黒鉄重工

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北陸project ~Hokuriku Master Side M. その25【2018/4/28~5/3】

2021-06-27 23:56:35 | 旅行・イベント記
2018年5月2日(水)9時8分
京都府舞鶴市 舞鶴赤れんがパーク
5日目です。この日は京都丹後鉄道でも・・・と思っていたかは実はすでにあまり覚えていないんですが、なんとこの日の天気は一日雨。
まあ5日間連続で旅行していれば雨天に当たる日もありましょうな・・・。何にせよこの日の予定は一旦白紙です。


第29走者:オリックスレンタカー(ホンダ・GK系フィット)東舞鶴駅→豊岡駅→東舞鶴駅
で、レンタカーを借りることにしました。車だったら雨天の移動もへっちゃらだぜ、という。オリックスレンタカーでホンダ・フィットを借りました。しかし、金沢でもそうでしたけどオリックスの車はオーディオ類が貧弱なんだな・・・(ウォークマンをAUX接続できんかった)


港町には付き物の気さえする赤レンガ倉庫です。横浜のがいちばん有名だと思いますが、舞鶴のも知名度高めだと思います。


この時はまだ雨が降っていませんでした。ここを歩くのは2度目なので、ほう、へえ、という感じです。資材運搬用のトロッコ軌道があるのが個人的にはおすすめポイント。


前にはなかったオブジェクトです。現在は退役した後海上自衛隊の護衛艦「しらね」の主錨です。
「しらね」は10年くらい前に清水港で一般公開された時に乗船しています。記憶のある限りでは護衛艦に乗ったのはその時が初めてなので、少し思い入れがあります。


前回来た時は見逃していた貨車移動機。鉄道省が1932(昭和7)年に開発した初の国産ディーゼル機関車DB10形と説明書きには書かれていますが、どうやらそれそのものではないようだ、という見方が多いです。確かに形状が全く違います。
つまりいわゆる「何処の馬の骨とも知れない貨車移動機」(このネタももう死語だろう)なのです。塗装もなんだか嘘っぽい・・・。協三工業製の貨車移動機なのだろうなぁというのは想像がつきます。
しかし保存車といえど文字通り道具として扱われがちな貨車移動機としては破格の待遇での保存環境(空調付きの屋内保存だ)であり、機体自体の外観も非常に良好です。とても恵まれていると言えます。


ぜかましの看板・・・。いいんだ、これ。
なお肝心の配水池には行きませんでした。行ったとしても建物の中を入らないことには配水池の真価を見ることはできないので、成果は半分も獲れないでしょう。基本非公開ですがたまに特別公開することがあるようです。


護衛艦見学は大盛況。外から見るだけにしておきました。


次に旧中舞鶴駅跡の公園へ。ここには当地に配属されていたC58形113号機が静態保存されています。
ここは公式側のランボードを歩けるように歩廊が設置されています。キャブ側からランボードを抜けるとボイラーとデフレクターの間を潜って前方のデッキから地面に降りるようになっています。
ランボード上の構造もより見やすいようにというやさしさにも取れますし、”遊具”として上によじ登って遊ぶ子供が多いのでだったらいっそのこと・・・というようにも取れます。


炭水車。はしごには登れないようにトラロープが巻きつけられています。トラロープ自体には妨害力はほとんど無いですから、実際には炭水車によじ登ろうなどと努々考えるなよ?というサインでしょうな。日本人の信条は察しと思いやりよ、というセリフを想起させます。


少し分かりにくいですが非公式側のランボードには柵が追加設置されています。これはよじ登り対策でしょうなぁという物でして、やはり遊具にされていたんじゃ・・・という疑念が生まれました。


正面から。スノープロウがあると表情が締まりますね。
デフの留め具の形状がおかしいです。たぶん歩廊を作る際に通行の邪魔に思われて上へ逃したと思います。しかし非公式側までやることはなかったのでは。


保存蒸気機関車あるある、火室の中の砕石。キャブに入れる蒸気機関車は、多かれ少なかれ子供のいたずらでこういう状態になっていますが、ここのは多いと思います。


同日11時37分
京都府宮津市 京都丹後鉄道天橋立駅
舞鶴からどこに行こうかという話になったんですが、行くアテがないならまだ雨も降っていないし天橋立でも見ようやという話になりました。日本三景は制覇しておきたいしな。
そういうわけで、宮津市へ来ました。天橋立周辺は観光地化されています。車は近くの有料駐車場に停めます。

なんとなく京都丹後鉄道の天橋立駅へ。なんだか小綺麗だと思いましたが、数年前に改装したそうな。駅で時刻表を見てみると、ちょうど列車がやってくるのが分かったので駅はとっとと離脱して線路沿いへ移動。


幸い、駅を出て豊岡方面へ歩いていくとすぐに良さげな場所を見つけました。
来たのはKTR8000形特急「たんごリレー」4号福知山行です。
「丹後の海」として改装された姿を見たのは初めてです。塗装を見て察せる通り、これも水戸岡電車のひとつです。


んじゃあ天橋立観光と行きますか。天橋立は地平から見ても何も分からないので、山の上へ登ります。
この「天橋立ビューランド」からリフトに乗って山頂へ。なんだかここへきて今回の旅行で初めて観光地らしい観光地、A級観光地へ行っているぞ・・・!


