7割くらいは損していたと思います。
スポーツ観戦は相応の知識を持って臨まないとダメですね。ただ一朝一夕でどうにかなるものでもなく、かつそこまで熱中できるかというと微妙なんで、どうなんでしょうねぇ続く気しませんw
まあちょっとずつでも勉強しようとは思いました。ただその量は鉄道やミリタリーものの比ではないように見えるんですが、大丈夫なんかこれ。



最後に正面からグラウンドを見て球場を去りました。何だかんだ言ってもまた観たいですね。



セーフコからホステルまではライトレールでひと駅、余裕で歩いて行ける距離なので試合の余韻に浸りつつ歩いて帰ります。
セーフコの隣にはもうひとつセンチュリーリンク・フィールドという球技場があります。
ここはアメフトとサッカー用の球技場で、それぞれシアトル・シーホークスとシアトル・サウンダーズのホームになっています。マリナーズの旧本拠地キングドームの跡地なんだとか。



きれいなもんですね。なかなかいいじゃないか。ただタワークレーンが邪魔だ・・・。



キングストリート駅の跨線橋を通って線路の上を渡ります。
サウンダーのバイレベル客車SDRX109が1両だけ留置されていました。どうすんだよこんなところに置いて。

そのまま寄り道せずにホステルへと帰って(何せチャイナタウン内にあるんで治安が・・・)充電中のカメラの盗難にビクビクしながら就寝しました。
つうか冷房ないんですよ、このホステル。これにはびっくり仰天でしてね。気休めにちっちゃい扇風機が各ベッドに1台ずつ付いていますが、うんまあ・・・。ただ湿度は低いように感じたので同時期の日本よりは快適といったところでしょうか。
そんな感じで初日はこれで終了。2日目に続きます。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その4 【2015/06/24~26】

2016-03-24 22:39:57 | 海外旅行記

2015年6月24日(水)19時51分 シアトル セーフコフィールド
3回裏 KS 0-0 SEA

シアトル・マリナーズ対カンザスシティ・ロイヤルズの続き。2回はスルーして3回裏からスタートです。



打者はベネズエラの至宝2番フランクリン・グティエレス。英語だとGutierrezと書き、初見だと読めない選手筆頭。これ英語じゃないなと思ったら案の定でスペイン語でした。
彼がヒットを打つもこの回も無得点。序盤は投手戦が続き試合がなかなか動きません。



3回が終わるとグランドスタッフが踊りだしました。



どんちき♪└(^ω^ )┐ ┌( ^ω^)┘どんちき♪
これ以外にも(中身は忘れた)あの手この手で球場を盛り上げていくって感じでした。プロ野球だとどうか知りませんが。ドアラはよくダンスしてる印象だよね。
前回、最後に野球観戦したのは甲子園の母校の応援に動員された時と書きましたが、プロ野球に限ると野村時代のヤクルトにまで遡り、当時はなんとまだ未就学児でした・・・。
その割には風船飛ばしたり直径小さくて実用性ゼロのビニール傘ぶん回したり野村克也を間近で見たり今でもやけに記憶に残っている試合です。それ以外覚えていないけど。



4回表ロイヤルズの攻撃。ここで試合が動きます。
番マイク・ムスターカスがライトセンターへ向けてホームランを打ちました。
マリナーズ、先制されます。



ムスターカスがホームランを飛ばす前にはアルシデス・エスコバーがヒットを打っていたので、計2点入れられました。いけませんねぇ~。



セーフコ上空には飛行機が飛んでいきます。さすがボーイングのお膝元だ。機材はこの角度だと分かりんせん。エンジンが2発だから少なくとも747ではないはずだ。
ちなみに球場の隣は線路になっていて、あの可動式ドームが貨物列車の音を拾って場内へ向けて反響させてきます。意外とうるさいんだなここ。



その後は啖呵を切ったかのように打線が爆発。
8番オマー・インファンテが2塁打を打ち、それにより満塁だった走者が一斉にホームイン。追加点3点を決めます。それからも写真のデイソンが7点目を決めるまで追加点が続きました。
マリナーズは一挙に7失点を喰らいます。これはまずいですねぇ。マリナーズは投高低打なのでこれほどの失地回復は厳しいのは私でも想像がつきます。



やべぇよやべぇよ・・・。
7-0のマリナーズ、堪らず作戦会議を開きます。
これで前後の戦術の変化が見えるようになったら面白いんだろうけどなぁ。



4回表はとりあえず7点で抑えました。続いて4回裏。
カメラのシャッタースピードが速すぎるのか、スクリーンがえらいことに・・・。



カイル・シーガー、センターヒットを出すものの後続が続かず・・・。うーんこの。



5回裏。ドミニカの至宝ロビンソン・カノが打つ。
マリナーズもようやく調子を出してきたようで、この回で2点を取り戻します。いいぞその調子だ。



やべぇよやべぇよ・・・。
ロイヤルズもタイムを取ります。別にそのまま続けても勝てそうなんだけどな。



試合再開。なおこの回は2点で終わった模様。

次回で決着です。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その3 【2015/06/24~26】

2016-03-23 23:17:16 | 海外旅行記

2015年6月24日(水) 18時04分 シアトル セーフコフィールド・ライトスタンド
セーフコフィールドに入ります。
憧れの・・・というほどではないですが、これがメジャーリーグの球場かと思うと胸が高鳴ります。北米P1ではシーズンオフだったので外から見ただけでした。
先刻ご承知の通り、セーフコフィールドはシアトル・マリナーズのホーム球場です。今日だけマリナーズ男子ですよ。

Jäger

既に練習始めていますな。



腹が減ってはなんとやらなので球場飯を購入。
トルティーヤチップスの上にサルサソースみたいなものをかけてトドメにクリームチーズを乗せたメキシカンな食べ物。あとビール。ビールはミラー・ライトです。特に選んだ理由はなし。
トルティーヤのソースが濃厚で美味いんですなぁ、うはは。量も中々あって、最初は足りないかもと思ってたのに結局は満腹になりやした。



