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A3000形甲種輸送・・・のはずが【2017/01/17】

2018-03-30 22:43:06 | 鉄道撮影記
2017年最初の記事です。やっとか(呆れ

この日は静岡鉄道A3000形の甲種輸送がありました。
逗子を出て富士駅まで鉄道で運ばれ、そこからはトラック輸送で長沼工場まで運ばれます。第1弾のA3001Fの輸送時は日本にいませんでしたから、今回のA3002Fが初めてとなります。富士駅に出向いてその姿を拝もうとしました。
ところが、この日は東海道線の列車に遅れが生じてダイヤ乱れが発生。結構グダグダな運行になっていました。これの影響を受けて甲種輸送も遅れます。結構待たされてしまい、まだ次もあるし・・・と考えを変えて、列車が来る前に諦めて帰ってしまいました。



何も収穫がなかったわけではなく、ダイヤ乱れの影響でホームライナーの一部がライナー券不要のただの快速列車に化けていました。これはホームライナー沼津4号だった列車。約30分遅れ。
普段快速電車の走らない静岡地区ですので、こういう事態が起きる度にちょっとだけ騒ぎになります(ただし最近は金土の深夜に沼津→静岡の快速が1本走るようで)



ホームライナーの格下げですので、車両は373系です。豪華な快速なのだ。
ダイヤ乱れの時には躊躇いなく格下げしますね。使う側にとっては有り難いことなのかもしれません。



373系は年を追うごとに特急の運用が減って最早ホームライナーとか臨時急行とか本来の特急とは縁遠いところでの活躍が目立ちますね。
最初の運用が減った分の余剰があるからこういう事ができるんですけども、373系の後継が出た時はホームライナー分の数が造られるんでしょうか。まだ先のことでしょうけど気にはなります。



富士駅ですので貨物列車が出入りします。機関車はEF210形114号機でした。貨物の中身は紙製品かな?



EF66形116号機の貨物列車も到着。これかなと思ったら違ったのでがっかり。



ホームライナー沼津6号だった快速沼津行。約20分遅れ。
列車の間隔が空いていたので乗るわ乗るわという感じ。乗らないのは途中停まらない駅の客だけ。



約15分遅れの元ホームライナー浜松5号の快速浜松行。方向幕だけ撮影。

これを撮ってもう帰りました。寒いし。
次の年に行われたA3003,A3004の甲種輸送は無事見ることが出来たのでそれをそのうち書くということで今日は勘弁してください。

おしまい。

クリスマストーマスを撮る【2016/12/24】

2018-03-29 22:59:32 | 鉄道撮影記

2016年12月24日。
大井川鐵道のトーマス号は夏休みを中心に運行されますが、他にクリスマスシーズンにも走ります。この時は夏期とは異なる追加の装飾がされるのです。
そういえば見たことなかったね、と思い立ってささっと見に行くことにしました。確かこの日が最終日でした。

撮影場所は抜里~家山の間。大井川鐵道の中でも屈指の名撮影地なのですが、今まで一度しか来たことないです。しかもその時は下り列車の撮影でしたので、有名な上り列車の構図は今回が初めて。

到着時は既に十数人の先客がいてマルチメディアと化していましたが、場所自体は開けていて広いので構図を選ばなければなんとでもなるでしょうという感じ。
ただまあ、この時既に雰囲気あまり良くなかったのとこれ以降頭の悪い連中の出入りが目立ってきたので、今はあまり近寄りたくない場所ですね。
まずは先行する普通列車で練習。7200系の急行金谷行きでした。



逆光ですが後追いも撮りまっせ。



次はトーマス・・・ではなくジェームス号です。
茶色の旧型客車、お座敷車、展望車を繋いだ豪華編成。劇中の急行列車みたいで良いです。



客車にはステッカーが貼られていてクリスマスを演出。



次がトーマス。こっちの客車はおなじみのオレンジ色。
改めて見ると赤字の地方私鉄でこんだけ長い列車が走るのってすごいよなって。それでも赤字が解消されないんだから大変だよなって。



トーマスには煙突に帽子を被ってて側面に装飾もされていてヘッドマークも掲出されています。結構変わってるのね。



客車もジェームス同様こんな感じで。



補機はいぶき501でした。パンタグラフって2つとも上げてたっけ?



帰りに抜里駅を見ていきましょう。実は降りたことなかったもので。
木造駅舎が使われています。



待合室です。
抜里駅は最近になって近所に住むサヨばあちゃんが食事を出したりする憩いの場になっていて、その名もサヨばあちゃんの休憩所としています。
なので手入れが行き届いていて中はきれいです。今日はもう店じまいという感じでしたが早くも大鉄の名物のひとつになっています雰囲気でした。



乗り場は単線ホーム。ヤシの木がなんだか不自然・・・。



黄色の旗が何十枚も掲げているのが印象的。縁起が良いとかなんでしょうか。

そんな感じで今日はおしまい。

北米project 4 ~Is the order a warbird? その38【2016/03/04~10】

2018-03-27 21:15:26 | 海外旅行記

前回に続き外国機の格納庫を見て行きます。
これはドイツの断末魔1号ことハインケルHe162A-2ザラマンダー(フォルクスイェーガー)(1944年・148機目)
これ初めて見たやつです。なんか小さくてかわいいな、というのが第一印象。
もうドイツが負けそうだなっていう第二次世界大戦末期、「パパっと簡単に作れてバーって練度の浅いパイロットでも操縦できてガツンと強力な戦闘機が欲しいの」というドイツ空軍の正気を疑う無茶苦茶な要求が発端でした。そんなん出来たら最初からやってるわけで、つまりこんなの無茶苦茶な要求なのですが、うっかりハインケル社がそれに応えてしまったために生まれてしまったジェット戦闘機なのです。
要求が出される以前より予備的な設計や風洞実験が済んでいたとは言え、設計案の採用から2ヶ月で初飛行していて、驚異的というほかありません。人間やればできるもんだ。

背中に背負う形のジェットエンジンに高翼配置の主翼、20mm機関砲、木製の胴体など見どころが多いやつです。

誰でも操縦できる「国民戦闘機」となるべく112機生産されましたが、撃墜記録ゼロのまま終戦を迎えます。南無。
珍しい先端兵器ではあったので、例によって連合軍により接収され、その後放出された機体が各地の博物館で現存しています。アメリカに3機、イギリスに2機、カナダに1機、ドイツに1機の計7機で、数自体は少ないですが残存率は6%と高めです。