スキー場のチェアリフトみたいなものに乗せられて山頂へ。久々に乗ったなこれ。しかし索道という括りに広げると、数日前に立山で乗ったばかりだ・・・。


ちなみに、並行路線として「スロープカー」という区分としてはモノレールのようなものが走っています。線路はやたら近代的ですが、単線な上にすれ違い設備も持たない上に走りがのろいので、輸送力ではチェアリフトに歯が立ちません。
不要不急路線ではという気もしますが、この後実は役立ちます(ここ伏線)


天気が悪い...!
まあ分かってたことだけどさ。これで日本三景のうち2つを攻略。残るは宮島です。
砂州が手前の方でグキッと折れながらこちら側の海岸へ接続していますが、そのすぐ左側から、砂州の根本のようなものが飛び出ています。あれが大昔は繋がっていたんじゃないかと勘ぐってしまいます。
河川のダム建設により川の土砂が海へ流れ出ていかなくなったことで地形の侵食が近年著しい、という砂浜観光地あるある問題を天橋立も抱えているそうです。


なおここはミニ遊園地にもなっています。天橋立が見れればそれで満足なのでは・・・?とは行かない人達もいるんですな。


弁慶号も走っています。これは古典鉄・明治鉄も心がほっこりするでしょう。とはいえ渋めのチョイスだと思います。
ちなみに、ついに雨が降ってきました。かなしい。


雨が降ってきたらもっと見えなくなったよ・・・。こうなるといよいよここに用はないので、とっとと麓に降ります。


雨がそこそこ降ってくるのでチェアリフトに乗っていたら麓に着く前にビチョ濡れになってしまう!(こんなこともあろうかと傘は持ってきていたが)
んで、そこで登場するのがこのスロープカーです。これ、1時間に3往復しか走らないどんくさい乗り物ですが、全天候型乗り物なので雨の時は躊躇せず使います(手のひらドリル
1本待ってれば乗れるような感じだったしね。人が並んで混む前にとっとと降りるぞ。


ガラス越しから見た天橋立。でもこの天気じゃ雨橋立だな、ガハハ。


到着。

というところで今日はここまで。


その26へ→

博多→大阪 サイコロの旅5・Ex 最終夜

2021-06-20 22:22:00 | 旅行・イベント記
2020年11月3日(火・祝)12時52分
大阪府大阪市港区 ジーライオンミュージアム
天保山の近くにある赤レンガ倉庫を再利用したビンテージカーの展示場であるジーライオンミュージアムへ来ました。
入場料は1,000円しました。まあ妥当かなと思います。館内はなかなかの収蔵量で、細かく書いていくとまたキリが無くなってしまいますんでそれはまた後日ということで、ざっくり書いていきましょうか。


ワイでも知っている、ご存知トヨタ2000GT、の後期型。しかも2台もいるし。当時の物価でだいたいカローラ5~6台分するんで、まあ普通に超高級スポーツカーですな。


ビンテージもののアメ車がずらずらと並んでいます。ゴイスー。
フォードやキャディラックみたいな有名所はもちろんスチュードベーカーとかハドソンとか今は消えてしまったメーカーも色々。


たぶんフォード・モデルTT。うん、いいよねTT。


スチュードベーカー・アースキンモデル50。スチュードベーカーの乗用車は初めて見ましたん。


キャディがお好き?結構、ではますます好きになりますよ。キャディのオールドモデルです。
キャディラック・シリーズ61です。昔から押し出しの強いことよ。


フォード・デラックス。これは戦前型だと思いまする。この頃あたりから前照灯がボディに埋め込まれるようになりましたが、その頃のデザインの車はチョー美しいと思います。


ここからはイギリス車。イギリス車って昔は色々なメーカーがあったんだねっていうのは車の知識を得ていくと気づく点。
これは硬そうな車として私に知られるロールスロイス。たぶん25/30HP。マーリンエンジンでも積んでそう。


対戦車ロケット食らっても走り続けそうなやつら。ロールスロイス・ファントムVIです。


最後はドイツ車。
クソデカキドニーグリルが近頃話題のBMWですが、このBMW・328も大概デカイ。でもM3よりかよっぽどまとまっていると思いにけり。


BMW・503。
というかんじで1時間半くらいの滞在でした。蒐集したビンテージカーのコレクションを飾ってあるという感じのどちらかというとショールーム的な施設だと思いますが、車種がどれも珍しくて興味深いので行ってみた価値はありました。


ジーライオンミュージアム撤収後は、中央線で本町駅まで移動。近くの模型屋に寄って店内の陳列を物色してお買い物をした後、御堂筋線でなんば駅まで。


同日15時54分
大阪府大阪市中央区 近鉄大阪難波駅
なんば駅でコインロッカーに置いてあった荷物を回収して近鉄の乗り場へ。そろそろおうちへ帰ります。
帰りは名古屋までは近鉄特急に乗りますぜ。しかもこの近鉄最新鋭の対東海道新幹線用決戦兵器80000系「ひのとり」に乗りますぜ。
まだまだ新型車なのでみんな記念撮影しています。未来の電車博士(でんしゃ・はかせ)もちらほら。
パッと見ロマンスカーみたいじゃんとか言っちゃいけないんだろうな。


意気揚々と先頭車へ行ったけど乗車するのは最後尾の方だった・・・。
1枚窓の風防は、ヨーロッパの高速車両に似たものを感じます。運転席もほぼ中央に配置されていますしね。


「ひのとり」のロゴマーク。火の鳥って言うと手塚治虫のクソ鳥を思い出してちょっとアレな気分になるのがな。


で、乗るのは先頭と最後尾の号車に設定されているプレミアムシート車です。普通車との差額は700円だったのでどうせなら乗るかという感じ。


座席は1+2列並びです。1列席は全部埋まっていたので2列席へ。隣に人が来なかったのは幸い。
全席コンセント設置は当たり前、シートは本革でリクライニングとレッグ/ヘッドレストは電動式、読書灯付き、バックシェル構造だからいくら背もたれを寝かせても平気というスペック。
これはよきかなという座席でしたが、習慣的にこういう椅子に座りなれていないのでビミョーに落ち着かない感じでした。育ちが知れますわね、オホホのホ。