セーフコといえば可動式のドームですな。今日は使うことは無さそうだ。
席は一塁側の内野席にしました。安めの席にしたんで後ろ側です。
それとセーフコってフリーWi-Fi飛んでるんですね~、ぐう聖。



体を慣らす選手。ローガン・モリソンの背中。深い意味は無いです。
というか野球はごくごく基本のルールを知っているくらいで全く詳しくないのでアレです。
最後に球場に行ったのは2012年のマリンフィールドで、これ野球観に行ったんじゃなくて水樹奈々のライブを観に行ったんです。なので、最後に野球観戦したのは・・・うーん、高校生の時に母校の甲子園県大会の応援に無理矢理動員されたときなんじゃないかな?テレビ中継も通してみたことはないですね。そういうことです。
マリナーズも試合当日の少し前までは弱いチームだとは知りもしませんでした。イチローおったんやしさぞや強かったんやろなー思ってました。
大船のやきうのお兄ちゃんことZeBonくんによれば、マリナーズは守備はそこそこ打撃はクソとのこと。そ、そうなのかー・・・。



デデンとセーフコの看板。あれ時計になってたんか。
なお今日の対戦相手はカンザスシティ・ロイヤルズ。やきうのお兄ちゃんによれば強いとのこと。それもそのはず、この年2015年のワールドチャンピオンは他ならぬロイヤルズになったのだから・・・。
ま、負ける気せえへん地元やし(震え声



そんなこんなでそろそろ試合開始時刻。
なにやら儀仗兵のような人たちがマウンドに上がってきました。
2つ掲げられた旗は片方はアメリカ国旗、もう片方は・・・って、あれはアメリカ空軍旗なのでは?ということはこの人達本当に軍の儀仗兵なのか?
・・・制服を見較べたところどうやらそうらしい。たまげたなぁ。



試合前に国歌独唱。観客も起立と脱帽をして歌います。ワイカナダ人完全にアウェー。



歌ってますね。身が引き締まるというか静かに盛り上がってきますな。
某極東の国歌じゃこうはいかんだろうなぁ。やっぱ場を盛り上げるには不向きだよねアレ。



儀仗兵撤収。



やきうの時間だあああぁぁぁ!!!
プレイボールです。



先攻はロイヤルズ。マリナーズの先発はキューバの至宝ロエニス・エリアス。防御率とか勝率とか知らんのでこれ以上深入りはしないゾ。



スタメンはこうなっているザマス。読めるかな?
さて現在マリナーズには岩隈久志という日本人選手が所属していて、この試合は彼目当てでもあったんですがなんと4月に故障してしまっていたのです。ちょうどそろそろ復帰するかな~ってところだったんですが、結局復帰は7月になったのでした。
メジャーでの日本人選手との遭遇は今のところ全く運が無いという状態になっています。



ロイヤルズの4番エリック・ホズマー。2015年は好成績だったようだ。



1回表は得点なしのまま1回裏へ。ロイヤルズの先発はダニー・ダフィー。ちな一塁がホズマー。



後攻マリナーズの1番打者はオースティン・ジャクソン。



ダフィー投げる。
この後ジャクソン安打を打つもその後繋がらず得点なしのまま1回終了。

今日はここまで。


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その2 【2015/06/24~26】

2016-03-21 23:45:58 | 海外旅行記

2015年6月24日(水) 17時07分 シアトル セーフコフィールド周辺
ホステルにチェックインして余計な荷物をおいてきて、初日のメインイベント・・・の前に列車撮影します。時刻は17時ということで通勤列車「サウンダー」が運行される時間帯に既に突入しているのです。ちょっと出遅れた。



セーフコフィールド横の跨線橋から列車を撮影します。前回も同じところで撮影しましたな。
MPI MP40-3C形SDRX922号機+Bombardier BiLevel Car 7両による1515レレイクウッド行き。サウンダーのMP40形は珍しいのでラッキーなのです。
うーむビルの影が・・・。



反対から1516レシアトル行きがやって来ました。
サウンダーは機関車の牽引により走る客車列車ですが編成の反対側は制御客車、プッシュプルと呼ばれる運転方式です。客車列車に付き物の折り返し運転時の機関車の付け替え・機回し作業を省略できます。電車(気動車)と同じような感じです。



後追い。機関車はMP40-3C形SDRX923号機。おや、2連続で見られるとは。
広角で撮って影に入らないようにしましたが全部は無理ですね。



場所移動。さっきのところより歩いて5分くらいのやや南側の踏切で撮影。
アムトラックの検修場があるんですねここ。なんだかえらく編成の短いタルゴが・・・。左から荷物車、食堂車、電源車と全部非営業車です。まあ他の客車は検査中なんでしょうが。
タルゴも本当短いですよね。もしBトレ化するとしてもこれの場合デフォルメする必要ないと思いますw



5人に3人は「機関車だ」と答えそうな外見をしていますが実はエンジンを取り外されてしまったもはやただの制御車ことNon-Powered Control Unit車AMTK90253号車。
日本語にするなら「無動力制御車」というのがこれの正式な名前です。元は正真正銘の機関車EMD F40PH形、かつてのアムトラックの主力機関車でした。
タルゴには他の客車と違って制御客車が無いので別に制御車を用意する必要があったのです(ただしカナダ乗り入れ列車はそういう協定でもあるのか、制御車を連結しないのだが・・・)。ジェネシスの投入で余剰となったF40PH形を転用したというところでしょう。なおスッカラカンになったエンジンルームは乗客の荷物置き場になっているので実は荷物車の側面もあるのです。日本語にするとクニ90253。そういう旧型国電いそうだな。



スイッチャーのEMD MP15DC形。スイッチャーったってデカイもんな。
余談ですが、このスイッチャーはどちらが前なのかというと、この写真の向きつまりエンジンのある方が前側のようです。他のロード・スイッチャーだとエンジンのある方が後側にくるのにスイッチャーは逆なんですねぇ。さすがに見た目がアレだと思ったのかも。なお根拠は鉄道模型の見本写真なのであまり当てにせずに・・・。