最も目につく背中に背負ったジェットエンジン。BMW003エンジンだそうで、有名なユモエンジンではないのね。
この配置は、エンジンは1機だけ搭載という制約から導かれたんだと思います。主翼の上、つまり重心点にエンジンを置くという発想は後のジェット戦闘機を見れば分かるように大正解なのですが、機外に露出しているという点では詰めが甘く、アメリカのP-59には及ばないです。He178では大正解だったんだけど、まあ急ごしらえだし・・・。
ちなみにここにエンジンを置くと風防の真上で空気を吸引することになるので、もし空中で脱出することになった際にパイロットがエンジンに吸い込まれてミンチよりひでぇやという状態になりかねんという問題が・・・あるんですが、実害は聞いたことないんでなんとかなってたのか、表面化してなかっただけなのか。



機首まわり。
降着装置がとにかく短足だ!というのが気になります。脚の長さは短いほど重量が軽くなるので良いのです。今まではプロペラがあったのでそれが地面と接触しないよう高さを稼ぐ必要があったわけですが、ジェット機になればそれも不要ということでめっちゃ短足になりました。

機首の下面には20mm機関砲が2門あります。プロペラとレシプロエンジンが無くなったことで大口径機銃を機首に集中配置できるようになったのもジェット化の恩恵のひとつです。機首に機銃を置くのと主翼に置くのとではどちらが狙いを付けやすいかは自明ですね。この配置にしたいためにエンジンを機外に背負ったという可能性はあります。

He162の場合、初期型はより強力な30mm機関砲を積んでいましたが、強力な反動に耐えられないことが分かったので改良型では20mm砲に弱体化しています。改良型のほうが攻撃力が弱いのは珍しいですね。同じ機関砲を倍の4門装備していたMe262ではそういうことが無かったそうなので、He162はよほど構造が弱かったのかもしれません。
なお胴体前部、主翼などは資材削減のため木製です。ジェット機なのに・・・。エンジン排気の熱を受ける胴体後部だけは金属製だそうな。



後ろから。尾翼が変な形をしているのもHe162の特徴のひとつです。
まず目につくのが垂直尾翼が双尾翼になっていること。通常見られる胴体上に1枚の尾翼だと、ジェットエンジンの噴流をモロに受けて大変なことになるので、それを避けるためだということが分かります。
次に水平尾翼ですが、やけに上反角がキツく付けられています。正確なことは分からないのですが、着陸時に尻もちを着いた時に破損するのを防ぐためなのかな?と。
今書いたようにHe162は異常に短足なので胴体と地面の高さにあまり余裕が無いのですが、これにより着陸時に尻餅を着くという欠陥が生まれます。これの対策として胴体下面に尻餅防止用のコブを取り付けているのが見えるかと。
どうも応急的な対策に見えて、やっぱり急ごしらえで設計の詰めが甘いような。



He162のエンジン、BMW003 E-1エンジンも外された状態で展示されていました。
アメリカとイギリス(とそこのエンジンをコピーしたソ連)が遠心圧縮式ジェットエンジンを採用したのに対して、ドイツは軸流圧縮式エンジンを採用していたのでした。
超強力扇風機のような形のタービンブレードを何段も重ねることで空気を圧縮してそこに燃料を吹き付けて燃焼させることで推進力を得るやつです。技術的に難しいエンジンなので当初米英は軸流圧縮式を採用しませんでしたが、遠心圧縮式は高出力化に伴いエンジン直径がデカくなる一方で次第に飛行機に積むには現実的でなくなりました。一方軸流圧縮式はタービンブレードの段数を増やすだけでパワーアップ出来るので長さは長くなっても直径は変わらないので使いやすく、現在は米英も軸流圧縮式に切り替えています。近年のジェットエンジンはほとんどこの軸流圧縮式です。
003には7段のタービンブレードで圧縮していました。



ホルテンHo.IV(149機目)
全翼機大好き兄弟ことホルテン兄弟が開発した全翼機のグライダーです。
全翼型ジェット爆撃機Ho229のテストベッドのひとつかと思われ。Ho229自体よく知らないんのであまり書きようがないのですが。
レプリカかと思いきやドイツから接収された本物なのだそうです。アメリカ内で試験飛行もされたそうで。



ハインケルHe178(1939年・150機目)
ドイツが開発した世界初のジェット機です。1939年というと零戦の初飛行と同じ年ですから(さらに日付まで見ると零戦よりも先に飛んでいるのだ)、やはりナチスの科学は世界一ぃ!・・・ですかね。
なのですが、ジェットエンジン搭載機以外に特徴らしい特徴はなく、性能も最新鋭プロペラ機よりも低かったとかで、あまり目を引くことは出来なかった模様。ナチスから冷や飯食わされてたハインケルというのもあるでしょうが。
エンジンは胴体内にあって機首から吸気するという正解のエンジン配置をしているんですが、これが後の大戦期ジェット機に活かされることは無かった模様・・・。よほど冷遇されてたと見える。
試験を終えた機体はベルリンの博物館で余生を送っていましたが不幸にも連合軍の爆撃を受けてしまい、現存機はありません。なのでこれはレプリカということになります。



フォッカーDr.1(1917年・151機目)
第一次世界大戦期のドイツの三葉機です。イギリスのソッピース トライプレインの性能に驚いて開発されたとか。
主翼が3枚(加えて主脚の間の板も4枚目の主翼になってたので実質四葉機)もあるので機動性は良かったそうな。ただしその分抵抗も大きいので速度は出なかった模様。
第一次世界大戦のエースパイロット赤い男爵ことマンフレート・フォン・リヒトホーフェンの搭乗機ということでこの時代の機体の中では有名な戦闘機なのです。このレプリカもリヒトホーフェン乗機を再現して真っ赤に塗られています。某赤い彗星の元ネタとも言われていますね。



メッサーシュミットBf109(1935年・152機目)
復元待ちと思しきドイツの戦闘機です。この個体の来歴等は不明。
残骸みたいな状態ですが、外板はほとんど残ってますし、もしかして資料性が高いのでは?恐らく復元されるとかなりの部分に手が加えられると思います。



ドイツの断末魔2号ことMe163Bコメート(1939年・153機目)
史上唯一のロケット推進式の戦闘機で、その超加速を用いて一気に高高度へ到達、連合軍の爆撃機を30mm機関砲で一撃のもとに撃ち落とす機体です。
これは木製モックアップなので本物ではないです。ただし実機も木製だったので妙に手の込んだレプリカということに。



バルター109-509Aロケットエンジン。上の写真と比べてみると分かりますが、ロケットエンジンと聞く割にはそんなに大きくないのだ。



機体のノーズアート。ロケットエンジンで飛ぶダニが描かれています。結構好き。
なるほど確かに太く短い胴体がダニっぽいなと・・・。



Me163の車輪。分解されているのではなくて、こういう仕様です。
この車輪は機体に簡単に取り付けられているだけで、離陸すると外れてしまう仕様なのです。着陸する時は胴体のそりを展開させて着陸します。無茶するねぇ・・・と。