ちなみに「ひのとり」の特急列車は、特急料金にひのとり料金という加算料金が上乗せされています。この時はまだ在来のアーバンライナーも名阪甲特急に入っていたので棲み分けができていたかと思いますが、後に名阪甲特急は全てひのとりに置き換わりましたんで、実質的な特急料金値上げになっています。
私は旅行ついでにたまに乗る程度だからあんまり気にしませんけど、名阪甲特急の主要顧客であるところのビジネス客はあんまりいい顔しなさそうです。


デッキには有料のコーヒーマシンがありにけり。
左の壁は無料のロッカーが6部屋あります。交通系ICカードを鍵代わりにするっていう駅のコインロッカーでよくみるやつです。


コーヒーの他にはココアとオッ紅茶もあります。コーヒー200円、ココア150円、オッ紅茶100円。コーヒーは比較的高いなおい。日本茶系はタダで飲むものだという刷り込みがあるせいか、ないっすね。
軽食も一応売っていますが、栄養食品的なものしかないのでラインナップが微妙だ。コーヒーに合う焼き菓子系とかあればよかったのに。あとはひのとりキーホルダーとひのとりハンカチが売っていました。
車内販売は廃止、飲食物は乗車前に駅の売店で買え、というのが昨今の潮流になっています。無人販売とはいえ車内で飲食物が買えるのはせめてものことかもしれませぬ。というかこういう販売形態が落としどころじゃないかと思います。
コーヒーを買いまして、席でダラダラとしていました。あとはサイコロの旅の行程のまとめをメモ書きしていましたが、意外と揺れるのであまり進みませんでした。プレミアムシートは今どき珍しくハイデッカー構造なので、そのせいかな?


同日18時12分
愛知県名古屋市中村区 近鉄名古屋駅
無事名古屋駅到着。はやいぜぼくらの近鉄特急。次は普通車にも乗ってみよう。


エスカの中で夕飯。あんかけスパにしました。うまい。


最後は新幹線で静岡へ帰り着きました。

以上でサイコロの旅5・Ex編は終了です。
次回からは新連載、サイコロの旅5・落穂拾い編が始まります。お楽しみに。


落穂拾い編へ→

博多→大阪 サイコロの旅5・Ex 第4夜

2021-06-19 07:47:33 | 旅行・イベント記
2020年11月3日(火・祝)10時36分
大阪府大阪市浪速区 南海電鉄汐見橋駅 
汐見橋線の電車がやって来ました。2両編成の昔の電車がのたのたと走ってきます。
汐見橋線の運転本数は終日2本/時で、線内を走る電車も1編成だけですから、この複線設備は過剰なものと言えるんですがいまも維持されています。
線路の間隔とか路盤とかも微妙に広く取られているような気がします。
線路の左を走っている高架は阪神高速15号線です。


車両は南海2230系2232F。支線用の電車ですが元を遡れば高野線の大運転で使われていた元ズームカーです。


電車から降りてきたのは数人で慌ただしさはありません。
この電車に乗って岸里玉出駅まで行きます。道中もやはりのたのたとした走りでした。


南海本線と高野線との接続駅の岸里玉出駅に着きました。汐見橋線のホームは駅の隅っこに孤立したような形であります。
駅が高架化された際に高野線との線路は分断されてしまい、南海本線へのみ通じることができます。


現在は汐見橋駅方面から難波方面へと進路を変えている高野線ホームへ。不死身とまで言われた6000系がついに置き換えが始まるんだそうな、ということで見れたらラッキー程度で見に行くことに。
最初に来たのが6200系6519F区間急行林間田園都市。


30000系特急「こうや」。


6300系6301F各停金剛。6000系のマイナーチェンジ版でちょっと狙っているのと違いますがまあこれも後を追うでしょうしね。


泉北高速鉄道5000系5501F準急和泉中央。
なんば行の各停の電車が来たのでここで離脱。


天下茶屋駅で下車しますがその前にここでも電車撮影。
南海の最新鋭通勤電車、8300系8712F空港急行なんば。近畿車輛で造られてるアイツです。


南海50000系「ラピート」。何度見てもすげえ電車だと思いますが、関空に用がないので一生乗らないまま終わりそう。


6300系6312F準急和泉中央。


3000系3515F空港急行関西空港。あ、これ元泉北高速鉄道の電車ですね。おでこの車番とロゴマークの銘板の跡が残っています。
大手私鉄の子会社で廃車になった電車を親会社が譲り受けて運行するっていうのはまあ珍しいことだなと思います。

まだ6000系を見ていませんがどうやらしばらく来なさそうなので、今回は諦めて撤収します。


天下茶屋駅で大阪メトロ堺筋線に乗り換え。


同日11時59分
大阪府大阪市港区 大阪メトロ大阪港駅
堺筋本町で再びの中央線に乗り換えて大阪港駅で下車。ここらへんは自称日本一低い山の天保山があるところです。行きませんでしたけど・・・行けばよかったかな。
天保山は安治川の浚渫の時に発生した土砂を積み上げてできた築山です。確かに日本一低い山だった時期もありましたが、近年どこか別の山(忘れた)のほうが低いことが分かったので今は2番めに低い山です。でも大阪市を始め周りの人たちはしらばっくれている模様。


近くの韓国料理屋とらじで昼飯にします。大阪で韓国料理の組み合わせはなんだか鉄板な気がしますので・・・。
スンドゥブチゲ定食にしました。辛いだけじゃないのがいいですよね、美味しかったです。


駅の南側へ歩いていきます。
ぽつんと角地。


いい感じの集合住宅だと思いました。


今日の目的地その2、「ジーライオンミュージアム」です。輸入車の販売とビンテージカーの博物館をやっているところです。私は博物館目当て。
建物がレンガ倉庫を再利用したものになっているのがおしゃれ。