留置車両に目を奪われていると後ろからアムトラック「カスケーズ」が通過していきました。あれ、こんな時間に走るとは聞いてなかったので不意打ちでした。回送かな?
先頭はEMD F59PHI形AMTK470号機、タルゴはオリンポス山編成、後尾のNPCUはAMTK90251でした。



後追い。これだけ見ればF40PH形が機関車に見えなくもない。
まあF40PH形もアムトラックから引退したくらいで、探せばまだまだ現役のところが多いです。



次の列車が来るまでアムトラックの検修場を見てみます。これは機関車の整備場ですね。ここは日常点検程度でもっとちゃんとした整備は屋内の車庫でやるんでしょうけど。
営業列車では中々見れない機関車の背中側がおっぴろげです。これら旅客用機関車ってロード・スイッチャーと違って運転席から後ろが見えないんでどうやってバックするんだか気になってましたが「一応後ろにも運転できるよ、一応ね」程度の装備はあるんですね。扉の内側に簡単な制御装置があるんでしょう、きっと(未確認)。扉の窓が後方視界の全てとなると構内移動だって満足に出来ないですな。本当に申し訳程度の装備だ。
流線型片運転台機関車は客車と編成を組んだ時にスピード感と一体感が出るのが魅力ですが、一方の客車側は妻面に運転台付けただけでどうもこの・・・。まあ客車側は編成組成の自由度を上げるために貫通型にしなければならないという制約があるにせよ、エクステリアの引き出しが少ないように感じます。その点日本の貫通型車両のデザインはいいですよね。



道の反対側には客車が留置されていました。これはAMTK1759荷物車。1961年バッド製で新製配置はユニオンパシフィック鉄道UP5520。
アムトラック発足時に他鉄道から引き継いだ客車いわゆるヘリテージ客車はもはや荷物車程度しか残っていませんが、各社からの寄せ集めだけあって個体差が大きく、見るのが楽しい客車でもあります。
ただ近年、ビューライナー客車の車体で荷物車の新製が行われたらしく、ヘリテージ客車も先が見えてきた・・・のかも知れません。まあいつかは廃車になるからね。



別の線にはスーパーライナーと荷物車。このスーパーライナーは食堂車です。1階に窓がないのがポイント。



さっき見た1516レの折り返し1517レレイクウッド行き。MP40-3C形923号機が先頭です。
引き気味に撮って周りの景色も入れてみましたぞ。背景の屋根はセーフコフィールドです、言わないとわかりづらいけど。架線柱型の信号機もアメリカっぽくていいですね。
あとはあれですね、警笛がやかましいです。踏切を通過する時には必ず警笛を鳴らさないといけないそうなんですが、ただでさえうるさいのに何回も鳴らすもんですから・・・。



後追い。まあ普通の客レだよな感ある。



でもまあ制御客車が先頭になると、ねぇ・・・。ただ最近はだいぶマシな方に見えてきました。
1518レシアトル行き。



引き寄せてからも撮影。やはり車体が大きいのと意外と速度を出すんですね、これ。迫力は中々あります。



後追い。機関車はMP40-3C形SDRX921号機。おや、1時間足らずでサウンダーのMP40形3機全部見れましたねぇ。珍しいとは一体。
これにて撮影は終了です。



行きとは違うルートでセーフコに戻ります。サウンダーの通る線路の西側にはBNSFの操車場があります。
コンテナ積み下ろし用の設備のようで、操車場には巨大コンテナクレーンが見えました。ガントリークレーンではなくトランスファークレーンと呼ぶそうです。1列車当たり100両超えが当たり前のダブルスタックトレインの海上コンテナをフォークリフト(トップリフター)で運んでたら日が暮れちまうもんなぁ・・・。



セーフコに戻ってきました。
スクールバスが停まってました。Thomas Bus Saf-T-Liner C2が2台です。学生がセーフコに来ているかと思いきや、これおでこにチャーターの文字が。なんかのツアーなのかしら。



振り返ればセーフコの入場口。私の手にはこの日のチケット。そう、今からメジャーリーグ観戦なのです!
初日のメインイベントの始まりだ!


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北米project 2 ~Major Leaguers und Jäger.  その1 【2015/06/24~26】

2016-03-20 23:11:36 | 海外旅行記


2014年10月、黒鉄重工は初となる北米大陸カナダへの上陸を果たし、その2ヶ月後には大国アメリカ合衆国へ足を踏み入れることに成功した。
それから半年後、私は再びアメリカ合衆国ワシントン州シアトルへと赴くこととなったのだ。
これはその時の記録である。

というわけで、2014年12月以来のシアトル再訪問となりました。目的は前回回れなかったスポットの攻略・・・ではありますがこれは副次的なもの。真の目的は「ビザの書き換え」にあります。
今まで私はノンビザでカナダに滞在していたのですが、ワーキングホリデービザという海外での生活・勉強・就労が期間限定で出来るビザがこの度認可されたので、そのビザへの書き換えをします。書き換えるには一度カナダを出国して再入国する必要があります。一旦出る国はどこでもいいのですが、近いということからアメリカがよく利用されます。

余談ですが、初めの予定では4月の時の再入国時にワーホリビザへ書き換えるつもりでいたのですが、2015年の日本人向けカナダ用ワーホリビザの申請の開始は例年(1月くらいだったか?)よりかなり遅く、始まったのは4月の終わりくらい。申請から認可までだいたい2ヶ月かかるといわれていて実際そうなり、認可が降りたのが6月中旬くらいでした。2016年はよく見ていませんが、例年通りだったようですね。なにやってたんだ2015年の時は・・・。