V-1飛行爆弾のジオラマ。レールに乗せて発射するのだ、というのが分かります。
これは固定式の発射機でしょうね。連合軍が血眼になってこの発射機を探し当ててボコボコに爆撃しましたので、以後は移動式の発射機に移行していったはず。



ハインケルHe100D-1(1938年・154機目)
この博物館やけにハインケルが多いけど、好きなのかな・・・?
ドイツ空軍戦闘機の制式採用競争でBf109に敗れたHe112のリベンジをすべく改良した戦闘機なのだそうな。
性能は悪くなかったけども冷遇に定評のあるハインケルなので、やはり本格的に採用はされず・・・。少数がプロパガンダ用に使われただけなのでした。
現存機はゼロでして、ここにあるのはレプリカです。とはいえレプリカでも唯一のHe100だそうです。



モックアップなのもあると思いますが、妙に野暮ったいなと。
主翼の途中から上反角が付いている逆ガル翼が特徴で、同社の戦闘機の特徴でもあります。



グッドイヤー 飛行船(155機目)
飛行船のコントロールカーですね。グッドイヤーはアメリカの企業なので、これも置き場所がなくてとりあえずここに放り込まれた感じかね?
グッドイヤーは世界でも大手のタイヤメーカー、ゴムメーカーなのですが、1910年代から飛行船を飛ばしていました。これがきっかけになってWWII中はコルセア戦闘機のライセンス生産をしていた時期もあったんですがそれはまた別のお話。
説明が無いのと、グッドイヤーは現在も飛行船を飛ばしているんで、どのコントロールカーなのかは分かりませぬ。

というところで今日はここまで。


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北米project 4 ~Is the order a warbird? その37【2016/03/04~10】

2018-03-25 20:46:24 | 海外旅行記

2016年3月5日(土)14時30分
プレーンズ・オブ・フェーム 外国機の格納庫

屋外展示の次は再び格納庫内の機体を見て行きます。あと3棟の格納庫が待ち構えているんですが、まずは外国機の格納庫 Foreign Hangar から行きましょう。



外国機ということで、アメリカ以外の国の飛行機が置かれています。特にドイツと日本の枢軸国の機体が多いです。特にここに保存されている彗星や雷電は日本のファンには有名です。
格納庫の中は、入り口は空いていますが奥はギッチギチに詰めて置かれていて、見にくい印象でした。



順番に見ていきましょうか。まずはフォッケウルフFw190(1939年・140機目)
ドイツ空軍の戦闘機ですね。
これはまっさらな状態から新しく建造したレプリカ機です。まあ動態機は多かれ少なかれレプリカみたいなもんですけども。
恐らく細かいところを見ていくと原型とは異なる部分があるんでしょうけど、それでもパッと見はFw190以外には見えず。こうしてイチから戦闘機を作り出す熱意には素直に頭が下がります。
エンジンはアメリカ製のP&W R2800を取り付けているので、ちゃんと飛べるんでしょうね。



ヤコブレフYak-3M(1943年・141機目)
ソ連の戦闘機ですね。初めて見たかな。第二次世界大戦後期のソ連の代表的戦闘機だそうです。
でも前にシアトルで見たYak-9より数字が若いのにずいぶん初飛行が遅いな・・・と思ったら、Yak-3はYak-9の後に出てきたなだそうな。なんじゃそりゃ・・・。この頃のソ連機は詳しくないのであんまよく分からん。

"高度3,000m以内なら"ドイツのBf110やFw190以上の性能だというのが自慢。つまり高高度性能は・・・お察しください。
これは端より低高度戦闘のみに注力して開発されたからとされてますが、単に良い過給器が開発できずに高高度性能を出せなかっただけなんじゃないのかしら・・・?
同じく高高度性能が良くはなかったドイツ機が相手だったのでなんとかなってたのかもしれませんが、アメリカとイギリスが相手だったら駄作になってたでしょうね。
あとは、エンジンと操縦席周り、主翼の桁だけジュラルミンで残りは木製で中々切り詰めているな、という機体でもあります。確かにコックピットより後ろにはリベット留めの痕が無いですね。

この個体はレプリカだ、という話もありますが公式な情報は出ておらずよく分かりませぬ。ただ、機体の経歴を追ってみると機体登録は1999年で、機体は1990年代にヤコブレフで再生産されたM型ということなので、大戦時から残っているものではないでしょうね。
博物館の説明板によればU型となってますがこれは生産されてないはずなので、再生産されたM型を基にPOFが独自にU型に改造したというところでしょうか?ちなみに再生産機のエンジンはアリソンV-1710だそうで、そうなるとPOFにとって整備はお手の物でしょうから、これも飛行可能です。
ロシアは大戦機をメーカー自ら再生産したりシベリアの大地に打ち捨てられた飛行機の残骸を飛行状態まで復元したり、妙に飛行機の再生に熱心なところが見受けられます。どういったことなのか気にはなってます。



ヤコブレフYak-18(1946年・142機目)
ソ連の練習機です。1947~2001年の長きに渡り生産され、生産数は約8,400機に上るとか何とか。こんだけ長期間、大量生産となると放出された機体が個人所有でブンブン飛んでそう。
Yak-18自体を見るのは実は2回目なんですが、1回目のやつは同じ機体と言うには無理があることで知られるYak-18Tですので、この原型のYak-18は実質今回が初めてです。



戦後に初飛行した機体ではあるんですが、胴体後部と主翼は鋼管羽布張りでして、主脚は収納は出来ますが脚が後ろに折れるだけで車輪の下半分が主翼からはみ出る、という初飛行より10年は前の設計か?な奴です。
ところで機体の国籍章は北朝鮮だと思うんですが、円の線が点線になってないと思うんですが・・・。それとも別の国なのかな?