ここは特にアメ車が多い!これはたまらない場所かもしれないです。
これはシボレー・ベルエアーの1953~1957年に生産されていた初代モデルです。

というところで今日はここまで。

最終夜へ→

博多→大阪 サイコロの旅5・Ex 第3夜

2021-06-16 22:56:46 | 旅行・イベント記
2020年11月3日(火・祝)9時14分
大阪府大阪市此花区 阪神電鉄西九条駅
駅メモをやる人とやらない人という方向性の違いにより福島駅で一行は解散となりました(私はやらない方)。
前も書きましたがこの日はサイコロの旅の予備日です。例えば昨日の最終日で鹿児島が終着地点だったとして、次の日は大阪まで復帰してこなければいけません。そういう事態になった時のための日でした。しかし実際は不本意ながら昨日の昼間にゴールしてしまったのでそれがまるっと宙に浮いてしまったわけです。

せっかく大阪都心で暇になってしまったので、ふらついてみることにします。
まずは福島駅から環状線で西九条駅へ行き、そこで阪神なんば線に乗り換えます。大阪難波駅まで行きますが、難波方面のホームは電車を撮るには絶好の場所なのを見つけたので、ついでに少し電車を撮影していきます。
写真は近鉄9820系9821F(EH21)区間準急大和西大寺。


阪神1000系1603F+1210F快速急行奈良。
都心で電車を駅撮りするのもなんだか随分ひさしぶりに感じますよ。


神戸方面もいい感じ。
阪神9000系9208F普通尼崎。でもやっぱりこの電車の色は巨人軍だわな・・・。


近鉄5820系5723F(DH03)普通東花園に乗って大阪難波駅へ。阪神なんば線に乗るのは初めてのこと。
西九条駅は高架駅である環状線の線路のさらに上を跨ぐように地上高14mの高さに線路が敷かれているそうな。大阪難波駅が地下駅なのは知っていましたから、ここから地下へ降りるのは大変そうだ・・・と思いながら発車しました。
すると周りは防音壁で囲まれていて景色も何もありません。途中で川を渡ると(たぶん安治川)、急に車内からでも認識できる急勾配でもって地下へ向けてどんどん高さを下げていきます。防音壁で外の様子が分からないままあっという間に地下へ潜ってしまい九条駅へと着いたのでした。
後で調べてみたら、地上区間は35‰、地下区間は40‰もあるんだそうで。波の地下鉄以上の勾配を持っていたんですか。いやこれ頑張りましたね・・・。
とまあ、たった1kmちょっとの区間でしたが濃密でした。


大阪難波駅で下車しました。ホームへ降りると反対に近鉄80000系「ひのとり」が停まっておられました。あれま、見れるとは思わなかったですぞ。


80000系80101F(HV01)特急「ひのとり」近鉄名古屋。
でかい、壁か?っていうのが第一印象です。意外と直線的ですしね。


最初は珍しいなぁ~と思っていましたけど、しばらく経たないうちに名阪特急の主力になってしまいました。特急車両への投資がすごい。
とりあえずいまは下見ということで。


80000系の発車を見てから次の行動へ移ろうと思っていたら、引退迫るスナックカーの回送が滑り込んできました。これは桜川駅の引き込み線で折り返した後に大阪難波始発の特急に入るので、待っていればまた姿を現すことになります。これ幸いとスナックカーが来るまで待機時間を延ばすことに。
しかし80000系の次に来たのは、近鉄特急と言うとやっぱりこの貫通扉の汎用型が思い浮かぶ、22000系特急賢島でした。


折り返してきた12200系がホームへ入ってきました。当時の近鉄特急の中では古株の電車でしたので接客設備も古く、いわゆるハズレ特急という認識でした。
ただ汎用型特急電車の塗装が塗り替えられていく中で12200系だけは旧塗装を堅持していたのもあって(どうせもう廃車になるからという理由だろうが)にわかに人気が高まりましたな。


単独でも撮影。
地味に汎用型特急電車による特急名古屋行も、2021年になると過去帳入りしてしまいました。
まだこの後もしまかぜとか伊勢志摩ライナーとかもやってきそうな感じなんですが、いつまでもここに留まるわけにもいかんのでここで離脱します。
一度改札を出た後、構内にあるコインロッカーにかばんを置いていった後に再度改札をくぐります。


阪神電車でひとつ隣の桜川駅へ。


桜川駅です。がらんがらんですやん。
ちなみに奈良や大阪からやってきた難波止まりの近鉄電車が折り返す時はここのすぐ隣りにある引き込み線までやってきます。大阪難波駅には折返し用の引き込み線を造れなかったのですかね。そもそも2面3線っていうのりば構成も、発着規模と乗降客数からいって小さいと思いますし、難波のあたりは地下といえど土地が少なかったのかなぁと想像します。


改札口。ガラッガラでした。難波の域内じゃない都心の空白地帯みたいなところなのか?平日仕事に来るところであって休日はそうでもないとか?


これが駅の入口。公衆トイレみたいな、そんな感じ。


同日10時33分
大阪府大阪市浪速区 南海汐見橋駅
で、目的地その1はここ。南海電鉄汐見橋駅です。よく都心の中のローカル線などと呼ばれる通称汐見橋線の始発駅です。本当は高野線の一部というか始発駅ですけど影が薄いのであんまりそういう認識は自分含めて持たれていないようです。


前はボロい駅舎だったみたいなんですが、私が来た時はなんとなく小綺麗になっていました。外壁塗り直しただけっぽいので建物時代の古さは隠しきれていませぬが。
ちょっとした観光地化しようとしているのかも。そうやって浄化しようとするのは個性を潰すようでなんか違うんじゃないのって気はしますが。


やたらにがらんどうな室内。一角に駅員の事務室があるだけ。駅の機能は実質的にはこの建物の片隅の小屋程度で済んでしまっているようです。
汐見橋駅の名物といえば改札口の上の壁に昭和30年代に製作された巨大な沿線観光案内図があったんですが、数年前に撤去され、細かく裁断された上で電車イベントで販売されてました。おお、なんてことを。