話を戻して、要はカナダに再入国すればいいだけの話なので、アメリカに一瞬だけ脚を踏んですぐさまとんぼ返りしてカナダの入国管理局でビザを受け取れば済むわけです。ぶっちゃけアメリカ自体に用はないです。
ビクトリアからはワシントン州ポートエンジェルスへ向かうフェリーが出ていて、往復$36程度で済みます。これが手軽で最安ですね。実際にこの選択を取る人もいます。

だがしかし、せっかくアメリカへ行く用事が舞い込んできたというのにただカナダ~アメリカを往復するだけというのは私には到底出来ることではなく、せっかく行くアメリカ、数日は楽しまなきゃとなるのは自明でした。ていうかただの往復なんてそんな話聞くまで思いつきもしませんでした。
ではアメリカのどこに行こうかとなるんですが、シアトルはもう行ったし、じゃあ次はロサンゼルスかサンフランシスコかシカゴかそれともニューヨークか・・・色々思案しましたが、結局すでに行ったことのあるシアトルにしました。理由はそんな遠くまで行く金が無いっていうシンプルなものです(後の北米P4はこれの雪辱戦をやたら肥大化させたものでもあるのです)。
とはいえ北米P1では行けなかったところ、旅行後で見つけた新スポットもあったので行き先としてダメということはありませんでした。むしろ行く気満々になり日数は2泊3日となりました。

では前書きはこのくらいにして本編を始めましょう(読み返してみたらクッソ長い前書きだな



2015年6月24日(水) 午前10時09分 ビクトリア インナーハーバー
旅の始まりはビクトリアのインナーハーバーのフェリーターミナルから。
バスには乗りませんよ。停まっているのを見ただけ。
バンクーバー・トロリーのPrevost H3-45 (1st generation)。シアトルからフェリーに乗って来た観光客を乗せるんでしょうな。



こっちも同社のH3-45 (2nd generation)。



主役登場。ビクトリア・クリッパー・フェリーのVictoria Clipper I。これに乗ります。北米P1の最後でも乗りました。

ビクトリアからシアトルへ行く手段はいくつかありますが、今回のビクトリア・クリッパー・フェリーはそこそこの値段、そこそこの早さです。利便性は実はイマイチ。
一番早いのはやはり水上機でしょう。飛行時間自体は1時間もかからない。ただし値段が高い。
一番安いのはフェリーでポートエンジェルスへ行ってバスに乗り換えるというもの。ただしこれは移動に一日費やすと見ていいでしょう。
ビクトリア空港から飛行機、というのは空港へ行くのがだるいですな。ビクトリア空港、シータック空港共にダウンタウンからは離れていて、トータルでの移動時間は水上機には及ばないでしょう。ビクトリア以遠からの乗り継ぎ時に使う時はベターかと。ただし、朝出発して最も早い時刻にシアトルへ到着できるのはこれだと思います。

で、クリッパーフェリーですが、乗船時間は約2時間半、運賃は時期により変動しますがこの季節だと往復$180くらい。飛行機/水上機よりは遅いけど値段は安く、飛行機とうまく住み分け出来ています。問題は運行ダイヤでして、このフェリーはシアトルからビクトリアへ向かう観光客に最適化された運行になっているのです。つまり観光客がビクトリアでの滞在時間を多く取れるように朝シアトルを出発して夕方ビクトリアから戻ると言う具合です。
シーズン中は便数が増えて2~3往復体制になるのですがそれでもビクトリア発の時刻が遅いことには変わらず、この時期の出発時刻は11:30という遅さ。それでも今回は時間よりも値段の安さを取ったわけですが。ビクトリア朝発の便も作って欲しいもんです。



北米P1の時にも書いたと思いますが、クリッパーフェリーは人だけを運ぶ客船です。日本でフェリーというと自動車と人間を積める船というイメージですが、本来の英語にはそういう意味は無いので、まあそうなるなという感じです。自動車でシアトルに行くときはポートエンジェルス行きフェリーに乗ってそっから陸路で行きます。
双胴の高速船で実際速い。前乗った時はゲロりそうになりましたが今回は波が穏やかで快適に過ごせました。窓際の席の一部には電源プラグが付いているので狙ってみましょう。



14時過ぎにシアトルへ到着。2度目のアメリカ、2度目のシアトルだ。船内預け荷物はコンテナに入れて積み下ろしはクレーンでやるんですな。
入国手続はビクトリアの時点で済ませてあるのでスムーズに外へ。さあ、3日間"ついで"の旅行の始まりだぜ。



フェリーターミナルの向かいは線路になっていて、ちょうどタイミングよく機関車が単機で通過していきました。
BNSF鉄道のEMD GP38-2形BNSF2094号機です。中量貨物列車牽引から操車場での入換まで出来るB-B軸ロード・スイッチャーです。
なおこれの機関士、運転台のデスクに足を乗っけて運転するという素晴らしい勤務態度を見せてくれました。おったまげたなぁ・・・。いやたぶんアレはアメリカでも悪いほうだと思うけど。
ロード・スイッチャーって、スイッチャーとしても使いやすいようマスコンやブレーキがデスクじゃなくて運転席左横側に付いてるし(と書くとDE10形を思い浮かべると思うがアレとも少し違う配置で、あくまで幹線用機関車に適した構成となっている。詳しくは画像検索されよ。)、足乗せてもあまり支障がないのか。




背中側。日本みたいに2エンド側って言い方はしないらしい。
BNSFの塗装はいくつかあって、これはヘリテージ1と呼ばれるもの。通称かぼちゃ。前身のサンタフェ鉄道のものを引き継いだボンネットにある円に十文字のロゴが特徴。
他の塗装はこの旅行記の終盤に出てきますぞ。



この後フェリーターミナルから最寄りのバス停を探したものの見つからず、歩いているうちに気がついたらダウンタウンの近くまで行ってしまい、もうこの際だからとトランジットトンネルまで歩いてしまうことに。
今旅行、スマートフォンの電波が無い状態で周るため色々不便です。まず今みたいにバス停が探せません。事前に調べはしたんですけどねぇ・・・。
ネットが使えないとこうも立ち回りが鈍くなるとは。すっかりグーグルさんに依存してしまってますね。なお今後も不便が襲うぞ☆