ピラタスP-2-06(1945年・143機目)
これも初めて見た機体・・・どころか知りもしなかった機体なんですが、スイスの練習機だそうな。スイスも飛行機を造ってたんだ。
降着装置など一部部品はドイツのBf109のものを流用しているとか。スイス空軍で退役後は民間に放出されたそうで、これもそのひとつでしょうかね。



横須賀空技廠 桜花11型(4時間20分ぶり2機目・通算144機目)
見るたびになんだか複雑な気持ちになる桜花。そういえばここにも置いてあったなぁって。ただしこれはレプリカだそうです。
フラップや車輪が無いあたり帰還が端から考えられてないんだなぁとか(発進は発射台や爆撃機から行われる)、爆撃機に抱えられる時に垂直尾翼が干渉しないように高さを抑えられる双尾翼にしているとか、まだ気づくことありますね。



アンリオHD.1(1916年・145機目)
第一次世界大戦時のフランスの戦闘機です。これまた珍しいと言うか古い機体です。
アンリオの造り出した最初の戦闘機です。ただしフランス軍では採用されずイタリアやベルギーに輸出された模様。
アメリカ海軍も少数導入していて、これはどうもその時の生き残りだそうです。この時代の機体はレプリカの場合が多いのですが、本物とはすごいですね。



ソッピース パップ(1916年・146機目)
イギリスの複葉戦闘機です。イギリス空軍と海軍で使われていて、海軍の機体は初めて空母に着艦した機体として知られるんだそうな。
HD.1と違ってこっちはレプリカです。



セスナ182スカイレーン(1955年・147機目)
172スカイホークじゃないそうで。182の方が高出力で大型のエンジンを積んでいるので機体が大きめなんだとか。
セスナはアメリカなのにここに置かれているあたり、置き場所に困ってるんじゃないかと。



これも置き場所に困っただろうロールスロイス シルバークラウド(1955年)
見ての通り高級車ですね。年式によりI型とII型に別れるんですが、変更点はエンジンだけなので外観では分からないのです。
ピカピカに磨かれていて、そこはやはりアメリカだなと。公道も平気で走れるように整備されているんでしょうね。



航空博物館おなじみの飛行機模型の展示棚。これって寄贈されるものなんでしょうかね?ほとんどの人は流し目で見るだけでしょうけど、作った人にとっては嬉しいものでしょうね。

今日はここまで。


その38へ→

小田原・箱根の鉄道を乗りに 最終回【2016/12/10】

2018-03-22 21:27:13 | 鉄道撮影記

箱根登山鉄道大平台駅から箱根湯本駅に引き返して、臨時ホームに留置されているモハ2形110号を見に行きます。
乗るのは1000形。登場時の復刻塗装の編成でした。こんなのいたんだ、初めて見たわい。

さて電車に乗っている途中、出山信号場でスイッチバックする時に強羅行の電車とすれ違うんですが、その電車がこの後湯本で見に行くつもりの110号だったのです!お前、走るのかい!
なんと無情なすれ違い・・・、振り回されっぱなしだ。



出山信号場を出て次の塔ノ沢駅で電車を降りて反対側ホームへ。幸い強羅行きの電車がすぐ来たのでそれに飛び乗って110号を追いかけます。
ううむ、まあ1000形旧塗装の編成写真撮れたからいいにするか。



また大平台駅で撮るのも芸がないと思ったので、ひとつ先の宮ノ下駅周辺で撮ることにしました。ただし紅葉感は得られなかったですね・・・。
読み通り、110号の箱根湯本行きが来ました。塗装は登場時の旧塗装を復刻したものなんですが、今見ても派手だなと思います。



駅で強羅行きと列車交換するため少々停車。おかげでホーム上でも撮影できました。
振り回されましたが、走っているところを捉えられたので結果オーライです。許す。



強羅行きの電車は3000形でした。図らずも新旧の並びが見られました。



110号を見送ったら強羅へ向かいます。



強羅駅に着きました。
構内の側線にはモニ1形がいました。線路の保守工事をする時に使う電車ですね。分類的には電動貨車なんだそうな。
初めて見ましたけども、飾り気ゼロの車体に満載のクレーン(?)がいいですね。



鉄道撮影はこれにて終了で、ここからは箱根観光しながら御殿場に抜けようと洒落込んでいた・・・のですが、時刻は既に15時半。関所とか芦ノ湖とか大涌谷とか見て行きたかったのに、すっかり時間が推してしまったのであった。しかも冬季はどこも閉店時間が早いのです。
これってもう、御殿場まで移動するだけで終わってしまいそうな・・・。

今回はもう寄り道の場所を大涌谷だけに絞って、まずはとっとと箱根登山ケーブルカーに乗ってしまいましょう。
ケーブルカーの車両は伝統的にスイス製を使うんだそうな。ケ100形という型式名もちゃんとあります。



終点の早雲山駅から箱根ロープウェイに乗り換えます。
のんきに歩いていると、もうすぐ最終便が出るよとの係員の案内が。え、まだ16時だけどそんなに早くに閉めるの?
乗り遅れると色々面倒なんでとっととロープウェイに飛び乗ります。急にただの移動になってきた・・・。



大涌谷の上を渡ります。
昔に行ったことはありますが、ここ十年特に噴火後では初めてです。ロープウェイ越しからでも硫黄臭が分かります。



あちこちから煙が出ていてすごい光景だなと。生の気配がないのも不気味です。



大涌谷駅でロープウェイを乗り換えます。
ここでも終電の案内がされていたので、大涌谷を堪能する余裕はゼロでした。一瞬だけ外に出て遠くから見たけどな・・・。



ロープウェイの終点の桃源台駅に着きました。
最初は海賊船にでも乗ろうかなどと考えていましたが、すでに今日の運行は終わっていたので為す術なし。おとなしく御殿場に出ます。
時間になるまでバスでも見てますかね。箱根登山バスのふそうエアロスター新MP35。山道を走るので新型でもワンステップバスを選択しているのです。



ひとつ前のMP35。



乗るのはこれ。小田急箱根高速バスの新宿行き高速バスです。車両はふそうエアロエースです。
高速バスなので道中は快適。とはいえ寝たら新宿まで連れてかれるんか・・・。



御殿場駅に着きました。ホームに小田急60000形MSE特急「あさぎり」が停まっていたので撮影。
ところで「あさぎり」の名前もあっけなく消えてしまいましたね。「ふじさん」は安直過ぎるなぁと思いますが、小田急の他の列車も「はこね」だとか「えのしま」だとかド直球な名前なので、小田急基準ならまあいいのかなぁ・・・?