たったこれだけ。一応有人駅。
ただ塞がれた窓口っぽいものがありにけり。昔は高野鉄道の始発駅として賑わっていたのやもしれませぬ。


1面2線でまさにローカル電鉄の匂い漂う始発頭端式ホームです。


ホームから改札口を見る。


この空間が始発駅らしくて良いです。あれですあれ、旧新橋駅みたいなあれ。目張りしたガラスもいいですね。
ちなみにこの駅の開業は1900(明治33)年。この年でちょうど120周年で、ずいぶん歴史のある駅なのです。もしかしたら周年イベント企画が練られていたかもしれませんね。

というところで今日はここまで。

第4夜へ→

【1/72】ゼネラル・ダイナミクスF-111Gアートバーグ オーストラリア空軍【ギャラリー】

2021-06-12 06:12:57 | 模型ギャラリー
キット:1/72 F-111G アードバーク `オーストラリア空軍`(ハセガワ)
仕 様:オーストラリア空軍第82攻撃航空団第6飛行隊60周年記念塗装(A8-274)

F-111は元々アメリカ空軍とアメリカ海軍それぞれの次期戦闘機を1機種に統合して開発させて軍事費を圧縮させようという思惑で開発が始まったんですが、両者の次期戦闘機に求める要求は違うものでしたから、それを両方詰め込もうとしたところどんどん肥大化してしまいました。
結局海軍は受領拒否して開発から一抜けし、押し付けられた空軍も戦闘機としては使い物にならず。爆撃機として使えば優秀という、戦闘機としては微妙な評価を受けるのでした。
F-111の輸出はオーストラリア空軍だけです。長い航続距離と双発エンジンが、長大な海岸線を持つオーストラリアの防衛に適しているとかナントカらしいです。
G型は、核兵器を運用可能なFB-111から核兵器運用能力を外したものです。


オーストラリアのF-111Gはガンシップグレー一色の塗装が近代的でいい感じです。


このハセガワのキットは名作と呼ばれることもあるもので、繊細な彫刻と複雑な構成と組み立てやすさが同居しているものです。
可変翼は展開時と収納時の選択固定式でF-14みたく完成後に動かすことはできないんですが、F-111の場合は主翼下にぶら下がっている兵装や増槽が主翼の角度に応じて動くっていう素敵ギミックをプラモデルでも再現するのは難しかろう、ということでこれで十分なのだろうと思います。


大きいですね~。主翼展開時は横幅も広くなるので、置き場所にも少し苦労します。






腹側。
F-111の萌ポイントは主脚の形状が独特なことです。1本の柱から2輪が伸びています。
しかも主脚庫の蓋はエアブレーキも兼ねているという工夫があります。重量軽減のための努力なのでしょうかね。


良い彫刻だなぁ、とキットに惚れ惚れしています。





主翼はフラップと前縁スラットが展開できる凝った作り。展開時に出てくる赤い部分が良いアクセントになります。
逆に収納時の再現ができないんですけど、たぶんリブを切り取ればはまるような構造になっているんだと思います。やる場合は自己責任にて。


記念塗装は垂直尾翼にだけあります。
描かれているのはツチブタ(=アートバーグ)だと思うんですけど、ツチブタにしては強そうな面構えをしているんですよね・・・。














以上、F-111Gオーストラリア空軍でした。

【ハセガワ1/72】ゼネラル・ダイナミクスF-111Gアートバーグ 製作

2021-06-10 21:51:49 | 航空機模型製作記
さて今回はハセガワのF-111Gアートバーグを作ります。ハセガワのF-111系列は1989年初出、名作と名高いキットですが、これが発売されるまでは過去5年間再生産やデカール替え新製品は無くこのオーストラリア空軍仕様は久々の生産だったと記憶します。
実機は色々とアレなF-111ですが、一度プラモデルを作ってみたいとは思っていました。しかもオーストラリア空軍とは渋いですね。


まず戦闘機なのに並列複座のコックピットを作ります。まあ普通に作ります。座席は後付します。


機首のブロック。キットは機首や胴体がいくつかのブロックに分割されています。形状が微妙に違う各派生型式の展開を考えた際、機体を分割して形状の違うところだけを再現できれば新しく起こす金型の数や大きさを最小限にすることができるっていうプラモデルではよくある手法です。


胴体もバラバラだ。
機体をバラバラに分割するデメリットとしては、パーツを合体させる時にどこかにズレやガタが出てしまいがち・・・というところ。摺り合わせが欠かせません。
ただこのキットは精度が高いので摺り合わせで苦労は要りませんでした。凝った部品構成ながら組み立てのストレスは少ないのです。当時飛行機の新作キットを精力的に発売していたハセガワの面目躍如でしょう。


塗装のしやすさを考えて、機首、胴体、主翼の3つに分けたまま塗装します。


近くにあったYF-16とF-111を並べてみました。アメリカの航空博物館でも感じたことですが、でかいですよねF-111。これを空母から飛ばそうとしていたのか・・・。


主脚庫を先に塗装しておきました。


風防の養生は楽でした。


増槽です。


付属しているミサイルは、見たことない知らないものでした。なんだこれ。
実機の兵装を再現したくば、別売りのアクセサリーセットを書いなさいというお告げなのでしょう。


んで、塗装しました。凹彫刻に黒を細吹きしてから、機体色を塗りました。黒の細吹きは完全に塗り重ねないように少し残してやると単調な一色の機体でも味わいが深くなります。
F-111の主翼は可変翼なんですが、キットでは展開状態で組むように指示されています。しかし成形品の構造を見るに、組立図では触れられていませんが収納状態でも作ることが可能なようです。
ハセガワF-111を作るのは初めてなので素直に組立図に従ったのと、キットの主翼は動翼部が展開状態で作れるようになっている凝った内容なので、それを活かしたいという理由から、主翼は展開状態にしました。
収納状態だと動翼部はしまっておかないといけないのです。