道中通りがかったバス撮影。サウンドトランジットのGilling Phantom 40'。おお、ツーステだ。



コミュニティトランジットのNFI D60LF。シアトル北部に路線網を展開するバスで、ダウンタウンには中長距離系統しか乗り入れてこないのであまり目にしません。前回訪問時には見なかったですし、今回も写真はこれっきりでした(目にした事自体はこの後何回かある)。
これの自転車ラック、3台積めるんですね。つよい。



トランジットトンネルのウェストレイク駅にたどり着きました。ここへ来る前に観光案内所で改めて情報収集してたんですが、そこで思いがけないネタを見つけてきました。急遽翌日の行程にぶち込みました。こういうのがあるから観光案内所は侮れないのだよな。

さて前回も来ましたこのトランジットトンネル。名前通り公共交通機関のためにダウンタウン地下に掘られたトンネルで、路線バスとなんと電車が同じトンネルを共用しています。
ただ観光客にはちとわかりづらい部分もあり(特にバス)、とりあえずダウンタウン内の移動なら電車にだけ乗っていたほうが無難だと思います。



電車が来ました。リンク・ライトレールです。電車に正式な形式名はないんですがとりあえずここでは100形とでも呼んでおきます。ちなみに近畿車輛製。
このライトレールの終点はここウェストレイク駅だったんですが、2016年3月19日にワシントン大学まで延伸しました。そこから更に伸ばす計画もあるらしいです。アメリカのライトレールは延伸に積極的で羨ましいな。



サウンドトランジットのNFI DE60LF。ハイブリッドバスです。ここを通るバスは例外なくハイブリッド車です。



キング郡メトロのNFI DE60LFR。
ウェストレイク駅のワシントン大学駅寄りは勾配になっていて構図的に面白いので少しの間撮影していくことにします。



キング郡メトロNFI DE60LF。暗いところでも中々綺麗に撮れていて満足してます。カメラ替えてよかったです。



DE60LFRとDE60LFの離合。よきかな。



サウンドトランジットDE60LF。
中々電車来ないな・・・。



キング郡メトロDE60LFR。



100形が来ました。地下トンネルにLRVというのはミスマッチです。そこがいいんですが。



寄せてからも撮影。



バスと電車の離合を撮影したかったのですが、時間が押していたので電車に乗ってインターナショナル・ディストリクト/チャイナタウン駅(長い・・・)へ。そこから近いところにあるホステルへチェックインします。

今回は宿泊費を抑えるために初めてユースホステル(Hostelling International)を使いました。格安の代わりに相部屋だったりシャワートイレが共用だったりでプライバシーや快適性が低いんですな。
案外清潔だったりスタッフの対応もよかったりして結果的に思っていたよりよかったのですが、やっぱり相部屋だけはキツイなぁとなりました。盗難が怖いです。
部屋に鍵のかかるロッカー(ただし鍵は持参)がついているので盗難の心配からはある程度解放されるのですが、寝ている間にスマートフォンとカメラの充電をしなければならずその時はロッカーから出してベッドの横で一緒に寝ることに。寝ている間に盗まれちゃたまらんわけで、カメラを抱えて寝てましたw
また使う機会があるかというと微妙かも・・・といったところです。面白い宿ではあるんですけどね。

今回はここまで。


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そこはスチームパンクの世界だった 最終回 【2015/06/20】

2016-03-19 22:11:13 | 旅行・イベント記

SHAS撤退後、私はビクトリア空港にいた!近くまで来たんでついでに寄っていこうということになりました。もう蒸気なんてかけらもないぜ、時代はジェットだ。
ここまで飲まず食わずだったので、まずは空港で軽食。展望室で飛行機を見ながら食べるドーナツはいいぞ。
写真はおなじみいつものエアカナダ・エクスプレスDHC-8-300 (C-GEWQ)。



ささっと休憩を終えて出撃。飛行機を待っていると上空にDHC-3Tが通過していきました。空港真上の空域を飛んで行くんですものなんですな。
水上機が海のないところで上空を飛んでいるところを見ると「下駄付き」とか「足付き」とかみたいな名前で呼びたくなります。



まずはRWY14エンドに向かってパシフィック・コースタルのBeech 1900C (C-FPCO)を迎撃。



エアカナダ・エクスプレスDHC-8-Q300 (C-FACV)。ようやく満足いく飛行中のDHC-8を撮影出来ました。
DHC-8-Q300もそろそろ更新時期が迫っていると思うんですけど、後継機は何になるんでしょうか?ボンバルディアは既にQ400以外の生産ラインを閉じてますし、現状この大きさの機材はATR42くらいしか無いですよね、確か。



RWY09から着陸してきたパシフィック・スカイ・アビエーションのBeech Super King Air 350 (C-FHSP)。ターボプロップ双発のビジネス機です。エンジンカウルにシャークマウスが描かれてるのが特徴。



チャリにてんとう虫が。それだけです。



RWY09で737を待ち構えていたら、何やら小型機が。・・・おやおや~?
ひと目で、尋常でないひこうきだと見抜いたよ。
おおう、これ相当古いぞこれ(慌ててる



一度フライパスしたと思ったらまた戻ってきた。脚を広げているのでこれは着陸ですね。



腹を見せながら着陸していきました。
で、この機体は南昌CJ-6初教六型 (C-GYMK)。1958年に初飛行した中国の練習機です。中国の国籍マークが眩しいね!
Yak-18のライセンス生産機初教五型の改良型で生産数は2000機とも1万機とも。数ブレすぎだろうこれ。こんだけ多いとなると中国だけに留まらず、カンボジア、バングラディシュなどにも輸出されました。
で、およそ200機が民間の手に渡ったと言われていて、そのうちの1機がこうして飛んでいるというわけです。カナダの他にもアメリカやオーストラリアでもマニアが飛ばしているそうです。やる人はやるんだなぁっていう感じです。
ビクトリア周辺には少なくとも5機程度のCJ-6がいると見られ、編隊飛行しているのを何回か見たことがあります。もう次元が違う。