その後久々に乗る御殿場線で沼津駅まで出て、そこで東海道線に乗り換えてお家まで帰りましたとさ。
鉄道撮影に関しては満足行きましたが、箱根観光できなかったので再挑戦したいですね。
おしまいです。

小田原・箱根の鉄道を乗りに その3【2016/12/10】

2018-03-21 21:50:32 | 鉄道撮影記

小田原駅から小田急箱根登山線に乗って箱根湯本駅まで来ました。ここから箱根登山鉄道に乗り換えます。今日もすごい混雑だな。箱根と江ノ島はいつ行っても混んでいますよね。
この日の最大の目的は引退まで目前だったモハ2形110号の撮影です。引退に際して水色と黄色の旧塗装に塗り替えられていたので、それが目当てですね。
ところが、110号は奥の臨時ホームに停まっているじゃないですか。ええ、今日はもう走らないのか・・・。
がっかりしましたが、他の列車の撮影だけでもしておこうと思いまずは電車に乗ってしまいます。110号は撮影を終えたら引き返してゆっくりと撮りましょうということに。



大平台駅で下車。ここで撮影します。
先頭は金太郎塗りの108号でした。確かこの1台しかいないはず。



発車していきます。



駅の外に出て強羅方面と箱根湯本方面が分岐するところで撮影します。大平台駅に行く途中でモハ1形/モハ2形をすれ違ったので、それを撮影してずらかりましょう。
まずは箱根湯本行きの2000形。



後ろには新鋭の3000形アレグラが連結されていました。ということは2000形も3000形に合わせた塗装なわけですか。
これも目当てのひとつだったので、こっちは早速確保できました。



少し移動して強羅行きを撮影。これも2000形+3000形でした。
背景は紅葉しています。最盛期は過ぎた感がありますが、それでもまだ見られる状態でしたので良かったです。いい感じだね。



引き気味で撮影。
6月にはあじさいが咲く場所でもあるので、1年中使える撮影地なのだ。



後追いで3000形。
窓と柱しかない設計かよって感じです。



最初に見た湯本行きの3000形+2000形。
大平台駅はスイッチバック駅なので1つの列車を2度撮影できるお得な撮影地なのだ。



後追い。



3000形の強羅行き。
構図が決めきれてないのが透けて見える・・・。



湯本行きの1000形。
スイス レーティッシュ鉄道の塗装ですかね。
余談ですが幕板部の黄帯はスイスの鉄道では1等車を示す記号なわけですが、スイス人がこれを見た時に困惑しないのかしらといつも心配になります。だって3両中全部の車が1等車を示してるわけで・・・。



次に来た強羅行きが狙いのモハ1形でした。



うむ、いいですね。
パンタグラフ切れてるけど。



スイッチバックした1000形。
前照灯がLED化されてたのね。



スイッチバックしたモハ1形も後追いします。
予定通りの成果(110号以外)が得られて満足したところで撤収して、箱根湯本駅に戻ります。


最終回へ→

北米project 4 ~Is the order a warbird? その36【2016/03/04~10】

2018-03-18 21:46:46 | 海外旅行記

引き続き屋外展示物を見て行きます。飛行機以外にも戦車も置いてあるんですね。雑な置き方をされていますが・・・。
これはM3A3スチュアート軽戦車。ガルパンには登場してないからよく知らないですね、はい。でも劇場版で名前だけ出てきたような。
アメリカ製の戦車ですがイギリス軍でも運用されていました。スチュアートというのはイギリス軍呼称が定着したやつですね。
実戦投入もイギリス軍の車両が初めてだったんですが、ドイツ軍の戦車には敵わず速攻で第一線から撤退。それでも軽戦車ゆえの軽快性を活かして偵察車や輸送車に活路を見出したとか何とか。
一方太平洋では極東の田舎侍相手に無双していた模様。日本の機甲部隊ってホント・・・。



ダッジWC54野戦救急車
1942年から生産された3/4tトラックのひとつで、WC51~WC64までの型式があります。全部で26万台造られたとかで・・・。ダッジの生産能力もおぞましいなと。
WC54は密閉式荷室を備えた野戦救急車です。そういえばビクトリアのパレードで見たかな。



フォードM151マット
ご存知陸軍の馬車馬ことウィリスMB/M38ジープの後継車なんですが、人類の151%はM151もこれらと一緒くたにしてジープと呼んでるんじゃないのかしら。
グリルの格子が横向きになっているのに注目です。(M151は別にジープじゃないんですけど)ジープと言えば縦向きの格子がトレードマークなわけですが、これはウィリスが商標登録しているのでフォード製のM151では使えないわけです。この意匠権は所有者を転々としながら今も生きていて、ジープの車に丸目と共に現在でも採用されているのです。以上豆知識でした。




M114装甲偵察車
キミ誰やねん?という車。ベトナム世代の装甲車だそうな。軽量高機動が魅力の装甲車なんですが、ベトナムで使ってみるとこれが仇になってジャングルを突き進んだりする不整地走破能力に難ありとみなされて、途中でM113と交代したそうな。失敗作ですかね・・・。
プラモデル化もされていないっぽいですし、知名度低いのね・・・。



M4A1シャーマン中戦車
ご存知アメリカ軍の戦車です。車体が丸っこいのでA1型でしょう。これ好きなんですよ。

戦車系はこんなところです。
日本の戦車が置いてあるって聞いてたんですけど、はてどこかいったかな?
まあたいしたもんじゃないそうなので、特にダメージ無し。



航空機見分に戻ります。これはダグラスA-4Bスカイホーク(10分ぶり3機目・通算134機目)
最初の量産型です。A型は先行量産型とでも言うべきものです。給油プローブもなにもないさっぱりした外観。



ロッキードT-33Aシューティングスター(1日ぶり2機目・通算135機目)
ご存知、航空博物館の常連第2号です(第1号はT-6テキサン)ほんとどこにでもいるね。
アメリカを始め西側諸国で使われていた練習機です。既に何回も紹介しているので解説はいいでしょう(手抜き



T-33は機首の上下方向が絞られてないのでなんだか野暮ったいイメージがあるんですが、正面から見ると左右方向はけっこう絞られていてカッコイイなと。たぶん上から見てもかっこよく見えるはず。



リパブリックF-84Fサンダーストリーク(2時間40分ぶり2機目・通算136機目)
ヤンクスで見たF-84Eサンダージェットの改良型ということになってますが、実際のところは全くの別ものと言っていいでしょう。
当初主翼が直線翼だったサンダージェットでしたが、後退翼の性能が認められるとサンダージェットも後退翼化されたのでした。それがF-84Fなのです。ご丁寧に名前もサンダーストリークに変わっています。
ただし、主翼だけでなく胴体も微妙に形状が変わっています。風防より後ろの胴体や垂直尾翼が顕著です。もう別の機体みたいなものなんですが、サブタイプの変更で済ませています。
同様の事例はこの頃のアメリカ空軍機にはよく見られたもので、F-86DやF-94C(どっちもそのうち出てくる)もほとんど新型機でしょってくらい別ものなんですが、やはりサブタイプの変更だけです。
財布を握る議会から予算を獲得するために「これは新型機じゃなくて既存機の改良型だヨ。だから予算承認してネ」という対策をしたから・・・というのが通説になっていますが、まあ本当のところは知らんです。
ちゃんと比較用の写真を次の日に撮ってあるので比較はその時にでも。

ただ、同型機と押し通すにはもっと苦しい機体がすぐ隣にいましてね。



リパブリックRF-84Kサンダーフラッシュ(20秒ぶり3機目・通算137機目)
同型機ちゃうやろ言っといて飛行機カウンターは同型機として数えているのはまあ、杓子定規に型式を基準に数える仕様なので。