胴体も同じように塗装します。


キットで作ることのできる形態は2種類ありますが、ツチブタとブーメランの絵が印象的な第6飛行隊の60周年記念塗装にしました。


デカール貼りとつや消しトップコートを済ませて、最終組立です。


よくわからないミサイルも装備します。


今回は、簡単な展示台も作ることにしました。
最寄りのセリアで買ってきたコルク地の鍋敷きを用意します。


あとは塗るだけ。アスファルトっぽい灰色と黄色い線を描きました。なんとなく飛行場っぽいでしょう。


質感が出ると思ってコルクを選びましたが、よくよく考えてみるとこんなに表面の粗い舗装飛行場はたぶん無いような・・・という気もします。まあいいです(無視)


展示台を作っているうちにF-111G本体も完成しました。でけえです。


並列複座で風防が大きいのでコックピットがよく見えます。


フラップは展開状態。赤なのがいいアクセントになっていると思います。


クソ広い背面。上でキャッチボールができそう。


このやや上に向かってツンと伸びたレドームはあんま好きじゃないです。


展示台の上に乗せて。
というところで完成です。凝った構成のキットですが作るのが難しいということはなく、なるほど名作と言われることはあると思いました。ベトナム時代か湾岸戦争時代のアメリカ空軍機も作ってみたいんですが、再販してくれないですねぇ。楽しみに気長に待っています。

では完成品はギャラリーにて。


<使用塗料>
機体:C305グレーFS36118
機内:C316ホワイトFS17875
動翼部・座席:H13つや消しレッド
尾部:LP63チタンシルバー
主脚:X11クロムシルバー
コックピット:N12つや消しブラック
コックピット:N22ニュートラルグレー
タイヤ:N77タイヤブラック

台座コンクリート:N69・RLM75グレーバイオレット
台座黄線:BN4ベースイエロー
 
 

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その24【2018/4/28~5/3】

2021-06-08 06:19:59 | 旅行・イベント記
2018年5月1日(火・祝)11時46分
福井県勝山市 えちぜん鉄道勝山駅
第26走者:えちぜん鉄道勝山永平寺線福井行(MC6000形)勝山11:49→福井12:42 
清大寺から貸し自転車で勝山駅まで戻ってきました。自転車を返却し、えちぜん鉄道に乗って福井駅へ戻ります。
帰りの電車も6000形でした。7000形乗車は叶わず。


福井駅に着くと、奥の引込線に7000形が停まっていました。それに乗せろ。
ということでこれについては次回再履修です。


福井駅の駅そば屋で昼飯。名物にしんそば。うまい。


ベンチで荷物の整理でもしようとしたら・・・ちょっとそこのあんた邪魔。
最近の福井県は急に何かに取り憑かれたかのように恐竜推しなのですが、ベンチをひとつ潰してまでやることかい。まあユーモアはありますな。足の関節がねじれてそうとか尻尾はどちらにあるんでしょうとか、気になるところもありますけど。


観察しているのがヒトの頭蓋骨だったら面白かったと思いますけど、少しブラックかしら。


第27走者:JR北陸本線普通敦賀行(521系)福井13:16→敦賀14:04
微妙に時間が余っちゃったんですが、思いつくこともなかったので宿泊地へ向けて移動することにしました。北陸本線を南下していきます。


第28走者:JR小浜線普通東舞鶴行(125系)敦賀14:20→東舞鶴16:16
敦賀駅から小浜線に乗り換えます。小浜線といえば125系です。この電車は実は好きな方です。単行電車いいですよね。平面顔もローカル線用電車らしくて良いですというか普通にかっこよい。125系という形式も、単行電車123形の続番というのを感じさせてすばらしいです。


2両編成でそのうち1台は全面広告電車でした。この窓までフィルムが貼ってあるやつは車窓が何も楽しめないので、観光客泣かせです。なので通常車両の方に乗ります。
125系といえば車体中央の扉のようで扉じゃないやつです。125系は片側2扉なんですが、将来的に乗客が増えた時に中央に扉を増設できるように準備工事をしているんだよとなにかで説明を受けましたが、実際は3扉車の223系の側構体をまるっと流用したので使う必要のない中央扉用の風穴まで開いてしまった模様。そうなると増設の準備工事という話は方便の可能性がありますな・・・。


小浜線はこれまでに数度乗ったことがありますが、いずれも東西通過利用だけでどこかの途中駅で降りて散歩するというのはしたことがないです。めぼしいところが見当たらないのだよな。電車の本数も少なくて微妙に使いにくい。



何度か若狭湾沿いを走るので、その時に見える車窓はきれいです。若狭湾の入り組んだ海岸線が美しい。


唯一琴線に引っかかったのは、若狭本郷駅前に置かれている蒸気機関車弁慶号のレプリカ。でもレプリカだし別にぃ・・・とテンション下げモードだったこともあって車内から写真だけ撮って素通り。
ところで若狭地方と弁慶号って何かゆかりがありましたっけ?


終点の東舞鶴駅に到着。今日の移動はここまでです。



小浜線から接続する287系特急「まいづる」12号。

今の時刻は16時過ぎで、今から観光するにはいささか遅いです。
ここはおとなしくホテルへ直行しましょう。


同日16時40分
京都府舞鶴市 ホテルアマービレ舞鶴
駅から15分くらい歩いてホテルへ投宿。普通のビジネスホテルだって感じですが、なんとなく海上自衛隊やJMUへ出入りする業者が出張で使っていそうだな、って印象を持ちました。今はGWなのでそういう人は見ませんでしたが。


少し部屋でだらけた後に夕飯。ホテルは駅から距離がありましたけど、おかげで天下一品にありつくことができました。静岡だと浜松まで行かないと天下一品を食べることができないので見つけ次第食べることが推奨されます。まあ数軒隣のラーメン屋も気になったんだけど。
なお、初日の居酒屋とその翌日の寿司屋で食費を浪費してしまったんで昨日辺りからは食事が簡素化されているのに気づいた人はいるかな?しかたないね。