そして思わぬ機体の登場にすっかり霞んでしまった本命のウェストジェットのB737-700 (C-FWSF)。ちょっとギラリとしたのを狙ってみたぞ。



当然、引きでも撮ります。



RWY27に移動する途中、鹿と遭遇しました。山奥に行かないと出てこないと思ってたのでちょっとびっくりしたぞ。その後もまれに見かけます。意外と人里にも現れるのですな。
なお日本の鹿同様にカナダの鹿も畑を荒らす害獣扱いされている模様。それで動物愛護の本場アメリカの隣なので鹿の愛護団体もありにけり。まあ簡単じゃないよね。



今週の野鳥。ハゴロモガラス。



離陸するウェストジェットB737-800 (C-GDMP)。738を撮るのは初めてだ。というかさっきのと違う機材だったのか(今迄気づいてなかった



後追いも撮影。
これで終了です。着陸したCJ-6も探してみましたが見える範囲にはいませんでした。

そこはスチームパンクの世界だった その5 【2015/06/20】

2016-03-18 21:01:37 | 旅行・イベント記

資料館を出ます。またトラクターです。やはり農業機械の収蔵が多いんですね。



Fordson Major "E27N"。1946~1953年製。名前から推測できる通りフォードの子会社です。今はもうトラクターやってないそうですけどね。



Cleveland Tractor (Cletrac) "Genaral"。1939~1940年製。同社はアメリカ・オハイオ州のトラクターメーカー。やはり現在は消滅。



John Deere "Model D"。1935~1953年製。このメーカーは現存していて世界中に展開しています。



移動に疲れたんで園内移動用のトラクターに乗ります。



エキスポ86の看板。右に描かれているのは現在もバンクーバー・イェールタウンに保存されている374号蒸気機関車ですね。目玉のひとつだったんですな。
対して左のは現代の列車なんですが、カナダを走る列車でこれに思い当たるものが無いです(まあこっちの列車あまり知らないんですけど)。国外に目をやってみればフランスのTGVに見えますね。というかひと目でこれはTGVだと感じたんですが・・・。近くのおっちゃんも正体についてよく知らんらしい。



ポンプこれくしょん ーポンこれー。井戸水を汲み上げるポンプを片っ端から置いてあります。



珍しいところではこれですかね。回転ポンプじゃないかな?少なくとも私は初めて見た。
中身がどうなっているのか知りませんが、遠心ポンプなのかしら。



おなじみ手押しポンプ。ピストン運動により水を吸い上げ押し出します。
ちなみにこれ、配管内を真空にするための呼び水を入れる用の穴が無いんですけど、呼び水いらないポンプなのか?



なおポンプの下は水タンクになっているので実際にポンプを動かして水を汲み上げることが出来ます。これが楽しいのだ。



最後に7.5インチ鉄道に乗車します。
蒸気機関車が止まっています。2C1、4-6-2、パシフィック、お好きな名前でどうぞ。重厚感がやはりこのゲージの魅力ですね。



BC鉄道のGMD GF6C形"電気”機関車。いつだかパンタグラフの付いたカブース(架線検測車)を博物館で見た時から気になっていましたが、本当に電気機関車がいたのか。
非電化大陸北米において電化路線は(ライトレールを除けば)特異点といって言いほど珍しいもので、アメリカ東海岸の北東回廊に数百kmがあるくらいです。
それがなんでカナダの片田舎に?となるんですが、1980年代にBC鉄道がタンブラー・リッジ(プリンス・ジョージの北東数百kmにある村)周辺に建設した石炭輸送路線用に造ったんだそうな。その路線は長大トンネル、急曲線、急勾配だったので電気機関車が適しているということになったようで。
1983~1984年に7機(BCOL6001~6007)が製造されたもののその活躍は短く、2000年に架線が撤去されたためそのまま引退。どうも設備投資に見合わない収益しか得られなかったようです。線路がどうなったかは分かりませぬ。電化設備撤去後も存続している可能性はある。
で、トップナンバーのBCOL6001号機がプリンス・ジョージの鉄道博物館に収蔵された以外は解体されてしまったそうです。

という、悲運な機関車なのです。これのオーナーも模型ではいつまでも走らせるぜ、っていうやつなのかも知れません。なお6000号機は実在していません。



牽引機もそうですが貨車も本物志向で素晴らしいですね。これは無蓋車ですがかなり実車に近いと思います。人を乗せる時はどっかから持ってきた椅子を取り付ければOK。



バルクヘッド・フラットカー。材木を運ぶための長物車です。荷崩れ防止のために妻面に壁(隔壁=bulkhead)を設けているのが特徴。この手の長物車は今日ではセンタービーム・フラットカーに発展して現在も使われています。
この模型は人が乗るように最適化されていて多少デフォルメが入っています。腰掛けが積み荷である材木になっています。ただこれは、貨車としてのリアリティと人が乗ることの考慮を両立した秀逸な模型だと思います。



で、乗りました。乗車中は終始動画撮影していたんで写真はないですが、とても楽しかったです。
景色の移り変わりが多く、序盤終盤のヤードや引き込み線のある線路を走るところは実際の鉄道に乗る時同様の楽しさがあります。線路のジョイント音が心地よい。
乗車時間はおよそ10分間なので存分に7.5インチを堪能できます。こりゃおっさんたちも夢中になるよなぁ。

乗ったのが写真のこの列車です。機関車のモデルは知りませんが初期のロード・スイッチャーなのかな?