上のF-84Fを偵察機にするとこうなります・・・。機首に偵察用カメラを搭載したんですが、F-84の空気取り入れ口は元来機首にあるので、これじゃ飛べません。そこで取入口を左右の主翼の根本に移して解決したのでした。でもこの口って小さいけどもちゃんとエンジン動いていたのかな?
というふうに機首と空気取り入れ口にドえらい設計変更がされていて、いくらなんでも同型機と言い張るのはムリなんじゃ・・・。

RF-84Fは700機くらいが造られたんですが、中でもここの機体はK型というちょっと特別というか珍しい個体なのです。一見地味なので私も後で気付いたのですが・・・。
K型というのはFICON計画で使うためにRF-84Fから派生した写真偵察機なのです。K型は通常のF型と異なり、風防の前にフックが付いていること、水平尾翼が下に大きく曲げられていることが挙げられます。

FICONというのはFIghter CONveyor; 戦闘機運搬の頭文字でして、要約して説明するとB-36戦略爆撃機の爆弾倉の中に戦闘機を収容して目的地の近くまで運んでしまおう、という計画でした。
当時はまだ空中給油機も無く、ジェット戦闘機の燃費は極悪ですから、航続距離が極めて短いです。そうなると、アメリカ本土からモスクワを核爆撃するため超長距離飛行するB-36を護衛する戦闘機がいなくなってしまいます。第二次世界大戦で長距離戦略爆撃には護衛の制空戦闘機が不可欠だ、というのを学んだアメリカ空軍ですから、護衛機を付けないわけにはいきません。
さて悩んだ戦略空軍がひねり出した案がそのFICONなのでした。戦闘機を爆撃機に積んで目的地の近くまで運んで空中で切り離し、迎撃に出てくる敵戦闘機をやっつけ、帰りはまた爆撃機に空中で収容して基地に帰還する・・・という魂胆でした。ガンダムかよ・・・。

最初は専用の寄生戦闘機(Parasite Fighter)XF-85ゴブリンを開発してたんですが(これがまたすごい外見なのだ、画像検索すべし)、エンジンに羽と操縦席を付けただけのようなよくこんなので飛べるなという見た目になりました。戦闘機としての性能ではなくB-36に収められることを前提とした設計なので性能はアレでして、試作機の域を出ることはありませんでした。
それでも引っ込みのつかない戦略空軍は寄生戦闘機をF-84に変更します。さすがにB-36には収容できんので下半分がはみ出る格好になったんですが。
でも、そうは言っても数機の戦闘機を護衛に付けたところで意味なくね?というよく考えれば当たり前じゃんという答えに気付いてまた困る。

そこで攻撃任務じゃなくて偵察任務に変更。RF-84Fを改造したRF-84Kを載せることにしたのでした。機首のフックはB-36に付けられた拘束具と繋がるためのものなのです。大きく下がった水平尾翼は水平尾翼がB-36とぶつかってしまうのでそれを避けるための措置でした。
ちなみにRF-84Fは偵察機とは言え爆撃も出来たはずなので、いざとなればこれに戦術核爆弾を載せて核爆撃するつもりもあったと思われ。戦闘爆撃機であるところのF-84系列が選ばれたのもそこら辺が理由かもですね。

なおこの計画の肝と言える空中分離、空中結合ですが上手くいかなかったことの方が多かったらしく、まあそりゃそうだよねと。
後継のU-2偵察機の登場や空中給油が実用化されるとFICONはソッコーで姿を消しました。残当。ロマンはあって好きですけど、ロマン兵器って尽く実用化されんな。

長くなりましたが、そういう珍しい機体なのです。ここを含めて3機しか残っていないので、もうちょい丁寧に扱ってもいいんじゃないかと。



ノースアメリカンFJ-3フューリー(1951年・138機目)
F-86セイバーのアメリカ海軍版といったところで、よく似た機体です。海軍の艦上戦闘機ですので、主翼の折りたたみ機構とアレスティングフックの設置、武装を20mm機関砲*4門に変更(この機体はなぜか片側1門ずつ塞がれているようだが)、といったところです。後は前脚が長くて離着艦時に迎え角が取れるようになってますかね。

FJ-3、つまりFJの3型は午前中のヤンクスで見たFJ-1(つまりFJの1型)の改良型ということですが、別モノの機体です。主翼が直線翼から後退翼に変更されたのを始め胴体の形状からエンジンまで何から何まで変わってます。なので別型式(F2J)にしてもいいと思うんですけど、そこはやはり空軍と同様議会対策ということですかね?

FJ-1を開発した後、アメリカ陸軍からもFJ-1の陸軍版であるXP-86の開発を受けていたんですが、そんな中ドイツから入手した航空機の先進的データを基に主翼を後退翼に設計変更してXP-86を完成させたわけです。
これの制式版がF-86になったのですがこれの性能が良かったわけでして、海軍もF-86の艦上戦闘機版が欲しくなったのでFJ-2として採用したわけです。FJ-3はそれのエンジン換装型です。
FJ-2/3の改良型であるFJ-4も後に開発されるんですが、これもまた全く別モノという機体になっています。こいつは2日後に見るのでまたその時にでも。

F-86が外国に輸出されたこともあって割とそこら中の博物館で保存されているのと対照的に、FJは全型式合わせて1000機以上生産された割に現存機は数えるほどしか残っていません。アメリカ海軍の艦上戦闘機史の中でもFJはすっぽり抜け落ちている(F6F、F4Uの次はFJを飛び越してF9Fみたいな感じ)印象ですので、どうも地味なので残らなかったのかなと。なのでこれも見かけたらラッキーと思ってください。
現役時代の印象というのは大事で、これが薄い飛行機あるいは鉄道車両なんてのは保存されにくい傾向がありますよね。印象の強い試作機なんかは保存されやすいですが、量産型はあまり・・・という感触です。個人的には完成形である量産型を残すべきだと思うんですけどね。



ロッキードF-104Gスターファイター(2時間40分ぶり2機目・通算139機目)
ご存知、小さい機体に大出力エンジンという迎撃戦闘機なんですが、このG型はどうしてか戦闘爆撃機として設計された機体です。しかも戦術核爆撃機・・・。
G型はアメリカでは運用されておらず、西ドイツなどNATO諸国用の輸出機でした。つーかアメリカには元から戦闘爆撃機として開発されたF-105がいるんで使う必要ないんですよね。
いざという時は核爆弾を積んだこれでソ連を火の海にするっていう運用を想定してたみたいです。滑走路が破壊された時に備えて、F-104をカタパルトから発進させる装置まであったらしいですから、いやまぁ狂ってるなと。