帰り際に岸壁の方へ。奥に浮かんでいる船は新日本海フェリーの船ですね。日本海側のフェリーは乗らないですなぁ。静岡在住だと経路上まず使わないですからね。そこへくると関西在住民は、北海道方面でも九州方面でも普通に交通手段として選択肢に入るので恵まれてるなと思います。

そんなところで4日目はこれでおしまいです。翌日へ続く。


その25へ→

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その23【2018/4/28~5/3】

2021-06-06 20:35:39 | 旅行・イベント記
清大寺の大仏殿へと足を踏み入れました。そこには紛うことなき越前大仏が鎮座しているのです。
大仏はだいたいどれも同じような格好をしているので奈良の大仏ともそっくりなんですが、たぶんこれは別物だと思います。越前大仏のモデルは、龍門奉先寺坐像なのだそうですがよくわからんちん。

なお全高は17mあります。そばに人間がいるので比較しやすいですな。
奈良の大仏よりも2mくらい大きいです。やっぱり東大寺に対抗意識があったんだろうねぇ。


大仏の脇にも仏像がおりにけり。内装の意匠は非常に凝っていると言えるでしょう。
室内は意外にも涼し気です。冷房が効いているのか、仏教パワーで冷やしているのか。とても快適に拝観できます。あとは、お経がスピーカーからリピート再生されています。


壁です。壁にはたくさんの部屋があって、すべての部屋に小さい仏像があります。これも凄まじい量なので圧倒されてしまいます。本当は印刷じゃないのか・・・?


どうやら本物ですね。しかも微妙に形状が違うし。





大仏様のアップ。建立されてまだ数十年なので金箔がまだご健在。でも剥がれつつあるようです。


これを建てるお金もそうですけど、やろうという熱量がすごいと思います。その熱意には敬服してしまいます。
どえらいもんを建てましたなぁと思いながら見て回りました。


大仏殿の外に出て五重塔へ向かう途中にある九龍壁というオブジェクト。
だからなんだという物に感じてしまいますが、色使いは美しいです。本場中国で製作されたものなんだそうです。確かに中国っぽいですな。ガラス張りなので写真が撮りにくいのが玉に瑕。
九龍というのは、九頭竜に由来するんだと思います。


越前五重塔へ着きました。やっぱり通常イメージする五重塔よりもだいぶ大きいです。これは鉄筋コンクリートを使っていますよ。
高さが75mあって、五重塔としては高さ日本一だそうな。なんつーか、とにかく他所よりも大きくて高い建築物を建てようというのばかりなのは、ナントカの一つ覚えといいますか・・・。


五重塔の内部、内陣というところにはこれまた仏像が。1階から5階まで全部の階にこういうのがあるんだそうな。


ま さ か の エ レ ベ ー タ ー 装 備 !
いやこれは予想外。五重塔なんだから階段をひーこら登らんといかんのかという固定概念を打ち破る!この清大寺では常識に囚われてはいけないのですね!
しかしこれは現代のバリアフリーの要求には合致したもので、1987(昭和62)に建立した建築物としては先見の明があったといえましょう。まあそれは偶然そうなっただけで、実際の目論見は謎ですが。物珍しさとか豪華さとかギャップ萌えとか、狙いはそんなところじゃないでしょうか。
もちろんエレベーターを使って5階へ登りました。


5階の内陣。


5階からは勝山市が一望できます。いい眺めですぞ。

清大寺にはあと庭園があるんですが、これは閉鎖中でした。あっふーん。


清大寺で見つけたマンホール蓋。おそらく汎用的な模様ですが、越前大仏と清大寺の文字が彫られていて、たぶん清大寺オリジナルのデザインです。

というわけで清大寺からはこれで撤収。
一周見てみて、一見する価値くらいはあるんじゃないかなーと思ったんですが、それでも人がほとんど寄り付かない観光地でした。ただ、ここの真髄は、身勝手なことを言うとこれだけ立派で広くて大仏もあるお寺に観光客がまるで見当たらない、なのに廃墟感は無くて手入れが届いている、というなんとも不思議な空間にあると思うので、あんまり観光客が来るようになると魅力半減かも・・・。管理者からすればそんなのたまったものではないでしょう。
とはいえまあ、ここに人が殺到しそうなきっかけというと仏像の擬人化ソシャゲなんかが爆流行りでもするか、万が一いよいよここが閉鎖されることが決まってから現れる葬式野郎くらいでしょうし。

そんなところでございます。勝山に来たら寄ってみると良いと思います。

では今日はここまで。


その24へ→

博多→大阪 サイコロの旅5・Ex 第2夜

2021-06-03 23:20:00 | 旅行・イベント記
2020年11月2日(月)18時2分
大分県別府市 JR別府駅
別府駅の外へ出ました。駅前に銅像が立っていたのですかさず撮影。実業家の油屋熊八です。すごい姿勢をしていますな。別府の観光開発を推進した立役者として銅像が造られたんだそうな。



別府駅からはタクシーに乗ってとある場所へ。


あっいた。
はい、そうです。さんふらわあです。今晩はこれで寝泊まりしながら大阪へ戻るということです。
本当のところは新大阪駅にいる時点でさんふらわあに乗るのは既定路線でした。その時点ですでにさんふらわあの乗船予約をしてしまっているんで。
時間が余ったから思いつきで新大阪駅からフェリーに乗りに九州まで戻ろう、なんてのを実行できてしまうあたり、今回のどこでもドアきっぷのバグっぷりが垣間見えるかと。特に新幹線だと「なんだ、すぐだな」となりがち。
なので小倉駅でのサイコロも、「2」を出していればかっこよく大阪帰国となったんですが、現実はああでした。宮崎にはいつの日かこのお礼をしてやらないといけません。