汽車の整備場。
これ、線路の高さを腰くらいにまで上げて、整備がやりやすいようになっています。整備線は平行して並んでいて、移動にはトラバーサーを使用。
なんともシステマチックな・・・。



転車台。
転車台の左から延びている地面に着いている方の線路が本線からの引き込み線です。ここから転車台に載せますが、これだと高さが合わない。
でも心配ご無用、この転車台は油圧で上下に高さを調節できるのだ。これで上の整備線の高さにまで持っていくのです。
7.5インチやり慣れてるところは違うなぁ。



最後に線路沿いで少し撮り鉄した後、ここを撤退しました。

このようにかなり楽しめました。古い機械が好きな人、7.5インチ鉄道に乗りたい人にはおすすめです。
トラクションエンジンなんかは普段はたぶん動いていないと思うので(車庫にしまわれている可能性も)、イベント時に訪れるのが確実だと思います。7.5インチも特定日にしか乗車できないのでホームページをチェックだ。

これで終わりだと思うだろ、もうちょっとだけ続くんじゃ。


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そこはスチームパンクの世界だった その4 【2015/06/20】

2016-03-15 23:39:46 | 旅行・イベント記

続きです。
なんかゲテモノ牽引車が。



申し訳程度の蒸気機関要素。



ラルフ・バートレイ鍛冶屋工房 Ralph Bartley Blacksmith Shop。blacksmith=鍛冶屋ってどういう由来なんだろうね。
名前の通り鍛冶屋の工房です。



屋内には生きている鍛冶屋が。こういうのはわくわくします。鉄器の他に馬の蹄鉄を作っているんだそう。blacksmithには蹄鉄工という意味も含まれていますので、こっちが本業か?



鍛冶屋の命、コークス炉です。鍛造に使う燃料は色いろあるようですがここではコークスを使っています。



ただコークスを燃やしているだけでは全く鍛造できないので、秘密兵器送風機を使います。これでコークスの下から大量の空気を送り込んでコークスを燃焼させまくるのだ。
昔ながらの鍛冶屋というのがここのウリ(?)なので、送風機は手動ハンドル式。後ろに写っている鍛冶屋おばちゃんがたくさん回します。



ファイヤー!!
余裕の炎だ、火力が違いますよ。



工房を去ると、蒸気トラックが走っていました。荷台と機関部+キャブの長さが同じっていうのはやっぱりでかくて不利だよなぁって思いましたが、現代のピックアップトラックも似たようなもんでした。アメリカじゃ大きさに関してはあまり気にならないのか。



庭師のガレージ。持ち主だった庭師が寄贈したそうな。



いいガレージだな(よく分かってない



別の建物。色々なものが転がっていますな。



資料館的な建物に入ります。外観は撮り忘れました・・・。
このでかい機械はライノタイプ Linotypeという鋳植機。活字が書かれた版型を鋳造する機械です。かなり大きい機械で、機構も複雑。オットマール・メルゲンターラー Ottmar Mergenthalerというドイツ系アメリカ人が1886年に発明しました。
キーボードを打つと、機械の上部(額が置いてあるところ)から活字が彫られた母型が飲料自販機の如く落ちてきて任意の文字列を形成します。形成できるのは一行ごとです。行の組成が終わったらその次は、鉛などで出来た活字合金を母型に流し込んで一行分の版型を鋳造します。この版型を並べていって一頁分の版型を作っていくわけです。使い終わった母型は自動的に元のストックに戻されていきます。母型にはそれぞれ異なる形状の刻印がされているので、それに合わせて機械が判別して文字ごとに仕分けられて戻されます。
似たような機械に一文字ずつ鋳造していくモノタイプというものもありましたが、ライノタイプの方が版型を速く組成できたそうです。



これが出来上がった版型。



確かに行ごとに鋳造されてますわ。
ちなみに版型には、

サーニッチ歴史道具協会提供

秋の大脱穀祭

蒸気エンジン、荷馬車、校舎、
教会、丸太小屋、博物館、鉄道模型、
砂山川印刷社、
鍛冶屋工房、蒸しトウモロコシ、軽食

9月16~17日
9:30~16:00

大人 $6
16歳以下の子供 無料

住所~~(略)

みたいなことが書かれてました。



この建物、他にも小道具が所狭しと置かれています。
これはパソコンじゃないですか。しかもよく見るとこれApple IIcですよ!
今や意識高い系御用達アップル社の最初期、1977年に発売されたApple IIは世界初の完成品パソコン(先代のApple Iはキット品)で、技術者やパソコンオタク以外にもバカ受けし最終的に約500万台が生産されたとか。
IIcはそれのコンパクト型として販売されたもの。フロッピーディスクドライブも内蔵されていて、重量はおよそ3kg。当時としては小さかったんだそうな。時代だねぇ。

なお隣にあるのはアタリのAtari 410とAtari 800。もっとちゃんと観察してくるべきだったなぁ。



アマチュア無線機器とかそんなのかな?(クソ適当



タイプライター。これも全く分からん代物なのですが、いわゆる手動式でアンダーウッド製の器械かもしれない。
文字の種類が少ないとこういう時便利だよね(極東の方を見ながら



これもタイプライター?なんだかでかいなぁ。

資料館はこんな感じでした。ていうか当時の自分、関心なさすぎだ。ここはもう一回行きたいな。


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そこはスチームパンクの世界だった その3 【2015/06/20】

2016-03-13 23:36:25 | 旅行・イベント記

たぶんもう蒸気関連は出てこないと思いますが続けていきますよ・・・。
人間の使う道具ならなんでも置くってスタンスなのでガソリン車だって保存します。
ガレージの中にあるのは1929年式シボレー1トン半トラックS0085。S0085は型式ではなくBC州政府が購入した85番目のトラックということなので、組織内番号ですな。
キャブより後ろは黒幕で隠されていて見えませんでしたが荷台と油圧式クレーンを搭載していて、バンクーバー島南部とガルフ諸島(現サーニッチ地区)の道路保守用に使われていました。お値段$1,392。
1948年にガルフ諸島サターナ島の農場主に売却され、1979年に廃車。その後引き取り1986年に復元が完了したとのこと。エンジンは1930年代製のものに換装されていますが、ブレーキ、トランスミッション、差動装置は原型を維持しています。