詳しい出自は不明ですがこの個体はベルギー空軍で使われていた機体だそうな。わざわざベルギーから運んできたのか・・・というよりはこれはアメリカからベルギーに供与された機体で、退役後返還された後にここに回ってきたということかもしれません。

屋外展示をやっつけたところで今回はここまで。


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北米project 4 ~Is the order a warbird? その35【2016/03/04~10】

2018-03-16 21:56:09 | 海外旅行記

屋外展示場へ来ました。アメリカのジェット機を中心に展示されています。
比較的どうでもいい機体たちが置かれている場でもあり、動態保存されている大戦機と比べると扱いは雑です。全体的に塗装はボロボロ、部品は欠損あり、という状態ですね。まあピンからキリまで美しい状態で展示するのは難しい・・・という事情はあるでしょう。
それでもよく見ると中には一見の価値ありというやつもいますので、それだけでも綺麗にしてくんないかな?とは思いけり。



グラマンF7F-3Nタイガーキャット(1943年・125機目)
アメリカ海軍の双発戦闘機です。海軍機で主翼が折り畳まれていることから察せる通り、空母で運用するための艦上戦闘機です。
双発戦闘機は「エンジンが倍になれば性能も倍になるね!」みたいな触れ込みで戦間期に世界中で開発されたんですが「実際使ってみるとイマイチだったね・・・」となって大戦に入ると戦闘機としては速攻で廃れちゃったやつです(ただしP-38は除く)
海軍もなんで今更こんなもの・・・と思うわけです。ただしF7Fは戦闘機ですが、雷撃/爆撃も可能な多用途機として開発されたそうな。

さて、無事制式採用されて次はアメリカの大工業力でジャカジャカ1万機くらい量産するぞい!となるんですが、グラマン君は量産能力が低くF6Fヘルキャットの生産だけで手一杯、並行して生産していたF4FワイルドキャットやTBFアベンジャーの量産はゼネラルモーターズに投げていた・・・というのは前に何度か書きました。書いてたんですよ、忘れてると思うけど。
でまあ海軍も「F7F作るヒマがあったらF6F、F4F、TBFを先に寄越してちょ」と言ってきたのでF7Fの生産は後回しにされて、やっとこさ生産されたやつも海兵隊に押し付けられちゃったりしたので・・・うーん、ツキがないね。

結局250機造ったあたりで終戦になってしまい、残りの発注は取り消されてしまいましたとさ。250機ってこの時代の米軍機じゃ誤差みたいな数字ですね。日本軍機じゃないんだからさ・・・。

もともとの弾数が少ないので、現存機も細々としたものになっています。見かけたらラッキーと思って良いでしょう。
しかし、退役した機体の一部は大きな機体を買われて森林火災の消防機に転用されて後年まで活躍したそうな。今も稼働機がまとまった数いて、静態機より動態機の方が多いという珍しい関係になっています。消防機として長い間現役だったのが効いたんでしょう。



この3N型は夜間戦闘機型です。夜間戦闘機っていうのは、機首にレーダーを積んで視界の効かない夜間でも任務が遂行できるようにした戦闘機です。日本だったら月光あたりが有名ですね。
双発戦闘機は機体が大柄であることやエンジンも2発で出力に余裕があったことからレーダーを搭載しやすいので、制空戦闘機としては使えない双発戦闘機は夜間戦闘機にジョブチェンジしていった、というのはよくある話でした。

機首にレーダーを追加装備したので、機首の形状が変わっているのが特徴でござんす。ハチに刺されたみたい。
本来の機首はきれいな円錐状なのですが、これは先端が膨らんでいるのがわかりますね。



ロッキードC-60ロードスター(1939年・126機目)
全く知らなかった機体で、解説板も無かったのでなんだこいつ?という機体でした。ロッキードの旅客機モデル18(L-18)が原型だそうな。
サブタイプがないですが、サブタイプなしの無印の型式もあるのでこれで合っているんでしょう。でもこれイギリス空軍の塗装してるんですけどね・・・。
ちなみにロードスターの綴りはLodestarで、道標となる星、転じて北極星等の意味があります。マツダの自動車(Roadster; 道の人)や、ましてや道の星(Road star)ではないので気をつけよう。



ロッキードL-18ロードスター(3分ぶり2機目・127機目)
C-60の原型機というか民間型というか。
上のやつと違って機首が延長されているのですね。先端が黒いし、レーダーでも載せてるのかな?



ノースアメリカンT-2Aバックアイ(1958年・128機目)
アメリカ海軍のジェット練習機です。アメリカ軍航空機の命名規則統一前の旧名はT2J-1。海軍機ですので空母でも運用できます。
これも知らなかったやつです。機体の腹にエンジンを配置しているのでなんだかずんぐりむっくりという印象です。
主翼の設計はFJ-1のものを流用しているとのことですがこれの主翼はP-51の流用なので、つまりT-2の主翼はP-51の流用だとも言えるわけです。P-51の主翼は長い間通用する設計だったのだな、と。



LTV A-7コルセアII(1965年・129機目)
アメリカ海軍の艦上攻撃機です。
状態悪いし、明日以降も見ることになるので今日のところは書くことないです(手抜き



エンジンが外されていて、その上口には蓋がされてないので、中が丸見えです。
吸気管は操縦席を避けるように一旦下に曲がりながらエンジンへ向かっているのが分かるかと。



ヴォートF-8クルセイダー(1955年・130機目)
アメリカ海軍の艦上戦闘機です。上のA-7と形が似ているのは、同じ会社の開発で(ヴォートは後に吸収合併されてLTVに)、F-8を基にして開発されたからでし。
これも今日のところは書くのはこれだけ(手抜き



F-8は主翼がジャッキで持ち上がるというビックリドッキリ装置を持っています。
空母の離着艦時は低速で飛ぶので機体の機首を上向きにして迎角を取ることで低速時でも揚力を確保するんですが、主翼だけ迎角を取るようにすれば機体はより水平に近い角度で飛べるから安全になるよね、という試みでした。実際使い勝手は良かったらしいです。
ただし、主翼の強度を強くしにくいので主翼に武器や増槽をたくさん積めなかったり整備が手間だったりするんで、後に続く機体は現れませんでした。



ビーチTC-45J(1937年・131機目)
ビーチクラフトのモデル18という民間機が原型の機体。モデル18は8000機以上造られた大ヒット機なので、博物館の常連のひとつですかね。
TC-45Jは大型機の航法士を訓練するためのアメリカ海軍の練習機です。あくまで航法士専用の練習機なので操縦士の訓練は考えられていません。
アメリカには爆撃手専用の練習機があるというのは聞いたことがありますが、航法士の訓練機もあったんですか。贅沢なことするね。