フェリーターミナルで支払いやら乗船名簿の記載を済ませるやらして、乗船ゲートへ。建物の2階はガランとした大広間になっていて、ちょっとした同人誌のオンリーイベントくらいは開けそうですぞ。



そいでは乗船します。関西~九州航路に乗るのは久しぶりですね。前に乗ったのはそれこそ10年前で、神戸~大分航路と大阪~宮崎航路でした。なので大阪~別府航路に乗るのは初めてです。
ちなみにフェリーの航路にはこの大阪~別府(さんふらわあ)の他に神戸~大分(さんふらわあ)、大阪~門司(名門大洋フェリー)が新大阪駅での協議時に選択肢として挙がっていました。大分まで行けばどこでもドアきっぷの指定席券を使い切ることができるので、まずそこで名門大洋フェリーは脱落。そしてさんふらわあの神戸~大分航路は、出港までに到着できないと分かったので自然と別府発の航路に決まったというそれだけでした。


2020年11月2日(月)18時30分
フェリーさんふらわあ さんふらわあ あいぼり船内
乗船。乗ったのは「あいぼり」でした。「あいぼり」と姉妹船の「こばると」は20年選手なので船内の設計が古いとか意匠に時代を感じるとかあります。でも汚いとかボロっちい印象はなかったです。
しかし両船とも2022~2023年に新造船による置き換えが決まっています。余命数年となったあいぼりを楽しみます。


当日に乗船予約したので個室は満室で、この相部屋のベッドだけが今夜のパーソナルスペースです。仕方ないね。
なお乗船料金は12,000円くらいですが、交通機関ながら宿泊が伴うからという理由でGoToトラベルが適用可能というバグみたいなことが起きています。通常料金から35%引きで金券も付いてくるので実質6,000円くらいで別府~大阪を移動できてしまいました。夜行バスよりも安いんじゃないか?
なお金券は酒とつまみと大浴場用の手ぬぐいに消えていった模様。


COVID-19のおかげでお楽しみの船上バイキング飯は休止中。代わりに弁当を食べる形式になっていました。バイキングは地味に代金がまあまあするんですが、弁当だと多少安いのでそれは恩恵でした。なお浮いた分は酒とつまみに溶けていった模様。


こんな時勢でも大浴場には入ることができました。ありがたい。風呂から上がった後は船内のラウンジの隅っこでぼけっと過ごします。これぞ長距離フェリーの醍醐味よ。
日付が変わる辺りの時刻に船外デッキへ出てみます。まあ真っ暗ですわな。


目当ては真夜中のしまなみ海道をくぐるところを見ること。


さようならー。
しまなみ海道を通り過ぎたところで就寝です。


2020年11月3日(火・祝)6時31分
大阪府大阪市住之江区 大阪南港フェリーさんふらわあ第1ターミナル
翌朝、大阪南港へ着岸しました。
楽しいフェリーの旅でした。また乗りたいね。


下船。フェリーは乗っていると船の全体を見れないのが歯がゆい。



大阪南港からは電車で大阪市街へ。この日は1日大阪市内へいるつもりなので、地下鉄の1日乗車券を買っておきました。
トレードセンター前駅から大阪メトロニュートラムに乗ります。電車は新型の200系です。最近流行りの編成ごとに塗装が異なるいわゆるレインボーカラーで、この206号はグレープだそうな。基本的に7色ですが微妙に色味が違ってたり金色とかパンダとかもいるらしいんで、全く同じ色の電車は2つと存在しないそうな。


コスモスクエア駅で大阪メトロ中央線に乗り換え。


ついでなので、乗換駅の弁天町駅で中央線の撮影。ていうかまだ朝なので時間が余り気味なのよ。
これは20系。10系との違いがようわからん。


弁天町駅でJR大阪環状線に乗り換え。323系に乗ります。
既に国電は環状線からは一掃されています。まあ天王寺とか行くと緑のアイツがまだ元気にやってますけど。


野田駅で再び撮影。225系5000番台(HF416+HF423)の関空紀州路快速でした。


221系(NA425+NA427)の大和路快速。


ホームに先客がいたのでなにか来るんじゃろかと時刻表を見てみたら特急「くろしお」が通っていくようだ。先客の目当てがそれかは知らんけど、381系亡き後はまともに撮影したことないからこれ幸いと待ち構えていたら来たのがコレ。
287系(HC604)の特急「くろしお」6号ですが、電車がいわゆる「パンダくろしお」です。運用範囲がものすごく広い紀勢本線系統でこれにたまたま会えるとはラッキーでした。
それにしても前照灯の位置にパンダの目を持ってきたのは評価に値します。圧がすごい。その上に小さいパンダを置いてかわいいアピールしているのもあざとい。


パンダくろしおの本性は裏側にあって、後ろ側のパンダくろしおは目に血涙を浮かべながら走っているのだ。



野田駅は環状線の各駅停車しか停まらないので地味に待ち時間があります。都心を走る環状線が快速運転とかしていていいのかとか昔から疑問ですが、周りを激強私鉄に囲まれている大阪という土地がそうさせるやもしれません。でもせめて並行世界では湘南新宿ラインみたいに別線で走らせていてほしい。
そういうわけで323系(LS01)に再度乗ります。まともに323系を撮影したのはこれが初めてか。地味にトップナンバー編成を引き当てたようだ。


福島駅で下車。弊ブログでは久々の登場、早朝の大阪で行き先に困ったらここへ行け、大阪の朝の友として我々に親しまれるマクドナルド福島店、黒鉄重工コードネーム「ふくしマック」で朝飯です。
大阪なのにマックと呼ぶのは名付けた人が東日本の人間だからです。よって大阪人の前でこれをつぶやくと一発でよそ者とバレてしまう。

ここで今日の作戦会議が開催されましたが、黒鉄重工とZBSの方向性の違いにより両者の関係が破局を迎えました。よってこれより別行動、つまり現地解散。また会おうムエタイX。


つーわけで我が道を往きます。

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