運転室。最低限の装備しかないという感じです。



トラクター軍団。
馬や牛を必要としない移動手段・運搬手段として確立された蒸気自動車およびトラクションエンジンでしたが、程なくしてガソリンエンジン技術が発展していき、重いわ遅いわボイラーが場所を取るわで1920年代辺りには蒸気自動車はガソリン自動車に取って代わられてしまいます。速度を必要としないトラクションエンジンは以後も生き残りましたがそれも1940年代頃まででした。



Averyというトラクター。1916~1919年製ですから、ガソリントラクターの中でもかなり黎明期のモデルだと思います。ほぼフレームだけ・・・。



ここにもトラクター軍団。
トラクターというと畑を耕していて公道を走られるとノロマなので邪魔に思えるアレを思い浮かべますが、トラクター tractorを直訳すると牽引機という風になります。
ここに保存されているトラクターは牽引車としてのトラクターで、耕耘機能は無かったです。



フレーザー農業機器社 Frazer Farm Equipment CorporationモデルT。1948~1950年製。エンジンルームの妙な空洞が気になりますが、エンジンを換装されているようです。原型のエンジンはこの空洞にすっぽり収まっていたんでしょう。



2台の1946年製ボレンズ社ライドマスター Bolens Ridemaster。前輪駆動車は珍しいのかも?



トラクター三種。
真ん中はドーザー付きで、その両脇は耕運機でしょうかね。



崩壊しそうなトラック。全部原型なんだろうな、これ。エンジンスターター用のハンドルが残っているのがいいね。



この園内ではえらく未来的な(ただし1962~1979年製)消防車はInternational Loadstar 1700。車名の「ロードスター」は2人乗りオープンカー(roadster)とは綴りが異なり、これは北極星、転じて道しるべとなる星という意味です。

塗装から見るに所属はノースペンダー島 NOrth Pender Islandだった模様。これもガルフ諸島の島のひとつで、ソルトスプリング島の東にあります。
度々名前が出てくるガルフ諸島ですが、このガルフというのはそのまんま湾=gulfという意味なんですが、この辺りに湾らしい湾は無いのです。ありうるとすればまだバンクーバー島が未開の地だった時代(バンクーバー"島"かすら分かっていなかった時代)に大陸とバンクーバー島に挟まれているジョージア海峡が、当時はジョージア湾と後の時代からすれば誤った呼ばれ方をされていて、ガルフ諸島はその時の名残なんじゃないかなと思います。



これはポンプ車ですね。いざって時には使えるのかしら・・・?



ケース社の自動車。前々回くらいにケース社の蒸気トラクターが出てきましたがあのケース社です。1910年にピアス自動車を買収して1927年まで乗用車事業にも手を出していました。生産台数は2万7千台ということで、あまり造っていなかったようですね。フォード・モデルTが1908~1927年の間に1500万台造っていたことを考えると、3万台弱、それは造ったといえるのか?とも思える数ですなwフォードお前ってやつは・・・。
これは1912年式のツーリングカー(値段$2,500)で、オプションで電気式スターターとライトを装備しています。電気式スターターはたしか1910年代に普及し始めたはずだったので、この頃は最新装備だったんでしょう。まだ信頼性が高くなかったためかハンドル式スターターも一緒に装備されています。
オプションのライトっていうのは、エンジンの後ろについているウィンカーみたいなライトですかねぇ?

余談ですが、現代のツーリングカーと20世紀初頭当時のツーリングカーでは多少意味合いが異なっていて、4人以上の定員のオープンカー(幌屋根付き)を持ったボディを指す実用的な自動車の形式のひとつです。これが普及していったので、一般に使用されている乗用車全般のことをツーリングカーと指す現代での意味合いに変化していくわけです。
オープンカーなんて現代では思い切り趣味的な車ですが、当時はまだ鉄が高価だったので屋根は折りたたみ式の幌にすることで値段を抑えていました。1920年代頃になると屋根も金属になったクローズドカーが手頃な値段になってきて次第に普及し始めたので、幌付き自動車は姿を消していったのです。



1930年式フォード モデルAA 1トン半トラック。モデルTに対するモデルTTのようなもので、これもモデルAからの派生型です。
バリエーションが多く、トラック、タクシー、救急車、果ては霊柩車まで。この個体はダンプ機能付きトラックで、ダンプ機能もオプションのひとつ。
が、肝心の後ろ側は入りにくかったので写真はないです。



インターナショナルのトラック。型式不明ですが1930年代製のKB11じゃないかな?
このトラックについているナンバープレートは普通のものとは違っていて、ビンテージプレートと言います。車齢30年以上、極力原型を維持していること、などの審査基準を通ると装着することが出来ます。なのでこのプレートを付けている車両は資料的価値があると見て問題無いでしょう。
ただし、これを付けると商業目的での運転、日常運転、(条件によるが)夜間運転が出来なくなるという制限を受けます。運転できるのは展示会、パレード、結婚式など特別なイベントのみになってしまい、実用車としては使い物にならなくなってしまいます。メリットがないように見えるんですが、保険料が安くなるとかあるんでしょうかね?(そこら辺は書いてなかった
なので動態保存目的で博物館入りしているような車両にこのプレートが付けられる場合が多く、まだまだ隠居させる気なんて無いよという時は(恐らくビンテージプレートの下位互換であろう)コレクタープレートを付けるそうです。
これは車齢25歳以上(あるいは車齢15歳以上で生産台数1500台未満)、原型の維持などビンテージよりは多少ハードルが低そう。当然保険料は安くなるし、日常運転も可能です。
あの車古そうやな!ってのを見かけたらプレートを見てみよう。・・・まあ案外普通のプレート付けてる車も多いんだけど。



馬車三種。右は乗用馬車、中は給水馬車?、左は人力車かもしれない。
ここは道具しか置いていないので肝心の馬はいませんでしたな。ビクトリアには馬車観光ツアーがあるので調達は簡単そうですが。



ガレージの中には復元用の工房もあって復元中の馬車も置いてありました。

今日はここまで。


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