ダグラスA-4Fスカイホーク(40分ぶり2機目・132機目)
アメリカ海軍の攻撃機。
前期型ゆえ背中のコブがないすっきりした形状です。こっちのほうが好みです。




胴体だけ置かれている謎機体。知らんのも当然で、イスパノHA-200サエタ(1955年・133機目)というスペインの練習機なのでした。
ヨーロッパ機はよく分からないですね。

今日はここまで。


その36へ→

【1/144】イリューシンIl-76MD ロシア空軍【ギャラリー】

2018-03-14 23:20:27 | 模型ギャラリー

キット:ズベズダ 1/144イリューシンIl-76MD戦略輸送機
仕 様:ロシア空軍 第224飛行隊
[製作記はこちら]

UAMCという3年に1度行われる飛行機模型の展示会に飾るべく作りました。
冷戦期のソ連大型機に見られた機首の航法士席の窓が好きなのですが、これもそのひとつです。それと、ズベズダというメーカーが前から気になっていてどんなキットなのか試したかったこと。あとは目立ちそうな大きいもの・・・ということでズベズダのIl-76を選択しました。
キットの出来は素晴らしく、一発でズベズダ航空機キットの虜になりました。既に積みプラモが数点控えていて、他にも手が伸びそうです。今後の展開に機体です。


幅30cm、長さ35cmくらいする大きいやつです。撮影にも一苦労。



窓枠がやたら多いのが魅力なのだ・・・魅力なのだが塗装するには苦しい。窓枠シールが欲しい・・・。
エンジン4発なのも良いです。ジェットエンジン4発の輸送機のプラモデルってあまり出回らないですよね。



裏側。



軍用機なのですが、塗装といい機首側面の文字といい、民間機みたいですね。
見た人に尾部の機銃を見せると驚きます。



後部カーゴランプは開状態で組み立てましたが、展示会に間に合わせるために一部まだ組み立てていない状態・・・。またそのうち作ります(←作らない
貨物室もいい感じなんですけどもね、写真撮りにくい・・・。



まさにソ連機っていう機首で好き。



製作記で書き忘れてましたが、主翼前縁の銀色の部分は別部品化されていてとても塗装しやすかったです。







ロシアの星マークが眩しい。

といったところで以上Il-76MDでした。

【1/144】イリューシンIl-76MD 製作【ズベズダ】

2018-03-13 21:09:07 | 航空機模型製作記
UAMCという飛行機模型の展示会が控えていましたんで、それ用にイリューシンIL-76MD輸送機を作りました。ソ連の大型輸送機です。
キットはロシアのズベズダから出ているものです。航空機キットにおいては繊細な凹モールドと嵌合の良さに定評のある会社です。
IL-76も2017年に完全新規金型で発売された最新のものです。今年も何点かのバリエーションが出る予定だそうで。
箱絵はなんだかパースがズレているような気が・・・。


箱を開けると中に内箱があります。ちょっと豪華な印象です。


ランナーを見ていきます。
胴体と主翼は、部品と棒状のランナーで繋いだだけ。日本製だと丁寧にランナーで全周を囲むんでしょうけど、海外製ではこんな感じですね。


部品が小さくて細いな・・・ふええ、という印象。
表面は少し梨地になっていて、航空機なのに・・・とは思います。どうもズベズダの特徴というか欠点だそうです。ただし、磨こうものなら細くて浅い凹モールドを消しかねないので、何もしませんでした。まあ、磨くの面倒だっただけですけど。


尾翼とか。
あとタイヤのランナーがあるんですけど、撮るの忘れてました・・・。


風防。薄くて透明度も高くて良し。
窓枠がやたら多いのがソ連機の好きなところです。


説明書はロシア語と英語の併記。すまねぇロシア語はさっぱりなんだ。
まあ図が読めれば大丈夫でしょ。


仮組みする。
嵌合がバッチリでびっくりする。手直ししなくていいじゃん・・・。
位置決めのピンは緩いので多少遊びがありますが、ちゃんと位置決めしてやればビターンと接着できます。すごいなズベズダ。


IL-76は輸送機ですので、貨物室があります。キットでもそれを再現しています。さらに、後方のカーゴランプを開けた状態で組み立てられるので、組み立て後も中が見えるのだ。
これはもう扉を開けた状態で組み立てるしかないでしょう!ということで貨物室もちゃんと作ることに。


操縦室も並の1/144大型機よりは細かく再現されていると思います。


貨物室の彫刻も細部まで渡っていて、感心しかしないですね、これ。


先に貨物室の組み立てと塗装をしてから胴体を接着します。貨物室を閉じた場合にする時は塗装は省略してもいいかもしれませぬ。
ちなみに胴体接着時は普通のセメントを付けてから強く押し付けるように接着して合わせ目に溶けたプラスチックをむにゅっと出す方法でやったんですが、これってグイチになった時に分かりにくくて、後で合せ目消しをやったら段差ができてました(泣)
こういう時は流し込みセメントを使うもんだと助言を頂いたので次からは気をつけようと思います。恵まれたキットからクソみたいな腕前・・・。


塗ります。
モールドがやたら多いのですが、浅いのでスミ入れは大変です。エナメル塗料の流し込みは効かないので、ガンダムマーカーでゴシゴシしながら墨入れしました。


デカールを貼りました。
3種類くらいありますが、一番ソ連ソ連しているデカールを貼りました。民間機っぽいですがちゃんとした軍用機です。後部銃座もありますし。
デカールの質は良い方だったかと。少なくとも悪くはないです。機体側面の青帯は3分割されているので割りと貼りやすかったです。


最後にクリアコートをして完成。いや大きいねぇ、キミ。置き場所に困るやつだ。
でも満足度は高いです。サクサクとあっという間に組み立てられるというものではないですが、嵌合が良いのでストレス無く作れるのが良いです。
輸送機キットとして完成度が高いので組んでみるといいじゃないでしょうか。


同縮尺のガンダムと並べてみる。ガンダムでかい・・・。
モビルスーツを3機搭載できるガウってどんだけでかいのっていう。

<使用塗料>
■胴体白:アクリジョン N1白
■主翼灰色:Mr.カラー C73エアクラフトグレー
■主翼前縁・エンジンノズル:アクリジョン N8シルバー
■機首レドーム:水性ホビーカラー H32ダークグレー
■貨物室内張:Mr.カラー C39ダークイエロー
■タイヤ:アクリジョン N77タイヤブラック
■車輪ハブ:水性ホビーカラー H73ダークグリーン
■エンジンファン:アクリジョン N76焼鉄色 

以上、完成品はギャラリーにて。